2008年12月02日
●心の強さについて
勝敗を分けるのは心の強さ、つまり喜怒哀楽のアップ・ダウンがあまりない人、言い換えれば平常心、中庸の境地ということになる
ゴルフにはまるで興味がないのだが、たまたま30日にニュース番組で見た女子プロの試合には目が釘づけになった。
宮崎カントリークラブで行われた
「LPGAツアーチャンピオンシップ・リコーカップ」
での出来事である。
最終コースで、トップの韓国人女性の全美貞(ジョン・ミジョン。26歳)が、ダブル・ボギーでメタメタになると、2番手の不動裕理(ふどう・ゆり。32歳)が、その影響を受けたのだろう、これもまた3パットしてボギーとメタメタとなり、結果、大番狂わせで、3位だった古閑美保(こが・みほ。26歳)が優勝したのだ。
これは余談だが、古閑美保、不動裕理、共に熊本県出身である。
単独首位だった全美貞の場合、
「もうこれで優勝賞金2500万円は私のものだ」
との思いが、それまで継続してきた緊張の糸をプツンと切ったか、あるいは、逆に力み過ぎたのであろう。
最優勝候補の選手の敗退を目にした2番手の不動裕理は、まさに優勝を目前にしたわけで、
「これで優勝できる」
と思わず一喜一憂し、やはり心の動揺がミスを招いたようである。
上位になればなるほど、技術はほぼ同レベルとなり、勝敗を分けるのは心の強さ、つまり喜怒哀楽のアップ・ダウンがあまりない人、言い換えれば平常心、中庸の境地ということになるようだ。
そのことを裏付けるように、古閑美保は
「最後まで、優勝も賞金女王も考えずじまいで・・・」
とコメントした。
古閑美保は、作為のない自然なプレーが出来たのだ。
心の動揺を少なくするには、人間としての自分の生き方に自信を持つ必要があるだろう
こればかりは、ゴルフ練習場で身につけれるものではない。
夫婦喧嘩などを含む日常生活こそが、心を育む修養の場ということになる(笑)。
心を育むということは、安定した心を目指すということになる。
心の安定度は、モラルと大いに関係がある。
心にやましいことがあって、後ろめたい気持ちで、正々堂々と大手を振って生きれるはずもない。
心の動揺を少なくするには、人間としての自分の生き方に自信を持つ必要があるだろう。
少なくとも、後ろめたいことは何もないという生き方ができていなければならない。
後ろめたいことは何もないどころか、ボランティアをやっていたりで人様のお役に立っている、という気持ちは、さらに自信を確固としたものにしてくれるに違いない。
ただし、人様の役にたっていることをひけらかすようでは、意味がない(笑)。やはり、自分が善人であることをアピールするためのこれ見よがしではなく、陰徳が一番なのである。
損得勘定がなく、正々堂々と生きてこその心の安定のはずなのだ。
もちろん、例えば私のように親孝行がきちんとできていないとかの思いがあるなどして、後ろめたさがまるでないという人など一人もいないのだろうが、心を正すという日々の工夫と努力をしているのなら、それだけで十分自分を好きになる、つまり自信となるはずである。
祈る人々はほぼ例外なく、自分たちには何の力も責任もないように振る舞う
物は試しということで、私なりに、実践しているつもりなのだが、この心の動揺をなくすという工夫のひとつに、どうやらハワイ生まれの
「ホ・オポノポノ」
が有効なようだ。
といっても、いまだ、全面支持というわけではない。
今のところ、その基本的な考え方の点で、その有効性を認めているに過ぎない。
参考までに、以下の一節は、陽明学的という点で、私にとって強烈な一撃だった。( )内は、筆者注である。
「彼(イハレアカラ・ヒーュレン)のテーマは
〈我々の外には何一つない〉
である。
祈る人々はほぼ例外なく、自分たちには何の力も責任もないように振る舞う。
しかし、〈ホ・オポノポノ〉にあっては、誰もが全幅の責任を負うのである。
『祈り』とは、それが何であれ、あなたの内にあって、外部の状況に影響を与えるもののために許しを請うことなのだ。
祈りは神に再結合する。
あとは神があなたを癒すと信じるだけだ。
あなたが癒されれば、外部も癒される。
すべては、例外なく、あなたの内にある」(ジョー・ヴィターリ、イハレアカラ・ヒーュレン『ハワイの秘法』PHP研究所)
「祈る人々はほぼ例外なく、自分たちには何の力も責任もないように振る舞う」
とあるが、まさしくその通りである(苦笑)。
「ホ・オポノポノ」については、また別の機会にお話する。
ゴルフにはまるで興味がないのだが、たまたま30日にニュース番組で見た女子プロの試合には目が釘づけになった。
宮崎カントリークラブで行われた
「LPGAツアーチャンピオンシップ・リコーカップ」
での出来事である。
最終コースで、トップの韓国人女性の全美貞(ジョン・ミジョン。26歳)が、ダブル・ボギーでメタメタになると、2番手の不動裕理(ふどう・ゆり。32歳)が、その影響を受けたのだろう、これもまた3パットしてボギーとメタメタとなり、結果、大番狂わせで、3位だった古閑美保(こが・みほ。26歳)が優勝したのだ。
これは余談だが、古閑美保、不動裕理、共に熊本県出身である。
単独首位だった全美貞の場合、
「もうこれで優勝賞金2500万円は私のものだ」
との思いが、それまで継続してきた緊張の糸をプツンと切ったか、あるいは、逆に力み過ぎたのであろう。
最優勝候補の選手の敗退を目にした2番手の不動裕理は、まさに優勝を目前にしたわけで、
「これで優勝できる」
と思わず一喜一憂し、やはり心の動揺がミスを招いたようである。
上位になればなるほど、技術はほぼ同レベルとなり、勝敗を分けるのは心の強さ、つまり喜怒哀楽のアップ・ダウンがあまりない人、言い換えれば平常心、中庸の境地ということになるようだ。
そのことを裏付けるように、古閑美保は
「最後まで、優勝も賞金女王も考えずじまいで・・・」
とコメントした。
古閑美保は、作為のない自然なプレーが出来たのだ。
心の動揺を少なくするには、人間としての自分の生き方に自信を持つ必要があるだろう
こればかりは、ゴルフ練習場で身につけれるものではない。
夫婦喧嘩などを含む日常生活こそが、心を育む修養の場ということになる(笑)。
心を育むということは、安定した心を目指すということになる。
心の安定度は、モラルと大いに関係がある。
心にやましいことがあって、後ろめたい気持ちで、正々堂々と大手を振って生きれるはずもない。
心の動揺を少なくするには、人間としての自分の生き方に自信を持つ必要があるだろう。
少なくとも、後ろめたいことは何もないという生き方ができていなければならない。
後ろめたいことは何もないどころか、ボランティアをやっていたりで人様のお役に立っている、という気持ちは、さらに自信を確固としたものにしてくれるに違いない。
ただし、人様の役にたっていることをひけらかすようでは、意味がない(笑)。やはり、自分が善人であることをアピールするためのこれ見よがしではなく、陰徳が一番なのである。
損得勘定がなく、正々堂々と生きてこその心の安定のはずなのだ。
もちろん、例えば私のように親孝行がきちんとできていないとかの思いがあるなどして、後ろめたさがまるでないという人など一人もいないのだろうが、心を正すという日々の工夫と努力をしているのなら、それだけで十分自分を好きになる、つまり自信となるはずである。
祈る人々はほぼ例外なく、自分たちには何の力も責任もないように振る舞う
物は試しということで、私なりに、実践しているつもりなのだが、この心の動揺をなくすという工夫のひとつに、どうやらハワイ生まれの
「ホ・オポノポノ」
が有効なようだ。
といっても、いまだ、全面支持というわけではない。
今のところ、その基本的な考え方の点で、その有効性を認めているに過ぎない。
参考までに、以下の一節は、陽明学的という点で、私にとって強烈な一撃だった。( )内は、筆者注である。
「彼(イハレアカラ・ヒーュレン)のテーマは
〈我々の外には何一つない〉
である。
祈る人々はほぼ例外なく、自分たちには何の力も責任もないように振る舞う。
しかし、〈ホ・オポノポノ〉にあっては、誰もが全幅の責任を負うのである。
『祈り』とは、それが何であれ、あなたの内にあって、外部の状況に影響を与えるもののために許しを請うことなのだ。
祈りは神に再結合する。
あとは神があなたを癒すと信じるだけだ。
あなたが癒されれば、外部も癒される。
すべては、例外なく、あなたの内にある」(ジョー・ヴィターリ、イハレアカラ・ヒーュレン『ハワイの秘法』PHP研究所)
「祈る人々はほぼ例外なく、自分たちには何の力も責任もないように振る舞う」
とあるが、まさしくその通りである(苦笑)。
「ホ・オポノポノ」については、また別の機会にお話する。