翁問答

2016年09月29日

●「学問とは悟るためにする」中江藤樹

◆『評伝、日本陽明学の祖・中江藤樹(仮)』(三五館)の原稿締め切りが10月半ばと決まった。

 『評伝、日本陽明学の祖・中江藤樹(仮)』(三五館)の原稿締め切りが10月半ばと決まった。
 来月9日の乃木神社での「陽明学と忠臣蔵」と題しての講演原稿とレジュメの作成にも努めながら、今度こそ脱稿にこぎつけたい。
 そう思っていた矢先、28日(水)の夜7時半頃には、酷い倦怠感に耐え切れず、床に就いた。夕食を終えた後の倦怠感に悩まされるのは毎度のことだが、今回は、左側のへその脇の断続的な痛みもあり、大事をとったのである。
 目覚めたのは、11時を回った頃であった。
 しばし中江藤樹『翁問答』に目を通す。
 若い頃には、あまり響かなかった本書にある藤樹の言葉が、還暦を過ぎた私の心にはビンビンと響いてくるのは、やはり私欲を減らす工夫と努力の御蔭なのであろうか。
 なんだか、私の言葉遣いまで、本書に影響されてしまったようだ(;'∀')。

◆真の人間になるということは、中江藤樹の言葉を借りれば、大悟するということである。

 江戸時代人は、江戸初期の中江藤樹の『翁問答』を読み、自己修養の糧にしたことは言うまでもない。その成果が明確に表れたのは、幕末であり、明治になってからだったと、私は思っている。
 幕末の志士や欧米の植民地主義に対抗した明治の元勲達を養成したのは、江戸期の陽明学を中心とした三教一致(三教合一)の教えであった。
 私は、物心ついた、小学高学年にゲーテの『ファウスト』を読んだ頃から、真の人間になるにはどうしたらいいのか、という問題意識を持って生きてきたのだった。
 高校生になって、三島由紀夫の愛読者となった。
 二十歳頃にコリン・ウィルソンやルドルフ・シュタイナーに出会って、さらに加速した。
 そして、禅やキリスト教神秘主義などの宗教や錬金術に、或いは西洋哲学や東洋思想に、文学や芸術にものめり込んできたのだ。
  真の人間になるということは、中江藤樹の言葉を借りれば、大悟するということである。
  そして、今では私は、陽明学こそが大悟への近道だと思っている。
 以下は、江戸期を通じてロング・セラーとなった中江藤樹の『翁問答』からの抜粋。

◆「人が誉めても喜び過ぎず悪口を言われても悲しみ過ぎず、お金や地位や名声にも心を奪われず、かといって貧しく身分が低い境遇にあってもそれを楽しみ、災いから逃げず幸福を求めず、生きることに執着せず死を恐れ憎まず」

中江藤樹:
「学問とは悟るためにする。悟らなければ学問というに足りない。
 ・・・(中略)・・・学問の工夫と努力を積み重ねて、本心の眼を開いたならば、今まで疑い迷っていた五常・天道・神道・運命・生死の道理がことごとく解り、昼日中(ひるひなか)に黒白を見分けられるのと同じように、物事の道理が解るように成ることを、悟りと名付けたのである。
 ・・・(中略)・・・本当に大悟した人は、この世のことは言うまでもなく、生前や死後の道理、天理の他の道理まで、黒白の色を見分けるようにはっきりと分かっておられるので、孝・悌・忠・信の神の道を行われることは、まるで飢えて食べ、喉が渇いて飲むように、自然であり、人が誉めても喜び過ぎず悪口を言われても悲しみ過ぎず、お金や地位や名声にも心を奪われず、かといって貧しく身分が低い境遇にあってもそれを楽しみ、災いから逃げず幸福を求めず、生きることに執着せず死を恐れ憎まず、ただひたすら五常(仁・義・礼・智・信)と三才(天・地・人)が一つとなった神の道を実践されることは、例えば水が低い方に流れ、磁石の針が常に南北を指すように、とても自然なことなのだ。
・・・(中略)・・・人間として生まれてきて、心の眼が開けず、悟らないまま生きていくことは、とても口惜しいことではありませんか」」(『翁問答』上巻)

「政治は、明徳を明らかにする学問であり、学問は天下国家を治める政治でもある。もともと、一日して二、二にして一のものと心得るがよい」 (『翁問答』上巻)

image001 中江藤樹『翁問答』



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2016年09月14日

●中江藤樹は、経典や常識や規律や戒律などよりも心の内奥の「良知」の判断を重視

◆「ただひたすら、行動するにあたって、細々(こまごま)とした規則を守ることは間違いだということを自覚した」

 昨今の宗教やイデオロギーによる対立や抗争は、私達の胸中に「良知」、言い換えれば「真吾(本当の私)」「明徳(めいとく)」「道」「仏性」「神の分霊(わけみたま)」「阿弥陀様」が内在しているという事実を見失っている事から生じています。
 厳密には、良知は私たちの内部、心の中にあるだけではなく、外にもあるものなのですが、自覚しやすさから、心の内部の良知を強調したに過ぎません。
 「近江聖人」と称されて久しい中江藤樹が、
「日本陽明学の祖」
 などと称されてきたのは、経典や常識や規律や戒律などよりも心の内奥の「良知」の判断を重視したからです。明らかに、朱子学とは違うのです。
 そのことを、中江藤樹の代表作で、江戸時代を通じてベストセラーとなった『翁問答』にある藤樹の次のような言葉からも知ることができます。

「道は、自分の心の内にあるということを知らないで、ただ先王の法(堯・舜という伝説の帝王の政治制度や孔子・孟子の教えなど)や賢人・君子の教えを人の守るべき道だと信じ、世間の良い風習を善だと決め、世間の理屈と道理を認めて、それらで心を正しくし身を修めようとそのスキルの修得に励むために、本来はいきいきとして停滞することの無い心がかえってすくんでしまい、自分の心にもともと持っている明徳(良知)のおおらかさやおだやかさが消えて、角々しい性質が日に日に大きくなり、だんだん人と仲良くしなくなり、変り者といわれるようになってしまう」(『翁問答』下、丙戌冬)

 藤樹は、王陽明の高弟・王龍溪(おう・りゅうけい)の思想から得た気づきによって、34歳の時には
「ただひたすら、行動するにあたって、細々(こまごま)とした規則を守ることは間違いだということを自覚した」(『年譜』岡田氏本)
 等と語りました。
 『翁問答』にある言葉は、藤樹の実体験にもとづいた言葉なのです。
 それまでの藤樹は、戒律を重視する宗教家や、「四書」にある孔孟の教えを厳格に守ろうとする朱子学者同様の、窮屈な生き方をしていたのでした。

 あなたの周りにも、タイトな、堅苦しい生き方をしている、面白くもないクソ真面目人間、いませんか。

 最後になりますが、いよいよ、17日(日)14:00から、乃木神社で、「日本陽明学の祖・中江藤樹」と題して、話をさせて頂きます。
 中江藤樹に関する著作は、過去無数に出されていますが、単なる孝行息子・中江藤樹ではなく、日本陽明学の祖としての中江藤樹を描き切ったものは、一般書では皆無と言っていいでしょう。
 17日は、その辺りの話を初披露させて頂きます。


▼中江藤樹(1608〜48)

220px-Nakae_Toju_portrait 中江藤樹

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