肉体
2021年10月06日
●年をとること、肉体が老いることの効用について
以下は、「Quora」での私の人気記事の再掲載です。
「性欲もなくなれば食欲もなくなり、病気になるリスクも高まり、既にあらゆる娯楽はやりつくしてるような段階。人生の後半は、ものすごく退屈な期間ですか?」
とのご質問に、私なりに答えさせて頂いたところ、好評を頂いており、それならばと、斯くの如く、本ブログで披露させて頂くことにしました。
ご一読頂ければお分かりだと思いますが、以下のような見解から、私は老いることをそれほど苦痛には感じていません。ゲーテ、ルドルフ・シュタイナー思想や陽明学のおかげです。
◆年をとるということは、霊(精神)が肉体の影響力から徐々に解放されるということ
受肉、という言葉があります。キリスト教のみならず、イスラム教や儒教や神道や仏教などの大方の世界的な宗教では、肉体(物質的身体)に神的な霊(精神)が宿ることを説いています。そして、霊(精神)が肉体から離れることは死を意味しているのです。
私が信奉するルドルフ・シュタイナー思想でも、やはり霊が肉体に宿ることで、その接点に心(魂)という領域ができて、人間は「霊(精神・スピリット)・心(魂・マインド・ソウル)・体(フィジカルボディ)」の三つからなると説いています。シュタイナー教育の根幹に、人間とは単なる物質的存在ではなく霊的存在であるという人間理解があるのです。
▼下の図は、FBの「福田塾セミナー」からお借りしました。
シュタイナーによれば、霊(精神)と肉体とがまだピタリと一致していない時期には、肉体は自分の思い通りには動かせないわけで、リハビリではありませんが、乳児から幼児、小・青年期を経るという、つまり時がたつにつれて霊が肉体に馴染んでいって、肉体を思う通りに動かせるようになっていくというのです。
最初はだぶだぶだった洋服が、肉体の生長と共に体にピタリとフィットしてくるようになるというわけです。
ですが、ある時期から肉体が衰えを見せ始めます。この世のものは無常、つまり常無きもの、常に生成し変化し続けているものであり、初めが有れば終わりがあり、「会うは別れの始め」という言葉があるように、出会いがあれば必ず別れがあるのです。
人間が、年齢を重ねる、年をとる、老いるという事は、唯物論(二元論)の現代社会の価値観からすれば、悲しいこと、悪いことのように見做されていますが、シュタイナーによれば、まるで違うのです。
老いるという事は、誕生時とは逆で、霊(精神)が肉体から解放されることを意味しているのです。どういうことかと言いますと、数学者や物理学者、芸術家、宗教家・哲学者などに良くみられる事ですが、年をとればとるほど、境地(人間性)や研究や作品が優れていくケースがほとんどです。
浮世絵で知られる葛飾北斎などは、その典型と言って良いでしょう。晩年になればなるほど作品の完成度は増しているではありませんか。
霊(精神)が、肉体からの影響力から徐々に解放されるからこそ、それが可能になるのです。性欲、食欲などの肉体に根差した私欲から解放されるから、霊(精神)が力を発揮するようになっていくのです。人間が、年をとる、老いるという事は、そういう事なのです。精神は、肉体から自由になっていき、最終的には死を迎える、つまり、肉体を離れて本来の霊的存在になるのです。
シュタイナーに言わせれば、私達は霊格を上げるためにこの世に生まれ、この世で自らを成長させることで、霊的に進化するのだ、というのです。霊的進化を遂げるには、肉体に受肉して地上に生を受けるしかないのだというのです。
以上、おおざっぱに述べさせて頂きましたが、この世は人間にとっての修養の場なのですから、最後の最後まであきらめることなく、自己修養に邁進していきたいと、私(69歳)などは日々思って、生かされていることを感謝し、今というこの瞬間を大切に生きているのです。
◆老いるということは、決してマイナス要因だけではない!
肉体の衰えと共に「霊(精神)」の力が増す、ということは、どういうことを意味するのかについて触れておきます。
この場合の「霊(精神)」の力というのは、主に「思考力」を指します。プラス「忍耐力」「意志力」「集中力」「表現力」などであり、「心の強さ(不動心)」と言い換えることが出来ます。
R・シュタイナーは、加齢とともに五感の内の視力や聴力が低下していくのは、陽明学的に言うところの「外の物」への興味を失わせて心の内側へ視線を向けさせる意図が有るという意味のことを述べています。
仏教、とくに禅や浄土教では、陽明学同様、内観を通じて心の本体であるところの仏性や良知への気づきを深めることの大切さを説いていますが、要は大悟する、見性するために心の外の世界への興味を失わせ、内省的になる時期が肉体的に老いるということなのです。
老いるということは、決してマイナス要因だけではない、という事を自覚するべきなのです。
ルドルフ・シュタイナー思想は、実はとても陽明学的でもあります。シュタイナー思想は、理屈っぽいとか難解だと思われる方は、是非、陽明学のなかでも「日本陽明学」に触れられることをお勧めします。たとえば、拙著『新装版・真説「陽明学」入門』(ワニプラス)、『志士の流儀』(教育評論社)などをご一読ください。
下の図は、FBの「福田塾セミナー」からお借りしました。
◆心や精神は、脳の産物だとする唯物論者への私の答え
渡辺 裕文氏より、9月24日に次のようなご意見を頂戴しました。
『遺伝子や環境に恵まれながら老いる方は「 肉体の支配から崇高な精神が解放される」と感じられるのでしょうね。アルツハイマー症状や物盗られ妄想による被害の訴え(実際は自分が食べたり起き忘れたりした事を思い出せず周りのせいにしている)を目の当たりにすると、精神は脳の情報処理機能の陰に過ぎないことを実感します。肉体、特に脳が損なわれると精神もそれに伴って壊れます。』
渡辺氏への私の返信は以下の通りです。
【私からの返信の代わりに、脳科学者ジル・ボルト テイラーの講演動画を披露させて頂きました!】
そういう唯物論を支持するご意見の方がいらっしゃる事は、承知のうえです。では何故、シュタイナー教育やシュタイナーの人智学運動が、世界に受け入れられていっているのでしょうか。学校のみならず、銀行、病院、製薬会社、経営コンサルタントの会社など、世界に広がり続けています。また、シュタイナーのバイオダイナミック農法による農作物は、今では、世界一の換金作物となりました。
私からの返信は、脳科学者ジル・ボルト テイラーの動画です。世界的ベストセラーとなったジル・ボルト テイラー『奇跡の脳』(新潮文庫)の著者です。脳が壊れているのに、貴重な霊体験を経て、彼女は唯物論から目覚めたのです。
ちなみに、私は、前日の夜に会っていた私の友人が死んだとき、彼が私に会いにくるという霊体験をして(翌日、彼の死を知りました)、以来、霊(精神)の存在を信じて疑いません。
※ジル・ボルト テイラー
1959年、アメリカ・ケンタッキー州生れ。神経解剖学者。インディアナ州立大学で博士号取得後、ハーバード医学校で脳と神経の研究に携わりマイセル賞を受賞。また、精神疾患に関する知識を広めるべく全米精神疾患同盟(NAMI)の理事を務めるなど活躍する中、37歳で脳卒中に倒れる。その後8年を経て「復活」、2008年にはタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。インディアナ州のブルーミントン在住。 ※著者名は正確には「ジル・ボルティ・テイラー」という発音に近いのですが、『奇跡の脳』では「ジル・ボルト・テイラー」と表記しております。