2006年09月20日

ビルバオ駅の構内

二度目のバスクの地を踏んだ。ビルバオという街だった、北の町は雨の日が多いときいていた。南と違って考えぶかそうな表情をしていたのもその為か、日本でも晴耕雨読というくらいで、雨降りの日は家の中で読書でもしていることが多いのだろう。この街の人は何処となくインテリっぽく感じられるのは気のせいだろうか、夜は昼間の激しいサンバのリズムの行進とは違うバスクの踊りらしい、あちこちから集まってくる若者の集団で広場は人で満杯になっていた、踊りだすもの旗を持って掲げたり空中に投げたり音楽を流したり大人も子供もお祭り騒ぎに興じていた。一年で最も幸せな庶民の演出だ、ヘリウムガスで膨らんだハートの形の風船を作っては子供達に手渡していた風船屋さんが賑わっていた。ピンク色した風船だった。秋だったか初冬だったか記憶は定かではない、売り子ジョセと一緒に3日程滞在してマドリに帰ろうと思っていた、初日は予定どうりに終え。二日目朝食を摂って駅に向かっていた。駅の構内でぼんやりと人の流れを見ていた、誰かに電話しようかと迷っていたのか電話ボックスの前にいたとき、構内警備中の警官となぜか眼が合ってしまった。警官が足早に自分に向かって真っ直ぐに近ずいて来た。軍警察の者だろう、右肩に機関銃を下げていた。パスポートの提示を要求した。何事も起きないだろうと予測していた。説明すれば終わるはずだと。意外にも同行を促された。駅の広い階段を上り最奥にある鉄道警察の名札の下がった一室に通され待機したまま警官は私のパスポートを係り官に手渡した、奥に引っ込んでから。暫くして係り官が戻ってきた、手に薄い書類を持って眼前の机の上に優しげに広げ指先で名前のところを指し示しこれはお前か?と聴いてきた、


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2006年09月19日

スペインにいくぞ

永いこと留守にしてしまいました。親友joseがなくなってから一種の虚脱 状態に近いものがあったのは否定しがたくこんなときこそタバコもやめられるのでしょうか、スペインではたくさんの友人も出来さらに生きる喜びも膨らむばかりと嬉々としていたときでもありました。その突発的な出来事は翼を広げたペガサスが中空において何者かに脳漿を破壊され地に堕ちていく聴く暇もない悲鳴はその後の自分に思考の連鎖にブレーキをかけつずけて、これから先もそれは止まることはないだろう、今は見ることもなくなったお父さんより頂いた形見分けのjose の写真も手に取ることもなく伏せられたままである。joseの頭部を堕ちぬいた弾の行き先まで見届けてあげようと思う.もっともっと生きていればjoseのこともわかるにちがいない死はもっとも雄弁に生を語る、死は生よりもづっとづっと長生きなのだ。もし生きていたらもう一度jose に会いにスペインにいくぞ
またひきずってしまった。。。




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2006年09月11日

フル―ツショッピング

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2006年03月16日

ホセの死

アンダルシアや北部ビルバオを回って帰ってきた。ホセはどうしているかなと思い電話してみた。3ヶ月ぐらい会っていなかった。電話の応えはお母さんからだった。ホセは死んだといっていた。二度ききかえし、今から行きますと言って受話器を置き急いだ。まだ若いのになんという事だ。僕がアンダルシアを駆け回っていたときだ。家に着くとお父さんお母さんの前で話を聞くと、拳銃で右後頭部に銃口を押し当て自分の頭を撃ちぬいた。友人と一緒のときだった。ロシアンルーレットで遊んでいたというが、おとうさんには1週間前にもし自分が死んだら山に埋めてくれという話をしたという。自殺だった。死んだのに3日も心臓は動いていたという。最後もまるで冗談かのような男だった。お父さんがアルバムのなかの一枚の写真をみせてくれた。海に向かって岩場から小便をしている写真で海を創っているのだと話していたと説明してくれた。もちろんホセの冗談だけど彼らしい、190センチもある大きな体躯に恵まれた存在で気持ちも大きな男だった。冗談を言っては人を笑わせるのが何より好きだった。スペインで最初からのかけがえのない友人だったし、一緒にいるときは警護されてるような安心感があった。なにをやっても、私が多少悪くても彼は援護してくれた。仲のいい兄弟のようなそんざいだった。ホセのおかげで私の交友範囲も広くなったし、スペインを楽しくしてくれた最強の後見人だった。私のスペインが終わったような気がしていた。

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2006年03月06日

真珠

361da827.jpg油絵3号

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2006年03月02日

追記

日本に帰国してから間のない頃久しぶりとなる山手線の蒲田駅に当てもなく散策でもしてみようと思い立ち下車した。蒲田行進曲の映画を見たせいか時間もあることだし東京育ちながらまだ知らない街だった。駅前の大通りをまっすぐに進むと目の前に大きな盾看板があり。碇山奈奈フラメンコリサイタルと書かれていた文字が飛び込んできた。其処は郵政会館であった。階段を上って窓口でチケットを購入した。もう何枚も残ってなく料金の高いのしかなかった。前から二列目の席にした、ここならよく見えるだろう、開演の頃にはいつの間にか満席状態だった。舞台では奈奈ちゃんが踊っていた幕間の休憩時間に後を見ると斜め後方のやや遠くに由美ちゃんの顔があった。軽く手を上げて黙認しあった。奈奈ちゃんも踊っているうちに僕のいることに気がついた様子だった。舞台が終わって挨拶に行こうか迷ったがお祝いの花など用意していなかったしそのまま帰ることとした。きっと大勢の仲間でうちあげでもするのだろう。スペイン人ダンサーも加えてのすばらしいショウであった。郵政大臣からのお祝いの花輪も届いていた。奈奈ちゃんの頑張りを再確認して家路へといそいだ。今は指導者となってそこから若いダンサーが巣立っているようだ。恋多き女性だった。

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2006年03月01日

由美と奈奈その2

奈奈ちゃんの帰国もまじかに迫った頃どうしても覚えて帰りたい踊りがあったがもうお金もなく今は先生に払えないと大粒の涙をぼろぼろ流して。いた。マリア、マグダレナという先生について練習をしていたとき突然立ち止まって泣きだしたのだ。先生は奈奈ちゃんを抱きかかえ優しく覚えて帰りなさいと言い、かえって励まされてしまった。奈奈ちゃんの練習の一生懸命さが先生にもわかっていたに違いない、私が奈奈ちゃんの練習風景を撮影していたときだった。白黒写真でフラメンコの練習風景を撮りたかったので頼みこんだ。壁の一面が総鏡になっていてギタリストを含めて4人だけのスタジオの一室。普段は大勢の人が一緒に練習する場所でもある。私は動きのなかの一瞬一瞬を切り取っていた。窓から差し込む柔らかい午後の光が古い歴史ある昔ながらのスタジオの床に落ち。部屋の隅に黒子のように椅子に座って曲を奏でるギタリストのシルエットが古典絵画の
一場面のように見え、柔らかい光の濃霧に包まれていた。ダンサーたちの汗と涙がこの床には一杯沁み込んでいるのだ。かまぼこ型のレンガつくりの地下の売店で練習を終えて大笑いしていた二人の顔写真。白黒だけど映画の二大女優みたいだ。三島由紀夫が大嫌いといっていた奈奈ちゃんに、どうしてと聞けなかった。

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2006年02月28日

由美と奈奈

yumiチャンと奈奈ちゃんはいつも一緒の仲の良い姉妹のようだった。いつもナニを話しているのだろう。二人とも酒は強かった。練習が終わるとアレマーナにきては一杯やっていた。由美ちゃんは理性的現実的女性でいっっぽう奈奈ちゃんは好き嫌いがはげしく芸術家肌の濃い天心爛漫な女性であった。由美ちゃんの彼氏は闘牛士だった。その闘牛士の衣装を着せてもらった。ずっしりと重たく体が沈むようである、こんな重たい服を着て牛と戦うのか、と思った。鉄の鎧に比べればそれほどにあらずか。彼氏の半身裸の写真を見せてくれたおなかのあたりは傷だらけで牛に突き刺された跡が痛々しく数箇所めりこんでいた。傷の部分は黒くこげたような色だった。由美ちゃんの大事な宝物らしい。酒に酔ってはアントニオ、アントニオ、と階段の壁に書き散らして仮の我が家に帰宅する奈奈ちゃん、与謝野晶子ばりの奔放さと芯の強さを持った女性であった。アントニオとはジプシーの大金持ちで麻薬取引で何度も捕まっては保釈金を払ってでて来るという今は南仏の別荘暮らしで近いうちに帰ってくるという、嘘みたいな話だった。アレマーナでスペインの男が奈奈ちゃんに言い寄って大喧嘩をし
たという。男は日本娘の強さを嫌というほど思い知らされた事だろう。自分の隣の席には誰も座らせないというのが奈奈ちゃんのポリシーであった

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2006年02月26日

アモール デ デイオス

トレモロの弾き方を覚えてからアルハンブラの思い出に挑戦することにした。楽譜は一切読めなかったが分からないところがあると知り合いのギタリストの処に行って聞きに行っては覚えながらだんだん曲らしくなってくる。少しはギタリストに近ずいたか。独学なので時間がかかったが楽譜の読み方を教えてくれた先生に聞いてもらったらよくやったねとお褒めの言葉をもらった。初めて覚えたクラシックの名曲だった。もともとギターをやりたかったのだが左手の中指を車のドアーにはさまれた小学校時代の古傷がネックになって絃を押さえることに支障があった。指先のふくらみがないので神経や骨に響くのでつらいものがある。そんな自分にギターを弾かせた曲がアルハンブラの思い出だった。難攻不落のアランフェスには届かなかったがフラメンコの曲に魅せられセビジャーナをはじめ4,5曲は弾けるようになった。是はゴンサロのおかげだ。天才肌の彼は忙しい日々の練習の合間に1,2時間程僕のために時間を割いておしえてくれた。一緒に遊んだ時間や楽しかった会話の記憶がフラメンコの旋律のなかに朽ちかけたまましまわれていた。フラメンコの練習場がある通りを歩くとギターの音が地下の換気窓から聞こえてくる。アレマーナからさほど遠くないところにあって外国からも留学生がたくさんきて此処で学んでいく。現役のプロも此処で練習したりしている、日本からも奈奈チャンと由美ちゃんが来てい
た、奈奈ちゃんは日本のコンクールで優勝してご褒美の留学で来ていた。地下鉄の名前がスタジオの名前になっていて地下鉄の駅から歩いて30秒程の近さでアモール デ ディオスという練習場であり、訳すと神の愛といわれる。

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2006年02月23日

祭りのトマト

象のような大きな太ったおばさんが私の眼の前で突然仰向けに倒れた体がけいれんして止まらないコルドバでの祭りの最中のことだった。血管がどうかなっちゃったのかも知れない。周りには人がたくさんいた。手足が震えていた、その情景だけが脳裏にある。その後のことは記憶になく、群集と一緒に記憶も消えて行ってしまった。初めてコルドバのまつりに行ったときのことだ。初日に店の配置を決めてから周辺をあるいていたらイグナシオと出あった。彼も店を出しているらしい。コルドバは彼の生まれた街だった。祭りは大道りに面したながい公園のなかで行われている。マドリで知り合って以来の友人で大きな体に似合わず照れたりするところはかわいいちょっと見、悪そうにも見えるが話すうちに純なところが出てくる。気の会う奴だった。初めは浮浪児か刑務所から出てきたばかりかともみえたのは頭が丸坊主だったせいもある。偶然の再会でハグをする。はなしも弾んだ。家まで招待されて、ビックリした。おおどうりに面した銀行の二階フロアー全部、部屋数10を超える広さがかれの家だった。ちょっとした4つ星ホテルみたいだ、兄弟は皆エリートで自分だけ堕ちこぼれというかドロップアウトしてるという、金持ちのボンボンだったが、やはり出来の悪そうな給仕にみえる。同行の鶴岡さんにイグナシオに会ったことをいうと俺にもあわせろと催促された。コルドバには一人で来るつもりだったが鶴さんに俺も行くといわれ。少しためらったものだが大きな荷物も大きな赤ちゃんも似たようなものだと腹をくくった。l拒絶はひとを小さくす
るというひともいたし、いいよと即答した。鶴岡さんは中国の絵柄の扇子をたくさん買い込んできてそれに名前を墨で書いた。頭に手ぬぐいを鉢巻して額に扇子をさしこんでかなり目立っていた。テキヤの寅さんふうだった。日も暮れておなかも空いていた。チキン丸ごと一羽食べたのもうまかったが祭りの屋台で食べたなまトマトにあら塩(岩塩)を振ってたべたのが忘れられないくらいうまかった。一皿食べると疲れが飛んでいった。トマトってこんなにうまいものなんだと初めて知った。疲れには粗じおトマト、忘れらない味である。

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