ウクライナは何故戦えるのか③ 非常事態及び国民の国防義務ウクライナは何故戦えるのか⑤ ゼレンスキーの情報戦略

2022年07月20日

ウクライナは何故戦えるのか④ オレンジ・マイダンー革命の意味と意義

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 ここで、ウクライナ独立以後に起こった、2004年の「オレンジ革命」及び2013ー14年の「マイダン革命」と呼ばれる大規模な政変について、その憲法学的意及び意義について考察していきたい。参考にしたのが、在ウクライナ日本国大使館が公開している「ウクライナ概観」(2021年10月)である。

 まず2004年の「オレンジ革命」について、「ウクライナ概観」では大要次のように述べられている。
 2004年10月、4回目の大統領選挙が行われ、ユーシチェンコ(野党「我々のウクライナ」代表)と最高会議多数派のヤヌコヴィッチ首相との選挙戦を繰り広げた。時の大統領クチマは、「行政資源とマスコミの利用によってヤヌコヴィッチ側に強く肩入れし、ロシアも露骨に選挙に干渉し、ユーシチェンコ側は強く反発した。大統領選挙の第1回投票では、ユーシチェンコの票が僅差でヤヌコヴィッチを上回ったが、決選投票では、中央選管はヤヌコヴィッチの当選を発表した。これに対して野党側は票が操作されたとして、首都キエフに数十万人もの大規模抗議集会を行った。最高裁判所は、決選投票の無効化とやり直しを決定。また、最高会議はヤヌコヴィッチ内閣不信任案を可決した。この過程で「大統領の閣僚任命等を最高会議に移行させる」憲法改正案が成立した。大統領選挙のやり直し決選投票では、ユーシチェンコ代表がヤヌコヴィッチを押さえ8%差で当選し、新政権が発足した。

 2013-14年のマイダン(尊厳)の革命について。
 2010年、ヤヌコヴィッチは再び大統領に当選し政権を担うこととなった。
 ・憲法裁判所は政権の意を受け、2004年憲法を無効とした。
 ・ロシア語等の地位向上につながる「国家の言語政策に関する基本方針」法を強行可決した。
 ・1996年の憲法「大統領に首相・閣僚の任免権がある」を復活させ、大統領権限の強化を図った。
 ・2013年、前年の最高会議選挙で当選した野党議員等の議員資格が裁判所によってはく奪する事例が相次いだ。
 ・同年11月、政府がEUとの連合協定の交渉プロセスを停止を決定したが、これに抗議する市民がマイダン(独立広場)に集結。大統領の退陣を求め数十万人規模のデモに発展。
 ・ヤヌコヴィッチ大統領は2004年憲法の復活など野党との合意文書に署名後、ロシアへ逃亡。
 ・2014年3月、クリミヤ自治共和国では、ウクライナ憲法に違反するロシアへの編入を可とする住民投票が実施され、ロシアに編入される

 マイダン革命後、ポロシェンコ大統領政権が発足し、「汚職対策・司法・検察・警察改革」等の国内改革に取り組む。2018年「ドネツク・ルハンクス両州一時的被占領地域におけるウクライナ国家主権を保障する国家政策の特別性に関する法案」(ドンバス再統合法)を可決させ、ロシアを侵略国と規定ドンバス再統合法に基づき、「反テロ作戦」に代わる「統一部隊による作戦」が開始された。
 2019年3月、大統領選が行われゼレンスキー第6代大統領が誕生し、今日に至っている。

 以上のことから、2004年「オレンジ革命」及び2013ー14年「マイダン革命」の2革命の本質が浮かび上がってくる。
 第一に、2つの革命とも、政権側がロシア寄りの内政ー外交政策を強行しようとしたために、国民の怒りが爆発し、直接行動に至らしめたものであること。これは、もう2度とソ連時代も含め、ロシアの支配下には戻らないという断固としたウクライナ国民の決意表明でもある。※ここには、スターリン時代の農業集団化の強行と大規模飢餓の発生が民族ジェノサイドとしてウクライナ国民の歴史認識もまた背後にある。
 第二には、2革命とも、大統領権限を巡る最高議会と大統領政権側の権力闘争であったこと。その中心は、首相・閣僚の任命権を大統領が握るのか、それとも最高会議が掌握するのかという統治体制の根幹に係る問題である。国内の親ロシア派及びウクライナをロシアの従属下に置きたいプーチンは、ウクライナ大統領にあらゆる手段を使って影響力を行使した。これに対し、ロシアからの真の独立を求めるウクライナ国民は、最高議会を拠点に大統領権限の縮小を図り、ロシアの影響力を排除しようとしたのである。
 第三には、2013-14年の「マイダン革命」及び「クリミア併合」「ドンバス再統合」法の制定等の時点において、ウクライナーロシア間の戦争は既に開始されていたのであり、これ以後、ウクライナの統治形態は、基本的人権の制限を伴う「準戦時体制」→「戦時体制」(国家総力戦体制)へと漸次移行していったと考えるべきであろう。
 第四には、ウクライナの「戦時体制」とは、最高会議の強力なバックアップの下で、内閣に権限を集中する「戦時内閣」構成することであった。これは即ち、自由ー民主主義体制の例外ーいわば「立憲独裁」化である。従って現在のウクライナ政権の現象だけを捉えて「全体主義国家」と即断してはならないのである。 
 付け加えるならば、ウクライナはこの戦争を全国民を挙げての国家総力戦として戦っているのに対してプーチンのロシアは、「特別軍事作戦」というショボい戦いしかしていない。国家総力戦とは、「軍事」のみではなく、「経済戦」「思想戦」「情報戦」「国際政治外交戦」など多岐にわたる国家的活動の統合である。プーチンは、あまりにウクライナを舐めすぎていたのである。

 以上の諸点を踏まえ、ウクライナーロシア戦争の今日的意義が次のように浮かびあがってくる。
 ①この戦争は、単にウクライナーロシアの2国間の戦争ではなく、西欧的スラヴ民族とアジア的スラヴ民族との闘いである。
 ②アジア的デスポチズムープーチン独裁ーベラルーシ・トルクメニスタンなどのアジア的統治形態対近代資本主義の戦いである。北朝鮮や中国などの共産主義独裁体制も同類である。アジア・アフリカの発展途上諸国に見られる大統領独裁体制もまたこれに付け加えられる。
 ③この戦争を機に世界は欧米日印を中心とする自由ー民主主義体制諸国と中国・ロシアを頂点とするアジア的専制体制の2大陣営への対立へと収斂されていく。核と軍事力の勢力均衡に基づく新しい冷戦ー平和共存体制が構築されなくてはならない。
 ④同時に、今日、欧米を席捲する「人権ファシズム」現象とは明確に区別されなければならない。即ち、これは、トランスナショナル・トランスジェンダー・トランスナチュラル(動物や自然の権利を主張するディープエコロジー)等のあらゆる境界・差異を無化する一種のファシズムである。
 ※私は既に「人権ファシズム現象の学的解明」なるブログについて「ポリティカルコネクト」の危険性について指摘済みである。 
 プーチンによる「スターリン体制」の再構築は、無残な失敗に終わるだろう。ヘーゲルによれば、一民族が世界史の舞台に登場するのは、ただの一度きりである。パックスアメリカーナと共に世界の覇権を分有していたロシア民族は、2度と覇権国家として名乗りをあげることはできない。イタリア人がローマ帝国を再建できないし、英国がアングロサクソン帝国を再建することは不可能なのである。
  

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akirakapibara at 14:30│Comments(0)憲法学批判 | ウクライナ

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