長谷部恭男氏の「ホッブズのディレンマ」への疑問 その②

2018年06月03日

長谷部恭男氏のルソー「提案」への疑問 その1

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 長谷部恭男氏といへば、毎年のように著書を出版し、「立憲デモクラシーの会」結成の折には共同代表をつとめるなど、押しも押されもしない日本の憲法学者の第一人者ともいえる。そのような方に、私ごとき一介のど素人が「疑念」を抱いたなどと主張したところで、こいつ素人の分際で何を抜かすか。と、一蹴されるのは眼に見えている。そうした批判を承知しておりながら、敢えてここで私の長谷部氏への著書への疑念を公にさせていただく。
 その上で、関係の皆様にご批判ご教示いただければ幸いである。但し批判はあくまでも学問的にお願いします。
 さて、私が疑念を抱いたのは、長谷部氏の著書『憲法の理性』[増補新装版]2016年4月刊行(東大出版会)の中でとりあげている「戦争を防ぎ平和を達成するための三つの提案」についてである。その三つの提案とは「第一が常備軍に代えて民兵を組織すること(人民武装)。第二には、国家間の同盟であり、第三が社会契約の解消である。」第1部第2章「国内の平和」と「国際の平和」p23~32
  私が問題としたいのは、氏が「ルソーの独創的な提案」だとする「社会契約の解消によって平和を達成する」という提案なるものを果たして行っていたのだろうか。という点にある。氏の主張はこうである。「ルソーによれば、戦争とは国家間でしか発生しないものである。したがって、それは生身の個人の命を全く奪うことなく、遂行することができる。」前掲書p31「国家とは単なる法人(personne morale)であり、理性の産物(etre de raison)にすぎない。社会契約という公的な約束事を取り払ってしまえば、国家はそれを構成している物理的・生物学的な要素に何らの変更を加えることもなく消え去るものである。ところで争とは主権に対する攻撃であり、社会契約に対する攻撃であるから、社会契約さえ消滅すれば、一人の人間が死ぬこともなく戦争は終結する。」同p31
 ※まず、断っておきたいのであるが、私はルソーや長谷部氏の「国家=契約説」は根本的に誤っていると考えるものである。国家契約説の批判については、別の機会に述べたい。
 いったい長谷部氏は、このルソーの「独創的な提案」なるものをどの著書に依拠して述べておられるのであろうか。どうやら、氏は、1965年にガニュパンが発見した「戦争及び戦争状態」という草稿であるらしい。(日本語訳が白水社の全集第4巻に掲載されている)結論から言うならば、長谷部氏の主張する「ルソーの独創的な提案」は、今日的なルソー研究の水準からすれば成り立たなくなっているのである。最新の研究の成果は、「戦争法原理」(講談社学術文庫版『人間不平等起源論』並録、平成28年刊)に結実されている。以下、この「戦争法原理」について、翻訳者の板倉裕治氏の解説を要約すると次のようになる。
 ルソーは国内政治を取り上げた「社会契約論」(国制法原理)と同時に「戦争法原理」と題する「国家を対外的な関係の中で考察する論考を準備していたという。この論考については、二つの「断片」(邦訳全集に所収)が残されていたが、ベルナルディを中心とする研究グループは、この二つの「断片」を統合し、草稿を復元したのが「戦争法原理」であるという。つまり、ルソーには国内政治を扱った「社会契約論」と国際政治を扱った「戦争法原理」の二つがあったことになる。これがルソー研究の今日的な研究水準である
 以上の点を踏まえ、長谷部氏の「ルソー提案」説を検討することにしよう。『戦争法原理』でルソーは次のように述べる。「人間に対して戦争をしかけるのではなく、もっぱら道徳的存在の間でしか戦争が起こらないのであれば、誰の生命も奪わずに戦争をすることが可能である。」P216「もしも社会契約が一撃で断ち切られてしまうのなら、たちまち戦争は終わってしまう。」同 しかし、これはあくまでも「道徳的存在の間で」「厳密に社会契約に沿う形でのみ、ものごとを考察するなら」という前提で述べているのである。実際の戦争は、ルソーが前節で述べるように「可能なあらゆる手段を、敵国を破壊する、あるいは少なくとも弱体化するという、明確に表明され、継続的である、相互的な意向の結果であると定義」する。P214ルソーの意図、「法にかなった正当な戦争と正当でない戦争とを区別することで、戦争を可能な限り制限しようという試み」の理論(グロチウス)であり、この『戦争法原理』は、そうした伝統の中に位置づけて読む必要があるのである。少なくともルソーは、長谷部氏が主張する戦争を防ぐために「社会契約の解消」なるものを提案しているのではないと考える。
 


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長谷部恭男氏の「ホッブズのディレンマ」への疑問 その②