2017年03月
2017年03月22日
周期末と癌の問題
***あなたはこのブログで、この件を踏まえた癌とチャクラのことを書こうとして断念されたのはなぜですか。
それは、まだ効果のある防止策を語れないからです。個人の問題では役に立ちませんから。
***あなたも癌だそうですが、癌は教えではサイキックエネルギーの不足から来るといいますが、あなたもそれに入るというのですか。
教えられたことは正しいと思いますし、癌になる人がこんなに多いのは、現在の地球圏に入っている火のエネルギーと我々の肉体が合わなくなって行くからだと思います。私の癌はエネルギー不足から来るのか、別の理由のものかはわかりません。
別の問題とした場合―これまでの教えとは反対のこと、行などでエネルギーを上げた場合、癌になるのか別の種類の癌らしきものに襲われる危険があり大変なことかもしれません。しかし優秀なヒーラーやその患者がまったく癌にならないのなら、そこには防止できる希望があるのではないですか。
***発病していないだけで、実は万人が癌なのだという人がいる反面、抗がん剤や先進医療で対応できるのだから恐れる必要はないという意見もあります。その点はどうなのでしょうか。
同胞団は肉体保護の必要性を訴えているのですから、いろいろな防御策を伝えている結果が、抗がん剤や先進医療として表れていると思います。それはかかってからの問題ですから、専門外の私が語る資格はないと思います。
しかしそれらがシリアスな状況を食い止めてくれるのはいいことですが、その戦い自体が極めてシリアスになってしまい、求道などしていられなく恐れがあります。ものすごいパワーでネガティブゾーンに入れられるのは間違いがないのですから。
結局これは魔界の操作だということに結論づけられる、と考えたほうがいいのです。サイキックな意味で、まずこうしたことが魔界との闘いと認識していなければ、エンドレスになるのかもしれません。非常に不幸な生活になります。
求道上の意味では脱落し、魔界側の勝利に終わるといっても過言ではありません。この先、癌に限らずエーテル体の破壊などで上昇軌道から叩き落されていく危険性は高いと予測したほうがよいのではないでしょうか。
***しかし一般的には健康オタクのほうがよく癌になるといわれているのですから、結局ネガティブなエネルギーに対する認識が足りないから癌になるといえませんか。
それはそうでしょうが、すべてマインドコントロールで片が付くというのもどうなのでしょうか。肉体は不安になり暴れまわり出す感じも、実は認識の不足だとはわかるのですが、どうにも止められなくなるのです。そうであれば我々は、大体は魔界に勝てないようにつくられていることになります。
***魔界というかネガティブな宇宙人は、我々を抹殺しようしていると思います。今までもそうしてきたのですから。
いやそんなことは考えないほうがいいのですよ。合理主義と捨てられない欲が、我々をそのゾーンに引っ張るのではないですか。もう霊的上昇以外の欲は何一つ役に立たなくなってくるのです。
そのエネルギーは白色同胞団から来るものです。彼らとの波動の一致がいかに大切かということなのです。しかし火の洗礼はいよいよ強まりますから、癌は避けられないということも考えられるのです。
***それなら有効な死生観のほうが役に立ちませんか。
バーソロミューでしたか、たしか人間が死を恐れるということほど滑稽なことはないと言いましたが、死は本当は地獄からの解放なのです。そうであれば、この肉体のまま死のエネルギーゾーンで生きられるという方法を模索すべきではないのでしょうか。それしかないのかもしれません。
***でも普通の人だけでなく、精神世界の人にもそんなことができる人は、まずいないのではないですか。
肉体の封印力はとても強いし、精神といっても次元的には低いものしか使えていない状況のところに破壊が来るとどうなるのか。まずそれを考えるべきですが、これは経験でしか学べません。
もしそれを超克するとしたら、真の意味の宗教の復活しかないと思います。真の意味で宗教的精神というのは、知的教養というよりシゃクティと呼ばれるサイキックエネルギーによって、ここにいて上の次元とつながることが本来の目的であるということを指します。
これまでは限定された生の中での何らかの知的視野の拡大で済んでいたことが、そうは行かなくなります。知的に死を扱うことなどできなくなるし、といって対応できる意識は何もないのです。恐怖しか残らないなら最悪だと思うのですが。
***安らかな自然死が与えられない時代の恐れがあるということですか。
今でも少数の人にしか安楽の死は与えられていないと思います。大多数は魔界的な死です。これに対して現在の人類は無策なのは確かではないですか。
***魔界を知らないからだとおっしゃりたいのですか。
この生の一つの本質は魔界との闘いなのだということです。それを決意した時初めて、応援を得られるのです。なぜこの方々と共に生きようとしないのでしようか。
***その時死は甘美になるのですか。
応援する勢力は、死によって愛と美の拡大をしてくださいます。生は死と合体し、より高次の真理の世界に飛翔します。
それは、まだ効果のある防止策を語れないからです。個人の問題では役に立ちませんから。
***あなたも癌だそうですが、癌は教えではサイキックエネルギーの不足から来るといいますが、あなたもそれに入るというのですか。
教えられたことは正しいと思いますし、癌になる人がこんなに多いのは、現在の地球圏に入っている火のエネルギーと我々の肉体が合わなくなって行くからだと思います。私の癌はエネルギー不足から来るのか、別の理由のものかはわかりません。
別の問題とした場合―これまでの教えとは反対のこと、行などでエネルギーを上げた場合、癌になるのか別の種類の癌らしきものに襲われる危険があり大変なことかもしれません。しかし優秀なヒーラーやその患者がまったく癌にならないのなら、そこには防止できる希望があるのではないですか。
***発病していないだけで、実は万人が癌なのだという人がいる反面、抗がん剤や先進医療で対応できるのだから恐れる必要はないという意見もあります。その点はどうなのでしょうか。
同胞団は肉体保護の必要性を訴えているのですから、いろいろな防御策を伝えている結果が、抗がん剤や先進医療として表れていると思います。それはかかってからの問題ですから、専門外の私が語る資格はないと思います。
しかしそれらがシリアスな状況を食い止めてくれるのはいいことですが、その戦い自体が極めてシリアスになってしまい、求道などしていられなく恐れがあります。ものすごいパワーでネガティブゾーンに入れられるのは間違いがないのですから。
結局これは魔界の操作だということに結論づけられる、と考えたほうがいいのです。サイキックな意味で、まずこうしたことが魔界との闘いと認識していなければ、エンドレスになるのかもしれません。非常に不幸な生活になります。
求道上の意味では脱落し、魔界側の勝利に終わるといっても過言ではありません。この先、癌に限らずエーテル体の破壊などで上昇軌道から叩き落されていく危険性は高いと予測したほうがよいのではないでしょうか。
***しかし一般的には健康オタクのほうがよく癌になるといわれているのですから、結局ネガティブなエネルギーに対する認識が足りないから癌になるといえませんか。
それはそうでしょうが、すべてマインドコントロールで片が付くというのもどうなのでしょうか。肉体は不安になり暴れまわり出す感じも、実は認識の不足だとはわかるのですが、どうにも止められなくなるのです。そうであれば我々は、大体は魔界に勝てないようにつくられていることになります。
***魔界というかネガティブな宇宙人は、我々を抹殺しようしていると思います。今までもそうしてきたのですから。
いやそんなことは考えないほうがいいのですよ。合理主義と捨てられない欲が、我々をそのゾーンに引っ張るのではないですか。もう霊的上昇以外の欲は何一つ役に立たなくなってくるのです。
そのエネルギーは白色同胞団から来るものです。彼らとの波動の一致がいかに大切かということなのです。しかし火の洗礼はいよいよ強まりますから、癌は避けられないということも考えられるのです。
***それなら有効な死生観のほうが役に立ちませんか。
バーソロミューでしたか、たしか人間が死を恐れるということほど滑稽なことはないと言いましたが、死は本当は地獄からの解放なのです。そうであれば、この肉体のまま死のエネルギーゾーンで生きられるという方法を模索すべきではないのでしょうか。それしかないのかもしれません。
***でも普通の人だけでなく、精神世界の人にもそんなことができる人は、まずいないのではないですか。
肉体の封印力はとても強いし、精神といっても次元的には低いものしか使えていない状況のところに破壊が来るとどうなるのか。まずそれを考えるべきですが、これは経験でしか学べません。
もしそれを超克するとしたら、真の意味の宗教の復活しかないと思います。真の意味で宗教的精神というのは、知的教養というよりシゃクティと呼ばれるサイキックエネルギーによって、ここにいて上の次元とつながることが本来の目的であるということを指します。
これまでは限定された生の中での何らかの知的視野の拡大で済んでいたことが、そうは行かなくなります。知的に死を扱うことなどできなくなるし、といって対応できる意識は何もないのです。恐怖しか残らないなら最悪だと思うのですが。
***安らかな自然死が与えられない時代の恐れがあるということですか。
今でも少数の人にしか安楽の死は与えられていないと思います。大多数は魔界的な死です。これに対して現在の人類は無策なのは確かではないですか。
***魔界を知らないからだとおっしゃりたいのですか。
この生の一つの本質は魔界との闘いなのだということです。それを決意した時初めて、応援を得られるのです。なぜこの方々と共に生きようとしないのでしようか。
***その時死は甘美になるのですか。
応援する勢力は、死によって愛と美の拡大をしてくださいます。生は死と合体し、より高次の真理の世界に飛翔します。
2017年03月21日
直居チャクラレポート アナハタ 8(最終回)
私の場合は、チャクラを開けるためという行はなかった。自然にそうなったのだが、このことも宇宙連合への大事な証言かもしれない。故田中先生は機会あるごとに、機械的行法ではチャクラは開かないと強調しておられた、開く場合は、宇宙連合や同胞団のリードによることが知られないと、無駄な努力が繰り返されるといえるだろう。
偶然開いたという場合を除き、どのような基準で開くのかといえば、その人のサイキックエネルギーの蓄積によるとしか言えないのかもしれない。熱心な信仰があっても無理、心理的な超越でも不可能なのだ。
ならば人間の求道心はどこにいくのか、という問題が過去の歴史においても常に存在していたのかもしれない。もちろんそれはまともに考えれば絶望の歴史だが、同胞団は今の時代は逆に望まなくてもチャクラを開ける時代だという。
ほとんどの人は気づいていないが、我々は大洪水の後の帰還の途にあり、それを知らなければ帰還は不可能になるのだろう。私が出した『スターチャイルドの誕生』には、「バクタさん、いよいよ出発の時が来ました」とある。
それを知らされていない膨大な人々の中にも熱心な求道者はいるが、パラダイムに対する認識がないため、上位チャクラがいずれ自我意志で開くと信じている。しかしそれが全く起きないとは言わないが、確率は少ないのではないか。
アグニヨガでも大師は、人々は行をたくさんやればチャクラが開くと信じている、と警告している。ベースになる基礎行のようなことを除けば、一生を費やして無駄骨に終わる。聖地に達成できなかった行者のうめき声ばかりだ、と言う人もいたくらいだ。
何ごとも上の指示で自然に起きることを待たなくてはならないが、現在は指示どころか、空間は火の海になろうとしている。これは、一般的には癌の蔓延となる。求道者の場合も例外ではない。
いずれにしてもこれまでにない対応が必要であり、それは火の時代への対応と共に大変な困難さを生むだろう。その理由は、今までは一部以外に経験したことがないからだ。この一部というのは当然、ヨガの知識といえる。
もしそれを欠いて自我の思考や信条で対応してもうまくいくのか、またヨガの知識があれば必ずうまくいくのかということもあるだろう。事前に対処するなら、バーバラ・ブレナンの『光の手』を読んでおいたほうがいい。
しかしそれでも全容はつかめないのが、これから起きることだ。全容は自分で経験するしかない。それは個人差があってとても捕捉できない世界としか言えないが、癌かチャクラかという構造を仮設してみれば、我々の進化種の問題が浮かび上がってくるような気がする。
道は険しいか、あまりに簡単かのどちらかなのではないだろうか。それはこれから火の時代に突入することで明らかになってしまうだろう。
偶然開いたという場合を除き、どのような基準で開くのかといえば、その人のサイキックエネルギーの蓄積によるとしか言えないのかもしれない。熱心な信仰があっても無理、心理的な超越でも不可能なのだ。
ならば人間の求道心はどこにいくのか、という問題が過去の歴史においても常に存在していたのかもしれない。もちろんそれはまともに考えれば絶望の歴史だが、同胞団は今の時代は逆に望まなくてもチャクラを開ける時代だという。
ほとんどの人は気づいていないが、我々は大洪水の後の帰還の途にあり、それを知らなければ帰還は不可能になるのだろう。私が出した『スターチャイルドの誕生』には、「バクタさん、いよいよ出発の時が来ました」とある。
それを知らされていない膨大な人々の中にも熱心な求道者はいるが、パラダイムに対する認識がないため、上位チャクラがいずれ自我意志で開くと信じている。しかしそれが全く起きないとは言わないが、確率は少ないのではないか。
アグニヨガでも大師は、人々は行をたくさんやればチャクラが開くと信じている、と警告している。ベースになる基礎行のようなことを除けば、一生を費やして無駄骨に終わる。聖地に達成できなかった行者のうめき声ばかりだ、と言う人もいたくらいだ。
何ごとも上の指示で自然に起きることを待たなくてはならないが、現在は指示どころか、空間は火の海になろうとしている。これは、一般的には癌の蔓延となる。求道者の場合も例外ではない。
いずれにしてもこれまでにない対応が必要であり、それは火の時代への対応と共に大変な困難さを生むだろう。その理由は、今までは一部以外に経験したことがないからだ。この一部というのは当然、ヨガの知識といえる。
もしそれを欠いて自我の思考や信条で対応してもうまくいくのか、またヨガの知識があれば必ずうまくいくのかということもあるだろう。事前に対処するなら、バーバラ・ブレナンの『光の手』を読んでおいたほうがいい。
しかしそれでも全容はつかめないのが、これから起きることだ。全容は自分で経験するしかない。それは個人差があってとても捕捉できない世界としか言えないが、癌かチャクラかという構造を仮設してみれば、我々の進化種の問題が浮かび上がってくるような気がする。
道は険しいか、あまりに簡単かのどちらかなのではないだろうか。それはこれから火の時代に突入することで明らかになってしまうだろう。
akiranaoi at 00:05|この記事のURL│Comments(0)
2017年03月20日
アグニヨガ宇宙セミナー
ー忘却という新生
コンテッサによれば私たちが新しい周期に入るとき 宇宙に鐘が響き
これまでの暗い周期のことをすべて忘れてしまうそうです。
きつといまからそれをしても早すぎることはないと言っているのかもしれません。
大師は我々は君たちが想像できないほどの毒を飲み干してきたといいます。
私たちももう毒は飲み干したとかんがえてください。
私たちは楽園への帰途についています。
細胞にその溶液が浸透し始めていきます。
真の霊の自然な微笑みが浮かぶようになるでしょう。
祝福された友の参加をお待ちいたします!
<プログラム>
講話と個人セッション: 直居あきら
トレーニング: 大川麻衣子
メッセージ: コンテッサ
ーハートのよろこびをもつてお会いしましょう!
<日時> 3月25日(土)16時〜19時
<会場>
「喫茶室ルノアール 新宿区役所横店 会議室6号室
※会場の変更がありますのでご注意ください。
http://standard.navitime.biz/renoir/Spot.act?dnvSpt=S0107.6
<参加費> 6,000円(お茶代込み)
問い合わせと予約: sabianstar@jcom.home.ne.jp
コンテッサによれば私たちが新しい周期に入るとき 宇宙に鐘が響き
これまでの暗い周期のことをすべて忘れてしまうそうです。
きつといまからそれをしても早すぎることはないと言っているのかもしれません。
大師は我々は君たちが想像できないほどの毒を飲み干してきたといいます。
私たちももう毒は飲み干したとかんがえてください。
私たちは楽園への帰途についています。
細胞にその溶液が浸透し始めていきます。
真の霊の自然な微笑みが浮かぶようになるでしょう。
祝福された友の参加をお待ちいたします!
<プログラム>
講話と個人セッション: 直居あきら
トレーニング: 大川麻衣子
メッセージ: コンテッサ
ーハートのよろこびをもつてお会いしましょう!
<日時> 3月25日(土)16時〜19時
<会場>
「喫茶室ルノアール 新宿区役所横店 会議室6号室
※会場の変更がありますのでご注意ください。
http://standard.navitime.biz/renoir/Spot.act?dnvSpt=S0107.6
<参加費> 6,000円(お茶代込み)
問い合わせと予約: sabianstar@jcom.home.ne.jp
2017年03月16日
直居チャクラレポート アナハタ 7
横になるしかないエネルギーが来てしまうため、常にフローリンクの床に横たわるようになった。咳込みは激しいのだが、内容は以前ものから喘息に似た症状に変わって行った。特に顕著なのは食欲の激減で、情報がないためネットなどで言っている宇宙塵の侵入でそうなっていると考えていた。
当初これは行には大チャンスと思い、横になるから結果的に横臥禅をやろうとしていた。何より一日大福一つというのがチャクラを動かすにはよいだろうと考えたのだが、体力の消耗のためとても苦しい日々が続いた。しかしチャクラは動いた。
このことが提起する問題は、この先チャクラを動かさなければ何らかの危険が生じる場合、このように例えば何も食べないといった方法を取るべきかどうかという点かもしれない。
しかしその場合、スヴァディシュターナと呼ばれる第二チャクラの感情や情緒の段階が終了していないと、チャクラが多少動いても憑依する危険があり、自然にチャクラが動いた第二チャクラ超克組と共に、一大憑依軍団のようになる。しかし自我の状態が良好なら、多少憑依しても良い方向に、つまり上位のチャクラへの軌道をつかめないわけではないと考えた。
それでも、人間のグルがそうした判定をするのは困難だ。そのため同胞団の声が聞ける状態をつくらなければならないのだろう。そうなるとスヴァディシュターナの感情などは、太陽叢のマニピュラチャクラで制圧していることが必要になる。
これはドン・ファンのいう非情さへの到達と同じことだ。多くの求道者は非情さが目的ではなく、霊能や神秘体験だけが目的だと誤認し、魔界の侵入を可能にしたまま進んでしまうということがあるようだ。それならば健全な自我のほうが良いと思うかもしれないが、ただの自我の人間はこれからの時代に全く適応できなくなり滅んでしまう。
そうであればまず自我自体の再教育をしなければならないのだが、これもドン・ファンが言ったように、幼児の段階から集合的な低い自我に居座られてまったく不可能ということになる。その人たちはきっと前世でもそうだったのだろうと思う。
この仕組みは変えられないことを思うと、可能性があるのは前世からの求道者だけなのかもしれない。アグニヨガで大師は、この人生において広い意味のオカルトまで進めた者は、それこそ筆舌に尽くしがたいほど幸運な人だと語っているが、その背後には死後界の救済の予知が込められているのだろう。
しかし清い信仰がなければ、本当のオカルトが開示されないのは当然のことだ。自我がまずそれを学ばなければ、自分を奇怪な心霊的化け物にしてしまう。この状況は大洪水期から至福の時代への回帰における、一大悲劇なのだ。
霊はこのカリユガの苦境の中で、魂を抜かれたとしか言いようがない―しかし真実はそんな人ばかりだ。
当初これは行には大チャンスと思い、横になるから結果的に横臥禅をやろうとしていた。何より一日大福一つというのがチャクラを動かすにはよいだろうと考えたのだが、体力の消耗のためとても苦しい日々が続いた。しかしチャクラは動いた。
このことが提起する問題は、この先チャクラを動かさなければ何らかの危険が生じる場合、このように例えば何も食べないといった方法を取るべきかどうかという点かもしれない。
しかしその場合、スヴァディシュターナと呼ばれる第二チャクラの感情や情緒の段階が終了していないと、チャクラが多少動いても憑依する危険があり、自然にチャクラが動いた第二チャクラ超克組と共に、一大憑依軍団のようになる。しかし自我の状態が良好なら、多少憑依しても良い方向に、つまり上位のチャクラへの軌道をつかめないわけではないと考えた。
それでも、人間のグルがそうした判定をするのは困難だ。そのため同胞団の声が聞ける状態をつくらなければならないのだろう。そうなるとスヴァディシュターナの感情などは、太陽叢のマニピュラチャクラで制圧していることが必要になる。
これはドン・ファンのいう非情さへの到達と同じことだ。多くの求道者は非情さが目的ではなく、霊能や神秘体験だけが目的だと誤認し、魔界の侵入を可能にしたまま進んでしまうということがあるようだ。それならば健全な自我のほうが良いと思うかもしれないが、ただの自我の人間はこれからの時代に全く適応できなくなり滅んでしまう。
そうであればまず自我自体の再教育をしなければならないのだが、これもドン・ファンが言ったように、幼児の段階から集合的な低い自我に居座られてまったく不可能ということになる。その人たちはきっと前世でもそうだったのだろうと思う。
この仕組みは変えられないことを思うと、可能性があるのは前世からの求道者だけなのかもしれない。アグニヨガで大師は、この人生において広い意味のオカルトまで進めた者は、それこそ筆舌に尽くしがたいほど幸運な人だと語っているが、その背後には死後界の救済の予知が込められているのだろう。
しかし清い信仰がなければ、本当のオカルトが開示されないのは当然のことだ。自我がまずそれを学ばなければ、自分を奇怪な心霊的化け物にしてしまう。この状況は大洪水期から至福の時代への回帰における、一大悲劇なのだ。
霊はこのカリユガの苦境の中で、魂を抜かれたとしか言いようがない―しかし真実はそんな人ばかりだ。
2017年03月15日
直居チャクラレポート アナハタ 6
プロセスを書こうとすると、それがいかに宇宙連合の熱心な依頼であっても絶望的な気分になる。自分の通った道を他の人が進むとは限らない、きっと何の役にも立たないだろうと感じる。それを思考してしまうと、すべてのサイキックなことはそうなのだがシャドーボクシングに見えてくる。
たしかに今まではそうだった。だがこのブログを先まで読んでいただくと分かるように、今回はそのようなシャドーボクシングではない結果が待ちかまえているのだ!それゆえ、重い筆を進めなければならない。たとえ今の段階で狂気のように映るとも、どこかに読者との共生圏はあるはずだと信じるしかないのだ。
これまでのプロセスは、ほんの部分的にしか記憶に残っていないが、今回は去年の夏が始まりなので、ポイントはつかめるように思う。最初はその頃始まった激しい咳込みからスタートしたが、この段階で生活はいつもと変わらなかった。
ということは、エゴは何の侵害も受けていなかったといえよう。といっても意識空間におけるチャネリングと大脳スクリーンのカオスだったが、時が経つとそれを追うのは難しい。ただ、いま思うと何年も追及してきていた夢見行の有効性は続いていたのかもしれない。
その中でも特に、記録がほしいという宇宙連合が過去に私に言った「あなたがいなければ人類はとても困ったことになる」という言葉を問いただすことが多くあった。答えはまったくなく、私の方の不可視の存在も全く無言のまま対峙は続いた。
そんな大それたことになるかならないかということよりも、これまでの体験の多くが夢見を通じてあったため、それが本当に霊性を高めるものなのかどうかがいつも気になっていた。
しかしこのことは、これからすべての神秘家や求道者に大きな問題になるのではなかろうか。今回私に起きたプロセスは、取りようによってはその限界を知らせるためのものかもしれない。
ドン・ファンは、夢見には致命的欠点があると言っていたが、その個所が見つからず今も探している。それはいったい何を指すのだろうか。サティアユガのエネルギーが二度ほど入ってきた時に、確かに夢見の空間はあっという間に消え去った。神も宇宙人も、そして宇宙すらも消えたのだ!光輝の中で消えたといってもいい。
今の人類の先頭の者も四次元にしか行けないというのは、よく言われてきたことだ。そのカギは宇宙連合や同胞団の言うアナハタの心臓の閉鎖にあるのだろうか。
これから人間が何を考えようと、超常空間はアナハタをこじ開けてしまうのではないか。そのとき肉体はどうなるのか。この頃一人の人が私に、あなたは圧殺されますとしきりに言ってきた。
たしかに今まではそうだった。だがこのブログを先まで読んでいただくと分かるように、今回はそのようなシャドーボクシングではない結果が待ちかまえているのだ!それゆえ、重い筆を進めなければならない。たとえ今の段階で狂気のように映るとも、どこかに読者との共生圏はあるはずだと信じるしかないのだ。
これまでのプロセスは、ほんの部分的にしか記憶に残っていないが、今回は去年の夏が始まりなので、ポイントはつかめるように思う。最初はその頃始まった激しい咳込みからスタートしたが、この段階で生活はいつもと変わらなかった。
ということは、エゴは何の侵害も受けていなかったといえよう。といっても意識空間におけるチャネリングと大脳スクリーンのカオスだったが、時が経つとそれを追うのは難しい。ただ、いま思うと何年も追及してきていた夢見行の有効性は続いていたのかもしれない。
その中でも特に、記録がほしいという宇宙連合が過去に私に言った「あなたがいなければ人類はとても困ったことになる」という言葉を問いただすことが多くあった。答えはまったくなく、私の方の不可視の存在も全く無言のまま対峙は続いた。
そんな大それたことになるかならないかということよりも、これまでの体験の多くが夢見を通じてあったため、それが本当に霊性を高めるものなのかどうかがいつも気になっていた。
しかしこのことは、これからすべての神秘家や求道者に大きな問題になるのではなかろうか。今回私に起きたプロセスは、取りようによってはその限界を知らせるためのものかもしれない。
ドン・ファンは、夢見には致命的欠点があると言っていたが、その個所が見つからず今も探している。それはいったい何を指すのだろうか。サティアユガのエネルギーが二度ほど入ってきた時に、確かに夢見の空間はあっという間に消え去った。神も宇宙人も、そして宇宙すらも消えたのだ!光輝の中で消えたといってもいい。
今の人類の先頭の者も四次元にしか行けないというのは、よく言われてきたことだ。そのカギは宇宙連合や同胞団の言うアナハタの心臓の閉鎖にあるのだろうか。
これから人間が何を考えようと、超常空間はアナハタをこじ開けてしまうのではないか。そのとき肉体はどうなるのか。この頃一人の人が私に、あなたは圧殺されますとしきりに言ってきた。
2017年03月04日
直居チャクラレポート アナハタ 5
では、この半年の私のプロセスについて記してみよう。
最初に起きたのは激しい咳込みだった。レストランなどでそれが起きると、救急車でも呼ばなければならないというような状況によくなった。ある時、打ち合わせで話をしなければならないため売薬を買って飲んだところ、一時咳は治まったが強い便秘になり、その後下痢になって腹部の浄化が起きたようだった。
このことはブログにも書いたが、テーマは上位チャクラに行こうとする場合、 腸を開けることは絶対に必要ということだろう。上位チャクラに向かうことは、ある意味では死への接近なのかもしれない。
若い頃に偶然入った団体はヨガ系だったため、かなり本物のヨギ風の人がいた。この人たちは決して不思議大好き的な話には加わらず、ひたすら沈黙を守っていた。あの人たちは心臓のアナハタチャクラを開けることを目的にしているのですって、と言う誰かの言葉がアナハタを知った最初だったと思う。もちろん何のことかわからなかった。
また、当時日本で有名だったヨギの大グルのような人がインドに渡り、アナハタを開ける行をして数分で死んだ話も驚きをもって受け取られていた。この話は無知な私にも衝撃を与えたが、その衝撃は何のためにそんなことをするのかというものだった。
前世はインドの行者か何か知らないが、鬼のような偏執狂の人にしか思えなかった。享楽的な日本社会で、たった一粒か二粒の片隅の砂のように映った。しかし今にして思うと真実は、こういう人たちがいなければ地球のアストラル界はもたなかったのかもしれない。
アグニヨガの『モリヤの庭の木の葉』に、世界の娘は庭に入るだろう、という一説がある。何気なく読み飛ばしてきたこのモリヤ大師のフレーズが、原子力のような重みで天から降るようになったのは、ずいぶんと時間がたってからだ。
誰かが楽園に回帰しなければ、人類は破滅するのかもしれない。一者成就―たった一人だけが成就する―という言葉は、そこから生まれたのかもしれない。極言すればその他の霊たちはその真似事をしているのかもしれないが、私が今回のプロセスが始まるまで望んでいたのは、この真似事組の一人でいることだったと思う。
そのほうが楽だし、自分が人間だと思い込んだ生を生きられるからだ。人間とは何と自分勝手な生き物なのだろうか。だがプロセスは、そんな私をあざ笑うように私の意志とは関係なく進み出した。
最初に起きたのは激しい咳込みだった。レストランなどでそれが起きると、救急車でも呼ばなければならないというような状況によくなった。ある時、打ち合わせで話をしなければならないため売薬を買って飲んだところ、一時咳は治まったが強い便秘になり、その後下痢になって腹部の浄化が起きたようだった。
このことはブログにも書いたが、テーマは上位チャクラに行こうとする場合、 腸を開けることは絶対に必要ということだろう。上位チャクラに向かうことは、ある意味では死への接近なのかもしれない。
若い頃に偶然入った団体はヨガ系だったため、かなり本物のヨギ風の人がいた。この人たちは決して不思議大好き的な話には加わらず、ひたすら沈黙を守っていた。あの人たちは心臓のアナハタチャクラを開けることを目的にしているのですって、と言う誰かの言葉がアナハタを知った最初だったと思う。もちろん何のことかわからなかった。
また、当時日本で有名だったヨギの大グルのような人がインドに渡り、アナハタを開ける行をして数分で死んだ話も驚きをもって受け取られていた。この話は無知な私にも衝撃を与えたが、その衝撃は何のためにそんなことをするのかというものだった。
前世はインドの行者か何か知らないが、鬼のような偏執狂の人にしか思えなかった。享楽的な日本社会で、たった一粒か二粒の片隅の砂のように映った。しかし今にして思うと真実は、こういう人たちがいなければ地球のアストラル界はもたなかったのかもしれない。
アグニヨガの『モリヤの庭の木の葉』に、世界の娘は庭に入るだろう、という一説がある。何気なく読み飛ばしてきたこのモリヤ大師のフレーズが、原子力のような重みで天から降るようになったのは、ずいぶんと時間がたってからだ。
誰かが楽園に回帰しなければ、人類は破滅するのかもしれない。一者成就―たった一人だけが成就する―という言葉は、そこから生まれたのかもしれない。極言すればその他の霊たちはその真似事をしているのかもしれないが、私が今回のプロセスが始まるまで望んでいたのは、この真似事組の一人でいることだったと思う。
そのほうが楽だし、自分が人間だと思い込んだ生を生きられるからだ。人間とは何と自分勝手な生き物なのだろうか。だがプロセスは、そんな私をあざ笑うように私の意志とは関係なく進み出した。
2017年03月02日
直居チャクラレポート アナハタ 4
2022年、2023〜2032年前後の時期は、多くの人がこの世を去る危険があるため、つい災害の側面にだけ注意が行きがちだが、それと同時に次のサティアユガの具体的変化も足音高く聞こえるようになるのは疑いがない。
それらは宇宙人側からの強い促進により、地上に化身しているワンダラーを中心にして医療や人工知能、超能力など多岐にわたって推進され、サティアユガ期に実用に供されるまで進展し、この星の宇宙化というべき様相となりそうだ。
だがそれは、大洪水後の新しいピサの斜塔にならないのだろうか。もしそうであれば、我々は表面的進化のためのロボットとなり、依然としてただ働かされるために生きるということにもなりかねない。
これまでも我々はアーカシックや惑星をツールとして、ある意味では奴隷だった事実は看過できない。アナハタチャクラの開示は、その流れを敢然と止める意義があるものなのだ。
一口に進化といっても多様にあり、物質的段階でそのステップに入る者と、霊的命題でそれをする者とに分かれるのかもしれない。それができる者が存在するなら、心理的かつ神学的スピリチュアリズムにも科学万能主義にも対抗でき、表層の変化を超越し得ることだ。しかしそれは果たして可能なのだろうか。
私がチャネルするコンテッサはセミナーで、カリユガ期の人間は宇宙の存在に比べ進化が遅れているように見えるが、私たちが持っていないものを持っている、と言ったことがある。
それは残酷な大洪水後のカルマ的逆境への強さであり、そのことの深部には、あるいは宇宙存在も感知できない宗教的熱誠のマグマがあるのかもしれない。アナハタとその裏の聖杯はその核心的な中心だ。
かつてバシャールは、輪ゴムを極まで引っ張れば、手を放し、元に戻すしかなくなると説明したのはこのことを指すのかもしれない。その意味では我々にとっての終末とは、アナハタに回帰するかどうかにすべてがかかっているといえるのではないか。
なぜなら、我々も常に愛を標榜しながら遠い昔にそれを失った存在だからだ。チャクラという断絶と膜がここにあるのではないか。それさえなければ何が見えるのか。あるいは我々は、知ることのなかった神のすぐそばにいるのかもしれない。
『最後の聖書』では、この周期の末にアヴァターと呼ばれる神性の出現もあり得るとしている。おそらく何億年も人類が経験できなかった奇蹟を、我々は見るのだろうか。アナハタチャクラはその鍵となるのだろうか。
もしその可能性があるなら、我々はこれまでのカリユガのあまりに愚劣な価値観を急いで放棄し、アナハタチャクラの開示に全力を注ぐ必要がある。しかしそれは従来の求道で伝えられたことでは、死を賭して行う状況になってしまうようなのだ。
もしそのような過去の閉鎖が終わっているとしたら、人類にとってこれほどの希望はないことになる。だが誰も信じないのだ。信じることができないほど、分離の旅は帰途のない地点まで来てしまったからだ。
だが主である創造は、これから君たちは信じなければならないと言おうとしているのが、この終末だ。これが今現在の法なのだ。肉体の変化も自然変化も起きてしまう。それはどんどん進行してくる。
1940年代に出されたアグニヨガの教えには、砂漠の孤独なライオンが独り吠える時、誰がそれに応えるか、遠く離れた所にいるもう一頭のライオンだけがそれに応える、とある。
美しいが、今はもうそれでは人類は滅びてしまう。子供ライオンも雌ライオンも若者ライオンも、業火や氷河の中から頭をもたげ、主よ、私のハートを開けたまえ!と叫ばなければならない時が来るかもしれないからだ。
しかしいったいどうすればそれができるのだろうか。我々はとてもそんなことを考えられず、抵抗できずに淵まで行かなくてはならないのだろうか。どこかに教示される方法があると信じたいのだが―
それらは宇宙人側からの強い促進により、地上に化身しているワンダラーを中心にして医療や人工知能、超能力など多岐にわたって推進され、サティアユガ期に実用に供されるまで進展し、この星の宇宙化というべき様相となりそうだ。
だがそれは、大洪水後の新しいピサの斜塔にならないのだろうか。もしそうであれば、我々は表面的進化のためのロボットとなり、依然としてただ働かされるために生きるということにもなりかねない。
これまでも我々はアーカシックや惑星をツールとして、ある意味では奴隷だった事実は看過できない。アナハタチャクラの開示は、その流れを敢然と止める意義があるものなのだ。
一口に進化といっても多様にあり、物質的段階でそのステップに入る者と、霊的命題でそれをする者とに分かれるのかもしれない。それができる者が存在するなら、心理的かつ神学的スピリチュアリズムにも科学万能主義にも対抗でき、表層の変化を超越し得ることだ。しかしそれは果たして可能なのだろうか。
私がチャネルするコンテッサはセミナーで、カリユガ期の人間は宇宙の存在に比べ進化が遅れているように見えるが、私たちが持っていないものを持っている、と言ったことがある。
それは残酷な大洪水後のカルマ的逆境への強さであり、そのことの深部には、あるいは宇宙存在も感知できない宗教的熱誠のマグマがあるのかもしれない。アナハタとその裏の聖杯はその核心的な中心だ。
かつてバシャールは、輪ゴムを極まで引っ張れば、手を放し、元に戻すしかなくなると説明したのはこのことを指すのかもしれない。その意味では我々にとっての終末とは、アナハタに回帰するかどうかにすべてがかかっているといえるのではないか。
なぜなら、我々も常に愛を標榜しながら遠い昔にそれを失った存在だからだ。チャクラという断絶と膜がここにあるのではないか。それさえなければ何が見えるのか。あるいは我々は、知ることのなかった神のすぐそばにいるのかもしれない。
『最後の聖書』では、この周期の末にアヴァターと呼ばれる神性の出現もあり得るとしている。おそらく何億年も人類が経験できなかった奇蹟を、我々は見るのだろうか。アナハタチャクラはその鍵となるのだろうか。
もしその可能性があるなら、我々はこれまでのカリユガのあまりに愚劣な価値観を急いで放棄し、アナハタチャクラの開示に全力を注ぐ必要がある。しかしそれは従来の求道で伝えられたことでは、死を賭して行う状況になってしまうようなのだ。
もしそのような過去の閉鎖が終わっているとしたら、人類にとってこれほどの希望はないことになる。だが誰も信じないのだ。信じることができないほど、分離の旅は帰途のない地点まで来てしまったからだ。
だが主である創造は、これから君たちは信じなければならないと言おうとしているのが、この終末だ。これが今現在の法なのだ。肉体の変化も自然変化も起きてしまう。それはどんどん進行してくる。
1940年代に出されたアグニヨガの教えには、砂漠の孤独なライオンが独り吠える時、誰がそれに応えるか、遠く離れた所にいるもう一頭のライオンだけがそれに応える、とある。
美しいが、今はもうそれでは人類は滅びてしまう。子供ライオンも雌ライオンも若者ライオンも、業火や氷河の中から頭をもたげ、主よ、私のハートを開けたまえ!と叫ばなければならない時が来るかもしれないからだ。
しかしいったいどうすればそれができるのだろうか。我々はとてもそんなことを考えられず、抵抗できずに淵まで行かなくてはならないのだろうか。どこかに教示される方法があると信じたいのだが―