2010年11月02日
日記 ― 生き直しということ
人生は無意味だというその男性との会話は、カスタネダの『呪術と夢見』でテーマになっている、生きなおしの検討という展開に発展した。
***あなたの過去のブログには、人生では何も起きなかったと言っているところがありますが、それは実は重要な意味があるのではないですか。その把握によって幸不幸が決まるのかもしれないと考えたのですが。
人生のいろいろな苦労とは何かといえば、それによる人間的成長というような常見の問題ではないと思います。たとえばあなたがこれまで話されたいろいろな苦労が今は静まったとしても、あなたは人生には意味がなかったといっておられるのです。そのときの問題は意味があるかないかという思考の問題に傾斜しすぎて、知らないうちに自分を縛っているということではないでしょうか。
***それはドン・ファンの言う、履歴を消すということですか?それは理想論だから自分の思考に頼るしかなくなるのではないですか。
履歴を消すとか何も起きていなかった実感するためには、意識に方向性が必要だと思います。そこが、マインドはこう使えという教えと違うところなのです。その目的は過去から自由になることが四次元世界に入り、次を目指す条件だということです。
***具体的には過去をすべて忘れればいいのですか?
私はそうしたドグマより、別の過去を作ることではないかと考えています。というのは、刷り込みや履歴に頼りたい意識というのは本能のようなものかもしれないと思うのです。
***別の過去とは何でしょう、私には自分の人生の痛みを消すのは難しいのです。
自由というのは文字通りフリーハンドで何でも作れるということです。もしそれが夢見のような深い幻想の力によってなされるなら、何がリアルかわからなくなると思います。普通、人は自我の反応で今はこれだけ苦しいけれど、こうなれば楽になるというところに幻想を使いますがそこには過去が腰をすえているのです。しかしこれは消せるものなのです。
『呪術と夢見』では代替の人生をつくり、イーグルをだますという表現がありますが、これは面白いことです。単に過去が今は薄れて風化したのではなく、あなたは今からでもご自分の神話を捏造すればいいのです。
過去は非常に不確かです。ならばそれに頼るより、自分を確認したい衝動を別のものにしていくのです。これは軽薄に聞こえるかも知れませんが、もし真剣にそれをすればあなたは何も起きていないという真実の夢見世界に入ることができます。問題は感情の執着なのです。けれどもこれも実体などあるのではないのです。
***では、人生は意味がないという私の意見にもつながるのではないですか。
意識を生み出すエネルギーは生命として貴重ですが、意識そのものにはいったいどのような価値があるのでしょうか。そこを考えてみましょう。意識から自由になるというのはどういうことか、ということです。
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***あなたの過去のブログには、人生では何も起きなかったと言っているところがありますが、それは実は重要な意味があるのではないですか。その把握によって幸不幸が決まるのかもしれないと考えたのですが。
人生のいろいろな苦労とは何かといえば、それによる人間的成長というような常見の問題ではないと思います。たとえばあなたがこれまで話されたいろいろな苦労が今は静まったとしても、あなたは人生には意味がなかったといっておられるのです。そのときの問題は意味があるかないかという思考の問題に傾斜しすぎて、知らないうちに自分を縛っているということではないでしょうか。
***それはドン・ファンの言う、履歴を消すということですか?それは理想論だから自分の思考に頼るしかなくなるのではないですか。
履歴を消すとか何も起きていなかった実感するためには、意識に方向性が必要だと思います。そこが、マインドはこう使えという教えと違うところなのです。その目的は過去から自由になることが四次元世界に入り、次を目指す条件だということです。
***具体的には過去をすべて忘れればいいのですか?
私はそうしたドグマより、別の過去を作ることではないかと考えています。というのは、刷り込みや履歴に頼りたい意識というのは本能のようなものかもしれないと思うのです。
***別の過去とは何でしょう、私には自分の人生の痛みを消すのは難しいのです。
自由というのは文字通りフリーハンドで何でも作れるということです。もしそれが夢見のような深い幻想の力によってなされるなら、何がリアルかわからなくなると思います。普通、人は自我の反応で今はこれだけ苦しいけれど、こうなれば楽になるというところに幻想を使いますがそこには過去が腰をすえているのです。しかしこれは消せるものなのです。
『呪術と夢見』では代替の人生をつくり、イーグルをだますという表現がありますが、これは面白いことです。単に過去が今は薄れて風化したのではなく、あなたは今からでもご自分の神話を捏造すればいいのです。
過去は非常に不確かです。ならばそれに頼るより、自分を確認したい衝動を別のものにしていくのです。これは軽薄に聞こえるかも知れませんが、もし真剣にそれをすればあなたは何も起きていないという真実の夢見世界に入ることができます。問題は感情の執着なのです。けれどもこれも実体などあるのではないのです。
***では、人生は意味がないという私の意見にもつながるのではないですか。
意識を生み出すエネルギーは生命として貴重ですが、意識そのものにはいったいどのような価値があるのでしょうか。そこを考えてみましょう。意識から自由になるというのはどういうことか、ということです。
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