2015年09月05日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

今、23時20分。
うちに帰ったのが1時間前。
晩ごはんを食べて、明日の授業の準備をしているところです。

今日は朝からいろいろと雑用。
そのあとは大学の予備学部へ。
それから、個人教室に行って、書類の整理。
それから、授業が2コマ。

新入生の授業はエネルギーを使います。
たとえるならば、短距離走の感覚です。

今日はひらがなを書いて、発音の規則を教えました。
発音は最初が肝心。
「よく聞いて!」「書いてある文字を見ないで!」と何度も言いながら、私の発音に集中させます。
まず集中して聞くことに慣れさせないといけません。
「読むために聞く」というよりは「聞くために読む」というのが私のスタイル。
彼らの発音を聞きながら直す私のほうも集中力が要求されます。

日曜日は別の初心者グループの第一回目の授業。
こっちは未成年が多いから、授業の雰囲気とかのコントロールが難しそう・・・
でも、みんな日本語を勉強したくて来ているわけですから、その期待には応えたいです!


さて。
新学期が始まる直前、私は町を歩いていました。
たまたま入ったショッピングモールでこんな店を見つけました。

DSC_0692[1]25000ルーブル均一ショップ!!!
語呂が悪い!!!

ついにベラルーシにも○○均一の波が!
時々、日本人の方に「ベラルーシには100円ショップはないんですか?」と聞かれるのですが、皆さん、できましたよ!
25000ルーブルショップが!!!

25000ルーブル、正確には25000ベラルーシルーブルと言っても、あまりピンとこないかと思います。
円になおすと、今日(2015年9月4日)のレートでは、約170円。
お、100円ショップの感覚に近いのか!?
でも、数字が大きいなあ。

店に入ろうとしたら、シャッターが半分閉まっていて、入れませんでした。
肝心の商品のレポートができなくて・・・まあ、店内は撮影禁止だから、写真はいずれにしても無理だったのですが。

でもなあ、数字のキレが悪いなあ。
ちょっと他の数字でやってみよう!!!

100ベラルーシルーブルショップ!!!(→日本円で約70銭→何を売っている店だ!?)

1000ベラルーシルーブルショップ!!!(→日本円で約7円→5円チョコ専門店ならやっていけそう。っていうか7円チョコってあるのか!?)

10 000ベラルーシルーブルショップ!!!(→日本円で約70円→ちょっとリアリティーが出てきたぞ!)

100 000ベラルーシルーブルショップ!!!(→日本円で約700円→数字が大きくて、○○均一のお得感が感じられない!)

1 000 000ベラルーシルーブルショップ!!!(→日本円で約7000円→もはや超高額福袋を買う感覚だ!)


やっぱり25000ルーブルぐらいがちょうどいいのかな・・・
今度店に行ってみよう!!!

明日は朝の9時から夜の9時までずっと日本語の授業!!!
早く寝よう・・・

akiravich at 05:44コメント(0)トラックバック(0) 
ベラルーシの生活 | 日本語教師の仕事

2015年09月04日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

夏休みボケがまだちょっと抜けていないです。
髪の毛は抜けるんですけどね・・・

大学はすでにフル回転。
毎日大学に行くというのは結構久しぶりのこと。
これまでは一週間のうち、1〜2日は授業が全くない日というのもありましたから。

そんな中。
思い出されるのは日本で食べた思い出の食べ物。
今年の日本滞在では私が集中的に食べたものがあります。

それは・・・
立ち食いそば!!!

私は立ち食いそばが大好きなのです!!!
小学校ぐらいの時はすでに好きでした。
その頃、私の家族はどこに行くか目的地を決めずに鉄道の旅に出ることがありました。
それはとても楽しい思い出でした。

私は子供のころからお弁当というものが好きではありませんでした。
冷たくなっているし、一つの箱にいろんな料理が入っていると、それぞれの料理のにおいが移ったり、ひどいと何か煮物の汁が一緒に入っている果物についてしまったりと、私にとっては受け入れがたい要素がたくさんあったのです。

でも、なぜか私は幼稚園も小学校も中学校も高校もずっと弁当。
給食というものを食べたことがないのです!

そんな私にとって、鉄道の旅の食べ物と言えば、駅弁ではなく立ち食いそばでした。
しかも、持ち込みの容器をもって、車内で食べるのが醍醐味!
今、そんなことをやったら、匂いで大ヒンシュクでしょうが、昔はそういうのがもっと寛容だったというか、何かもっとゆるやかだったのを覚えています。

そんな私の大好物の立ち食いそば。
いくつか私なりのこだわりがあります。

1.麺はゆでおき。本格的な麺はいらない。
2.汁は黒いのがいい。上品な味よりは下品なほどにしょっぱいのがいい。
3.基本は天玉そば。天ぷらはかき揚げ。

まあ、これは個人的な好みなので、適当に流してください。
ちなみに、似たような写真が続きますが、わかる人にはわかります。
立ち食いそば好きにはわかってもらえると思います。

DSC_0495まず私が食べに行ったのが秋葉原の名店「二葉」。
ここは何と言っても、つゆが絶品!
メニューを見ると「ネギとつゆの追加は20円に成ります」
最初見たときは「???」だったのですが、これを食べてよーくわかりました!
ちょっとつゆが少なめでした。
つゆ増しにすればよかった!
かき揚げもおいしかったです。
他の天ぷらも試してみたい!!!

DSC_0513次も秋葉原にある「六文そば」。
私がまだ東京に住んでいた頃、つまり15年以上前に何度か行ったことがあります。
今も外観はそのままです。
ここのつゆは真っ黒。
これぐらいお下劣なほどに真っ黒な汁が私は大好き!
昔ながらの、という感じ。
これこそ、私が求めていた味!!!

DSC_0562これは新宿の思い出横丁にある「かめや」。
立ち食いそば好きにとっては聖地とも呼べる店です。
私が通っていた日本語教師養成講座のある場所の近くだったので、何度も通っていた思い出の店です。
行ったことがある方はわかると思いますが、この店は狭い路地にあり、店は外にむき出し。
行った日も東京は死ぬほど暑かったので、天玉そばを食べるかどうか非常に迷っていました。
で、店に行ってみると「冷やし天玉そば」の文字が!!!

これが・・・
本当においしかった!!!
私の中ではダントツの癸韻任后!!

ここの天ぷらやそばは何度も食べたことがありましたが、今回改めて食べてみて、雷に打たれたような衝撃を受けました。
つゆがうまい。
そばがうまい。
天ぷらがうまい。
これ以上、言うことはありません。
夢中になって食べてしまいました。
今晩、かめやの立ち食いそばの夢を見そうです・・・

DSC_0587これは福島駅西口にある松月庵の立ち食いそば。
松月庵という普通のお蕎麦屋さんに隣接している立ち食いそばの店です。
ここは生麺なのですよ。
先に書いた通り、生麺というのは私はそば屋で食べるものであって、立ち食いそばにはそぐわないだろうとおもっていたのですが、ここのそばはおいしかった!!!

ここでも冷やし天玉そばを食べました。
まず最初にかまぼこにわさびがのっているのに度肝を抜かれました。
ちょっと頭が混乱しましたよ。

私は立ち食いそばで生麺を食べるのには否定的ですが、この松月庵さんのそばが私にとっての境界線です。
これ以上、本格的なそばが出てきたら、立ち食いそばとして認識できなくなってしまいます。

実は去年、東京駅構内で立ち食いそば、というか駅そばを探したのですが、なかなか見つからなかったのですよ。
何とか見つけた店に入ってみると、これが結構本格的。
本格的とは言っても、味はそんなにすごいとは思えず。
値段は超本格的。

何を血迷ったか、今年も東京駅の店に行ってしまったのですよ。
時間がないが、おなかが空いたというとき、たまたまその前を通りかかってしまい・・・
とろろが好きなので、とろろせいろうを注文。
注文後に気づいたのですが、値段が1200円!!!
駅の構内でこれはないだろう!!!
しかも、味は・・・
つゆがとろろと完全に混ざった状態で出てきて、そばを食べているのか、とろろを食べているのか全く分からない状態になってしまいました。
これは注文した私のミス。

DSC_0633これは秋葉原駅構内の「新田毎」の冷やし天玉そば。
この店、まだ私が高校生だった頃、音大の集中講義か何かで東京へ出てきたときに食べた記憶があります。
その頃は「新」はついていなくて、「田毎」だったような気が・・・

待ち合わせまで時間がなくて、急いで食事をしようと思ってはいったのですが、これが大当たり!
私の好みの味です!
昔ながらの立ち食いそばでありながら、汁はうまい、そばはうまい、天ぷらはほんのり温かくてうまい。
もう一度行かねば!!!

DSC_0586これはおまけ。
「はなまるうどん」です。
実はこういううどん屋さんに行ったことがなかったんです。
ベラルーシにいる時、日本のテレビ番組で取り上げられているのを見て、絶対に行ってみたいと思っていたんです。

食べてみたら、予想以上のうまさ!!!
値段も安いし。
これは近所にあったら、通っちゃうなあ・・・
今度帰ったら、丸亀製麺も行ってみたい!!!


とまあ、こんな感じです。
うーん、立ち食いそばが食べたい!
「そば」ではなく、「立ち食いそば」が食べたいのです!!!
ベラルーシで出店してくれる人、いないかなあ・・・


akiravich at 00:41コメント(2)トラックバック(0) 
2015年 日本の旅 | 料理

2015年09月03日

おはようございます。
はぐれミーシャです。

全く寝られません。
新学期でテンションが上がりすぎました。

そうそう。
新学期なんですよ!
ベラルーシは9月1日から学校も大学もスタートです。

昨日は大学で授業。
久々すぎて、最初はちょっと感覚がつかみにくかったですが、だんだん調子に乗って、結局はいつものテンションで授業ができました。

そのあとは個人教室の授業。
20時からはゼロからスタートの初心者グループ。
初顔合わせでした。

これって、毎年緊張するんですよ。
どんな人が来るかわからないし。
それに、やっぱり新入生というのは向こうのドキドキがこっちにも伝わってくるものです。

部屋にはいっぱいの学生。
28人来る予定だったのですが、実際は29人。
「一人多い!」とか、「一人少ない!」というのは毎年あるんです。
テクニカルなミスなのですが、これは反省しないと・・・

1時間半の授業はあっという間に終わりました。
途切れることのないテンションで乗り切りました。
教室は熱気にあふれていました・・・というか暑かった!

そうなんです。
最近、ベラルーシはなぜか暑いんです。
朝はそこそこ涼しいのですが、昼は28度ぐらいまで気温が上昇。
半袖で出かけないと、昼頃には激しく後悔します。



昨日の授業には私の知り合いの娘さんが来ていました。
今年の春、彼女からSNSで日本語が勉強したいというメッセージが来て。
「私の父はアナトリーです。父からあなたの話をよく聞いていました」
それに対して、私は「お父さんによろしく伝えてください」と書いたところ、「父は今年、亡くなりました・・・」。

アナトリーさんとは一緒に仕事をした仲です。
彼はスタジオを持っており、そこで私が仕事で自分の声のレコーディングをしていたのです。
芸能関係のプロデューサーでもありました。

私が録音しているとフラッと現れて、冗談ばかり言って、場の空気を和ませてくれました。
時々、買ってきてくれたチョコレートのカップケーキがおいしかったのをよく覚えています。

一度だけ、5年ほど前に偶然町で会ったことがありました。
その時は「ぜひ今度食事に行こう」と言っていたのですが、その目的は果たすことはできませんでした。
やはり行ける時に行っておくべきだったなあと後悔しています。
でも、まだそんな年でもないだろうに・・・

その彼の娘さんが日本語の勉強に来るというのも感慨深いものがあります。
しっかり日本語を勉強してもらうことが彼に対する供養にもなるかな、なんて思っています。


おとといの夕方、突然知らない女の子から電話が。
女の子「元気? 私のこと、覚えてる?」
ベラルーシでは電話で名前を言わずにいきなりこういう質問を投げかけてくる人が時折います。

でも、これって、ちょっとドキッとしません?
声だけ聴いて、「誰だっけ?」と考えてはみたものの、やはりそれだけでは全く分からず。

女の子「マリーナよ!」
はぐれミーシャ「マリーナと言っても、俺の知り合いはマリーナはすっごい多いから・・・」
苗字まで聞いて、やっとどのマリーナかわかりました!
14年前、ミンスクからバスで40分ほどのところにあるアクサコフシナの病院で折り紙を教えた子どもだったのです。

03020010これは2001年4月26日の写真です。
真ん中の赤い服の子がマリーナちゃん。
本当に楽しそうな顔をしています!
彼女はすごく私になついてきて、私が病院にいる間、本当に楽しそうにしていたので、非常に印象に残っていた子でした。
その後も文通をしていたのです。

03020009ちょうどこの日はチェルノブイリ事故のあった4月26日だったので、みんなで病院の前の道路にチョークで絵を描きました。
彼女はチェルノブイリ原発をそのまま描いていました。
それもすごく印象に残っています。

時々、彼女のことを思い出して、SNSで彼女を探したりしたのですが、全然見つからなかったのです。
それが突然の電話!
とてもびっくりしました。

彼女は自転車競技のプロ選手になったのですが、怪我で引退。
つい最近、結婚したということでした。

それにしても、14年も経って連絡をくれるのはうれしいなあ。
SNSで私を見つけてメッセージをくれる元子どもは時々います。
中には医者になった女の子もいます。
そういえば、彼女も結婚したんだよなあ。
ずいぶん時間が経ったんだなあと感慨深いものがあります。


こんな感じで私の新学期は始まりました。
9月からの前期は全く休みなし。
つまり、月曜日から金曜日まで毎日大学で授業があるのです。
そして、私は個人教室で土日は朝から晩まで授業。
つまり、完全な休みは一日もないということになります。
大丈夫だろうか・・・

でも、やるしかないのだ!!!
気合で乗り切るしかないですね!!!
がんばります!!!

akiravich at 02:30コメント(2)トラックバック(0) 
日本語教師の仕事 | チェルノブイリ

2015年08月17日

大変ご無沙汰しております。
はぐれミーシャです。

本当に久しぶりですね。
いつものように日本に一時帰国していました。

今回は7月5日から8月13日まで。
結構、長かったです。
でも、一年間のストレスや疲れを取るにはこれでも短いぐらい。

今回はうちのベロニカちゃんと龍二くんとは日程をずらしました。
二人は二週間早く日本へ行き、二週間早くベラルーシに帰りました。

理由は簡単。
暑いから!!!
ベロニカちゃんが「日本の8月の暑さを耐える自信がない・・・」と言ったので、8月になる前にベラルーシに帰れるような日程にしたのです。

それにしても。
暑かった!!!
日本は暑いですね。
年々、暑くなっていませんか?
去年よりも今年のほうが暑かったように思います。

DSC_0638[1]「暑かった」と過去形で書けるのはベラルーシにいるから。
今、ベラルーシはちょうどいい感じの気温なのです。

これは8月14日、私がベラルーシに帰った次の日に撮った写真。
やっぱりベラルーシの方が涼しいわ。
気温はそこそこあるのに、全然汗をかきません。
湿度が日本よりも低いですからね。
過ごしやすいです。

というか、日本の夏がきつ過ぎます。
ちょっと外を歩いただけで汗だくになるのは私だけでしょうか。
日本に住んでいたときはそんなに汗っかきなほうではなかったのですが、ベラルーシに住み始めて太ってからは汗が滝のように。
自分の周りの人がかわいそうになるぐらいの量の汗。
太りたくはないものです。

でも、ベラルーシではほとんど汗をかかない。
何、これ?
デブ天国!?

せっかく日本から持ってきた汗拭きシートが全然役に立たないという嬉しい悲鳴。
日本もこんな感じならいいんだけどなあ。

本当に日本では汗に悩まされました。
まあ、東京で気温35度越えの日にラーメン二郎でラーメンを食べ、店を出た直後の滝汗に不満をこぼす私にも非があることは否定しません。

DSC_0648[1]今日はベロニカちゃんと龍二くんの3人で公園でお散歩。
私も一緒というのは非常に珍しいこと。
普通、私は日曜日は9時から19時まで日本語を教えていて、家族3人で出かけるというのは滅多にないことなのです。
龍二くんはずっと「アイスクリームが食べたい!」と言い続け、結局、散歩中、2回もアイスクリームを食べたのでした。

DSC_0652[1]今日の散歩の帰りに撮った写真。
噴水と図書館がいい感じ。
このブログをあまり読んだことがない人のためにコメントすると、この写真の不思議な形の建物は国立図書館。
ダイアモンドをイメージしたデザインです。

今日、というか日本時間では昨日になってしまいますが、最高気温は22度。
最高です!

でも、私がベラルーシに帰る直前ぐらいはものすごく暑かったようで、36度ぐらいまで気温が上がったそうです。
なぜか、私たちの住んでいるマンションは死ぬほど暑いのです。
扇風機なしではかなりきついです。

ちなみに、エアコンはベラルーシではそれほど普及していません。
5〜6年前は学生たちに聞いても、うちにエアコンがある人はほとんどいなかったのですが、今はだいぶ増えました。
とは言っても、10人中1人ぐらいのもの。
しかも、持っている人のほとんどが「全然使いません」
まあ、使わなくても、ベラルーシでは生活できるもんなあ。

ベラルーシに帰ってきて、日本ほど暑くないことに感動し、「俺はベラルーシに帰ってきたんだなあ」という実感を覚える、ということはありました。
しかし、それ以上にベラルーシに帰ってきたことを実感することが。

それは・・・
お湯がない!!!
私のうちのお湯が出ないのです!!!

旧ソ連圏ではよくあることのようですが、夏の2週間ほどの間、保守点検のためにお湯がストップするのです。
ベラルーシでは日本のように瞬間湯沸かし器がうちに備え付けられていることもありますが、それは非常に古いマンションの場合。
普通はセントラルヒーティングのお湯です。
町中が一斉にストップするわけではなく、地域ごとに交代でストップされてしまうのです。
いつもは私たちが日本に行っている間のいいタイミングにお湯がストップしていたのですが、今年はもろにその時期に当たってしまったんです。

その間はシャワーも浴びられません。
冷たい水でシャワーを浴びる人もいますが、うちでは大きい鍋にお湯を沸かしています。
不便なことは不便なのですが、そんな不便なあなたも丸ごと好きです、ベラルーシ。

私にとっては日本から帰ってきてからが一年のスタートのような感覚があります。
今年もはぐれミーシャは走り続けます!!!

akiravich at 03:13コメント(13)トラックバック(0) 
ベラルーシの生活 

2015年07月04日

こんにちは。
はぐれミーシャです。
ご無沙汰しております。

私は明日、日本へ一時帰国します。
その前に、ベラルーシにいるうちに書いておきたかったことを一つ書いておきたいと思います。
それは今年の3月にやった原爆詩の朗読についてです。

とりあえず、動画を貼り付けます。
正直、日本人の皆さんに見ていただくのは怖い、というより、恐怖を感じます。
自分では全く納得しておらず、自分の朗読のビデオを見て、愕然としたからです。
どうしても、自分のこととなると、評価が厳しくなるものですが、これは本当に自分でも納得できないのです。

しかし、今の自分をさらけ出すことに意味があると考え、ここに出すことにしました。
ダメな自分も自分。
ありのままの自分を出してみたいと思いました。



朗読会を思い立ったのは2月のことでした。
プライベートでいろいろと苦しい時期があり、そんな時期にふと「何かやらなければ」という気持ちになったのです。

原爆詩の朗読というのは以前からあったアイデアでした。
しかし、朗読するのは私ではない、というのが当初の考えでした。

私は吉永小百合さんの原爆詩の朗読をNHKのドキュメンタリー番組で聞きました。
それ以来、朗読の会をベラルーシで開けないかと考えていたのです。

ベラルーシ人の中には「日本とベラルーシは悲劇で結ばれている」という人が少なくありません。
ここでいう悲劇は言うまでもなく、広島、長崎、チェルノブイリ、そして福島のことです。
そんなベラルーシで原爆詩の朗読を行うことには大きな意味があると私は考えたのです。
ベラルーシでは「ヒロシマ」「ナガサキ」という言葉は知られていますが、実際に何があったのかを知っている人はほとんどいません。
そんなベラルーシの人たちにもっと知ってもらいたいと私は考えました。

実際に長崎の方に「ベラルーシに来て朗読してくださる方がいれば」という話をしていました。
もちろん、吉永小百合さんに来ていただきたいと考えましたが、それは夢のような話で・・・

「ベラルーシに来てほしい」と言っても、相当なお金がかかります。
私がお金を出すのならいざ知らず、「自腹で来てくれませんか?」というのは虫が良すぎる話。
誰にお話をしても、話が先に進むことはありませんでした。

次に私の頭にひらめいたのは、学生たちに読ませること。
学生たちに日本語で読んでもらおうと考えたのです。

しかし、実際に詩の本を取り寄せて読んでみると、精神的な負担があまりにも大きい。
読むだけでも辛いのに、それを朗読するとなると・・・
学生たちにその「詩を生きる」ことを強いるのはあまりにも残酷だと考えました。

そして、そのまま時は流れ・・・
結局、そのアイデアが生まれてから4年近くが経過してしまいました。



今年になってから、精神的に苦しむ中、私は「何かしなければならない」という衝動に突き動かされました。
そこで、ふと朗読のことを思い出したのです。
2011年の東日本大震災以降、福島関連の通訳の仕事が増え、チェルノブイリにも何度か訪れる機会がありました。
そのことも今回のことを決める大きな要因になりました。

人に任せるのではなく、自分でやってみよう
とりあえず、自分がやってみせよう



私はすぐに本を手に取り、声を出して、詩を形にしようとしました。
初めて声を出して原爆詩を読む感覚は苦しいものでした。
そして、その苦しさは強まりこそすれ、本番の時まで消えてなくなることはありませんでした。

私が初めて人前で朗読したのは、私の学生で、私の会社で働いているカーチャさんの前です。
あまりの内容に絶句していました。
私は彼女に聞きました。
私「この朗読、みんなの前でする価値があるだろうか」
カーチャさん「はい、あると思います」
その言葉に後押しされ、私は朗読会を開く決意をしました。

それは非常に辛い道のりでした。
練習と言っても、何度も読めばいいわけではありません。
一日に何度も真剣勝負はできません。
読むたびに自分の心が削られていくような気持ちでした。

その詩を生きること。
それが詩を読むための唯一の道でしたが、私が「生きた」ものは実際に「生きた」人々の悲しみ、苦しみ、全てを投げ込んだ地獄の諸相の何万分の一に過ぎないことが、より私を戸惑わせ、ある種の絶望の淵へと追いやりました。

全くやったことがないことをゼロからすることは面白い場面もありましたが、手探りで迷いながらの辛い作業でした。
感情を込めていくと芝居がかってしまうのです。
練習の際はカーチャさん、もう一人の学生でありながら教師をしてもらっているマリーナさんの二人に聞いてもらうことが多かったのですが、あまりにも熱がこもった時の方が二人には不評だったりしました。
聞いている二人の間でも、感情がこもった方がいいという意見と、もっと抑えた表出方法のほうが伝わるものが多いという意見に分かれてしまいました。

感情を抑えて読むこと。
私は迷いに迷いました。
しかし、私は吉永小百合さんのような静かな、そして確かな表現力は持ち合わせていません。
私は自分にできることをしようと、開き直れたのは朗読会の開催の数日前でした。

「どうせやるなら」ということで、私は音楽にもこだわることにしました。
最初は吉永小百合さんと坂本龍一さんのように朗読に音楽を重ねることを考えたのですが、それを自分でやってみると、どうしても音楽に引っ張られてしまって、朗読ができなくなってしまいました。
なので、オープニングとエンディング、そして詩と詩の間に音楽を入れることにしました。

選曲は私の趣味がかなり反映されています。
フィリップ・グラス、武満徹、伊福部昭などなど。
現代音楽がピッタリ来るだろうと思ったのです。
観客の皆さんには好評でした。

そして、照明。
できるだけシンプルに。
光と影を作ろう。
私は冬に一緒に仕事をしたCM制作などを手掛ける会社を経営する友人に照明機材を貸してほしいとお願いしました。

ギリギリまで準備をしましたが、照明と音楽を本格的につけた形で朗読する練習はできず、最終的な形はぶっつけ本番ということになりました。
私の頭の中のイメージが形になるのはうれしいことでしたが、本番がどうなるかはその時次第でした。

体重も落としました。
食事をかなり減らし、毎日エアロバイクでトレーニング。
誰の目から見てもわかるほど、やせていきました。
なぜかそうする必要があると感じたからです。

会場は私が経営する「東洋語センター」の教室。
椅子の数は頑張って30個。
しかし、実際は立ち見が出るほどで、おそらく50人近くは入っていたと思います。
せまい教室の中で蒸し暑く、息苦しいと不満を言う人も後で出てきましたが、それもある意味では少しだけ計算していました。
8月の太陽と結びつけるのは安直かもしれませんが、それもいいだろうと思ったのです。

観客のほとんどは私の学生でしたが、私が招待したかった日本人の方をお二人、そして懇意にさせてもらっているロシア正教のシスターの方をご招待しました。

プロジェクターの不調で、開始時間が10分ほど遅れてしまいました。
このYoutubeのビデオにはありませんが、最初に広島の原爆のことを紹介するスライドが流れています。

DSC_0168始めはあまり調子に乗り切れませんでした。
自分なりにはしっかり読んだと思うのですが、少し空回りしている感じが自分でもしました。

詩と詩の間は音楽だけで、余計なものは挿入しませんでした。
私は照明の当たっているところから、当たっていない暗いところへ行き、呼吸を整えたり、苦しみをため息に変えたりしていました。
私が苦しんでいるところも朗読の一部としてとらえたのです。

あとから、照明とビデオ撮影をやってくれた友人二人から、「詩と詩の合間にビデオを流したり、写真をプロジェクターで映し出したりしたほうがよかった」と言われました。
しかし、学生たちからは「あれでよかった」と全員に言われました。
詩一つ一つが受け止めるのに辛い内容。
詩と詩の合間の何もない時間は、誰かにとってはクールダウンの時間であり、他の人にとってはその意味を深くとらえる時間であり、悲しみに沈む時間であり。
多くを語らずして、読む者や見る者の想像に委ねることによって完成させると言う日本的な発想に基づいたやり方でした。

DSC_0179朗読を進めるにつれ、自分の中でも熱いものが止められなくなっていきました。
照明が顔にもろに当たっているせいもあり、聞いている人たちの顔は全く見えませんでしたが、すすり泣く声が聞こえたり、耐え切れず廊下に出ていく人もいました。

手や体の動きは最小限にとどめました。
素人の私が動いても、わざとらしく見えるだけだと思ったからです。
それに、内容的にも動きはいらないと思いました。

ただ、流れている音楽を止める時、手で合図をしました。
その手の動きが雰囲気に合っていたという人が多かったです。

DSC_0180最後の詩を読み終わりました。
読み終わった瞬間、照明が落ち、ギターの音楽が流れるという寸法でしたが、照明が落ちるタイミングが若干遅れました。

そして、音楽が流れない。
私は焦りました。
友人である照明さんと、友人の紹介で来てくれたある劇場の音響さんには、最後のところだけはタイミングを外さないでくれと散々お願いしていたのです。

結局、5〜6秒遅れで音楽が流れだしました。
その数秒間、観客たちは暗闇の中で置き去りにされました。
逆に、それがよかったようで、音楽のタイミングが遅れたことを言うと、学生たちは「えっ?そうでしたか? 全然気になりませんでした」

あとで、音響さんのところに行くと、「すみませんでした!」
音響さんの隣にはマリーナさんが座ってキューを出していたのですが、彼女が小声で「早く音楽を!」と言うまで音響さんはずっとボーっとしていたそうです。
音響さん「聞き入ってしまって・・・」
そう言ってもらえて、私としてはとてもうれしかったです。

ビデオ撮影をしてくれた友人も同じことを言っていました。
聞き入ってしまったせいでビデオのメモリーカードのチェンジのことを忘れてしまい、チェンジするまでに私が間をつなぐ羽目になってしまいました。

でも、聞き入ってもらえたのは自分の力ではなく、詩の内容なのだろうと思います。
私には修業が足りません。
更なる精進が必要だと感じました。

学生たちの反応はあとから聞いたものですが、好意的なものでした。
中には何の朗読か全く知らずに来て、かなりの衝撃を受けた女子学生もいました。
「何かとりついているように見えました」「いつもの先生とは別人に見えました」「聞いているのが辛かったです」など、いろいろな反応でした。

DSC_0203最後に記念写真。
向かって、私の左隣にいるカーチャさんと右隣のマリーナさんには本当にいろいろと手伝ってもらいました。
二人には詩を全てロシア語に翻訳してもらいました。
カーチャさんにはプロジェクターで映す字幕やスライドの作成もやってもらいました。

その作業は二人にとってはあまりにも辛いもので、二人とも「こんな詩を読んで、先生は大丈夫ですか?」と何度も聞かれました。
そして、私は彼女たちのことを心配しました。
二人とも感じやすく、練習しながら一緒に深い闇に沈んでいくのが私にはわかったからです。
同じ時間を生きてくれたことに感謝。
本当にありがとう。

左端にいるナースチャさんは私が最も信頼している学生の一人。
今は東京の大学で勉強しているのですが、ちょうど3月にベラルーシに一時帰国していたので、照明など細かいことを手伝ってもらったのです。
すでに私が教えていない学生と一緒に何かできることは幸せです。
教えていなくても、学生と先生という関係は変わりません。
彼女にとっても、原爆詩を聞くのは辛かったと思います。
手伝ってくれて、ありがとう。


もう一度やりたいです。
辛いのはわかっています。
自分を追い込み、ギリギリの精神状態で読む作業は非常に苦しいものです。
でも、だからこそやる意味があります。
そして、ベラルーシの人たちにもっと広島・長崎、そして福島のことを知ってもらいたいです。

大学でもやって学生たちに聞いてもらいたいですし、汚染地域の町にも行きたいです。
昨日はキエフのチェルノブイリ博物館に行ってきたのですが、そこでもやらせてもらえないかという話をしてきました。

でも、やらせてもらうには自分の朗読をもっと深化させていかないといけないと思います。
時間が必要です。

そして、カーチャさんとマリーナさんの助けが必要です。
信頼する二人を道連れにするようで悪いのですが・・・

原爆詩の朗読の後、私や聞いていた人たちの心の中に残ったのは、祈りの気持ちではないでしょうか。
平和への祈り、間違いを繰り返さない決意。

もう一度、朗読やります。

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チェルノブイリ | 福島

2015年06月02日

こんにちは。
はぐれミーシャです。
ご無沙汰しております。

ミンスクもだいぶ暖かくなってきました。
でも、時折肌寒い天気になったりと、油断はできません。

先週は翻訳の仕事がポンポンポンと三つも立て続けに入ってきて、結構苦労しました。
水曜日などは朝の6時まで仕事をしていました。
ベラルーシでは締切がタイトな注文が多いので、大変です。

さて。
最近、日本のテレビ番組で、外国で日本語を学ぶ大学生が紹介されていました。
日本語教師の視点から見ると非常に気になることが。
まず、とにかく発音が悪い。
「〜してー、」という風に「、」の前に当たる音節や助詞が全部間延びしているのですが。
例えば、「昨日はー、日本語をー勉強してー、寝ました」という感じです。

文法的にも微妙。
例えば、こんなフレーズが。
「大事にしてるから、誰も取らないようにしています」
「取らない」ではなく、「取られない」じゃないといけないところですね。

しかし。
私たち日本人はそういうところは非常に寛容。
番組のナレーションもその学生を「日本語が堪能な○○さん」と紹介していました。

その大学生が私の学生だったら、徹底的に直してあげたいところです。
でも、あそこまでくせがついちゃうと、直すのは非常に難しいでしょう。

そう。
日本人は外国人の日本語に非常に寛容だと思います。
外国人がちょっと日本語が喋れるだけで、「日本語、ペラペラですね!」「すごいですね!」と言ってくる。
某番組でも外国の空港に到着して、タクシーに乗ろうとしたとき、運転手が片言の日本語で「こんにちは」と言っただけで、「日本語上手ですね!」と言っているのを聞いたことがあります。

私のある学生はあまりにも日本人に褒められるので困ると言っていました。
学生「あそこまでいくと、ほめられると言うよりはむしろバカにされているような気がしてきます」
実際、その学生の日本語はかなりのレベルですが、いくら勉強しても間違いは残るもの。
その学生は日本人にはもっと間違いを直してほしいと言っていました。
確かに、直してもらった方がもっと成長できるでしょうし。



昨年9月、大前研一先生率いる「向研会」の方々がベラルーシを視察に訪れました。
大前研一先生と言えば、経営の世界では皆が知っている大人物。
いらっしゃる数日前に、旅行会社から連絡があり、ご一緒することになりました。

ご一緒すると言っても、通訳ではありませんでした。
視察は全て大前先生ご自身が英語の通訳を行う形で、ロシア語通訳の私は全く出番がなかったのです。
私の仕事はガイド。
市内観光のときにバスの中でベラルーシの話をしたりするのです。

ホテルで向研会の方々をお待ちしている間、先乗りしてきた旅行会社の方にいろいろと指示を受けました。
大前先生のような大物の方々のグループなので、いろいろと気配りが必要だということなのでしょう。

向研会の方々がリトアニアからバスで到着したのは夕方。
部屋に荷物を置いてバスに戻り、すぐにミンスク観光に出発しました。

大型バスの運転手のわきに私は陣取り、私の後ろには大前先生。
正直、私はド緊張していたのですが、いつも通りにやろうと思い、思い切ってベラルーシのことを話したり、ミンスクの町を案内したりしました。

私が話し始めてすぐ、大前先生からいろいろな質問が。
ベラルーシのことや、私の日本語教室のこと。
時折、「マイク」とおっしゃり、私がマイクを渡すと、ベラルーシについてご自身でご説明されていました。
いろいろと気さくに話しかけてくださったので、非常にうれしかったです。

夕食の会場となるレストランに着くと、私は飲み物の注文などを取りに走り回りました。
ところが、しばらくすると、旅行会社のツアーコンダクターの方が私のところへ来て、「ちょっとこちらへお願いします」。
私が「何があるんですか?」と聞くと、「まあまあ、こちらへ」

導かれた先には大前先生が!!!
私を手招きして、「ここに座って。いろいろ話を聞かせて」。
えええ!!! 信じられない!!!
緊張したまま、私は大前先生の質問に答えたり、同じテーブルになった会社の経営者の方々とお話をさせていただきました。
私にとっても非常に勉強になる話ばかりでした。

次の日も視察は続き、最後の夕食。
皆さん「ベラルーシの若い人たちと直接話してみたい」ということで、私の学生9人を夕食に招待してくださいました。
ベラルーシ人の日本語学習者は私や日本人留学生ぐらいしか日本語で話す相手がおらず、このときのように大人数(70人ほど)の日本人に一度に出会うことはありません。
ましてや、経営の仕事をしている日本人の人たちと話すようなチャンスは全くないのです。
私も学生たちも夕食に招待していただいて、本当に幸せでした。

テーブルを挟んで大前先生の向かいに座ったリディアちゃん。
あまりにも緊張しているので、「大丈夫?」と聞いたら、「私、大学で大前先生の本を読んで勉強したんです」。
彼女は大学で経済・経営を学び、今の仕事もその方面。
彼女にとっては神様のような人が目の前にいるわけですから、無理もありません。

後日談ですが、夕食に招待されたアリョーナちゃん。
その日、彼女がうちへ帰った時、父親に「今日は誰に会ったんだい?」と聞かれ、「大前研一先生」と答えると、父親は「えええ!!! 本当か!!!」と腰を抜かさんばかりにびっくり仰天。
彼女のお父さんも大前先生の本を読んだことがあり、とても尊敬しているのだそうです。

夕食ではそれぞれのテーブルに学生が座って、多くの方々と交流させていただきました。
私は旅行会社の人たちと打ち合わせをしたりしていたのですが、参加者の方々が私のところへ来て、お話をしたり、名刺をくださったりしました。

そのとき、数人の方にこんなことを言われたのです。
「先生の学生の日本語はきれいですね」
中には「今どきの若い日本人なんかより、ずっと日本語がきれいですよ」と言って下さる方も。

「上手ですね」ではなく、「きれいですね」。
私はうれしくて、涙が出そうでした。
というのは、これこそが私が求め続けてきた道だったからです。

ただ日本語で話すだけだったら、ぶっちゃけ誰でもできると思うのです。
片言で「コンニチハ」と言っても、日本人には褒められてしまいますし。
日本人は外国人の日本語に関しては「通じればOK」という感覚でいる人が多いのではないかと思います。

しかし、それではダメだと思うのですよ。
外国人だからタメ口が許されるなんてことはないと思うのです。

私は学生たちに正しい日本語を話すように指導してきました。
間違いがあれば、ドンドン直します。
日本語教育では「正確さ」よりも「流暢さ」を求める傾向が強く、多少間違いがあってもたくさん話すことが良しとされることが多いのです。

私はその流れには常々反対してきました。
「通じればいい」、それだけでいいのであれば、教師はいらない。
流暢なのは結構だけど、日本語が正しいに越したことはない。
勉強を始めて1、2年の学生にたくさんしゃべることを求めるのは、生まれたての赤ちゃんに演説を求めるようなものだと私は思っています。

「先生の学生は日本語が上手ですね」と言われることはよくありますが、「日本語がきれいですね」と言われて、私はこれまでの仕事が報われた感じがしました。
自分がやってきたことは間違っていなかった、と。

夕食の最後の方に、大前先生は学生と出会った感想やベラルーシの印象などを語られました。
その中で「この学生さんたちに『日本人作家で誰が一番好きですか?』と聞いたら、みんな『太宰治です』って答えるんですよ。先生(←私に向かって)、もうちょっと明るい文学作品を読ませてやってください」。
太宰治はドストエフスキーが生まれたこのロシア語圏のメンタリティーに合っているのか、私の学生の中には太宰が好きだという学生が多いのです。
今度はもうちょっと楽しいのも読ませてみます。

そして、大前先生は学生全員を前に呼び、学生たちをほめてくださいました。
しかし、ただほめてくださっただけではありませんでした。
「一つだけ注意してもらいたいことがあります。自分の名前をはっきり言うこと!」。

確かに。
ベラルーシ人の学生は自分の名前をロシア語の発音そのままで言ってしまうことが多く、日本人の耳には早口に聞こえます。
それに、ロシア語の名前自体に慣れていないと、いきなり聞いても認識できないということがあるのです。
私も大前先生に言われて初めて気づきました。
これからは学生ともども気をつけます!

その日の夕食は学生たちにとって、かけがえのない思い出になりました。
今でも、学生たちとはあの日の話をすることがあります。
みんな「あの時は楽しかったです!」と。
大前先生、私や学生たちに貴重な機会を作ってくださり、本当にありがとうございました!!!



私はこれからも学生たちが正しい日本語が話せるように教えていきたいと思います。
そして、その学生たちがベラルーシと日本の懸け橋となるような人物になることを期待しています。
学生たちと一緒にがんばっていきます!!!

akiravich at 11:34コメント(9)トラックバック(0) 
日本語教師の仕事 

2015年05月12日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

眠い・・・
疲れがたまっています。

そして、寒い・・・
今日はちょっと肌寒いほどの天気です。

それでも、仕事はやってくる。
容赦なく、いろんな仕事が入ってきます。
まあ、仕事がないよりはいいのでしょうが。

毎週、月曜日は休みです。
普段はどこへも行かないで、うちで映画を見たりしています。

でも、先週の月曜日は大事な用事がありました。
それは龍二くんがなくしたスズメのぬいぐるみを探しに行くこと。

日曜日、龍二くんとベロニカちゃんは幼稚園の友達のソーニャちゃんの家族と一緒に森へお散歩に行きました。
そこでソーニャちゃんとあそんでいるうちに、スズメをなくしてしまったのです。
日曜日の夜、私がうちに帰ると、龍二くんはとてもがっかりした様子で、「スズメがどこかに行っちゃった」。
これは探しに行かねば!

DSC_0113[1]エレベーターの中で不安そうな龍二くん。
友だちのペンギンも一緒です。
見つかるかなあ・・・

DSC_0116[1]バスの中でも心配そう。
スズメも一人でさびしいかなあ・・・

DSC_0121[1]うちからトロリーバスで二つ目のバス停で降りると、こんな感じ。
湖(貯水池?)があって。
少し歩けば、すぐに公園や自然があるのがミンスクの魅力です。
いい天気で、ピクニックみたい。

DSC_0122[1]ベラルーシのオリンピック陸上センターの建物を通り抜けると、森が広がっています。
森に入って、三人で周りをキョロキョロ。
スズメはどこかなあ・・・

DSC_0124[1]これ、何て言う花だろう?
森の中にはワクワクがいっぱい。

みんなでたき火をやったところに到着。
木の枝の折れたやつにソーセージをさして、焼いて食べたんだって。
この辺が怪しいなあ・・・

DSC_0127[1]みーつけた!!!
正直、私もベロニカちゃんも見つかるとは思っていなかったので、びっくり!!!
たき火の場所からちょっと離れたところで、全く目立たないところにありました。
龍二くん、よかったね!!!

DSC_0130[1]帰り道、鴨の家族に遭遇。
みんな仲がよさそう。

私たち家族の小冒険は終わり!
と思ったら、おとといのこと。
今度はペンギンをなくしちゃった・・・
また探しに行こうかな。

akiravich at 15:13コメント(0)トラックバック(0) 
子育て | 日記

2015年05月01日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日のテーマはチェルノブイリです。
直球です。

最近、チェルノブイリ近辺で森林火災があったことで、またチェルノブイリがにわかに注目されていますね。
焼けた木々の灰がベラルーシの方向に飛んでくるのではないかと心配しています。

しかし、ベラルーシの放射線環境をモニタリングしている機関のHPを見ると、放射線量に関しては全く変化は起きていません。
いつものように、5月1日のミンスクは0.1マイクロシーベルト/時。
比較的、値が高いブラーギンも0.53マイクロシーベルト/時と、普段と変わらず。

こんなことを書くと、「国の機関が発表していることを信じているのか!?」と言われそうな気がしますが、私は結構信じています。
そういうモニタリングをやっている機関や現場を私は自分の目で見ていますし。
非常にしっかり測定していますよ。
隠ぺいすることのメリットはベラルーシには全くありません。


さて、今日は昨年3月に私がチェルノブイリを訪れたときのレポートをしたいと思います。
通訳の仕事でチェルノブイリを訪れたのですが、そのときはちょうどウクライナの政情が不安定なときでした。
マイダンと呼ばれるキエフ中心部の広場での戦闘がようやく収まったばかりの頃で、非常に不安だったのを覚えています。
その時の様子は2014年3月31日「はぐれミーシャのウクライナレポート キエフに行ってきました!!! ティモシェンコを探せ!!!」をご覧ください。

ここではWikipedia的な解説は避けたいと思います。
例えば、事故の概要とかは他の解説を読めば事足りるわけですから。
私が改めて解説することでもないだろうと思いますので、ここでは私の個人的な感想、訪問レポートという形をとりたいと思います。


チェルノブイリへの道

地図で見ると、チェルノブイリはウクライナの一番北、ベラルーシとの国境にあります。
しかし、ベラルーシから直接チェルノブイリのある地域に入ることはできません。
直線距離ならとても近いんですけどね。
道がないのです。
ベラルーシの汚染地域は「ポレーシエ放射線環境保護区」となっており、立ち入りが厳しく禁じられています。

結局、キエフ経由ということになります。
かなり遠回りではあるのですが、これは仕方がないです。
最初は車での移動を考えていたのですが、ウクライナの地方都市でベラルーシナンバーの車が襲撃される事件が頻発しているという情報があったので、鉄道を使うことにしました。

キエフには朝の8時近くに到着。
ホテルで朝食をとり、そこからチェルノブイリへ向かいました。
車で2時間半ほどの道のりです。

途中、二か所のチェックポイントでパスポートなどの書類のチェックがありました。
チェルノブイリは見学ツアーが盛んで、以前にチェルノブイリを訪れたときも(←つまり、この時は2回目の訪問)、他の見学者が結構いたのですが、この日は私たち以外に一組だけ。
ツアーガイドの説明では、ウクライナの政情が不安定になってから、観光で訪れる人が激減したのだそうです。



チェルノブイリに到着! とは言っても、原発ではない

DSC01260チェルノブイリに到着! と言っても、これは原発ではなく、チェルノブイリという町。
この町の名前が原発の名前になったのです。
ベラルーシでもそうですが、町の入り口にはこういうモニュメントが必ず立っています。
このデザインからも原発産業で成り立っていた町なのだということが見て取れます。


DSC01261これはチェルノブイリの町の教会。
まだちゃんと機能しています。
時々、チェルノブイリ出身の神父さんが来て、礼拝が行われているそうです。
残念ながら中には入れませんでした。

DSC01267チェルノブイリの有名な広場に着きました。
この小道には両側に原発事故で消滅してしまった村などの居住地の名前が書かれています。
人々が住んでいたところ、その住民にとっては故郷を哀悼する意味が込められています。

DSC01266モニュメントの一つに「フクシマ」の文字が刻まれていました。
折り鶴をかたどったモニュメントです。

こういう演出、ウクライナ人はとても上手だなあと思います。
これはキエフのチェルノブイリ博物館でも感じることですが、見ている人に伝わるような展示方法や演出に非常に長けているのです。
ベラルーシ人とはだいぶメンタリティーが違います。
ベラルーシ人はそういうアピールはあまり上手じゃないところがありますから。

この広場の近くに店がありました。
というか、普通にチェルノブイリの立入禁止区域にお店があることが驚きです。
飲み物や食べ物が普通に売ってありました。

DSC_0110[1]そして、驚きなのが、チェルノブイリグッズ!
マグネットやボールペン、Tシャツまであるのです。
私はそこでマグカップを購入しました。
こういうところがウクライナ人らしいところです。
商魂たくましいというか。
キエフで戦闘のあった独立広場でもマグカップやTシャツなどのグッズが販売されていましたから。
戦闘直後で広場中、焼け焦げたようなにおいに満ちている中でも商売をしようというのがすごいなあと思いました。


チェルノブイリの町を歩く

DSC01270チェルノブイリの町の中は当然、人が住んでいません。
いたるところにこのような廃墟と化した家が。
失礼して、中を覗くと明らかに荒らされた跡が。
原発事故後、火事場泥棒的な事件が後を絶たなかったと言います。
ネジ一本に至るまで盗まれたと言う話を聞いています。

DSC01268このうちの壁に住んでいた人が書いたと思われる言葉が書いてありました。
「我が家よ、許しておくれ! そして、さようなら!」
自らの家を捨てて出ていく人の心の痛みは如何ほどのものだったでしょうか。

福島でも同じような悲劇が起こっているのかと思うと・・・
家はただの「モノ」ではなく、住んでいる人の想いや思い出が詰まったもの。
私は19歳のとき、実家が全焼し、自分が育った家、思い出がいっぱい詰まった家が灰になったところを見たことがあります。
福島の場合とは違う痛みかもしれませんが、家を失うことの辛さは察して余りあります。

DSC01271「ここには人が住んでいます」
そうなんです。
こちらのお宅には人が住んでいます。
中には避難勧告を無視して、住み続けている人がいます。
主に高齢の方々で、自分の故郷に住み続けたいということです。
強制的に避難させると言うことはないそうです。

ここに住んでいるのは高齢の女性。
息子さんが生活に必要な物資や食料を運んできてくれるそうです。

DSC01274これは事故処理に当たった機械の「墓場」。
放射性物質で汚染されているため、近くに行ったり触ったりすることはできません。
こういう機械を見ていると、当時の様子がリアルにイメージできたりします。



チェルノブイリが見えてくる

DSC01281チェルノブイリ原発が見えてきました。
川沿いを車はひた走ります。

以前チェルノブイリを訪れたとき、この時点でガイドさんに「原発の近くに行ったら、写真撮影やビデオ撮影をやめてください。決まったポイントでだけOKです」と言われました。
勝手に撮影などをしていると、当局に拘束され、映像や画像を削除されると言われたのです。
しかし、このときのガイドさんは「大丈夫だよ!」「ダメなところはあるから、そこだけ注意すれば、あとは普通に撮影していいよ」。
うーん、どっちが本当なんだろう?

DSC01287ここが原発に一番近いポイントになります。
ここから原発のほうの写真を撮るのは許可されています。

圧巻です。
このときは二回目でしたが、感じるものがあまりにも大きくて・・・
この廃墟が人々の生活を奪い、故郷を奪い、30年近くも人々を苦しめ続けているのかと思うと・・・

チェルノブイリ原子力発電所。
私は「負の世界遺産」として登録すべきだと思っています。
同じ過ちを犯さないために。

一度は見る価値があります。
放射能のことを心配する人がいますが、2〜3時間いたぐらいでは通常は問題はないはずです。
帰るときはチェックポイントで被ばく量をチェックされますが、私が行ったときはチェックで引っかかった人は一人もいませんでした。



リアルゴーストタウン、プリピャチの町を歩く

DSC01288それから私たちが向かったのはプリピャチの町です。
チェルノブイリ原発から4キロの近いところにあり、事故でゴーストタウンになってしまった町です。
「1970」という数字が書いてありますが、これはプリピャチの町が作られた年。
町自体が非常に新しい町だったことがわかります。

DSC01301これは有名な観覧車です。
チェルノブイリ原発事故が起こった4月26日の後でオープンする予定だったものです。
つまり、この観覧車は子供たちを乗せることなく、事故に遭ってしまったのです。

DSC01305プリピャチのレストラン。
プリピャチの住民のほとんどが原発で働いていた若者たちでした。
その若者たちもこのレストランに集い、夜の楽しい時間を過ごしていたのでしょうか・・・

DSC01311これは学校の敷地。
かつては子供たちの声が響いていたのでしょう。
目を閉じると子どもたちの声が聞こえ、目を開けると子どもたちの声は消えました。

プリピャチの町は二回目でしたが、やはり強い印象を受けました。
それは激しい感情ではなく、静かにしみいるように町の静寂が心の波を受け止めてくれるような感覚です。




チェルノブイリで働く、チェルノブイリで生きる

DSC01335それから、私たちはチェルノブイリのカフェで昼食をとりました。
これはスープに添えられていたパン。
名前は「パンプーシュカ」。
名前がかわいいです。
パンの上からニンニクオイルがかけられています。
ウクライナではポピュラーなもので、普通はボルシチに添えられるのですが、この時はえんどう豆のスープでした。
これ、すっごくおいしいんですよ。

このカフェ、チェルノブイリグッズも販売していました。
結構高めの値段設定。
たくましいなあ・・・

実はこのカフェで今回のチェルノブイリツアーで最も印象に残った出来事がありました。
それは次の写真の女の子の言葉。

DSC01339かわいいんですよ。
ウクライナ美人です。
ベラルーシも美人が多いですが、ウクライナの美人はちょっとタイプが違います。
顔立ちが違いますね。

それまでにチェルノブイリの区域で出会う人の中には若い人はいなかったので、私は驚きました。
彼女に「どうしてここで働いているの?」と聞くと、「私の父もチェルノブイリで働いているんです」
えっ? そんな理由で働いているの!?
私は何か彼女の中に使命感があるとか、そういうことなのかなと勝手に思っていたので、ちょっとビックリしました。

私「チェルノブイリで働いていて、怖くないの?」
女の子「??? なんで怖がる必要があるんですか?」
彼女は2週間働いて、2週間キエフで休むというシフト。
私「っていうか、ここに寝泊まりしているの?」
女の子「はい」

彼女の答えがあまりにも自然で。
何も特別なことなどないかのように。
むしろ彼女の方が私のリアクションに不思議がっていました。

確かにチェルノブイリ原発に近いからと言って、そんなに線量が高いわけじゃないんですよ。
ご一緒した方の中には線量計を持っていらっしゃる方も多かったのですが、それほど驚く線量ではありませんでした。

冷静に考えることができれば、彼女のようにチェルノブイリ原発の近くで働いても大丈夫なのでしょう。
チェルノブイリの場合はすでに30年近く経っているということも人々の心理に影響しているのかもしれません。
放射能を怖がるパニック状態からは脱している、ある意味、「放射能との成熟した共存関係」が築かれているように感じました。

もちろん、私は低線量被ばくの影響などを否定するわけではありません。
その女の子が100%安全な状況にいるとも思えませんし。
それは彼女自身の判断。
外的な要因を考慮して、大丈夫だと思っているから働いているのでしょうし。

ゴメリの放射線生物学研究所を訪れたときのこと。
日本人の方々が「低線量被ばくはどのように人体に悪影響を及ぼすのでしょうか?」と口々に質問しました。
研究所の人の答えは「わかりません」。
これが今のところの答えだと思うのですよ。

研究所の人「だって、まだ27年しか経っていないんですよ」(←数年前の話です)
「27年しか」
まさにその通りです。
研究所の人「低線量被ばくの影響の調査は時間がかかるものです。もしかしたら、50年後に影響が出るかもしれないし、数世代あとの世代に影響が出るかもしれないし。それはまだ誰にもわからないのです」
常に研究を続けていく必要があります。

DSC01341カフェの外に出ると、ネコが日向ぼっこしていました。
わずかに日の当たるところを見つけて、気持ちよさそう。



チェルノブイリにもネコはいるんです!!!
みんな、生きているんです!!!




今年も私はチェルノブイリに行きます。
また何を自分が感じるのか、何を思うのか。
チェルノブイリを訪れることはチェルノブイリを見るというだけにとどまらず、ベラルーシというチェルノブイリ原発事故で激しく汚染された国に住み続ける自分自身の心の中を覗き込むことでもあります。


生きるということ
その尊さを感じる旅になるでしょう。




追伸
チェルノブイリは一度は訪れてみる価値がある場所だと私は思っています。
チェルノブイリに行ってみたいという方がいらっしゃったら、コメント欄にメッセージをいただければと思います。
私の方でお手伝いできることがあれば、お手伝いさせていただきます。
その場合はメールアドレスを明記されることをお忘れなくお願いします。

追記
http://people.onliner.by/2015/05/01/radiaci9/
汚染地域に近いゴメリ市で放射能測定をした様子です。チェルノブイリ近辺の森林火災による影響はほとんどないことがわかります。ロシア語ですが、翻訳機能などを使って、ぜひ読んでみてください。


akiravich at 17:01コメント(4)トラックバック(0) 
チェルノブイリ | 福島

2015年04月30日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

学生たちのリレーブログ「ベラルーシ人のリレーブログ 今日もベラってますぅ!」に新しい記事が出ています!(←オレンジのところをクリックするとリレーブログが別ウィンドウで開きます)
今回のテーマは「ロシア正教の復活祭」
復活祭で食べられるパン「クリーチ」のレシピも載っています。
ぜひお読みになってください!

体調があまりよくありません。
先週末から体調を崩しています。
土日は声がかれてしまい、日曜日の昼と夕方のグループの授業はキャンセルになってしまいました。
日本語教師にとって声は大事な商売道具。
翼の折れたエンジェルのようなものです。
大切にしないとなあ・・・

翼の折れたエンジェルか・・・
それは・・・
串から外れた焼き鳥(←ただの焼いた鶏肉)
チャーシューを失ったチャーシューメンのようなもの(←ただのラーメン)
パーマンセットを失ったパーマン(←ただの男の子)
比喩もうまくいかんなあ・・・

せきが出るなあ・・・
最近、ベラルーシは暖かくなったり、寒くなったりで、体調を崩している人が多いのです。
気をつけないと・・・

明日の記事のテーマは「チェルノブイリ」。
昨年の3月に訪れたときのレポートをしたいと思います。
だいぶ時間は経っていますが、ずっと書きたいと思っていたので。
今日はこの辺で!

akiravich at 06:04コメント(0)トラックバック(0) 
日本語教師の仕事 

2015年04月24日

こんにちは。
はぐれミーシャです。
奇跡の連続投稿です!

まだちょっと風邪気味です。
過労ということもあるのですが。
私の場合、疲れがたまると風邪っぽい症状が出ることがあります。
そして、ゆっくり寝ると、風邪っぽいのもなくなります。

さて。
今週は月曜日と火曜日が休みでした。
火曜日が国の祝日だったのですが、月曜日は飛び石にならないようにということでお休みになったのです。

ただ、ベラルーシの場合は振替休日ならぬ、振替就業日があります。
多くの会社では月曜日を休日にする代わりに、今週の土曜日は普通に出勤する日としています。
ここ数年、こういうのが多いです。
土曜日に私の教室に通っている人がみんな休んじゃうので、困っています。

月曜日、私としてはうちでゴロゴロしていたかったのですが、たまには家族サービスを、ということでピッツェリアに行ってきました。
行ったのはピッツェリア「カラブリア」
以前もこのブログで紹介したことがあります。
2014年11月2日「ピッツァとパスタの欲張り作戦、失敗に終わる」

IMG_1269[1]これはベロニカちゃんが注文した七面鳥のレバーのサラダ。
このカラブリア、普通のピッツェリアなのですが、不思議なメニューがあるのです。
私も食べましたが、鶏のレバーと変わらないように思いました。
まあ、おいしかったです。

IMG_1270[1]これは私がいつも注文する牛肉のカルパッチョ。
普通においしかったです。
岩塩をガリガリと、コショウもガリガリと。
こういうプロセスって、楽しいですね。

IMG_1271[1]これはフォカッチャなのですが、ピザ生地にニンニクとか、バジルとか。
前にも書きましたが、イタリアのフォカッチャって、ピザ生地ではないと思うのですが・・・
でも、何気にこれが一番おいしかったかも。

IMG_1272[1]IMG_1273[1]ピザは左が生ハム、右はパイナップルがのったハワイアンです。
生ハムはそのまま単品で注文すればよかった!
以前はパイナップルが入った料理は絶対に受け付けなかったのですが、最近は心が広くなったのか(←もともとがかなり狭いので)、普通に食べられるようになりました。

IMG_1265[1]ベロニカちゃんと龍二くん、仲良くジュースを飲んでいます。
テーブルの上のろうそくのせいか、プリクラっぽくぼんやりした写真ができました。
これはこれでいい感じ。

IMG_1277[1]IMG_1282[1]これは龍二くんが撮影した写真です!!!
将来、カメラマンになれるかな?



IMG_1285[1]帰り道で。
龍二くん、ピッツェリアでもアイスクリームを食べたのに、帰る途中でまたアイスクリームを所望。
風が強く、結構寒い日だったのに、アイスクリームを食べながら外を歩くとは・・・
やはりベラルーシ人の血が入っているんですね。

4月末から5月初めにかけては、日本と同じく、ベラルーシも祝日があります。
メーデーや戦勝記念日などです。
ゆっくり休みたいなあ・・・
次の休みまでがんばろう!!!

akiravich at 05:14コメント(2)トラックバック(0) 
ベラルーシの食生活 | レストラン・カフェ
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