2008年03月

2008年03月31日

024f1920.JPG現在、ミンスク時間、12月31日午前0時。
今日、僕とベロニカちゃんは2回目の結婚記念日を迎えました!

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日記 
4ff0b746.JPG今日は天気が良かったので、うちの奥さん、ベロニカちゃんと散歩してみました。
うちから歩いて5分のベラルーシ国立図書館に入ってみました。
写真は図書館内部の入口付近です。

今日からサマータイム。
つまり、時計を一時間すすめなければならないのです。
明るいうちに仕事をして、夜は早く寝るようになるから、結果的に省エネにつながると言われています。
でも、生活リズムが狂うので、健康によくないという説もあります。

今日は9時に起きたのですが、サマータイムに入る前の時間で言うと8時なわけです。
つまり、一時間睡眠を強制的に減らされるということなのです。
でも、これって、貯金のようなもので、サマータイムが終わるときは、逆に一時間多く寝られる計算になります。

日曜日の朝はいつも家庭教師。
アーニャちゃん(15歳)のうちまで行って、日本語の授業です。
普段は学生には僕のうちに来てもらうんですが、彼女の場合はお母さんのお願いで、週に一度彼女のうちまで行って教えているんです。

実は昨日の夜、知り合いの映画監督にレストランに招待されて、アニメグループの授業が21時に終わった後に、ベロニカちゃんと出かけたんですよ。
その上、サマータイムで一時間、損してるし。
ちょっと眠かったです。

昨日の金髪の話の続き。
アーニャちゃんにその話をすると「私も子どものときは金髪だったんです」
今は普通の茶色の髪なんですけどね。
冗談で「それはつまり、アーニャさんは子どものときはバカだったんだけど、今は頭がよくなったということですか?」と聞くと、彼女は爆笑しながら「違います!」と答えていました。

この国って、こうゆう冗談通じちゃうんですよね。
こんなの、日本人に言ったら、一発で嫌われそうですけどね。
実際、こっちに住み始めてから、ベラルーシ人と話すペースで日本人と話して、すごく怒らせてしまったことあります。
学生達は「先生ははっきりものを言うし、冗談もどぎつくて、日本人らしくないですね」と言います。
友達の若手俳優からは「お前のユーモアのセンスは最高だ」とお墨付きを頂いています。

冗談の許容範囲って、どこまでがOKか、微妙ですよね。
日本人と話して感じるのは「日本人ってこんなに怒りっぽかったかな」ということです。
傷つきやすいというか。

そうそう、サマータイムの話でした。

そういえば、昔、変な時計を持ってたんですよ。
8年前、ベラルーシに来たとき、目覚まし時計がなかったので、ЦУМ(ツム)というデパートに買いに行ったんです。
小さい四角の時計で、目覚ましのメロディーがカチューシャというベタな時計。
で、うちへ帰って、早速使ってみたんだけど、時計がすぐ止まってしまう。
単三電池を入れたばかりなのに、どうしてだろうと、いろいろやってみたんですが、全然ダメで。

仕方なくデパートに持って行ったら、その謎が解けました。
というのは、電池は文字盤を照らす内蔵のランプのためのもので、時計そのものはねじを巻かないといけなかったのです!
ある意味、ハイブリッド。
電池入れるんだから、時計も電気で動かせばいいのに。
カルチャーショックでしたね。

そんなナイスな時計を作っているのが、ЛУЧ(ルチ)という時計会社です。
もともとはソビエト時代の「ミンスク時計工場」が前身です。
いろんなタイプの時計を作っているようです。
でも、今は輸入物の時計が人気で、ベラルーシ国産の時計を買う人はそんなにいないんじゃないかしら。
ある意味、珍しい時計ですよね。
変な時計や珍しいメーカーの時計を集めているマニアの人とかがいたら、ぜひお勧めしたいですね。

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ベラルーシの文化 | ベラルーシ人

2008年03月30日

今日の夕方、最高に馬鹿らしい番組を見ました。
タイトルは「50人の金髪女」というクイズ番組です。
内容はタイトルそのまんまで、50人の金髪女性がクイズに挑戦するというものです。

さあ、どうして、こんな番組が成り立つのか。
実は「金髪の女性は頭が悪い」とよく言われているからなのです。
ヨーロッパでは昔からよく言われているらしい(?)のです。
ベラルーシでも昔から言われていたのですが、ここ数年、金髪女性に関する冗談や小話を聞くことが非常に多くなったのです。

「金髪はバカ」だなんて、失礼な番組ですよね。
でも、出演していた女性たちは結構楽しんでいたようで。
これが日本やアメリカだったら、成立しない番組でしょうね。
差別がどうとか言って。
それって、受け取る側の方にも問題があるような気がするんですけど。
少なくとも、その番組では怒っている人はいなくて、みんなケラケラ笑ってました。

ミンスクの町を歩いていても、よく金髪の人を見かけます。
でも、本当の金髪なんて、ほとんどいないんですよね。
みんな、染めてるんですよ。
本当の金髪を見たことって、ほとんどありません。

そういえば、うちの2年生のカーチャちゃんは金髪だなあ。
すごいキンキラキンの金髪じゃないけど、栗毛っぽい金髪だなあ。
2年生の授業で「金髪がバカって本当?」って聞いたら、カーチャちゃんが「私、金髪なんですけど、どう思います?」って聞かれて、みんな爆笑していたことがあります。
彼女も特に怒ったりすることなく、笑いながらでしたけどね。
そう言われるのに、慣れている感じでした。
実際の彼女はがんばりやさんです。
すごくきれいなんだけど、やせていて。
折れそうなぐらい。

まあ、それはいいとして。

金髪やニセ金髪に関する小話(ロシア語で言うとアネクドートですね)はたくさんあります。
例えば・・・

夜、パリの川辺で、二人の金髪女が話していました。
「ロンドンと月、どっちが近いと思う?」
「そりゃあ、月に決まってるじゃない。月は見えるけど、ロンドンは見えないんだから」

でも、「金髪はバカ」というのはやっかみも入っている感じがします。
金髪が好きなのは、日本人の男だけではなく、ベラルーシ人の男もそうですし。
で、女の子達が金髪をバカにするのは、自分の髪が金髪じゃないからという説もあります。
じゃなかったら、わざわざ自分の髪を金髪に染めないでしょう。

ニセ金髪についても小話があります。
「最近、金髪女性の間で流行っているのは、髪の根元を黒く染めることだ」
つまり、ほとんどが偽者だということを言いたいわけです。

僕は一度、本物の金髪の女性とデートしたことがあります。
まあ、デートというか、知り合いが紹介してくれた女性だったのですが(独身時代ですよ!)、確かに金髪は金髪だったんですよ。
でも、髪がきれいならばいいというわけじゃありませんよね。
精神的に不安定な感じの人で、一緒に喫茶店に行ったのですが、周りの知らない人に話しかけたりして、僕が恐縮するというわけのわからない状況になってしまいました。
でも、彼女は頭よかったなあ。
頭よすぎて、ちょっと壊れちゃってる人っていますよね。
そんな感じでした。

金髪にもいろいろいるんでしょうね。
髪が美しいのはいいことですよ。
金髪じゃなくて、バカだったら、どうするんでしょう。
「栗毛はバカだ」とか、「赤毛はバカだ」とか言われないのは、逆にみんな金髪にあこがれている証拠なんじゃないでしょうかね。
髪の色で人を判断しちゃいけませんね!
おあとがよろしいようで(←よろしいのか!?)

でも、世の中って、ステレオタイプで成り立ってるって感じ、しません?

たぶん、日本人は染めた金髪と本物の金髪の見分けすらつかないんじゃないでしょうか。
根元を見てください! 根元を!
どうがんばっても、根元は隠し切れません。
まあ、見分けたところで、どうなるわけでもないですけど。

ちなみに、僕は赤毛の女性にはなぜか気に入られることが多いです。
うちの奥さんも赤毛だったんですよ。
で、最近、色が変わってきたんです。

そうそう、こっちの人って、年齢とともに髪の色が変わることがあるんですよね。
珍しいことじゃなくて。
僕の昔の学生でナースチャちゃんっていう子がいたんですけど、彼女の子どものときの写真を見てびっくり。
すごい超金髪で、今とは別人。
今は超赤毛だし。
本当に変わるらしいですよ。

ベラルーシで一番多いのは栗毛でしょうか。
本当は金髪もかなり多かったらしいのですが、いろんな血が混ざっていくうちに、少なくなったのでは、とはうちのベロニカちゃんの意見。
黒髪はいないです。
ベラルーシで見かけるとしたら、他の国の出身の人か、染めている人です。
染めていると不自然な黒色なので、すぐにわかります。
染めているのは普通の人もいますが、ヘビメタ系とか、悪魔崇拝の人たちが多いですね。
僕が道を歩いていたとき、すれ違いざまに「すっげえ黒い! うらやましい・・・」と、そっち系の人に言われた事があります。

「外国人=金髪」という風に考える人が多いのは、マリリン・モンローの影響かと思うんですが・・・

ちなみにベロニカちゃんの妹は美容師。
髪の色がオレンジ→赤→青→オレンジ、としょっちゅう変わります。
僕は彼女のキューティクルが心配です・・・

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ベラルーシ人 

2008年03月29日

1c770f85.JPG今、お客さんが帰ったところです。
お客さんはモギリョフというベラルーシの東にある町から来たダーシャちゃん(15歳)とそのお父さん。
僕が今年の2月にモギリョフで折り紙をやったときにすごくお世話になったんです。
晩ご飯まで御馳走になっちゃって。
なので、今日はそのお礼を兼ねて、うちで日本料理を御馳走したのでした。
写真、撮るの忘れた!

今日はセルゲイとの最後の授業でした。
彼は4月1日にモスクワ経由で日本へ向かいます。
そして、一年間大阪大学で日本語を学び、それから、4年間日本の大学で勉強するのです。

とてもうれしいことです。
が、同時に別れは寂しいものがあります。
いつもだと、1年間の留学ですから、別れと言っても、またすぐ会える気がするのです。
しかし、今回は5年。
次はいつ会えるのか・・・

「今日は最後の授業ですね」と言いながら、泣きそうになりましたよ!
僕ももう34歳。
すっかり涙もろくなりました。

いつも、彼は授業が終わっても、何か話しのネタを見つけてなかなか帰ろうとしないのです。
今日は僕も彼に帰って欲しくなかったなあ。
彼が言った言葉は「先生は世界で一番いい先生です」
これ以上の言葉はないでしょう。
僕は「いや、日本へ行けば、もっといい先生はたくさんいるよ」
セルゲイ「いや、そんなことはありません」
僕が言う「もっといい先生」というのは、テクニックやそうゆう面でのことです。
彼に言ったのは「日本へ行けばもっといい先生はいるけど、俺に似ている先生は絶対いないよ」ということ。
それは自信を持って言えます。

セルゲイ君は「先生は私のことをいつも気にかけてくれました。そうゆう先生は他にはいません」
でも、それって当然のことだと思うんだけど。
その当然のことができない人って多いと思います。

セルゲイ君は自分で自主的に勉強するタイプで、全くの手間いらず。
「俺がいなくても、君は日本語が上手になっていたと思うよ」とよく言っていたのですが、今日、彼は「先生はよくそう言いますが、先生がいなかったらこんなに頑張らなかったと思います」と言ってくれました。

いやあ、俺は本当に泣いちゃうよ!
今、書きながら泣きそうですもん。

こんな話しを書くのはどうかと思いますが、僕は今、怒っていることがあるのです。
今、僕が勤めているのと別の大学で教えている先生が今、恐ろしいスピードで日本語の授業を進めているのです。
1年生の終わりまでに「みんなの日本語」という教科書を第25課まで終わらせようとしているのです。
ちなみに、僕がやると大体第19課ぐらいまでが普通です。
それは、プログラムに書いてあるからとか、何か理由があるのでしょう。
一学期がかなりゆっくりなスピードで進んでいた、と聞いているので、その遅れを取り戻す意味もあるのでしょう。
でも、学生たちは明らかについていっていませんし、みんな苦しんでいます。
それは、うちに来ている数人の学生がはっきり言っていることです。
早すぎて、全く自分のものにならないうちに次のテーマが始まってしまう、と。

最初に立てたプラン通りに授業を進めたりするのは大事なことなのでしょうか。
学生達が苦しんでいて、全く理解できないまま、先を急ぐこと。
それって、どうなんでしょう。
ある先生はいつも「報告書、書かなきゃ」とか、「こんなプラン、○○基○に報告できません!」とか言ってました。
そうゆう先生って、紙を見ているだけで、学生を見ていない感じがします。
授業やらないで報告書だけ書いてればいいんじゃない?って感じです。
プランどおりにやることが大事で、学生のためになっているかどうかは関係ないのでしょう。

今まで、いろんな人、いましたよ。
女子学生を男のストリップに誘った女性の先生もいました(断りきれず、学生は一緒に行きました)し、夜の街に女の子を漁りに行き、自分の学生にばったり会って、バタバタ逃げ去った先生(既婚者)もいました。
そんなの人として、どうかと思いますよ。
確かに彼らはいい日本語教師だったのかもしれません。でも、彼らを教育者とは呼べません。
教えるのがどんなにうまくても、日本語を教えることと、人を教えることは違うものではないでしょうか。

僕が高校生のときに読んだ本の中にこんなことが書いてありました。
「すばらしい音楽家である以前に、すばらしい人間でなければならない」
正確な語句は覚えていませんが、大体こんなことだったと思います。
これはチェリストのパブロ・カザルスが言った言葉です。
僕は自分がすばらしい人間だとは思いませんが、僕は学生をストリップに誘ったり、女の子を漁りに行ったりはしません。

僕は僕のやることだけをやればいい、とは思うんですが、今日は言いたいことを言いたくなりました。
今、困っている学生達には「先生に相談してみれば?」とは言っておきましたが、学生たちは「私達が言っても聞いてくれないと思います」と悲観的な答え。

先生という職業は、学生のためにあるので、プログラムや報告書のためにあるのではないのです。
なぜこんな当然のことがわからないのだろうか・・・

セルゲイ君との心の交流。
それは学生と先生という枠を超えたつながりだと思います。
彼の成功を心から願ってやみません。
大阪に行っても、がんばれよ!

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日本語教師の仕事 

2008年03月28日

b00ee1a7.JPG長崎の鐘の写真です。
教会の敷地の端のほうに、ひっそりと立っています。
見落としそうなくらいです。
よく小学校や中学校の子どもが見学に来て、先生達が広島・長崎の話をしているところを見ます。

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ミンスク | ベラルーシ観光
05beb379.jpg今日は朝からバタバタ。
うちの大学の偉い人のところへ行って、日本のある大学との交換留学について話し合い。
緊張しましたが、その人、とても優しかったので安心しました。

うちの大学の本部があるのは、「独立広場」という所。
写真を撮ってみました。
今日は一つ観光スポットを御紹介します。
ベラルーシの観光地を紹介することは、このブログの目的の一つでもあります。
でも、特にミンスク市内はほとんど見るものないんですよね。
時々、通訳の仕事をするとき「午前中 ミンスク観光」などとスケジュールに入っていることがあるのですが、車でなんかまわったら1時間半ほどで観光、終わっちゃいますよ。

ミンスクの中心にあるのが独立広場。
昔は「レーニン広場」と言ったんです。
数年前、地下鉄の駅の名前だけ独立広場からレーニン広場にもどされちゃって。
「独立広場にあるレーニン広場駅」というよくわからない状況になってます。

写真の「聖シモン・エレーナ教会」は通称、「赤い教会」と呼ばれているところです。
ポーランド系のカトリック教会です。
ミンスクのシンボル的な存在です。

建てられたのは1905年から1910年。
ベラルーシの大地主だったエドヴァルド・ヴォイニロヴィッチという人が建てたんですが、ここには悲しい物語があるのです。
シモン(ベラルーシ語。ロシア語だと「シメオン」だそうです)とエレーナというのは彼の子ども達の名前。
シモンは12歳のときに病気で亡くなり、その6年後、エレーナは18歳で亡くなっています。
彼らの記憶を永遠のものとするために、ヴォイニロヴィッチは全財産をなげうって、この教会を作ったのです。
ソビエト時代にはいろんな宗教的な建物が破壊されましたが、この教会は奇跡的に生き残ったものです。

この教会では主にポーランド語で礼拝が行われています。
当然、僕には全くわかりません。
時々、ベラルーシ語でもするそうですが、いずれにしても、僕にはわかりません。

ここの一番偉い人、ザヴァリニュックさんは、僕、知り合いなんですよ。
というのは、この教会の敷地内にある「長崎の鐘」を造ったときに、僕、通訳してたんです。
まあ、メインの通訳じゃなくてサブですけど。
その後も、この「鐘」がらみで一回仕事をしました。
ザヴァリニュックさん、ロシア語できないんですよ。
もともとリトアニアの人で、話す言葉はリトアニア語とポーランド語のミックス。
そこに少しベラルーシ語が混ざる感じ。
「すみませんが、ロシア語でお願いします」と言うと、がんばってロシア語話そうとしてくれるんですが、まるで意味なし。
でも、すごくいい人なんで、僕は大好きです。
ベラルーシでもかなりの有力者だということは後で知ったんですけどね。

その仕事のとき、何度か、教会の敷地内にある彼の住居でごはんを御馳走になりました。
すっごいおいしかったんですよね。
あんなおいしい食事を食べられるなんて、いいなあ。
教会というともっと質素なイメージがあったんですけど、全然そんなことなくて。

長崎の鐘が造られたのは2000年の秋。
チェルノブイリの関係で、この国では日本へシンパシーを感じている人が多いんですよ。
これは長崎のカトリック教会からのプレゼントなのだそうです。
とは言っても、日本からこんな巨大な鐘を持ってくることはできませんから、複製品をベラルーシの南にあるゴメリという町で作ったのです。
メモリアルプレートがあるのですが、ベラルーシ語でしか書かれていないため、僕はわかりません。
日本語は「浦上天主堂」と書かれているだけです。
日曜日の礼拝のとき、正午に鐘を鳴らすのだそうですが、僕は聞いたことがありません。
長崎の鐘の写真も別に投稿します。

なんか、今日はまじめな話でした。
昨日のが変な話だったんで。
怒りのコメントとか来るかなあ、と思ってたんですけど、来なかったんで、また似たようなテーマで書こうかと思います。

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ミンスク | ベラルーシ観光

2008年03月27日

e0da7ee5.JPG今日の写真は、うちの奥さんが作ったバッグです。
自分で絵も描いて、自分で縫ったんですよ。
このパンダ、僕の似顔絵だそうです・・・

今日はすごく疲れました。
6コマですから。

今日の2年生の授業、昨日と同じ「生きる」という詩を読んだのですが、また一人、女の子が号泣。
ベラルーシには素直な子が結構いるんだなあ。
うちの奥さんもそうゆうタイプだけど。
授業中に、詩を読んで泣いちゃう子なんて、日本でいるんだろうか?

さて、今日のテーマは、僕が前から書きたかったことです。
ちょっと、書くの怖いんですけど・・・

実はかつてこんなことがあったんです。
言語大の日本語の授業に、突然、日本人男性が現れました。
彼は海外に留学中で、旅行の途中でベラルーシに立ち寄ったというのです。
「立ち寄った」という割には、一週間もいたそうなんですけど。
彼は教室に入って「日本語を勉強している学生と交流したい」「少しでも日本人と話して、生の日本語に触れる機会を作ってあげたい」と言いました。
そして、彼は学生達と友達になったのです。

皆さん、予想つきますよね、彼の本当の目的。
彼は滞在中、マンションを借りて住んでいました。
もうわかりますよね。
彼は女子学生を自分の部屋に招待し、関係を迫ったのでした。
その女子学生は一人で彼のところに行ったのですが(一人で行くなよ!)、最初は普通の話で、そして、だんだん遠まわしにモーションをかけてきたそうです。
そして、仕舞いにはあからさまに彼女をベッドに誘おうとして、服も脱ぎ始め・・・
でも、その彼女はかなりのつわもので、そんなことには全く動じず、あまりのばからしさに爆笑して、半裸の彼を置き去りにして部屋をあとにしたのでした。
彼女はその話をしながらケラケラ笑ってました。

何やってんでしょうかねえ。
僕は日本人として恥ずかしいです。
最初から「結婚したい」とか、そうゆう目的でベラルーシに来るほうがよっぽど筋が通ってますよ。
「学生のため」とか、そうゆうことを言うのが僕は許せないのです。
やり方が汚いですよね。
その後もそうゆう人、来ましたね。
うちの授業にも来ました。
まあ、彼はその半裸の彼よりはソフトだったのですが。

他にも、似たような例はありますよ。
例えば、日本から来た留学生がうちの授業に遊びに来て、うちの学生のことが好きになって、追い掛け回して、結局、絶交されたり。
はっきり言って、彼の行動はほめられたものではなかったです。
最近、うちのクラスの女の子達が、その留学生の話題を出してきて。
「彼は『彼女が欲しい』と思っているだけで、相手は誰でもいいという感じだから、すごく嫌な感じがしました」とか、「見ていてすぐわかるほど、あからさまに女を欲しがっている感じで、そんな人とは友達としても付き合いたくない」とか。
やっぱり、どこに行っても、がっついている男は好かれないのでしょう。
そんな男が日本でもてるとは思えません。

もちろん、日本人男性もそんな人ばかりではありません。
例えば、私の知り合いのHさんはベラルーシ人の奥さんとすごいラブラブです。
本当に仲が良くて、最高にいいカップルです。
他にも、ベラルーシ人女性と結婚している素晴らしい日本人、数人知っています。

よく「日本人男性は外国ではもてない」って言いますよね。
でも、それって、その人次第なんじゃないかなあ、と思います。
その人がしっかりしていれば、国籍とか民族とか関係ないと思っています。
確かにアジア人に対する差別的な態度をとる女性もいますよ。
でも、僕なんかは「そんな女はこっちから願い下げだ!」ぐらいの気持ちはもっていました。
男は男らしくなくちゃ、ね。

本当はここに書けないようなネタもあるんですけどね。
誰が読んでるかわからないし、今日はちょっと抑え目に書きました。
何度か「先生の学生、紹介してくださいよ」と言われたことがあります。
そうゆうときはソフトに断るようにしていますが、心の中ではキレてます。
学生が自然に日本人とどこかで出会って、それが恋愛に発展するんだったらいいんですけどね。
あからさまにそうゆう目的で接触を図っている場合、教師としても、人としても紹介する気にはなれないですね。
世界の何処に、自分の生徒を恋愛対象として他人に紹介する教師がいるでしょうか!?

今、うちの奥さんが言っているのですが「ベラルーシ人女性が日本人男性を利用する
ケースもあるからねえ」
確かに。
結局、ベラルーシ人にもいい人・悪い人がいるし、日本人にもいい人・悪い人がいるってことですかね。
おあとがよろしいようで(よろしいのか?)。

今日、うちの4年生、ナージャちゃんが日本語能力試験の結果を受け取りました。
見事、一級合格!
やったね!

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ベラルーシ人 

2008年03月26日

b1f7cbb8.JPG今日は雪です。
完全に冬に逆戻りした感じ。
湿った大粒の雪がずっと降り続いていました。
うちの田舎の天気に似てるなあ。

今日は4年生の授業。
学生が作ってきた例文をチェックして、教科書の語彙を勉強。
「もむ」という動詞があったんですが、ロシア語の訳文を言わないで、ジェスチャーでそれをやって見せると、みんな大爆笑。
自分では「肩をもんだ」つもりだったのですが、学生たちは「先生、今日は何かいやらしいです」(しかも日本語で!)と言われてしまいました。
そんなに怪しい手つきだったのでしょうか・・・

そして、二コマ連続の授業の最後に日本の現代詩を読んでみました。
谷川俊太郎の「生きる」
知っている方も多いかと思います。
「生きているということ いま生きているということ」から始まる詩です。
生きていることの諸相を簡明な言葉で描き出した名作だと思います。

「泣けるということ 笑えるということ 怒れるということ 自由ということ」
それは生きているからこそできること、悲しいこともうれしいことも、全て「生きる」ことに他ならないのだということ。

ここに全部掲載するの、まずいですよね、許可とか取らないと。
ぜひ読んでみることをお勧めします。

実は今の4年生が1年生だったとき、この詩を僕が翻訳したものを読ませたことがあるんですよ。
でも、ロシア語にすると全然違うものになってしまうんです。
たくさんの砂をすくおうとして、指の間から砂が滑り落ちていく感覚に似ています。
日本語ですばらしい詩もロシア語にするとまったくダメだったりして、ロシア語に合う詩を見つけるのはなかなか難しいのです。

詩を読んでいて、うちの学生、ベロニカちゃん(うちの奥さんと同じ名前です)の様子がおかしい。
「皆さん、泣かないでね」と冗談で言ったつもりだったのに、ベロニカちゃん、号泣。
それほど、心に迫るものがあったのでしょう。
「気に入りましたか?」と聞くと、みんなうなづき、ベロニカちゃんは泣きながら何度もうなづいていました。

こんな瞬間があるから、日本語教師をやっていられるし、やっていたいし。
こんな瞬間には、学生達を心から愛しいと思います。

実はこの詩には忘れられない思い出があります。
4年ほど前、僕のところに知り合いの17歳の女の子から電話が来ました。
「今も病院とかに行って、折り紙やってるの?」「うん、やってるけど」「じゃあ、私のクラスメイトが入院してるんだけど、行ってあげてくれない?」
その子が入院している病院はミンスク郊外にある「小児がんセンター」
その女の子の名前はナースチャ。
ガンが肺やいろいろな臓器に転移してしまっていて、残された命はわずかでした。
実は僕はその病院には何度か行って折り紙をやっていたのですが、2年ほど御無沙汰していたのです。
というのは、最後にそこを訪れたとき、うちへ帰ってからひどくうつになり、その病院へ行くのが怖くなってしまったのです。

でも、僕は勇気を出して、2年ぶりに行くことにしました。
彼女の病室に入ると、彼女は笑顔で迎えてくれました。
抗がん剤の副作用で、髪は一本もありませんでしたが、笑顔が素敵な女の子でした。
話はただの世間話。
「ベラルーシでの生活はどう? 日本と違うでしょ?」「正直、すごく大変かな」「そう、がんばってね」
って、僕のほうが慰められたりして。
みんなに優しくて、みんなが彼女から逆に元気をもらっていたと、彼女の家族は言っていました。

ナースチャはその2ヵ月後に亡くなりました。
17歳。

こんなときに「かわいそうだ」などと言うのは、適切ではないし、失礼だと思いました。
そもそも、「かわいそう」という言葉の中には、何か不遜なものが隠れているような気がしてなりません。
むしろ、彼女はみんなの愛に支えられて、幸せだったのではないでしょうか。
彼女のことはみんな忘れたりはしないでしょう。
僕も一生忘れません。

ちょうど、その頃、この「生きる」という詩を読んでいたのです。
彼女がなくなった翌日の土曜日、僕は大学で授業があったのですが、同僚に頼んで、授業を代わってもらいました。
しかし、寮の部屋に一人でいるとき、「これではダメだ」と思い、僕は大学へと向かいました。

二コマ目の授業中に、僕が教室に入ったとき、みんな元気に「こんにちは」と言いましたが、一人の女子学生だけは驚いた表情をしていました。
それは、彼女だけは僕がおかれていた状況を知っていたからです。
「先生、どうしてこんなに辛いときに授業に出てきたんですか?」と彼女の目は語っていました。
辛いときだからこそ、やらなければならないことがある、のです。

そして、授業の内容を変更して、この「生きる」をみんなで読んだのです。
あのとき、僕が読んだ「生きる」は本当に心からの「生きる」だったと、学生たちは言ってくれました。
あんな風に読むことはもう二度とできないでしょう。
でも、この詩を読むときはいつもナースチャのことを思い出します。

せっかくなので、明日の2年生の授業でも、みんなで読んでみたいと思います。

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日本語教師の仕事 | チェルノブイリ

2008年03月25日

dad19cb8.JPG今日は昨日のパーティーの後遺症があまり残らず、割とすっきりした朝を迎えました。
それにしても、寒い!
2月なんかは、ほとんど春みたいに暖かかったのに、今日は吹雪!
それも湿った雪なので、体に沁みる寒さです。
っていっても、僕は今日、うちの外に一歩も出ていないので、推測ですけど。

今日の写真はうちのベロニカちゃんが勉強しているところです。
今、日本語勉強中。
僕がよく日本から送ってもらったビデオを見ているので、日本語を聞いている分にはかなり理解できるんだけど、話すのはまだまだ。
普通の学生と同じように教えています。
でも、僕がかなり忙しいので、なかなか前に進まないんだけど・・・

今日は言語大の女子学生二人がうちに来ました。
授業についていけないので、教えて欲しいと。
できる学生を教えるのもいいですが、できない学生を教えるのも、先生としては腕の見せ所というか、面白みがあります。
そうゆう学生がどんどん良くなっていくのを見るのは、気持ちがいいものです。
実際、うちの大学の学生も一人、そうゆうのがいます。
がんばってるんだけど、全然ダメで、うちに来始めてからすごく良くなった子。
言語大の学生達も何とかなるでしょう。

そもそも僕が日本語教師になろうと思ったのは、初めて行った外国、ハバロフスク(ロシアですよ)でのことでした。
一緒にロシア語を勉強していたおじさんと行ったのですが、行った所は子どものサマーキャンプ。
そこのサマーキャンプを所有している企業家がそのおじさんの友達で、彼は毎年、そこで一週間ほどバカンスを楽しむのです。
旧ソ連圏では、夏休み中、子ども達が親元を離れて、サマーキャンプで生活することが多いのです。
もちろん、夏休み中ずっとじゃありませんよ。
キャンプと言っても、テントで生活するのではなく、よくある「少年自然の家」みたいなのを想像していただければ。

そこで、僕はたくさんの子ども達と遊びました。
もともと、子どもなんて好きじゃなかったのに、ロシアの子ども達とは妙に馬があうというか。
今、僕は時々ベラルーシの病院や学校で折り紙を教えたりしてますけど、そのサマーキャンプでやったのが初めてです。
で、子ども達といろんな話をしたんですが、彼らは日本のことを全く知りませんでした。
すぐ隣なのに。
そこで、こうゆう人たちに日本語を教えて、もっと日本を知ってもらえたらいいなあ、と思うようになったのです。

そして、日本で日本語教師要請講座に通いました。
ロシア語の勉強もしつつだったので、成績はそんなによくなかったですが、それなりにはがんばってました。
その時に思っていたのは、ロシア語圏にはロシア語も日本語の教育も、どちらもできる人がほとんどいないということ。
つまり、ロシア語はわかるけど、日本語を教える勉強はしたことがない人、日本語教師の勉強はしたけど、ロシア語がわからない人、どちらかなんですよ。
どちらもできる人、僕は会ったことがありません。
どこかにいるとは思いますけどね。
これはチャンスだ、と思いましたね。
他にそうゆう人がいなければ、仕事するチャンスはある、と。

日本語教師って、日本語で話していればいい、と思っている人いませんか?
全然、そんなことないんですよ。
文法とか音声学とか、いろんなこと知らないとできないんです。
でも、特にロシア語圏には「私は日本人だから、日本語を教えられる」と勘違いしている人が多いんですよね。
ただの日本人。
こっちの学生に「外国人にロシア語を教えることができますか?」と聞くと、「絶対できません!」とほとんどの学生が言います。
ロシア語を知っていることと、人に教えることとは全然違うのだということがわかっているからです。
でも、同じ質問を日本人にすると、よく返ってくる答えは「もちろん、プロではないけど、できなくはない」と言う人、多いんですよ。

日本語教師って、直説法(日本語だけで授業をする方法)を使っている人が多いんですけど、僕はロシア語、使いまくります。
だって、文法の説明を日本語でするには限界がありますもん。
こっちでも、日本語だけの先生いましたけど、彼らが教えた後で僕が尻拭いするような感じです。
直説法で習った学生に、一から文法を説明することはよくあります。
学生たちはわかっていなくても「はい、わかります」と先生には答えているようで、「どうして『わかりません』って言わないの?」と聞くと、学生たちは「だって、わかりませんって言っても、あの先生、説明できないから」
ベラルーシではロシア語ができない外国人教師は非常に低く評価されます。

直説法って、万能じゃないと思うんですよね。
合う人と合わない人がいると思います。
8年前に僕がここで初めて授業やったとき、直説法でやったんですが、そのとき「この国では直説法は合わない」と理解して、それ以来、ロシア語を使って説明してるんです。

でも、日本語教師のプロの方たちはそう思っていないようで・・・
以前、偉い(あるいは偉そうな)先生に僕の授業を見てもらって、クソミソに言われたことあります。
その理由は簡単。
僕がロシア語を使うからです。
内容についてはほとんどコメントしないで、直説法を使わなければ日本語教師じゃない、というくらいの勢いで全否定されました。
そうゆう人たちにはうちの学生を見てもらいたいです。
方法はどうでもいいんですよね、学生がよくなりさえすれば。

何かまじめな話で、すみません。
いろいろ異論はあるかと思いますが、僕は自分の信念を持って、ロシア語を駆使した授業にしています。
日本語教師の人がこれ読んだら、怒るかなあ・・・

今日、うちの4年生、ターニャちゃんから連絡があって、日本語能力試験1級に合格したそうです!
おめでとう!

akiravich at 05:00コメント(4)トラックバック(0) 
日本語教師の仕事 

2008年03月24日

42239793.JPG今日はパーティー。
あの若きセルゲイが4月1日に日本へ行ってしまうので、そのお別れ会ということだったんですが、ちょっと違う感じのパーティーになりました。
というのは、モスクワでロシア語を勉強しているTOMOさんがミンスクに来ていて、その御相手をうちの学生がやっていたのです。
なので、一緒に飲みましょうということで。

いやあ、楽しかった!
TOMOさん、楽しい人でした!
っていっても、一回り違うんですけど、僕はそんなに感じなかったですね。
感じたほうがよかったのかなあ・・・
実は彼女、僕がロシア語を勉強していたときに参加していた学生演劇集団「コンツェルト」のメンバーだったんです!!!!!!
いやあ、こんなところでコンツェルトの人間に会うとは思わなかったなあ。
いろいろ、思うところはあります。
コンツェルトがなければ、僕の人生は変わっていたと思いますから。
TOMOさん、また会いたいですね。
招待状、とりますよ。
今度はゆっくりベラルーシを満喫してもらいたいです。

実は今日は朝から夫婦喧嘩で、パーティーどころではなかったのです。
けんかはもちろん、ロシア語です。
実はロシア語のほうがケンカしやすいんですけど。
今、お客さんが帰って、ようやく正常化したところです(仲直りという言葉は今回のケンカの場合あてはまらないので)。

そうそう、なんででしょうね。
僕、こっちで日本語できれるとき、大阪弁になっちゃうんですよ。
「何いうとんねん!」と叫んだことが、一回あります(それは独身時代に付き合っていた彼女に対して。ベラルーシ人です)。
大阪の人が聞いたら、そんなの本当の大阪弁じゃない、と言われるんでしょうけど、ケンカのときって、大阪弁のほうが楽なんです。

まあ、それだけじゃなくて、僕の中には大阪に対する想い、すごくあります。

僕は今でも、いつまでも「南海ファン」です!!!!!
野球が好きな人は知ってると思いますが、今のソフトバンクホークスです。
本当に好きで、僕が中学3年の時にダイエーに身売りされたときは、泣きましたよ。
南海については、いつか書きますよ。
ダイエーとか、ソフトバンクとかは、ホークスではない! と思っています。

そして、やしきたかじんが好き。
中学生のとき「やっぱ好きやねん」とか、「ICHIZU」とか聞いてました。
中学生が聞く音楽じゃないですよね。
一般的には、ね。
でも、僕は大好きでした。
それから、クラシック音楽の道に入って、聞かなくなってましたけど、今、聞きたいです。

大阪といえば・・・
僕、中学時代、ラジオばっかり聞いてたんです。
その代わり、授業で寝てたんですけど。
出身、山形なのに、ラジオ大阪(「ぬかるみの世界」だったかな?)とか、RKB毎日放送(これは福岡ですけど・・・)とか聞いてましたね。
オールナイトニッポンはマイナーな人ばかり聞いてました。
例えば、そんなに売れていなかった伊集院光とか。
すごいおもしろかったですよ。

そして、僕が大好きだったのが片桐麻美。
知らないですよね。
オールナイトニッポン第二部のパーソナリティーだったんですけど。
北海道出身のシンガーソングライターで。
すごく心に沁みる歌を歌う人です。
山形で高校受験する当日も、2時半に起きて、彼女のラジオを聴いていました。
僕にとっては忘れられない歌手です。
CD、誰かに貸して返ってこないんですよね。
誰かも覚えていないし。
悔しいです。

南海ホークスも、片桐麻美も、コンツェルトも、いつか別個に投稿したいです。
日本を離れていると、愛しかったものが、より愛しく感じられます。

だいぶ、テーマと離れちゃいましたね。
パーティーは夫婦喧嘩の影響で、料理の数が少なくて、ちょっと納得いきませんでした。
TOMOさん、もう一度、うちに来てくださいね。

うちの2年生、クセーニャちゃんとアリーナちゃんがお菓子を作ってきてくれたんですが、すごくおいしかった!!!
あれだけ美人で、料理もできたら、日本へ行って大変なんじゃないかなあ。
もてそうな気配がプンプンしてます。

昨日は、一日にこのブログを読んでくれた人が20人を突破しました!
初めてです!
すごくうれしかったです!

今日はいい日でした。
すごい夫婦喧嘩だったけど、今、うちの奥さんは何事もなかったかのように、静かに本を読んでます。
知り合いのTさんからもメールがきたし。
久しぶりなんで、うれしかったなあ。

akiravich at 07:45コメント(3)トラックバック(0) 
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