2008年11月

2008年11月30日

今日はかなり楽な日。
レッスンは朝から一人、昼は二人、夜はアニメグループの2コマ。
計5コマ。
あ、あんまり楽じゃないや。

今日もアニメグループでお茶をやってみました。
火曜日にやったときより、泡が良く出ておいしそうなお茶が出来ました。
みんな、かなり喜んでました。
学生が帰った後、自分でもやって飲んでみました。
これからは積極的にやっていこう。
日本に帰ったら、お茶を習いに行きたいなあ。
いい先生を探さないと・・・

PB292264さて。
今日はとてもうれしいことが!
体脂肪率が20.7まで下がったんです!
今までピークのときで24.4もありましたから、これは進歩です!
体重計の評価も「標準」に。
今までは「軽肥満」という評価でしたからねえ。
初めて「標準」という表示を見ました。

私に会ったことがある人はわかるかもしれませんが、ちょっと太っている感じだと思うんですよ。
みんな「そんなことないよ!」と言ってくれますが、信じません!
学生はみんな「先生はやせていますよね!」と言ってくれるんですよ。
それに対して、私は「それは私が服を脱いだところを見ていないからだ。なんなら、ここで脱ごうか!?」
学生たちは「いいえ、結構です」と教科書で習ったとおりに、丁寧に断ってきます(←当たり前)。

学生が「やせている」というのは、ベラルーシ人と比べているからでしょう。
だって、ベラルーシ人の男性は体が大きい人が多いですからねえ。
食べ物が違うし。
でも、比べる対象がベラルーシ人ですからねえ。
「象と比べたら、どんなに太った猫もやせて見える」という論理でしょうか。

私の身長は174cm。
体重は72.5kg。
これでもかなり落ちたんですよ。
75kgあったこともありましたから。
目標は70kg以下。

PB292263私が使っている体重計はTANITAの「インナースキャン」です。
これ、すごいんですよ。
体脂肪率も体全体だけでなく、右腕・左腕、右足・左足、体幹部とバラバラに表示してくれるし、筋肉量も部位ごとに測ってくれます。
他に、内臓脂肪、骨量、基礎代謝、体内年齢が表示されます。

今日の昼、測ったときの私のデータを公開!(←誰も興味ないとは思うんですけど・・・)
体重 72.5
体脂肪 20.7
内臓脂肪 9.0(←今までの最高記録! 今までは9.5〜10でしたから)
基礎代謝 1612キロカロリー/日
体内年齢 31歳(←!!!)

体内年齢にはびっくり。
実は秋葉原のYドバシカメラで、初めてこの体重計にのったとき、体内年齢が45歳だったんですよ。
そのとき一緒だった指揮者の方が50歳以上なのに、31歳で。
私はかなりショックを受け、この体重計を手に入れて、リベンジしてやろう(←誰に?)と心に決めたのです。
31歳というのは、すごくうれしいなあ。

ちなみに、その秋葉原のYドバシカメラには、お試しで使えるようにとこの体重計が置いてあったのですが、女性の店員に「すみません。ちょっと使い方を教えてもらえませんか」とお願いしたとき、ものすごくひどい応対をされたんですよ。
何を聞いても返事をせず、必要なボタンだけ押してサッサと行っちゃうし。
ものすごく無愛想で、気分が悪くなりました。
なんか、日本に帰るたびに思うんですけど、レストランや店の店員の対応、年々ひどくなっているような気がするんですけど・・・
私、Yドバシカメラが大好きなので、すごくショックを受けました(←でも、日本に帰ったら、必ず買い物に行きますけどね。ポイントカードもあるし・・・)。

この体重計、仙台の方に頂いたものです。
活用させてもらっています。
どうもありがとうございました!

PB292271これは私が18歳の時の写真。
修学旅行で行った京都の旅館の部屋で撮りました。
すごいやせていたんですよ。
今と同じ、身長174cmで、体重が52kg。
今と20kgも違うんですね。
やせすぎだと思うんですけどね。
高校の廊下を歩いていたとき、知らない女の子に「どうやったら、そんなにやせられるんですか?」と聞かれたことがあったほどですから。
私の中では高校の時の体のイメージが強いんですよ。
だから、今はすごく太っている感じがして、嫌なんです。

こうなったのは、ベラルーシに来てからではなく、東京に住み始めてから。
自分で料理をするようになってからですね。
お酒もたくさん飲むようになったし(←特にビール!)、中華料理のような脂っぽい料理ばかり作っていたし。
夜中の2時だろうが、平気でビール飲んでラーメン食べてましたから、太っても当然。
あの頃が懐かしいなあ・・・(←言っていることが超矛盾)

東京に住み始めて3年、久々に山形へ帰ったときのこと、うちの父親の友人で、昔から知り合いだったTさんが経営している薬局に行ったんですよ。
薬局に入ると、Tさんの奥さんがいて「Tさんはいますか?」と聞いたら、奥さん「あの〜、すみませんがどちら様でしょうか?」
あれはすごくショックだったなあ。
もちろん、奥さんとも知り合いだったんですよ。
原型がないほど太っていたのでしょう・・・

やせるぞ!
目標は体脂肪率20以下、体重70kg以下。
高校の時の体型まではいかなくとも、もうちょっとやせないと、メタボが心配だし。
それに、かっこいい肉体を作りたいというのは長年の夢。
来年、現在留学中の三人の学生が私を見ても気づかないほどの肉体を作ろうと思います。
目標は棚橋弘至のようなセクシーボディです・・・

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日記 

2008年11月29日

今日は比較的静かな一日でした。
仕事がたまっていたので、朝のレッスンをキャンセル。
13時半からのレッスンも学生がキャンセルしてきたので、昼のレッスンは12時からの一つだけ。
あとは17時半から大学で5年生の2コマだけでした。

それにしても、最近、授業のキャンセルが多いなあ。
季節の変わり目で体調を崩したり、すぐイライラしたり、疲れやすかったりしてるんですよね。
ベラルーシではよく「体調が悪いのは天気のせいだ」という話を聞きます。
私も最近は天気が悪いときは体調が悪かったりします。

さて。
今日はベラルーシの家族のスタイルについてのお話です。
今日の5年生の授業で読んだテキストのテーマが「日本人の家族観」。
その中に、最近の日本では「家族そろって夕食をとる頻度は減少している」という項目がありました。
最初のところに「家族の食卓は、家族の絆を深める団らんの場であると同時に、子どもが規則的でバランスの良い食事をとる習慣や、食べる姿勢、食事のマナーなど、基礎的な食習慣を身に付けたり、社会性などを学習する重要な場と言えよう」と書いてありました。
ここを読むだけでも、日本人が家族みんなで食事を取ることを重要視していることがうかがえると思います。

でも、現代の日本では家族そろって夕食をとる頻度が少なくなっているのです。
アンケートで、毎日家族そろって夕食をとると答えた人の割合は、1976年には36.5%なのに対し、2004年には25.9%まで減少。
週三日以下と答えた人の割合は、2004年には53.9%にも上るのです。
食事の時間というのは、家族にとって貴重なコミュニケーションの場。
「これは由々しき問題だ!」などと、私は思ったのですが・・・

学生たちのリアクションはかなり薄くて。
そもそも、ベラルーシでは「食事は家族みんなでとるもの」という感覚があまりないんですよ。
もちろん、みんな一緒に食べることもありますよ。
でも、そうじゃないといけないという感覚ではないのです。

まず、時間的にタイミングが合わないというのが大きい理由かと思います。
わざわざ待ってまで、時間を合わせることはないと考えているようです。
ある人の意見では、「例えば、子どもがお腹を空かせているのに『お父さんがいないから、帰ってくるまで待ちましょう』って言うのはちょっと変でしょ」
う〜ん、この辺は感覚の違いなのでしょうか・・・

食べたいときに食べたいものを食べる、という感じでしょうか。
よく子どもが夕食前にお菓子を食べようとすると、「もうすぐ夕食なんだから、我慢しなさい!」などと言われたりしますが、ベラルーシではそういうことはあまり言わないように思います。
うちのベロニカちゃんも夕食直前に甘いものとかを食べようとするので、私が「もうすぐ夕食なんだからさ」と言うとキョトンとしています。

あと、もう一つの理由として、食卓が小さい場合があります。
ベラルーシでは台所に食卓があって、そこで食べるのが普通。
3、4人家族だったら、何とか座れますが、それ以上となると全員みんなで座るのはきついことがあります。
まあ、それは部屋の大きさにも関係してきますが。

私だったら、家族みんなで食べるのがいいなあ。
せめて夕食ぐらいはみんなで食べたいと思いますよ。
学生に「みなさんは自分の家族が出来たら、家族みんなで食事をしたいと思いますか?」と聞いたところ、学生は「別に・・・」とか、「できればそうしたい」という感じで、特にその辺に意義は感じていない様子でした。

私の実家だと、夕食は大体みんな一緒でした。
うちは自営業で、両親はともに忙しかった(←今も忙しいみたい)んですが、夕食はみんな一緒でしたね。
先に引用したように「家族の絆を深める」とか、「食習慣を身につけさせる」とか、いろんな理由があると思うんですよね。
でも、何かとってつけたような感じが私にはします。

どうして夕食はみんなで食べたほうがいいのか。
私の答えは簡単。
それは「家族だから」。
家族がみんなで食べる効果がどうこうって、後から考えたものでしょ?
結局、家族だから一緒に食べるというのが、根本的な理由だと思うんですけどね。
他に理由なんか要らないでしょ。
家族みんなで楽しく食べましょうよ!

今日はちょっと真面目に「家族」というものについて考えてみました。

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ベラルーシの生活 | ベラルーシの食生活

2008年11月28日

今日は疲れが超たまっていて、かなりきつかったなあ。
授業中にもかかわらず、あまりの眠さにKO寸前。
水で顔を洗ったりしてしのぎました。
火曜日のパーティーと昨日の飲みが効いているようです。

火曜日のパーティーの写真が手に入ったので、少しずつのせていきますね。
かなり面白い写真もあるのですが、学生たちの許可を得ないとのせられないので・・・
学生たちはかなり楽しかったようです。
今日の朝の授業でも興奮気味に話していました。
夜中の2時までうちにいた女の子を除いては・・・

昨日の朝は大学の会議でした。
それが終わってから、同僚の日本語教師たちと雑談。
学生のことや日本語のことなど、いろんなテーマで話しました。

話している途中で言語学のアーラ先生が私に話しかけてきました。
用件は「一年生の学生たちがロシア語で劇をやることになったので、ぜひ手伝って欲しい」
一緒にいた秘書のナターシャさんも「古○さんは演劇のプロだから!」
いや、プロじゃないです。
ただ好きなだけです。

劇をやりたいと言っているのは、日本語・中国語・韓国語を学ぶ一年生たち。
彼らが入学したばかりの頃、私が日本語で劇をするというアイデアを話して以来、「先生! いつになったら劇を始めるんですか?」と言っていたのですが、私がなかなか始めなかったので、しびれを切らしたのでしょう。
だって、いいシナリオが見つからないんだもん。
グループの構成は女の子7人に対し、男の子が3人。
女の子が多く登場する劇って、なかなかないんですよね。
もしいい戯曲を御存知の方がいらしたら、ぜひ教えてください。

彼らがやる演目なのですが、中国語の学生が自分で書いたというオリジナル。
内容は核爆発があった後の世界について。
うーん、ありがちな話だなあ。
でも、みんな「これは非常にユニークで新鮮だ!」と言っているんですよね。
日本の戯曲だと、北村想の「寿歌」という作品がありますね。
これも核戦争後の世界を描いたもの。
今日、戯曲のコピーをもらったので、読まないと・・・

昨日はブレストから私の友達のヴァジム君が彼女と一緒にうちに来て、泊まっていきました。
彼女はウクライナに住んでいるナターシャちゃん。
ヴァジム君に会いに、わざわざベラルーシまで来たんですって。
非常に話しやすい子で、よかったです。

夜は一緒にみんなで食事。
と言っても、ベロニカちゃんはかなり遅く合流。
急いで完成させないといけない仕事があったんですよ。
それは知り合いの女性から注文されたスカートとズボン。
本当は既に完成していて、それを渡すだけだったのですが、その女性が試着したところ、サイズが合わない。
その女性、この一週間で激ヤセして、全くサイズが合わなくなっていたのです。
そのせいで、その場で作り直し。
しかも、その女性が細部にまでうるさく注文をつける人で、ベロニカちゃんは4時間もミシンの前に座りっぱなし。
その女性は超おしゃべりで、後ろでベラベラしゃべっているのを効きながら仕事をするという最悪のパターンになったのでした。

私はヴァジム君とナターシャちゃんと飲み会。
最初はベロニカちゃんを待っていたのですが、全く仕事が終わる気配がなかったので、飲み会開始。
料理は前日のパーティーの残り+鳥のから揚げ+チャーハン。
二人は日本料理は始めてだったらしく、感激しまくり。

PB282262これはヴァジム君が持ってきたお酒。
リキュールと書いてあるのですが、スクリュードライバーをかなりきつくしたような飲み物でした。
匂いは完璧にウオッカの匂い。
前日のお酒が残っていたので、私はかなりセーブして飲みました。
レモン味で飲みやすいと言えば飲みやすいんですが、調子に乗って飲むと次の日が大変そうな雰囲気がプンプンする飲み物でした。
どこで作られたものか表示がないんですよね。
かなり怪しい・・・

PB262256昨日、町の中心の10月広場を通ったときに、クリスマスツリーを準備しているのを見ました。
今はまだ骨組みだけですが、これにモミの木をつけていって、一本の大きい木に見せるのです。
以前は一本の大きい木を使っていたそうですが、そんなに大きいのはベラルーシにはないので、たくさんの木を組み合わせて作ることになったのです。
これがね、かなり大きいんですよ。
完成したら、写真を撮って、このブログでご紹介します。

クリスマスツリーと言っても、日本のように12月25日のためではありません。
これはお正月用。
どうしてそうなったのかについては諸説あり、ここで解説はできません。
かなり複雑な流れでこうなったようです。

ベラルーシの各都市では、その町の中心となる広場に大きいクリスマスツリーを立てるのが普通。
そこにみんな集まってお正月を祝うんです。
私は行ったことがありません。
お正月は酔っ払いが多いので、外に出るのは危険なときがあるからです。
中には、酔っ払いが調子に乗ってビール瓶を投げて、それに当たった人が亡くなるということもあったそうです。
まあ、私もベロニカちゃんも出不精なので、特に外で祝いたいとは思いませんが。

ベラルーシ人にとって、12月25日はカトリックの人のクリスマス。
今年は国の祝日になっているようです。
でも、カトリックの人の数って、そんなに多くはないんですよね。
何%かは忘れましたが。
私の周りでは、カトリックの人は一人しかいません。
ほとんどの人がロシア正教です。

ロシア正教のクリスマスは1月7日。
厳密に言うと、1月6日の夜中から7日にかけて。
日本みたいに子どもにプレゼントをあげたりする習慣はないですね。

一般の家庭でもお正月にはクリスマスツリーを立てます。
ツリーは正教のクリスマスまで立てっぱなし。

今日もまとまりのない話ですね。
だから、読者が減っているのかなあ・・・

もうすぐ今年も終わりだなあ。
なんか、何もしないで一年が終わったような気分。
35歳にもなると、時の流れるのが速く感じられます。
お正月まで、もう一息。
がんばろう!

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ベラルーシの生活 

2008年11月27日

おはようございます。
昨日の夜はブログが書けませんでした。
パーティーだったんですよ。
しかも、かなり大きいパーティー。

うちに来たのは大学の一年生たち10人、つまり一年生全員。
時々、学生を招待してパーティーするけど、クラス全員が来ることって、あまりないかも。
一年生のうちに本当の日本料理を食べてもらいたいというのが、私の考え。
ミンスクには寿司屋や寿司が食べられるレストランやカフェも増えてきたので、みんな寿司は食べたことがあるんです。
でも、日本料理ってそれだけじゃないよ、というのを見せたかったのです。

DSC00853学生たちが来たのは15時半。
私たちが最初にやったのは「お茶」
そう、お茶会です。
私はお茶を二回しか習ったことがないので、お茶会などと呼ぶのは恥ずかしい程度のお茶しかできないのですが。
お茶の道具や抹茶はずっと前から持っていたので、利用しないといけないなと思ったのです。
作法はメチャクチャです。
袱紗もないし(←あっても使えないし)
あるのは茶碗二つと茶杓と茶筅。
あとは普通のお鍋からお玉でお湯を注いで、お茶を点てるだけです。

学生たちが来る30分前にベロニカちゃんと二人でやってみたんですよ。
抹茶とお湯の量がわからなかったので。
茶杓2杯の抹茶にお玉一杯のお湯を入れて点ててみたら、これが苦すぎ。
ベロニカちゃんと二人で一気に目が覚めて、元気になりすぎました。

学生にお茶を点てたときは、抹茶の量を少なめにしてみました。
うちの親が送ってくれた和三盆の干菓子があったので、それも学生に出してあげました。
学生たちはみんな大喜び(に見えました)。
本物のお茶会とは程遠いけど、間近でお茶を点てるのを見れたのがうれしかったのでしょう。
味的にはどうかなと心配だったのですが、みんな「おいしいです」と言ってました。
本当にそう思っていたのかな・・・

お茶を飲んだ後は、日本のドキュメンタリー番組をみんなで見ました。
大学にもビデオが見られる部屋があるのですが、そこは予約制でいつも予約でいっぱい。
それに、日本のビデオの方式はベラルーシのと違うので、おそらく大学のビデオデッキでは見られないでしょう。
なので、学生たちがうちに来たときにしか見せてあげられないんです。

見たのは「情熱大陸」。
ある寿司職人の話。
その世界の厳しさを垣間見ることができるドキュメンタリーでした。
私が学生たちに伝えたかったことは二つ。
一つは寿司と言うのは奥が深いものなのだということ。
最近「私、うちでよく寿司を作るんですよ」みたいな発言を耳にすることが多いんです。
私の意見では、寿司というのは一つの芸術。
表面的に真似をするのは簡単だけど、形だけでなく、その精神を知って欲しいと思ったのです。

もう一つ伝えたかったことは、慢心してはいけないということ。
自分に満足した瞬間、その歩みは止まり、上へと上る階段は閉ざされてしまう。
番組の中で「ひたすら高みを目指す人間には、ある種の地獄というものがあるのかもしれない」というフレーズがありました。
私は一度ぐらいは人生で地獄を見たほうがいいと思っています。

この番組を見た後で、私は自分の人生の経験などを話しました。
ある女子学生は「先生は明るくて元気なイメージがあったんですが・・・そういう過去があるなんてちょっと意外です」
どういう過去かは秘密・・・

さあ、そこからはパーティー!
いろんなものを作りましたよ。
今回はできるだけ日本の料理を作るように心がけました。
いつもだと、チャーハンとか、コチュジャンを使ったものなんかを作っちゃうんですけどね。

DSC01058昨日のメニューは
1.肉じゃが(←ベラルーシは牛肉が硬くておいしくないので、豚のスペアリブで)
2.魚の南蛮漬け(←二人ほど魚が食べられない学生がいたのですが、彼女たちも絶賛!「レシピを教えてください。お母さんに作ってもらうので」 う〜ん、多分無理じゃないかなあ・・・)
3.鳥肉ときゅうりのサラダ(←うちの定番)
4.炊き込みご飯(←恐ろしいスピードでなくなりました)
5.高野豆腐(←なぜベラルーシ人にうけるのか、よくわかりません)
6.大根とスペアリブの煮物(←この料理を出した頃にはみんなお腹がいっぱいであまり食べてくれませんでした・・・)
7.チャーシュー(←日本料理じゃないですね。でも、昨日のチャーシューは今までで最高の出来。出す前にフライパンでちょっと焼いてから出しました。ラーメンにのっけたい・・・)
8.鳥のから揚げ(←これも定番中の定番)

まあ、こんな感じでした。
最初に出した南蛮漬けと鳥肉ときゅうりのサラダを食べて、みんな「ここでこの料理が食べられるだけでも、大学に入った価値があった」
そりゃあ、大げさでしょ。
みんな「先生、レストランをやったほうがいいですよ」
じゃあ、やりますから、スポンサーになってください。

料理を食べるのが一段落してから、みんなでビデオを見ました。
それは藤崎マーケットの「ラララライ体操」
実はみんなに見せるって約束してたんですよ。
何故かというと、現地人の日本語教師がある日の授業で「ライ!ライ!ライ!」と連呼したんですって。
何かの言葉の中にあった「ライ」という発音が聞き取れなかった学生がいて、学生には「ダイ」と聞こえたらしいんですよ。
いくら発音しても学生は「『ダイ』にしか聞こえません」と言ったので、その教師はいらついて「ライ!ライ!ライ!」と(学生曰く)狂ったように繰り返したのだそうです。
私はその話を聞いて、藤崎マーケットのことを思い出し、笑いが止まらなくなってしまいました。

学生たちはかなり楽しみにしていたらしく、「先生!『ライ!ライ!ライ!』を見せてください!」
で、見せると、みんな大爆笑。
かなり笑っていました。
言っていることの意味はわからなくても、動きがかなり面白いみたいです。
学生たちは「もう一度見せてください!」
二度目もみんな爆笑していました。

とにかくみんな盛り上がりました。
途中からバレエ学校に留学中のMちゃんとクラスメイトの女の子も合流したのですが、一年生たちのにぎやかさに圧倒されていました。
20時に5人の学生が帰り、21時過ぎに二人の学生が帰って行きました。
実は金曜日に言語学のテストがあり、その準備が大変なんだそうです。

人数が少なくなって、みんながダラダラと話していたとき、私はある異変に気づきました。
「私はお酒を飲みません」と言っていた女の子がビールを飲んでいるではありませんか!
顔が真っ赤。
しかも、その子は風邪を引いていて、声が枯れちゃっているんですよ。
なのに、すっかり酔っていて、「私、全然酔っていないですよ」
私ともう一人のお酒に強い学生がウイスキーを飲もうとしたとき、その女の子は「私にもください!」
明らかに大丈夫じゃないのに「大丈夫!」を連発する姿は、「ビバリーヒルズ青春白書」のドナちゃんを思い起こさせました。
ドナちゃんも酒癖が悪いんですよね。
あ〜、懐かしい。

ちなみに、ベラルーシでは18歳から飲酒が認められています。
なので、学生と飲んでも問題なし。

結局、彼女には舐める程度のウイスキーを与えて、落ち着かせました。
私が心配して彼女のほうを見ていると、「先生、どうして私のことをそんな目で見るんですか? 全然酔っていないですよ!」と明らかに酔った声で答えます。
私が「お母さんに『すみません』って伝えてね」と言うと、彼女は「全然、酔ってないのに・・・」とむくれていました。
うちへ帰れるか心配だったのですが、Mちゃんのバレエ学校のすぐ隣に住んでいる子なので、連れて行ってもらうことにしました。
Mちゃんの話では、地下鉄の中でもハイテンションでしゃべりまくりだったそうです。

10時を過ぎて、残ったのは学生二人。
男の子と女の子。
この二人、出身地は同じなのに、全くウマが合わないんですよ
最後にはケンカに近いような状態になってしまいました。
男の子のほうは自分の世界だけで生きているようなタイプで、私が言うことも誰が言うことも全く耳に入っていないような感じなんですよ。
隣の部屋で仕事をしながら二人の話を聞いていたベロニカちゃん。
ベロニカちゃんにしては珍しく、外にタバコを吸いに行った男の子を捕まえて、話をしていました。
「話を聞いていて、あまりにも彼がわがままなので、一言言いたくなった」んですって。

女の子のほうもちょっとユニークな子。
勉強もがんばっているし、将来有望な子です。
私が貸した太宰治の本がすごく気に入ったらしく、私とは話しが合います。

結局、彼らが帰ったのは夜中の2時でした。
タクシーを二台呼んで帰しました。

こういうことはベラルーシでは異例中の異例。
普通なら絶対にないことです。
日本人だったら、夜遅くまで飲むのは時々ありますよね。
まずベラルーシでは2時までというのがあり得ないし、学生と先生がここまで突っ込んで人生の話をするというのも珍しいことです。

何か若いときを思い出しましたよ!
夜遅くまで、いろんなことを語り合いながら飲み明かしたこと。
東京に住んでいた頃のことを思い出しました。
こういう付き合い、私は大好きです。
ベラルーシでは教師と生徒の関係に限らず、普通は人生観や価値観などについて突っ込んだ話はしませんから。
余程友達にならない限り、自分の内面をさらけ出すことはないのです。
学生たちと心の中の話が出来る関係、素敵だと思います。

一年生へのメッセージ
Для первокурсников
Большое спасибо за то, что вы пришли ко мне!
Мне было очень приятно с вами общаться.
Я хотел, чтобы вы прикоснулись японской культуры.
Надеюсь, это удалось.
И очень надеюсь, это не последний раз!

寝たのは夜の3時。
本来なら私は水曜日はお休みなんですよ。
だから、パーティーを火曜日にしたのに、今日は朝の10時から大学の会議。
ちょっとフラフラしながらも、大学へ行って、ボスのありがた〜いお話をお聞きしました。

会議のあとはブレストから来た私の友達のヴァジム君に会いに。
彼は彼女のナターシャちゃんと一緒にミンスクへ遊びに来たのです。
今日は私たちのうちに泊まっていきます。
さあ、料理しないと・・・(←また作るのか・・・)

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日本語教師の仕事 | 日記

2008年11月25日

今、夜中の12時半です。
料理してました。
明日、一年生の学生たちがうちに遊びに来るんです。
日本料理を食べさせてあげようという趣旨です。
日本料理を食べることで、日本文化を感じてもらいたいです。
日本料理といえば、寿司しか知らない人が多いんですよ。
他にもおいしい料理があるということを知ってもらいたいですね。

今日、大学からうちに帰って来たら、知らない女性から電話がかかってきました。
それはA君という学生のお母さん。
A君は、11月14日の投稿「自信過剰という病」に出てきた、私を激怒させた学生の一人です。

お母さんは「私が電話していることは息子は知らないので、決して言わないでください」と前置きした後で、今回の件について事情を説明して欲しいとお願いしてきました。
「今回の件」を知らない方にかいつまんで説明すると、学生3人のグループがあって、16時から授業があるのに、ドタキャン、しかも15時59分に電話してきて、キャンセルしたのです。
しかも、その理由が3人のうちの一人がベラルーシの映画祭の通訳をするとのこと。
大学で一年ちょっとしか勉強していない学生のすることではありません。

私はお母さんに事情を詳しく説明しました。
全く包み隠さず。
お母さんは「じゃあ、うちの息子は悪くないんですね」
う〜ん、どうかなあ。
映画祭に行ったのは、違う学生だけど・・・

お母さんとしては息子を許してもらって、勉強を再開して欲しいという願いがあったわけです。
それにしても、なぜ本人が電話してこないのでしょう?
いや、本人から電話はあったんです。
2回ほど。
でも、2回とも授業中で電話に出られなかったんですよ。
私のほうからは電話しませんでした。
だって、向こうから電話してくるのが筋でしょ。
その後、全く音沙汰がなかったので、「その程度の関係だったのかな」と私は思いました。

20歳にもなって、お母さんがこういう話に介入してくるというのは、ちょっと子どもっぽいと思うんですけどね。
こういうケース、何度かありました。
約束の時間に来なかったり、宿題を全然してこなかったり、私が本気で怒るのはそういうときです。
本人が謝るのではなく、お母さんが謝るのは筋が違うし、過保護だなあと思うこともあるわけです。

過保護じゃないお母さんもいますよ。
日本人の過保護とはちょっと違う感じがします。
説明しにくいですが。
大学生ぐらいになったら、自分の問題ぐらい自分で解決してもらいたいものです。
だって、もう大人なんだから。

ちなみに、うちのベロニカちゃんのお母さんは超過保護でした。
結婚して最初の頃は、お母さんの影響力が強く、非常に苦労したものです。
今では、ベロニカちゃんもお母さんに対して自分の意見をしっかり言うし、すっかり独立した感じになりました。

そういえば、今、5年生の授業で「日本人の家族観」というテーマでテキストを読んでいるんですよ。
やっぱり、家族内の関係もベラルーシと日本では違うようで。

学生たちに「何歳までお父さんやお母さんとお風呂に入っていましたか?」と質問したら、みんな目を丸くしていました。
ベラルーシではその質問自体がかなり奇妙に聞こえるらしいのです。
シャワーを浴びたり、お風呂に入ったりするときに、親が手伝うということはあるのですが、それは一人でできないような年齢、例えば5〜8歳ぐらいまでの話だそうで。
一緒にお風呂に入ったりするのは本当に小さいときだけ。

女の子の場合、お父さんと一緒にお風呂に入るというのはあり得ないそうです。
うちのベロニカちゃんに聞いたら、お父さんとお風呂に入ったことは一度もないそうです。
ベロニカちゃん曰く「『となりのトトロ』で、女の子たちがお父さんとお風呂に入っているシーンにはびっくりした!}
ベロニカちゃんのお母さんの話では、ベロニカちゃんがまだ小さかった頃は、お父さんがお風呂に一緒に入ったことがあったそうですが、ベロニカちゃんは全く覚えていないとのこと。

同性の場合でも、一緒にお風呂に入るのはほとんどないこと。
ベロニカちゃんもお母さんとお風呂に入ったというのは記憶にないと言っています。

高校生の頃、私は母親とよくケンカしていました。
今考えると、ひどいことも言ったし、母親もすごく傷ついていたんじゃないかなあと思います。
でも、東京に引っ越してからは、普通の仲になったような気がします。
そして、今、ベラルーシと日本で離れてみると、やっぱり母親は大事にしないといけないなあと今更ながら痛感します。

日本人って、母親のことをいろいろ言ったり、一緒に出かけたりすると、すぐ「マザコン」だとか、そういう馬鹿げたこと言いますよね。
そういうの、嫌いです。
母親を大事にするのが、なぜマザコンなのかわかりません。
いわゆる「マザコン」って、母親に依存して、母親がいないと何もできない人のことですよね?
依存する必要はないですが、大事にする必要はありますよ。
日本人の異常なまでの独立志向には首を傾げたくなります。

ああ、疲れた・・・
今日はこの辺で・・・

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日本語教師の仕事 | ベラルーシの生活

2008年11月24日

今日はかなり疲れてます・・・
7コマはきつかった・・・
もう何もできません・・・(←と言いつつも、ブログを書いている私・・・)

今日は授業中に思い出した、ある出来事について書いてみたいと思います。
それはまだベロニカちゃんと結婚していなかった頃のこと。
その日の夜は、ある知り合いカップルに誘われて、一緒にレストランで夕食をとることになっていたんです。
私は夕方、ベロニカちゃんをうちまで迎えに行きました。
そこにはベロニカちゃんのお母さんと妹もいました。

マンションの中に入ると、すぐお母さんが「お腹空いてない?」と聞いてきました。
これはいつものこと。
お母さんは「食べさせるのが義務」と考えているようなところがあって、しかも、その食べさせる量が半端じゃないんですよ。
私はその「食べろ食べろ攻撃」には正直、困っていたんです。
その辺の話はまた改めて書きます。
これはベロニカちゃんのお母さんに限ったことではないので・・・

話を戻しましょう。
「お腹すいてない?」と聞かれた私は「いや、今日はこれからベロニカちゃんと二人でレストランに行くんです」
それに対するお母さんの答え。
「じゃあ、今すぐ夕食の準備するから」
あの〜、話し聞いてました!?

お母さん「晩ご飯を食べてから行ったほうがいいわね」
???
私はその意図が全く理解できなかったのです。

どうしてかわかりますか?
すぐに理由がわかったあなたは、きっとベラルーシ人に違いありません。

それは「レストランでたくさん食べないようにするため」。
レストランで食べると高いでしょ?
だから、たくさん食べてお金を使いすぎないように、前もってお腹を膨らませておくというわけです。
それに、人前でガツガツ食べるのはあまりよくないという考え方があるのではないか、というのがベロニカちゃんの意見。

日本人の感覚だと、おいしく食べるためにお腹を空かせていくのが普通ですよね。
せっかくレストランでおいしいものを食べようというときに、わざわざお腹いっぱいで行ったら、逆に損しそうな気がするんですが・・・

もちろん、ベラルーシ人がみんなそう考えているわけじゃないですよ。
若い人の中にはそういう意識は全くないと思います。
私の意見では、そういう考え方をしている人はかなり少ないのではないかと見ています。
年齢層が上の人だと、そういう考え方をする人もいるようです。
この話を他のベラルーシ人にすると、その発言の意図を理解しつつも、みんな笑います。

結局、私たちは夕食を食べないで、レストランに向かったのですが、お母さんを説得するのにはかなり苦労しました。
何が何でも食べさせようとする人ですから。
それに、その夕食は招待してくれた人のおごりだったので、懐も痛まなかったし。

国によって、考え方はいろいろなんですね。
ベラルーシは奥が深い・・・

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ベラルーシの生活 | ベラルーシ人

2008年11月23日

今日は一日中、雪。
両親のところに電話したら、うちの母親は「山形も雪だよ」と言ってました。
もっと寒くなるとサラサラの雪になるんだけど、今の時期はまだ湿った雪で、道はグチャグチャ。
山形の冬を思い出します。

今日は最近聞いた面白い話を。
よくベラルーシ人に「ちょっと日本語で話してみて」と言われることがあります。
やっぱり、聞いたことがない言葉なので、興味があるのでしょう。
たいてい「すごく綺麗な言葉ですね」と言ってくれます。
音楽のように聞こえるらしいです。
ロシア語の場合は強弱アクセントですから、日本語の滑らかな感じとは違っていますよね。
でも、日本語の言葉が非常にひどい言葉に聞こえることもあるようで・・・

バレエ学校に留学している日本人の女の子、Mちゃんの話。
彼女が言ったある言葉がみんなを笑いの渦に巻き込んだらしいのです。
それは「する」という言葉。
私も最初は何が面白いのかわからなかったんです。

「する」をローマ字で書くと、「suru」ですよね。
彼女の発音だと、最初のuが聞こえないらしく(←元々、日本語ではuの発音はあまり聞こえないものなのですが)、バレエ学校のみんなには「sru」と聞こえたらしいのです。
その「sru」をロシア語にすると、「сру」
これがとんでもない意味なんです!

露和辞書には書いてあったのは「糞をする」
一人称・単数形ですから、「私は糞をします」
ロシア語には「大きいほうをする」という意味の言葉がいくつかあるんですが、そのなかでも「sru」というのは最低・最悪に汚い言葉の一つなのです。
バレエ学校のみんなはさぞ驚いたことでしょう。
だって、若くてかわいい女の子が突然そんなことを言ったんですから。
クラスメイトたちは笑って、「早くトイレに行きな!」と言っていたそうです。
(この話を書くに当たっては、Mちゃんの許可を得ています)

その話を大学でしたら、みんな笑ってました。
でも、「する」という動詞は割と早い段階で学習する言葉。
学生に聞いたら、私が発音しているときはちゃんと「suru」に聞こえるので、変な意味には聞こえなかったそうです。

ついさっき、Mちゃんと電話で話していて、私は「ちょっと『する』って、言ってみてください」と頼んでみたんです。
彼女の発音は「sru」
確かに最初の「u」はあまり聞こえません。
Mちゃん「今、隣に座っている子が『最悪!』って言って、笑ってるんですけど・・・」
そりゃあ、笑いますよ。

もう一つMちゃんの話。
彼女が言う口癖がクラスメイトの間でうけているらしいんです。
それは「そうか」とか「そっか」という言葉。
これも発音によっては非常に良くない言葉になるんです・・・

「そうか」をローマ字にすると「sooka」(←書いてあるのは「souka」ですが、発音は「sooka」になりますね)、「そっか」は「sokka」ですね。
ロシア語では「suka」という言葉があるんですよ。
その意味は「メス犬」
これは女の子を侮辱する言葉としては、最高ランクに入る言葉です。
「sooka」と「suka」、似ていますか?
私も「そっか」と言うのが口癖なんですが、「suka」と間違われたことはないですね。
Mちゃんの発音が私のと違っているんですかね。

ロシア語って、そういう汚い言葉がすごく多い言語なんですよ。
なので、ベラルーシ人はそういう言葉には慣れているんですね。
自分でそういう言葉を使わない人でもみんな知っています。

他にもいくつかベラルーシ人(←ロシア語圏の人はみんなかもしれない)が聞いて可笑しい日本語の言葉があります。
例えば、「かばん」
これをロシア語で書くと「кабан」
これはいのししとか雄ブタという意味で、人について使うと「でぶ野郎」という意味になるそうです。
おかげで学生たちも「かばん」という言葉はすぐに覚えてくれます。

あとは「はな」という言葉。
ロシア語で書くと「хана」
これは「終わり」と言う意味のスラング。
「一巻の終わり」とか、「もうだめだ」という意味ですね。
日本語では「花」、「鼻」なのが、「ダメだ」という意味になるギャップが面白いんでしょうね。

言葉って、いろいろ面白いですね。
ある言葉では普通の言葉が、違う言葉では恐ろしい言葉だったり。
こういうの、集めたら本ができそう。

明日は恐怖の7コマ授業。
早く寝よう・・・

akiravich at 06:22コメント(0)トラックバック(0) 
日本語教師の仕事 

2008年11月22日

PB212222今日はベラルーシ国立美術館で行われている「日本工芸展」に行ってきました。
今日はその展覧会の感想を書きます。
浅い知識をフルに使って、自分の感じたことをそのまま書きたいと思います。
専門家の方から見れば笑っちゃうようなバカらしい内容でしょうが、そのときは笑ってください。

これは在ベラルーシ某国家機関と国○交○基○が行ったもの。
これに関して、ちょっと腹が立つことが。
私には何の連絡も来なかったんですよ。
学生から「美術館で日本の展覧会をやってますよ」と言われて、初めて知ったというわけで。
他の日本語教師や日本語を学ぶ学生は知っていて、私は一番最後に知ったというわけです。
バカにしてんのか、と思いますよ。
こんなのばっかり。
ここ数年は、その国家機関が主催する催しものに関しては、ほとんど連絡が来ないというのが慣例となっています。
他の教師に言付けして、それが私に伝わっていないというパターンもありますね。

これはブログに書いているからと言って、悪口・陰口には当たりません。
私は直接、その機関の人には言いましたから。
はっきりとそこは改善して欲しいと伝えました。
怒っているというのもありますが、「悲しい」という言葉のほうが適当かと思います。
日本人の教師は二人しかいないのに、片方にしか連絡しないっていうのは、悪意しか感じません。
それか、一人にしか連絡できないほど忙しいのでしょうか。
一人だったら連絡する時間もあるし手間もかからないけど、二人は多すぎるんでしょうね。

前置きが長くなりました。
一年生たちと見る約束をしていたのですが、美術館に着いてみると、一年生の日本語のグループだけでなく、中国語や韓国語のグループの学生たちも一緒で、かなりの大人数になりました。
総勢17人。

展覧会では最初は説明などをせず、学生たちには自由に見てもらいました。
一つ一つ、一緒に見ながらコメントしていくこともできましたが、そういうの、私は嫌いなんです。
まず、説明など余計な知識を入れずに、その作品と正面から向き合うことが必要だと思うからです。
その知識がその作品を理解する手助けになるとしてもです。
わからなければわからないでいいんです。
そもそも、理解しようとすることが間違いだと私は思います。

PB212223私の個人的な感想を言わせてもらえば、この展覧会はあまり気に入りませんでした。
現代的な陶芸が多かったのですが、派手なものが多く、明らかに「外国人向け」という感じのチョイス。
見た目にわかりやすい派手な色づかいや形など、それなりに考えている内容ではありますが、私の目から見れば「外国人にはわかるまい」という日本人の傲慢さが見え隠れするものに感じます。

私の意見では、いくら地味でも、それが「本当の芸術」であれば、どこの国の人であれ伝わるはずだと思うのです。
例えば、一見地味な茶碗。
その土味は大地を手にするぬくもり。
見ているうちに、味が出てくる美しさ。

派手なものはそのときは目に鮮やかに映りますが、心の中に共鳴を感じることは私にはできません。
今日見たような作品は立ち止まって心静かに見ることを拒否しているような感じがします。
非常にアグレッシブな作品が多く、いくつかの作品は私に嫌悪感を抱かせました。

私は萩焼とか備前、益子焼なんかが好き。
土味が出た、素朴な感じのものが好きです。
今日も備前のものがありました。
火襷(ひだすき)という藁の模様が出たものがありましたが、すごく狙って作った感じが強かったですね。
自然なものではなく、作為が勝りすぎている作品が多く、私は閉口。

狙った感じのが多かったですね。
元々が偶然の産物と言えるものを技法として使う、という感じでしょうか。
金継ぎも欠けてしまった茶碗を修理したら、違う景色が生まれて美しかったというもの。
美しく装飾するためにわざとそうすることもあるそうですが。
中にはわざと叩き割って、金継ぎすることがあるそうですが、それってどうなんですかね・・・
その金継ぎを大胆に使った皿がありましたが、それはデザインとしての面白さで、本質的な美しさとはずれている感じがしました。

今でこそ、陶芸では電気窯で温度調整をしたり、釉薬を工夫して金属を混ぜたりすることもあるようですね。
でも、陶芸って、元々は自然任せで、窯に入れたら、あとは窯出しまで何ができるかわからないところが面白さだと思うんですよね。
前もって計算して作れば、計算どおり、または計算に近いものができると思うんですけど、それじゃあ、面白くないですよ。
自然の登り窯や薪を使ってやるからこそ、人間の想像を超えた美しさが生まれていくのだと思います。
陶芸には自然と共にある日本人の生活の本質が表れているように思うのです!

偶然に生まれるものの美しさ。
そのことに思い当たったとき、私が思い出したのはジョン・ケージの「偶然性の音楽」。
この場合の「偶然性」というのは、手法として生まれたものであり、それは自然と寄り添い、自然に全てをゆだねるというものとは、かなり違うものだと思います。
ジョン・ケージの「偶然性」は1950年代に始まったもの。
それまでも「偶然性」という考え方は欧米の芸術にもあったようですが。
基本的に欧米の芸術というのは、計算され、表現しようとする意欲に基づいたもの。
それは日本の芸術が持つ性格とは本質的に違うものだと思います。
それぞれが違う性格を持っているというだけで、どちらが優れているかということではありません。

自然が引き起こす偶然の美しさ。
それは自然の力のいたずらと言ってもいいのでしょう。
そういう日本の芸術の素晴らしさを学生たちには知って欲しいのですが、今日のような展覧会では知ることはまず無理でしょう。
学生たちはみんな「とても面白い」と言っていましたが、あれが日本の芸術だと思われるのは困ります。
今日見た作品は「日本の芸術」というより、「日本的な現代芸術」というほうが正しいでしょう。

この展覧会を見ていない方にとっては、何のことやらわからない内容の投稿になってしまいました。
私は陶芸とか、かなり好きなんですよ。
見るだけですけどね。
本当は自分でもやってみたいんです。
もっと日本の陶芸について知りたくなりましたよ!
そういう意味では、意義のある展覧会だったのではないでしょうか・・・

最後に私が持っている茶碗を写真で御紹介したいと思います。

PB212230これはおととし、ベロニカちゃんと日本へ帰ったときに、知り合いの陶芸家の方に頂いた夫婦茶碗です。
私が生まれた町、村山市の楯岡焼です。
その陶芸家の方は私の中学生の先輩のお父さん。
その先輩とは吹奏楽部で一緒にサックスを吹いていました。
楯岡焼、地元だからとか、知り合いだからとかじゃなくて、私はすごく好みです。
次に帰るときは、また茶碗を買おうと密かに思っています。

PB212226これもおととし、日本へ帰ったときに買ったもの。
山形では有名なお茶メーカー「丹野園」の工場の二階にある、お茶道具のお店で買ったんです。
前から、普段使いの茶碗が欲しいと思ってたんです。
この萩焼の茶碗には一目ぼれ。
これしかないと思いました。
もったいなくて使っていないんですよね。
それじゃあ、意味がないので、これからは使いたいと思います。

PB212229これが一番思い出深い茶碗です。
約8年半前、日本からウズベキスタンに旅立つ直前、知り合いにお茶の先生を紹介してもらって、2回ほどお茶を習ったんです。
その先生が「外国に行って、お茶を広めてきてください」と言って、くださったもの。
あれはうれしかったなあ。
お茶を点てるの、私は気に入りましたよ。
先生からは「あなたの手の動きは非常に女性的で美しいです」とほめられました。
本当はお茶を習いたいんですよ。
来年、日本へ帰ったら、一度でもいいから先生のところへ行きたいです。

と、まあこんな感じでしょうか。
この3点の茶碗、来週の火曜日、大学へ持っていくつもりです。
今日見たような「芸術作品」とは違うと思いますが、手にとって見ることには大きい意義があると思うんですよ。

ちなみに、私は若いとき、柳宗悦の「民藝紀行」を愛読していました。
なので、「用の美」という言葉には感じるものがあります。
今日見たいなのは、それそのものは美しいかもしれませんが、花を生けたり、料理を盛ったりするという性格のものではありません。
私の好みとは対極にあるような作品ばかりでした。
人それぞれと言われたら、返す言葉もないですが。
まあ、「人それぞれ」っていう言葉、私は大嫌いなので、言葉を返すつもりもないですが・・・
(「人それぞれ」なのは当たり前で、それを口に出すことは月並みすぎて嫌です。この言葉、他の人の意見を否定するために使われますよね。「人それぞれ」違っているのを乗り越えることでこそ、何かが生まれるのでは、と私は信じています)

また、とりとめのない内容になってしまいました。
とにかく、いろいろ考えさせられた一日でした。
明日も6コマ。
がんばろう・・・

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日記 | 日本語教師の仕事

2008年11月21日

昨日はブログが書けませんでした。
というのは、ライブドアのブログがメンテナンスだったんです。
実は途中まで書いていたんですが、メンテナンスになってしまい、書いていたものが全て消えちゃったんですよね。
そして、今も一生懸命書いていたら、突然テキストが消えました。
これ、どういうこと!?

木曜日は恐怖の8コマ授業の日。
でも、2つキャンセルになったので、6コマ。
助かった・・・

PB202221朝の大学の授業、教室がすごく寒かったんですよ。
すきま風がスースーして。
みんなコートやジャンパーを着たままの授業です。
写真に写っているのは1年生のエレーナちゃん。
いつもニコニコしているかわいい学生です。

さて。
昨日、書いている途中で飛んでしまった内容をもう一度書こうと思います。

PB192206昨日は初雪でした!
数日前にも降ったのですが、2〜3分しか続かなかったので、初雪とは呼べないものです。
ベラルーシでは初雪が降ると、「初雪、おめでとう!」と言うことがあります。
おめでたいとは言っても、これが長い冬の始まりかと思うと喜んでもいられません・・・

昨日の昼、私とベロニカちゃんは知り合いのうちへ遊びに行きました。
その知り合いというのはシスター・ヴェーラ。
私がかなり前から親しくしている女性です。
「シスター」というのは別に修道女というわけではありません。
ヴェーラさんは教会の活動に従事している女性で、ベラルーシでは有名な女性です(←昨日、ヴェーラさんが大○領からベラルーシの勲章をもらったということを初めて知りました・・・)。
ヴェーラさんはいつも私たちのことを気にかけてくれて、うちに招待してくれるんです。

途中で花を買って、ヴェーラさんのうちへ。
ドアを開けると、いつものように笑顔のヴェーラさんが迎えてくれました。
多分50〜60歳ぐらいだと思うんですが、そうは見えません。
「シスター」というよりは、「マザー」というほうが合っている様な、包み込んでくれるような優しさがあります。
本当は写真を載せたいんですけど、ヴェーラさんは写真が嫌いなんですよ。

PB192207私たちがプレゼントした花を生けてくれました。
生けるといっても、そこにあった花瓶にさしただけ。
でも、いい感じになっていますよね。
一緒になっている木はドイツから持ってきたものだそうです。

P7231691P7231693この写真は昨日のものではなく、今年の夏にお邪魔したときの写真です。
ヴェーラさん、食卓を飾るのが大好き。
昨日もすごくきれいに作っていました。
私もリラックス。

P7231694この料理の写真も夏に撮ったものです。
私が日本人だからか魚料理が多いんですよ。
昨日も魚でした。
皿に海苔をのせて、その上に料理を盛っています。
こういう盛り方って、あんまり見ないですよね。
私は結構気に入りました。
昨日のメニューはサラダ(←ゴマたっぷり!)、魚のスープ(←どこで手に入れたのか、少しだけ味噌が入ったスープでした)、魚のムニエルでした。
ワインも飲んじゃいましたよ。
あと、大主教から頂いたというリキュールも飲みました。
それは不思議な味の飲み物でした。

ヴェーラさんは教会の人ですから、聖書や教会の話が多くなります。
昨日もいろんなことについて話しました。
私も個人的なことなどについて相談したりします。

ヴェーラさんは普段、ミンスク郊外にある小児がんセンターや子どものホスピスで子どもたちの精神的なケアをしています。
もちろん、それは無償で、です。
本当に素晴らしい人ですよ。
私はヴェーラさんと知り合いであることをとてもうれしく思います。

今日はヴェーラさんが書いた詩を紹介したいと思います。
彼女はよく自分で詩を書いていて、教会が発行している新聞などに載せているのです。
訳は私がしたのですが、詩は訳しにくいです。
韻を踏んだりはできないし、いろんなものが抜け落ちていると思います。
すみません。

一匹のカエルがケロケロ鳴いていた
愚痴を言って 泣いてばかりいた
その涙が水たまりを作った
食べて ピョンピョン跳ねて うんちして
そして、鳴いてばかりいた・・・
そんなカエルがみんな嫌いだった
カエルの彼女も逃げ出した
・・・カエルは腹が立った
鳴くのをちょっとやめてみた
すると・・・ちょっと鳴くのを我慢したカエルは
素晴らしい歌を耳にした
それはそれまで聞いたこともないような歌だった
鳥は翼をはためかせ
太陽と優しい雲は
世界をより一層美しく飾った
ふとカエルは気づいた
全ては私のためにあり、そして、それは素晴らしいということを!
もし彼女がいなかったら
水たまりを見つめるだけの人生だったろう・・・
もっと上手にケロケロ鳴くためには
何かきっかけが必要だったのだろう
だって ケロケロ鳴くのは悲しいからじゃなく
たくさんの喜びがあるからなんだ!

聖書には「死も命も舌の力の内にある」(ソロモンの箴言18章21節)と書いてあります

シスター  ヴェーラ・プリュシチェヴァ


いかがですか?
私も考えさせられます。
周りにあるものが素晴らしいものであることに、気づくためにはきっかけが必要なのでしょう。
私は元々が怒りっぽい性格だし、自分でも周りの人を遠ざけていると感じるときがあります。
でも、もっと人生の中に喜びを見つけられたら・・・
いや、すぐそこにあるのに、気づいていないだけなのかも・・・

PB192211これはヴェーラさんの詩を読んだ男の子が描いた絵です。
その男の子は重い病気で苦しんでいます。
そんな男の子がこんなに楽しくて明るい絵を描いたこと、それはヴェーラさんにとって大きい喜びだったそうです。

子どもが持っているエネルギーって、素晴らしいですよね!
よく「病気の子どもがかわいそう」とか言う人がいますが、「かわいそう」とか、私はあんまり思わないんですよ。
病院に行って子どもと遊んだらわかります。
子どもはどこに行っても、病気でも健康でも、子どもなんです。
みんなと同じように笑うし、怒るし、泣くし。
健康な子どもと何の違いもありません。

最近、病院に行ってないなあ。
前はよく行っていたんですけど、なかなか時間が取れなくて。
久しぶりにがんセンターに行ってみようかな。

今日はこれから授業が2コマ。
がんばるぞ!

P.S. このブログにメッセージをくださった方へ
返事を書いたのですが、設定の関係で送れませんでした。
もしよろしければ、メアドを教えていただけませんか?
それか「フレンズからのみ、メールを受け取れる」という設定を変更していただければお返事できます。
よろしくお願いいたします。

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日本語教師の仕事 | 日記

2008年11月19日

今日は疲れがひどくて、授業中もかなりきつかったです。
授業は5つしかなかったんですけど、結婚式のときからの疲れが取れていないんですね。

疲れているときって、逆に目がさえること、ありません?
私の場合、昔はよくあったんですけど、最近は疲れすぎてて、鈴木みのるのスリーパーで落ちていくようにスッと眠りにつけます。

でも、昨日は夜中の2時半に目が覚めちゃって。
なかなか寝付けなかったんで、テレビをつけたんですよ。
ベラルーシでは24時間放送している局はあまりないんですよね。
ある局は24時間放送をする宣言していたのに休みがちだし。
ベラルーシ以外のチャンネルはやっているんですけど、面白いのはあまりない。
結局、見たのはユーロニュースというチャンネル。
信頼できるニュースソースです。

そして、私は見たのです。
画面にはとんでもない映像が!
それは路上に散乱した魚の頭。
それもかなりの量。
それは某環境保護団体のパフォーマンス(←名前を出すと攻撃されそうなので、念のために出さないでおきます)。

そのニュースの内容は・・・
その団体のメンバーがパリの農業・水産省の窓の下に大量のマグロの頭を放置し、ヨーロッパの水域内のマグロの保護を訴えたというもの。
ヨーロッパにおける2007年のマグロの漁獲高は6万トン。
これはEUに許された漁獲量の2倍であり、専門家が推奨している値の4倍に当たる。
現在、マグロ保護の国際委員会の協議会が開かれており、密猟者を取り締まる方法や各国の漁獲量について検討されている。

マグロを守るためだとのことなんですが・・・
私にいわせれば・・・
ふざけるな!
としか言いようがない。

「マグロを大事にしろ」と言っている人たちがマグロの頭を大事にしていないのだから、説得力ゼロ。
確かにマグロを守る必要があることは認めますよ。
でも、そのために魚の頭を路上に投げ出すことって、もっと罰当たりなような気がする。
食べられるところ、たくさんあるし、出汁だって取れる。
それじゃあ、マグロだって犬死だよ(←いや、魚死か・・・)。
成仏できないだろ、それじゃあ。
そんな方法でしか、アピールできないのかな。

私が見ていてむかついたのは、それをやった「実行犯」たちが、まるで英雄気取りでニヤニヤしていたところ。
ああ、腹立つ!
そういう「何かのため」に何かをやっている奴らを見ると、虫唾が走ります。
それって、「何かのため」とか、「誰かのため」とか言っちゃって、本当は「自分のため」なんですよね。

クジラとかに関しても、いろいろありますよね。
まあ、このことに関しては「美味しんぼ」の受け売りになってしまうので、書きませんけどね。
山岡士郎の薫陶を受けている私にしてみれば、今回のマグロのことは言語道断。
マグロを守ること、密漁を取り締まること、漁獲量を制限することには賛成ですが、魚の頭、すなわち食べ物を路上に放置することは許せません。

「美味しんぼ」、好きなんですよ。
今の美味しんぼはあんまりいい評価がないみたいだけど、私はそれでも読みます。
でも、やっぱり初期の山岡士郎の切れっぷりが好き!

マグロに関しては、ベラルーシは全くの無関係ですね。
だって、海がないんですから、マグロも獲りようがありません。
そういえば、ミンスクの寿司屋にはマグロがあるけど、どこから持ってくるんだろう?
おいしいのは食べたことないですね。
トロなんかないし。
味的にはスーパーの超安売りのマグロをイメージしてもらえればわかると思います。

あー、マグロ食べたい!
よく「中トロぐらいが脂がちょうど良くのっていておいしい」なんて言いますが、私は節操がないので、大トロのほうが好き。

私、子どもの頃、寿司が食べられなかったんですよ。
寿司というか、生魚全般ダメ。
家族で寿司屋に行っても、私だけ何も食べれなくて。

生魚嫌いが直ったのが、小学校5年生のとき。
家族みんなで東京に行ったとき、千葉の市川市の親戚のうちで食べた大トロが最高においしくて。
その親戚は元々魚屋さんをやっていたんですね。
だから、魚の目利きに関してはプロなわけで。
それ以来、寿司が食べられるようになったんですけど、最初の頃は大トロばかり注文して、うちの父親もよく「もうちょっと安い寿司が好きになってくれたらいいのに」とこぼしていました。
そりゃあ、そうですよ。
それまでは家族で寿司屋に行っても、「納豆巻き」か「かっぱ巻き」しか食べない経済的な子どもだったのに、ある日突然、大トロしか食べなくなったのですから。

10年以上前に、音楽学者のある先生と行った寿司屋も忘れられないなあ。
先生のうちにお邪魔したとき、昼間からお酒を飲んでいたら、先生がヘベレケになって歯止めが利かなくなり、「寿司、食べに行こう!」って言い出したんですよ。
「何が食べたい?」と聞かれたんで、私は迷わず「大トロ!」と答えたんです。
酔っ払っていて遠慮するのを忘れたんでしょうね。
大トロだけ10カンぐらい食べました。
先生は酔っ払っていてほとんど食べなかったのに、会計が2万円近くになっていたのは、私のせいだったのでしょうか・・・(←先生、すみませんでした! そして、ごちそうさまでした!)
今考えたら、あと2、3カン食べておけばよかった・・・(←反省の色なし)

ヤバイ!
マグロ、食べたい!
夢に出そう!
日本に帰ったら、絶対にマグロを食べよう(←環境保護団体の餌食になりそうな発言・・・)。

とにかく。
これからもおいしいマグロを食べるためには、いろんな対策を立てないといけないんですね。
昨日の夜中はそのニュースを見て寝られなくなったので、インターネットでいろいろ調べてみました。
非常に興味深かったです。
魚の頭を路上に放置するなどという攻撃的なやり方でなく、建設的な方法で話を進めていってもらいたいものですね。

akiravich at 05:14コメント(0)トラックバック(0) 
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