2009年01月

2009年01月31日

今日は私にとっては緊張の一日。
というのも、今日から大学の一年生との日本語劇プロジェクトをスタートさせたのです!

このブログをずっと読んでくださっている方は御存知かもしれませんが、去年も学生たちと劇をやろうとして失敗しています。
その原因は心が一つにならなかったことだと思います。
日本人がサークル活動や部活でやるような「団結」という意識はこちらの学生には薄いような気がするのです。
今年もポイントはそこになってくると思います。

今日は学生10人のうち8人がうちに来て、テキストをみんなで読みました。
読みました、というか、私が内容を細かく説明したのです。
だって、まだ日本語を始めて半年ですからねえ。
そんな簡単には読めませんよ。

私も東京にいたとき、ロシア語で劇を上演する学生劇団に入っていました。
そこでは主役は一年生にさせることが多いんですよ。

私の中では日本語の勉強という意識はないんですよ。
もちろん、日本語の実力アップにはつながるのですが、それだけじゃない、もっと人生の根幹に関わるようなことをしたいのです。
そうしようと思ってするわけではないのですが、一つのことを思いっきりやることに意義があると思っています。

そういう熱さ、ベラルーシの学生にはないよなあ。
私はずっと吹奏楽部に入っていたんですけど、コンクールや定期演奏会の前って、独特の高揚していく感覚があるじゃないですか。
ベラルーシの学生とはそういうのをあまり感じないんですよね。
元々がそういう性格じゃないようなのですが。

今日の集まりはとりあえず成功。
戯曲は私が自分で選んだもので、学生たちが興味を持ってくれるかすごく心配だったのですが、問題は全くありませんでした。
みんな「この先がどうなるか、すごく読みたいです!」と言ってくれました。

今日の夜は久々に劇場に行きました。

P1302013出し物はゴーゴリの「イヴァン・イヴァノヴィッチとイヴァン・ニキーフォロヴィッチはいかにして口論したか」という長いタイトル。
出演するのは私の大好きな俳優、ヴィクトル・マナーエフとセルゲイ・ジュラヴェリ、演出はベラルーシが誇る天才演出家、ニコライ・ピニーギンです。
期待はMAX!

しかーし!
これは期待はずれも大はずれ!
これほどまでに適当に作られた劇は久しぶりに見ました。
チケット、すごく高いんですよ。
一枚25000ルーブル、日本円で1500円ぐらい。
普通の劇の2倍以上の値段です。
明らかにお金儲けのために作られたという感じが見え見え。

内容も困ったちゃんだったんですが、劇の途中で始まった「お客いじり」。
舞台でお酒を飲むシーンがあったんですけど、俳優がウオッカとピクルスを載せたおぼんを持って、客席へ。
めぼしい客にウオッカを飲ませるというのは、確かに見ていて面白かったんだけど、演劇じゃないよね、これ。

まあ、たまにはこういうこともあるさ。
いつもいい劇に当たるとは限らないしね。

今日はこのブログにタシケントで書いた「はぐれミーシャ」を載せました。
今読むと、自分の行動が非常にエゴイスティックで恥ずかしくなります。
でも、このまま載せていきますよ。
自戒の念をこめて・・・

明日もあさっても、一日7コマの授業。
肉体的にもつかどうか・・・
でも、何とか乗り切ろう!

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ベラルーシの劇場 | 日本語教師の仕事
7月5日(書いているのは7月7日)
 今日、ついに彼女の家を飛び出してしまった。もう愛されていないことを知っていながら彼女のそばにいることは苦痛以外の何物でもない。そのことが明らかになってから3日ほど耐えた。その間、どんどん溝は深まっていった。関係を修復したいと思いながらも、彼女が求めているような「ぼく」であることは出来なかった。愛が壊れたときに笑っていられるやつがいるか? 別れた彼女が友達になるなんてことが本当にあり得るのだろうか? ぼくにはできない。そんなことを言うとよく「子供みたい」と言われるが、恋愛に子供も大人もあるもんか。子供だって子供なりに真剣に恋愛するもんだ。もし、彼女との関係を普通の友達の状態に出来たとしても、僕は正面切って断る。ぼくにとって、それは一つの愛(あるいは終わった愛)に対してとても不誠実なことに思われるからだ。こんなこと考えてるから、いつも長続きしないのかもしれない。ちなみに、ぼくはまだ彼女のことが好きだ。

 今日の朝起きたときは、もしかしたら、ずっとこのままここにいることになるのかな、と思っていた。理性的に考えればここに残ったほうが得策である。住むのも食べるのも、全部ただ。しかし、目が覚めるにつれて残酷な現実が目の前に現れてくる。彼女はもうぼくのことを愛していないという現実が。腹は決まった。ここを出よう。でも、足取りは重い。まだ、心は揺れる。ここを出たら、この愛の全てが終わる。この愛のためにタシケントまでやってきた。彼女と同じ空気を吸い、同じ時間を抱いて生きるためにこの町にやってきた。まだ、後ろ髪は引かれる。

 朝のうちに大学に電話する。パスポートを預けているので取りに行かなければならない。これまでは彼女のお姉さんが手伝ってくれたが、今の状態では頼めないし、頼みたくない。一人で行くことにした。

 一番近い駅まで来たはいいが、当然のごとく道に迷う。道ゆく人に尋ねても、そんな大学は聞いたこともないという。仕様がないので白タクを捕まえて一緒に探す。俺は日本人だ、と言うとたいていの運転手は調子よくしゃべりだす。このときはまだ、この国では日本が愛されているんだな、と思っていたがそれは大きな間違い。単にお金を多めに稼げるという理由で愛想が良くなるのだ。結局、ちょっと多めに金を取られたがなんとか着いた。

 大学の担当者のところに行くやいなや、すぐに寮の部屋をくれ、と頼んだ。そしたら、あっさりOKがでた。担当者と一緒に寮の部屋に行った。ひどい部屋だ。でも、そのときは彼女から離れたいという気持ちでいっぱいだったので、すぐに引っ越すことにする。

 すぐに彼女の家に戻った。しかし、家に着くまで、依然として心は揺れていた。自分の部屋に入る。妙に部屋がすっきりしている。最初は何故だかわからなかった。でもすぐにわかった。彼女の荷物がない。たんすも一緒に使っていたのに空っぽ。場所がないので、彼女のスーツケースやダンボール箱などはぼくの部屋においてあったはずなのが、全部隣りの部屋に移されている。最後の一撃。ここを出よう。

 そこから先は早かった。彼女の母親がうだうだ言うのもお構いなし。こうなるであろうことはある程度予想していたので、ある程度荷造りはしてあった。荷造りを五分ほどで済ませ、引越しするために白タクを捕まえる。2000スムと言ったら断られた。4000スムまで値段を吊り上げられる。結構遠いので仕方ないか、と思っていたが、実はかなりぼったくられている。1000スムがいいところなのだそうだ。まあ、いいや。荷物を運んでいる間、彼女の母親はしゃべりっぱなし。それが嫌なんだよね。「私たちが何をしたって言うの!?」の連発。彼らは全くわかっていない。俺にだって意志はある。こちらの気持ちを全て無視してことを進めていたのは誰だってんだよ。一人で外に出ることさえ止められていたんだから。息苦しくってしょうがない。五階の部屋から荷物を下ろすのは一苦労だった。すると、彼女のお姉さんが手伝い始めている。おいおい、だれも頼んでないよ。

 最後の荷物を部屋から出すとき、彼女の母親は「あなたがかけた国際電話の料金を払ってちょうだい」まあ、お金を払うのは当然のことだから何の問題もないのだが、こんなタイミングじゃなくても・・・。

 いつのまにか、お姉さんはタクシーに乗りこんでいる。「なんで?」と聞くと、一応どんなところか見ておかないと、とのこと。もう、うんざりだ。寮に行くまで、ガソリン代を払えだの、何だのと運転手は言ってくる。さんざん迷った挙句、到着。迷ったせいで追加料金1000スム取られる。ばかやろー。

 寮についたが、人気が全くない。何もすることがないので、とりあえず晩御飯を買いに町に出る。町に出るといっても、今いるところがいったいどこなのか全くわからない。チランザールの駅が一番近い駅だということしかわからない。タクシーを捕まえれば早いが、それではこの寮に来るまでの道筋が憶えられない。この辺には日本のような標識もないし、目印になるものが何もないのだ。もし寮までたどり着けなかったら、という不安。不安というよりは恐怖に近い感情だった。こんな町で野宿は危険すぎる。歩いてみる。やっぱり暑い。地獄のような暑さの中、太陽の下に剥き出しになった街道の上を歩く。乾いた空気が最大の敵だ。ほこりっぽい風は、まさに砂漠のそれである。パゾリーニの映画で「アポロンの地獄」というのがあったが、その冒頭のシーンにそっくりだ。広い街道の歩道。俺の横を車がものすごい勢いで通りすぎる。横に目をやると・・・。描写できない。荒れ果てた大地が広がるのみである。

 人がいる街角に着くまで約20分歩く。そこで、駅までどれくらいかかるかたずねると、まだまだおそろしく遠いという。しょうがないので白タクを捕まえて、駅まで行く。寮まで遠いが道筋そのものは簡単だった。

 地下鉄で街の中心、アミール・チムール・ヒヨボネに行く。寮には電話がないので、日本との連絡手段がない。引っ越したことはなんとか両親に伝えなければならないので、近くにあった超高級ホテル、ラ・メリディアンに入って、フロントのお姉ちゃんにたずねてみる。ホテルからかけてもいいとのこと。電話はコンピュータ管理されているので、その場で支払いも出来てしまう。かけ方がわからないので、お姉ちゃんにやってもらう。母親に引越しのことを告げると、「そんな時が来るとは思っていたけどね」 親までもそう思っていたとは・・・。 電話も終わりお金を払おうとすると、スムじゃなきゃだめだという。高級ホテルだから、ドル払いでいいだろうと思っていた。

 ホテルの二階の両替所があるからそこで両替しなくちゃならない。「いくら両替しますか」と聞かれて、考えるのが面倒だったので「100ドル」と答えてしまった。そのあとがたいへん。公定のレートは1ドル100スムぐらいだが、実際のレートは600、700スムぐらい。高級ホテルだから公定のレートかと思っていたら、街中で換えるのと変わらなかった。100ドルで68000スムぐらい。10000スムの束(100スム100枚)が6つ。急に大金持ちになった気分。ちょっとうれしい。でも、そのときバッグのようなものを持っていなかったので、どこに入れていいかわからない。こんな町でお金を剥き出しで持って歩くなんて恐ろしいことは出来ない。あっ、東京でも同じか。しょうがないのでポケットや財布に出来るだけ入れて、どうしても入らなかった札束一つはジーパンのベルトのところに挟みこむ。ずり落ちないようにしなきゃ。側から見たらとっても変な人なんだろう。異常に膨らんだポケット。ベルトのところで札束が落ちないように常にお腹をおさえていなければならず、変な歩き方になっている。フロントに行く。「両替できましたか?」と聞かれたので、「出来たけど失敗しました」と言ってベルトのところの札束を見せる。彼女は笑っていたが、こんなときに笑いを取らなくてもいいのにね。「トルコで両替したらもっと大変なことになるわよ」と彼女は笑いながら言っていた。とっても感じの良い応対。少し心が和む。また行こう。

 その足で、近くのスーパーマーケットに入る。スーパーマーケットにはいいものがあるが、当然高い。でも、かなり疲れていたのでそこで必要なものを買う。パン、缶詰のソーセージ、水、プリングルス。プリングルスは1800スムぐらい。日本と値段の差はない。ということはここではかなり高いということになる。

 チランザール駅のそばで魚のキムチを買い、タクシーで寮に帰る。部屋のある二階への階段を上っていると、上から人の声がする。急いでかけあがる。1組のカップルがぼくの部屋の隣りに入っていこうとしている。そういえば、昼ここに来たとき、韓国人の夫婦が隣りにすんでるって言ってたっけ。声をかけたが、どうも様子がおかしい。俺のロシア語そんなに変なのかな、と思ったら。彼らはロシア語がしゃべれない。英語なんて俺はしゃべれない。単語をつないで何とかコミュニケーションをとる。彼らはウズベク語の勉強のためにタシケントに来たのだそうな。仲が良いのでちょっとむかつく。なんかあったら助けるから、と言っていたがたぶん助けてくれないだろう。彼らが言うには俺の部屋の隣りの隣りに若い女の子が住んでいて、彼女はロシア語がしゃべれるという。これはラッキー。でも、今留守でいつ帰ってくるかはわからない。まあ、いいや。

 部屋に入って、夕食。パンとキムチは合わない。スーパーで買ったハイネケンのボトルを歯で開けて飲む。ワイルドな感じがしてちょっと得意げ。わびしいけど冒険が始まったみたいで変にわくわくする。というか、無理にでもわくわくしないと失恋のショックの波に飲まれそうになるから、鼻歌交じりで雰囲気を演出。ビールはとても小さいビンに入っていたのですぐなくなる。もう一つ買っておいたカールスバーグは歯であけられなかった。生意気だ。酔うところまでいかないまま、ディナーを終了。ベッドに横になりボーっとする。ロシア語の新聞でも読もうと思ったがとてもそんな気分になれない。

 すると、部屋のドアがノックされる。また、彼女のお姉さんだったら嫌だな、と思ったがどうやら違うらしい。女性の声。何語をしゃべっているのかよくわからない。なんとなくロシア語のようだ。「隣りに住んでいるものです」というのは聞き取れたのでドアを開ける。そこにいたのは韓国人の女性。まさかまたもや韓国人とは思っていなかった。俺の部屋から明かりがもれているのを見てきたのだそうな。それにしても、彼女のロシア語はめちゃくちゃ。訳してみるとこんな感じ。「わだすは韓国から来る。わだすはロシア語が勉強する。きょう」とにかくひどい。こちらの言っていることもよくわかっていないみたい。とてもじゃないが付き合っていく気にはなれなかったので、適当に返事をして部屋に戻る。

 トイレに行く。部屋にあるのではなく、各階共同。とても汚い。しかも水を流すためのレバーもひももどこにもない。大のときはどうすんだよ。当然トイレットペーパーもない。買っておいてよかった。シャワー室を探す。地下にあると聞いていたが、地下にあるのは廃墟のような倉庫だけ。まじかよ。探そうにも、管理人のおばちゃんはウズベク語しか話せないから、ロシア語で聞いてもどうにもならない。普通、ロシアの大学にある外国人用の寮だと食堂があって、自分で料理するためのキッチンがあると聞いていたが、ここにはそんなものはない。みんな何食ってんだ? ここに来て三時間。もう限界。ここに1年間住むなんてできっこない。部屋に戻って、MDで音楽を聴きながらボーっとする。すると、突然の停電。もうかんべんしてくれ。

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はぐれミーシャ純情派 

2009年01月30日

今日は「はぐれミーシャ純情派」の第13話をお届けしました。
ここまでがこの話の前半です。

ここまでの部分は自分の記憶を元に書いたものです。
もう9年も前のことですから、記憶に曖昧な部分も多く、思い出すのに苦労しました。
でも、自分自身の記録を残すために、いずれは書かないといけないと思っていたので、思い切って書くことにしたのです。
正直、最後のほうは書くのがかなり難しかったです。

ここからはタシケントで書いた文章をそのまま載せていきます。
ほとんどリアルタイムで書いた日記です。
今読むと稚拙な文章ですが、そのままの「生」の感情を伝えるため、あえて文章の訂正などはしません。

以前にもお断りしましたが、元々は自分自身の為に書いたものなので、他の人に読んでもらうことを想定して書いたわけではありません。
なので、細かい描写が異常に長かったり、読みにくい文章になっているかもしれません。
今読み返しても、非常にエゴイスティックで独りよがりの考え方だなあと恥ずかしくなるばかりです。

しかし、この文章を変えてしまうことは、その時の自分に対する「裏切り」のように感じるのです。
なので、あえて文章はそのまま載せます。
いくら恥ずかしくても、です。
それは今の自分に対する戒めでもあります。

明日からは毎日「はぐれミーシャ」を載せていきます。
以前書いたものをコピーして載せるだけですから楽なんですけどね。
もちろん、今現在の日々の出来事もちゃんと書いていきますよ。

「はぐれミーシャ純情派 タシケント激闘編」をお楽しみに!

過去のはぐれミーシャ
第一話 出会い
第二話 デートなのか、国際交流なのか
第三話 焼き物からカルボナーラへ
第四話 スパニッシュオムレツ in 世田谷
第五話 二つのコートと一つのポケット
第六話 それは鎌倉の空から始まった
第七話 一秒の決断
第八話 ドトールで指輪の交換を
第九話 うちにおいでよ
第十話 桜の花びらが舞う頃
第十一話 束の間の別れ
第十二話 愛で自転車が曲げられますか?
第十三話 僕たちの約束の場所

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はぐれミーシャ純情派 
2000年6月25日の朝、僕はタシケントに向けて旅立った。

グーリャと出会ったのは1月4日のこと。
知り合って半年ちょっとしか経っていないのに、僕はすでにタシケントへ向かっている。
我ながら早いと思うが、それまでもロシア語圏で日本語を教えようと思っていたわけだし。
たまたま予定が早まっただけで、たまたま行き先がウズベキスタンになっただけのこと。
この旅立ちが人生の重要なターニングポイントになることなど微塵も感じない。
むしろグーリャとの生活、見知らぬウズベキスタンの文化のことを考えるとワクワクする。

飛行機はあっという間にソウルに到着。
ここで8時間ほど待たないといけない。
僕は何もすることがなく、グーリャのことを考えて、空港のソファーにずっと座っていた。

次のタシケント行きの飛行機に乗ろうとしたとき、ちょっとしたトラブルが。
僕のスーツケースがまだ飛行機に乗っておらず、どこにあるかわからないと言う。
アシアナ航空の職員はロシア語がわからないので片言の英語で抗議。
「何とかスーツケースを見つけて、次のタシケント行きの便で送るから」と言ってくるのだが、こっちはそれじゃ困る。
しばらくすると、空港職員の所に無線で連絡があり、「スーツケースは無事に発見されて、飛行機に乗せたそうです」
本当なのか!?
これじゃあ、タシケントでスーツケースを見るまで安心はできんな。

飛行機の中に乗り込むと、みんな待ちかねた様子。
グーリャのお父さんが向こうから「大丈夫か?」と声を掛けてくれる。
やっとタシケントへ出発!

飛行機の中は結構日本人もいる。
隣に座ったのも日本人のおばさん。
何でも、息子さんがウズベキスタンで活動しているNGOかなんかで働いているらしく、会いに行くのだそうだ。
感じのいい人で、最初はよかったのだが、いつまでも終わらない息子の自慢話にちょっと閉口。
黙るのがいけないとでも思っているようで、ゆっくり穏やかな口調ながらも止まることなく話し続ける。
まいったなあ。

晩ご飯の時間。
おばさんと話しながらの夕食。
そして、照明が暗くなり、就寝の時間。
おばさんも寝てる。

僕は全く寝られない。
この一ヵ月半、この瞬間ばかりを待っていた。
グーリャ、僕を見たら、どんな顔するかな。
グーリャは僕がタシケントに行くと言っても信じてくれず、「タシケントの空港であなたを見るまでは信じられない」と言っていた。
僕が「本当に僕のことを信じてないの?」と聞くと、「そうじゃないね。ただすごく来て欲しいね」
もうすぐだよ。
もうすぐで僕たちはまた出会えるんだよ。

1時間半ほど経つと、電気がつけられて「朝食の時間です」
さっき晩ご飯食べたばっかりだろ!
そんなにしょっちゅう食えるか!
でも、出されたものは食べないとね。

タシケントの空港に無事に着陸。
途中、結構揺れたから、怖かった。
着陸した瞬間、乗客から拍手が起こる。

夜中の2時過ぎ。
外は真っ暗。
空港の建物以外は何も見えないほど。
でも、ここって国際空港だよね?
もうちょっと明るいもんじゃないの?

地上に降り立ち、すぐにバスへ。
バスはかなり古い。

空港の建物に着くと、パスポートコントロールがあって、それから税関審査。
税関申告書を書かないといけないらしいんだけど、僕は何のことやら全くわからない。
そうこうしているうちに、荷物がベルトコンベアーに乗って現れる。
僕のスーツケースも出てきた。
あー、よかった。
スーツケースの他に段ボール箱3個。

税関のところへ行くと、申告書も何も見ず、あっさり通されてしまった。
いいんだろうか?

出口のほうに行くと、グーリャが手を振って待っている。
僕はそこへ駆けていく。
僕はグーリャを抱きしめる。
でも、家族の前だから控えめに。
グーリャ「久しぶり〜」
僕「どう? これで信じた?」
グーリャ「そうね。やっと信じたね」
もうちょっとドラマティックな出会いになるかと思ったんだけどなあ。

グーリャに迎えに来た親戚一同を紹介されるが、誰が誰か全くわからず。
長旅の疲れもあるのだろう。
話しが耳に入ってこない。
ただグーリャの顔を見つめる。
彼女も僕を見つめる。
言葉は要らない。
彼女の笑顔が全てを物語っている。

僕たちは真っ暗な駐車場へ向かう。
親戚の男たちが荷物を運んでくれる。
夜の闇にまぎれて、僕とグーリャはちょっと手をつないでみる。
触れた手の熱が心の奥にまで伝導していく。

荷物を車に載せ始めて、何かがおかしいことに気づく。
なんか身軽だなあ。
と思ったら、スーツケースがない!
親戚の男たち、みんな走り出す。
僕も男たちの後に走り出す。
グーリャはケラケラ笑ってる。

空港の建物の前に、飛行機で一緒だったウズベキスタンの外交官が僕のスーツケースを前に途方にくれている。
外交官「いやあ、どうしたものかと思ってね」
ありがとう!
みんなの話では、これはかなりラッキーなこと。
スーツケースがなくなっても文句は言えないところだったそうだ。
まあ、空港みたいに人の出入りが多いところで、スーツケースを置いてどこかに行くなんて、自殺行為だろうからな。

後から聞いた話しによると、このとき、グーリャの親戚たちはみんな「あの日本人はいい奴だ」と思ったそうだ。
どうしてかというと、「着いていきなりスーツケースを忘れるようなおっちょこちょいに悪い奴はいない」
喜んでいいのか悪いのか・・・

どこに行くのかわからないまま、車に揺られること約20分。
ついたのは住宅街のマンション。
僕の荷物だけを降ろしている。
何でだろう?と思って、聞いてみると、そこはグーリャの叔母さんのうち。
グーリャには叔母さんが二人いる。
今いるのはミーラ叔母さんのうちの前で、グーリャが住んでいるのはラリサ叔母さんのところ。
グーリャパパに聞くと、「ラリサの所は部屋が足りないから、お前はここに一週間住め」
えーっ! 何、それ!!!

というのも、グーリャ一家のマンションは4年もほったらかしだったから、とても住める状態じゃないらしく、簡単なリフォームが済むまでは他のところで我慢しないといけないのだ。
でも、グーリャと一緒じゃなかったら、全く意味がないじゃないか!
着いて2時間も経ってないのに、また別々になるのは絶対に嫌だ。

僕は必死に抵抗する。
グーリャもパパを説得する。
グーリャパパ「ラリサの所は狭いけどいいのか?」
僕「もちろん!」
ただ単に狭いから、日本から来たお客さんを住ませるのは悪いと思ったらしい。
親戚側がみんな折れてくれて、僕とグーリャは一つ屋根の下に暮らすことに!!!

でも、よく考えたら、すごい迷惑な話だよなあ。
だって、居候の分際で「ここには住みたくない」なんて言うんだから。
我がままだとは知りつつも、ここは折れるわけにはいかない。
グーリャと一緒にいるためにタシケントまで来たのだから。

またみんなで窮屈な車に乗って、ラリサ叔母さんのうちへ。
そこは4階にある、ごく普通のマンション。
中に入ると、歓迎のパーティーでもするのだろうか、テーブルがセッティングされている。
僕は疲れでボーっとしている。
まだパーティーの料理が出来上がっていないらしく、1時間ほど待つことに。

パーティーが始まったのは朝の4時半。
みんなかなり眠そうな顔をしているんだけど、それでも歓迎の宴ははずせないらしい。
メインの料理はテーブルの真ん中にドーンと鎮座しているプロフ。
プロフというのはまあ、言ってみればピラフ。
でも、味付けは香辛料がきいていて美味。
そして、お酒はウオッカ。
フィンランディアという高級ウオッカ。
僕は疲れているのもあって、ほとんど飲めない。
まあ、疲れていなくても、ウオッカなんて飲めないのだが。

疲れていて、みんなが何を話しているのか全く理解できず。
向こうも僕に気を使うことなく、内輪話をしているから、こちらとしては好都合。
僕とグーリャは手をつなぐことはできない。
僕たちが恋人であることはみんなは知らない(ことになっている)。
僕たちはテーブルの下、足だけで会話をする。

パーティーは一時間ほどで終了。
外はすっかり明るい。
みんな疲れ切っている。
僕はラリサ叔母さんの娘、アレーシアの部屋を使わせてもらう。
グーリャはアレーシアと一緒にバルコニーで寝る。
僕は泥のように眠り込む・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次の日、起きたのは朝の10時。
僕はどんなに疲れていても、遅くまで寝ているのが苦手だ。
朝起きると、グーリャとラリサ叔母さんが町へ買い物に行くと言う。
なので、僕も一緒に行くことに。

外に出ると、暑い。
昨日、飛行機を降りたときも夜中なのに蒸し暑いなあと思ったが、やはり昼の暑さとは全く違う。
この暑さは強烈だ。
グーリャは「だいじょうぶ〜?」と心配してくれるのだが、あんまり大丈夫じゃない。

最初にラリサ叔母さんがお金を両替するとかで、何かの建物に寄り道。
外に出てまだ15分しか経っていないのに、僕はKO寸前。
暑い。
とにかく暑い。

両替が終わって、僕たちはタクシーで市場へ行くことに。
市場はごちゃごちゃしていて、人でごった返している。
屋根は一応あるのだが、ほとんど露天。
日本では見たことのないような雰囲気。
売っている日用品も、見たことのないようなものばかり。
おもしろいのだが、暑くてかなわない。

うちに帰った頃には、僕は完全にKO状態。
おそらく、日射病だろう。
そんなに長い時間、外にいたわけじゃないのになあ。
その日はそのままベッドから立ち上がれなかった。

・・・・・・・・・・・・・・

次の日、僕はグーリャとアーニャに付き添ってもらって、ウズベキスタンの友好協会へ行く。
日本の友好協会がその協会と連絡を取って、僕の仕事先を探してもらったのだ。
地下鉄で10分ぐらい。
そこから歩くのだが、これがまた暑い。
アーニャが町を歩く人に道を聞きながら、何とか目指す建物に到着。

協会の事務所に入ると、協会の偉い人のところに通される。
その人はおばさんなのだが、異常に愛想が悪い。
というのも、実は僕がタシケントに到着したとき、僕を迎えに協会の人たち数人が空港内で待っていたのだそうだ。
名前を書いた紙を持って立っていたのだが、僕は全く気づかなかった。
結局、彼らは3時間近く待ち続け、その後も僕からの連絡がないので、ものすごく心配したのだそうだ。
それは悪いことをしたなあ。
でも、迎えに来てくれるなんて、一言も言ってなかったのに。

おばさんは「まあ、好きなようにすれば」と言って、完全に怒りモード。
協会を出ると、アーニャがキレまくる。
「あんな失礼な人、初めて会ったわ!」
グーリャは「やっぱり日本とは違うね」

そのあとはアーニャの知り合いに会うことに。
町の中心にあるティムール公園で男の子と待ち合わせ、近くのハンバーガー屋に入ることに。
僕は暑さでまたもやKO寸前。

ハンバーガー屋はそれほど人がいない。
それもそのはず、値段が恐ろしく高い。
正確には覚えていないが、日本のマクドナルドよりも高い値段。
しかも、冷えたハンバーガーを電子レンジで温めるから、ベチョベチョ。
グーリャが「何食べる?」と聞いてきたのだが、暑くて食欲がないところに、あんなハンバーガー食べたらヤバイだろうと思い、飲み物だけに。

僕は一言も話せない。
暑さで吐き気がする。
みんな、僕のことはそっちのけでおしゃべりしている。
グーリャが「どうして話さないの?楽しくないの?」と聞いてくるが、こんな体調で楽しいはずがない。
結局、早めにうちへ帰ることに。
何かうまくいかないなあ。
僕のせいで楽しい時間をダメにしてしまったような気が・・・

・・・・・・・・・・・・・・

僕たちは結婚していないから、一緒に寝ることは出来ない。
ウズベキスタンではその辺のところはものすごくカタイのだそうだ。
婚前交渉は一切タブー。
それにグーリャの家族や親戚たちは僕たちの関係を知らないのだから、恋人のような振る舞いは全くできない。

でも、夜中になって、みんなが寝静まると、グーリャが僕の部屋にやってくる。
そして、二人だけの夜が始まる。
日本にいたときは、一緒に夜を過ごすことは出来なかった。
初めて過ごす二人の夜は幸せに満ちた、満ち満ちた月の夜。

朝まで一緒にいるわけにはいかない。
もし一緒に寝ているところを見つけられたら、一巻の終わり。
だから、いくら眠くても、寝入ってしまうわけにはいかない。

朝の5時。
僕たちは台所に行く。
グーリャはのどが渇いたと言って、水道の水を飲む。
僕も何か飲みたかったのだが、冷蔵庫に飲み物は全くない。

グーリャが飲んでいるのを見て、僕も水道の水を飲みたくなった。
でも、水道の水を直接飲むのは少し心配だ。
グーリャに聞くと、「全然大丈夫だよ。私だって、飲んでるじゃん」
そうか、と思い、飲んでみる。
うまい。
のどが渇いていたから、ゴクゴク飲む。

それが大きな間違いだったと気づいたのは2時間後のこと。
恐ろしくお腹が痛い。
お腹を壊したというレベルではない。
胃を雑巾絞りされるような痛み。
トイレとベッドの上の往復をするのもやっと。
立ち上がれないほどの痛み。
もちろん、何も食べられない。

とにかくのどが渇く。
ラリサ叔母さんの娘、アレーシアにジュースを買ってくるように頼む。

アレーシアが買って来たジュースは「チャンピオン」という名前のジュース。
パッケージには金メダルを首にかけたレスリング選手、アレクサンダー・カレリンの写真が。
そのまんまじゃん。
さくらんぼのジュースだったのだが、これがバカうま。
感動的。
さすが金メダリスト!

僕はベッドの上を文字通りのた打ち回る。
出てくるのはうめき声ばかり。
グーリャは心配して、僕の部屋をしょっちゅうのぞきに来る。
かっこ悪い。
せっかくタシケントまで来たのに、三日目にダウンしてるなんて情けない。
でも、尋常な痛みではない。

次の日も痛みは引かない。
夜はほとんど寝られなかった。
昨日から何も食べていない。
というか、食べられない。
トイレに行くのもやっとという始末。

夜になって、グーリャがヘンな液体を持ってきた。
確かマルガンツォフカという名前だったと思う。
紫色で、飲みたいとは誰も思わないような液体だ。
グーリャが「これ、飲んで」。
それを飲むと、吐き気がして、胃の中のものを全部吐き出せるのだそうだ。

僕は薬というものが大嫌いだ。
これは子供のときからで、3歳ぐらいのとき、食後に飲むべき風邪薬を食前に飲んでしまい、後でひどい目にあったのだ。
そのとき以来、カプセルや錠剤はかろうじて飲めるようになったものの、粉末やシロップなどは一切飲まないのだ。
そんな紫色の変な液体、飲めないよ。

何とか僕に飲ませようとするグーリャ。
「子供みたいなこと言わないで」とか、いろいろ言ってくるのだが、飲めないものは飲めない。
グーリャは「じゃあ、わかった。私が飲んでみせるから、そしたらあなたも飲んでね」と言って、それを飲もうとする。
僕はそれを必死で止める。
僕は「もうちょっと寝ていれば大丈夫だから」とグーリャを説き伏せる。

結局、僕は3日間、ベッドから起き上がることも出来ず、寝たきりの状態だった。
水道の水は飲んじゃいけない!

・・・・・・・・・・・・・・

体調が回復した僕はグーリャとアーニャと大学へ行く。
僕が働く予定の大学。
出迎えてくれたのは副学長のフサン。
彼の部屋に入ると、扇風機が回っている。
久しぶりに見たなあ。

フサンは愛想がいいおじさん。
秘書のお姉さんも感じがよく見える。
僕にウズベク語の挨拶を教えてくれるのだが、かなり難しい。
グーリャもアーニャもウズベク語はほとんど理解できない。
グーリャパパはウズベク人だが、グーリャママはロシア人で、家族の中の会話は全てロシア語なのだ。
グーリャは「私もウズベク語、勉強しないとダメね」

フサンと条件の話をする。
大学の契約書を見せられる。
よく見ると、給料のところが「一ヶ月10ドル」になっている。
10ドル!
日本円で約1000円!
小学生のお小遣いだって、もうちょっと高いぜ。
日給の間違いかと思ったよ。

フサンに「あの〜、東京では一ヶ月50ドルと聞いてきたんですけど」と聞くと、「東京の人が何を言ったかは知らないが、私は50ドルなどとは一度も言ったことはない」
うーん、これはひどい。
でも、いまさら働かないとも言えないし、ある程度の金額のお金は持ってきているから、大丈夫かと思い、契約書にサインをしてしまう。

・・・・・・・・・・・・・・・

僕とグーリャの間にいったい何が起こったのか、僕には今でもわからない。
最初、僕たちはすごくうまくいっていた。
それこそが僕たち二人が望んだ生活だった。

その歯車が少しずつずれていく。
僕たちが一緒に過ごす時間は少しずつ短くなっていく。
グーリャは大学受験のために、毎日家庭教師のところに通っている。
宿題の量も半端ではない。
僕たちが一緒にいられるのは食事のときぐらい。

アーニャと一緒の時間が多くなる。
アーニャは大学も卒業してしまっているし、タシケントに帰ってきたばかりで特に仕事もない。
だから、どこへ行くのもアーニャと一緒。
大学へ行くのも、日本大使館に行くのもアーニャと一緒。

ずっと一緒にいると、アーニャのいろんな面が見えてくる。
彼女は「私はこんなに綺麗なのに、どうして恋人がいないんだろう」と真顔で言うのだ。
最初聞いたときはかなり驚いた。
だって、普通、自分で言わないだろ!
確かにアーニャは綺麗なのだが、僕にはグーリャしかいないのだ。

性格は非常に我がままで、こちらの言うことなんか聞いちゃいない。
そして、僕に対してアピールしまくり。
「私は頭がいいのに、なんで彼氏がいないんだろう?」
だんだん、彼女のことが嫌になる。

だいぶ後になって気づいたのだが、どうやらグーリャの両親は僕をアーニャと結婚させようとしていたのではないか?
例えば、どこかに行くということになったとき、僕がグーリャに「一緒に行こうよ」と言うと、グーリャママは「アーニャと行きなさい」。
確かにグーリャは受験を控えているから仕方がないとは言え、グーリャの両親は必要以上にアーニャと僕を一緒にいさせようとする。

でも、それも仕方のないことなのかもしれない。
ウズベキスタンでは18歳になる前に結婚している人もたくさんいる。
アーニャは23歳で、ちょっと適齢期を過ぎているのだ。
両親がお姉さんのほうを先に結婚させたいと思ったのかもしれない。

ある日、僕はグーリャにたまったストレスをぶちまけた。
もうアーニャと一緒にいるのは耐えられない。
アーニャはわがままで一緒にいるのは嫌だ。
僕は君と一緒にいるために来たんだ。
これじゃあ、何のために来たのかわからない。

それに、グーリャママのやり方も気に入らなかった。
意図的に僕とグーリャを遠ざけようとしている。
それに、「グーリャは忙しい」と自分で言っておきながら、グーリャにいろんな家事をさせている。
そんなのおかしいよ。

グーリャの態度はこの出来事を境に急変する。
彼女にとって、家族というのは絶対的な存在。
その家族を批判した僕をグーリャは許せないらしい。

僕にあっても、挨拶程度。
顔には怒りが満ちている。
ここまで変われるものか。
僕はグーリャに必死で謝るが、彼女は聞く耳を持たない。

僕たちの距離はどんどん離れていく。
僕とグーリャの間に高い壁が出来ていく。
僕は立ち上がれなくなる。
僕は食事がとれなくなる。
全く食べられない。
一週間ほど、そんな状態で過ごす。

僕は居場所をなくす。
そして、僕は力尽きる・・・

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はぐれミーシャ純情派 

2009年01月29日

今日はお休み!
何ですけど、大学の同僚が二人、結婚したので、そのお祝いに行きました。
中国語の先生とトルコ語の先生。
非常にいい人たちです。
私は大好きな人たち。

まあ、今日は休みということで、長い文章は書かないことにします。
これで、今日の訪問者が増えたら嫌だな。
私のブログ、長いですか?
数人の知人が「おもしろいけど、長すぎるよ!」と言ってたので。
そういうことを言われると、もっと長くしたくなるはぐれミーシャ・・・

IMG_0146今日のおまけ写真。
日本へ行ったニャコたちです。
かわいいですよ。
大学の同僚が日本へ持って行ってくれたんです。
ニャコたちも日本に行けて、喜んでいるのがわかります!

今日は贅沢にハイボールを飲んでいます!
ベラルーシではウイスキーが恐ろしく高いので、滅多なことでは飲めません。
知り合いにもらったウイスキー、もうなくなりそうなんですよね・・・
悲しい・・・

でも、今日は休み!
だから、休みます!(←当たり前)

akiravich at 03:54コメント(0)トラックバック(0) 
ベラルーシの生活 

2009年01月28日

グーリャがタシケントへ行ってしまった今、僕がするべきことはただ一つ。
一刻も早くタシケントへ行くことだ。
そのためにしなければならないことは山ほどあるはずなのだが、グーリャのところへ行くためなら、僕は何でもしよう、何にでもなろう。

空港から戻った僕は、早速手紙を書き始めた。
タシケントではインターネットを使うこともままならない。
タシケントではグーリャは家族がみんな帰ってくるまで叔母さんのうちに住むことになっている。
当然、そこにインターネットはない。
手紙と電話しか、彼女とつながる方法はないのだ。

僕は昨日、つまりグーリャが旅立つ前日にすでに一通目の手紙を送っていた。
ウズベキスタンに手紙が届くのがいつになるか、全く予想がつかなかったので、早めに出しておいたのだ。
手紙が届かないうちは彼女も寂しがるだろうから。

東京中央郵便局に電話してみる。
手紙がウズベキスタンまでどのくらいで届くのかを知るためだ。
非常に丁寧な応対だったのだが、その答えは曖昧なもの。
郵便局員「ロシアに限らず、旧ソ連圏への郵便物はまずモスクワに送られます」
聞けば、日本に近いウラジオストックやハバロフスクへの郵便物もとりあえずモスクワに行くらしい。
郵便局員「モスクワまではだいたい○日ぐらいかかります」
僕「じゃあ、そこからウズベキスタンまではどのくらいかかるんですか?」
郵便局員「わかりません」
えーっ! そんなー!
モスクワから先は向こうの郵便局員が担当することなのでわからないのだそうだ。
こりゃあ、困った。

その日の夜は私のアルバイト先、世田谷パブリックシアターでのアルバイト。
僕の仕事は楽屋事務所での受付。
つまり、楽屋の入口に座って、入館者をチェックしたり、楽屋の管理、全員が退館した後の鍵閉めなど、重要な雑用なのだ。
しかし、基本的には座っているのが仕事。
劇場職員の方に何か雑用を頼まれたときは別だが、普通は座っているだけなのだ。

手紙を書いていると、仕事を終えた技術部の人たちが事務所に戻ってくる。
ある日、私が一度も話したことのない照明係の人が「おっ、古○くん、勉強かい?」と声を掛けてくれた。
僕は「いいえ、彼女に手紙を書いてるんです」というと、「ロシア語でかい? いいねえ」とニコニコ。
何かすごくうれしい。

僕は劇場に座っている間、グーリャへの手紙を書いていた。
僕は毎日、手紙を書き続けた。
多いときは一日に二通書いた。
近所の郵便局や劇場近くの郵便局から送るのだが、「ウズベキスタンまで速達でお願いします」と言うと、大抵の郵便局員は「ウズベキスタン?・・・えーっと、それはどの辺りの地域でしょうか?」
まあ、無理もない。
僕だって、最初はいったいウズベキスタンがどこにあるのか知らなかったのだから。
ほとんど毎日「ウズベキスタンまでお願いします」と言い続けていたら、郵便局員に顔を覚えられてしまった。

手紙の中には毎回、自分でロシア語に翻訳した日本の現代詩を入れた。
グーリャはいつも「ウズベキスタンは日本と違って、面白いものが何にもないね。すごく退屈すると思うね」と言っていたので、少しでも退屈しないようにと思ってのことだ。
日本語からロシア語に訳すのは非常に難しいことだ。
普段なら、そんな大変なことはしようとも思わないだろう。
しかし、その頃の私はとり憑かれたように辞書をめくっていた。

グーリャに電話できたのは2日後のことだった。
ウズベキスタンまでは最初に韓国のソウルへ行って、そこで飛行機を乗り換えてから行くので、かなり時間がかかるのだ。

電話をかけると、受話器をとったのはグーリャの叔母さん。
僕がロシア語で「すみませんが、グーリャはいますか?」と聞くと、おばさんは最初は戸惑ったような声で「あ、はい、グーリャね。今呼ぶから」
電話に出たグーリャ、「こんにちは〜。元気〜?」と相変わらず緊張感ゼロの声。
声も近くて、東京とタシケントで離れている感じは全くしない。
僕「そっちはどう?」
グーリャ「暑くて、死にそうね」
まだ5月なんだけどなあ。
会話そのものは全くたわいのない雑談。
でも、電話を通して聞こえてくるグーリャの声は僕たちの生命線だった。

僕は毎日グーリャに電話をした。
最初は5分程度のものだったのだが、その時間は次第に長くなり、長いときで1時間半にも及んだ。
電話でケンカをしたこともある。
国際電話でケンカをするなんて、非常に贅沢。

そこで心配になるのは電話料金。
最初は近くの公衆電話からかけた。
うちからかける方法を知らなかったし、硬貨を使ったほうが自分がどれだけお金を使っているのかわかるから、無駄遣いしなくていいと思ったからだ。
でも、さすがに国際電話だから、10円玉なんかでやると、一枚5、6秒の速さで落ちていく。
100円玉だと、多少は持つがそれでもスピードは速い。

日本とウズベキスタンの時差は4時間。
昼間はグーリャも受験勉強などで忙しいだろうから、タシケントの夜の8時や9時に電話をするのだが、東京の時間は夜中の0時や1時。
一番近い公衆電話までは自転車で7、8分のところ。
僕は自転車をかっ飛ばして、公衆電話へ急ぐ。
ポケットに大量の硬貨を入れて。

僕はよく自転車で転んだ。
転ぶのはグーリャと電話で話す前よりも、話した後のほうが多かった。
おそらく、かなりボーっとしていたのだろう。
グーリャと話せた喜びで、僕の頭の中はバラ色だった。
傍から見たら、夜中に思いっきりニヤニヤしながら、自転車をかっ飛ばす男はかなり危険人物に見えたことだろう。

ある日、僕はグーリャに電話をかけてから、うちに自転車で帰る途中、ものすごい勢いで転んだ。
奇跡的にもちょっとした擦り傷で済んだのだが、自転車のほうはどこかの部品が曲がってしまったらしく、まっすぐ進むことが出来ない。
翌日、自転車屋に持っていってみると、ハンドルがついている一番太い軸の部品がひん曲がっているらしく、自転車屋のおじさんに「どんな転び方をしたら、こんな部品がこんな風に曲がるのか見てみたいよ」と言われた。
自分でも見てみたいよ。

僕はタシケントに行く準備を着々と進めていた。
タシケントでの仕事はすでに決定。
ウズベキスタン世界言語大学というところで日本語を教えることに。
給料は一ヶ月50ドル。
恐ろしく安いが、タシケントでは十分生活できる金額なのだと言う。
でも、一番大事なのはグーリャ。
正直、どこで仕事をするのかはそれほど大事ではなかった。

そして、問題なのが飛行機のチケット。
どの旅行会社に電話をしても、いいチケットが見つからない。
グーリャと同じ、ソウル経由で行こうと思ったのだが、かなり人気のある路線らしく、なかなか取れない。
6月中で一番早い時期のチケットという条件で探していたのだが、全く見つからず。

ある旅行会社に電話したときのこと。
「タシケントまでですか? はい、大丈夫ですよ」と言ったので、一瞬喜んだ私。
日にちもかなり早いもの。
僕「それって、ソウル経由ですよね?」
旅行会社「うーん、それは難しいかもしれませんが、がんばってみます」
何か会話がかみ合わない。
ソウル経由なのかと何度聞いても、違うとは言わない。
なのに、向こうは「じゃあ、タシケントまで6月○日のチケット、予約するということでよろしいですか?」
なかなか経由地を言わない相手に、しびれを切らした僕は「どこ経由のチケットなのか言ってくれないと、予約はできません!」と怒り声で反撃。
実はそのチケットはクアラルンプール経由。
しかも、クアラルンプールでホテルに二泊しなければならないというもの。
これじゃダメだということでお断り。
東南アジアの国を経由するのって、何かちょっと怖い感じがして・・・
他にもイスタンブール経由やパキスタン経由などを勧められたが、まあ、クアラルンプールと似たり寄ったりなのでパス。

結局、ソウル経由のチケットを取ってくれたのは、銀座にオフィスがある旅行会社。
早速、料金を払いに銀座へ。
非常に気持ちのいい応対で、こちらも気分がよくなる。

タシケント行きのチケットは6月25日出発のもの。
タシケントへの到着は日付が変わって、6月26日になる。
これでやっとグーリャに会える日が決まった。
そのことをアーニャに電話をして伝えると、「そう。じゃあ、私たちも同じ飛行機にするから」
ということで、同じ飛行機でみんなでタシケントに向かうことに。

グーリャとは毎日電話。
公衆電話まで行くのが大変になり、僕は国際電話のプリペイドカードを使うようになった。
電話代は○万円・・・

手紙もグーリャのところに届くようになった。
かかった日数は二週間。
速達なのだが、その意味はほとんどないらしく、タシケントに着くまでは普通郵便と一緒。
タシケントについてから、現地の郵便局員が速達として、早めに届けるということなのだそうだ。

僕が毎日手紙を送っていたからと言って、毎日届くというわけではなく、グーリャは4日に一回、4通(または5通。一日に二回手紙を出したこともあったので)の手紙を受け取っていた。
内容はほとんど日記。
その日にあった出来事を書き連ねる。
そして、愛の言葉も。
毎回、一緒に送っていた詩もグーリャは楽しみにしていたらしい。
グーリャ「本当に面白いね。あなたのロシア語、だんだん上手になってるね」

ある日、お姉さんのアーニャから電話があり、「グーリャからの手紙を預かっているんだけど、今度会いましょう」
数日後に恵比寿の駅で待ち合わせ。
アーニャから手紙を受け取る。
手紙はノートから破り採ったものに書いたらしい。
封筒の形に折ってあって、周りがホッチキスで留めてある。
全くもって、開けにくい。

手紙の中身はロシア語と日本語のミックス。
半ページにわたって、「書きたいんだけど・・・どうしようかな・・・恥ずかしいな・・・」と書いてあり、そのあと「じゃあ、思い切って書くけど・・・好き!」
なんじゃそりゃ?
今までは好きじゃなかったのかいな!
実はそういうわけではなく、ロシア語では「あなたが好き」という言葉は日本語で言うところの「愛してる」に相当する、かなり深い感情の言葉なのだ(ということは後で知った)。

出発への準備を進める。
マンションを引き払う準備、いろんな人とのお別れ会など、やるべきことは数限りない。

でも、止まるわけにはいかない。
僕はグーリャのところへ、愛する人のところへ行くのだ。
彼女に会える瞬間はもう手の届くところまで来ている。
僕は今は会えないグーリャのことだけを考えて生きている。

会えない時間は愛を育てない。
会えないのは会えないだけで、苦しいだけだ。
会いたいから会いに行くのであり、そこがウズベキスタンだろうが、世界の果てだろうが、そんなことはどうでもいいのだ。

僕の周りにいた人たちの中には「あいつはちょっと頭が狂ったのかもしれない」と言っていた人がいるらしい。
狂えない人たちを僕はかわいそうだと思う。
むしろ狂っていた頭が正常になったような気さえする。

「好きな人のためにそんなところまで行くなんて、勇気あるよね」と言った人もいる。
これは勇気ではない。
人を愛するのに勇気なんかいらない。

僕はタシケントに向けて飛び立つ。

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はぐれミーシャ純情派 
今日から一年生の授業開始!
朝の8時半はきついナリよ。
でも、今日も楽しく授業が出来ました。

授業は11時20分まで。
そして、東洋語講座の部屋へ。
そこには韓国人のハンナさんが。
ハンナさんはずっと前からうちの大学で韓国語を教えている女性。
非常にいい人です。

先週、豆腐を売ってもらったのですが、昨日も電話で豆腐を注文したのです。
そのとき、ハンナさんは「キムチも作ってるんだけど、欲しい?」
わたしゃ、飛び上がりましたよ!
だって、辛いもの好きの私にとって、キムチは最高に好きな食べ物の一つ。
なので、キムチも一キロ注文したのでした。
「おいしくなかったら、お金返すから」って、連発してましたけど、見た目は最高においしそう!

そして、急いで帰宅。
なぜ急いでいたのかというと、全豪オープンテニスの生中継を見るためです。
私が大大大好きなエレーナ・ドキッチが準々決勝で、ディナラ・サフィナと対戦するのです!!!
おとといの試合を見て、私は彼女の完全復活を確信しました。
昔のプレーを思い出しました。

テレビをつけると、第3セット。
この全豪オープンでは、全試合第3セットまでもつれ込んでいます。
サフィナは現在世界ランキング第3位の強豪。
ドキッチが表舞台から姿を消した後、なかなか好きなテニス選手が見つけられず、一年ぐらい前にプレーを見て、好きになったのがサフィナだったんですよ。
うーん、サフィナも大好きだけど、今日はドキッチを応援しよう・・・

12時半から学生が勉強に来たので、泣く泣くビデオを撮ることに。
14時に学生が帰ったら、すぐにビデオ再生!

ゲームは一進一退。
ドキッチは今はオーストラリアの選手(←元々はユーゴスラビアの出身)。
なので、会場はドキッチに対する応援でものすごい。
ドキッチの集中力はすごかった!
愛想笑いなど全くなし。
それでいいんだよ〜!
精神的に崩れることなく、どんな場面でも感情をボールだけに向けて、ひたむきな姿。
感動しました!

特に第9ゲームでドキッチがブレークした場面。
私は泣きそうになりましたよ。
これが何年も表舞台に立っていなかった選手のプレーなのか!と。

プレー中、コートに入ったか、つまりインかアウトかの判定に疑問がある場合、選手はビデオでのプレビューを求めることが出来ます(←無制限に出来るわけではなく、決まった回数しか出来ません)。
ドキッチも何度かプレビューを求めたのですが、アウトの判定だったのが、ビデオ判定ではイン!
線審の判定が何度も覆されました。
一方、サフィナがビデオ判定を求めたときは、全て「アウト」。
何か不思議なエネルギーを感じざるを得ませんでした。

最後は・・・
サフィナの勝ち!
ドキッチの粘りはすごいものがありましたが、やはり世界ランキング3位の実力。
ドキッチには心から拍手を贈りたいです。
これからもグランドスラムをはじめ、いろんな大会に顔を出してもらいたいものです。

授業も終わり、晩ご飯の時間!

P1272004念願のキムチ!
写真、うまく撮れなくてゴメンナサイ。
まだ漬かりが浅い感じでしたが、おいしく頂きました。
割とソフトな感じですね。
うちのベロニカちゃんは辛いものが苦手なんですが、それでも食べられましたから。
これで豚キムチとか、キムチチゲとかしよう!

P1272005P1272008左側は豆腐と豚肉の炒め物、右側は豆腐とわかめの味噌汁です。
この豆腐、おいしいんですが、すごく固いんですよ。
食べたことないんですけど、沖縄の島豆腐とか固いって言いますよね?
あんな感じなのかなあ。
イメージとしては、ものすごく密度の濃い、豆腐味のういろうという感じです。
なかなか味が入っていかないんですよ。
豚肉はいい感じに味がついているのに、豆腐にはあまり味が入っていないんです。
煮込んだほうがおいしいかもね。
味噌汁のほうは無難においしかったです。
こういうシンプルな味噌汁、いいなあ。
っていうか、ここがベラルーシであることを一瞬忘れました・・・

次に、豆腐が仕込まれるのは金曜日。
土曜日にハンナさんに会って、売ってもらう予定です。
おからもただでくれると言っています。
おからって、卯の花以外にどうやって料理すればいいんだろう・・・
ちょっとレシピを研究しないと!

大豆製品は体にいいって言いますよね。
なので、これからは積極的に採っていきたいと思います。
もう35歳ですからね。
体のことを考えないと。

P1261997今日のおまけ写真。
ベロニカちゃんが作った新作、「黒ニャコ」です。
かわいいでしょ?
何とも言えず、かわいい顔をしています。

明日は休み!
なのですが、大学の同僚で、中国語の先生とトルコ語の先生が結婚して、明日は大学の同僚みんなでお祝いするんですよ。
顔を出さないといけないので、純粋な休みではないですね。
でも、仕事はないから、それだけでも喜ばないと・・・

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ベラルーシの食生活 | 日本語教師の仕事

2009年01月27日

今日もベラルーシ人の名前について書いてみたいと思います。

日本人と違って、ベラルーシ人は名前のバリエーションがあまりないんですよ。
日本人だと、いろんな名前があるし、同じ名前でも漢字が違ったりするじゃないですか。
それに、新しい名前を作ろうと思えば、いくらでも作れてしまいますよね。
でも、ベラルーシ、いやロシア語圏ではある程度決まった名前の中から選ぶという感覚が強いようです。

そこで。
私とベロニカちゃんで「よく聞く女の子の名前ランキング」を作ってみました。
客観的なデータなどは全くありません。
私たちがよく聞く名前を3段階に分けてみようと思います。

一つ一つの名前に自分勝手なコメントをつけてみようと思います。
同じ名前の人が多いので、それぞれの名前にイメージがついてしまうことが多いんですよ。
例えば、知り合った人の名前がターニャで、その人がすごくいい人だったら、ターニャという名前の人全体のイメージがよくなりますよね。
逆に、その名前の人にひどいことをされたりすると、その名前の人みんなが悪い人に見えちゃったりとか。
人の名前を聞く度に、同じ名前の人のことを思い出すものなんです。

日本でも姓名判断があるように、名前と性格って関係があるんじゃないかと思っているんですが、どうですか?

昔の恋人と同じ名前の人と知り合ったりすると、ドキッとしません?
ベラルーシではそんなのしょっちゅうです。

名前が二つ書いてある場合は、最初が正式な名前、二つ目が愛称です。
普通は二つ目のほうで呼ぶことが多いと考えてください。

レベルA(最もよく聞く名前。石を投げたら必ず当たりそうな名前)
1.アンナАнна、アーニャАня
これは多いですね。大学で日本語の新しいクラスができると、必ず一人はいます。
アニメグループにも必ず一人はいます。
私の中では割とイメージがいい名前です。

2.タチヤーナТатьяна、ターニャТаня
これも多い名前です。
各世代に満遍なくいる感じです。
私はターニャという名前の彼女がいたんですけど、まあ、すごい女の子でした。
でも、私が知っている他のターニャさんはみんないい人なので、私の中ではイメージは悪くないです。

3.オリガОльга、オーリャОля
これは実はそんなにいいイメージのない名前。
はい、そうです。
彼女、いました。
二人。
もちろん、同時に付き合っていたわけじゃないですよ。
ひどい目にあいました。
はい、二人にひどい目にあわされました。
もちろん、別々にですよ。
トラウマになってます。
なので、オーリャという名前を聞くと、ドキッとします。
でも、最近、オーリャという名前の女性には会わないなあ。

4.スヴェトラーナСветлана、スヴェータСвета
よくいます。
私は特にスヴェータという名前の女の子にいいことも悪いこともされたことがないので、イメージはありません。
でも、ある人は「スヴェータっていう名前の人は性格がキツイと思うんですけど・・・」
うーん、どうでしょう!?

5.ユリヤЮлия、ユーリャЮля
これは若い人に多い名前。
40代以上になると、あまり聞かない名前です。

6.エカテリーナЕкатерина、カーチャКатя
この名前は本当に多いです!
グループに二人、三人のカーチャがいることも珍しくありません。
私の知っているカーチャさんはみんないい人。

7.ナターリヤНаталья、ナターシャНаташа
この名前は最近の子供にはあまり多くないようです。
うちのベロニカちゃんの世代よりも下になるとほとんど聞かれません。
でも、30代以上になると、非常に多い名前です。

8.マリヤМария、マーシャМаша
これもスタンダードな名前だなあ。
うちのベロニカちゃんの妹もこの名前だし。

9.エレーナЕлена、レーナЛена
ベラルーシに来て、最初の彼女がこの名前だったなあ。
昔は名前を聞く度にドキッとしたけど、今はもう免疫ができています。

10.アナスタシアАнастасия、ナースチャНастя
これも私の学生の中では多い名前ですね。
私は結構好きな名前です。
あるとき、「ナースチャ」という名前をPCでうって変換したら、「ナース茶」と出てきました。
どんなお茶!?

11.イリーナИрина、イーラИра
多いなあ。
知り合いのイーラさん、たくさんいますもん。

ここまでがかなりよく聞く名前。

レベル2(よく聞く名前だが、石を投げたら他の人に当たるだろう)
1.ベロニカВероника
グループに一人いるかいないかという感じ。
うちのベロニカちゃんは24歳ですが、その世代には多い名前だそうで。
うえの世代にはあまりいないようです。
もちろん、最高の名前です!

2.ナジェージダНадежда、ナージャНадя
本当はレベル1に入れてもいいくらい多い名前です。
実は有名なソビエト映画で「運命の皮肉」というのがあるのですが、その主人公の女性がナージャだったんですよ。
その映画が公開されるまでは、それほど多くなかったのですが、映画をきっかけにかなり増えたそうです。

3.アレクサンドラАлександра、サーシャСаша
これも多いなあ。
レベル1にすれば良かったかなあ。
これは昔からよくある名前。
この名前を聞くと思い出すのは、ソビエト映画「モスクワは涙を信じない」のテーマソング「アレクサンドラ」ですね(←この映画については、このブログでも紹介しました)。
あの歌、ぜひみなさんに聞いてもらいたい!

4.リュドミラЛюдмила、リューダЛюда
まあ、会うことはあるかなあ。

5.マリーナМарина
彼女、いましたねえ。
一方的に捨てられて、非常に苦しい思いをしました。
私の超個人的な印象なんですが、マリーナという名前の子はいい意味でユニークな子が多いような気がします。

6.エヴゲニヤЕвгения、ジェーニャЖеня
そういえば、一緒にロシア語を勉強した女の子、愛称はジェーニャだったなあ。

7.ダリヤДарья、ダーシャДаша
これは純粋なロシア語の名前だそうです。
若い世代にはよくある名前ですね。

8.ヴィクトリヤВиктория、ヴィーカВика
以前はちょっとエキゾチックな感じの名前として捉えられていたそうですが、最近ではかなり多いですね。

レベル3(よく聞く名前だが、いつも周りにいるとは限らない。名前を聞いてから石を投げたほうがいいだろう)
1.アーラАлла
今までいろんな人と知り合ってきたが、知り合いのアーラさんは3人だけ。
あと、有名人で言うと、「百万本のバラ」を歌っていたアーラ・プガチョワが連想されますね。

2.ジャンナЖанна
ベロニカちゃんのお母さんの名前はジャンナさん。

3.アリーナАлина
時々、出会えます。

4.アリョーナАлёна
すごく多いとは言えませんが、時々出会います。

5.ポリーナПолина
私は結構好きな名前です。

6.クセーニヤКсения
私の学生には二人います。
二人ともかわいいです。
一年生のクセーニヤさんに「クセーニヤさんの名前って、最後が猫みたいですね。『ニャー』って」と言ったら、「私の名前は『クセーニャ』(←小さいャ)じゃなくて、『クセーニヤ』ですよ!」と言われました。

7.ヴァレンチナВалентина、ヴァーリャВаля
時々、いるなあ。
年配の世代に多いそうです。

8.マルガリータМаргарита、リータРита
この名前、以前「王妃マルゴ」という本がベストセラーになったことがあって、そのときにマルガリータという名前が増えたそうです。

9.リーザЛиза
この名前、私がベラルーシで初めて教えたグループにいた女の子の名前。
非常に思い出深いものがあります。

10.ソフィアСофья、ソーニャСоня
私は大好きな名前。
でも、「『ソフィア』っていう名前は好きだけど、その愛称の『ソーニャ』は好きじゃない」という人が結構いるんですよ。
というのは、「ソーニャ」という言葉には違う意味があって、「寝ぼすけ」とか「眠そうな人」という意味があるんですね。
例えば、なかなか起きない人を起こすとき、「もう、あなたったらソーニャなんだから!」と言ったりするんです。

11.クリスチーナКристина
私の周りには3人いるんですけど、みんなかわいいです。
みんなちょっと天然系かも。

12.ヴァレーリヤВалерия、レーラЛера
私の学生にも数人います。

13.オクサーナОксана
そういえば、この名前の学生、いたなあ。

このランキングに入っている名前は、基本的に全て「よく聞く名前」と捉えたほうがいいと思います。
その中でよく聞く頻度を分けてみた、というわけです。

さて、ここからはかなり珍しい名前について御紹介。
1.キラКира
このブログにも時々登場している俳優のキリチェンコさんの娘さんの名前です。
キリチェンコさんと知り合ったのが4年ほど前。
知り合って、次に劇場で会ったときのこと。
劇場の支配人だし、有名な俳優さんだから、僕のことなんか覚えていないだろうなあと思ったら、私のほうにツカツカとやってきて「お前の名前はすぐに覚えたぞ!」
私が恐る恐る「どうしてですか?」と聞くと、「お前の名前はアキラだろ? オレの娘の名前はキラっていうんだ」
キラという名前、私の知り合いでは彼女一人だけです。
(←キリチェンコさんについては、こちらの記事を御覧ください)

2.アンジェラАнжелла
時々、いますね。
若い人だけかと思ったら、この前、50代ぐらいの女性でもこの名前の人がいました。
ロシア語では結構、かっこよく聞こえます。

3.アンゲリーナАнгелина
いますいます。
小さい子供なんかにいますね。

4.スネジャーナСнежана
これはロシア語の名前じゃなくて、外国からとってきたものでしょう。
キリチェンコさんの奥さんの名前です。

5.クララКлара
クララさん。
いい響きですね。
アルプスっていう感じです。

6.ウリヤーナУльяна
小学校なんかでは時々聞きます。

ここから先は私も一人しか知らない珍しい名前。

7.ミレーナМилена
ミンスク市内の中学校で日本語を教えていたときの生徒です。
アニメお宅のかわいい女の子です。

8.ズラータЗлата
私の友人で俳優のヴォーヴァ・グロートフの奥さんの名前。
最初聞いたときは、ちょっとびっくりしました。

9.ヤースナЯсна
これはグロートフ君の子供の名前。
まだ3ヶ月ぐらい。
この名前はグロートフ夫妻が考えたもので、普通の名前ではありません。

10.ラーダРада
知り合いの映画監督の娘さんの名前。
私が貸した日本のドラマのDVDの影響で、すっかり日本にはまっている女の子。
この前もうちに来て、金城武と小栗旬の話を長時間聞かせてくれました。

もっと探せば、もっといろんな名前が出てきますが、いずれにしても日本語ほどのバリエーションはありません。
名前の多くは聖書などに基づいたもののため、勝手に作ったりすることはあまりないというのが理由のようです。

でも、これだといろいろ困ることがありますよね。
学校や大学では教室で「オーリャさん、いますか?」と聞くと、数人の学生が手を挙げます。
学校では子供を名字で呼ぶことが多いようです。
じゃないと、収拾つかなくなりますから。

一つ面白い習慣を。
どこでもいいんですけど、座っているときに両隣が同じ名前の人だと、願い事をするんですね。
願い事がかなうと言われています。
でも、そんなことはしょっちゅうありますよ。
これだけ同じ名前の人がいると、ね。

男の名前、紹介したほうがいいですか?
もし御希望の方がいれば、コメントをください。

名前シリーズ、また何か思いついたら書きたいと思います。
いつか「ベラルーシ人の名字」についても書きます!


ベラルーシ人の名前 
1.父称について
2.愛称について

akiravich at 05:24コメント(4)トラックバック(0) 
ベラルーシ人 | ベラルーシの文化

2009年01月26日

今日は久しぶりの7コマ授業。
朝の8時半から夜の9時まで日本語を教えるのは、間に休憩があったとは言え、かなり厳しいものがあるナリよ。

ちょっと愚痴ってもいいですか?
今日は新しいグループをスタートさせたんですよ。
普通は9月に学生を集めるんですけど、ちょこちょこと「日本語を勉強したい!」という電話が来るので、思い切って、1月スタートのグループを作ってみることにしたのです。
集まったのは9人。
今回は宣伝などはすることなく、知り合いや学生からの紹介だけにしたので、人数はいつもより少ないのです。
いつもだと、30人ぐらい集まることもありますからねえ。

でも、今日の授業に来たのは7人。
一人は妻帯者の男性で、家族が入院しているということで来られず。
もう一人は何の連絡もなし。

まあ、それはいいんですよ。
でも、今日来た学生のうちの一人、30代と思われる女性なのですが、非常に態度に問題があったのです。
私は「授業は楽しく!」というのを信条としているので、授業には私の冗談がそこかしこに挿入されます。
しかし、その女性は笑ったり笑わなかったり。
冗談を言っても、笑ってくれないのって、怖いんですよね。

その女性、非常に真面目。
「余計なことを言わないで、早く授業を進めろ!」的なオーラをプンプンと発散。
それは正しいんだけど、私には私のペースがあるので。

そして、「日本文化に触れる意味で、授業の最後に折り紙をしたりすることがあるんだけど、やりたいですか?」と聞くと、他の学生はみんなうれしそうにうなづくのですが、彼女だけは「やりたくない」と言い出す始末。
私が「どうして?」と聞いても、「やりたくないものはやりたくない」とのお答え。
私の立場はどうなるのよ!?

その女性、自分で日本語を自習したらしく、ちょっとだけ日本語の言葉なんかは知っているんですよ。
そういうのって、逆に手に負えないんですよね。
私が「みなさん、知っている漢字がありますか?」と聞くと、彼女は何も言わずに立ち上がり、私のほうへツカツカと歩いてきて、ペンをよこせとジェスチャーで要求。
私が持っているホワイトボードに書いた漢字は「日本」。
微妙に間違っているし。
そういうでしゃばりなタイプ、ベラルーシでは時々見受けられるんですが、ここまでひどいのは初めて。

周りの学生とも全く合わせようとしないし。
隣にいた男子学生が「私が日本語を勉強しようと思ったのは、東洋文化に興味があって・・・」と少し深い話をし始めたとき、その女性は「バカらしい!」と言わんばかりの態度を思いっきり周りに見えるようにとっていました。
他の学生たちをバカにするような態度。
かなり難しい人が来ちゃったようです。

それでも、最後のほうは柔らかくなって、私の冗談にも真っ先に反応して笑ってくれたりしましたが、これでは先が思いやられます。
周りの学生たちとの温度差は歴然。
これではいつか衝突が起こる可能性があります。
あー、困った・・・

今までもいろんな学生を相手にしてきました。
精神的に不安定な子や、非常に攻撃的な子。
でも、今日のようなケースは初めてです。
学生としてじゃなくて、人間として問題があるというケース。
年齢的に若いと扱いやすいのですが、年齢も結構上ですからね。
来週の日曜日、どのような態度に出るかを見てから、対処の方法を考えようかと思います。

さて。
ここからは一転して楽しい話題。

P1241990見てください!
豆腐ですよ!
私の大学の同僚で、韓国人の先生ハンナさんが作ったものです。
昨日、国家試験の前に東洋語講座の部屋に行ったら、ハンナさんがいて。
話をしていたら、「日本人は○○を食べる?」と聞かれて。
韓国語だったので、最初は意味がわからなかったのですが、彼女がバッグから出したのは豆腐!
久々の思いがけない豆腐との再会に驚いた私が「えっ、これ、どうしたんですか!」と聞くと、「うちで作ったのよ」。
元々はベラルーシの韓国大使館の人たちのために作ったのだそうですが、これからはいろんな人に分けていきたいと考えているのだそうです。
私が「次に作ることがあれば、私にも売ってください」と言ったら、「じゃあ、この豆腐、持っていっていいわよ」
やったー!
ハンナさん、私が8年前にベラルーシに来たときから、ずっと知り合いなんですけど、ものすごくいい人。

豆腐の味ですが、なかなかおいしかったですよ。
手作り感がすごく出ています。
かなり固くて、密度が濃いです。
韓国の豆腐って食べたことがないんですけど、こんな感じなんですかね。
丁寧に作った感じがしました。
こんなのがいつも食べられたらいいんですけどね。
ハンナさんは一週間に一回ぐらいのペースで作れればと言っていました。

P1241992昨日の晩ご飯は麻婆豆腐でした。
うちの母親が麻婆豆腐の素を送ってくれたんですよ。
でも、正直に言えば、麻婆豆腐は私の得意料理。
素がなくても作れるんですけど、せっかく送ってくれたのだから、使わないとということで。
久しぶりのマーボは最高でした!

この豆腐なら、焼いたりするのがいいかなと。
豚肉と炒めて、最後に溶き卵を絡めたり。
豆腐チゲにもいいかも。
あとは肉豆腐なんか、どうですかね!
あー、また食べたい!

P1241989これ、何だかわかりますか?
大豆です!
最近、新しくアニメグループに加わったセルゲイ君が持ってきてくれたんです。
その男の子はベラルーシの科学アカデミーに勤めていて、先週会ったときに「アカデミーに自分で大豆を育てている人がいる」という話をしてくれたんですよ。
なので、「売ってくれるかどうか、聞いてもらえる?」と頼んだんです。
実は自分で豆腐が作れないかなあ、と思っていたんです。
まあ、今ではその必要もないわけですが・・・

すると、セルゲイ君、土曜日の授業が終わると、リュックサックから大きい袋を取り出し「どうぞ」。
袋を開けたら、そこには大豆の山が!
かなりの量ですよ。
「『どうぞ』って、どういう意味?」と聞くと、「その人に話を聞いたら、先生にプレゼントしたいと言ったんです」
やったー!

大豆って、料理したことないなあ。
どんなレシピがあるのか調べないと・・・

今日は一つ、ものすごくうれしいことが!
朝の8時半の出張授業を終えて、うちに帰ったのが、10時40分。
テレビをつけると、全豪オープンの生中継。
司会開始前のウオーミングアップ。
よく見ると、試合に出るのは私が一番大好きな選手、エレーナ・ドキッチじゃありませんか!
2002年ぐらいから、表舞台から遠ざかっていたドキッチ。
もう彼女のプレーは見られないのかとあきらめていたのです!
私が彼女のプレーを最後に見たのは、2003年、ウインブルドンでシャラポワに敗れたときでした。

試合がすごく見たかったのですが、11時からアニメグループの授業だったので、泣く泣くビデオにとることに。
そして、夜の11時過ぎから見始めたのですが、これが大熱戦。
相手はロシアのアリサ・クレイバノワ。
19歳の新鋭です。

久しぶりにドキッチを見て、昔のプレーを思い出しました。
粘り強いラリーを続ける姿を見て、私は感動しましたよ!
彼女のプレーには瞬間的な輝きとひらめきがあります。
それは彼女の集中力の高さが生み出すものです。
私が一番大好きな選手です。

3時間あまりに及ぶ熱戦はドキッチの勝利!
涙が出そうになりましたよ。
完全復活と言ってもいいんじゃないでしょうか。
何年も遠ざかっていた世界の一線に戻ってくるのは容易ではなかったはず。
「お帰りなさい!」と言いたいですね。

インターネットで彼女の名前で検索したら、彼女のポスターを売っているサイトを見つけました。
「このポスター、欲しい!」と言ったら、うちのベロニカちゃん、かなり嫉妬していました。

ドキッチの次の相手はロシアのディナラ・サフィナ。
うーん、実はサフィナも好きなんですよね・・・
でも、やっぱり応援するのはドキッチです!

akiravich at 08:49コメント(4)トラックバック(0) 
日本語教師の仕事 | ベラルーシの食生活

2009年01月25日

今日はすでに「名前」というテーマでブログを書いてしまっているのですが、ちょっと日記のようなものも書きたいと思います。

昨日と今日、私が勤務しているベラルーシ国立大学で5年生の卒業試験がありました。
うちの大学では1月に卒業試験をしてしまい、後期は実習と卒論にあてるんですよ。

昨日は筆記試験、今日は口答試験でした。

筆記試験は「翻訳」。
新聞や雑誌の記事を日本語からロシア語に翻訳するというシンプルなもの。
日本語の能力のみならず、ロシア語のセンスも問われる試験ですね。
今年の受験者は8人でしたが、なかなか手ごわいテキストだったようで、みんな苦労していました。

口答試験は最初にカードをひくことから始まります。
10枚ほどのカードから一枚を取って、そこに書いてある課題をクリアしなければならないのです。

口答試験は3つに分かれています。
最初に「文法説明」。
次は「あるテーマでのスピーチ」。
最後は「自由会話」。
私が担当したのは「テーマ」と「自由会話」です。

今回の試験のテーマは「環境問題」「日本の国際関係」「日本人の食生活」「日本人の家族観」「日本の労働問題」です。
最初のカードを引く時点で、苦手なテーマを引き当てちゃった人はかわいそうとしか言いようがないです。
今日はみんなかなり頑張って準備したせいか、非常によく出来ていました。

それにしても、疲れました。
今日は朝9時にスタートして、終わったのが13時過ぎですから。
まあ、もっと長い時間、試験をすることもありますけどね。
卒業試験というのは、緊張感が違いますから。

5年生、もう卒業で、寂しいですよ。
だって、このクラスは私が始めて1年生から5年生までずっと担当したクラス。
うちの大学では途中で担当の教師が変わるのはよくあること。
でも、このクラスは誰にも渡したくなかったんです。
最後まで担当することが出来て、よかったです。

でも、今日のメンバーはフルメンバーじゃないんですよ。
今日試験を受けた学生のうち3人は、一学年上の学生たち。
日本に一年間留学したため、下のクラスに混ざっての卒業となりました。
そして、このクラスだった4人が現在、日本に留学中。
彼らが卒業するまでは、このクラスの担当は終わっていないと考えています。

それにしても、学生が卒業していくのはうれしいような、寂しいような。
日本のような卒業式、ベラルーシではしないんですけど、やったら泣いちゃうだろうな。
「最後のホームルーム」とかやって、みんなの前で泣いちゃうんだろうな。

とにかく、日本語教師というのはやりがいがある仕事です。
教師になってよかったと、心から思います。

akiravich at 07:04コメント(2)トラックバック(0) 
日本語教師の仕事 
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