2009年07月

2009年07月29日

こんにちは。
はぐれミーシャでございます。
今日は昨日の続きです。

私はJ子ちゃんとは最高にいい友達になっていました。
2年生の一学期頃は本当によく話していました。
吹奏楽部で一緒だったので、部活のときもよくしゃべってました。
ちなみに私はテナーサックス、J子ちゃんはクラリネットでした。
かなり近いところに座ってましたから、いつも彼女の方ばかり見ていましたね。

もうその頃はJ子ちゃんを完全に恋愛対象として見ていました。
そう。
これがはぐれミーシャの初恋なんです。

状況が一変したのは2年生の2学期。
吹奏楽部ではコンクールの後、3年生が引退し、2年生への引継ぎが行われました。
そこで重要なのは次の部長を決める選挙です。

私たちはトランペットを吹いていたK君(仮名)がなるものだろうと思っていました。
K君は小学校でも児童会長を務めたりして、そういうトップに立つのが好きな生徒だったんです。
ただ、プライドが高く、それを快く思わない人も多かったんです。

その頃、私は先輩たちとも仲がよかったし、冗談も連発していて「あいつは面白いやつだ」と思われていたようで。
そこである先輩から「お前が部長になった方がいいんじゃないか」と言われたんですよ。
別に部長にはなりたくなかったんですが、先輩から言われると断る事もできず。
で、部長を選ぶ話し合いで行われた投票で私が部長になる事になってしまったんです。

K君、かわいそうでした。
ずっと「部長になりたい」と言い続けていたので。
でも、彼は同級生の部員(←私も含めて)をとことんバカにしたような態度を取っていたので、彼に同情する人はいませんでした。

やはり部長ですから。
部の為に頑張らなくてはいけません。
そこではぐれミーシャ、それまでのお笑い路線を一変し、真面目に部長業に取り組むようになったのです。
私たちの(←もしくは私一人だったかも)悲願は東北大会出場。
私の中学校は一度だけ東北大会まで行ったことがあるんです。

そのために私は部員に厳しい練習を課しました。
それまでのようなダラダラしたパート練習を許さず、常に真剣に取り組むようにしょっちゅう説教をしていました。

中でも一番ダラダラしていたのが、クラリネットパート。
あのJちゃんがいるところです。
女の子ばかりだからか、すぐおしゃべりを始めてしまう。
それに対してキレるはぐれミーシャ。
クラリネットパートの女の子たちと私との対立は徐々に激しいものになっていきました。

J子ちゃんとも距離が出来てしまいました。
誰かから聞いた話では「古ちゃんは変わってしまった・・・」と言っていたそうです。
それはショックでしたね。
だって、嫌われていたところから、いい友達のレベルまでいったのに。
これも誰かから聞いた話ですが、以前は「古ちゃんは面白くていい人」とJちゃんは言っていたんですって。

しかし、私はくそ真面目な部長である事をやめませんでした。
Jちゃんとは全く話さなくなってしまいました。
次の年の吹奏楽コンクールが終わるまで、私はJちゃんとほとんど口をきかない関係になってしまったのです・・・

続きはまた明日!

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日本の思い出 

2009年07月28日

こんにちは。
ミンスクはおとといの雨の話で持ちきりです。
写真が見たい人はこちらから。

月曜日のうちに投稿したかったんですが、ちょっと間に合いませんでした。
なので、結果的に昨日はお休みになっちゃいました。
すみません。

今日は非常に唐突ではありますが、初恋の話。
ちょっといろいろと思い出してしまって・・・
このブログは私にとっては「解放区」。
なので、書きたいように書いちゃいますね。

私の初恋は13歳のとき。
中学一年の冬のことでした。

その頃の私は非常に「はぐれて」いました。
かなり性格がひねくれてました(←ひねくれたまま、すくすくと育ったはぐれミーシャ)。
かいつまんで話すと、友達はほとんどいませんでした。
クラスの中の男子とは普通でしたが、女子からは明らかに嫌われてましたね。
性格も暗かったし、スポーツもダメだったし。

そんな私が変わるきっかけになったのは同じクラスのJ子ちゃんでした。
3学期始めの席替えのとき(←席替え!懐かしい!)、J子ちゃんと隣になったんですよ。
J子ちゃんは私に対して物凄い嫌悪感を露骨に出していたんですよ。
「きたない!」とか、「近寄らないで!」とか。
今だったら「うざい」とか「キモい」とか言われるんでしょうな。
J子ちゃんとは吹奏楽部でも一緒だったのに、言葉を交わした事はほとんどありませんでした。

ある日の事。
授業中、私はふとした拍子に、何か冗談を言ったんです。
どんな冗談だったか覚えていませんが、とにかくくだらないダジャレです。
そのとき、クラスの皆が笑ったんですが、中でもJ子ちゃんが一番笑ってくれたんです。

私は元々、冗談なんか全然言わないタイプだったんです。
今では信じられませんが。
あれはうれしかったですね。

それに気をよくしたはぐれミーシャ。
人を笑わせるというのは気持ちがいいものだという事を学習したのです。
私は授業中も休み時間も冗談を言うようになりました。
J子ちゃんはいつも笑ってくれました。
他の誰も笑っていないときも、彼女だけは笑っていました。

最初は全く意識していなかったのですが、私は次第に「J子ちゃんを笑わせたい」と思うようになりました。
だって、あんなに楽しそうに笑ってくれる人はいなかったんですよ。

そして、J子ちゃんはとてもかわいかったです。
3年生になってから聞いた話だと、後輩たちの間にファンクラブがあったそうですから。
確かに非常にもててました。
私にとっては超高嶺の花でした。

でも、その頃は恋愛感情はなかったかな。
純粋に彼女を笑わせたいと思ってました。

授業中も授業なんかそっちのけで冗談を考えていました。
いつもどこでも、面白いネタがないかどうか探してましたね。
夜も寝ないで考えてましたよ。
その頃、私はラジオの深夜放送にはまっていて、朝まで起きていることもザラ。
ラジオを聴きながら、面白い事を思いつくとノートにメモしてました。
そう、ネタ帳があったんです。

私とJ子ちゃんは次第に打ち解けていきました。
それまでの拒絶反応が嘘みたいに。
休み時間もよくしゃべってました。

しかし、そんな時間は長くは続かず。
私たちは2年生になると、別々のクラスになったのです。
その頃にはすでにJ子ちゃんを恋愛の対象として意識していたのですが・・・
タイミングが悪かったですね。

でも、私はめげませんでした。
授業の間の10分の休み時間は必ず彼女のクラスに行ってました。
あんまり行き過ぎると逆に嫌がられたり他の生徒に感づかれたりするから、適当に回数を減らしたりして。
でも、かなりの頻度で彼女のクラスに顔を出してましたね。

私の町は超田舎で、お堅いところなんです。
なんで、男女の交際なんてもってのほか。
校則の中に「男女の交際は慎むように」って書いてありましたもん。
生徒たちも「○○と○○が付き合ってる!」とか、興味津々で囃し立てたりするんですよね。
だから、付き合っている生徒はみんなにばれないように苦心していたようです。

でも、私の行動はかなりあからさまだったかもしれません。
だって、他の教室から10分の休み時間ごとに来るんですから。
それで、冗談を言ってサーッと帰っていくという。

時々、休み時間になって行ってみると、そのクラスの授業が終わっていない事があったんです。
そんなときは廊下で待つことになるんですが、私は教室の中にいるJ子ちゃんから見えるようなところに立って、そこから笑いを取ってました。
先生からは見えないようなところでするのですが、生徒たちが突然笑い出したりするので、先生に「そこにいるのは誰だ!」なんて怒鳴られたこともありました。

廊下でするのは主にパントマイム。
見えない壁とか、ロープを引っ張るとか。
もちろん素人芸ですが、今でも学生の前でやったりすると「先生、上手ですね」と言われます。

ある日、いつものように廊下で彼女のクラスの授業が終わるのを待っていたら、すぐそばに消火器があるのを見つけて。
それをもって、クラスのドアの下のほうにしゃがみました。
そして、急に立ち上がり、ホースを教室のほうに向けたのです。
もちろん、噴射はしませんでしたよ。
でも、生徒たちがびっくりしちゃって、声を上げたもんだから大変。
私は急いで逃げました。

先生の物まねとかもよくやりました。
私、有名人の物まねは出来ないんですが、先生とか友達とかの物まねは結構得意だったんですよ。
あと、風間杜夫の銭形平次のまね。
これが全く似ていなかったんですが、それが逆に受けてました。

その頃はとにかく「笑いを取ろう」と努力していました。
大げさな言い方かも知れませんが、彼女が笑ってくれる事が生きがいだったのです。

そのことが思わぬ効果を生み出しました。
私の物まねやパントマイムを見たり、冗談を聞いたりするのはJ子ちゃんだけじゃなく、そのクラスの人みんなでしたから、「あいつは面白いやつだ」と言われるようになったのです。
友達もほとんどいなかった私にとって、それは意外な事でした。
だって、J子ちゃんのことしか見えていなかったんですよ。

それ以来ですね。
どんなときも笑いを取ろうとする癖がついたのは。
笑わせなくてもいいときにも笑いを取ろうとするんですよ。
無意識にダジャレを探しているのは、今も変わらぬ癖です。

ロシア語でもダジャレを言いますよ。
おかげでいろんな人から「お前のユーモアのセンスは素晴らしい」と褒めてもらっています。
日本ではみんなから「寒い!」とか言われ続けていたのにね。
J子ちゃんに会ったおかげで「笑い」に目覚め、人と接する事ができるようになったのです。
これはJ子ちゃんに今でも感謝していることです。

この頃の私とJ子ちゃんの仲は「とてもいい友達」。
さあ、その「友達」というステージから、次のステージへと駆け上る事は出来たのでしょうか?
続きはまた明日!

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日本の思い出 

2009年07月26日

休みを満喫しているはぐれミーシャです。
昨日は投稿を休んでしまいました。
すみません。

ベラルーシは昨日は激しい雨でした。
私はどこへも行かなかったのでわかりませんが、町の中心の方はひどかったようです。

日本はもう梅雨は終わったんですかね?
私が子供のときは今頃は梅雨は終わっていたように思いますが・・・

夏になるといろんなことを思い出します。
夏休みって、日本だと短いですよね。
ベラルーシでは子供の場合は3ヶ月が普通なんです。
ちょっと長すぎると思いません?
宿題もほとんど出ないんですよ。

夏と言えば、お祭ですよね!
私が生まれた町は人口が2万8千人の小さい町。
なので、お祭も規模が小さかったですが、子供にとっては一年間で最も楽しみにしていた日でした。

お祭で一番の楽しみは屋台!
今考えると大して美味しくもないものなのに、子供の頃はすごく美味しく感じたものです。

あ、でも、美味しい屋台が出るお祭りもあるのかなあ。
うちの町の場合はすっごく美味しい屋台っていうのは出会ったことがないですね。

どんな屋台が出るかって、町によっても違いますよね。
うちの町の場合は、お好み焼き、綿菓子、フラッペ(カキ氷)、アイスクリーム、焼きとうもろこし・・・あと何だろう?
私が小学校の高学年ぐらいになって、ようやくクレープとかチョコバナナとかハイカラな屋台も増えたんですけどね。
いずれにしても、バラエティがないなあ。

「お好み焼き」と書きましたが、うちの町のお祭で出ていたのは普通に考えられているものとは全くの別物です。
丸く薄く生地を焼いたものに、魚肉ソーセージ、海苔、青海苔、紅しょうがなどをのせて、それを割り箸に巻きつけるんです。
それにソースをかけるんです。
今思い出してみれば、それほど美味しいものじゃなかったですが、そのときは滅多に食べられないものでしたから、喜んで食べてました。

そのタイプのお好み焼きは私の市だけではなく、お隣の市でもよく見かけましたが、他に同じようなタイプのを作るところってあるんですかね?

山形って、ほとんど粉もんの文化がないところなので、美味しいたこ焼きとかお好み焼きとかって出会ったことがないんですよ。
私もそんなに好きじゃないんですけど、それって美味しいのを食べた事がないからですよね。
一度、関西で本場のお好み焼きやたこ焼きを食べてみたいと思うんですが・・・
ネギ焼きとかもすっごい惹かれるんですよね。

ベラルーシの学生の中にもお好み焼きの存在を知っている学生はいます。
アニメの中にでも出てくるんですかね。

私が自宅で教えている学生には、お好み焼きがテーマになっているドキュメンタリー番組を見せたりするので、皆知っています。
広島に住んでいる若者がお好み焼き屋を始めるという話。
広島のお好み焼きなんだから、広島の素材を使ってこだわりのお好み焼きを作りたい!という若者の熱意がテーマでした。
すっごくいい番組でした。

そういえば、私、広島風のお好み焼きって食べた事がないんですよ。
食べてみたいなあ・・・
私、広島は一度だけ行ったことがあるんですけど、お好み焼きは食べなかったんですよ。
カープファンの店に入ってお酒飲んでました。

何か話がズレまくってますね。
まあ、結局、大阪のも広島のもちゃんとしたのは食べた事がないんです。
山形空港の近くにあるボウリング場の二階にあるお好み焼き屋で子供のときに数回食べただけかなあ。

時々「ベラルーシでお好み焼きって作れないですか?」という質問をされることがあるんですが可能ですよね。
あまった野菜を刻んで入れたりするわけでしょ?(←関西人の皆さん、合ってます?)
ベラルーシではクレープなんかはブリヌイと言って作ったりするけど、お好み焼きのように生地に野菜や肉を混ぜて焼く料理って言うのは全くありません。
おっ、これいいかも。
ベラルーシでお好み焼き屋? やっちゃう?

でも、待てよ。
いろいろ足りないものがあるなあ。
お好み焼きの生地って、小麦粉を出汁でとりますよね。
でも、ベラルーシには鰹節も昆布もいりこもないですから。
鶏がらの出汁でもいけないですかね?

そして、一番の問題はソース。
日本で売っている、いわゆる「ソース」というものはベラルーシには存在しません。
ソースは代用できないですよね。
自分で作れないかなあ。
作り方が説明してあるサイトは見たことあるんですけど、本当に出来るのかなあ。

難しいなあ。
でも、うちで作ってみようかなあ。
市場で数回ソースを見かけたことがあって、ウスターソースだけは持っているんですよ。
まあ、お好み焼きには合わないかな。

もっと日本料理の文化を広めていきたいですね。
だって、ベラルーシで日本料理と言ったら、すし屋しかないんですから。
寿司が日本料理の全てだと思われても困るし(←私が困ってどうするの?)。

でも、私に出来る事は自分のできる料理を作ることくらい。
家庭料理ですが、下手は下手なりに鰹と昆布の出汁はひいて作ります。
だって、ベラルーシ人にとって日本料理というのは全く味のイメージが出来ないほどエキゾチックなもの。
初めて食べたときのことって忘れないと思うんですよ。
味の記憶というんですかね。

だからこそ、最初にいい料理を食べさせてあげたいんです。
そう。
「いい料理」を。
「美味しい料理」はお金を出せば食べられるかもしれない。
でも、「いい料理に出会った!」と感じる瞬間って、そんなに多くないんじゃないですかね。
例えば、おばあちゃんが作ってくれたおこわ。
料亭の味なんかと比べたら美味しくないんでしょうけど、そんな比較が無意味なほど、心の中に入ってくる味。
そして、いつまでも舌の記憶に残る味。
そんな料理が作れればいいなあと思っています。

何かお好み焼きの話からドンドンずれていっていますが、それでいいのだ!
だって、はぐれミーシャだもの!

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日本の思い出 

2009年07月24日

こんにちは。
休みになって、無駄に元気なはぐれミーシャです!

今日はブルーベリーの話。
ちょっと前の事ですが、一ヶ月ほど前、ベロニカちゃんの妹のマーシャちゃんの旦那のアンドレイ君(←長っ!)が、自分のおばあさんのうちから持ってきてくれたんですよ。

ベラルーシではブルーベリーは普通に生えているらしいです。
ベラルーシ全土、どこに行ってもあるそうです。
そう言えば、誰かの家で食べたことがあったなあ。
全然珍しくないんです。

P7061857これは枝についたままのもの。
これは非常に背が低いんですって。
私も初めて見ました。







P7061874これで2〜3キロでしょうか。
普通、人から果物をもらったりする時はバケツに一杯とか、そういう単位でもらうことが多いです。









P7071903まず、ブルーベリーを洗います。
ブルーベリーって、日本ではそのままの形で見ることって少ないですよね?
ブルーベリーのガムとかは食べますけど。
私が思っていたよりも小さいものです。
パチンコ玉ぐらいじゃないでしょうか(←ちなみにベラルーシにはパチンコ屋はありません!)。




P7071904そこにガッツリと砂糖を入れます。
こりゃあ、豪快だわ。





P7071905こんな感じです。
ブルーベリーの重さと同じ量、またはそれよりちょっと少ない量がいいそうです。
今回は少なめにしてみました(←「してみました」なんて書いてるけど、実際に作ったのはベロニカちゃん)。




P7071906混ぜるとこんな感じ。
砂糖まみれです。





P7071907その砂糖まみれのブルーベリーを殺菌した瓶に入れちゃいます!
こりゃあ、どうなることやら。









P7071909そこで登場するのは、ウオッカ!
有名なストリチナヤです。
ストリチナヤという名前はいろんな国で耳にしますが、これはミンスクの酒造会社「クリスタル」が作ったものです。
ちなみに、はぐれミーシャはウオッカは滅多に飲みません。
どうしても断れない相手のときだけです。










P7071912瓶の中にウオッカをIN!
大丈夫なんだろうか・・・










P7071915P7071916こんな感じです。
思ったより、いい感じだなあ。
美しい。実に美しい。


P7071920瓶のふたを完全に閉めます。
金属のふたをのせて、ベロニカちゃんが手に持っている器具でグイグイと周りを固めていくのです。
この道具、ベラルーシの家庭にはよくあります。
というのは、他の旧ソ連諸国と同様、夏の間にとれた野菜や果物を保存用に瓶詰めにすることが多いのです。
ジャムとかピクルスなんかはよく作ってますね。
なので、この器具はベラルーシの家庭には欠かせないものなのです。



P7071921ふたも閉まりました。
まだ下のほうに砂糖がたまっている状態ですね。









P7071926すぐにこれをひっくり返して一晩おきます。
それはちゃんと瓶が密閉されているのをチェックする為です。
もし閉め方が甘かったら、漏れてきちゃうわけですね。

時々、瓶を振ったりしながら、三ヶ月経ったら出来上がりです。
どうなるか楽しみだなあ。

たぶん、私たちはお正月ぐらいに開けることになるのでしょう。
去年、カシスで同じようなリキュールを作ったときもお正月に開けたんです。
そのときのことは2008年7月29日の「カシスの誘惑」を御覧下さい。
あのカシスリキュールはおいしかったなあ。
完全にクレーム・ド・カシスになってました。
ソーダで割って、カシスソーダにしたりして最高でした。

ブルーベリーは目にいい、と日本のサイトで読んだことがありますが、ベラルーシでも同じことが言われています。
便秘にも効くらしいです。
ビタミンA、ビタミンEのほかに、ポリフェノールもあるそうです。

ベラルーシにいると、食事はじゃがいもや肉ばっかりで栄養のバランスが偏りそうですが、ブルーベリーのようなものを食べていると健康でいられるような気がします。
平均寿命が短い国ですからね。
私も健康には気をつけないと・・・

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ベラルーシの食生活 

2009年07月23日

休みを満喫しているはぐれミーシャです。
でも、何か慣れないですね。
一年間、ほとんど休みなしで働いてきましたから、突然休めと言われても・・・
「気をつけろ! ミーシャは急に止まれない・・・」

やっぱりどうしても仕事の事を考えてしまいますね。
仕事の事というか、学生の事。

去年の秋から今年の春にかけての一年間、いろんなことがありました。
思い出す事はたくさんあります。
嫌なことのほうが圧倒的に多いのですが、いいこともありました。

私のうちにはいろんな学生が勉強に来ます。
趣味で勉強しているアニメグループの他に、大学で勉強している学生が私のうちに来ることもかなり多いです。
理由は様々で「もっと日本語で会話がしたい」という学生もいれば、大学の授業に不満を持っていて、自分の日本語をもっと正しいものにしたいという学生も多いんです。
困ったときの駆け込み寺のようなものですね。

私のうちに3人の学生が勉強に来ています。
3人ともうちの大学で日本語を勉強しているのですが、私はそのグループは担当していません。

1年前から彼らはうちに来るようになりました。
理由は日本人と話す機会が少ないことと、担当の日本語教師の教え方に非常に不満を持っているということでした。

最初にうちに来たときは、会話が全く出来ませんでした。
日本語ネイティブの人間が一年間教えたにもかかわらずです。

私がやったことは、使用している教科書をやるだけ。
彼らは日本語の特効薬を求めていたようですが、そんなものありませんから。
そこにあるものをやるだけ。
それしかないと思うんですね。
ダメな学生に限って、「いい参考書はありませんか?」などと言ってくるんです。
今使っている教科書が十分いいものなのだから、他のものはいらない、というのが私のスタンスです(←初級に限っては、ですが)。

最初は空気が硬くて苦労しました。
でも、だんだん打ち解けて、次第に打ち解けすぎて・・・
なかなかコントロールが難しいグループでした。

ベラルーシからは毎年二人の学生が日本へ6週間の日本語研修に行っています。
今年もその選考試験がありました。

その三人組グループにも選考試験の事を伝えました。
でも、彼らの反応は非常に鈍いものでした。
というのは、彼らは大学での専攻は日本語ではなく他の専門があるからです。
つまり、彼らの学科では日本語は第一外国語。
他に「日本語科」というのがあるので、他の学科の日本語クラスに関しては少しないがしろにされているところがあるのです。

なので、彼らの反応は「どうせ日本語科の学生が行くんですよね?」「私たちにはチャンスなんかないんですよね?」というものでした。
私は彼らを説得して、試験を受けさせました。

三人のうち一人は非常に優秀な学生です。
彼女なら、日本語科の学生にも負けないだろうと思っていたら、本当に合格!
一学年上の日本語科の学生たちを完全に圧倒しての合格でした。

私にとって、日本へ行くのがどこの学科の学生かとか、どこの大学かとか、そんなことは関係ありません。
正直に言えば、自分が教えている学生かどうかということは気にします。
まあ、当たり前ですが。
でも、一番大事なのは、その学生が本気で日本語を勉強する気があるのかどうかということです。

合格が決まって、最初の授業。
彼女は「先生がいなかったら、日本へ行けなかったと思います。どうもありがとうございました」と言ってくれました。
いつもは憎まれ口を叩くのが大好きな学生なのですが、その日は素直に感謝の気持ちを伝えてくれました。
私が「そんなこと言われるとびっくりするよ」と言うと、彼女は「本当はそんなこと思ってないですよ」
まあ、そういうことを言うのがかわいいところなのですが。

日本語教師としての私の目標は、まず頑張っている学生を日本へ行かせてあげること。
そして、学生が幸せになること。
それしかないです。
学生たちが幸せになるのを手助けすること、それが教師の仕事だと考えています。

それにしても。
その三人組がうちに来なければならないというのも変だと思いますね。
本当は大学の中の勉強だけで何とかするべきだと思うんですよ。
だって、せっかく高い授業料を払って日本語を学んでいるのに、また家庭教師を雇うなんておかしいですよね。

彼らのグループを担当している現地人教師。
私は彼とは非常に仲が悪いんです。
というのは、彼は教師とは言えないような人間だからです。
授業に遅刻してくるのは当たり前。
授業に現れない事も珍しくありません。

授業の内容も目茶苦茶。
プランも何も無いし、説明はしょっちゅう間違っているし。
彼の話す日本語は丁寧さのかけらもない、超ブロークンな日本語。
私は彼と初めて話したときは「馴れ馴れしくて、失礼な日本語だなあ」という印象を持ちました。

教師が話す日本語というのは学生に非常に影響します。
それは「子供は親の顔を見て育つ」のと一緒です。
教師の癖がそのまま学生に移ってしまう事も多いんです。
なので、ネイティブであれ、現地人であれ、日本語を話すときには非常に気をつけて話さないといけません。
責任重大なんです。

その教師の一番の問題は、学生たちに対する態度。
ちょっとでもむかつくと、非常に汚い言葉で学生たちを罵倒するのです。
ロシア語を勉強した方ならわかると思いますが、ロシア語は汚い言葉が非常に発達しているんです。
授業で学生たちを放送禁止用語連発で罵倒する教師なんて、教師と言えますか?

例えば、その教師の授業に数人の学生が来なかったことがあったんですよ。
それは正当な理由があって、ちゃんと教師にも連絡してあったのですが、教師は激怒。
「あいつらの人生をグチャグチャにしてやる!」とみんなの前で言い放ったそうです。
ベラルーシでは教師が学生たちの成績を悪くすれば、それが将来の就職に影響することがあります。
なので、教師が学生の人生に影響を及ぼすというのは出来ない事ではないのです。

その教師に関しては、そんな事例は死ぬほどあります。

学生たちはその教師を非常に恐れています。
キレたら何を言い出すかわからないからです。

どうしてそんな教師がうちの大学で働いているのか、私には理解できません。
大学の上の人間とコネがあるからなんですが。

私は以前、彼と普通に付き合いをしていました。
いろいろなことがあって、私は彼とは話しをしなくなりました。
というか、向こうが話も挨拶もしなくなったのですが。

ある日、私が授業の後でものすごく落ち込んでいた事があって。
授業がうまくいかなかったんです。
そんなとき、彼は「先生、気にするなんて馬鹿げているよ。だって、学生は人間じゃないんだから」と私に言って、慰めようとしました。

「学生は人間じゃない」
そんなことを言う人間に教師をする資格などない!

その教師は日本語教師としては最悪ですが、日本の文化や歴史などには非常に詳しいんです。
そういう面は私もすごいと思うし、学生たちも「ためになります」と言っているんです。
だから、そういう科目だけ担当すれば問題ないと思うんですけどね。
それぞれの教師のいいところを利用すればいいのに・・・もったいないなあと思います。

その教師の「尻拭い」は散々させられてきました。
まあ、その教師に限った事ではないのですが。
正直、もううんざりしています。

もしかしたら、私がやっているように他の教師の学生を隠れて教えたりするのはよくないことなのかもしれません。
でも、その原因を作っているのは私ではないし。

日本語教師の中には、そういうのはいけないと思っている人もいるようです。
現に、私がある日本人教師に現地人教師のことで相談すると「そういうことを言うのは失礼だ」「他の教師がしていることに口を挟むべきではない」ということを散々言われました。

表面的には非常にきれいな意見ですよね。
でもね、他の教師が無茶苦茶やっているのを放置しておく事こそ、学生に対して失礼だし、その学生の未来を壊してしまう事になってしまいませんかね?
実際、その日本人教師は他の現地人教師のやっていることを野放しにして、学生たちの日本語の間違いが正されないまま残ってしまうという現実を引き起こしました。

その現地人教師のほうを何とかすればいいのでしょうが、年齢も上の人たちで昔からのやり方を簡単に変えることは出来ないようです。
私もいろいろ言ったり、アドバイスをしてきたりしましたが、結局は全て無駄でした。
頑固なんですよ。

でも、現地人教師の中にも一人、柔軟に対応できる女性がいて。
その女性はまだまだ若いし、新しい教授法にも興味を持っているし、すごく将来に期待が出来ます。

いろいろ書いてきましたが、結局は自分の仕事をキチッとやる事、これが一番大切なんですね。
「自分の仕事をやる」というのは「他の人には無干渉」で、という意味ではありません。
そういう意味ではありません。
自分の仕事をキチッとやり、その上で障害になるようなことがあれば、それは解決しなければならないということです。

ふーっ、全然休んでないよ。
ちょっと仕事のことを忘れて、休まないとダメだなあ・・・
でも、ちょっと無理かなあ・・・
長年かけて染み付いたこの日本語教師の匂い、ちょっとやそっとじゃあ、取れねえでござんすよ・・・
まあ、取らなくてもいいでござんすか?

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日本語教師の仕事 

2009年07月22日

今日はだいぶ前に行ったピッツェリアのレポートをしようと思います!
それにしても、かなり前の話なんですよね。
行ったのは5月27日ですから。

お店の名前は「CALABRIA」。
どういう意味なんだろう?
場所的にはちょっと微妙なところにあります。
カリノフスカヴァという通りにあるのですが、町の中心からはちょっと外れています。

P5271124初めてその近くを通ったとき、その店は木の向こう側にあって、私は「あそこは何の店なんだろう?」と思ったんですよ。
近づいてみたらピッツェリアだったんですね。
最初は家具屋さんか何かかと思いました。


P5271125店内は非常に感じがいいです。
最初に出迎えてくれたウェイターが親切な感じでした。
行く前にミンスクのレストランを紹介するサイトの口コミを見たのですが、みんな「店員のサービスが素晴らしい!」と書いていたので期待していたのです。
ウェイターは親切そうでしたが、ウェイトレスはベラルーシのレストラン共通のツンツンして偉そうな感じで、特にいい印象は受けませんでした。

ミンスクのレストランではひどい応対のウェイトレスに出会うことがよくあります。
それでも、ここ数年はましになったほうかな?
たまにはサービスのいいウェイトレスにも出会えるようになったし(←以前は皆無に等しかった・・・)。
その辺の話は2008年6月21日「ラーコフスキー・ブローバル」にも詳しく書いていますので、お読みください。
まだまだベラルーシの外食産業は発展途上と言ってもいいのではないかと思います。
ウェイターのほうがサービスはいいですね。
滅多にいないですが。

インテリアはかなり頑張った感じなので、お金持ちのためのピッツェリアなのかと思ったのですが、店内には子供連れが結構目立ちます。
そういえば、口コミにも「子供にも優しい」と書いてありました。

メニューを見たのですが、全体的に高いです。
ピッツァはサイズが選べません。
普通、ミンスクのピッツェリアではサイズがいくつか選べるのですが、ここはグラム数しか書いていません。
おそらくスタンダードサイズなのでしょう。
その「スタンダードサイズ」って、どれくらいなんだろう?

メニューには「キノコのスパゲッティ」など高額な料理も。
たぶん、ポルチーニとか使っているのかな?

P5271127まず運ばれてきたのは、ベロニカちゃんが注文したイチゴフラッペと私が注文したビール。
お勧めメニューの中に「イチゴフラッペ」と書いてあったんです。
日本だと、フラッペと言えばカキ氷のことになりますよね?
でも、これはフラッペじゃないよね。
マッ○シェイクですな。
かなり甘いです。
超甘党のベロニカちゃんですら「甘い!」と言っているのですから、相当なものなのでしょう。
値段はフラッペが11130ルーブル(約380円)。
これは高い!
ちなみに私が頼んだベラルーシのビールは500mlで6550ルーブル(約225円)。

P5271130私が注文したカプレーゼです。
カプレーゼというのは「カプリ風」という意味。
モッツアレラチーズとトマトのサラダのことを指すそうです。
味はまあまあかな。
ベラルーシではまともなモッツアレラチーズに出会ったことがないんですが、これは結構食べられました。
上には乾燥のバジルとオレガノ(←ベロニカちゃんはオレガノがちょっと苦手)、ケイパー、オリーブオイルがかかっていました。
自分で塩をかけて食べました。
これで値段は12800ルーブル(約440円)。
かなり贅沢してるなあ(←ベラルーシの生活基準で考えてくださいね)。

P5271132これ、何だと思います。
ラザニアなんですって!
ベロニカちゃんが「一度も食べたことないから、食べてみたい!」と言ったので注文したのですが、私のイメージとはかなり違いました。
普通、ラザニアって、ミートソースとベシャメルソース、平べったいパスタ、チーズが層になっているものですよね。
このラザニアは層になったのを焼いたのではなく、ちょっと巻き込んでいる感じです。
私は食べたことがないのですが、テレビで見た「カネロニ」という料理にそっくりです。
パスタの内側に入っているのもすでにソースで煮込んだものをフードプロセッサーにかけたもので、ひき肉を使ったミートソースではないですね。
そもそもトマトがほとんど使われていないです。
違う料理として考えれば、そこそこおいしいです。
14370ルーブル(約490円)。

P5271134これは私が注文したピッツァマルガリータ。
私はどこへ行ってもこれしか頼みません。
シンプルなのが好きだというのもあるのですが、単に上にゴチャゴチャのっているのが好きじゃないんです。

味はまあまあ。
ピッツァの生地は特に可もなく不可もなく。
他の店に比べてトマトソースの量が多いですね。
時々、ほとんどトマトソースがのっていないのもありますから。
でも、トマトソースは既製品。
ベラルーシでは自分の店で作ったトマトソースというのを見たことがありません。
やっている店はあるのかもしれませんが、私は知りません。
トマトの水煮缶というものをベラルーシでは見たことがありません。

これで値段は12960ルーブル(約450円)。
他の店よりも少しお高めです。

P5271137ニャコちゃんはどこへ行っても楽しそう。





P5271138もうちょっと飲みたかったので、黒ビール300mlを注文。
これは「Kozel」という有名なビール。
しかも生。
かなりおいしかったです。
すっきりした黒ビールでした。
でも、値段はすっきりしない。
8680ルーブル(約300円)!
500mlの値段だったらわかるけど・・・

会計を頼んだのですが、追加注文したビールの値段が入っていなかったので、ウェイトレスに直してもらいました(←正直ミーシャ)。
合計は66490ルーブル(約2300円)。
いつもの外食より、高くついてしまいました。

ここではぐれミーシャの独断と偏見に満ちたレストラン評価!
それぞれ5段階評価でいきます。

味:3(←まあまあです。頑張っているのはわかりますが・・・)
サービス・雰囲気:4(←雰囲気はいいですが、サービスは中くらい)
値段:2(←この味で、この値段は高すぎます!)
総合:3
星三つです!(←5点満点で、ですが・・・)

特にこれと言って目に付いたところはありません。
インテリアだけは気に入りましたが・・・
もう一度行くことはないかも・・・

またミンスクのお店をご紹介しますね!
以上、はぐれミーシャの「すっごくたまに行くならこんな店」でした!

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ミンスク | レストラン・カフェ

2009年07月21日

今日もベラルーシのビールレポート!
何か最近、このネタが多いような気が・・・
でも、夏ですからね!
やっぱりビールでしょう。

P5201079今日、御紹介するのは、ベラルーシのビール会社「アリヴァリヤ」のホワイトゴールドというビールです。
アリヴァリヤのビールについては以前、2009年4月25日「ベラルーシのビール2 アリヴァリヤ(ゴールド)」で御紹介しました。

「ろ過していない」と書いてあります。
色が白っぽいんですよ。
私はこういうビールが大好きですが、好き嫌いが分かれるところだと思います。

いつものように、客観性ゼロのビール評価です!
苦味 3(←ほとんど苦くないです)
香り 4(←ちょっと独特で私は好き)
甘み 3(←もうちょっと甘みがあると思ったんですが)
泡立ち 3
濃さ 3
炭酸 4(←スカッとしてます)
総合 3〜4

独特のクセがあります。
地ビールのような感じです。
それが好きな人は好きでしょうし、苦手な人は飲めないでしょうね。

ずっと前ですが、うちの母親もうちで地ビールを作ってました。
自宅でビールを作るの、流行ってましたよね?

もうちょっと甘みがあると思ったんですけどね。
私が大好きな「ラーコフスキー・ブローバル」のビールは見た目は同じですが、もっと甘いです。
ラーコフスキー・ブローバルのレポートも御覧ください。

この手のビールはフルーティーで苦味が少ないものですが、このビールはフルーティーさがいまいち足りません。
原材料には「グリュコーズ・フルーツシロップ」と書いてありますから、自然な材料ではないのでしょう。
でも、オレンジピールのような香りは少しします。

これはいわゆる「白ビール」というものでしょうか。
原材料に大麦だけじゃなくて、小麦が使われていますから。

まあ、普通のビールですな。
もうちょっと何かパンチが欲しいところです。

次のベラルーシビールレポートをお楽しみに!

akiravich at 16:10コメント(0)トラックバック(0) 
ベラルーシの食生活 

2009年07月20日

昨日はサン=サーンスの「交響曲第三番 オルガンつき」のCDを聴いた感想を書きました。
昨日も書いたとおり、私は高校の音楽科にいたとき、吹奏楽で最後の楽章を演奏したことがあるんです。
その時のことを思い出すと、どうしても書かずにはいられないことが心から溢れてきました。

それはサン=サーンスを指揮してくださった故・鈴木秀夫先生のことです。

鈴木秀夫先生は元々、山形南高校の吹奏楽部を全国大会に導いた名指導者。
中学生の頃、吹奏楽部でコンクールのための練習に明け暮れていた私にとっては雲の上の存在でした。

今でも覚えています。
中2の冬、山形の電気屋でラックスマンのCDデッキを購入し、それまでレコードしか聴けなかったのが、CDも聴けるようになったんです。

初めて買ったCDは、全日本吹奏楽コンクールの実況録音である「日本の吹奏楽87」。
中学生でしたから、中学の部のCDを買ったのですが、Vol.4のCDには前半は中学の部、後半には高校の部の演奏が収録されていたのです。
その最後に入っていたのが、鈴木秀夫先生の指揮の元、山形南吹奏楽部が演奏したレスピーギ「ローマの松」でした。
あの壮大なレスピーギの音楽は吹奏楽で演奏するのにピッタリ。
圧倒的な迫力にやられてしまい、山形南の吹奏楽部は私にとって憧れの存在となったのでした。

山形南の定期演奏会にも行きました。
全国大会に出場する吹奏楽部ですから、演奏会も超満員。
中学生の私は演奏会の後も興奮を抑えられなかったのを覚えています。

その後、私は山形北高の音楽科に入学。
私の記憶が確かならば、私が二年生のときに秀夫先生は北高に転任していらしたのです。

私にとっては、あの憧れの山形南の吹奏楽部の先生。
最初に転任の話を聞いたときは耳を疑いました。

先生は非常に温和な方でした。
声を荒げることなど一切なし。
いつもニコニコなさっていたのを今でも覚えています。

先生の指揮で演奏したのですが、今でも印象に残っているのはドヴォルザークの「スラブ舞曲」とサン=サーンスの「交響曲第三番」です。

「スラブ舞曲」は定期演奏会で演奏したのですが、当初、この選曲に納得がいきませんでした。
音楽科の男子生徒はみんないろんなCDを聞きかじっていて、ちょっと知識があるもんだから、「幻想交響曲がやりたい!」とか、「ダフニスとクロエがいい!」とか、かなりハイレベルな曲がやりたいと思っていました。
正直に言って、生意気盛りの高校生にとって、「スラブ舞曲」というのはかなり地味に写っていたのです。

私は秀夫先生に率直に自分の意見を言いました。
「どうしてスラブ舞曲なんですか? もっと他にいい曲があると思うんですけど」と言うと、先生は「古○君はスラブ舞曲が好きじゃないの?」とおっしゃいました。
私「嫌いじゃありませんが・・・」
先生「古○君は、スラブ舞曲は簡単だと思っているのかなあ。本当はそんなに簡単じゃないんだよ。すごく奥が深い曲なんだよ」
私は自分の中の「驕り」に気づかされ恥ずかしくなりました。
でも、秀夫先生はそれを責めることなく、「じゃあ、一緒にがんばりましょう」とニコッと笑ってくださいました。

今、先生の言葉を噛み締めています。
先生、スラブ舞曲はいい曲ですね。

サン=サーンスは私達のような生意気な学生も満足させてくれる派手さをもった曲です。
でも、最初にその選曲を聞いた時、どうやって演奏するのか想像が出来ませんでした。
だって、「オルガンつき」なんですよ。
当時、山形のコンサートホールにはパイプオルガンなんてありませんでしたから。

先生はオルガンの代わりに、シンセサイザーを使ったのです。
正直、私の中にはかなり抵抗がありました。
でも、先生の決めたことなので、それに従いました。

曲の弦楽器のパートは大体サックスやクラリネットなどの木管楽器に当てられます。
かなり苦しかったです。
16分音符連発。

やっぱり、あの曲は燃えますよ。
特にクライマックスのところなんかは。
練習にもどんどん熱がこもっていきました。

そして、本番。
ステージの上。
一番最初、一発目の音。
オルガンの「ギョーん!」というアタック。
秀夫先生が指揮棒を振り下ろした瞬間!
シンセサイザーの鍵盤を叩く「カクっ」という音が聞こえ、私達は「ガクっ」。
何とシンセサイザーの電源(←もしかしたらアンプかも)が入っていなかったのです。

つまり、何の音も鳴らなかったんです。
これは焦りました。
でも、秀夫先生はもう一度落ち着いてキューを出されて、演奏はスタートしました。
最後まで熱い演奏でした。
先生の指揮は必要以上に動き回ったりはしない、紳士的なもの。
そんな先生の掌の上で、私達は熱く燃え上がったのでした。

今でも覚えています。
最後の和音が消えていく瞬間がいとおしくて。
先生と一緒に音楽がしていたくて。

私はあんな瞬間をもう一度味わいたい、と思ってしまうのです。

定期演奏会の後は、先生と関わる機会は少なくなっていきました。
でも、ことあるごとに先生は私のことを気にかけてくれていたようでした。

その頃の私は音楽科の先生達とはあまりいい関係ではありませんでした。
先生達は地元の山形大学への進学を勧めてくれたり、東京の音大への推薦枠を勧めてくれたりしていたのですが、私はことごとく拒否。
自分のしたいことをするために、その年はどこも受験せずに一年浪人することに決めたのです。
大した才能もないのに偉そうなことばかり言う生徒でしたから、先生達に好かれなくて当然だと思います。

ある日、私の母は高校の父兄会に参加。
簡単なパーティーの席で、秀夫先生は私の母に「古○君は才能がありますよ」と言ってくださったんです。
その話を聞いて、私は涙が出そうになりました。

私は才能がなかったのかもしれない。
でも、それを認めるには若すぎたのです。
先生の言葉は、その頃の私にとって、たった一つの「救い」でした。

私は高校を卒業して一年浪人の後、国立音楽大学に入学しました。
東京に住むようになってからは、秀夫先生にお会いすることは一度もありませんでした。

その後、風の便りに秀夫先生が亡くなったことを耳にしました。
私は東京のアパートで涙が止まりませんでした。

先生、私は今でも先生の指揮姿をはっきりと覚えています。
私もなぜか教師になってしまいました。
学生達と一緒に過ごす時間は素敵です。
先生が私達にくれた素敵な時間。
今、私は同じように素敵な時間を学生達と味わっています。

合掌

akiravich at 22:02コメント(14)トラックバック(0) 
日本の思い出 | クラシック音楽

2009年07月19日

サン=サーンス:交響曲第3番サン=サーンス:交響曲第3番
アーティスト:プレートル(ジョルジュ)
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:2002-08-28
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最初聴いたときは、「何でこんなにゆっくりなの!?」と思いましたが、二回目に聴いてみると、なかなか味わい深いものがあります。
表面的な攻撃性ではなく、沸き立つようなものがありますよ。
アンサンブルの乱れはありますが、聴きこんでいくうちに気にならなくなる感じですね。

最初、ちょっと物足りなかったんですよ。
「何でこんなにおとなしいの?」という感じがしたんですが、ギャーギャー騒ぐだけじゃダメなんですね。

全体的に雰囲気がフランスっぽいです。
力技でぐいぐい押して行ったりはしない。
洗練された流麗な音楽が流れていきます。

でも、何を持って「フランスっぽい」と言うんでしょうね?
これもステレオタイプなのでしょうか?

正直、カップリングの「動物の謝肉祭」のほうがいい演奏のような気が・・・

高校の同級生達はデュトワやレヴァインのCDを聴いていました。
何かハリウッドの特殊効果ばりのスペクタキュラーな音響というのはどうにも好きになれません。

私はやっぱりミュンシュ!
これしかないでしょ。
あの熱狂度は聴くたびに興奮させられます。

でも、このプレートルもいいなあ。
聴けば聴くほど味がある感じで。

実はこの曲にはすごく思い出があるんです。
私がまだ高校三年生だったときのこと。

私が通っていた山形県立山形北高等学校音楽科の定期演奏会で、この曲を演奏したんですよ。
オーケストラじゃなく、吹奏楽でしたけどね。

その頃の私の専門はアルト・サックス。
吹奏楽の編曲版は弦楽器のパートがサックスやクラリネットなどの木管楽器に当てられるため、かなり苦しいパッセージがたくさんあったのを覚えています。

その頃の思い出については、また改めて書きたいと思います。

今日はちょっと短いですが、この辺で。

akiravich at 20:29コメント(10)トラックバック(0) 
クラシック音楽 | 日本の思い出

2009年07月18日

夏休みになると、自由な時間が増えていいですよね。
普段は映画をみたり、本を読んだりする時間が少なくて困るんですが、夏はここぞとばかりに好きなことをしまくっています。

戦争と平和 [DVD]戦争と平和 [DVD]
出演:オードリー・ヘプバーン
販売元:パラマウント ジャパン
発売日:2006-04-21
おすすめ度:4.5
クチコミを見る
今日見たのは、「戦争と平和」。
18歳のときに見て以来ですから、17年ぶりに見たことになります。
当時は「ローマの休日」を見てオードリー・ヘップバーンのファンになり、彼女が出ている映画を片っ端から見たものです。

結論から言いますと、これはトルストイの「戦争と平和」というより、ヘップバーンの「戦争と平和」ですね。
ヘップバーンが主役の映画だから当然なのですが、まさにヘップバーンのためにあるような映画です。

ロシア的なものは皆無。
完全なハリウッド映画。
ここまでやっちゃうのはある意味すごい!

まあ、撮影したのはハリウッドじゃなくて、ローマなんですけどね。
でも、これは「ハリウッド映画」というジャンルに属するものと考えていいのではないでしょうか。

ハリウッド映画だけあって、愛を語り合うシーンなどは最高にうまく作り上げています。
私が印象に残ったのは、ロストフ一家が馬車に乗ったシーン。
ニコライとソーニャが馬車の中で隣り合わせた所で、二人が見詰め合うところが、「これぞハリウッド!」という感じでした。
だって、この二人は話の主役じゃないから、アップにもなっていないんですよ。
画面の脇のほうで、誰も気づかないようなところで、きっちりと「古典的な恋人同士の見詰め合い」を展開しているのは、さすがとしかいいようがありません。

その代わり、アンドレイ・ボルコンスキーが死ぬシーンはあまりにもあっさりしています。
私はベロニカちゃんに「今、死んだの?」と確認してしまいました。

非常に大胆にカットされています。
話の筋を追っただけみたいな感じです。
表面的で、真実味に欠けるところはありますね。
原作を読んだ者にとっては、全く深みに欠けているのは否めません。
でも、これでいいのだ。
だって、ヘップバーンのための映画だもの。
ヘップバーンファンの私は満足。

うちのベロニカちゃんも時折「どうして!?」と言ってました。
ベロニカちゃんがすぐに気づいた変なところは・・・
・クトゥーゾフは片目しか見えないはずなのに、映画では普通に両目で見ている。
・ピエール・ベズーホフは太っているはずなのに、映画では普通にいい男。
・小間使いの服装などがあまりにも豪華。
・建物の様式がグロテスクなまでにデフォルメされている。
・ナポレオンが英語をしゃべっている(←これは私も17年前に変だと思った)

ピエール・ぺズーホフ役はヘンリー・フォンダが演じているのですが、ヘップバーンは「ローマの休日」で共演したグレゴリー・ペックが演じるのを希望したのだそうです。
グレゴリー・ぺックって濃すぎやしませんか?
あの端正な顔立ちはどうがんばってもロシア人には見えません。
まあ、ここまで来ると、ロシア人に見える必要など全くないのでしょう。
だって、ヘップバーンもロシア人には見えないし。
でも、そんなの関係ないよね。

まあ、結局のところ、私達はこの映画が気に入ったのでした。
ソビエト時代に作られた超長い「戦争と平和」も見ないと!

akiravich at 20:08コメント(0)トラックバック(0) 
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