2011年06月

2011年06月22日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

今、ミンスク時間の23時過ぎです。
ちょっと肌寒いです。

最近、晴れたり、雨が降ったりと不安定な天気が続いています。
暑いのか寒いのか、よくわからないんですよね。
暑いなあと思って薄着をして出かけると、ちょっと風邪を引いちゃったりして。

私も先週の金曜日ぐらいから体調を崩していました。
ちょっと古くなったものを食べてしまったというのもあるのですが、おなかの調子だけじゃなくて、風邪気味にもなってしまって。
日曜日の授業を少しキャンセルしてしまいました。
まあ、それでも6コマはちゃんと授業したのですが、力を振り絞るような感じの授業でした。

6月は試験期間で、大学では試験以外は授業もないんです。
でも、なぜか忙しい。
7、8月は夏休みなのですが、そんな休みの気配など微塵も感じられない生活をしています。

6月の一番すごかった日は・・・
6時 起床
8時 うちを出る
9時 大学で会話試験
13時半 試験終了→すぐに銀行へ
14時 銀行で諸手続き→すぐに近くのコンサートホールへ
14時20分 ホールの前でテレビのインタビュー
15時 大学へ逆戻り→違う学年の試験
16時半 試験終了→約9時間ぶりの食事のためにピッツェリアへ
17時15分 食事終了→夜の授業のためにオフィスへ
18時半 アニメグループの授業
20時 授業終了

まあ、こんな感じです。
これはさすがに疲れました。

試験って結構エネルギーを使うんですよ。
特に会話の試験は。
「ただ日本語で話せばいい」というものでもありませんから。
っていうか、全くそんなものではありません。

私の場合は、その学期に勉強した文法や語彙、言い回しを使えるかどうかを会話試験の評価の重点にしています。
「間違っていても日本語でベラベラ話せればいい」という考え方は私はきらいなので、正しく文法を使えていなければそれで点数は下がります。

そうそう。
なんかそういう考えの人、かなり多いみたいで。
でも、間違っているのはダメでしょ。
間違っているよりは間違っていないほうがいいのは当然だと思うのですが。

「日本語教師は日本語で話していればそれでいい」みたいな考えの人、いまだにかなり多いみたいなんですよね。
そんなに簡単じゃないんですよ。

そこで。
以前からちょっと不快に思っていることを一つ書いてみたいと思います。

ベラルーシに来る日本人の中にも日本語を教えることを簡単に考えている人が時々います。
例えば、私の授業に遊びに来て(←私の授業に来ていただけること自体は私にとっても学生にとっても非常にうれしいことです)、授業が終わった後に学生に近づき、「もしよかったら日本語の勉強、手伝おうか?」と言う人がいるのです。
「授業だけだとつまらないでしょ」とか「もっと日本人と話す練習をすれば上手になるよ」とか。

そういう人たちの目的が何かはわかりません。
中には純粋に学生たちに日本語を教えてあげたいと思っている人もいるでしょうし、中には完全に女の子と知り合いになることを目的にしている人もいるでしょう。
それは正直、特定するのが難しいです。

そう言われて興味を持ってしまう学生は少なくありません。
ちょっと会ってみようかなと思う学生がいても不思議ではありません。

しかし、ある程度、私のところで勉強した学生はそういう日本人にはほとんどついてはいきません。
というのは、彼らは本当の日本語教師とただの日本人の違いをはっきりと認識しているからです。

私は別に日本人と付き合うのがよくないと言いたいのではありません。
むしろ、日本人と積極的に話すことはいいことなのでしょう。
しかし、それは単に友達として付き合うのならば、という話。
その日本人が「勉強を手伝う」というと話は全く違ってきます。

ある女の子の話。
ここでは仮にAちゃんとしましょう。

Aちゃんはとても頑張りやさんです。
授業でもいつも積極的に日本語で話します。
宿題も必ずしてきます。
性格的にはちょっとユニークというか、時々難しいところもあるのですが、私の言うことを素直に聞いてくれるので、私はある程度信頼していました。

ある日の授業のこと。
私は日本人を授業に招待しました。
その人も興味があったらしく、喜んで授業に来てくれた、ようでした。

その人は日本語教師の仕事に興味があったようなので、私は前もって事あるごとに「日本語を教えるのなら、日本語教師の勉強をちゃんとしてからじゃないとダメなんだよ」ということを言い続けていました。
ちょっと危ないなあという気配があったからです。
私の説明を聞くたびに、その人は「わかりました」「そのとおりですね」という返事をしていたのですが・・・

しばらく経って、Aちゃんの日本語に変化が現れ始めました。
まだ学習していない語彙や文法を使うようになったのです。
語彙はまだしも、知っているはずのない文法を使っているのを聞いて、私はすぐにピンと来ました。
そして、Aちゃんが授業に来た日本人と会っていることを私は知りました。

ここまで読んで、「日本語を勉強しているんだから、日本人と話したいのは当然」とか「学生が誰と付き合おうが教師には関係がない」と思われた方もいるでしょう。
でも、それはそんなに簡単な話ではないのです。

例えば、Aちゃんは「ので」という文法を私との会話や作文の中で使うようになりました。
それは「今日は子供の誕生日なので、早く帰らせていただけませんか?」のような、「理由」を表す「ので」です。

「新しい文法が使えるようになって何が悪いの?」と思う方もいるでしょう。
しかし、Aちゃんはまだ初級の最初のほうで、「理由の表現」として知っているのは「から」だけだったのです。
例えば、「おなかがいっぱいですから、何も食べたくないです」というような「から」の使い方です。

「から」が教科書に出てくるのは割と早く、第9課に出てきます。
一方、「ので」は割と遅くて、第39課まで出てきません(私が使っている教科書は全部で50課まであります)。

日本語教師の仕事において、重要なことの一つがどのような順番で教えていくかということ。
例えば、理由を表すための表現というのはたくさんあります。
「から」「ので」「で」「〜ために」「〜たばかりに」「〜からこそ」など、考え出したらキリがないほどです(←まあ、キリはあると思いますが・・・)。
それを全て一緒に教えたら、どうなるでしょうか?
学生の頭は間違いなく混乱するでしょうね。
つまり、まず一つの言い方に慣れた上で次のステップに行くというやり方をしないといけないのです。

教科書では「から」の前は「丁寧体」、つまり「です・ます」、「ので」の前は「普通体」という風に教えます。
もちろん、「から」の前に「普通体」が来ることもありますし、「ので」の前が「です・ます」になることもあります。
でも、それを最初にやってしまうと、学生は「どうしたらいいの?」ということになってしまうのです。

ロシア語を知っている日本人だったら、「から」も「ので」も「ロシア語で『потому что』だよ」なんて説明してしまうでしょう。
Aちゃんがどういう説明をされたのかはわかりませんが、明らかに形の作り方が間違っていました。
そもそも、Aちゃんはまだ教科書では「普通体」を勉強していなかったのです。

Aちゃんは積極的で、「もっと勉強したい」「もっと新しい言葉や文法を知りたい」というタイプの学生。
そこに現れた日本人。
ロシア語を知っている日本人ですから、言葉を訳しただけで説明したつもりになるのは簡単なこと。
それを聞いて、学生は喜ぶ。
「新しい表現を覚えた!」
それは学生にとって小さい、または大きい喜びなのです。

しかし、表現を「覚える」ことと、「使える」ようになることは全く別の問題。
私の仕事は学生が表現や語彙を使えるようになるように教えること。
表現や語彙の訳を覚えただけでは、それをマスターしたことにはならないのです。

Aちゃんの日本語はどんどん悪くなっていきました。
「悪くなった」というのは、教科書にはまだ出ていない言葉や文法を使おうとするあまり、日本語に混乱をきたしていたのです。
いくら背伸びしても初心者は初心者。
それはプロレスをはじめたばかりの選手がエメラルドフロウジョンを使うようなものです(←わかる人にはわかる)。

結局、Aちゃんの日本語はどんどん混乱していき、グループの中での成績も最初はトップだったのが、真ん中ぐらいまで落ちていきました。
彼女には罪はありません。
頑張っていただけなのですから。

私の罪もあるかもしれません。
もっと強く道を照らしてあげていれば、違う道を歩き出すことはなかったのかもしれません。

私はその日本人に対する怒りを禁じえません。
その人は「日本語教師に興味がある」ということを言っていました。
だからこそ、私は「日本人だからといって、日本語が教えられるというわけではない」ということを何度も繰り返し話していたのです。

その人の行為がその人一人にだけ関係があるのなら、私は何も言うつもりはありません。
でも、私のかわいい学生たちに・・・
許せん!

私は大学の学生、アニメグループの学生、私のところで学んでいる全ての学生にその出来事について話しました。
そのときにわかったことなのですが、その人は見学に行ったグループの学生の多くに「勉強、手伝おうか?」と声をかけていたそうです。
声をかけられた学生の数の多さに私は驚きました。
私の学生のほとんどは日本語を教えることは簡単なことじゃないとわかっているので、その人の話は乗らなかったようです。

おそらく、その人にとっては「教えようか?」ではなく、「手伝おうか?」というところにポイントがあったのではないかと思います。
本当のところはどうなんだろうなあ・・・

その人に限らず、ベラルーシにいらっしゃる日本人の中には、私が授業に招待すると、「何かお手伝いできることがあればしますので」という人が多いのです。
それに対して、私は「『手伝う』とか、そういうことは一切考えなくていいですよ。『遊びに行く』という感覚で来てください」とお願いしています。
学生と授業以外で会うときも「日本語を教えてあげる」のではなく、ただ単に「友達として遊ぶ」という感覚でやっていただいたほうがありがたいのです。

教えるのは「ただの日本人」の仕事ではなく、日本語教師の仕事です。
逆に、友達のように一緒に遊んだりすることは私にはできません。

かなり微妙な話なんですよね。
私は学生がいろんな日本人と話したり、知り合ったりするのはいいことだと思っています。
でも、相手によりけりかな。
まあ、それは日本人相手に限ったことではないのですが。

ベラルーシにいる日本人の中には私の気持ちをわかってくれている人もちゃんといます。
学生たちとごく自然に付き合っている留学生の人もいます。
見ていてすごく心温まるというか。

私は学生たちには「日本語を勉強したいからといって、日本人だったら誰でもいいという考え方だけはするな」と教えています。
中には「日本人がいる!」と聞いただけで、飛びついてしまう学生がいるんですよ。
その人がどんな人間なのかは関係なく、ただ単に「日本人だから」「日本語で話せるから」というのは、私がその日本人の立場だったら、ちょっと複雑な気持ちかな。
取っ掛かりはそれでもいいけど、それだけだったら嫌だな。

なんか取り留めのない話になってきました。
もう1時20分です。

やっぱりブログを書いていると、いろんなことを考えてしまいます。
自分の考えていることを書いているはずなのに、自分ではこれまで気づかなかった気持ちを書いてしまったりして、あとで自分で驚いたりして。

自分のための日記のようなブログになっていますが、これでいいんですかね?
書きたいことがあるうちは書いていきたいです。

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日本語教師の仕事 

2011年06月17日

ご無沙汰しております。
はぐれミーシャです。

もう何ヶ月ぶりでしょうか。
ずっと書いてなくて、また書き出すのはなかなか・・・

正直に書きますが、ここでは書けないことが多いんです。
お察しください。
本当は書きたいことは山ほどあるのに、何もかけないもどかしさ。
そうなると、書くこと自体が億劫になってしまって・・・

これからはベラルーシについてというよりは、私の日記のような形になると思います。
日々感じたことを書くだけということになってしまいます。
質問に関しても、内容によってはお答えできないということが発生すると思います。
ご了承ください。

私はベラルーシに関する情報をサイトにしたいと考えています。
ベラルーシについてのことなら何でもわかるようなサイトです。
例えば、文化、歴史、地理的なこと、ベラルーシに旅行や留学を希望している人に役立つような生活情報など、ありとあらゆることを網羅したサイトです。
このプランはかなり前からあったのですが、私はパソコンやインターネットのことには全く疎いほうなので・・・
でも、今度は絶対にやります!!!

私はサイトを作るほどの技量はないので、知り合いに頼むか、業者に頼もうかと考えています。
よく「サイトを作るのは簡単ですよ」と言われるのですが、2回ほどチャレンジして1時間半で挫折。
何をどうしたらいいのか皆目検討がつかないのです。
人の力を借りることになりますが、それも仕方ないですね。
文章は自分で書いたり、学生に書いてもらったりしようと思っています。
今年の秋には立ち上げたいですね。

今、私はだいぶ暇な時間が増えました。
大学は試験期間に入っているので通常の授業はありません。
とはいえ、しなければならないことは常にあるもので・・・
全く心が休まるときはありません。

今年は大変な年でした。
12月でもないのに変な書き方ですが、ベラルーシの大学や学校では9月からが新学期で、6月に年度が終わるという感覚なのです。

ずっとやっていた翻訳チェックの仕事が大変で・・・
今年に入ってからはずっとその仕事にかかりっきりでした。
860ページほどの長大な作品の翻訳だったのですが、そのロシア語の原文と日本語の訳文をつきあわせてチェックするのです。
量もさることながら、内容も非常に重い内容で、ロシア語の言い回しも複雑。
非常に苦しい仕事でした。

でも、その作品は世界の文学の中でも傑作というにふさわしいもの。
そのような作品の翻訳に関わることができたというのは、私にとって大きい喜びです。

でもなあ。
やっぱり自分で翻訳もしてみたいなあ。
というのも、私はこれまで翻訳のチェックの仕事は何度かしてきたのですが、翻訳そのものの仕事はあまりしたことがないのです。
私が翻訳した戯曲が「戯曲集」の中のひとつとして出版されてはいますが、私が訳した本が出版されたことはないのです。
一度やってみたいですね。

そのチェック作業が佳境に入っていた3月。
東日本大震災。
その映像を見て、私は言葉を失いました。
3日間ほど、インターネットで日本のテレビを見ていて、仕事は全く手につきませんでした。
日本語の授業もキャンセルせざるを得ませんでした。

精神的なショックは大きかったです。
私はベラルーシにいて、何もできない。
仙台は私にとっては非常に馴染み深い場所。
親戚も住んでいるし、唯一のと言ってもいい友人も住んでいる。
でも、何もすることができないもどかしさ。

こういう状況になって、やはり自分は日本人なのだと実感しました。
どんなに遠く離れていても、自分の生まれ故郷は大切なのですね。

大震災からしばらくの間はテレビ出演の依頼などが来ました。
テレビ出演が5回、新聞のインタビューが1回です。

最初に出演したのはベラルーシのトーク番組でした。
最初に話が来たときはかなり躊躇しました。
普通はテレビ関係の話のときは即答で「OK」なのですが、今回は「考えさせてほしい」と返事をいったん保留しました。

というのは、日本が大変なときに自分がテレビになんか出ていていいのだろうか?という想いがあったからです。
しかも、自分はただの日本人。
そんな私が日本人の代表みたいな顔をしてテレビに出ることは失礼になるのではないか?という気持ち。

私が考えた末の結論。
確かに私は「ただの日本人」。
でも、日本人である以上、この大震災は関係のないことじゃない。
そして、私は東北人。
仙台は私の大好きな町。

そして、ベラルーシで目にする報道の内容。
ヨーロッパのニュースを見ていると、ただただ日本は危険だと煽るような内容ばかり。
日本のニュースで報道されていることの半分も伝わっていない。
中には日本を非難するような内容まであったりする。
本当のことを知ってもらいたい。
日本人の生の声を聞いてもらいたい。

私はテレビに出る意味は十分にあると判断しました。
不謹慎だと思われるかもしれない。
何様だと思われるかもしれない。
でも、覚悟を決めて出ることにしました。

テレビ局の側も結局は話題性があることを放送したいわけだし、涙をさそうようなことはいい素材なわけだし。
でも、テレビ局の中にも純粋に日本のことで心を痛めている人はいるはず。
それに、少しでも多くのベラルーシ人に日本の現状を知ってもらうことのほうが大事。
テレビ局が私を利用するのなら、私もテレビという手段を思いっきり利用してやろう。

そんな心の葛藤を経て、私はテレビに出ることにしました。

最初のトークショーではそこそこ話をさせてもらいました。
まあ、内容に関してはここでは控えさせていただきます。
書きたいことはあるのですが・・・

次は仙台広場でのインタビュー。
ジャーナリストというのは・・・

次が一番大きい仕事でした。
それはベラルーシでも屈指の大きさのホール、共和国宮殿のステージで挨拶をすることでした。

それはベラルーシのテレビ番組の中でのこと。
子どもが出演する歌番組があって、その中で日本の大震災の映像が流されたのです。
そのときに私が挨拶したのですが、かなり緊張しました。
そのホールは国の大事な行事などにも使われるところなんです。

そのときは日本人の女の子が歌を歌ったのですが、その通訳が私の仕事だったんです。
その子のお母さんと弟も来ていたのですが、その弟と遊ぶのがメインの仕事になっていました。
走り回るは、私を蹴ってくるは、もう大変。
でも、いい運動でした。
かわいい子どもたちの相手をして、気分もリフレッシュできました。

そして、そのあともう一度、同じトークショーに出ました。
そのときはテーマが「チェルノブイリ」。
チェルノブイリの現場で作業に当たった人たちがメインだったので、私は後ろのほうに座って、2回ほど短く発言をさせてもらいました。
チェルノブイリで勇敢に働いた方たちの話を間近に聞くという貴重な体験をさせてもらいました。

その他にも、日本の復興と平和を祈念する植樹祭に呼ばれたりもしました。

そして、もう一つ大きい出来事が。
それは「ベラルーシすしセミナー」の通訳をさせてもらったことです。
このブログを読んでくださっている方はご存知かと思いますが、私は料理が大好き。
そんな大好きな料理に関係がある仕事ができるなんて、夢のようでした。

そんなドタバタと大変な日々をすごしていたのです。
精神的には苦しくもあり、楽しくもあり。
肉体的にはかなり苦しくて。
正直、よく乗り切ったなあと我ながらびっくりしています。

通訳関係の仕事が多いのはうれしいことです。
実は今日も通訳の仕事の話をいただきました。

テレビ関係に関してはいろいろと複雑な気持ちがあります。
震災の事に関する迷いは上に書いたとおりです。
その他にも考えるところがあって・・・

私がテレビに出させてもらえるのはただ単に私が「日本人」だから。
私の能力が認められたわけでも、私に何か魅力があるからというわけでもない。
ただ単に日本人が珍しいから、という理由に過ぎないと思うのです。

それでも、テレビや映画の仕事は嫌いじゃないし、求められれば出来るだけ依頼には答えたいとは思っています。

でも、もっと自分が人間としてステップアップしないとダメだと思うのです。
その「ステップアップ」が何を意味しているのかは全くわかりませんが。
でも、「日本人」だからじゃなくて、何かすごい能力があるからとか、自分の人間力で人に呼ばれるようになりたいなあと思います。

例えば、映画とか、ドラマとか、自分が出演したものを見ると、自分の演技のあまりのひどさに目を背けたくなるんです。
もちろん、演技の勉強をしていないわけですから、当然といえば当然。
監督さんにも「素人っぽい動きが欲しいんだ」と言われた事もあります。
周りのベラルーシ人にはすごくほめられるんですけど、自分が納得いかないとやっぱりうれしくない。

よく外国にいると「すごいですねえ」とか「大変なんでしょうね」と言われる事が多くて。
私は「そんなにすごくないですよ」と答えるようにしています。
だって、ただ単に住むところが違うだけですから。

「外国に住んでいる=すごい」という図式で考えている人の言葉を聞くと、自分でも「俺ってすごいのかなあ」と勘違いしそうになることがあるんです。
そういう勘違いをしないようには気をつけているつもりです。
「外国に住んでいる人だからすごい」のではなく、「すごい奴が外国に住んでいる」と言われるようになりたいですね。

なんか、取り留めのない話になっていますね。
それが「はぐれミーシャ、仕事の流儀」

ああ、もう!
いっぱい書きたいことがありすぎて困っちゃう!

寿司バーはすでにやめました。
あまりにも作り方がひどかったというのもあるのですが、私に対する対応がひどかったのです。
レシピもあげたし、いろんなものをあげたのに。
自分が必要なものだけをもらったら、あとは用なし、という感じでした。
店に行っても、まともな挨拶ができる人間がほとんどいませんでした。
最低でした。

今は他の店からオファーがあったら行くつもりです。
ただ、最近、他の店の厨房を見る機会があったのですが、正直、調理人のやる気のなさとかはどこも同じなように思いました。

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龍二くんは5月15日に1歳になりました!
なんか早かったですね。
1歳なんてあっという間。

龍二くん、よく歩くんですよ。
止まっている時間のほうが少ないくらい。
部屋の中をちょこちょこと歩き回る。
そして、触ってはいけないものを触り、食べてはいけないものを口に入れる・・・
本当に一瞬たりとも目が離せない状態です。

やっぱり家族がいるから頑張れるというのはありますね。
ただ、今年は頑張りすぎたかも。
体調もあまりよくないし、ベロニカちゃんにも「働きすぎ」と言われ続けてきました。

来年はもうちょっと余裕がある生活をしたいです。
体を壊しそうになるほど働くようでは、逆に家族のためにならないですから。

夏は休もう〜っと。

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日本語教師の仕事 | 子育て
livedoor プロフィール

akiravich

山形県出身。
2000年からベラルーシ共和国の首都、ミンスク在住。ベラルーシ国立大学文学部・日本語教師。目指すのはベラルーシの金八(略してベラ金)。
愛する妻ベロニカちゃんと愛する龍二くん(5歳)とのベラルーシ生活!
日本の皆さまにベラルーシ一般国民目線のベラルーシを御紹介!

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