2012年01月

2012年01月29日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

前回は私が「チェルノブイリ」という言葉を意識するようになったきっかけについて書いてみました。
ベラルーシに住んでいる人間がチェルノブイリについて書くということで、もしかしたらあの内容では拍子抜けという感想を持った方もいらっしゃるかもしれません。

でも、私はチェルノブイリの現状を語れるほどの知識はありません。
一般のベラルーシ人と同じように、ただただ、この国に暮らしているというだけなのです。
汚染地域以外の地域では、この国の生活の中でチェルノブイリの問題に真正面から向き合う機会というのはあまりないかと思います。
汚染地域から遠いところであればなおさらのことです。

なので、今日も超個人的なことを書き連ねていきたいと思います。
今日は以前に書いた記事を加筆・訂正した上で再録したいと思います。



谷川俊太郎の「生きる」という詩。
知っている方も多いかと思います。
「生きているということ いま生きているということ」から始まる詩です。
生きていることの諸相を簡明な言葉で描き出した名作だと思います。

生きる
谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ


「泣けるということ 笑えるということ 怒れるということ 自由ということ」
それは生きているからこそできること、悲しいこともうれしいことも、全て「生きる」ことに他ならないのだということ。

実は今の4年生が1年生だったとき、この詩を僕が翻訳したものを読ませたことがあるんですよ(←3年前の話です)。
でも、ロシア語にすると全然違うものになってしまうんです。
たくさんの砂をすくおうとして、指の間から砂が滑り落ちていく感覚に似ています。
日本語ですばらしい詩もロシア語にするとまったくダメだったりして、ロシア語に合う詩を見つけるのはなかなか難しいのです。

詩を読んでいて、うちの学生、ベロニカちゃん(うちの奥さんと同じ名前です)の様子がおかしい。
「皆さん、泣かないでね」と冗談で言ったつもりだったのに、ベロニカちゃん、号泣。
それほど、心に迫るものがあったのでしょう。
「気に入りましたか?」と聞くと、みんなうなづき、ベロニカちゃんは泣きながら何度もうなづいていました。

こんな瞬間があるから、日本語教師をやっていられるし、やっていたいし。
こんな瞬間には、学生達を心から愛しいと思います。

実はこの詩には忘れられない思い出があります。
4年ほど前、僕のところに知り合いの17歳のレーナちゃんから電話が来ました。
「今も病院とかに行って、折り紙やってるの?」「うん、やってるけど」「じゃあ、私のクラスメイトが入院してるんだけど、行ってあげてくれない?」

その子が入院している病院はミンスク郊外にある「小児がんセンター」
実は僕はその病院には何度か行って折り紙をやっていたのですが、2年ほど御無沙汰していたのです。
というのは、最後にそこを訪れたとき、うちへ帰ってからひどくウツになり、その病院へ行くのが怖くなってしまったのです。

でも、僕は勇気を出して、2年ぶりに行くことにしました。

その女の子の名前はナースチャ。
ガンが肺やいろいろな臓器に転移してしまっていて、残された命はわずかでした。
彼女の病室に入ると、彼女は笑顔で迎えてくれました。
抗がん剤の副作用で、髪は一本もありませんでしたが、笑顔が素敵な女の子でした。

話はただの世間話。
「ベラルーシでの生活はどう? 日本と違うでしょ?」「正直、すごく大変かな」「そう、がんばってね」
って、僕のほうが慰められたりして。
みんなに優しくて、みんなが彼女から逆に元気をもらっていたと、彼女の家族は言っていました。

ナースチャはその2ヵ月後に亡くなりました。
17歳。

こんなときに「かわいそうだ」などと言うのは、適切ではないし、失礼だと思いました。
そもそも、「かわいそう」という言葉の中には、何か不遜なものが隠れているような気がしてなりません。
むしろ、彼女はみんなの愛に支えられて、幸せだったのではないでしょうか。
彼女のことはみんな忘れたりはしないでしょう。
僕も一生忘れません。

ちょうど、その頃、この「生きる」という詩を読んでいたのです。
彼女がなくなった翌日の土曜日、僕は大学で授業があったのですが、同僚に頼んで、授業を代わってもらいました。
しかし、寮の部屋に一人でいるとき、「これではダメだ」と思い、僕は大学へと向かいました。

二コマ目の授業中に、僕が教室に入ったとき、みんな元気に「こんにちは」と言いましたが、一人の女子学生だけは驚いた表情をしていました。
それは、彼女だけは僕がおかれていた状況を知っていたからです。
「先生、どうしてこんなに辛いときに授業に出てきたんですか?」と彼女の目は語っていました。
辛いときだからこそ、やらなければならないことがある、のです。

そして、授業の内容を変更して、この「生きる」をみんなで読んだのです。
僕はその詩を心から、そしてナースチャに捧げるという想いで読みました。
あのとき、僕が読んだ「生きる」は本当に心からの「生きる」だったと、学生たちは言ってくれました。
あんな風に読むことはもう二度とできないでしょう。
この詩を読むときはいつもナースチャのことを思い出します。



ここまでが3年前に書いた記事の再録です。

私は今でもナースチャの笑顔をはっきりと覚えています。
キラキラするほどの笑顔。
化学療法のせいなのでしょうか、彼女の顔はむくんでいました。
でも、あんなに屈託のない笑顔は死など微塵も感じさせない、そして私とナースチャが交わす言葉は普通の人間が普通に話す世間話以上の言葉ではなかったのです。

今になって思うと、彼女の病気の原因がチェルノブイリなのかどうかは考えたこともありませんでした。
そんなこと、どうでもいいんです。
チェルノブイリなのかどうかが問題なのではなく、ナースチャの命だけが問題なのです。

しかし、レーナちゃんの話では、ナースチャは最後の最後まで家族たちを元気づけていたそうです。
お見舞いに行くクラスメイトたちも泣かないように努力し、ナースチャもいつもと同じように振舞っていたそうです。

私の中には祈り一つ
悲しみや苦しみという
言葉を超えて
押し黙る 握り締める
流れる涙のほとりの夕べの祈り


ナースチャが亡くなったと知ったとき、私はベラルーシを去ることはできない、という強い想いにとらわれました。
理屈ではありません。
心の底から湧き上がる感情。
私はベラルーシを去ってはいけない。

だからこそ。
今、どこにも行かない自分、折り紙をやっていない自分を責める気持ちでいっぱいになるのです。
私がベラルーシにいるのは子どもたちと一緒にいるためではなかったのか?
仕事が忙しくて、そして守るべき家族もいて。
でも、私のベラルーシでの存在意義は子どもと一緒にいることではなかったのか?

ベラルーシの子どもたちは私にとって精神的な支えでした。
病院で遊んだことだけではなく、その後にもらった手紙にどれほど励まされたかわかりません。
11年前、ベラルーシに来た当時、私は身も心もぼろぼろでした。
私はベラルーシの子どもたちに助けられたのです。

これからは少しでもいいから、折り紙教室をやりたいと思っています。
自分の出来るペースで。
南の町にも行ってみようと思っています。

記事のタイトルに「チェルノブイリ」という言葉を書いておきながら、途中でこの際チェルノブイリはどうでもいい、ということを書いてしまいました。
しかし、本当に病気の子どもたちを目にすると、考えることはチェルノブイリのことではなく、その子どものことだけになるのです。

もう一度、書きます。
チェルノブイリなのかどうかが問題なのではなく、ナースチャの命だけが問題なのです。

akiravich at 07:35コメント(16)トラックバック(0) 
チェルノブイリ 

2012年01月27日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

ちょっと風邪気味です。
のどがかなり痛いです。
でも、仕事は山積み。
がんばらないと。

今日は今まで書こう書こうと思いながら、書いてこなかったことを書いてみたいと思います。

テーマは「チェルノブイリ」です。
最近は福島の原発の問題もあり、「ベラルーシ」という国名が日本のニュースや新聞に登場することも増えているのではないかと思います。
「ベラルーシ」というキーワードで検索すると、このブログもかなり最初のほうに出てきます。
おそらく、「ベラルーシ」で検索して、このブログを読まれた方も多いのではないかと思います。

「チェルノブイリ」という言葉は自分の中では非常に重い意味を持っています。
なので、ブログの中では簡単に手がつけられないテーマでした。
しかし、最近は通訳の仕事でチェルノブイリ関連の話も多くなり、自分の中の意識も高まっています。

11年間ベラルーシで暮らしてきた中で感じたことをストレートに書いてみたいと思います。
タイトルの「チェルノブイリ」という言葉から連想する内容とは違ったものになってしまうかもしれません。
長くなりそうなので、何回かに分けて書いてみたいと思います。

もちろん、この記事を読んで不快に思う方がいらっしゃるかもしれませんが、これも一つの意見だということでご容赦いただきたいと思います。

2000年8月、私はベラルーシに来ました。
ベラルーシ人の知り合いを頼って来たのです。
その年の7月にウズベキスタンへ行き、それからモスクワ、そしてミンスクへとたどり着きました。
ミンスクへ来た目的は日本語教師として就職するためでした。
その辺りの事情は非常に込み入っています。
興味がある方は「はぐれミーシャ純情派」をご覧ください。

そのとき、私の頭の中に「チェルノブイリ」という言葉はありませんでした。
ベラルーシという国に対するイメージも全く持たないまま、ミンスクに住むことになったのです。

チェルノブイリを意識する機会は割と早く訪れました。
2000年10月、ミンスクの中心部、独立広場にある通称「赤い教会」に「長崎の鐘」が建立されました。
それは第二次世界大戦で焼け残った浦上天主堂の鐘のレプリカです。
私はサブの通訳として、日本から来た代表団の方たちのお世話をすることになりました。

私は代表団の方たちに同行して、ミンスク郊外のアクサコフシナにある病院を訪れました。
そのとき、日本人の方たちは寄付金の他に、子どもたちのために折り紙をプレゼントしました。
ベラルーシの医師たちが「これはもらっても、子どもたちは折り方がわからないだろう」と言っていたので、私は「私はミンスクに住んでいるので、もう一度ここへ折り方を教えに来ますよ」と提案したのです。
これが全ての始まりでした。

私は一ヵ月後、その病院を訪れました。
このときは少し「チェルノブイリ」というものに対する意識が芽生えてきていたと思います。

アクサコフシナは子どもの病院というわけではなく、大人もいる病院。
チェルノブイリの事故後すぐに設立された病院です。
もちろん、治療行為もしますが、療養のための施設と言ったほうが近いかもしれません。

子どもたちは大はしゃぎ。
彼らにとって日本人というのは非常に珍しい存在。
今でこそ町に中国人が増えて、アジア系の顔を見るのは珍しくも何ともなくなりましたが、当時は町を歩いていてもよく指を指されたものです(←ほとんどが好意的なものではありませんでした)。

私も楽しくて楽しくて仕方がなくて。
子どもたちは際限なく、「じゃあ、次は何を折る?」
これほどまでに折り紙が受けるとは全く予想だにしていませんでした。
結局、朝の9時から17時までぶっ通しで子どもたちと遊び続けました。

折り紙の合間に、日本の写真を見せたりして。
はぐれミーシャ「みんな日本に行ってみたい?」
子どもたち「もちろん!!!」
子どもたちのキラキラした目を文字で表現できないのが残念です。

今考えると、私は恐ろしいほどの孤独にさいなまれていたのだと思います。
たった一人のベラルーシ人の知り合いを頼ってミンスクへ来て、でも、その人も日本へ行ってしまっていました。
職場には同僚もいましたし学生もいましたが、プライベートでは一人ぼっち。
子どもたちの笑顔がどんなに救いになったことか。

休憩がてら、婦長さんとお話。
はぐれミーシャ「この子達の病気って何なんですか?」
婦長さん「慢性胃炎よ」
はぐれミーシャ「???」

チェルノブイリ事故後、最初に建てられた病院だと聞いていたので、直接放射能に関係がある病気の子達なのかと思っていたのです。
でも、子どもが慢性胃炎って、あんまり聞いたことがないような・・・
しかも、子どもの数もかなり多いし・・・

はぐれミーシャ「慢性胃炎って、ただの慢性胃炎なんですか?」
婦長さん「直接の因果関係は証明できないんだけど、チェルノブイリ事故後に子どもの慢性胃炎が増えたことは確かなのよ。おそらく、免疫が低下しているせいかとは思うんだけど」
そうなんだ・・・

帰るときも子どもたちが病院の外に出てきてお見送り。
子どもたち「また来てね!」「明日も来てね!」
はぐれミーシャ「明日は無理だよ! でも、また来るよ!」

結局、その日は大満足。
しかし。
寮に帰って、私は考えました。
私は「子どもたちのために」行ったはずなのに、逆に元気をもらってるなんておかしくないか?

何かしたい。
子どもたちのために何かしたい。
何かしなければならない。

チェルノブイリ。
めまいがするほどの深淵。
押し潰されそうになる。
それは戦うにはあまりにも巨大すぎる敵だった。

俺が出来ることは何だろう?
俺は医者じゃないから、子どもたちを病気の脅威から救ってあげることはできない。
俺はお金持ちじゃないから、医療器具を寄付することもできない。
何も出来ないじゃないか!?
何も出来ない俺が病院に行くことに何の意味があるのだろう?

折り紙をやるのは楽しいけど、それって自分のため?
自分が楽しいから行くのはエゴイズム?

そう思いながらも、2週間後にはまたアクサコフシナへ。
子どもたちと遊ぶ時間は本当に楽しくて。
「楽しい」なんて、月並みな言葉しか出てこないけど、19歳で東京に出て以来、本当に心から「楽しい」と思ったことなんてあっただろうか?

昼食後、病院の保母さんのリュボーフィ・ステパノヴナさんと会話。
はぐれミーシャ「すみません。何の役にも立てなくて」
リュボーフィさん「えっ、何言ってるの? 十分役に立ってるわよ」
はぐれミーシャ「だって、医者じゃないから治療も出来ないし、お金もないからプレゼントもできないし」
リュボーフィさん「誰もそんなことあなたに求めていないのよ。あなたがしていることは十分価値のあることなのよ」

そのあとに彼女が言った言葉は、私のその後を決めてしまうような重要な意味を持つ言葉になりました。
リュボーフィさん「もちろん、医者も必要だし寄付も必要よ。世界中からいろんなプレゼントが届けられるし、子どもたちのために演劇を見せてくれたり、コンサートを開いてくれるミュージシャンもいる。でも、そういう人たちはパッと来てパッと帰っていく人たち。プレゼントをもらっても、その送り主の顔は見えないし。私も長いことこの病院で働いているけど、あなたみたいに朝から夕方までずっと子どもと座って、ただ遊んでいく人なんて見たことないわよ。あなたは世界であなたにしかできないことをやっているんだから、自信を持って」

「世界中で自分にしか出来ないこと」
その言葉は私の心を震わせました。

医者でも何でもない私にしか出来ないこと。
それは子どもたちとただただ「遊ぶこと」だったのです。

助けようとするからおかしくなるんだ。
役に立とうとするからウソになるんだ。
普通でいいんだ。
私の心は決まりました。

俺は子どもたちと遊ぶのが楽しいし、それで子どもたちも楽しくければそれでいいじゃないか。
そもそも「誰かのため」っていうのがうそくさい。
だって、結局みんな何でも自分のためにやっているんじゃないかな。

その人と一緒にいると楽しいから、その人と一緒にいたい。
自分が楽しいから、その人と一緒にいたい。
それだけのことだ。

私は「子どもたちと一緒にいたい」から一緒にいるのであって、「子どもたちのために」一緒にいるのではない。
私が折り紙を一緒に折ることで、その子の一日が楽しい思い出になればそれでいい。

自己満足?
それで結構。
自己不満足のために何かをしている人間なんているの?

偽善?
それで結構。
善か悪かなんて話ではないし。
私は私のためにやっているのだというスタンス。

私も子供たちも楽しいんだから、もうそれだけでいい。
そう心に決めると、私の心の中のもやもやはスーっと消えてなくなりました。

私は一つだけ自分の中でルールを作りました。
もし病院での折り紙をすることで自分の仕事や生活に影響が出るようであれば、病院へ行くことはすぐにやめる。
自分の生活を犠牲にして折り紙をするのは本意ではないし、それでは何かがウソになってしまう。

私は月に1〜2回、アクサコフシナの病院へ行くようになりました。
友人も知り合いもいなかった私にとって、子どもたちのところへ行くことはたった一つの喜びでした。
遊んだ子どもたちとの文通も心の支えになりました。

同じ目線で、ただ遊ぶ。
それが私のやり方。

「かわいそう」なんて言葉は絶対に使わない。
ベラルーシの子供たちは決してかわいそうなんかじゃない。
世界中どこの子どもと比べても、何の違いもない。
そして、一人一人が世界でたった一人の存在なんです。

よく「チェルノブイリの子どもたち」という言い方をします。
でも、「チェルノブイリの」というレッテルを貼り、「かわいそう、かわいそう」などと言うことにどんな意味があるというのでしょうか?

国籍や境遇にかかわらず、子どもは子どもなのです。
それは大人も同じこと。
私も日本語教師である以前に人間であり、日本人である前に人間なのです。

ベラルーシの子どもは別に特別な子どもではありません。
どこにでもいる普通の子どもたちです。
○○の子どもたちと十把一絡げにするのではなく、一人一人の子どもを見てあげてください。

子どもたちは宝です。
自分が親になって、その想いが強くなりました。
その子どもたちを守ることは大人の義務だと思います。

こんなに偉そうなことを書いてきましたが、ここ数年は病院への訪問が出来ていません。
独り者だった時代は時間もあったのですが、今は守るべき家族がいます。
その家族のために私は働かなければなりません。
大学で日本語科の主任になって、個人教室も経営するようになってからは自由な時間は全くなくなっています。
最初に決めた「生活に支障が出るようであれば、折り紙はやめる」というルールに従っています。

でも、やっぱり子どもたちのところへ行きたいなあ。
うちのベロニカちゃんも「絶対に行ったほうがいいよ」と言います。
はぐれミーシャ「何でそう思うの?」
ベロニカちゃん「だって、好きなんでしょ?」

そうなんです。
私は子どもが大好きなんです!!!
チェルノブイリがどうこうという問題ではなく、ただ単に子どもと折り紙をするのが楽しくて仕方がないんです。

去年の9月から今まで、日本からいらっしゃった代表団の方々の通訳でベラルーシ南部の町を訪れる機会が何度かありました。
行った先々で、私は地元の人たちと話し、折り紙教室を開くことをお願いしてきました。
全ての町で「待っているよ」と言ってもらえました。
ブラーギン、ホイニキ、コマリン・・・
そして、ミンスク郊外の子どもの療養施設にも行くつもりです。
それは子どもたちの笑顔に出会うためです!

すっかり、チェルノブイリとは関係がない話になってしまったように見えますが、私の中では全てつながっているのです。
子どもたちの前でチェルノブイリを意識することはありません。
ただ単に「遊ぶ」だけ。
それがいい。
そして、それでいい。
私は100%そう確信しています。

akiravich at 06:20コメント(9)トラックバック(0) 
チェルノブイリ 

2012年01月06日

新年、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

もう1月5日ですね(←日本時間ではもう6日ですね)。
新年のご挨拶が遅れてしまって、申し訳ありません。

この三が日はダラダラと過ごしていました。
9月1日に新学期がスタートして以来、初めてのまとまった休みです。

あんまり時間があるというのも困りものでして。
逆に時間をもてあましてしまい、結局、宿題のチェックなどを始めてしまいました。
やっぱり何もしないというのは罪悪感があって・・・

年末はいつもと同じく、かなりの忙しさでした。
授業自体はそれほど多くはないのですが、大学が試験期間に入るので、その準備が大変で。
試験問題を作るのって結構大変なんです。

試験は大学だけでなく、個人教室のほうでもやりました。
去年から始めたのですが、そうでもしないと、個人教室に多いアニメおたく系学生のモチベーションが上がらないのです。
彼らが日本語を始めるきっかけは「趣味」「アニメを日本語で理解したい」など。
勉強を始めたばかりの頃はいいのですが、2、3年も経つと、やる気がなくなっていく学生が多いのです。

個人のグループは現在、6つ。
多いんですよ。
それぞれのグループで試験をして、そのあとは忘年会。
つまり、忘年会も6つやることになるのです。

それはさすがにきついので、2つの小さいグループをまとめて試験をしました。
忘年会もまとめて。

もう一つ2年目のグループは1月8日に試験をすることにしました。
つまり、新年会になります。

ちなみに、ベラルーシには忘年会、新年会というものは存在していません。
ただ、年末は職場でカルパラチフと呼ばれるパーティーがあります。
あれは忘年会と言ってもいいようなものですね。

ということで、忘年会は4つ。
それでも多いですよ。

忘年会では必ず宅配のピザを頼みました。
私が料理をした忘年会もあったのですが、それだけでは足りなかったので。
私もよくピザ屋には行くのですが、結構おいしいんですよ。
日本人の方と行ったりしても、みなさん「おいしいですね」とおっしゃいます。
どうしてですかね?
だからといって、他のイタリア料理がおいしいというわけではないんですが。

仕事は12月30日まで。
日本だと、学校や大学なんかは25日ぐらいから冬休みになると思うのですが、ベラルーシでは学校は日本と同じですが、大学は30日まで試験があることがあります。
中には31日に試験をやることもあるそうです。

そうそう。
ベラルーシってお正月休みが少ないんですよ。
会社の多くは休みは12月31日と1月1日だけ。
ただ、今年は1月1日が日曜日と重なってしまったので、国のほうから2日も休みにするようにというお達しが出たようです。

毎年、私のうちのお正月のレポートをしていますが、今年も簡単に。
ちなみに去年のお正月レポートは2011年1月8日「2011年、あけましておめでとうございます!!!」をご覧ください。

今年も去年と同様、自宅で祝うことにしました。
おととしまではベロニカちゃんの実家に行っていたので。
やっぱり家族水入らずがいいですね。

IMG_4813

今年のツリーはこんな感じです。
去年のと比べてなんか違うなあと思ったあなたはかなり鋭い!(←そんなに私のブログを読み込んでいる人、います?)
普通、ツリーと言えばモミの木ですが、今年は松の木を使っているのです。
見た目、そんなに気にならないですよね?

どうして松なのかというと、龍二くんがいるから。
モミの木って、一つ欠点があるんですよ。
というのは・・・針葉樹の場合は「葉」なんですかね? それとも「針」なんですかね?
まあ、その針がどんどん落ちてくるんです。
その針が足に刺さったりするのは毎年のこと。
ただでさえ、今の龍二くんは何でも触ったり口に入れたりしたがるお年頃。
龍二くんがガタガタ動かしたら、葉が(←針? 針葉という言葉もあるようですが・・・)どんどん落ちますし、それに木自体が倒れてきたらあぶない。
その針も龍二くんの足に刺さりかねません。

なので、松。
それでも全然OK。
むしろ、葉を片付けなくてもいいのが楽でいいわ。

IMG_4790

龍二くんはお母さんのお手伝い。
クッキーを作っているところです。
これは食べるためのクッキーではないのです・・・

IMG_4797
これはツリーの飾り用のクッキーなのです!!!
これまではやっていなかったですね。
今年が初めてです。
ベロニカちゃんの話では、昔はリンゴやクッキーなどを飾りにつかったそうです。
今はそれほどポピュラーな飾り付けではないのだそうです。

そういえば、私の学生の一人が「私は子どものとき、ツリーにソーセージを飾りました」
はぐれミーシャ「どうして!?」
学生「だって、おなかが空いたときにすぐ食べられますから!」
ごもっとも。

IMG_4810

龍二くんは21時半に寝てしまいました。
最近は0時まで寝ないこともあるぐらい遅く寝るのが普通になってしまっていたので、21時半というのは奇跡的。
もうちょっと大人になったら、0時まで起きていて、一緒に新年を祝おうね!

さて、お楽しみの料理です!
今年はそんなにすごい料理を作るつもりはありませんでした。
金銭的にも余裕がないし・・・

IMG_4815

見ての通り、玉子焼きです。
何で玉子焼きなのかというと、夏帰ったとき、日本で買った玉子焼きに使える四角いフライパンがあったから。
これまで全然使っていなかったので、使ってみたかったんです。

これは玉子焼きというより、だし巻きです。
かつおと昆布のだしをたっぷり入れています。

これがね、楽しかったんですよ!!!
すごく難しいのかなと思っていたら、結構簡単で。
だんだん大きくなっていくのが楽しくて仕方がなかったです。

出来上がったのがこの写真の玉子焼き!
会心の出来です!
いやあ、これだけでかなりテンションあがりました。
ベロニカちゃんも「そんなにうれしそうなあなたの顔、初めて見たかも」
2011年、最高の出来事の一つになりました。

「結構簡単で」なんて書いちゃいましたけど、食べてしばらく経ってみたら、もっとおいしく出来るんじゃないかなと思い始めて。
そう考えると、全然簡単じゃない!
こういうシンプルな料理だと、逆に怖いですよね。
そもそも、もっとだしがおいしければ、もっとうまくいったはずなんです。

私は一つの料理を突き詰めて作り続けるのが好きです。
新しい料理を作るよりも、今までに作ったことがある料理をもっとおいしくしたいという気持ちのほうが強いですね。

2日にベロニカちゃんの実家に行ったのですが、そのときも玉子焼きを作って持って行きました。
実家の親戚たちには好評だったのですが、何の変哲もない味に。
今度の土曜日も学生たちと軽い飲み会があるので、そのときも作ってみよう〜っと。

IMG_4826

これも見ての通り、がんもどきです。
買ってきたんじゃないですよ。
自分で作ったんです。
そもそも、ベラルーシにがんもどきはありません。

結構、簡単なんですよ。
がんもどきの作り方は2009年2月1日の「がんもどき、作ってみました!」に書いてありますので、ご参考に。
これの揚げたてにしょうゆをちょろっとかけて食べるのが最高なんですよ!

2012年へのカウントダウンはテレビを見ながら。
そして、2012年になって、すぐにシャンパンで乾杯!
これはベラルーシだけでなく、旧ソ連圏全体の習慣ではないでしょうか。

そして、プレゼントタイム!
ベラルーシではクリスマスにプレゼントをあげることはあまりなく、お正月にプレゼントをするのが普通なのです。

IMG_4828

私はベロニカちゃんに本をあげました。
ココ・シャネルの生涯についての本です。
写真もたくさんあって、すごい本なのです!

IMG_4847

龍二くんがプレゼントをもらったのは1月1日の朝。
私たちだけでなく、ベロニカちゃんの実家からもたくさんのおもちゃが!
龍二くんもご満悦でした!

駆け足でしたが、今年のお正月はこんな感じでした。
私も久しぶりの連休を楽しみました!

おお、もう0時過ぎてる!
早く寝ないと・・・
明日は5コマだ!

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