2012年03月

2012年03月11日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日、東日本大震災から一年経ちました。
この一年は私にとっても人生で大きい意味を持つ年になりました。
今の気持ちは深く深く祈るだけの気持ちです。

震災後の一年間、私の生活にも大きい変化が現れました。

一年前のあの日、私は大学にいました。
学生からのショートメールであの大震災のことを知りました。
山形に住む家族の安否が心配で心配で・・・
山形は津波などの被害は直接受けてはいませんが、電話がつながらず、何が起こっているのか、怪我などはしていないかなど、頭の中を様々な考えが渦巻きました。
ミンスク時間の14時ぐらいに兄から携帯電話に電話が来て、やっと安心することができたのでした。

そして、仙台に住む友人や親戚、知り合いの安否が気にかかりました。
皆無事だったのですが、それがメールなどで確認できるまではとにかく心配でなりませんでした。

私は大学での授業のときも大震災の話をしました。
それしかできませんでした。
学生たちも私と一緒に心を痛めました。

一般のベラルーシ人たちの間にも深い祈りの空気が流れていました。
様々な人から電話があり、「家族は大丈夫か?」と聞かれました。
多くの人が「寄付金を送りたいのだが、どうすればいいのか?」という電話がありました。

この遠いベラルーシにいながら、自分には何もできないことに焦燥感を感じました。
私は日本人であると同時に、東北人という意識があります。
同じ東北の人たちが苦しんでいる、そして何度も行ったことがある仙台の人たちが苦しんでいる。
何か自分でもできることはないのだろうかと悩みました。

それから、私は予期せぬ形でこの問題と関わることになりました。

まずベラルーシの地元の新聞やテレビ局からインタビューや出演の依頼が来るようになりました。
最初は私のような人間がテレビに出て日本の話をするなんて、そんなことをしてもいいのだろうかと悩みました。
しかし、ベラルーシで目にすることができる地元やヨーロッパのニュースを見て、報道の偏りというものを感じたことから、私はせめて自分が知りうる情報だけでもベラルーシの人々に伝えたいと思うようになりました。

テレビ番組を通じて、いろいろな方と知り合いになりました。
チェルノブイリの現場で働いていた元作業員の方、汚染地域のブラーギン市の市役所の方などなど。
その方たちとはその後も何度も顔をあわせることになりました。

4月16日にはミンスク市内にある仙台広場(←ミンスクは仙台と姉妹都市です)において、復興を祈念する植樹祭があり、私も招待されました。
ちょうどその日にはNHKの地球ラジオに電話で出演させていただきました。

夏が近づいてきた頃から、通訳としての仕事が舞い込んでくるようになりました。
ご一緒するのは日本の省庁の方々や被災地からいらっしゃった方々、研究者の方々など様々でした。
ベラルーシ緊急事態省や放射線学研究所などでの通訳です。
私は元々、音楽を勉強していたので、理系の話、ましてや放射能の話などは全くの門外漢です。
しかし、少しでもベラルーシにある情報が日本の皆様の役に立てばと思い、様々な言葉を勉強しました。

正直に言えば、ベラルーシというチェルノブイリの被害を受けている国に住んでいながら、そのことを痛烈に意識したことはそれほどありませんでした。
大震災後の1年間は自分がどこに住んでいるのかということを痛いほど感じることになった一年でした。

私の家族や親戚、知り合いは無事だったと書きましたが、大震災後に知り合いになった人たちは被害を受けていました。
家族を亡くした方、家を流されてしまった方、農業ができなくなってしまった方・・・
言葉を返せないほどに何もできない自分をはがゆく思いました。
そして、私は私ができること、通訳の仕事を一生懸命やるしかないのだということを理解しました。

ベラルーシの人たちは同じ放射能の被害を受けている人たちのことを想い、心を痛めています。
できる限りたくさんの情報を共有したいという思いの人がこの国には大勢います。
私も少しでも情報の共有のお手伝いができればと考えています。

このブログでもチェルノブイリのことについて書いていければと思っています。
この国にいると書けないことも多いのですが、書ける範囲で書いていきたいです。
2011年1月27日「私とチェルノブイリ 愾瓦討論泙蟷罎ら始まった』」
2011年1月29日「私とチェルノブイリ◆悒福璽好船磴舛磴鵑悗竜Г蝓戞

そして、日本へ帰ったときには皆様に直接ベラルーシについてお話しする機会があればと思っています。
自分の家族や知り合い、友人たちと話すのはもちろん、私が卒業した学校などにも行って、子どもたちに話ができないかと考えています。

私は2000年からベラルーシに住んでいるのですが、来た当初はチェルノブイリのことなど、全く考えていませんでした。
その後、病院で子供を相手に折り紙をするようになり、チェルノブイリということを強烈に意識するようになりました。
「この国に住んでいて本当にいいのだろうか? 危険はないのだろうか?」とも考えました。

私がベラルーシに住み続けている理由は二つあります。
一つは私がいなくなれば、日本語を教える日本人がほとんどいなくなってしまうこと。
もう一つは私がいなくなれば、ベラルーシの子供たちと遊ぶ人間が一人少なくなってしまうこと。

誰かに必要とされること。
それが私にとって「生きているという実感」なのです。
「ベラルーシに住むということはチェルノブイリを受け入れるということなのだ」
私はそのことを理解し、それを受け入れることにしたのです。
私がベラルーシに住んでいることの意味、そして日本人であることの意味を何らかの方法で形にしていきたいと思っています。

この大震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表したいと思います。
津波や地震の被害にあわれた方々に一日も早い復興をお祈り申し上げます。
福島原発の事故により避難生活を余儀なくされている皆様、一日も早く故郷に戻れる日が来ることを切に願っております。


akiravich at 17:16コメント(6)トラックバック(0) 
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