2012年11月

2012年11月30日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日は久しぶりの完全OFFです。
「完全」という言葉を強調したいと思います。
というのは、いつもいろいろな雑用やうちでしなければならない細かい仕事があって、100%の休みというのはほとんどないからです。

先週の水曜日、21日から25日まで、私は通訳として瀬戸孝則福島市長を団長とする福島市民視察団に同行してきました。
今回は通訳としてだけではなく、各関係機関との調整など、様々な面で関わらせていただきました。
今年の夏から関わっていた仕事なので、やり遂げたという達成感はひとしおです。

ここしばらくはだいぶ緊張していました。
去年の夏ぐらいから、様々な代表団の通訳をしているのですが、このような大きい仕事は久しぶりだったのです。
今年の7月に福島県議会の方々の通訳をして以来です。

21日は空港へ迎えに行くだけだったので、実際の仕事は22日から。
朝はロシア・ベラルーシ情報センターへ。
それから、児童保養施設「ジダノヴィチ」へ。
そのときの様子は福島民報さんの記事をご覧ください。
「被ばく防止対策を学ぶ 福島市民のベラルーシ視察団」

23日はベラルーシ南部の町、ゴメリからスタート。
正直、この日の仕事は今までやった通訳の中でも一番ハードでした。
朝の8時半からモズィリという町へ移動したのですが、その車中、ゴメリ州政府チェルノブイリ事故対策局の副局長さんがバスに同乗されて、様々なお話をしてくださったのです。
それはありがたかったのですが、道が悪く、バスはバウンドしながら走るような状態。
メモは取れないし、揺れすぎで気持ち悪くなるし。
目的地のモズィリ地区役場に到着したときはヘロヘロでした。

23日に訪問した施設は実に7ヶ所。
私もいろいろな通訳をしましたが、7ヶ所は最高記録です。
そのときの様子は福島民報さんと福島民友さんの記事をご覧ください。
「ゴメリ州の大学訪問 福島市民ベラルーシ視察団」
旧汚染地域の現状理解 福島市視察団、モズィリ市訪問

福島民報さんの記事の写真に出ている男性はモズィリ地区議会の議長さんなのですが、非常に気さくな方で楽しかったです。
またモズィリに行ったときは連絡しようかな。

これは今回だけでなく、これまでの経験を通して感じることなのですが、ベラルーシでは上の立場の人って女性も多いんです。
多いというか、女性ばっかりの所もあります。
で、女性のほうがビシッとしていて、男性のほうが気さくな感じ、ということが多いのですよ。
何ででしょうね?

最近、大学の授業の中で「女性の社会進出」という言葉が出てきたのですが、ロシア語では表現しにくいんですよ。
表現しても、学生たちは全くピンと来ない様子で。
進出するも何も、男女共に上の立場に立っているのがベラルーシでは普通ですから。

23日はモズィリ市で様々な施設を訪れた後、ゴメリに戻って、放射線学研究所という施設を訪れました。
私は去年の夏以来、何度もこの施設を訪れています。

ここの所長のアヴェリンさんという方、とてもいい人なんですよ。
初めてこの研究所を訪れたとき、専門用語についていけない私に対して「じゃあ、今説明してやるから、日本人たちに『5分待て』と伝えろ」と言って、私が通訳しやすいように専門的なことを説明してくれたのです。
通訳としては非常に恥ずかしいことなのですが、アヴェリンさんの優しさに心を打たれました。
それ以来、私が研究所を訪れるたびに非常に優しくしてくれるのです。
アヴェリンさんに限らず、副所長のおじさんも職員のアリョーナちゃんも何故か優しくしてくれます。

この放射線学研究所の人たちは福島のことを心から真剣に考えてくれます。
アヴェリンさんは私利私欲を求めるのではなく、心から福島の人たちの役に立ちたいと考えてくれている人です。
ベラルーシでも最高レベルの学者でありながら、研究所の所長であり、国会議員でもあるアヴェリンさん。
きっと福島の復興に役立つ人だと私は思っています。

24日は朝からゴメリ州知事を表敬訪問。
そのときの様子は現地の新聞をご覧ください(←ロシア語ですが・・・)。
http://gp.by/section/society/48877.html

それから、ホイニキという町へ。
この町はチェルノブイリ関係の話になると、よく名前が出てきます。
そこの中等学校へ行き、住民の方との交流をしました。
そのときの様子は福島民報さんの記事で。
「今を生きる 教訓教え子のために 放射線教育確立誓う 福島市民ベラルーシ視察団」

昼過ぎにホイニキを出発し、ミンスクへ。
そして、ミンスク市内のレストランで大使を交えて夕食。
そのときの様子は福島民報さんの記事で。
「ベラルーシ臨時代理大使と懇談 福島市民視察団」

そのときに出た話。
「通訳はスポーツマンと同じですよ。アスリートなんです」

それは今回、私が非常にハードなスケジュールで通訳をしたことについての話でした。
その趣旨は通訳はスポーツマンと同じで体力勝負だし、すぐに訳せる反射神経が必要であるということ。
全くそのとおりでして。
今回はそのことを痛感しました。
普段から節制してコンディションを整えておかないとダメですね。

私も「通訳はアスリートである」という持論を持っていました。
しかし、私の意見はコンテキストがちょっと違います。
通訳にとっての基礎体力、それは語彙力であったり、文法力です。
その上で専門分野の知識を広げたり、メモのテクニックを身につけたりしないといけないと思うのです。

中には「通訳は経験をたくさん積むのが大事」ということを言う人がいますが、それは必要な基礎体力を身につけた通訳が言うことで。
学生でも誰でもかまわず通訳を「経験」させようとするのは大きい間違いだと私は思っています。

ちょっと話がずれてしまいました。

今回は私の学生たちもお手伝いをさせていただきました。
ホイニキ地区の村の学校での住民との交流会で通訳をしたのです。
いくつかのグループに分けて交流したので、私一人では対応できないということで、助っ人に呼んだのです。
そのときの様子は福島民報さんと福島民友さんの記事で。
今を生きる 教訓教え子のために 放射線教育確立誓う 福島市民ベラルーシ視察団
「放射線不安はないか」 ベラルーシ汚染地域住民と懇談

学生たちにとってはいい経験になったと思います。
視察団の中には学生さんが3人いたのですが、やっぱりそこは若い者同士ということで。
とてもいい交流が出来たのではないかと思います。
その様子は福島民友さんの記事で。
「ベラルーシ視察」終了 福島市視察団出国、27日帰国

今回の視察団の仕事、私にとっては非常に重要な意味を持つものでした。
それは私が山形生まれの「東北人」であることと関係があります。
やはり、隣人が困っているときに助け合うのが人間ですよね!!!

今回は通訳以外にも、訪問先との交渉など、細かい調整の仕事もさせていただきました。
困難な場面に何度も直面しましたが、非常にやりがいがある仕事でした。

視察団には様々な方がいらっしゃいました。
医師、学校の先生、看護士さん、主婦の方、学生さんなど、様々な方がいらっしゃいました。
そのような方たちの声を聞かせていただき、いろいろと感じるものがありました。

チェルノブイリはすでに26年経っており、解決済み、または解決に向かっている問題もたくさんあります。
しかし、福島はまだ始まったばかり。
これから解決すべき問題が山積みなのだと思います。

だからこそ、今回のように一般市民の方たちがベラルーシを訪れることには非常に深い意味があると思うのです。
インターネットや書物を通してベラルーシに関する知識を得ることは可能です。
しかし、「百聞は一見にしかず」とはよく言ったもので、自分の目で見ることによって得られるものは大きいと思うのです。
非常に抽象的で、理論的に説明することはできないのですが、自分で体験したこと、自分の肌で感じた空気、それに勝るものはないと思うのです。

私は今年の夏、福島を訪れました。
新幹線で通ることはあっても、降りたことはほとんどなく、隣県だというのに、全く馴染みがありませんでした。

福島で過ごした3日間は私にとってかけがえのない思い出になりました。
五色沼の美しさに心奪われ、喜多方のラーメンのおいしさに胃袋奪われ。
そして、昨年の福島調査団の方々と飲んだお酒はおいしかったです。
直接、今の福島の人たちの想いを聞けたのは貴重なことです。

もちろん、新聞やインターネットなどの記事でも福島の人たちの声は聞けるのでしょうが、書かれた文字だけでは伝わらないこともあります。
「温もり」とか「手触り」とか、大切だと思うのです。
私は福島の人たちの温かさを感じ、もっと福島の人たちのためにできることはないだろうかと考えるようになりました。

今回、ベラルーシを訪れた福島市の方々もいろんなことを感じられたのではないかと思います。
そこで出会った人々、直接話しをし、手を握ったベラルーシの人たちのこと、皆さん忘れられないだろうと思うのです。
ベラルーシで得た知識をそのまま福島で生かすことが第一ですが、それ以外にも得るものはきっとあるはずなのです。

今回の視察団のこと、インターネットで調べるといろんな記事が出てきます。
中には批判的なことを書かれている人もいます。
「現地に行かなければならない理由がわからない」「そもそも現地まで行く必要があるのか」などなど。

このような批判は私にとっては、非常に理解に苦しむものです。
そんなことを言うなら、福島の現状を理解するにはインターネットやその他の資料に目を通すだけで十分で、現地に行く必要はない、と言っているのと同じじゃないですか?
もちろん、ベラルーシまで来るのは費用もかかりますし、同じ土俵で比較するのはフェアじゃないと思いますよ。
でも、現地に行って自分の目で見ることを否定するのって、何の意味があるのでしょうか?

日本人がベラルーシに学ぶことは非常に多いような気がします。
もちろん、100%全てが役に立つとは言いません。
しかし、日本の役に立つ情報や経験の蓄積はあると思うのです。
それは私が実際に通訳の現場で見てきたことですから、断言できます。

ベラルーシはチェルノブイリの被害を非常に強く受けている国。
なので、「ベラルーシ人はかわいそう」という言い方をされることは多いんです。

でもね・・・
みんな、生きてますよ!
ちゃんと生きてますよ!
何がかわいそうなもんか!


11月29日の時点で、ミンスクの線量は0.10マイクロシーベルト毎時。
ゴメリは0.12マイクロシーベルト。
ホイニキは0.26マイクロシーベルト
一番線量が高いブラーギンは0.55マイクロシーベルト。

ここに挙げた町、全ての町にベラルーシ人が生きています。
生きています。
そして、生きていきます。


ベラルーシ人が「生きている」姿を見ることは福島の人たちにとって大きい意味があるのではないでしょうか?
今回、瀬戸孝則市長のお話を伺って、「一般市民の方たちに自分の目で見ていただいて、今後に役立ててほしい」という考えに心から賛同します。


福島市視察団の皆様へ

この度は大変お世話になりました。
私としては出来る限りのことをさせていただきましたが、至らない点もあったかと思います。
ご容赦ください。

皆様も感じられたことと思いますが、ベラルーシの人たちは心から福島の復興を願っております。
それは自分たちが26年前に経験し、乗り越えてきた道のりを皆様が歩もうとしている福島の皆様の気持ちが痛いほどわかるからです。
これから、もっとベラルーシと日本の関係がより深まることを願っています。

これからも福島の方々のお役に立てるように努力していきたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。


akiravich at 00:15コメント(6)トラックバック(0) 
チェルノブイリ 

2012年11月16日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

今日は休みでした。
毎週木曜日は休みなので、できるだけ用事を入れないようにしています。
そうでもしないと、肉体的にも精神的にもきついので。
私の場合、土曜日も日曜日も休みじゃありませんから。
むしろ、平日よりも授業が多く、かなりきついのです。

とはいえ、今日もいろんな人から電話が来たりして、なかなか休めなかったです。
外に一歩も出なかっただけ、かなり楽なのですが。

今日は龍二くんと長い時間を過ごしました。
ベロニカちゃんが妹のマーシャちゃんと映画を見に行ったからです。
普段、私は授業などでうちにいないことのほうが多いのですが、今日は久しぶりに龍二くんと二人っきりで過ごしました。
それにしても、あまりのアクティブさにびっくり。
運動量がすごすぎます。
これじゃあ、うちのベロニカちゃんも疲れるはずだなあ。

少しではありますが、今日一日で少しですが疲れが取れました。
来週、大きい仕事が控えているので、今日は休息をとりたかったのです。

その仕事とも関係があるのですが、今週の月曜日、ある保養施設へ行って折り紙をやってきました!!!
打ち合わせも兼ねてだったのですが、私にとっては久しぶりの折り紙教室。
先週から楽しみにしていました。

その場所は子供の保養施設「ジダノヴィチ」というところです。
「ジダノヴィチ」と言えば、ミンスクっ子にはおなじみの名前。
ミンスクのちょっと郊外なのですが、巨大なマーケットがあるところなのです。
食料品エリア、衣料品エリア、建築資材エリアなどが広大な敷地に広がっているところなのです。
保養施設はそのマーケットのもう少し先です。

実は通訳として何度かジダノヴィチを訪れる機会があり、そのときに「今度折り紙をやりに来てもいいですか?」とお願いしたところ、「もちろん!」と快諾していただいていたのです。
しかし、仕事の忙しさにかまけて、約束してから半年もして、ようやく行けることになったのです。

「ジダノヴィチ」に着くと、すぐに所長さんと打ち合わせ。
この所長さん、前に通訳したときに会っているのですが、私の顔はすっかり忘れていました。
ここ最近は日本人の訪問客が多く、覚え切れないのでしょう。

所長さんは以前、ゴメリ州のある町の市長さんだった方。
日本に何かの研修に行ったことがあるので、超親日家。
とても優しい方です。

打ち合わせのあと、昼ごはんまでご馳走になりました。
食堂で所長さんと一緒のちょっと遅めのランチです。

所長さんの方針は「職員も子供たちと同じものを食べるべきだ」というもの。
私もいろんな病院や施設に行きましたが、職員のものだけちょっといい食べ物だったり、私のことを大事なお客さんとして扱おうとしているのか、特別料理を出してきたりすることがあるのです。
でも、私はいつも「子供たちと同じもので」とお願いするようにしています。
何といえばわからないのですが、とにかく子供たちと一緒のものがいいのです。
ジダノヴィチの所長さん、私と同じで理屈っぽい理由があるわけではなく、「何で別々のものを食べなきゃいけないんだ?」
私も同感です!

DSC00728

さあ、ここからは料理のご紹介!
これはサラダですが、一体何が入っているのでしょう?
きゅうりのピクルスと玉ねぎと豆みたいなのと・・・よくわからん。
でも、おいしかったから、よしとしましょう。
味は一般の家庭でよく食べるような感じ。
そのことを所長に言うと、「そのほうが子供たちにとってもいいと思う。ここはレストランじゃないんだから」

DSC00729

これはボルシチです!!!
私はボルシチ、大好き!!!

6年ほど前、日本に一時帰国したとき、東京の某ロシア料理レストランでボルシチを食べた(←ロシア語ではスープは「飲む」ものではなく「食べる」ものです)のですが、全くボルシチとは似ても似つかないものでした。
日本人の多くの人はボルシチの赤い色はトマトの色だと思っているんじゃないですか?
この赤い色はビーツを使っているんです。

普通、ボルシチにトマトは入れません。
これはベラルーシに限らず、ウクライナやロシアも同じはずです。
入れるとしても、かなり例外的な作り方だと思います。
東京で食べたボルシチはトマトスープとしては非常においしいものでした。

DSC00730

メインは魚のハンバーグとジャガイモのピューレ。
そこに酢漬けのキャベツが添えられています。
この魚のハンバーグは食堂なんかに行くとしょっちゅう出てきます。
私は大好きなのですが、嫌いな人も結構多いようです。

ベラルーシはよくジャガイモを食べる国。
とにかくジャガイモばっかり食べているイメージがあります。
私のうちではご飯のほうが多いのですが、それはかなり珍しいタイプです。

ここの食堂の味は家庭の味にかなり近いものがあります。
ベラルーシに来て、レストランの料理ばっかり食べてもダメですなんですよ。
正直、ベラルーシのレストランって大したことないところが多いし。
最近ではそこそこおいしいところも出てきましたが、かなりの高級店で、私のような一般庶民には全く手が出ません。
「ベラルーシ料理の真髄は家庭料理にあり!」と声を大にして言いたい。
ベラルーシにいらっしゃる方でベラルーシ人の知り合いや友人がいる場合は、ぜひ一般家庭の料理を試してみてくださいね。

お腹がいっぱいになって、超眠くなりました。
疲れもかなりたまっていたので。

子供たちのところに行ったのは15時半ごろ。
彼らが寝泊りしている建物の中の遊び場が会場でした。
彼らからしてみれば、本物の日本人が来るというのは夢のような話。
みんな大はしゃぎで折り紙をやってくれました。

子供たちはグロドノ州というベラルーシでは西部に位置し、ポーランドと国境を接している地方の村から来ている子供たちでした。
ジダノヴィチはチェルノブイリで汚染されている地域から来ている子供たちの保養施設。
グロドノ州はチェルノブイリからかなり遠いのですが、ホットスポットはあるようです。
彼らの村も汚染地域なのかなあ?
ただ、ジダノヴィチに限らず、ベラルーシの病院や保養施設などではことさらにチェルノブイリのことを強調せず、健康全般の面倒を見るというスタンスのところが多いので、もしかしたらその子供たちの村も汚染地域に入っているというわけではないのかもしれません。

DSC00731

ピンボケですが、こんな感じです。
目も閉じちゃってるし。
教えたのは鶴とカエル。
鶴はベラルーシでも時々作れる子がいたりするのですが、たいてい作り方が間違っていることが多いのです。
カエルは口がパクパク動くもので、子供たちには大好評でした。

それにしても、楽しかった!
時々、充電しないとダメですね。
子供たちと折り紙をやると、正直、最高に疲れるんですよ。
しゃべりっぱなしで、ロシア語の冗談全開でいきますから、うちへ帰るとぐったり。
でも、それ以上に得るものがあるんです。
子供たちにエネルギーをもらう感じです。
また行こう〜っと。

明日も朝からドタバタと走り回ります。
いろんなところに顔出さなきゃ。
授業もしっかりあるしなあ。
そして、いろんなところに電話もかけないといけないし。
がんばります!!!

akiravich at 05:51コメント(2)トラックバック(0) 
ベラルーシの生活 | ベラルーシの食生活

2012年11月10日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日は日本の皆様へのメッセージを兼ねた記事になります。
以前から思っていたことがあり、それについて書いてみたいと思います。

今日、私は大学の元同僚で、今は通訳仲間とも言うべき男性に会って昼ごはんを食べました。
そのときに出てきた話は非常に興味深いものでした。

それは彼が通訳としてベラルーシ南部の小さい町を訪れたときのこと。
そこの役所の女性にひどくお叱りを受けたというのです。
その女性は私も何度かお会いしたことがあり、テレビのトークショーでもご一緒しましたし、通訳としても彼女のところを訪れました。
その方は立場的には副市長という非常に偉い方です。

それは通訳の彼が何か悪いことをしたということではありません。
副市長はその町を訪れる日本人に対して怒っていたのです。

ここまで聞いて、私はどうしてその女性が怒っているのかがすぐにわかりました。
実は私も通訳をしていたときに、同じような局面に出くわしているのです。
しかも、全く同じ町で、同じ女性に同じことを言われたのです。
私の話と元同僚の話は100%同じものなので、私が直面した状況についてお話したいと思います。

今年の冬、私は日本のテレビ局の人たちとその町を訪れました。
そのときはその町の農家を取材したりするのが目的でした。
しかし、その町を訪れた以上、役所を素通りするわけにはいきません。
私たちは予定に役所訪問を組み入れました。

ミンスクから車でその町に向かいました。
その車を運転していたのは私の元教え子で、今はある役所で働いている男の子。
彼は最初から非常に浮かない様子でした。
彼「その町の偉い人がものすごく怒っているんです・・・僕もその役所に行ったら怒られると思います」
私「何でその女性は怒っているの?」
彼「役所と関係がないところで、勝手に訪問先をセッティングしたからです」
私「でも、それは君の罪じゃないでしょ?」
彼「・・・」

その町での訪問先というのがその町の役所の希望とは合わないところだったようでした。
役所としてはここを見てほしい、あそこも見てほしいというところがあったのでしょう。
自分たちが知らないところで勝手にセッティングされて、「ここに行きますから」という予定表を提出されたのでは気分を害するのも無理はないかなとは思います。

そのセッティングをしたのは隣国の会社(←旅行会社のようなものかと思います)。
そのことに関しては、この記事の後半に書きます。

その役所の女性は私たち日本人には非常に親切に対応してくれました。
しかし、元教え子の彼は彼女の執務室にひとり残され、こってりしぼられていました。
彼「セッティングしたのは僕じゃないのに・・・」

日本人がベラルーシの町を訪れることによって、ベラルーシ人同士が関係を悪くしてしまうようなことが起こってしまうのは恥ずかしいことです。
もちろん、日本人には知る由もないことなのかもしれません。
だからこそ、私はここに書いて、ベラルーシを訪れようとしている皆さんに知ってもらいたいのです。

もう一つ、私の体験談を書きます。
それは今年の春、私が日本からのある代表団に同行したときのことです。

その人たちとゴメリ州保険局を訪れたときのこと(←ゴメリ州というのはベラルーシの南東部にあり、国内ではチェルノブイリの被害をもっとも受けている地域のことです)。
そこには何故か保険局とは直接関係がない役人が二人。
一人はチェルノブイリ関係部局の人、もう一人は州知事の側近。

彼らは何度も保険局の人の話をさえぎって、日本人に向かって自分たちが話したいことを話し始めました。
その内容というのは「どうして日本人たちは私たち州政府に連絡してこないんですか? 連絡してくれればいくらでもお手伝いできるのに」「日本人はどうして自分たちでセッティングするんですか? 何を知りたいのか教えてくれれば、私たちがセッティングしますよ」
簡単に言えば、日本人たちが自分たちの州に来て、自分たちの知らないところで勝手に行動していることに不満を持っていたのです。
私は全て通訳しましたが、代表団の人にはまるで関係がない話。
困惑するしかないような状況でした。

もちろん、ベラルーシ人側の「これを見せたい、あれを見せたい」という姿勢にもどうかと思うところはあります。
しかし、日本人が見たいところに行って、見たいものを見るという行動をとり続けることで、ベラルーシ人の気分を害していたら、日本人のイメージを悪くするだけだと思うのです。
基本的にはベラルーシ人側の好意で見せていただいているのですから。

そして、ベラルーシには日本とは違った国情があります。
メンタリティーも違います。
「郷に入れば郷に従え」じゃありませんが、ベラルーシに来る以上はベラルーシ人側の意向も汲み取り、そこに合わせる事も必要ではないかと思うのです。

私は別に全面的にベラルーシ人側の言うことを聞けと言いたいわけではありません。
日本人としては自分たちが希望するところに行きたいというのは当然のことです。
ベラルーシで得られる知識というのは日本の復興に役立てることができるかもしれないものなのですから、熱心になるのは当たり前のことです。

しかし、日本人がどんなに一生懸命であっても、ベラルーシ人が気分を害したらどうでしょうか。
ベラルーシ人が日本人に対して門戸を閉ざすことだってありえない話ではないと思うのです。

ここで私が書いている「ベラルーシ人」が具体的にどんな人たちを指しているのかは大体察しがつくかと思います。
しかし、そうではない一般の人たちからも不満は出ているのです。

これも最近聞いた話です。
震災後、日本人が田舎の小さい町や村の工場や農場、組合などを訪れることが多くなりました。
彼らが日本人に対する不満を漏らしているのです。

日本人が工場や農場などを訪れた場合、ベラルーシ人の担当者は自分の仕事をしないで、日本人に同行して説明をしたりもてなしたりします。
それは全て彼らの善意に基づいているものです。

しかし、それが短い時間に連続して起きたらどうでしょう。
彼らは自分の仕事時間を使って、違う言い方をすれば、自分たちの本来の仕事をほっぽりだして、日本人の世話をしているのです。
それは彼らにとっては何のメリットもないことです。
月に1回ぐらいならいざ知らず、それがもっと頻繁になると、彼らにとっては仕事が進まないし、歩合制の組織だったら収入に直接影響してしまいます。

ベラルーシ人たちは別に日本人に協力したくないと言っているわけではないのです。
あまりにも彼らの仕事に影響するようでは困るということなのです。

ちょっとイメージしていただきたいのですが、皆さんの職場にしょっちゅう見学者が訪れると考えてみてください。
もしかしたら見学者が訪れるのはうれしいことかもしれませんが、その数が多くて、通常業務に支障をきたすようになってしまったら、どうでしょうか。
まあ、特別に見学ツアーを設けて、見学担当の人たちがいるような大企業であれば別でしょうが。

私は思うのですが、もしベラルーシの会社や工場、農場などを訪れるのであれば、謝礼なり手土産なりを渡すべきではないでしょうか(←これはあくまでも私個人の意見です)。
そうすれば、ベラルーシ人側の気持ちもやわらぐと思うのです。
自分たちが得たい情報を得たからそれで満足というのでは、何の交流にもなりません。
ベラルーシ人にとってもメリットがある形にしなければ、本当の交流とは言えないと思うのです。

もちろん、物を渡すだけではなく、もっと深くそれらの組織とかかわっていくのもいい方法かと思います。
例えば、日本からの技術協力をするとか、お互いにメリットになるような情報交換をしていくとか、いろいろとやり方はあると思うのです。

ここで一言ことわっておきたいのですが、日本からベラルーシに来ている日本人全員の行動に問題があると言っている訳ではありません。
もちろん、中には私が指摘するまでもなく、ベラルーシ人と日本人双方にメリットがあるような交流をしている、またはしようとしてる団体もあることを私は知っています。

ここに書いた内容はある一つのケースについてだけです。
もしかしたら、日本人大歓迎という組織もあるかもしれません。
しかし、不満を持っている人たちがいるというのは事実なのです。

ベラルーシ人は今回の震災、ならびに福島原発の事故に非常に心を痛めています。
自分たちがチェルノブイリで苦しんだことで、ベラルーシ人は遠い日本での出来事をより身近に感じていると思います。
そして、彼らはチェルノブイリの被害にあったとき、日本が真っ先に援助の手を挙げてくれたことを忘れてはいません。
ベラルーシの省庁・役所に行っても、一般の人たちに聞いても、「日本の人たちにはいろいろと助けてもらった。だから、今度は私たちの番だ」ということを言う人が多いです。
その気持ちにうそは全くないと思います。
だからこそ、私はベラルーシ人と日本人がよりよい協力関係を結んでくれることを願ってやまないのです。

もう一つ、気になっていることがあります。
それは日本人がベラルーシを訪れるとき、他国の会社がベラルーシ国内でのアレンジなどを行っているケースが非常に多くなっていることです。
別にそんなのいいじゃないか、と思われる方もいるかもしれませんが・・・

他国の会社が日本人の訪問先をアレンジするときに問題が起こりやすいのです。
ベラルーシにはこの国独自の国情があります。
しかし、他の国の人たちにとってはそれほど関係ないのでしょう。
基本的に日本人が求めるようなところに行けるようにセッティングをするのは正しいと言えます。
しかし、そのことによって誰かが気分を害し、そのことが今後の日本人によるベラルーシ訪問に影響を及ぼすとしたらどうでしょう。

ベラルーシ人に納得してもらった上で、日本人が本当に行きたい所に行ける様にするのがベストなやり方ですよね。
もちろん、双方が満足するような着地点を見出せないこともあるかもしれませんが、国情に配慮した上でアレンジができるのは、やはりベラルーシ国内の業者だと思うのです。

私は単純にベラルーシのことはベラルーシ人がやるべきだという考えを持っています。
ベラルーシ人は割と引っ込み思案なところがあり、隣国の人たちと比べても商売上手とは言えない部分があると思います。
ベラルーシの旅行会社などの業者がもっと日本へアピールすればいいのでしょうが、そういうことをほとんどしていないのも今の状態になっている原因の一つだと思います。
もちろん、ベラルーシの旅行会社もさまざまなアレンジができます。
日本人の方たちに知られていないということが問題なのでしょう。

今回の記事を読まれて、私の意見が非常にベラルーシ人寄りだと思われたかもしれません。
しかし、ベラルーシに配慮することで、日本とベラルーシの関係がもっとよくなっていくのではないかと思うのです。

ベラルーシを訪れる日本人は非常に多くなっています。
これからいろんな面で、両国の交流は深まっていくと思います。
だからこそ、私はこの記事に書いたようなことを日本人の皆様に知っておいていただきたいと思ったのです。

私としては言葉を選んで、どこにも迷惑がかからないように、そして気分を害される方がいらっしゃらないように書いたつもりです。
もし気分を害された方がいらっしゃったら、ご容赦ください。

皆様のご意見などをコメント欄に書いていただければ幸いです。
いろいろと偉そうに書きましたが、私自身もわからないことが非常に多いのです。
自分の心の中も頭の中も整理し切れていない部分があると思います。
日本の皆様の意見も聞くことができれば、私としては非常にありがたいです。

普通にコメントしていただいた場合は、ブログに不適切な表現や個人的なことが書かれていない限り、公開させていただきます。
コメント欄に「私信」と書いていただければ、ブログ上では公開しません。
その場合は私以外の人間が読むことは一切ありません。
もしメールアドレスを書いていただければ、私のほうからメールでお返事を差し上げます(←もちろん、メールアドレスも私以外の人間に伝わることは絶対にありません)。

チェルノブイリ関係に限らず、ベラルーシに関することでご質問などがある場合は、遠慮なくこのブログのコメント欄にお書きください。
少しでもベラルーシと日本の関係発展のお役に立てればうれしいです!!!


*追記 (2012年11月14日)
ここにはベラルーシの旅行会社などの情報は詳しくは載せてはいません。
このブログはベラルーシ人の中にも読んでいる方がいます(←Google翻訳などを使用して)。
私が特定の業者を推薦するような形で書くと角が立つようなところがあるので載せていないのです。

もしベラルーシに行きたいと考えておられる方でサポートが必要な方がおられましたら、このブログのコメント欄に「私信」と書いた上でご連絡ください。
その場合はメールアドレスの記入もお忘れなく。

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チェルノブイリ 

2012年11月04日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

タイトルを読んでいただければわかると思いますが、そのまんまです。
学生の一人がYoutubeにアップロードしたものがあるので、ご覧ください!



いかがでしたか?
会場にいたベラルーシ人、日本人みんなに好評でした。
ちなみに、右側でネクタイにスーツ姿なのが私です。

ここ数年、毎年歌っています。
今年は私はスピーチの指導でいっぱいいっぱいだったので、無理だろうなあと思っていたのですが、やっぱり歌いたいなあという気持ちもあり・・・
大会の一週間前、「今年も歌おう!」と決めたのでした。

選曲したのは私です。
「世界にひとつだけの花」はみんなで歌うには内容もいいし、いいかなあと思ったのですが、これが結構難しくて。
リズムを取るのが非常に難しく、本当にまいりました。

最初は全く歌えず、私も学生たちも降参しかけました。
でも、歌詞の内容を知った学生たちは「ぜひ歌いたいです!!!」
本当に歌詞はすばらしいですもんね。
私も感じるものがあります。

歌のリズムがとれるようになってからの難関は振り付け。
何度もYoutubeを見て、勉強しました。
私も学生たちと一緒に踊りましたよ。
39歳でもついていける動きだったので助かりましたが。

もう一曲は「めだかの兄弟」。
「欽どこ」でわらべが歌っていたあの歌です。
これはもう十八番と言ってもいいような歌。
2年前から毎年歌っています。

あの歌詞の中の「スイスイ」というところが、学生たちは気に入っているらしく。
実は「スイ」という言葉はロシア語にするとちょっとよくない言葉に聞こえるのです。
なので、最初はみんな笑ってしまうのですが、今では歌の名前を「めだかの兄弟」ではなく、「スイスイ」と読んでしまうほど、学生たちのお気に入りの言葉になっています。

本番では「世界にひとつだけの花」は大体うまくいったのですが、「めだかの兄弟」が恐ろしく速いスピードになってしまいました。
でも、学生たちも楽しそうでしたし、よかったんじゃないでしょうか。

こういう歌の指導はやっぱり楽しい!
こういうときは高校の音楽科の血が騒ぎます!

でも、なかなか大変なんですよ。
日本人って、カラオケに慣れているからか、普通の人でもある程度は歌えるじゃないですか。
学校の合唱コンクールなんかでもそこそこ歌えてしまう。

でも、ベラルーシ人は音楽教育を受けた人とそうでない人の差が非常に激しいんです。
非常に単刀直入に言うと、一般の人の中の「音痴率」が日本よりも高いように思うのです。
実は学生たちの中にも音程が強烈に外れる子が数人いて、その子の声が聞こえると、それに引きずられて他の子も音程をはずしていくという現象が起こっていました。
それを無理やり正しい方向に持っていくというのはなかなか骨が折れる作業でした。

学生たちと歌をはじめて歌ったのは、実は弁論大会ではありません。
日本ユーラシア協会の方たちがベラルーシにいらっしゃったときのセレモニーで歌ったのです。
ベラルーシ側の招待者から「何かやってほしい」というお願いが来たのはそのセレモニーの一週間前。
非常に無茶なお願いだったのと、招待者側の上から目線+超横柄な態度に切れそうになったのですが。
しかし、「はるばる日本からいらっしゃったお客様のためにみんなで歌おう!」ということで、学生たちと協力して出演したのでした。

そのとき歌った歌、正確には思い出せないのですが、「ふるさと」は歌ったのを覚えています。
「めだかの兄弟」も歌ったかなあ・・・
「大きな古時計」は歌ったと思います。
「ふるさと」は結構難しかったんですよ。
なので、あのとき限り。

その歌が思いのほか好評で。
日本人の方だけでなく、出席していたベラルーシ人たちからもお褒めの言葉をいただきました。

そのときはベラルーシの民族音楽デュオも参加していたのですが、その二人がセレモニーのあと、私のところに近づいてきて、「音楽の勉強していたでしょ?」。
私が指揮をしたのですが、ちゃんと拍子をとって指揮をしていたのを見て、「あなたは音楽を勉強していたに違いないと思いました」、
すっごいうれしかったです!!!

今回の弁論大会。
歌に関して、一つ非常にうれしいことがありました。
それは私が勤務するベラルーシ国立大学の学生だけでなく、ミンスク言語大学の学生も3人参加してくれたこと。

大学が違うとは言え、学生たちはみんな日本語を学びたいと思う志は同じ。
だからこそ、交流があってほしいし、よきライバルであってほしい。
これは私はずっと前から言っていたことなんです。

しかし、これまでの両大学の学生同士の関係はほとんど皆無。
局地的に仲良くなる学生たちがいても、学生全体の交流というのはありませんでした。
むしろ、それぞれが「向こうの大学は・・・」と悪口を言ったりすることも多かったのです。

それが今年は初めて練習も一緒にして、本番でも一緒に歌うことができました。
一緒に練習できたのは数回でしたが、それでもうちの大学の子たちと話をしたりしているのを見て、とてもうれしかったです。

弁論大会はある意味、お祭り。
一年に一回、日本語にかかわる人間が一つの場所に集まるという滅多にない機会なのです。
そういうときこそ、一緒に何かをするべきだと思うし、それがベラルーシの日本語界を盛り上げていくことになると思うのです。

以前はそのような意図が理解されないこともありました。
もう一方の大学に一緒に練習しようと提案したのに、他の教師が勝手に学生を指導したり(←日程を合わせるのが難しいのはわかりますが・・・私には理解不能です)、学生が練習に現れなかったり。
そのときはそれぞれの大学がバラバラに練習して、本番で一緒に歌うという形でした。
しかし、学生たちは私に対して何の挨拶もなし(←「よろしくお願いします」どころか、「こんにちは」さえ言われませんでした)、当然、学生同士の交流もなしという最悪のパターン。
そのようなやり方では何も生まれません。

これからはベラルーシの日本語教育の中心的存在である二大学の交流が深まればいいなあと思います。
大学ぐるみじゃなくても、学生同士が交流してくれればいいと思っています。

来年はAKBでもやろうかな!?
ベラルーシでユニットを作るとしたらMNS48(←ミンスク)って名前かなあと思ったのですが・・・

みんなで歌うのにいい歌があれば、ぜひ教えてください!

akiravich at 00:30コメント(4)トラックバック(0) 
日本語教師の仕事 

2012年11月03日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日も2012年ベラルーシ日本語弁論大会でのスピーチを御紹介します。

ご紹介する前にいくつかお断りとお願いがあります。
・スピーチの原稿と写真をブログ上で公開することに関しては、学生たちの了解をとってあります。
・著作権はスピーチ原稿を書いた学生にありますので、このスピーチ原稿を無断で転用・転載などくれぐれもなさらないようにお願いします。写真は絶対に転用などなさらないようにお願いいたします。
・スピーチには日本語が多少不自然な点が見受けられることがあります。日本語教師が原稿の添削指導などをするときはその学生が習った文法のみを使用するように努力しなければなりません。特に2〜3年生の場合は限られた文法表現の中で作文を訂正しなければならないので、どうしても不自然な点が出てきます。原稿の文法的なことに対する指摘はご遠慮いただきたくお願いいたします。

今日、ご紹介するのは「猫の言霊」というスピーチです。


人間はひとりで生きることができません。人の心には愛がひつようですから。ですから、友達は一番大切だと思いますが、友達は人だけじゃありません。
11歳の時、私は時々さびしかったです。私の一番の友達は弟でした。でも、それは本当の私の弟じゃありませんでした。
友達は初めて私たちを見たとき「これは姉と弟だね」といいました。かみが赤くて、緑の目、そして声が私と同じでやさしかったですから。私の弟は猫でした。それはへんですね。でも、弟は私の一番いい友人でした。私はかなしくなったら、いつも弟を思い出します。それは世界でいちばんやさしい生き物でした。今年の夏、弟は死にましたが、私の心にいつもいます。
私のかぞくで動物はいつも家ぞくのメンバーです。猫や犬は人の本当の友人です。生きものたちが持っているちゅうじつな愛は買うことができません。人と動物の愛はとてもふかい愛です。
動物のなかで猫は一番ゆうができれいです。猫はまじょの親友です。猫は自分で人をえらびます。きれいだし、かしこいし、じゆうだし、それで猫は私の好きな動物です。猫は本当にまほうの生き物です。
猫は多くのものがたりやでんせつの中に出てきます。
スラブの文化では黒猫が道を渡るとえんぎがわるいといいます。でも、ヨーロッパと日本でそれはこううんのしるしです。黒い猫はあくまだとしんじられていましたが、イギリスでは黒い猫をかっている人は運がいいです。
猫は九つのいのちを持っているといいます。猫は人の病気を治せるといいます。死んだ猫を見ると、病気になりますが、黒い猫が病気の人のベッドに横たわったら、その人は元気になります。猫をころした人は九年ふこうになります。
猫のくしゃみを聞くとたくさんお金をもらうことができます。
北の国では猫はいつも舟に乗っていました。ヴァイキングは猫があらしから舟をまもるとしんじていました。こだいエジプトでは、猫は神だと考えました。それは本当ですね。
私はもう一度生まれかわって、どんな生き物になるかをせんたくすることができたら、猫になりたいです。
私はうちへ帰ると、私の子猫をハグします。私のおかしくて、かわいい友達です。まだ小さいですが、大きくなるスピードが早いです。かみが赤いですが、弟とぜんぜんおなじじゃありません。その子猫は私の家族に幸運を持ってきてくれます。皆さん、猫のゴロゴロ声を聞いてみてください。それは愛の声です。



IMG_6702

このスピーチをしたのはアナスタシア・ダニロワさんです。
ここでは愛称形のナースチャさんでいきたいと思います。
彼女はベラルーシ国立大学の2年生です。
つまり、彼女が日本語を学んだのは1年弱ということになります。

実は彼女が弁論大会への出場を決めたのは大会の一週間前。
夏休み中に彼女は作文を書いていたのですが、弁論大会に出ることが怖かったのか、なかなか前に踏み出せないでいました。

お読みになってわかるかと思いますが、話の流れは時々飛んでいるところがあります。
これはベラルーシの学生全体に言えること。
最初に学生たちが提出してくる原稿は起承転結などの流れがないものがほとんどなのです。
終わり方が突然だったり、全く流れと関係がない文が入っていたり。
でも、2年生でこれだけのものを書いてくるのはたいしたものです。

この作文には自分の猫に対する愛情が溢れています。
ナースチャさんが猫に注いでいる愛情は深く慈愛に満ち満ちています。

実はナースチャさんはちょっとした仕草が猫っぽいんですよ。
ちょっと驚いたときにキョロキョロするところとか。
この大会以来、3、4年生からは「猫後輩」と呼ばれるようになりました。

私はどちらかというと犬派。
でも、うちのベロニカちゃんは猫派。
そして、龍二くんは犬大好き。
もうちょっと成長したら、絶対に「パパ、犬飼おうよ」って言われるんだろうなあ・・・
でも、散歩とかの世話をちゃんとする自信は私にはありません。


ナースチャさんへ
本当にいいスピーチでした。
猫への愛情、会場にいる人たちにも伝わったと思うよ。
猫もそれほどまでに愛情を注がれたら、本当に幸せだと思います。

ナースチャさんはもっともっとがんばったら、もっともっと日本語が上手になると思います。
一緒にがんばりましょうね!!!

4年生になったら、ナースチャさんは「猫先輩」になると思います!!!


もしよろしければ、感想をコメント欄にいただけるとありがたいです!
コメントの内容はナースチャさんに必ず伝えます!

akiravich at 05:38コメント(0)トラックバック(0) 
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