2013年12月

2013年12月28日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今年のネタは今年のうちに!!!

今年の夏、仙台に行った時のお話です。
8月の非常に暑いときに、私たちは仙台に行きました。
目的は・・・
新日本プロレス G1クライマックス!!!

私にとっては初めてのG1観戦です。
私は根っからのプロレスファンですが、私の影響でうちのベロニカちゃんも嫌いではありません。
好きな選手はNOAHのKENTA選手(←イケメンだから)。

そして、仙台行きにはもう一つの目的がありました。
それは・・・
アンパンマンミュージアム!!!

龍二くんはアンパンマンが大好き!!!
初めて好きになったアニメがアンパンマンなのです。

私たちは山形駅で仙山線に乗り換えて、仙台へ行きました。
山形に住んでいる人間にとって仙台は一番近い都会。
私も子供の時、1,2年に一回、仙台に行くときは心が躍ったものです。
高校一年の時はサクソフォンを習いに、仙台まで通っていました。

仙台に到着しましたが・・・暑い!!!
たまらん暑さです。

ちゃんとインターネットにあったアンパンマンミュージアムまでの地図を持っていたのですが、思っていた以上に遠い。
龍二くんも暑くてぐったりしていたので、なかなか自分の足で歩いてくれない。
なので、あの暑さの中を抱っこ。
しかも、私は仙台から福島に行く用事があったので、荷物が結構多かったんです。
まいりました。

猛烈な暑さの中、何とかアンパンマンミュージアムに到着!!!
でも、何故か龍二くんがご機嫌ななめ。
子供は大人の都合に合わせてはくれませんからね。
何が気に入らなかったのか、展示物には見向きもしません。

バイキンマンが住むバイキン城の形の展示物があったのですが、龍二くん、その小さい窓から見える3分ぐらいのアニメを見始めて、動かなくなっちゃった。
「早く行こう」と言っても全く無反応。
背中が無言の抵抗をしていました。
結局、そこに30分近くいることに。

ベロニカちゃん「ここはもちろん楽しいんだけど、楽しすぎるよ」
確かに、ベラルーシのような国に住んでいる龍二くんにとっては刺激が強すぎたのかもしれません。

Изображение 842それでも、最後のほうでは龍二くんも機嫌を直してくれました。
大好きなアンパンマンのキャラクターを間近で見られて、よかったね!

Изображение 819実は一番楽しんでいたのはベロニカちゃん。
アンパンマンミュージアムは大人も楽しくなっちゃうのです。

ちなみに、ベラルーシではアンパンマンは全く知られていません。
まあ、当たり前と言えば当たり前でしょう。
そもそも、ベラルーシにはアンパンがないのですから。
あんこもないので、アンパンも当然ありません。

ベラルーシでのある日のこと。
龍二くんはアンパンマンのTシャツを着て、ベロニカちゃんと公園で遊んでいました。
そこに、小さい男の子がやってきました。
龍二くんのTシャツを指さして、お母さんに「ママ、これ何?」
お母さん「これはね・・・(ベロニカちゃんに向かって)すみません、これは何のキャラクターですか?」
ベロニカちゃんも説明するのが難しく困ったそうです。
説明自体はできるのですが、ヒーローの顔がパンである、というのが、ベラルーシ人には理解不能なようです。
ピロシキマンだったら、理解してもらえるのかな?

Изображение 844最後に記念撮影。
また来ようね!

ちなみに、龍二くんは今、ドラえもんにはまっていて、「来年の夏、ドラえもんのうちに行きたい!」と言っています。
藤子不二雄ミュージアムに行かなければ・・・

アンパンマンミュージアムからホテルまで徒歩。
これがまた地図での見た目以上に遠くて。
やっと着いた頃には汗だらだら。

ホテルでシャワーを浴びてさっぱりしたら、次は腹ごしらえ。
ビッグボーイでビューティフルライフを思い出す
プロレス見る前には、元気つけておかないと!

そして、ついに・・・G1クライマックス!!!
会場は長蛇の列でした。

2階席でしたが、非常によくリングが見える席でした。
私たちは試合を堪能・・・したかったのですが、第2試合ぐらいから龍二くんが「早く帰ろう」と言い出して。
結局、第4試合で龍二くんとベロニカちゃんはホテルに戻ることに。
その後は私一人での観戦になりました。

最近知ったのですが、新日本プロレスの会場って、写真撮影禁止なんですね。
思いっきり写真を撮っていました。
本当はここに載せたいぐらいいい写真があるのですが、ここは我慢。

気になった試合をいくつか。

第2試合 矢野通VSカール・アンダーソン
コミカルなやり取りも楽しくて。
隙をついての赤霞で矢野選手の勝利!
思わず笑ってしまった。
痛快!

第3試合 石井智弘VSデイビーボーイスミスJr
石井選手は最近非常に評価が高いですよね。
私も映像で見ていて、すごいゴツゴツしていて、ストレートでいいなあと思っていました。
最後は負けてしまいましたが、本当にいい試合!

第8試合 オカダカズチカVS柴田勝頼
かなり刺激的な組み合わせ!
そして、予想通り、いや、予想以上の好勝負に!
オカダが柴田のような異質な選手と出会ったときどうなるのかが見たかったのですが、やはり普通の選手とは勝手が違ったようです。
もう一度、見てみたい組み合わせです!!!

一つ悪い意味で気になったことがあります。
2階席の割と近いところに、横断幕を貼って応援していた客がいたのですが、野次がうるさくて。
まあ、野次ぐらいは普通のことなのでいいのですが、一番嫌だったのは中邑真輔が何かするたびに「イヤォッ!」と叫びまくっていて。
会場も場違いな笑いが起こってしまっていました。
その客がしてやったりという感じの顔をしていたのが腹が立ちました。

なんだかんだありましたが、最終的には大満足のG1クライマックスでした!!!

話はここで終わりません。
実はこのプロレス話には続きがあるのです・・・

次の日、私たちは午前中は仙台をブラブラ、午後からは私は福島へ、ベロニカちゃんと龍二くんは山形へ帰る予定でした。
私たちは朝食をとるために、プロレスの会場だったサンプラザのすぐそばにあるモスバーガーへと行きました。
そこは地下鉄の駅も近いので便利なのです。

お客は私たちだけ。
3人でゆっくり食事をしていると、誰かが店内に入ってきました。
よく見ると・・・矢野通選手!!!
昨日の試合で見たばかりの人が近くにいて、テンション上がりまくり。

こうなると朝食どころではありません。
ベロニカちゃんもテンションが上がり、二人で「どうする?話しかける?」とあーでもない、こーでもないと相談。

そうこうしているうちに、矢野選手、注文したものを全部食べ終わってしまった。
早くしないと、帰っちゃうよ!

ようやく龍二くんが全部食べ終わったタイミングで、私は「ここで話しかけなかったら、一生後悔するよ。行こう」と言って、三人で矢野選手のところに行きました。

いきなり話しかけられて、最初はびっくりしていた様子の矢野選手。
でも、とても丁寧に対応してくれました。

私が「私たち、ベラルーシから来たんです」と言うと、「俺、ベラルーシに行ったことがあるんですよ」という答え。
ベロニカちゃんと二人で「えええ!!!」。

実はベラルーシには毎年のようにレスリングの選手が合宿に来ているのです。
今はわかりませんが、8年ほど前に合宿に来ていたレスリングのコーチの方と一緒にお酒を飲んだことがあります。
矢野選手は元々、アマレスの猛者。
なので、合宿でベラルーシに行ったことがあるのです。
私もベロニカちゃんも超親近感。

最後に龍二くんを抱っこしてもらって記念撮影。
いい思い出ができました(←ここに載せたいけど、我慢!)。
私たちはプレゼントにベラルーシのウォッカの小瓶をプレゼントし、「がんばってください!!!」。

プロレスのビデオで矢野選手のことを見るたびに、ベロニカちゃんと「こんなすごい人と話ができたなんて、すごいよね」。
矢野選手、ベラルーシから応援してます!!!

朝食の後は仙台の街歩き。
七夕祭りなので、人出がすごい。
人に酔いそうになりました。

DSC01045龍二くんは七夕飾りをくぐり抜けるのが気に入った様子。
人が多くて、何度も前から来る人にぶつかっていました。











DSC01035ベロニカちゃんは七夕は二回目。
今度は人が少ない時に、もう少しゆっくり散歩したいです。
















DSC01032仙台駅前でパチリ!

毎年そうなのですが、今回の仙台滞在も駆け足で終わってしまいました。
今度はもう少しゆっくりしたいところです。

プロレス、龍二くんはあまり気に入らなかったのかなと思っていたのですが、ベラルーシに帰ってきてから「おじちゃん二人が喧嘩しているのを見たい」と言い出して。
私が「もう一回見たい?」と聞くと、「うん」という返事。
来年も仙台大会はあるのでしょうか?

充実の仙台滞在でした!!!

akiravich at 22:16コメント(0)トラックバック(0) 
2013年日本の旅 | プロレス

2013年12月26日

こんにちは。
はぐれミーシャです。
またまたご無沙汰しています。

実は3週間ほど体調を崩していました。
最初は軽い風邪だったのです。
それから声が全く出なくなったりして、熱も出たりでなかなか治らなかったのです。
まだ軽く咳は出ますが、だいぶよくなりました。
40過ぎると、風邪の治りも遅いですね。

日本時間ではもう26日ですが、ベラルーシはまだ25日です。
12月25日といえば、クリスマス。
ベラルーシでは祝日で、学校も会社もお休みです。

しかし、これはカトリックのクリスマス。
全国民の80%近くが正教徒なので、ただの休みのようにとらえている人が多いです。
正教のクリスマスは1月7日です。

そんなわけで、私も今日はうちでゴロゴロ。
朝からダラダラと好きなプロレスを見ていました。

今日は久しぶりに「ベラルーシ寿司紀行」復活です!
かなり辛口の批評をしてきましたが、ベラルーシには一応食べられる寿司もあるんです。
今までは「味がひどい」とか「まずい」という内容だったので店名が載せられませんでしたが、今日は店名も出したいと思います。

これまでの記事はこちら。
ベラルーシ寿司紀行 ヾき寿司の可能性を極限まで否定する冒険
ベラルーシ寿司紀行◆|亮韻鮖たない寿司つくると、彼の巡礼の地方都市
ベラルーシ寿司紀行 出会ってはいけない二人withグレープフルーツ・・・どうしてどうして二人は出会ってしまったのだろう!?
ベラルーシ寿司紀行ぁ,泙錣襪泙錣襪茵△寿司はまわる 悲しみ哀しみ繰り返し

1.ProSushiの「サーモンの焼寿司」
Изображение 1346
これは下が巻き寿司になっていて、上にマヨネーズで和えたサーモンのほぐし身が入っています。
それを上からバーナーであぶったものです。
思いっきりマヨネーズを使っているので、巻き寿司に入っている素材は迷子になっていますが、まあ、結構おいしいです。
おにぎりのツナマヨネーズをあぶったものをイメージしていただければと思います。

今、Prosushiのサイトで調べてみたのですが、中に入っているのはサーモン、マヨネーズ、チーズ、サラダ菜、キュウリ、何かの魚の卵などなど。
チーズも入ってるのね。
たぶん、クリームチーズの類だと思います。

ちなみに、このProsushiはデリバリー専門です。
もしミンスクに滞在する際、興味がある方はサイトをご覧ください(←店名をクリックすると、サイトにつながります)

2.Evrasiaの「鳥ピッツァ巻き」
Изображение 462

この店は他の寿司に関しては全く普通でしたが、これだけは意外や意外、おいしかったんですよ。
一番下がのりで、その上に寿司飯、その上がマッシュルームと鶏肉、その上にトマト、一番上がチーズ。
寿司だと思って食べてはいけませんな。
寿司ピザというか、何というか。
まあ、おいしければいいんです。

難点はちょっと高いということ。
79000ルーブルですから。
大体、800円ですよ。

でも、心配ご無用。
この店は15時から18時までをハッピーアウアーとしていて、寿司一カンの値段で二カン出てくるのです。
しかも、毎日。
この時間帯にこの店の前を通ると超満員。
以前は結構ガラガラだったのですが、最近ではハッピーアウアーの効果もあってか、それ以外の時間帯でも結構人が多いです。

Evrasiaはミンスク市内に4店舗。
私がよく見かけるのは、町の中心部、独立広場の地下にあるショッピングセンター「スタリッツァ」にある店舗です。
今、サイトで見たのですが、ロシアでもかなり大きいチェーン店のようです。


3.Kaitenの「火山巻き」
DSC01137

この写真の左の奥の巻き寿司が火山巻き。
これはいろんな日本人の人にも食べてもらいましたが、皆さん「おいしい!」と言っていました。
中が白身魚で、その巻き寿司を天ぷらにしています。
ソースはホタテやトビッコが入ったスパイシーなソース。
このソースがおいしいんですよ。
100000ルーブル(1000円ぐらい)とちょっとお高めですが、私は必ず注文します。

DSC01134DSC01135
この店、読んで字のごとく、回転寿司を売り物にしています。
ベラルーシには回転寿司の店は私の知っている限り、2店だけ。
日本だと、回転寿司は安いイメージがありますが、ベラルーシでは高級。
日本のように、お客がたくさん来て、どんどんレーンから寿司が取っていってくれるならいいのですが、ベラルーシでは寿司自体が高級なので、そういうわけにもいきません。
なので、レーンで回っている寿司の数はそれほど多くはありません。

DSC01133このKaitenのシェフは私の知り合いのオレグ君。
彼は以前、他の店にいて、そのときに一緒にプレゼンテーションをしたりした仲なのです。

オレグ君は元々、ロシアからヘッドハンティングされてベラルーシに来たのですが、この前会ったときは「もうそろそろロシアに帰ろうかなと思っている」と言っていました。
ここでは書けませんが、いろいろとあるんです、ベラルーシの外食産業は。

このKaitenは町の中心部、ヤクブ・コーラス広場駅から歩いて7分ぐらいのところにあります。
住所はNezavisimosti ave. 58です。
この店、実はベラルーシの有名なナイトクラブに隣接しています。
踊り疲れた人たちが寿司を食べているのでしょうか・・・


はい、おしまい!!!
私が自信を持って紹介できるのはこれぐらいです。
あとは店同士の違いは大してありません。
元々、ベラルーシは海がない国です。
魚をベラルーシに供給している業者もそれほど多くありません。
ということは、ネタはどの店もほとんど同じレベルというわけです。
そして、料理人の技量は・・・まあ、今日ぐらいは辛口批評はやめておきましょう。

年末にかけて、今年書き残したことをどんどん書いていきたいと思います!!!

akiravich at 01:57コメント(4)トラックバック(0) 
ベラルーシの食生活 | レストラン・カフェ

2013年12月09日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

ここ最近、かたいお話が続いていますが、もう少しお付き合いください。
相当長い記事になるので、覚悟してお読みください。

前回は「みんなの日本語」という教科書の副読本「翻訳・文法解説」という本についての自分の考えを書かせていただきました。
まあ、本についてというよりは、本をだしにして、自分の日本語教育におけるスタンスを表明したというほうが近いかもしれません。

1.直接法か間接法か・・・日本語で話していればいいかしら?
話の流れ的に触れなければならないテーマがあります。
それは直接法か間接法かという話です。

日本語教育の専門家でない人のために簡単に説明すると・・・
直接法・・・日本だけを使って日本語を教える方法。基本的には文法説明なども全て日本語で行う。
間接法・・・学生の母国語や教室にいる多くの学生が理解できる言語を使用しながら授業を行う方法。

「日本語だけで説明ってできるの?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
プロの日本語教師の方の多くは直接法のやり方を学んでいます。
絵やジェスチャーなどを使って、日本語のみで巧みに説明していくのです。

日本語だけで授業を組み立てるのが直接法。
そんなことを言っていると、「ただしゃべるだけでいいんでしょ?」なんて誤解をする方がいらっしゃいます(←実はこういう人は非常に多い)。

実際、私も日本人の人から「日本語を教えたいんだけど、大学に紹介してよ」と言われたことがあります。
その人は日本語教育の勉強など一切したことがありません。
はぐれミーシャ「でも、日本語教育の勉強をなさったことがありませんよね?」
その人「だって、日本語で話していればいいんでしょ?」

まあ、話になりません。
私としては自分が誇りを持ってやっている仕事を侮辱されたようにしか感じませんでした。
確かに、日本語で話すだけでいいのなら、日本人であれば誰でも日本語教師になれます。
しかし、そんなに簡単なものではありません。
この話はまたいつか書きたいと思います。
どんどん脱線しそうなので。

最初に言っておきますと、私は完全に間接法で教えています。
授業でもロシア語をガンガン使います。

私が日本で日本語教師の勉強をしたのは90年代後半なのですが、直接法じゃない日本語教師はダメという風潮があったように思います。
教師になるための教科書は直接法で教えることを前提で書かれていることが多かったです。

かなり前のことですが、某国家機関の偉い先生と某国家機関の方が私の授業に来たことがあります。
私は「直接法でやらないとまずいかな」と思いつつも、いつものようにロシア語も使いながら授業をしました。
授業後、その先生と二人で話したとき、「いろいろ工夫をされているようですが、直接法じゃないですからね・・・」とあからさまに批判されました。
「直接法じゃないからダメ」というだけで、何の根拠も示されることはありませんでした。

もう一人の方も「ロシア語を使いすぎなんじゃないでしょうか?」と言ってきました。
素人の方から見れば、日本語だけで授業を組み立てているほうがすごいように見えるのでしょう。

今考えたら、そのときキチッと反論しておくべきだったと思います。
その当時は教師としての経験も浅かったですし、今ほどの確信もなかったこともあります。
でも、「直接法じゃないからダメ」という言い方には強い反発を覚えました。
直接法のメリットは理解しつつも、直接法があたかも絶対的な唯一の教授法であるというような言い方には強い反発を覚えます。

今現在も「直接法信仰」が強いのかと思ったら、そういうわけでもないようです。
ある日本語教師から「最近はそうでもないですよ」と聞いたこともありますし、この記事を書くにあたりインターネットで直接法と間接法に関する文章を読んでみると、いろいろな論調があるようです。


2.直接法のメリットはデメリット隠し?
しかし、いまだに日本国内における外国人向けの日本語教育の世界では直接法が主流。
直接法が礼賛される理由はいくつかあります。
1.学生が日本語に触れる時間が長くなる
2.教室にいる学生が多国籍の場合、共通の言語で説明することができない

1番の理由は私から見れば、正直、ばかげています。
日本語に触れる時間が長くなると言っても、授業時間はせいぜい1時間から1時間半。
私は間接法を使いますが、それでものべつ幕なしにロシア語を話しているわけではありません。
文法や語彙の説明はロシア語でチャッチャッとやって、あとは全部日本語で話すというのが私のスタイル。
その方が日本語で話す時間が長く取れると考えています。

少しでも長く日本語に触れる時間を作るというのは直接法か間接法かに関わりなく、日本語教師がしなければならないことだとは思います。
しかし、直接法のやり方で絵を使ったりして説明に時間を費やすよりは、説明はスピーディーに終わらせて、あとは日本語を「体験させる」ことのほうが私はいいと思っています。
授業中に教師がどれだけ長い時間日本語を使っているかは問題ではありません。

そもそも、日本語でたくさん話していれば、それを聞いている学生は日本語が上手になるという発想があまりにも短絡的です。
学生の中には「日本へ行けば日本語が上手になる」と思っている子が非常に多いです。
「周りが日本語の環境に身をおけば上手になるはず」という他力本願な発想(←私は学生たちにはそういう考えは捨てるように勧めています)。
そういう学生たちの発想と直接法のメリットと言われているものはどちらも「日本語をたくさん話せば上手になる」という非常に単純な発想に基づいているように感じます。
言語習得のプロセスがそんなに単純でないことは知識や良識を持つ専門家の方であれば、説明する必要もないことです。

ある現地人教師が高学年の試験後、学生たちに向かってロシア語で、「あなたたちの日本語の会話レベルが低いのは仕方がないと思います。日本へ行ったことがないんだから」と言いました。
私は学生たちに「日本へ行ったことがないから日本語の会話ができないというのはただの言い訳だ」と教えています。
そして、「どこで勉強するかは重要ではない。どのように勉強するかが重要だ」と言います(←私が尊敬するロシア語の先生に言われた言葉です)

もちろん、ロシア語でばかり授業をやるというのは論外です。
実際、ロシア語圏のある特定の地域ではそういうタイプの授業は非常に多いと聞いています。
ベラルーシも然り。
訳読法と呼ばれるスタイルがあります。
学生にテキストを読ませて、それを翻訳させるだけのスタイルです。
その手の授業だと、学生はうちでテキストを読んできます。
そして、授業ではそれをロシア語に翻訳する、それを聞いた教師がこのロシア語の言い方のほうがいいだろうと訂正する。
結果、授業中に話している言葉はほとんどロシア語になってしまいます。
「翻訳の授業」としてやるのならまだいいですが、「日本語の授業」としては問題があるでしょう。

2番目の理由「教室にいる学生が多国籍の場合、共通の言語で説明することができない」のほうが理由としては大きいのではないでしょうか。
いろんな国の人が同じクラスにいたら、全員が英語を理解するかどうかはわかりませんし、英語が全員通じたとしても、その理解度は人によってまちまちのはずです。

例えば、その教室の学生が一つの国の人間(または同じ母国語を持つ人間)で統一されていたとしても、文法の説明をその学生たちの母国語で説明するのにはかなりの語学力が必要になります(←まあ、直接法の先生なら、その国の言葉を知っていたとしても、日本語だけで授業をやるのでしょうが)。
ましてや、働いている国や教える相手がしょっちゅう変わる日本語教師であれば、いちいち学生の母国語のエキスパートになることは非常に難しいことでしょう。

しかし、自分の学生たちの母国語は知っているに越したことはありません。
文法説明もしやすくなりますし、言葉の説明においても、よりきめ細やかな対応ができます。
そして、教室内外で学生たちとのコミュニケーションがとりやすくなります。

直接法で教えることが「共通の言語がないから」という消極的な理由で選択されているとしたら、それはどうなのでしょう?
もちろん、そういう意味ではなく、より建設的に直接法を選び利用している人もたくさんおられると思います。
しかし、学生と共通の言語がないということのマイナス面を考慮せずに、直接法がさも絶対的にいい方法であるかのように言う教師や専門家がいることには腹が立ちます。
直接法が絶対であるかのように話している教師の心の中に、その学生の言葉がわからないことの「引け目」がないと言い切れるでしょうか?


3.間接法とは言っても、訳をあたえるだけではない!!!
あるサイトでこんなのを見つけました。
直接法寄りの内容のサイトです(←少しだけ単語を変えてあります)。
例えば、「犬はdogですよ。わかりましたか?」
このような雑な導入には問題があります。


誰がこんな導入するの!? するはずないでしょ!!!

訳を与えるだけでいいなら、こんなに簡単なことはないでしょう。
間接法というと、こんな教え方を想像する人が多いのかもしれませんが、ここまで雑なことをすることは私はありません。

残念なことに、ベラルーシの現地人教師はこのタイプ、つまり訳を与えただけで単語の導入としてしまっていることが多いです。
単語をたくさん覚えれば、日本語が上手になると思い込んでいる人は学生の中にも多いです。
なので、私は学習を始める最初の段階で、単語の訳を覚えるだけの勉強はするなと教えています。

単語の導入にはいろいろなやり方があると思います。
初級の簡単な単語の場合、私は実際に物を使ったり、ジェスチャーを使ったりすることが多いです。

例えば・・・
「犬」という単語が出てきたら、そこでロシア語の訳を言うのではなく、「ワンワン」と犬のまねをしてみせます。
まさか教師が声帯模写などするとは学生も思っていませんし、私のことをちょっと強面の教師だと思っている学生はみんなびっくりします。
そうすると、忘れないわけですね。
訳だけでなく、そこに「思い出」が残るわけですから。
本当にちょっとしたことだけで、受ける印象が変わってくるのです。

何でもジェスチャーでやろうとすると、表現しきれないことがあります。
例えば、「なす」という言葉が出てきたとき。
私が一生懸命、手を使ってなすを表現しようとしていると、学生が「壺ですか?」「こん棒ですか?」。
それに対して、「『баклажан(なす)』だよ!」とアンジャッシュの児嶋っぽくキレてみせる。
学生はみんな笑って、その言葉をメモします。
そういう簡単な場面を作る(←アクセントをつける)ことで、ただ訳を与えるだけの説明とは違ってきます。

もちろん、その後、「なすが好きですか?」となすについての話を続けます。
そうやって、言葉を「定着」させようとするわけです。
「なす=баклажан(ロシア語訳)」という意識をできるだけなくすというのが目的です。

私にとって、訳はその言葉への「入口」に過ぎません。
というか、ある単語や文を理解するためのツールの一つに過ぎません。

その言葉がどんな場面で使われるのかも非常に重要な要素です。
ロシア語の訳も教えますが、日本語の言葉の意味とズレがある場合もかなりありますから、それは必ず説明します。
そして、徹底的に使わせます。
「使う」というのは学生本人が使うだけでなく、私が言うことで学生たちの耳や頭を使わせるという広い意味で「使わせます」。


4.間接法には間接法なりのメリットがある!!!

1.学生の精神的負担を軽くすることができる
教師が意地でも日本語しか話さないとなった場合、特に初心者の学生にとっては精神的なプレッシャーが大きくなるでしょう。
学生から見れば、いざとなったらロシア語で説明してもらえる、ロシア語で言ってもコミュニケーションがとれるというのは精神的に楽だと思います。

しかし、これは諸刃の剣。
学生がロシア語でばっかり話してしまうこともあります。
そうならないように、クラスの雰囲気を持っていくのは教師の技量だと思います。

実はこれは私にとっても難しいことで、どうしてもロシア語で話す時間が長くなってしまうことはあります。
これはまさに「さじ加減」の問題。
例えば、授業中、学生たちが疲れているなあと気づいたら、ロシア語で日本文化について簡単に話しを入れたりします。
軽い脱線は学生たちの疲れを和らげてくれます。
脱線がとまらなくなったりすると大変ですが・・・(←私の授業ではよくありますが、学年が上になってくると脱線も全て日本語になります)

ここまで読んでいただければわかると思いますが、「媒介言語で話すからダメ」というのはナンセンスです。
私には媒介言語が話せない人間が負け惜しみで言っているようにしか聞こえません。
間接法のメリットを無視し、直接法でなければダメという乱暴なことを言う人、今もいるんだろうか・・・
いるとしたら、ちょっと話してみたい気もします。

2.文法の説明を正しく、簡潔にすることができる
これはある程度の語学力を要求されます。
新出語や例文の訳を教えただけでOKなんてことはありませんから。

いろいろ調べてみると、ここの部分は臨機応変に媒介言語を使って説明している教師の方も多いようです。
ちょっと安心しました。

しかし、そうじゃない教師の方もたくさんいるでしょう。
それはそれでいいと思います。
学生がちゃんと理解しているのであれば、方法は何でもいいのです。

文法の説明をロシア語でするのはなかなか大変なことです。
実は私もベラルーシに来た当初は、説明をするのは現地人教師の仕事で、私は会話中心の授業をやっていればいいのだと思っていました。
つまり、現地人教師がロシア語で文法を導入した後で、確認のような形で絵などの視覚的な教材を使って補足し、あとは会話で使う練習をさせればいいのかと思っていたのです。

しかし、現実は全く違っていました。
大学に就職して最初の授業で、私は直接法的な授業を始めたところ、学生たちに「先生はロシア語がわかりますよね? どうしてそんな面倒な説明をしているんですか?」とロシア語で言われたのです。
彼らにしてみれば、日本語でだけ説明するとか、絵を使うとか、そういうものが子供っぽく見えたらしいのです。

私の授業の前に他の教師の授業があったので、私はすでに学生たちが文法を導入されていると思ったのですが、全くそんなことはなくて。
しかも、文法の多くが間違って導入されていました。
例えば、学生が全員「寒いでした」と言ったのには衝撃を受けました。
はぐれミーシャ「それは『寒かったです』が正しいんだよ」
学生「???」「(ロシア語で)その言い方は初めて聞きました」

他の教師たちに聞いたところ、それは学生の間違いではなく、授業でそのように教えたというのです。
要は「日本人が聞いてわかるんだから、いいんじゃないの?」ということ。
教師が正しく導入した上で、学生が間違っているのなら話はわかるのですが、最初のインプットが間違っているのはお話になりません。

そこで、私は「自分が文法を教えなければいけない」ということを悟ったのです。
普通なら、現地人教師が文法を導入し、日本語ネイティブが練習させるという二人三脚方式になるのでしょうが、この国ではそれは通用しない、自分がどちらの役割も負わなければならないということなのです。

私はどうやってロシア語で日本語の文法を教えればいいか、徹底的に勉強しました。
ある意味、当時のベラルーシの状況のおかげで、私は日本語教師としてかなりのことを勉強することになり、得るところは大きかったと思っています。

私がロシア語で文法説明をするときは、いくつか気を付けている点があります。
1.ロシア語の訳を提示するが、その訳が本当に日本語のニュアンスと同じかどうか
2.日本語の文法とそのロシア語訳がそれぞれの言語で使われる頻度はどうか

例えば、「〜につれて」という言い方。
日本語ではよく使いますし、「〜にしたがって」など、似たような表現もかなりあります。
ロシア語では「по мере того как」という訳になるのですが、ほとんど耳にすることはありません。
例えば、「冬が近づくにつれて、寒くなってくる」という文。
もちろん、「по мере того как」と言えなくはないのですが、実際にそう言っているのは聞いたことがありません。
普通は「冬が近づくと寒くなってくる」という言い方になることが多いです。

学生たちには上に書いたような説明をした後で、「ロシア語ではпо мере того какとはあまり言わないと思いますが、日本語では良く使う言い方なんです。だから、使うチャンスがあったら、どんどん使っていきましょう」と言います。
こういうきめ細やかな説明は直接法では不可能な部分です。

何かだんだん脱線してきているような気がします。
話を元に戻しましょう。


5.媒介言語は話せたほうがいいのか?
直接法、間接法うんぬんで議論するのは全く意味がないようにも思います。
二項対立論的な考え方をしても、何にも生まれません。
要は学生が上手になるのであれば、方法はどちらでもいいのです。

私のところには、他の教室などで勉強した学生が「教えてください」と言ってくることが多い(←ある種の駆け込み寺のようなもの)のですが、その中には直接法で教えられた学生も少なくありません。
しかし、そういう学生たち、全然日本語に慣れていないことがあるんです。
私は直接法のメリットは日本語に触れる時間が長く、日本語で話すことに慣れていることだと思っていたのですが、必ずしも結果はそうではないようです。
もちろん、そのような学生の数は絶対的に多いというわけではないので、一概には言えないのでしょうが、直接法が万能ではないということの証明にはなるのではないでしょうか。

そして、そうゆう学生の多くは文法的な間違いが多い。
これは直接法のデメリットというよりは、「流暢さ」を求めてきた日本語教育の問題かと思います。
この点に関してはまた改めて書きたいと思っています。

彼らの多くは私が何か説明すると「わかります」と答えるのが癖になっていることが多いです。
授業で先生の説明がよくわかっていなくても、「わかります」と答えてしまうのです。
私が「わかっているんだったら、説明してみて」と言うと、学生は「説明はちょっと・・・」
私は「ロシア語で説明ができなければわかっていることにはならない」と学生たちには教えています(←これも直接法ではできないやり方)。

あるとき、学生たちに「わかっていないのに、どうして『わかります』って答えるの?」と聞くと、「いつもの癖で・・・」と答えました。
学生「『わからないので説明してください』って言っても、あの先生は説明できないので・・・」
はぐれミーシャ「でも、ちゃんと絵とかを使って説明してくれるでしょ?」
学生「そのときは自分ではわかったような気持ちになるのですが、自分が正確に理解しているのかを知る術がないので、すごく不安になります」
教師の中には学生が「わかりません」と答えると、「何でわからないんだ!?」とキレる教師もいたそうです(←問題外)。
そうなると、学生たちは当然、わかっていなくても「わかります」と言うことが多くなります。

直接法って、学生が理解していることを「期待して」進めていくやり方だと思うんです。
もちろん、間接法だって、学生が100%理解していないことはよくあります。
でも、教師が説明したことを学生が間違って理解したりする可能性は直接法よりは圧倒的に低いと思います。

ベラルーシでは外国語教育は訳読法が普通。
学生たちはその目標言語のテキストを読んで、それをロシア語に訳す、というのがスタンダードな教え方なのです。
もちろん、私はそのやり方がいいとは思っていません。
私は間接法をベースに直接法のいいところをとろうと思っています。

ベラルーシでは訳読法が普通なので、もちろん、外国人教師にもロシア語の知識を求めてくることが多いです。
私がよく耳にするのは、「あの人は教師としてはいいのかもしれないけど、ロシア語がわからないからねえ・・・」という言葉(←これは日本語教師だけの話ではなく、全ての外国人教師についての話なので、お間違えなく)。
このフレーズは大学の教師や職員だけでなく、学生からも聞かれることが多いです。

私個人としては、その意見には賛成できません。
「ロシア語がわからないからダメ」というのは非常に乱暴な言い方だと思います。
教師が「ダメ」なのだとしたら、それは「ロシア語がわからないから」ではなく、「教え方が下手だから」「学生が上手になっていないから」ということだと思います。

それと同時に、ロシア語がわかることによるメリットの大きさは否定できません。
媒介言語はわかるに越したことはないと思うのです。
それは授業のときの説明に便利だというだけでなく、その学生たち、そして、彼らの母国のことを理解するのにも言語は役に立つと思います。


長々と書いてきましたが、ちょっと話がとっちらかった感じになってしまいました。
最初の方に書きましたが、直接法が絶対であると思っている人に全否定されたこと、結構トラウマになっているんですよ。
私が日本で日本語教師の勉強をしていた90年代後半は「直接法信仰」がすごかったのを記憶しています。
ちょっと反論してみたかったんです。

もちろん、直接法を否定しているわけではありません。
でも、直接法が絶対ではないということが誰かに伝わっていればいいかなと思います。

いろいろとサイトを読んでみましたが、間接法のメリットなどが書いてあるサイトもあることに私は安心しました。
しかし、直接法が絶対であるという立ち位置は崩さず、間接法についても言及するというパターンが多いと思いました。
なので、その立ち位置をツンツンとつついてみたかったのです。

あるサイトには「アジアの国では直接法が多く、ヨーロッパでは間接法が多い」と書いてありました。
そうなんですかね?
それって、現地人教師の話じゃなくて?
日本人教師に限ってみれば、直接法のほうが多いんじゃないのかな?
もうちょっと調べてみたいです。

前の数回の記事も日本語教育について書いたのですが、日本語教師の方からコメントが来てうれしかったです。
このブログには日本語の仕事のことも結構書いてきたのですが、実際に現場にいる教師の方からコメントが来ることはほとんどなかったのです。
今回の記事に関しても、教師の方のご意見を寄せていただければありがたいと思います。

akiravich at 20:08コメント(6) 
日本語教師の仕事 

2013年12月01日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日も前回の続きです。
ベラルーシについてのお話を期待されている方には申し訳なく思います。

前回は日本語の教科書「みんなの日本語」の「翻訳・文法解説」という本について書きました。
この本は英語や中国語など多くの言語で出版されており、ロシア語版もあります。
各課の新出語やその課の文の訳、文法の解説などが書かれている本です。
前回は新出語の提示のし方について書きましたが、今回は文法の解説について書いてみたいと思います。

「みんなの日本語」では、各課に新しい文法が登場します。
例えば、第14課では「て形」を使った表現、「〜てください」「〜ています」という具合です。
「翻訳・文法解説ロシア語版」を見れば、そこにはロシア語で詳しい説明が施されています。

私は学生にはその本を使用することを禁じています。
理由は二つあります。

1.時々、微妙な説明がある
説明の中に間違いがあることがあります。
それは非常に数としては少ないですが、学生が勝手に読んで、それを間違ったまま理解するのは避けたいところです。

そして、説明が非常にわかりにくい部分があります。
それは内容の問題というよりはロシア語での説明の問題です。
言い回しが非常に複雑になっているのは、日本語の文法説明を直訳に近い形でしたからではないかと推察しています。

しかし、この理由はたいした問題ではありません。
「翻訳・文法解説」のロシア語版、なかなかよくできていると思います。
私は日本語だけでなく媒介言語も使用する「間接法」という教授法で教えていますが、時々、参考のために授業の前に読むことがあります。
一年に一回ぐらいですが。

2.学生が教師の説明を聞かなくなる
これが一番の問題です。
私が文法の説明をロシア語でしているとき、この「翻訳・文法解説」を持っている学生は心のどこかで「ちょっとわからないけど、うちで『文法解説』を読めばいいや」と思っていることが多いのです。

意識的にそう考えている学生もいます。
例えば、文法の説明が終わったとき「ちょっとわかりにくかったんで、うちに帰って『文法解説』を読みます」と言ってきた学生がいました。
これは私の力不足・・・と言いたいところですが、その学生は私が説明している間、携帯電話をいじったり、他の生徒に話しかけたりして、明らかに集中力を欠いていました。

「文法解説」を頼りにしている学生は集中力が落ちてしまいます。
私も教師の勘で「この学生は怪しい」と思うことがあるのですが、そのときはわざと「この前勉強した文法をロシア語で説明してみてください」と頼みます。
そうすると、私が説明したのと違う説明が出てくることがあります。
「どこでそんな説明を聞いたの?」と聞くと、「文法解説に書いてあって・・・」

こんなことを書いていますが、私の教室ではこういうケースは今は非常に稀です。
かなり厳しく使用を禁止していますから。
ただ禁止するのではなく、上に書いたような理由を詳しく説明して、学生には納得してもらっている(と思います)。

同じような理由で、私はICレコーダーの使用も禁止しています。
うちの大学の教師が「私が話すことは私の『財産』である」という理由で録音を禁止していましたが、私の理由は全く違います。
ICレコーダーに録音していると、心のどこかで「聞き逃したけど、また聞けばいいや」という意識が働き、集中力を欠く場合が多いのです。

それを言えば、私は旅行などをした際、写真を撮るのがあまり好きではありません。
きれいなところに行って、すぐにカメラを構える人がいますよね?
でも、その前に自分の目で見ないとダメだと思うのですよ。
その時、その場所にいることを「一期一会」だと思い、心から楽しむこと。
後からもう一度見ようなんてことを言えば、心のレンズが曇ります。
これって、茨木のり子さんの詩にあったよなあ。

私のカメラ

 眼
 それはレンズ

 まばたき
 それは わたしの シャッター

 髪でかこまれた
 小さな 小さな 暗室もあって

 だから わたし
 カメラなんかぶらさげない

 ごぞんじ? わたしのなかに
 あなたのフィルムが沢山しまってあるのを

 木洩れ陽のしたで笑うあなた
 波を切る栗色の眩しいからだ

 煙草に火をつける 子供のように眠る
 蘭の花のように匂う 森ではライオンになったっけ
 
 世界にたったひとつ だあれも知らない
 わたしのフィルム・ライブラリイ



日本人教師の中にはその「翻訳・文法解説」を配って、文法の説明とする人がいます。
ベラルーシで話されている言語はロシア語。
ロシア語を習得してベラルーシに来る教師の方というのはあまりいませんし、それに日本語だけで説明する「直説法」が日本語教育界では主流ですから、文法解説は「翻訳・文法解説」に任せるということなのでしょうか。

私は文法の説明は全てロシア語でやっています。
その方が正確に伝わりますし、日本語で絵などを使って説明することにエネルギーを使うよりはドリル的な練習や自由な会話に時間を使ったほうが効率的だからです(←この直接法か間接法かという話は次回書きます)。

ある日、ある学生から、突然こんなことを言われました。
学生「あの先生(←ベラルーシ人)の文法の説明は全く意味がありません」
はぐれミーシャ「どういうことですか?」
学生「あの先生は『翻訳・文法解説』に書いていることをそのまま読んでいるからです。あれだったら、うちで自分で読んだほうがましです」

他の教師について学生と批判めいた話をするのはご法度。
なので、そこは学生に「つまり、あなたは『翻訳・文法解説』を持っているんですね? あれを読むんじゃなくて、先生の説明を聞いたほうがいいと思うよ」と説きました。

しかし。
教師がそういう本をそのまま読むだけの授業をするというのはいかがなものか、と。
その学生の話では「翻訳・文法解説」の本を授業に持ってきて、学生たちの前で読んでいたこともあったそうで。
本に書いてあることを読むだけで先生になれるのなら、誰でも先生になれちゃいますよ。

ここまで話が来ると、直接法・間接法の話に触れないわけにはいきません。
私にとってはかなり重要なテーマ。
これまでも書きたかったのですが、かなりの分量になりそうだし、話をまとめるのが難しそうだったので、ちょっと避けてきたテーマです。
書きます!!!

akiravich at 00:03コメント(6)トラックバック(0) 
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