2014年04月

2014年04月25日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日も昨日の続きです。
ベラルーシ東南部のゴメリ州で折り紙教室をやったときの話です。
昨日はホイニキ地区のストレリチェヴォ村の散歩と校長先生のお宅にお邪魔した時の様子を書きました。
はぐれミーシャのベラルーシひとり旅 ,海海如前貊錣法狙泙譴燭蕕いい函(^^♪
はぐれミーシャのベラルーシひとり旅◆60度の衝撃!!!

次の日はブラーギンの学校で折り紙。
ホテルをチェックアウトして、私が向かったのはホイニキ地区執行委員会。
お世話になった副市長のジャンナさんにご挨拶。
また秋になったらホイニキ地区のどこかの学校で折り紙をすることを約束しました。

それにしても、のどが渇く。
前日にあれだけお酒を飲めば、のどが渇くのも当然。
でも、二日酔いの感覚はありません。

それは飲み方に秘密があるのです。
基本的にウオッカを飲むときはチャンポンしないのがいいのです。
もし他の飲み物を飲むときは徐々に度数を上げていくのがいいと言われています。
つまり、最初にビールを飲んで、次にウオッカを飲むのはOKですが、逆は悪酔いすると言われています。
そして、それは私も自分の身をもって体験しています・・・

あと、ウオッカを飲むときはチビチビ飲むと余計酔います。
一気に飲んで、すぐにジュースなどを流し込むか、食べ物をどんどん食べるのがいいのです。
水よりはジュースのほうがいいようです。

ちなみに、これまで私が体験した中で最悪のコンビネーションはウオッカとシャンパンです。
これは・・・言葉にできない・・・
次の日は立ち上がれませんでした。

昨日行ったストレリチェヴォの学校の体育の先生が車でブラーギンまで送ってくれることに。
ホイニキからブラーギンまでは車で20分ほどなので、校長先生が「すぐそこだから、問題はないよ」と、体育の先生にお願いしてくれたのです。
本当にありがたい。


ブラーギンではまずブラーギン地区執行委員会の副議長、平たく言えば副市長のアンナさんのところへ。
このアンナさん、たくましいベラルーシの女性の代表のような方。
ホイニキ地区のジャンナさんは非常に柔らかい方ですが、アンナさんは一言で言えば「強い女性」。
アンナさんに出会ったのは2011年3月11日から数週間後、ミンスクのテレビ局の生放送に出演したときに隣に座っていたのです。
その後、日本からの視察団の通訳でブラーギンを訪れた時に何度もお会いしています。

その時から何故か私には優しかったです。
元々、子供が大好きで心優しい人なんです。
なので、私が「ブラーギンの学校で折り紙をやりたい」と言った時も二つ返事でOKしてくれました。

アンナさんの執務室で雑談。
一時間ぐらい雑談していたかな。
話ながらも、部屋にはアンナさんのサインをもらいに部下がひっきりなしに入ってきました。

話のテーマはウクライナ情勢。
ブラーギン地区はウクライナとの国境に接しています。
いろいろ貴重な意見が聞けました。

1時間ほどして、校長先生が登場。
執務室の窓から見えるほど、学校はすぐそば。
アンナさんにお別れして、校長と二人で学校へ。

DSC01600DSC01601これが学校の建物とグラウンド。
田舎の学校とは思えないほど立派な建物。
グラウンドは小さいながらもスタジアムのような造りになっています。

復興予算がだいぶ入ってきているのでしょうか。
ゴメリ州の学校は非常によく整備されているものに出会うことが多いです。
他の州の学校でも折り紙をやったことがありますが、ゴメリ州はだいぶ違います。

校長室に入って気づいたのですが、校長はだいぶ若いみたいで、年齢を聞くと、「34歳です」。
ちょっと髪が薄くなっていて、恰幅もいいのですが、時折見せる表情が若かったので、聞いてみたのですが、予想以上の若さにびっくり!!!
俺より6歳も年下なのに、校長!?

ゴメリ州では割と若い校長先生に出会うことがあります。
今まで私が出会った好調で一番若かったのは27歳の男性。
そして、男の校長先生の割合が非常に高いように思います。
他の地域、ミンスクなどでも校長先生は圧倒的に女性が多いのです。

軽くお茶を飲んで、早速折り紙教室スタート!!!
最初は10年生の子供たち。
普通は担任の先生が教室にいることが多いのですが、今回はなぜか子供たちだけ。
そうなると、子供たちが騒いでコントロールできなくなることがあるのですが、ブラーギンの子供たちはどの学年もよくこちらの言うことを聞いてくれました。

DSC01588DSC01590DSC01592みんな呑み込みが早くて、すぐに二つの折り紙(←鶴とカエル)を作り上げてしまいました。
校長先生が教室に入ってくると、みんな「次の授業も折り紙を続けていいですか?」。
校長先生「そうしてあげたいのは山々だが、他の学年の子たちも折り紙をやりたがっているんだよ」
こういう言い方をすると子供たちは納得しますよね。
話し方が校長先生というよりは理解がある担任の先生という感じです。

DSC01594次の学年の子たちも楽しそうに折り紙をしてくれました。

折り紙をしながら、おしゃべり。
私が「校長、まだ若いよね」というと、子供たちが「ねえ、何歳なの?」と聞いてきました。
私が「何歳に見える?」と聞くと(←坂上忍に向かって言ったら、「めんどくせえ奴だな!」とばっさり斬られそうな質問)、「25歳!」「27歳!」。
君たちはとてもかわいくて、いい子供たちだ!!!

私が「40歳だよ!」と言うと、子供たちは「え〜!!!」「信じらんない!!!」。
ベラルーシでは東洋人は若く見られることが多いのですが、ここまで若く見られるとは思わなかったなあ。

DSC01598最後のグループも楽しく、最後まで折り紙ができました。
ブラーギンの子供たちはすごく素直でいい子たちばかりでした。


ブラーギンの子供たちに「日本人、見たことある?」と聞くと、たいてい「ある」と答えます。
でも、「日本人と話したこと、ある?」と聞くと、全員「ない」。
これはホイニキの子供たちに聞いた時も全く同じ反応でした。

確かに、言葉の壁はあります。
でも、何らかの交流はできるはず。
私が視察の通訳をするときは地元の人たちと一緒にご飯を食べたり、お茶やお酒を飲んだりする機会をできる限り設けるようなセッティングを心がけています。
同じテーブルを囲んでの交流はいいですよね。
ざっくばらんに話ができる雰囲気を作れればと私はいつも思っています。

「日本人は自分たちが欲しい情報をもらったら、『はい、さようなら』と言って帰ってしまう」「一緒に何かプロジェクトを立ち上げられればと思っているんだけど、その時限りの付き合いが多い」などと言われたことがあります。
「共同プロジェクトがうんぬん・・・」と言う人の中には寄付や援助がほしいだけの人も結構いるのですが、中にはブラーギンの人たちのように心からそう思っている人たちもいます。

私が今考えているのはブラーギンやストレリチェヴォの学校と日本の学校の交流ができないかということです。
外国の学校との交流と言うのは日本ではそれほど珍しいことではないと思います。
現に、仙台の学校とミンスクの学校は交流があります。
もしかしたら、まだ時期尚早かもしれませんが、福島の学校とゴメリ州の学校、その子供たち同士の交流ができればいいなあと考えています。
今はスカイプで顔を見ながら話すこともできますし、通訳は私がベラルーシの学校に行けばいいだけの話ですから。

他にも、それぞれの分野の人同士の交流ができないかと考えています。
例えば、子どもを持つお母さん同士とか、汚染地域で農業をしてきた人同士とか。

やっぱりベラルーシに来てもらって、直接交流するのがいいんですが、みんながみんな行けるわけではありませんから。
でも、交流の方法はあるはずです!!!


ブラーギンの学校での折り紙が終わって、ゴメリまで戻ることに。
まずは校長先生の車でホイニキのバスターミナルまで。
所要時間20分。

ホイニキからゴメリまでは約2時間の道のり。
疲れもあって、爆睡してました。

それにしても、よくあんな遠いところまで行ったなあ。
普通、視察の場合は車やチャーターしたバスで行くので楽なんですよ。
でも、公共交通機関を使うと時間もかかるし、本数も異常に少ないし。
ミンスクにいると、乗り物に乗ったりして生まれる「隙間の時間」が少ないんです。
そういう意味では私にとっては最高の休息です。


ゴメリのバスターミナルに到着したのは16時半ごろ。
そこから、ホテルまで歩いていきました。
歩くには結構な距離なのですが、どんな交通機関で行けるのかがわからないので。
こういうところ、ベラルーシは不親切です。
前もって知っておかないと、公共交通機関は利用しにくいんです。

ホテルに着いて、のんびり・・・とはいきません。
19時30分からは個人レッスン!
もちろん、日本語の、です。

実は私の学生の中にゴメリから毎週土曜日通っている女の子がいます。
土曜日の夕方のグループの子で、もう1年半、通ってきています。
ミンスクまでは4時間半ぐらいかかりますから、往復で9時間列車に乗っている計算になります。
それでも、勉強したいという気持ちがあるから、わざわざ通ってきているのです。

彼女は銀行員なのですが、シフトの関係で、この2か月ほど授業に出られない状態が続いています。
なので、ゴメリで会って勉強しようということになったのです。
実は3月の視察でゴメリに行った時も、レストランで1時間ほどレッスンをしました。

今回もホテルの中のレストランで日本語教室。
1時間ほどみっちりと勉強しました。
私も疲労困憊でしたが、授業を始めると疲れを忘れちゃうんですよね。

彼女と晩ごはんを食べることもあるのですが、今回は用事があるとかで、彼女は帰っていきました。
そこからは晩ごはんタイム!!!

実はゴメリでの一つのお楽しみがこの晩ごはんなのです。
レストランの名前は「北京飯店」。
そう、中華料理の店なのです。
最高においしい・・・とは言えませんが、そこそこおいしいのです。
ミンスクの変な店よりは全然おいしいですよ。

私が注文するものはいつも決まっています。

IMG_0345[1]麻婆茄子です!!!
でも、ひき肉などの肉は一切入っていません。
そして、味がちょっと辛くて甘いんです。
最初食べた時は「何だこれ?」と思ったのですが、だんだん病みつきに。
しかも、茄子が小麦粉か何かをつけて揚げてあるらしく、その食感がたまらないです。

IMG_0346[1]これもいつも注文する鶏肉のサラダ。
辛いです。
でも、ビールが進むんです!
ガッツリ食べて飲んで、ゴメリでの晩ごはん終了!!!


次の日は朝の4時起き。
5時過ぎの電車でミンスクに向かいました。
10時前にはミンスクへ。
うちへ帰って、シャワーを浴びて、すぐ大学の授業へ。
疲れてはいましたが、気持ちは軽かったですね。


やっぱり折り紙は楽しい!!!
またベラルーシのいろんな町へ行きたいです!!!

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ベラルーシの生活 | チェルノブイリ

2014年04月23日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日は昨日の続きです。
ベラルーシ東南部のゴメリ州で折り紙教室をやったときの話です。
昨日はホイニキ地区のストレリチェヴォの学校での折り紙教室の様子を書きました。
はぐれミーシャのベラルーシひとり旅 ,海海如前貊錣法狙泙譴燭蕕いい函(^^♪

3つのグループで折り紙をやって、クタクタ。
やっとご飯だ!!!

DSC01557学校の食堂で昼ごはん。
校長先生が「授業は2つぐらいだと思っていたら、3つもやるんだから。昼ごはん、冷めちゃったじゃないか」
言葉はきつめですが、笑顔です。
トマトもキュウリもおいしくて、言うことなし!

もしかしたら、これを読んでいる人の中には「食べて大丈夫なの?」と思った人がいるかもしれません。
ストレリチェヴォ村は「移住権利区域」というところに指定されています。
これはセシウム137の値が5〜15キュリー/平方キロメートルの地域です。

私は普通に食べます。
私は通訳の仕事を通じて、ベラルーシの放射線管理の実情を自分の目で何度も見てきました。
安全が守られていることはよく知っていますし、ストレリチェヴォの学校の人に聞いても、最近は基準値を超えるような野菜が出てくることはまずないと聞いていますから。
基準値を超えることがあるのはキノコや野生動物の肉がほとんどだそうです。

DSC01552学校の中にこんな掲示物が。
これはゴシケーヴィチという人について。
ゴシケーヴィチは江戸時代、ロシア帝国の初代領事として日本に赴任した人です。
ベラルーシ人なんですよ。

今年はゴシケーヴィチの生誕200年として、いろいろなイベントがありました。
その一環として国際会議があり、私も参加したのですが、その中である歴史家の方が「実はこれまでゴシケーヴィチの生地に関してはいろんな説がありましたが、最近の調査でホイニキ地区のストレリチェヴォ村であることがわかりました」と発表したのです。
で、その人の話では「実はストレリチェヴォ村の人たちもそのことは知らないようです」と言っていたのですが、学校の図書館員の人の話では「もちろん、知っていますよ」。
こんな小さい村に日本とのつながりがあるなんて!!!
おもしろいですねえ。


昼食の後は子供たちと散歩。
せっかく来たのに、折り紙だけで帰ってしまうのはもったいないからね。
子供たちに「この村の面白いところを見せて」とお願いしてみました。

DSC01558これはストレリチェヴォ村の人で、独ソ戦で戦った兵士を慰霊する記念碑。
ベラルーシではどんなに小さい村でも、このような戦争関係の記念碑があります。
記念のプレートに兵士一人一人の名前が書いてあるのですが、子供たちはそれを見て「俺の名字と同じだ!」「変な名字!」「これ、俺の親戚かも・・・」。
ほのぼのします。

DSC01561子供たちと村をブラブラ。
世間話をしながらです。
こういうゆったりした時間の流れ方、私にはあまりにも心地よくて。

何か特別な遊び場があるわけじゃないし、子供たちもプレイステーションとかを持っている子はいないし。
でも、子供たちは楽しく時間を過ごす才能を持っている。
大人がなくしてしまいがちな才能を。
ただ散歩するだけでいい。
ただ石をなげるだけでいい。
遊ぶ方法は無限にあるのだから。

子供たちと一緒に幼稚園へ。
私が「どこか面白いところある?」と聞いたら、みんな「じゃあ、幼稚園に行こう!」と言ったのです。
その幼稚園、ミンスクの普通の幼稚園と違いはありません。
でも、子供たちにとっては自分たちが通ったところ。
園長先生は学校の先生も兼任しているから、子供たちは全員顔なじみ。
そもそも、この村には940人しか人が住んでいないのだから、全員が顔なじみ。

DSC01563学校の男の子が「うちのおじいちゃんとおばあちゃんに会ったら、いろんなことが聞けるよ」と提案してくれたので、この道を通って行きました。
舗装されていない道も結構多いです。
典型的なベラルーシの村の風景。

DSC01566道の行き止まりのところにこんな花が。
子供の一人が「日本の桜に似てるでしょ?」
そうかな?
そうかもね!!!

おじいちゃんは村の歴史やチェルノブイリ事故の時の様子などを話してくれました。
正直、ロシア語の訛りがきつくて、話がわかりにくかったです。

帰るとき、入口のところに車いすの男性が。
誰かと思ったら、男の子のお父さん。
お父さん「健康が第一だぞ。俺はチェルノブイリのせいでこんな体になったんだ」
はぐれミーシャ「チェルノブイリのせいなんですか?」
お父さん「だって、他に理由がないだろ」
何の病気かよくわからないのだそうです。

男の子「僕も健康の問題があるんだ。電車の機関士になりたかったんだけど、心臓の問題があるから駄目だって」
はぐれミーシャ「それもチェルノブイリのせいだって思うの?」
男の子「もしかしたらね」

健康の問題があると、何でも「チェルノブイリのせいだ」という傾向、いまだにここではあるようです。
実際にチェルノブイリの影響なのかどうかわかればいいのですが、わからないのだから何とも・・・
どこまでがチェルノブイリの影響で、どこまでが他の要因によるものなのか、それは証明が難しいことでしょう。
事故から28年。
ある病院の人の話では「研究しようにも、時間が経ちすぎている」という言葉を思い出しました。

学校に戻ると、校長先生が入口のところで他の先生と雑談。
校長「あんまり遅いから、捜索願出そうと思ったよ」

DSC01567ストレリチェヴォの入口のところの写真。
また来ることになるだろうなあ。
来てよかった。
いつもは通訳だから自分勝手な行動はとれないけど、今回は自分一人だから、我がままを言っていろんなことができたなあ。


校長先生が車でホテルまで送ってくれました。
校長「晩ごはんはどうするんだ?」
はぐれミーシャ「適当にどこかで買って食べますよ」
校長「それはいかん。一人でホテルにいてもつまらないだろう。うちの奥さんに聞いてみるから、OKだったら、うちで晩ごはんを食べていけ」
正直、かなり疲れていたので、一人でホテルでのんびりしたいという気持ちもあったのですが、せっかくのお誘い。
行こう!!!
元々、私は他の人のうちでご飯を食べるのが大好きなのです。


校長先生のうちは二階建てマンションの二階。
建物自体は古いものですが、中はリフォームがちゃんとしてあります。

校長は「うちの奥さんがOKだったら」と言ったのですが、それは理由があります。
奥さんは幼稚園の子供たちを連れて保養施設に24日間滞在し、その日の昼、ホイニキに帰ってきたばかりだったのです。
うちを留守にしていて帰ってきたばかりだから、奥さんも疲れているだろうし、食べ物もないかもしれない。
でも、校長が奥さんに聞いたら「何でその日本人をすぐに連れてこなかったの? 晩ごはんを作るのは当然でしょ!」と言われたそうです。

IMG_0343[1]校長先生の奥さん「ありあわせのものだけど」
いえいえ、全然豪華です!!!
この後もどんどん料理が出てきました。

飲み物は当然、ウオッカです。
私は普段は飲みませんが、こういうときは付き合います。
今どきの若い人はビールやワインなどを飲む人が多いですが、校長ぐらいの世代なら、当然ウオッカだろうなあと思っていたので、覚悟はできていました。

校長は「もっと強いのもあるぞ」
それは60度のウオッカ。
そんなの飲んだら、大変なことになります。
はぐれミーシャ「明日はブラーギンで折り紙教室をするので、お酒の匂いをさせて子供の前にでるわけにはいかないじゃないですか」
校長「子供たちは親のお酒の匂いに慣れているだろうから、大丈夫だよ!」

最初は疲れていて、私も口が重かったのですが、杯を重ねるにつれ、どんどん饒舌に。
会話のテーマはやはりウクライナ情勢。
ホイニキでもブラーギンでもそうだったのですが、ロシア寄りの発言が多かったです。

どんどん飲んで、二人でウオッカ一本空いてしまいました。
校長「じゃあ、もっと強いの、行くか?」
ここまで来ると逃げられません。

60度のウオッカ。
久しぶりだなあ、こういうの。
私は今までで92度のを飲んだことがありますが、あれもかなり昔のことだもんなあ。

40度の普通のウオッカの場合は、一気に飲み干すのが普通ですが、60度ともなると一気にはいけない。
いや、いけなくないんだけど、明日のことがあるからちょっと躊躇してしまいます。
どんどん酔っぱらっていきます。

DSC01576たくさん飲んで食べて、大満足!!!
校長先生、ごちそうさま!!!


校長先生のうちから歩いてホテルへ。
甥っ子の子供も一緒に。

ホテルに行く途中に校長のダーチャがあるので、寄ってみることに。
ダーチャというのは旧ソ連圏によくあるのですが、小さい家と菜園がある、いわばセカンドハウスのようなもの。
別荘というには小さいものですが、そこで夏の間に野菜や果物を作ったり、それを瓶詰にしたりして、冬に備えるのです。
まあ、セカンドハウスは言い過ぎかな。
かなり小さかったり、古かったりするのが普通なので。
でも、校長のダーチャはさすがに立派なものでした。

DSC01579DSC01585部屋の中にはサッカーやホッケーに関するものがいっぱい。
校長はサッカーのコーチをずっとやっていたのです。
道理でがたいがいいわけだ。
明らかに昔スポーツをやっていた体型です。

校長先生、ベラルーシで1のチーム、「FC BATEボリソフ」の前ヘッドコーチだったガンチャレンコが少年だった時のコーチをやっていたのそうです。
今でも交流があるのだそうで、サインやら写真やら、お宝グッズがいっぱいでした。

私はホテルに帰って爆睡。
明日はブラーギンで折り紙だ!!!

では、続きはまた明日!!!


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ベラルーシの生活 | チェルノブイリ

2014年04月22日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

久々の投稿です。
実は今日は休みだったんですよ。
ロシア正教の復活祭、いわゆるイースターだったので、授業を全部休みにしたのです。
いつもなら、日曜日は朝の9時から19時までずっと日本語を教え続けているのですが、今日はゆっくり休養しました。

さて。
先週、私は久々にベラルーシの地方都市に折り紙をやりに行ってきました。
元々、ベラルーシに住むきっかけになったのが折り紙。
その辺の経緯については2012年1月27日「私とチェルノブイリ 〜瓦討論泙蟷罎ら始まった」に詳しく書いてあります。
以前は一か月に一回ほどはどこかで折り紙を教えていました。
結婚してからはいろいろと忙しくて、一年に1〜2回ほどしかやっていませんでした。
私としては以前のようにもっと頻繁にやりたいという気持ちがあります。

以前にも書いたのですが、この折り紙教室は断じてボランティアではありません。
ただ単に子供たちのところへ遊びに行っているだけです。
楽しいから、楽しい人のところへ行き、会いたいから、会いたい人のところへ行く。
それだけのことです。

今回行ったのは、ベラルーシ東南部のゴメリ州。
ゴメリ州は多くの地域がチェルノブイリにおいて汚染された地域です。
その中のホイニキとブラーギンという町に行ってきました。
ホイニキ地区もブラーギン地区もその一部が強制移住地域に入っており、今現在も立ち入りが制限されている「ポレーシエ放射線環境保護区」に一部が含まれています。

これも念のために書いておきますが、私がホイニキやブラーギンに行ったのは、チェルノブイリの汚染地域だからではありません。
たまたま通訳の仕事を通して知り合いができたので、行っただけです。

いくら行きたいと言っても、何のアポイントメントもなく行くわけにはいきません。
先々週の木曜日、ホイニキの地区執行委員会の女性、ジャンナさんに電話しました。
その人は簡単に言えば、副市長の立場の人。
通訳で訪れた時は必ずお世話になる人です。
もう6回ぐらい会っていて、ツーカーの間柄。
でも、副市長ですからね。
電話するときはちょっと緊張。

はぐれミーシャ「こんにちは」
ジャンナさん「こんにちは。今日はどうしたの?」
はぐれミーシャ「ホイニキの学校でで折り紙したいんですが・・・」
ジャンナさん「いいわよ。いつも視察団が行くストレリチェヴォ村でいいのね?」
はぐれミーシャ「はい。でも、村までどうやって行けば・・・」
ジャンナさん「車出すから大丈夫」
はぐれミーシャ「ありがとうございます。ホイニキに泊まりたいんですが・・・」
ジャンナさん「ホテル、予約しておくわ」

あっさり準備完了。
所要時間3分。

それから、ブラーギン地区執行委員会の副議長、簡単に言えば、こちらも副市長のアンナさんに電話。
はぐれミーシャ「こんにちは」
アンナさん「あら、アキラさん。今日はどんな御用?」
はぐれミーシャ「ブラーギンの学校で折り紙をしたいんですけど」
アンナさん「いいわよ。いつ来るの?」
はぐれミーシャ「来週の火曜日なんですが・・・」
アンナさん「わかったわ。じゃあ、来るの楽しみにしてるわ」
所要時間2分。

日本でもそうかもしれませんが、ベラルーシはやはり直接のコネクションがものをいう世界。
ベラルーシに視察に来たことがある方はご存知かと思いますが、普通はいろんなレターが必要になることが多いのです。
でも、今回は電話一本で、全部OK。
いろんな仕事をしたおかげで、素晴らしい人脈ができました。
二人の副市長さんは私には何故か優しいんです。

私が出発したのは日曜日の夜。
夜20時過ぎの電車でまずゴメリへ。
0時50分にゴメリに到着。
車内が異常に暑く喉がカラカラ。
ゴメリの駅の売店でビールを探すも、瓶ビールで栓抜きもない状態なので、断念して、すぐにホテルに向かうことに。

ホテルは駅の目の前にあるパラダイスホテル。
このホテルは6年ほど前に一度泊まったことがあり、一緒だった日本人の人も「ここはほんとにパラダイスだね」と言ったほど、いいホテル。
ワンフロアだけの小さいホテルです。

フロントに着いて、すぐに冷蔵庫発見。
店にあるような透明なドアのやつです。
非常に感じのいいフロントの女性に「このビールは売っているんですか?」と聞くと、「もちろん!」
普通の店よりはちょっと高めでしたが、即購入。
やはりこのホテルはパラダイスでした。
2時過ぎに就寝。

次の日は5時に起床。
すぐそばにあるバスターミナルでホイニキ行きのチケットを購入。
ベラルーシの鉄道駅やバスターミナルは時々、大行列することがあるので、早めに買っておくことにしたのです。

8時50分のバスで出発。
バスとは言っても、15人乗りの小さいものです。

バスの中からジャンナさんに電話。
「ホイニキのバスターミナルに○○さんが迎えに行くから」
誰が迎えに行くのか全く聞き取れず。

10時40分にバスターミナルに到着。
でも、誰も迎えに来ていない。

11時になって、それらしき車が到着。
運転席から降りてきたのは・・・ストレリチェヴォの学校の校長先生!
校長自らのお迎えでちょっとびっくり。

DSC01571まずホテルにチェックイン。
ホイニキは人口13320人の小さい町。
あまりホテルには期待していなかったのですが、部屋自体は普通でした。
ベラルーシの地方都市にはひどいホテルも結構あるのですが、ここは全然OK。
ベッドがちょっと乱れているのは、私が一度座ったからです。
荷物を置いて、すぐにストレリチェヴォの学校へ向かいました。

DSC01543これが学校の概観。
ホイニキに視察に行かれた方なら、見覚えのある建物ではないでしょうか。

DSC01544校長室に通されると、すぐに食べ物が登場。
校長「軽い朝食だ」
全然軽くな〜い!!!
めっちゃ炭水化物!!!
でも、ここで食べないと途中で息切れするので、全部食べました。
子供相手の折り紙教室はエネルギーを使うのです。

DSC01545まずは9年生と折り紙。
なかなか頭の回転が速い子たちで、普通は鶴を作るだけで時間が終わってしまうのですが、口をパクパクするカエルも作ることができました。

この写真で、一番前の列の左から二人目の女の子、私は何度も会ったことがあるのです。
というのは、日本からの視察団が来ると、この学校の生徒たちが「放射線の安全」に関するプレゼンテーションをしてくれるのですが、そのときに中心になって話をするのが、このナースチャちゃんなのです。
プレゼンの時はメチャメチャしっかりしているのですが、このときは子供らしい笑顔を見せてくれました。

DSC01547最後に記念撮影。
また会おうね!!!

DSC01549次のグループは10年生と11年生のグループ。
ベラルーシの学校は11年生まであるのが普通。
日本のように小・中・高と別々の学校には分かれていないのが普通です。
16〜17歳ぐらいの子供たちはあまりリアクションが大きくないです。
もう大人だという意識がそうさせているのでしょうか。
下の学年のようなはしゃいだ感じはないですね。


ここで折り紙教室の全体の流れを。
最初に自己紹介します。
次に、子供たちに「日本について何知ってる?」と聞きます。
大体、大雑把な答えが多いです。
例えば、「ソニー!」「トヨタ!」「隣に中国と韓国がある!」。
今回はある子供が「ジャッキーチェン!」と言ってきたので、「日本人じゃねーよ!!!」と返してやりました(←大人げない)。

それから、「こんにちは」「さようなら」などの日本語の簡単な挨拶が書かれた紙を渡します。
それをみんなで発音します。
それから、黒板に漢字を書いて、意味をあてるゲーム。
例えば、「山」という漢字を書いて、「これはどういう意味でしょうか?」と質問します。
もちろん、ヒントを与えながらです。
「これはベラルーシにはありません」「自然界にあるものです」
これは結構盛り上がります。

それから、折り紙のスタートです。
普通は鶴を折ります。
ベラルーシでも折り紙は知られているので、鶴の折り方を知っている子供もいるのですが、間違った折り方のことが多いのです。
最後のほうのある過程を飛ばしてしまうので、太った鶴になってしまっているのです。

それが終わったら、記念撮影。
そして、一人一人の子供にその子の名前と私の名前を日本語で書いてあげます。
子供たちが教室を出ていくとき、「さようなら」と日本語で言ってくれるのがうれしいです。

子供たちにとってはいい思い出になるのではないかと思っています。
日本は子供たちにとっては未知の遠い国。
日本のことは少し聞いたことはあっても、詳しいことは知らないし、ましてや日本人と話すなんて、特にベラルーシの田舎ではありえないこと。

このストレリチェヴォの学校には多くの日本の視察団が訪れました。
日本人の目的はチェルノブイリ関係の対策について知ることです。
この学校には「地域情報センター」が設置されており、食品の放射線測定ができるのです。
子供たちが自分たちで機器を使い、測定をすることで、放射能に関する知識を学ぶクラブがあるのです。
視察団が訪れると、そのクラブのプレゼンテーションを見せてもらうのが通例です。

私はそのこと自体は全く悪いとは思いませんし、むしろこの学校で見たことを日本で役立ててもらいたいと願っています。
ただ、これからは一方的に見せてもらったり、情報を得るのではなく、「交流」もしていかないといけないと思うのです。
自分たちが必要なものをもらっただけでは、片手落ちだと思うのです(←うまく説明できなくてすみません)。
似たようなことをベラルーシ人に言われたことがあります。
「日本人は私たちから情報や知識は欲しがりますが、私たちと交流はしたくないんでしょうか?」

だからというわけではないのですが、少しでもこの学校の子供たちに日本の文化に触れてほしいと考えたのです。
まあ、単純に子供たちと折り紙がやりたかったというのが第一の理由ですが。


二つ目の授業を終わって、校長先生が「じゃあ、昼ご飯を食べましょう」と言ってきました。
でも、せっかくこんな遠いところまで来たのに、折り紙教室が二つだけでは物足りない。
「もう一回、違うクラスで折り紙をやることはできますか?」
校長先生はびっくりしていました。
「そんなにたくさんやって、疲れないか? 大丈夫か?」
はぐれミーシャ「大丈夫です!!!」

DSC01553DSC01555次のグループは8年生。
いやあ、元気ですよ、みんな。
他の学年の子たちから話を聞いていたのか、みんなうれしそうに折り紙をしていました。
このグループの中にも、通訳で来た時に見かけた顔が。
また日本人と来るかもしれないけど、よろしくね!!!

終わったのは14時30分。
疲れたけど、楽しかった!!!

この続きはまた明日!!!

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