2015年05月

2015年05月12日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

眠い・・・
疲れがたまっています。

そして、寒い・・・
今日はちょっと肌寒いほどの天気です。

それでも、仕事はやってくる。
容赦なく、いろんな仕事が入ってきます。
まあ、仕事がないよりはいいのでしょうが。

毎週、月曜日は休みです。
普段はどこへも行かないで、うちで映画を見たりしています。

でも、先週の月曜日は大事な用事がありました。
それは龍二くんがなくしたスズメのぬいぐるみを探しに行くこと。

日曜日、龍二くんとベロニカちゃんは幼稚園の友達のソーニャちゃんの家族と一緒に森へお散歩に行きました。
そこでソーニャちゃんとあそんでいるうちに、スズメをなくしてしまったのです。
日曜日の夜、私がうちに帰ると、龍二くんはとてもがっかりした様子で、「スズメがどこかに行っちゃった」。
これは探しに行かねば!

DSC_0113[1]エレベーターの中で不安そうな龍二くん。
友だちのペンギンも一緒です。
見つかるかなあ・・・

DSC_0116[1]バスの中でも心配そう。
スズメも一人でさびしいかなあ・・・

DSC_0121[1]うちからトロリーバスで二つ目のバス停で降りると、こんな感じ。
湖(貯水池?)があって。
少し歩けば、すぐに公園や自然があるのがミンスクの魅力です。
いい天気で、ピクニックみたい。

DSC_0122[1]ベラルーシのオリンピック陸上センターの建物を通り抜けると、森が広がっています。
森に入って、三人で周りをキョロキョロ。
スズメはどこかなあ・・・

DSC_0124[1]これ、何て言う花だろう?
森の中にはワクワクがいっぱい。

みんなでたき火をやったところに到着。
木の枝の折れたやつにソーセージをさして、焼いて食べたんだって。
この辺が怪しいなあ・・・

DSC_0127[1]みーつけた!!!
正直、私もベロニカちゃんも見つかるとは思っていなかったので、びっくり!!!
たき火の場所からちょっと離れたところで、全く目立たないところにありました。
龍二くん、よかったね!!!

DSC_0130[1]帰り道、鴨の家族に遭遇。
みんな仲がよさそう。

私たち家族の小冒険は終わり!
と思ったら、おとといのこと。
今度はペンギンをなくしちゃった・・・
また探しに行こうかな。

akiravich at 15:13コメント(0)トラックバック(0) 
子育て | 日記

2015年05月01日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日のテーマはチェルノブイリです。
直球です。

最近、チェルノブイリ近辺で森林火災があったことで、またチェルノブイリがにわかに注目されていますね。
焼けた木々の灰がベラルーシの方向に飛んでくるのではないかと心配しています。

しかし、ベラルーシの放射線環境をモニタリングしている機関のHPを見ると、放射線量に関しては全く変化は起きていません。
いつものように、5月1日のミンスクは0.1マイクロシーベルト/時。
比較的、値が高いブラーギンも0.53マイクロシーベルト/時と、普段と変わらず。

こんなことを書くと、「国の機関が発表していることを信じているのか!?」と言われそうな気がしますが、私は結構信じています。
そういうモニタリングをやっている機関や現場を私は自分の目で見ていますし。
非常にしっかり測定していますよ。
隠ぺいすることのメリットはベラルーシには全くありません。


さて、今日は昨年3月に私がチェルノブイリを訪れたときのレポートをしたいと思います。
通訳の仕事でチェルノブイリを訪れたのですが、そのときはちょうどウクライナの政情が不安定なときでした。
マイダンと呼ばれるキエフ中心部の広場での戦闘がようやく収まったばかりの頃で、非常に不安だったのを覚えています。
その時の様子は2014年3月31日「はぐれミーシャのウクライナレポート キエフに行ってきました!!! ティモシェンコを探せ!!!」をご覧ください。

ここではWikipedia的な解説は避けたいと思います。
例えば、事故の概要とかは他の解説を読めば事足りるわけですから。
私が改めて解説することでもないだろうと思いますので、ここでは私の個人的な感想、訪問レポートという形をとりたいと思います。


チェルノブイリへの道

地図で見ると、チェルノブイリはウクライナの一番北、ベラルーシとの国境にあります。
しかし、ベラルーシから直接チェルノブイリのある地域に入ることはできません。
直線距離ならとても近いんですけどね。
道がないのです。
ベラルーシの汚染地域は「ポレーシエ放射線環境保護区」となっており、立ち入りが厳しく禁じられています。

結局、キエフ経由ということになります。
かなり遠回りではあるのですが、これは仕方がないです。
最初は車での移動を考えていたのですが、ウクライナの地方都市でベラルーシナンバーの車が襲撃される事件が頻発しているという情報があったので、鉄道を使うことにしました。

キエフには朝の8時近くに到着。
ホテルで朝食をとり、そこからチェルノブイリへ向かいました。
車で2時間半ほどの道のりです。

途中、二か所のチェックポイントでパスポートなどの書類のチェックがありました。
チェルノブイリは見学ツアーが盛んで、以前にチェルノブイリを訪れたときも(←つまり、この時は2回目の訪問)、他の見学者が結構いたのですが、この日は私たち以外に一組だけ。
ツアーガイドの説明では、ウクライナの政情が不安定になってから、観光で訪れる人が激減したのだそうです。



チェルノブイリに到着! とは言っても、原発ではない

DSC01260チェルノブイリに到着! と言っても、これは原発ではなく、チェルノブイリという町。
この町の名前が原発の名前になったのです。
ベラルーシでもそうですが、町の入り口にはこういうモニュメントが必ず立っています。
このデザインからも原発産業で成り立っていた町なのだということが見て取れます。


DSC01261これはチェルノブイリの町の教会。
まだちゃんと機能しています。
時々、チェルノブイリ出身の神父さんが来て、礼拝が行われているそうです。
残念ながら中には入れませんでした。

DSC01267チェルノブイリの有名な広場に着きました。
この小道には両側に原発事故で消滅してしまった村などの居住地の名前が書かれています。
人々が住んでいたところ、その住民にとっては故郷を哀悼する意味が込められています。

DSC01266モニュメントの一つに「フクシマ」の文字が刻まれていました。
折り鶴をかたどったモニュメントです。

こういう演出、ウクライナ人はとても上手だなあと思います。
これはキエフのチェルノブイリ博物館でも感じることですが、見ている人に伝わるような展示方法や演出に非常に長けているのです。
ベラルーシ人とはだいぶメンタリティーが違います。
ベラルーシ人はそういうアピールはあまり上手じゃないところがありますから。

この広場の近くに店がありました。
というか、普通にチェルノブイリの立入禁止区域にお店があることが驚きです。
飲み物や食べ物が普通に売ってありました。

DSC_0110[1]そして、驚きなのが、チェルノブイリグッズ!
マグネットやボールペン、Tシャツまであるのです。
私はそこでマグカップを購入しました。
こういうところがウクライナ人らしいところです。
商魂たくましいというか。
キエフで戦闘のあった独立広場でもマグカップやTシャツなどのグッズが販売されていましたから。
戦闘直後で広場中、焼け焦げたようなにおいに満ちている中でも商売をしようというのがすごいなあと思いました。


チェルノブイリの町を歩く

DSC01270チェルノブイリの町の中は当然、人が住んでいません。
いたるところにこのような廃墟と化した家が。
失礼して、中を覗くと明らかに荒らされた跡が。
原発事故後、火事場泥棒的な事件が後を絶たなかったと言います。
ネジ一本に至るまで盗まれたと言う話を聞いています。

DSC01268このうちの壁に住んでいた人が書いたと思われる言葉が書いてありました。
「我が家よ、許しておくれ! そして、さようなら!」
自らの家を捨てて出ていく人の心の痛みは如何ほどのものだったでしょうか。

福島でも同じような悲劇が起こっているのかと思うと・・・
家はただの「モノ」ではなく、住んでいる人の想いや思い出が詰まったもの。
私は19歳のとき、実家が全焼し、自分が育った家、思い出がいっぱい詰まった家が灰になったところを見たことがあります。
福島の場合とは違う痛みかもしれませんが、家を失うことの辛さは察して余りあります。

DSC01271「ここには人が住んでいます」
そうなんです。
こちらのお宅には人が住んでいます。
中には避難勧告を無視して、住み続けている人がいます。
主に高齢の方々で、自分の故郷に住み続けたいということです。
強制的に避難させると言うことはないそうです。

ここに住んでいるのは高齢の女性。
息子さんが生活に必要な物資や食料を運んできてくれるそうです。

DSC01274これは事故処理に当たった機械の「墓場」。
放射性物質で汚染されているため、近くに行ったり触ったりすることはできません。
こういう機械を見ていると、当時の様子がリアルにイメージできたりします。



チェルノブイリが見えてくる

DSC01281チェルノブイリ原発が見えてきました。
川沿いを車はひた走ります。

以前チェルノブイリを訪れたとき、この時点でガイドさんに「原発の近くに行ったら、写真撮影やビデオ撮影をやめてください。決まったポイントでだけOKです」と言われました。
勝手に撮影などをしていると、当局に拘束され、映像や画像を削除されると言われたのです。
しかし、このときのガイドさんは「大丈夫だよ!」「ダメなところはあるから、そこだけ注意すれば、あとは普通に撮影していいよ」。
うーん、どっちが本当なんだろう?

DSC01287ここが原発に一番近いポイントになります。
ここから原発のほうの写真を撮るのは許可されています。

圧巻です。
このときは二回目でしたが、感じるものがあまりにも大きくて・・・
この廃墟が人々の生活を奪い、故郷を奪い、30年近くも人々を苦しめ続けているのかと思うと・・・

チェルノブイリ原子力発電所。
私は「負の世界遺産」として登録すべきだと思っています。
同じ過ちを犯さないために。

一度は見る価値があります。
放射能のことを心配する人がいますが、2〜3時間いたぐらいでは通常は問題はないはずです。
帰るときはチェックポイントで被ばく量をチェックされますが、私が行ったときはチェックで引っかかった人は一人もいませんでした。



リアルゴーストタウン、プリピャチの町を歩く

DSC01288それから私たちが向かったのはプリピャチの町です。
チェルノブイリ原発から4キロの近いところにあり、事故でゴーストタウンになってしまった町です。
「1970」という数字が書いてありますが、これはプリピャチの町が作られた年。
町自体が非常に新しい町だったことがわかります。

DSC01301これは有名な観覧車です。
チェルノブイリ原発事故が起こった4月26日の後でオープンする予定だったものです。
つまり、この観覧車は子供たちを乗せることなく、事故に遭ってしまったのです。

DSC01305プリピャチのレストラン。
プリピャチの住民のほとんどが原発で働いていた若者たちでした。
その若者たちもこのレストランに集い、夜の楽しい時間を過ごしていたのでしょうか・・・

DSC01311これは学校の敷地。
かつては子供たちの声が響いていたのでしょう。
目を閉じると子どもたちの声が聞こえ、目を開けると子どもたちの声は消えました。

プリピャチの町は二回目でしたが、やはり強い印象を受けました。
それは激しい感情ではなく、静かにしみいるように町の静寂が心の波を受け止めてくれるような感覚です。




チェルノブイリで働く、チェルノブイリで生きる

DSC01335それから、私たちはチェルノブイリのカフェで昼食をとりました。
これはスープに添えられていたパン。
名前は「パンプーシュカ」。
名前がかわいいです。
パンの上からニンニクオイルがかけられています。
ウクライナではポピュラーなもので、普通はボルシチに添えられるのですが、この時はえんどう豆のスープでした。
これ、すっごくおいしいんですよ。

このカフェ、チェルノブイリグッズも販売していました。
結構高めの値段設定。
たくましいなあ・・・

実はこのカフェで今回のチェルノブイリツアーで最も印象に残った出来事がありました。
それは次の写真の女の子の言葉。

DSC01339かわいいんですよ。
ウクライナ美人です。
ベラルーシも美人が多いですが、ウクライナの美人はちょっとタイプが違います。
顔立ちが違いますね。

それまでにチェルノブイリの区域で出会う人の中には若い人はいなかったので、私は驚きました。
彼女に「どうしてここで働いているの?」と聞くと、「私の父もチェルノブイリで働いているんです」
えっ? そんな理由で働いているの!?
私は何か彼女の中に使命感があるとか、そういうことなのかなと勝手に思っていたので、ちょっとビックリしました。

私「チェルノブイリで働いていて、怖くないの?」
女の子「??? なんで怖がる必要があるんですか?」
彼女は2週間働いて、2週間キエフで休むというシフト。
私「っていうか、ここに寝泊まりしているの?」
女の子「はい」

彼女の答えがあまりにも自然で。
何も特別なことなどないかのように。
むしろ彼女の方が私のリアクションに不思議がっていました。

確かにチェルノブイリ原発に近いからと言って、そんなに線量が高いわけじゃないんですよ。
ご一緒した方の中には線量計を持っていらっしゃる方も多かったのですが、それほど驚く線量ではありませんでした。

冷静に考えることができれば、彼女のようにチェルノブイリ原発の近くで働いても大丈夫なのでしょう。
チェルノブイリの場合はすでに30年近く経っているということも人々の心理に影響しているのかもしれません。
放射能を怖がるパニック状態からは脱している、ある意味、「放射能との成熟した共存関係」が築かれているように感じました。

もちろん、私は低線量被ばくの影響などを否定するわけではありません。
その女の子が100%安全な状況にいるとも思えませんし。
それは彼女自身の判断。
外的な要因を考慮して、大丈夫だと思っているから働いているのでしょうし。

ゴメリの放射線生物学研究所を訪れたときのこと。
日本人の方々が「低線量被ばくはどのように人体に悪影響を及ぼすのでしょうか?」と口々に質問しました。
研究所の人の答えは「わかりません」。
これが今のところの答えだと思うのですよ。

研究所の人「だって、まだ27年しか経っていないんですよ」(←数年前の話です)
「27年しか」
まさにその通りです。
研究所の人「低線量被ばくの影響の調査は時間がかかるものです。もしかしたら、50年後に影響が出るかもしれないし、数世代あとの世代に影響が出るかもしれないし。それはまだ誰にもわからないのです」
常に研究を続けていく必要があります。

DSC01341カフェの外に出ると、ネコが日向ぼっこしていました。
わずかに日の当たるところを見つけて、気持ちよさそう。



チェルノブイリにもネコはいるんです!!!
みんな、生きているんです!!!




今年も私はチェルノブイリに行きます。
また何を自分が感じるのか、何を思うのか。
チェルノブイリを訪れることはチェルノブイリを見るというだけにとどまらず、ベラルーシというチェルノブイリ原発事故で激しく汚染された国に住み続ける自分自身の心の中を覗き込むことでもあります。


生きるということ
その尊さを感じる旅になるでしょう。




追伸
チェルノブイリは一度は訪れてみる価値がある場所だと私は思っています。
チェルノブイリに行ってみたいという方がいらっしゃったら、コメント欄にメッセージをいただければと思います。
私の方でお手伝いできることがあれば、お手伝いさせていただきます。
その場合はメールアドレスを明記されることをお忘れなくお願いします。

追記
http://people.onliner.by/2015/05/01/radiaci9/
汚染地域に近いゴメリ市で放射能測定をした様子です。チェルノブイリ近辺の森林火災による影響はほとんどないことがわかります。ロシア語ですが、翻訳機能などを使って、ぜひ読んでみてください。


akiravich at 17:01コメント(4)トラックバック(0) 
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