2008年08月17日

ブレスト要塞

今日は8月13日(水)に訪れたブレスト要塞(Брестская крепость)についてレポートしたいと思います。

この要塞は1836年に工事が始まり、1842年に完成したものです。
戦略的な要所としてロシア帝国によって建てられました。
1914〜1918年の第一次世界大戦のときは西部前線の供給基地として使用されましたが、その後占領されてしまいました。
大戦後、要塞の敷地内にある「白い宮殿(Белый дворец)」でブレスト=リトフスク条約が結ばれたことでも、この要塞は歴史に残っています。

ブレスト要塞を語るとき、最も重要な出来事は第二次世界大戦での激闘です。
ちなみにベラルーシでは世界全体での戦争である第二次世界大戦と区別して、ソビエトとドイツの戦争を「大祖国戦争(Великая Отечественная Война)」と呼んでいます。

1941年6月22日早朝、ドイツ軍が国境を超え、ブレスト要塞への攻撃を開始しました。
ブレスト要塞はソビエト連邦の国境に位置していたため、ソ連領内でドイツ軍の攻撃を受けた場所になりました。
この攻撃によって大祖国戦争の火ぶたが切られたのです。
そもそも、当時のドイツとソ連は独ソ不可侵条約を結んでいたため、ドイツの奇襲攻撃はソ連にとって寝耳に水。
(ヒトラーがソ連攻撃を計画していたことは、ソ連のスパイによってスターリンに伝えられていましたが、スターリンは信じようとはしなかったという説があります)
なので、ブレスト要塞は戦闘の準備は特にしておらず、兵士の数も限られていました。

当初、ドイツ軍はブレスト要塞を8時間以内に陥落させる計画で、朝の9時までには要塞を完全に包囲してしまいました。
ブレスト要塞の中にいた人の中で、そのときまでに脱出できたのは全体の半分だけ。
中に残った3500〜4000人の人々はドイツ軍を相手に戦うことになりました。
外部とは完全に遮断された状態で、戦いに必要な銃弾などはおろか、水や食糧、医薬品なども要塞には入ってきませんでした。
にもかかわらず、彼らは約一ヶ月に渡り要塞を守り続けたのです。
建物の壁に銃剣で刻まれた有名な言葉。
「私は死んでいくが、降参はしない。さらば、祖国よ。1941年7月20日」

戦後、ブレスト要塞には「英雄」の称号が与えられました(「英雄」という称号は人に対してだけではなく、町などに対しても与えられます)。
1971年9月25日には、ブレスト要塞の敷地内に「メモリアルコンプレックス『ブレスト要塞』」がオープンしました。
ソビエト時代から現在に至るまで、国の内外から多くの観光客が訪れる場所であり、戦争関係の記念日には国の要人などが訪れたりする重要な場所にもなっています。

前置きが長かったですね。
ここからは私たちが行ったときのレポートです。

ブレスト要塞はブレストの町の中にあります。
なので、町の中心からは歩いても行けますが、タクシーやバスで行くことをお勧めします。
私たちは居候先の家から一本でいけるマルシュルートカ(乗り合いタクシー)があったので、それで行きました。

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今回、私たちは北門から中に入ったのですが、皆さんのために正門の写真を載せます。
この星はソビエトのシンボルですよね。
これがまた、ものすごく大きいんです。
初めて見たときは圧倒されました。
この門に近づくと、繰り返し流れる放送が聞こえてきます。
時計の針が動く音が戦争が近づく音を表し、その後、爆撃の音。
そして、戦争開始を告げる当時のラジオ放送がそのまま流れます。
その当時に流れていたものですから、心に迫るものがあり、私は聞くたびに鳥肌が立ちます。
それから、ソビエトの軍歌が流れます。

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中に入ると見えてくるのは、巨大な男性の顔の像。
遠くからでも見えるこの像の名前は「勇気」または「勇敢さ」(мужество)です。
ソビエトの人々の勇敢さや不屈の闘志を表しています。

その像の前には永遠の火が24時間、絶えることなく燃え続けています。
メモリアルプレートにはブレスト要塞で亡くなった962人の名前が書かれており、彼らと共に270人の無名戦士が葬られています。

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「勇気」の像の横に見えるのは、銃剣を表したモニュメントです。
高さは約100メートル。
チタンを使って、丈夫に作られているそうですが、私たちが行ったときは補修工事をしていました。

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敷地内には当時の兵舎の後などが残されています。
写真はホルムスク門という門です。
壁にはおびただしい銃弾の跡があり、非常に生々しい歴史を語ってくれます。

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「ブレスト要塞博物館」には当時の遺品や写真などが数多く展示されています。
当時の様子を知るためには欠かせない資料を目にして、いかに恐ろしい闘いだったか深く理解することができます。

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ちなみに、敷地内には「べレスチエ考古学博物館」と「美術館」があります。
私たちは「べレスチエ考古学博物館」に行ってみました。
「べレスチエ」はブレストの昔の名前です。
ブレスト要塞のそばで発掘された遺跡を取り囲むように建物が建てられています。
13世紀ごろの町がそのまま発掘されており、それほどいい状態で残っているものはなかなかないのだそうです(ドイツにも13世紀ごろのものがあるそうですが、規模が小さく、状態もそんなによくないのだとか)。
実はブレスト要塞の敷地内やそのそばにはもっとたくさんの遺跡が眠っているらしいのですが、発掘が禁止されているのだそうです。
ブレスト要塞を掘り返すわけにはいきませんからねえ。

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敷地内には当時の戦車や武器なども展示されています。
軍事マニアにはたまらないのではないでしょうか。

私がブレスト要塞を訪れたのは今回で6、7回目になります。
正直、何回行ったか覚えていないくらいです。
7年前に初めて訪れたときから、行く度に深く感じるものがあります。
日本人の皆さんにもぜひ訪れていただきたい場所です。

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最後におまけ。
ブレスト要塞博物館の売店で買ったお土産です。
ソビエトの軍人の人形で、木で作られています。
私はとても気に入っているのですが、うちのベロニカちゃんは「この女の軍人は顔がいけてない」と言って、非常に気に入らない様子。
かわいいと思うんだけどなあ・・・

akiravich at 03:57コメント(0)トラックバック(0) 
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akiravich

山形県出身。
2000年からベラルーシ共和国の首都、ミンスク在住。ベラルーシ国立大学文学部・日本語教師。目指すのはベラルーシの金八(略してベラ金)。
愛する妻ベロニカちゃんと愛する龍二くん(5歳)とのベラルーシ生活!
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