2008年10月12日

ドイツ人は好きですか?

今日は朝の9時半から夜の9時までの7コマ。
かなりヤバイ疲れ方です・・・

さて。
昨日、大学の授業で日中関係について読んだんですよ。
日本と中国・韓国の関係という話になると、どうしても避けて通れないのが戦争の話。

うーん、今日のテーマは危険だなあ。
以前、韓国人についてこのブログで書いたとき、大量のコメントが来てしまい非常に怖かったことがあります。
でも、こういう話題も避けないのがはぐれミーシャ!

日本語の授業で日本に関するテキストを読ませるとき、私は「ベラルーシではどうですか?」という質問を必ずするようにしています。
昨日の授業でも「ベラルーシではどうですか? ベラルーシ人とドイツ人が仲が悪いなんてことはないんですか?」と聞きました。
学生たちの答えは「全然、問題ないです」
基本的にドイツやドイツ人に対して悪いイメージは持っていないというのが全員一致した答えでした。

ベラルーシは第二次世界大戦で徹底的にやられています。
ベラルーシ人の3人に一人が亡くなったと言われているのです。
実は私がベラルーシに来た8年前は「4人に一人」と言われていたのですが、その後の調査で亡くなった人の数が増え、今では「3人に一人」と言われているのです。
そういうことって、あるんでしょうね。
いまだに名前がわからないまま墓地に葬られている人たちもたくさんいるでしょうから。

ベラルーシでドイツ軍がやったことは非常に残酷だったと言われています。
一番有名なのはハティニ村の悲劇です。
小さい村にドイツ軍がやってきて、住民を小屋の中に集めました。
そこに火を放ったのです。
燃え盛る小屋を軍人たちが取り囲み、小屋から逃げ出した住民を射殺していったといいます。
非常に残酷なやり方でした。
同じような形で全滅させられた村はベラルーシにはたくさんあるのです。

学生たちに「子供の頃はドイツ人に対して、『怖い』という気持ちはありましたか?」と聞くと、ほとんどみんな「怖いと思ったことはありません」
一人だけ、ブレスト出身の女の子だけが「ちょっとだけ怖かったです」と答えました。
それは戦争を経験したおじいさんやおばあさんから聞いた話しが元になっているそうです。

私もいろんなお年寄りの方に話を聞いたことがあるんですが、中には「ドイツ軍の軍人たちはやさしかった」と言う人もいるんですよ。
子供にチョコレートをくれたり、非常に礼儀正しかったり。
もちろん、みんながそうだったというわけじゃないですよ。
ドイツ軍の中には略奪、強姦など、悪の限りを尽くした軍人もいたそうですが、そういう人だけではなかったということです。

そして、逆にソビエト側にもひどいのがいたそうです。
特にパルチザン。
「戦争なのだから、全ては国のために」という建前のもとに、村の住民たちから食料など全てを奪い、中には暴力を振るったものさえいたそうです。
この話はソビエト時代から(←もしかしたら今でも?)タブー。
似たような話って、日本の沖縄戦の話で聞いたことがあります。
やはり、どこの国にもいい人もいれば、悪い人もいるということでしょうか。

ちょっと話はずれますが、私も戦争関係で嫌な思いをしたことがあります。
私は8年前にベラルーシに来たときから、6年ほど大学の職員寮に住んでいました。
12階建てで、結構大きい寮でした。
私が住んでいたのは1211号室で、そのドアを開けると中にまたドアがあって、大きい部屋と小さい部屋に分かれているんです。
つまり、一つのブロックが二つの部屋に分かれていて、それぞれ違う人が住んでいるんですね。
トイレとお風呂はブロックに一つです。

そのブロックの小さいほうに私は住んでいました。
これがまた、ものすごく小さくて、本当に住みにくかったですね。
で、大きいほうの部屋に中国人の夫婦が住んでいました。
御主人のほうがうちの大学の大学院で勉強していて、奥さんはそれについてきた、という感じでした。
御主人のほうはちょっとだけロシア語が話せて、奥さんは全くダメでした。

普通、引っ越したら挨拶に行きますよね。
私も隣の部屋をノックして、「これからお世話になります」と言ったんですよ。
でも、奥さんは私のほうを睨んでいるし、御主人のほうはニコニコしながらも、早く会話を終わらそうとするし。
私としたら「なんで!?」という感じでした。

そこからは苦しい日々でした。
同じブロックに住んでいるのですから、嫌でも顔を合わせることがよくあるわけですよ。
特に奥さんは仕事しているわけでも勉強しているわけでもないので、いつもうちにいるんですね。
なので、顔を見る機会は多いんです。
当然、私は「こんにちは」とロシア語で言うのですが、返事なし。
完全無視。
無視どころか、ものすごく嫌そうな顔をして自分の部屋のドアを閉めてしまうのです。
私は自分が何か悪いことをしたのかもしれないと思い、非常に悩みました。
御主人のほうは「こんにちは」は言うんですけど、あとはそそくさと自分の部屋に入っていくだけで、奥さんと大差なし。

私は自分の部屋に帰るのが怖くなってしまいました。
中国人夫婦の部屋のドアが開け放しになっていることがよくあったのですが、私が大学から帰って、1211号室のドアを開けると、奥さんがものすごい勢いで自分の部屋のドアを閉めるんですよ。
それが毎日のように続くんです。
嫌な顔をされるのも嫌だし、ドアを「バーン!」とものすごい音で閉められるのも嫌だし。
私がシャワーを浴びていると、奥さんがものすごい剣幕で中国語でまくし立てているのが聞こえたりして。
私はトイレに行くのも気を使うほどで、とにかく自分の部屋のドアを開けないようにしていました。
それに毎晩のように中国人が集まってきて、ものすごくうるさかったんですよね。
怖かったですよ。
何考えてるかわからないし。
正直、すごく悩みました。

そんな生活を始めて一年後、その夫婦の所に来る一人の中国人と話をするようになりました。
そこで思い切って聞いてみました。
「どうして隣の人は僕のことを嫌っているの?」
中国人「それはね、奥さんのおじいさんや親戚が戦争で亡くなっているからなんだよ」

私は激しい怒りを覚えました。
日本人と中国人の間には戦争に関して、いまだにしこりが残っています。
それは私も知っていたし、もっと建設的に話ができればいいのに、と思っていました。
日本の側の非というのは確かにあるのでしょう。
でも、私個人は誰も殺したことがないし、中国人に対して反感も何もない。
いくら戦争の恨みがあったとしても、私がそんな扱いを受ける覚えはない。
国と国との関係を個人の関係に持ち込むなんて、フェアじゃないよ。
私は怒りに震えると同時に、そんな風に考える人たちがいることに衝撃を受けたのでした。

そんな生活は2年も続きました。
その後も彼らとの関係は改善することはありませんでした。
2002年の秋ごろになって、彼らは帰国しました。
最初に奥さんが一人で帰国し、御主人が後から帰国したのですが、ある日、御主人のほうから私に話をしてきました。
そして、彼は今までの行動を謝ったのです。
「実は私の妻は極度の日本嫌いで・・・」
それは見ていてわかったんですが。
「これからは仲良くしよう」と言われて、私は涙が出そうになりました。
それはうれしかったからではありません。
2年もひどい目にあわされて、いきなり「仲良くしよう」なんて言われても、仲良くできるわけないじゃないですか!
あの2年間は本当に心から苦しみました。
「僕はこの部屋に住んでいて、一瞬たりとも心の休まることはなかったんだよ!」
彼とは挨拶程度の話をする関係にはなりましたが、友情など芽生えるはずもなく、彼は中国へと帰って行きました。

そんなとき、私は大学の学生たちに聞いたことがあります。
「皆さんはドイツ人が嫌いですか?」
このストレートすぎる質問に、学生たちは戸惑うこともなく「嫌いではありません」
彼らはきっぱりと言いました。
「ドイツ人とファシストは違うからです」
「ファシストは嫌いですが、ドイツ人は違います」

とても正しいと思いました。
私はとても感心しました。

そんなわけで、ベラルーシに住んでいて、今のドイツに対する反感などを聞いたことがないんです。
全くと言っていいほど。

実は昨日の授業で読んだテキストには、歴史教科書問題のことにも触れられていて。
そこで学生たちに「ドイツ人が作った歴史の教科書、読んでみたいと思う?」と聞くと、「今まで考えたことなかったですが、言われてみれば第二次世界大戦の記述がどうなっているのか読んでみたくなりました」

この手の話題は難しいですよね。
もうちょっと軽い内容のブログに戻します・・・

akiravich at 06:13コメント(6)トラックバック(0) 
ベラルーシの生活 | ベラルーシ人

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コメント一覧

1. Posted by Esquisse   2008年10月12日 22:45
こんにちは。
重い話も時に大切なことだと思います。臭いものに蓋とは言いますが、それだけでいいのでしょうか?今の特に若い世代(?)は嫌がるのでしょうけど。。。海外にでていると日本人であることをいい意味でも悪い意味でも意識する機会が増えるので、ただの生活記だけでは、綺麗なシーンだけを集めたTVドラマみたいな気がします。 彼らのような学生が世界で増えると明るい未来が開けるのですけど、実際に政治を決めるのは必ずしも教育ではないので改善するのは時間がかかるし難しいですよね。
2. Posted by CSO   2008年10月13日 11:59
興味深いトピックです。民族大戦勝利塔がそこら中に立っている国柄です。クラブでブレストの酔っ払い若者に絡まれ、俺たちは民族大戦争で勝利したダ〜という自慢話を聞かされたことがあり、そんな昔のこと自慢してどうするんダ〜、日本人が日露戦勝を自慢してもしょうがないのと同じだな、と思ったことがあります。その辺はハートの暖かい民族なんだろうなあと思います。
3. Posted by akiravich   2008年10月13日 15:01
Esquisseさん、こんにちは。
コメント、ありがとうございます。
確かに、日本にいたときは戦争のこととか考えたこともなかったですけど、海外にいると日本のいろんなことが見えてきたりしますね。
ベラルーシの学生たちの言った「ドイツ人とファシストは違います」という言葉、非常に大人だなあと思います。
これからもいろいろな意見をお聞かせ頂ければ、うれしいです!
4. Posted by akiravich   2008年10月13日 15:09
CSOさん、こんにちは。
えっ、クラブで絡まれたんですか?
ミンスクのクラブですよね?
若者がそういうのを自慢するのって、そんなに多いことではありません。
時々はいるんですが。
ベラルーシ人にとって大事なのはドイツ人がどうこうということではなく、「自分たちが勝ったこと」なのではないかと私は感じています。
うちの奥さんに話したら、「その通り」との答えでした。
またコメント、よろしくお願いいたします!
5. Posted by 名無しさん   2014年12月13日 12:51
>>そして、逆にソビエト側にもひどいの>>がいたそうです。特にパルチザン

たまたまたどり着きまして、コメント失礼致します。
パルチザンについては歴史的事実として、数十万人にのぼるベラルーシ人が(間接的な支援も含めて)ドイツ軍と戦いました。無論、自発的ではなく、ソ連本国の使嗾によるものではありますが、少なくとも爛僖襯船競鵑砲茲辰謄戰薀襦璽傾駝韻虐待された瓩箸いΔ海舛蕕竜述は正確性に欠けている様に見受けられます。
6. Posted by Akiravich   2014年12月15日 15:47
名無しさんへ

まず最初に、このようなことをお書きになるのなら、お名前かせめてHNをお書きになるのがフェアではないでしょうか。

「パルチザンによってベラルーシ国民が虐待された」とは私は一言も書いておりません。

ドイツ人が悪者で、ソビエトの軍人が善人というあまりにも単純化された構図で歴史を語るのは正確性に欠けるのではないかと思います。
私は実際に戦争時代を生きたおじいさんやおばあさんに直接話を聞いたのです。
正確性がないと言われるのは心外です。

パルチザンや赤軍兵の中には「俺たちはお前たちのために戦っているんだ」ということを口実に悪行を働いたものもいると聞いています。
それは別にパルチザン全員がそういう人たちだったと言いたいわけではなく、「そういう人もいた」というだけのことです。
それ以上でもそれ以下でもありません。

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山形県出身。
2000年からベラルーシ共和国の首都、ミンスク在住。ベラルーシ国立大学文学部・日本語教師。目指すのはベラルーシの金八(略してベラ金)。
愛する妻ベロニカちゃんと愛する龍二くん(5歳)とのベラルーシ生活!
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