2008年10月28日

ものをあげることが援助ですか?

今日は楽な一日。
5コマだけ。
最近は7コマとか、8コマとかありましたから、5コマだと楽に感じちゃいますね。
もう1コマ、いけそうですもん。

体も軽いですよ。
朝、腹筋とかダンベルとか、軽い運動をしたのが良かったのかも。
地下鉄の階段を駆け上がっている自分に気づいて、ちょっとニンマリ。

今日はちょっと真面目な内容で書いてみたいと思います。
実は最近、ちょっと怒っていることがあって。
その内容は具体的には書けないんですが、似たようなことが以前にあったので、書いてみたいと思います。

以前、私はよくベラルーシの病院に行って、子供たちに折り紙を教えていました。
最近は忙しくて、だいぶ御無沙汰していますが、月に一回は行っていましたね。
私にとっては、ボランティアなどではなくて、単なる趣味。
楽しいから行っているだけ。
正直、ボランティアという言葉、あまり好きじゃありません。
この件に関する私の考え方はいずれ詳しく書かせていただきます。

ある日、いつもの病院で、いつものように子供たちと遊んでいたときのこと。
突然、知らない看護婦さんがやってきて、「あなたの力を借りたいんですが、一緒に来ていただけませんか?」
何のことだろうと思っていってみると、そこは小さな物置。
そこには日本から送られてきた大量の荷物が!

たくさんのおもちゃや本、着物までいろいろ。
それを見た私の正直な感想は「ガラクタ」。
「なぜこんなものを?」というものまで含まれていました。

例えば、おもちゃ。
看護婦さんは「もらったのはうれしいんだけど、どうやって遊ぶのかわからないから、子供にも使わせてあげられないのよ」。
そりゃそうだ。
だって、「だるま落とし」なんか、ベラルーシにはありませんよ!
竹とんぼもプロペラと軸に分かれた状態では何のことやらわからず。
懐かしい感じのおもちゃばかりだったのですが、ベラルーシ人にもわかるようなものは一つもなかったと思います。
ロシア語の翻訳者に頼んででも、簡単な説明をつけるべきじゃなかったのではないでしょうか。

本も大量に。
でも、全て日本語のもの。
絵や写真が多いものを選んで送ったのはわかるんですけど、何が書いてあるのかわからないんだから、ベラルーシの子供が読むわけがないんですよね。
看護婦さんが「これ、何の本?」とかいちいち聞いてくるんですけど、それを一冊ずつ説明したら日が暮れます。
中には子供が見ても興味を持ちそうな本もあることはありましたよ。
でも、どの本も明らかに古本で。
日焼けしたみたいな感じなんですよ。
まあ、簡単に言えば、汚い。

一番困ったのは着物。
どうしろっちゅうねん!
誰が着るんだよ!
着物の着方を説明した紙が申し訳程度についているだけで。
あんな紙を見ても着られるわけがないのに。
しかも、外国人ですからね。

他にもいろいろごちゃごちゃとありました。
とにかく量が尋常じゃなかったです。
段ボール箱で10箱以上はあったのではないかと。

そして、もう一つ見せられたのが、寄せ書き。
その荷物を送ったのが日本の高校生たちで、おそらく学校中からいろんなものを集めたんでしょうね。
彼らが書いた寄せ書き。
壁新聞のような大きい紙にメッセージや絵や写真が。
英語で「がんばって!」とか、「元気を出して!」とか、書いてあるんだけど・・・

いい加減にしてくれ!
外国だから英語で書けば大丈夫!という考え自体が大きく間違っています。
ベラルーシでは何語が使われているかぐらい調べられるでしょ!?
相手のことを考えるんなら、ロシア語で書くのがまともでしょ?
日本の高校生が一生懸命ロシア語で書いてくれたほうが伝わるものがあると思うんだけど。

ここまで読んで、「言葉は関係ない。大事なのはその心」とか言う人がいるんでしょうね。
そんな人に私は問いたい。
ベラルーシと日本、こんなに離れていて言葉以外に何かを伝える方法があるんですか?
小汚い古本を送りつけてくることで伝わる心って、どんな心ですか?

その寄せ書きに書いてあった「がんばって!」とか、「元気を出して!」とかって、無責任だと思います。
じゃあ、ベラルーシの病気の子供たちはがんばっていないんですか?
がんばったらどうにかなるんですか?
がんばってもどうにもならないから病院に入院してるんでしょ。

かなり厳しいことを書きましたが、その高校生たちも彼らなりに心から子供たちのことを考えていたのでしょう。
でも、本当に考えているのだったら、もうちょっといいやり方があると思うんですけど。
看護婦さんに「この人たちとは何かつながりがあるんですか?」と聞くと、「いや、どうやってうちの病院のことを知ったのか・・・突然送ってこられて、どうしたらいいかわかんないのよ」
寄付と言っても使い方がわからなくて、物置に眠っているようじゃ、全く意味がないとしか言いようがありません。

その大量の「贈り物」を前にして、私は怒りがこみ上げてきました。
私だって、その病院まで行くの大変なんですよ。
朝の7時50分、職員用のバスに乗って45分。
ミンスクからすっごく遠いんです。
そんな大変なことができるのは、子供たちと会いたいという一心。
一秒たりとも無駄にしたくないんです。
その子供たちとはそのとき一回だけの「一期一会」。
だから、少しでも一緒にいたいんです。

なのに、なんで無責任な日本人の「尻拭い」をしなきゃいけないの?
子供たちが待ってるんですよ。
看護婦さんに連れて行かれるとき、「早く戻ってきてね!」「まだ帰っちゃダメだよ」とか言われて。
看護婦さんに頼まれたから断りはしないけど、高校生たちにはもうちょっと考えて欲しかった・・・

でも、こんなタイプの人たち、結構いるんですよ。
相手のことを考えないで、行動するボランティアの人。
ベラルーシの子供に押し付けがましくいろんなことをしておいて、後になってから「子供からの感謝の言葉が欲しい」とか言ってきたりして。
そういうのを「思いやりの押し売り」と私は呼んでいます。

あと、こちらの事情も考えないで、こうしろ、ああしろと言う人もいますね。
まるで「私たちの団体は素晴らしいことをしているのだから、あなたは協力する義務がある」みたいな感じなんですよね。
何かの理想に燃えてらっしゃるんでしょうが、私には関係のないこと。

そうそう、ボランティアの人から手伝って欲しいと言われて、断ったことがあります。
通訳を頼まれたんですが、日程が少し長かったのと、自分でもお金を持ち出さなければならなかったのとで、断らざるを得ず。
でも、そのときの空気が何か気まずくて。
まるで私がすごく悪いことをしたような雰囲気。
「まあ、それぞれ、事情はあるんだし・・・」とか何とか言っちゃって。
「私たちはこんなに素晴らしいことをしているのに、どうして手伝おうとしないんですか?」と、はっきり言ってくれたほうがわかりやすいのに。

結局、素晴らしいことをしている自分に満足してるんじゃないですかね。
私は別にそれでもいいと思うんですよ。
それが他の人の役に立っていれば。
私の折り紙教室も自己満足といえば自己満足ですし。
だって、みんな自分のために生きてるんですもん。
「自己満足でもエゴイズムでも、他の人の役に立っていれば良し」というのが私のスタンスです。

かなりきついことを書きました。
もちろん、ボランティアの方たちの中には立派な方もたくさんいらっしゃいます。
立派な活動をなさっている団体も知っています。
だからこそ、あえてこのような厳しいことを書いているのです。
私はこのブログには自分の心の中にあることをさらけ出すと決めているのです。
きれい事や面白おかしいことばかりを書くのは、私の性に合いません。

チェルノブイリ関係のことはこれからも時々書いていきたいと思っています。
書きたいことがたくさんありすぎて、何を書いたらいいのかわからないというのが本音です。
頭の中でまとまったら、また何か書きたいと思います。

それにしても、最近、病院に行ってないなあ。
久しぶりに子供たちと遊びたくなってきた。
暇を見つけて、行ってこよう・・・

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チェルノブイリ 

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akiravich

山形県出身。
2000年からベラルーシ共和国の首都、ミンスク在住。ベラルーシ国立大学文学部・日本語教師。目指すのはベラルーシの金八(略してベラ金)。
愛する妻ベロニカちゃんと愛する龍二くん(5歳)とのベラルーシ生活!
日本の皆さまにベラルーシ一般国民目線のベラルーシを御紹介!

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