2013年03月11日

東日本大震災から2年・・・ベラルーシで思うこと

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日であの東日本大震災から2年が経ちました。
被災された皆様の中には未だに不自由な生活を余儀なくされている方々、悲しみに打ちひしがれている方々、様々な困難に直面されている方々などが多くおられることと思います。
皆様の一日も早い復興、一日も早く心安らかな生活を取り戻されることを心よりお祈り申し上げます。

失ったものは大きく、心の傷は深く、その深淵を覗き込もうとすれば、私には到底耐えられないほどの痛みが心の底から湧きあがってきます。
当事者でない私は想像することしかできませんが、自分の家族をあのような理不尽な災害で失うことは想像するだに恐ろしいことです。

人生には時が解決してくれるものと解決してくれないものがあるように思います。
復興しなければならないものの中には「心の復興」もあるように思うのです。

こんなことを書いていながら、自分は何もできていないことに歯がゆさを感じます。
私ができることは日本とベラルーシの橋渡し的な仕事だけなので・・・
私としては、ベラルーシでこれまで蓄積されてきた知識や経験が少しでも日本の、そして福島の復興に役立てばという気持ちでいます。

2012年3月11日からの震災後2年目は福島のことが頭から離れない一年でした。
通訳の仕事も非常に多く、4月の国会事故調の仕事を皮切りに、福井県議会、福島県議会、福島視察団と多くのチェルノブイリ関連の仕事をしてきました。
普段の生活の中でも、福島関連のニュースは必ず読むようにし、様々な資料に目を通しました。
それは仕事のためという側面はもちろんありますが、それ以上に一人の人間としてという意味合いも持っています。

外国に住んでいると、自分が日本人であることを強烈に意識する瞬間があります。
2011年3月11日から、私の心の中ではその瞬間が続いています。
もはや瞬間ではなく、持続した状態です。




ベラルーシのチェルノブイリ関係の省庁ではよく「もう復興の段階ではなく、発展の段階なのだ」という言い方をよく耳にします。
確かに、ベラルーシはすでに27年近く経っているだけあって、整っていますし、汚染地域の一般の人たちも放射能との「共存」に違和感を感じていないように見えます。

しかし、ベラルーシも事故当時は混乱を極めたのではないかと推測します。
「推測」と書いたのは、その当時の話というのがほとんど出てこないのです。
非常に大ざっぱな話として、「最初は手探り状態だった」という話が出てくる程度です。

今のベラルーシの現状と比べれば、福島の復興の道のりはまだまだ遠いのではないでしょうか。
まだ始まったばかりという感じがします。
気が遠くなるような道のりですが、前に歩いていくしかないのでしょう。




私は通訳という仕事で直接的に福島の方々のお手伝いをすることがあるわけですが、日本語教師としての仕事も非常に重要な意味を持つと考えています。
去年の11月、福島市からの視察団がベラルーシを訪れた際、私は4人の学生を同行させました。
彼らは福島市の方々との交流を通して、今の福島の現状を知ることができたと思います。
そして、彼らのような若い世代がこれからの日本とベラルーシの関係発展に努力していくのだろうと思います。

私は近いうちに大学で東日本大震災をテーマにした授業をしようと考えています。
次にいつか福島やその他の被災地の方がいらっしゃったときは、ぜひ大学に来ていただき、学生たちとお話していただけないかと考えています。
もしベラルーシにいらっしゃる方で、お時間を割いてくださる方がいらっしゃれば、ご連絡をいただければと思います。




私は大震災や福島原発のことを「伝える」ことは非常に重要だと思っています。
それは日本国内で情報を共有すること、正しい情報を伝えることはもちろんのことです。
そして、外国の人々にも知ってもらうことは重要な意義があるように思うのです。
私は大震災発生直後、ベラルーシの人々がどんなに心を痛めていたかを自分の目で見ました。
彼らの中ではチェルノブイリという同じ痛みを持つものとしての親近感を日本の人たちに感じているのです。
これから福島の復興にベラルーシの知識を役立てたいと考えいている以上、そのベラルーシの人たちに震災の当時の状況や福島の現状を伝えることは、義務ではないかと考えています。

これまでの福島関連の視察団はチェルノブイリ関係で日本で役立つ情報を集めることを主にやってきました。
しかし、「役に立つ情報をもらいました、はい、ありがとうございました」というだけでは、ベラルーシ人としても腑に落ちない部分があると思うのです。
これからはそれだけでなく、日本のこと、そして福島のことを伝えていくことも大事なのではないかと思います。
日本側の現状も伝えないで、「協力して欲しい」とだけお願いするのは虫が良すぎるように思うのです。
一方通行でない、本当の「交流」をしていかなければならないと思います。

ただ、中にはベラルーシの方たちに対して、プレゼンテーションをした日本の団体の方もいらっしゃいます。
相手は専門家の人が多かったのですが、彼らの反応は「そんなことは知っているから、早く質疑応答に移ろう」というものが多かったです。
彼らの反応はごもっともで、チェルノブイリのことを専門にしていたら、福島のことは当然注意して観察しているでしょう。
私がいろいろと伝えてほしいと思うのは一般のベラルーシ人に対して、ということです。

今、私が考えているのは、福島の方々と一緒にベラルーシで催し物が開けないかということです。
例えば、震災の状況を伝える写真展ですとか、福島原発の事故当時、そして現状を伝えるためのシンポジウムですとか。
何らかの形で実現できればと考えています。




私の通訳としての仕事は、コーディネーターとしての側面も持っています。
これまでの通訳の仕事を通じて、ベラルーシの様々な関係機関とのコネクションを構築することができました。
どこへ行けば、どのような情報が得られるのかというのは、ある程度把握しているつもりです。
日本人の方が欲しい情報は何なのか、行きたいところはどこなのか、という希望を聞いて、それを視察の日程に反映させることも私の仕事だと思っています。

日本の団体の方がいらっしゃった場合、訪問先は大体決まっています。
非常事態省や放射線学研究所などがスタンダードなところです。
多くの関係機関に私は知り合いがいますので、訪問時により建設的な話をするための段取りをするようにしています。

決まった訪問先を訪れるのもいいのですが、私としては一般の日本人の方がいらした場合は、一般のベラルーシ人の生の声を聞く機会をもっと作れないかと考えています。
私は一度だけ、実際に汚染地域に住んでいた方で、すでにミンスクに移住された方々のグループの通訳をしたことがあります。
それは政府の機関では聞けないような生の声でした。

それは「政府が情報を隠している」とか「政府の情報は間違っている」という意味ではもちろんありません。
政府機関の話では「移住した人々は住居も無償で提供され、雇用も保証されているので、みんな満足している」ということなのですが、それは正しい話です。
実際、移住者のグループの方たちも全員、政府がしてくれたことには満足しているという意見でした。

しかし、それは物質的な面であって、精神的には望郷の念を強く持っている人が多かったです。
中には涙を流している人もいました。
自分が生まれ育った町や村を捨てなければならなかったのですから、それは当然でしょう。

そのような痛みを持つベラルーシ人と日本人が精神的に共有できる部分はきっとあると思うのです。
何か痛みを持つ同士が助け合うことはきっと意味があると思うのです。
私の中ではまだ漠然としているのですが、何かできることがあるのではないかと考えています。




ベラルーシの「これまで」の経験を日本の復興に生かすことは非常に大事だと思います。
しかし、それにとどまらず、ベラルーシの「これから」と日本の「これから」をリンクさせていくような取り組みがこれから必要になってくるように思います。

遠いベラルーシという国にいて、自分ができること。
それはそんなに多くはないのかもしれませんが、少しでも日本の皆様のお役に立てればという想いがあります。
そして、ベラルーシと日本の関係が相互にとって有益なものになることを願っています。

akiravich at 23:10コメント(2)トラックバック(0) 
福島 

トラックバックURL

コメント一覧

1. Posted by ほんま   2013年04月06日 03:44
ご無沙汰しております。
福島市民視察団では大変お世話になりました。大学4年の本間です。
だいぶ遅れての長文コメント、失礼いたします。

記事を読んでいて、全くその通りだと思いました。視察の際に時間がなかったことは仕方がありませんが、もっともっと市民目線での場がほしかったなと。住民との質疑応答の時間はほんのわずかで、あまり福島の状況を伝えることなく自分たちがベラルーシの話を聞いて終わったような気がするのです。

もちろん「視察」という名目ですので、それは間違いではないのかもしれません。ただ、一方的に一問一答のようになってしまい、なんとなく心残りがありました。

そのような中、4人の学生と交流できたことは本当に大きなことです。今後とも、放射能の話に限らず関わっていきたいと思っております。

せっかく国を越えて会うのであれば、行政や制度、成果だけでなく「こういった状況でこういう想いがある」というような個々人の意見こそ、ざっくばらんに伝え合える機会が大切なように感じました。

ベラルーシのことを参考に進んでいくのだけでなく、事故から2年が経過している福島の現状を伝えることもまた、交流の役割であり、責任です。私たちが自分の目でベラルーシを見に行くのと同様に、福島に住む者にしか伝えることのできない現状があるはずだと、先生の記事を読んで改めて考えました。
2. Posted by Akiravich   2013年05月14日 18:11
ほんまさん、こんにちは。
だいぶ遅れてのレス、すみません。

私も全く同じ気持ちで、一般市民の方々との同じ目線での交流がほとんどできなかったことが心残りなのです。
オフィシャルな見解などは本やインターネットを読めば済むことですが、実際にチェルノブイリで苦しんだ人たちと思いを共有することは現地に行かなければできませんから。

7月にも二回目の市民視察団が訪れる予定です。
そのときは何とか交流の時間をもっと取ってもらえるように努力したいと思います。

福島でお会いしましょうね!

コメントする

名前
URL
 
  絵文字
 
 
livedoor プロフィール
Twitter プロフィール
ベラルーシでの生活は楽しいな♪
メッセージ

名前
メール
本文