2015年07月04日

ベラルーシで原爆詩の朗読を

こんにちは。
はぐれミーシャです。
ご無沙汰しております。

私は明日、日本へ一時帰国します。
その前に、ベラルーシにいるうちに書いておきたかったことを一つ書いておきたいと思います。
それは今年の3月にやった原爆詩の朗読についてです。

とりあえず、動画を貼り付けます。
正直、日本人の皆さんに見ていただくのは怖い、というより、恐怖を感じます。
自分では全く納得しておらず、自分の朗読のビデオを見て、愕然としたからです。
どうしても、自分のこととなると、評価が厳しくなるものですが、これは本当に自分でも納得できないのです。

しかし、今の自分をさらけ出すことに意味があると考え、ここに出すことにしました。
ダメな自分も自分。
ありのままの自分を出してみたいと思いました。



朗読会を思い立ったのは2月のことでした。
プライベートでいろいろと苦しい時期があり、そんな時期にふと「何かやらなければ」という気持ちになったのです。

原爆詩の朗読というのは以前からあったアイデアでした。
しかし、朗読するのは私ではない、というのが当初の考えでした。

私は吉永小百合さんの原爆詩の朗読をNHKのドキュメンタリー番組で聞きました。
それ以来、朗読の会をベラルーシで開けないかと考えていたのです。

ベラルーシ人の中には「日本とベラルーシは悲劇で結ばれている」という人が少なくありません。
ここでいう悲劇は言うまでもなく、広島、長崎、チェルノブイリ、そして福島のことです。
そんなベラルーシで原爆詩の朗読を行うことには大きな意味があると私は考えたのです。
ベラルーシでは「ヒロシマ」「ナガサキ」という言葉は知られていますが、実際に何があったのかを知っている人はほとんどいません。
そんなベラルーシの人たちにもっと知ってもらいたいと私は考えました。

実際に長崎の方に「ベラルーシに来て朗読してくださる方がいれば」という話をしていました。
もちろん、吉永小百合さんに来ていただきたいと考えましたが、それは夢のような話で・・・

「ベラルーシに来てほしい」と言っても、相当なお金がかかります。
私がお金を出すのならいざ知らず、「自腹で来てくれませんか?」というのは虫が良すぎる話。
誰にお話をしても、話が先に進むことはありませんでした。

次に私の頭にひらめいたのは、学生たちに読ませること。
学生たちに日本語で読んでもらおうと考えたのです。

しかし、実際に詩の本を取り寄せて読んでみると、精神的な負担があまりにも大きい。
読むだけでも辛いのに、それを朗読するとなると・・・
学生たちにその「詩を生きる」ことを強いるのはあまりにも残酷だと考えました。

そして、そのまま時は流れ・・・
結局、そのアイデアが生まれてから4年近くが経過してしまいました。



今年になってから、精神的に苦しむ中、私は「何かしなければならない」という衝動に突き動かされました。
そこで、ふと朗読のことを思い出したのです。
2011年の東日本大震災以降、福島関連の通訳の仕事が増え、チェルノブイリにも何度か訪れる機会がありました。
そのことも今回のことを決める大きな要因になりました。

人に任せるのではなく、自分でやってみよう
とりあえず、自分がやってみせよう



私はすぐに本を手に取り、声を出して、詩を形にしようとしました。
初めて声を出して原爆詩を読む感覚は苦しいものでした。
そして、その苦しさは強まりこそすれ、本番の時まで消えてなくなることはありませんでした。

私が初めて人前で朗読したのは、私の学生で、私の会社で働いているカーチャさんの前です。
あまりの内容に絶句していました。
私は彼女に聞きました。
私「この朗読、みんなの前でする価値があるだろうか」
カーチャさん「はい、あると思います」
その言葉に後押しされ、私は朗読会を開く決意をしました。

それは非常に辛い道のりでした。
練習と言っても、何度も読めばいいわけではありません。
一日に何度も真剣勝負はできません。
読むたびに自分の心が削られていくような気持ちでした。

その詩を生きること。
それが詩を読むための唯一の道でしたが、私が「生きた」ものは実際に「生きた」人々の悲しみ、苦しみ、全てを投げ込んだ地獄の諸相の何万分の一に過ぎないことが、より私を戸惑わせ、ある種の絶望の淵へと追いやりました。

全くやったことがないことをゼロからすることは面白い場面もありましたが、手探りで迷いながらの辛い作業でした。
感情を込めていくと芝居がかってしまうのです。
練習の際はカーチャさん、もう一人の学生でありながら教師をしてもらっているマリーナさんの二人に聞いてもらうことが多かったのですが、あまりにも熱がこもった時の方が二人には不評だったりしました。
聞いている二人の間でも、感情がこもった方がいいという意見と、もっと抑えた表出方法のほうが伝わるものが多いという意見に分かれてしまいました。

感情を抑えて読むこと。
私は迷いに迷いました。
しかし、私は吉永小百合さんのような静かな、そして確かな表現力は持ち合わせていません。
私は自分にできることをしようと、開き直れたのは朗読会の開催の数日前でした。

「どうせやるなら」ということで、私は音楽にもこだわることにしました。
最初は吉永小百合さんと坂本龍一さんのように朗読に音楽を重ねることを考えたのですが、それを自分でやってみると、どうしても音楽に引っ張られてしまって、朗読ができなくなってしまいました。
なので、オープニングとエンディング、そして詩と詩の間に音楽を入れることにしました。

選曲は私の趣味がかなり反映されています。
フィリップ・グラス、武満徹、伊福部昭などなど。
現代音楽がピッタリ来るだろうと思ったのです。
観客の皆さんには好評でした。

そして、照明。
できるだけシンプルに。
光と影を作ろう。
私は冬に一緒に仕事をしたCM制作などを手掛ける会社を経営する友人に照明機材を貸してほしいとお願いしました。

ギリギリまで準備をしましたが、照明と音楽を本格的につけた形で朗読する練習はできず、最終的な形はぶっつけ本番ということになりました。
私の頭の中のイメージが形になるのはうれしいことでしたが、本番がどうなるかはその時次第でした。

体重も落としました。
食事をかなり減らし、毎日エアロバイクでトレーニング。
誰の目から見てもわかるほど、やせていきました。
なぜかそうする必要があると感じたからです。

会場は私が経営する「東洋語センター」の教室。
椅子の数は頑張って30個。
しかし、実際は立ち見が出るほどで、おそらく50人近くは入っていたと思います。
せまい教室の中で蒸し暑く、息苦しいと不満を言う人も後で出てきましたが、それもある意味では少しだけ計算していました。
8月の太陽と結びつけるのは安直かもしれませんが、それもいいだろうと思ったのです。

観客のほとんどは私の学生でしたが、私が招待したかった日本人の方をお二人、そして懇意にさせてもらっているロシア正教のシスターの方をご招待しました。

プロジェクターの不調で、開始時間が10分ほど遅れてしまいました。
このYoutubeのビデオにはありませんが、最初に広島の原爆のことを紹介するスライドが流れています。

DSC_0168始めはあまり調子に乗り切れませんでした。
自分なりにはしっかり読んだと思うのですが、少し空回りしている感じが自分でもしました。

詩と詩の間は音楽だけで、余計なものは挿入しませんでした。
私は照明の当たっているところから、当たっていない暗いところへ行き、呼吸を整えたり、苦しみをため息に変えたりしていました。
私が苦しんでいるところも朗読の一部としてとらえたのです。

あとから、照明とビデオ撮影をやってくれた友人二人から、「詩と詩の合間にビデオを流したり、写真をプロジェクターで映し出したりしたほうがよかった」と言われました。
しかし、学生たちからは「あれでよかった」と全員に言われました。
詩一つ一つが受け止めるのに辛い内容。
詩と詩の合間の何もない時間は、誰かにとってはクールダウンの時間であり、他の人にとってはその意味を深くとらえる時間であり、悲しみに沈む時間であり。
多くを語らずして、読む者や見る者の想像に委ねることによって完成させると言う日本的な発想に基づいたやり方でした。

DSC_0179朗読を進めるにつれ、自分の中でも熱いものが止められなくなっていきました。
照明が顔にもろに当たっているせいもあり、聞いている人たちの顔は全く見えませんでしたが、すすり泣く声が聞こえたり、耐え切れず廊下に出ていく人もいました。

手や体の動きは最小限にとどめました。
素人の私が動いても、わざとらしく見えるだけだと思ったからです。
それに、内容的にも動きはいらないと思いました。

ただ、流れている音楽を止める時、手で合図をしました。
その手の動きが雰囲気に合っていたという人が多かったです。

DSC_0180最後の詩を読み終わりました。
読み終わった瞬間、照明が落ち、ギターの音楽が流れるという寸法でしたが、照明が落ちるタイミングが若干遅れました。

そして、音楽が流れない。
私は焦りました。
友人である照明さんと、友人の紹介で来てくれたある劇場の音響さんには、最後のところだけはタイミングを外さないでくれと散々お願いしていたのです。

結局、5〜6秒遅れで音楽が流れだしました。
その数秒間、観客たちは暗闇の中で置き去りにされました。
逆に、それがよかったようで、音楽のタイミングが遅れたことを言うと、学生たちは「えっ?そうでしたか? 全然気になりませんでした」

あとで、音響さんのところに行くと、「すみませんでした!」
音響さんの隣にはマリーナさんが座ってキューを出していたのですが、彼女が小声で「早く音楽を!」と言うまで音響さんはずっとボーっとしていたそうです。
音響さん「聞き入ってしまって・・・」
そう言ってもらえて、私としてはとてもうれしかったです。

ビデオ撮影をしてくれた友人も同じことを言っていました。
聞き入ってしまったせいでビデオのメモリーカードのチェンジのことを忘れてしまい、チェンジするまでに私が間をつなぐ羽目になってしまいました。

でも、聞き入ってもらえたのは自分の力ではなく、詩の内容なのだろうと思います。
私には修業が足りません。
更なる精進が必要だと感じました。

学生たちの反応はあとから聞いたものですが、好意的なものでした。
中には何の朗読か全く知らずに来て、かなりの衝撃を受けた女子学生もいました。
「何かとりついているように見えました」「いつもの先生とは別人に見えました」「聞いているのが辛かったです」など、いろいろな反応でした。

DSC_0203最後に記念写真。
向かって、私の左隣にいるカーチャさんと右隣のマリーナさんには本当にいろいろと手伝ってもらいました。
二人には詩を全てロシア語に翻訳してもらいました。
カーチャさんにはプロジェクターで映す字幕やスライドの作成もやってもらいました。

その作業は二人にとってはあまりにも辛いもので、二人とも「こんな詩を読んで、先生は大丈夫ですか?」と何度も聞かれました。
そして、私は彼女たちのことを心配しました。
二人とも感じやすく、練習しながら一緒に深い闇に沈んでいくのが私にはわかったからです。
同じ時間を生きてくれたことに感謝。
本当にありがとう。

左端にいるナースチャさんは私が最も信頼している学生の一人。
今は東京の大学で勉強しているのですが、ちょうど3月にベラルーシに一時帰国していたので、照明など細かいことを手伝ってもらったのです。
すでに私が教えていない学生と一緒に何かできることは幸せです。
教えていなくても、学生と先生という関係は変わりません。
彼女にとっても、原爆詩を聞くのは辛かったと思います。
手伝ってくれて、ありがとう。


もう一度やりたいです。
辛いのはわかっています。
自分を追い込み、ギリギリの精神状態で読む作業は非常に苦しいものです。
でも、だからこそやる意味があります。
そして、ベラルーシの人たちにもっと広島・長崎、そして福島のことを知ってもらいたいです。

大学でもやって学生たちに聞いてもらいたいですし、汚染地域の町にも行きたいです。
昨日はキエフのチェルノブイリ博物館に行ってきたのですが、そこでもやらせてもらえないかという話をしてきました。

でも、やらせてもらうには自分の朗読をもっと深化させていかないといけないと思います。
時間が必要です。

そして、カーチャさんとマリーナさんの助けが必要です。
信頼する二人を道連れにするようで悪いのですが・・・

原爆詩の朗読の後、私や聞いていた人たちの心の中に残ったのは、祈りの気持ちではないでしょうか。
平和への祈り、間違いを繰り返さない決意。

もう一度、朗読やります。

akiravich at 07:16コメント(3)トラックバック(0) 
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コメント一覧

1. Posted by tsujitsuji   2015年07月05日 21:17
身を削りながら災禍を伝えようとするお姿に敬服致します。私ももっと主体意識を持たねばと反省致しました。
2. Posted by マカカちゃん   2015年07月22日 03:07
こんな記事もお書きになられていたのですね・・・。日本語教育について私は間抜けなことをお聞きしてしまったのかもしれません。恥ずかしい限りです。敬服致します。
3. Posted by Akiravich   2015年08月17日 03:49
コメント、ありがとうございます!
もっともっと深い表現ができるようになりたいです。
がんばります!

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