2016年03月11日

東日本大震災から5年・・・ベラルーシからの視点「安全だから検査をやめるのではなく、検査をするからこその安全」

おはようございます。

震災から5年目の朝を迎えました。

5年というと長い感じがしますが、時間の長さというのは一人一人にとって相対的なものであって、おそろしく長い1秒もあれば、おそろしく短い1日もあるように思います。
これまでの5年間の長さ、そして重さは人によってまちまちなのではないかと思います。
私にとってのこの5年間は確実に長く、重いものでした。

あの震災の日のことは今でも忘れることができません。
山形にいる家族や仙台に住む友人や親戚の安否が気がかりでした。
テレビで流れる津波の映像のすさまじさに言葉を失いました。

そして、それに続く福島原発事故。
テレビで流れる映像を見て、すぐに私の頭に浮かんだのは「チェルノブイリと同じことになるのではないか・・・」という強烈な恐怖でした。
そして、その時は私が直接的に通訳として、この件に関わっていくことは正直予想していませんでした。

福島原発事故後の最初の通訳の仕事は農林水産省の方々の通訳でした。
聞いたこともない日本語・ロシア語の言葉が飛び交い、非常に戸惑ったのを覚えています。
移行係数などという言葉もそれまでは聞いたことがないものでした。
直接の訳語がわからない時は、その言葉の意味や内容を説明をして切り抜けました。
おそらく、福島の方々も移行係数や半減期など、それまでの人生で聞いたこともない言葉を耳にして、大いに困惑されたのではないかと思います。

2011年の秋には非常に大規模な視察団がベラルーシにやってきました。
その通訳では大きなプレゼンテーションでの通訳がありました。
そして、かなりの土地が汚染されているゴメリ州の中心都市ゴメリや、汚染地域に隣接する小さな町コブリンにも行きました。
その道の専門家の方々の通訳は非常に難しい内容でしたが、自分も山形の人間として、東北の人間として、何よりも日本人としてこの問題に関わっていこうという決意を強く持つきっかけになった仕事でした。

国会事故調の方々の通訳もさせていただきました。
メンバーの方々の真剣さが伝わってきて、「この人たちは本当に日本の、そして福島のために努力しておられるのだな」と思い、感銘を受けました。

福島県議会の議員の皆様ともご一緒しました。
政治家の立場から強い想いを持ってベラルーシまでいらしたのが印象的でした。

福井県の議員の方々とご一緒した時は体調を崩してしまい、大変ご迷惑をおかけしてしまいました。
ゴメリにはご一緒することができ、原発を多く抱える県の事情というものを垣間見ることができました。
おととしになりますが、福井県にお邪魔させていただき、現在のベラルーシの状況をお話しさせていただく機会もいただきました。

福島市の視察団は2回、ご一緒させていただきました。
人数が多かったので、私の学生たちも通訳アシスタントとしてご一緒させていただきました。
彼らにとっても福島の現状を知ることは非常にいい経験だったのだろうと思いますが、それと同時に、自分たちが住んでいるベラルーシという国の現状を知ることができたのは大きな収穫だったのではないかと思います。
ベラルーシに住んでいても、チェルノブイリということを肌で感じる機会が少なくなっており、特に今の若い世代のベラルーシ人にとってはチェルノブイリは歴史的出来事として捉えられることが多いのです。
これを風化と呼ぶべきか、時が優しく解決してくれたと言うべきか・・・私にはわかりません。

このようにこの5年間を振り返ってみると、私にとっても激動の5年間でした。
通訳で出会った方々とはその後もいろんな形で交流させていただきました。
それは日本人の方々もそうですし、ベラルーシ人の方々ともいろいろお付き合いさせていただいています。
ベラルーシ人の中では特にゴメリの放射線学研究所の元所長さんで、国立ゴメリ大学の生物学部長のアヴェリンさんには非常によくしていただいています。

多くの人との関係は私にとって人生の財産のようなものです。
私は父親に「俺の一番の財産は友だちだ。お金の財産はないけど、友だちはそれ以上の価値がある」と教えられてきました。
ベラルーシという日本から遠く離れた国で、父親の言葉をかみしめています。

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そのような仕事の中で、私もベラルーシに住む人間として、多くのことを考えさせられました。
ベラルーシの検査体制や除染のやり方もそうですが、日本との考え方の違いなどもかなり見て取れました。

ベラルーシでは事故から約30年が過ぎ、「すでに復興ではない」という考え方をしています。
「今は発展の段階である」というのが今の考え方です。
30年経った今だからこそ言える言葉だと思います。
これまでの苦闘の道のりがあったからこその言葉なのでしょう。

実際、汚染地域にある町などを訪れると、全く暗さは感じません。
むしろ、町が整備されていて、非常にきれいな印象を受けます。
もちろん、田舎の町なので整備されていないところもありますが、そのことはチェルノブイリとは全く無関係です。

そして、放射能に対する考え方も日本人とベラルーシ人では違っていると思います。
汚染地域の住民の中で、放射能を恐れている人というのは出会ったことがありません。
子どもたちに聞いても、「正しい知識を持っていれば、怖がることは全くない」という意見が返ってきます。

もちろん、こう書くことによって、ベラルーシの方が上だとか、そういうことを言いたいのではありません。
事故後の時間の長さが違いすぎます。
この状況に至るまでの道のりはベラルーシも楽ではなかったはずです。

今の現状などは私も目にしますし、話しもよく聞きます。
ただ、そこに至るまでどのような過程があったのかがよくわからないのです。
事故直後の話しもよく出ますが、私が今興味を持っているのは事故から数年経った後のベラルーシの汚染地域です。
例えば、チェルノブイリ事故から5年経ったベラルーシはどうだったのでしょうか?
そこに視点をおいて、調査してみたいという気持ちでいます。

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つい最近、産経新聞の記事に気になる内容のものがありました。
福島県でコメの検査をしていることに関して、役所の人が生産者から「いつまで検査を続ければいいんだ」と言われる、という内容でした。
福島県では今もコメの全量全袋検査が行われています。
基準値は1キロ当たり100ベクレルですが、基準値を超えたものは26年度産のものからは一つも出ていません。

「いつまで検査を続ければいいんだ」という発言が出てくるということは、いつか検査をやめることを前提に話をしているということではないでしょうか。
確かに、基準値を超えた放射性物質の量のものが検査しても出てこないのであれば、検査自体の意義を問うような発言が出てきても不思議ではありません。

ベラルーシの場合、現在基準値を超える放射線量が検出されるのは森で採ったキノコやベリー類、そして野生の動物の肉が主です。
その他の一般食品に関しては基準値越えはほとんどありません。
例えば、牛乳の場合、基準値を超えるのは個人の自宅で飼っている牛の牛乳の場合だけです。
汚染されている牧草を食べた牛の牛乳から検出される場合があります。
もちろん、ここの牧草は食べてはいけない、ここで放牧してはいけないなどと、地元の役所などは広報活動をしているのですが、それでも違反したり、間違ったりする人がいた場合は牛乳の検査で違反や間違いが分かってしまうことがあるのです。

ベラルーシのとある検査場でのこと。
検査場の職員の方の説明「キノコやベリーなどの『森の恵み』以外の食品で基準値を超えるものが出ることはありません」。
そこで日本人の方が質問しました。
「基準値を超えるものが出ないのなら、検査をやめてもいいのではないですか? どうして検査を続けているんですか?」
検査場の職員の方の答えは・・・
「それは違いますよ。検査を続けているからこそ(基準値越えが)出ないんです」(カッコ内筆者)

私はこの検査場の職員の方の答えに感銘すら覚えました。
安全を守るための検査であり、安心するための検査ではないということでしょうか。
「基準値越えが出ないからもうやめよう」というのではなく、「基準値越えが出ないように、監視していこう」。
もちろん、チェルノブイリと福島では汚染の度合いや放出された放射性物質の種類も違うので、単純に比較はできません。
しかし、検査を続けることの意味は非常に大きいと思います。

放射性物質の検査を続け、その結果安全で安心して食べられるものであるということをアピールするしか方法はないような気もします。
客観的なデータ、客観的な事実の積み重ねしか、突破口はないように思います。
しかし、現状を覆すのは並大抵のことではないように思います。
風評被害の話を聞いていると、イメージや感覚的なものに支配されやすいのは日本人のメンタリティーなのかなと思ってしまいます。

ベラルーシ人は客観的な事実に対しては信頼をおきます。
汚染地域で言えば、「なんとなく怖い」とかそういう曖昧なイメージで何かを判断することはありません。
測定し、その結果、食べられるか食べられないか判断する、というごく普通の生活の営みです。

もちろん、最初から客観的なデータを見て冷静に判断するということができていたのかどうかは、ベラルーシ人であっても疑わしいところはあります。
ベラルーシ人もここに至るまでは様々な変遷があったのではないかと思います。
ベラルーシでは事故後数年間は汚染地域の人たちへの差別などもあったと聞いています。
日本はまだまだ精神的に事故後の混乱状態を抜け出せていない部分が残っているのではないでしょうか。
時と共に、そして食品の検査などを行う人々の努力によって、少しずつ解決していく問題なのかなと思います。

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つい最近、自分の学生たちに質問してみました。
「(汚染地域が多い)ゴメリ州の製品を何も気にしないで買いますか?」
22人中、「気にする」と答えたのは1人。
正直、1人いること自体に非常に驚きました。

私がベラルーシに住み始めたのは2000年の8月。
その頃は「気にする」と答える学生はグループの半分ぐらいでした。
「私の母はゴメリ州の物は買いません」「表示を確認してから買います」

でも、今ではほとんどの人が気にしなくなりました。
それがいいのか悪いのかは別問題だと思います。
国の政策として、チェルノブイリという問題を国民に常に意識させるような方向性を取っていないというのもあります。
簡単に言えば、「風化促進」とでも言えばいいのでしょうか。
しかし、客観的なデータの積み重ね、食品加工業の向上におけるトリプルチェックなど、そのような不断の努力が実を結んだという側面もきっとあると私は思っています。
そういう意味では、福島の現状というのは道半ばなのかなと思います。

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もう一つ気になることが。
福島の方から「福島のことに関しては、あまり自由にモノが言えないんですよ」ということを聞いたことが何度かあります。
インターネット上で何か書くと叩かれるから書かない。
何らかの形で発言すると、賛成してくれる人もいるかもしれないが、反対する人も出てくるから、何も言えない。

うーん、日本は言論の自由がある国ですよね?
言論の自由があるかどうかと発言しにくい雰囲気というのはちょっと論理が飛躍しているかもしれませんが、自由に発言できない空気というのは健全な状態とは言えないと思います。
私はドンドン発言し、議論していくべきことではないかと思います。

インターネット上の発言の中には事実に基づいていないものもあると思います。
怪しい情報も見かけたことがあります。
ベラルーシについては「奇形児が生まれている」とか、「生まれてくる子供たちの多くが健康問題を抱えている」など、とんでもない情報も多くみられます。
この問題に関しては、2012年12月25日「ベラルーシはそんなにかわいそうな国ですか?」をご覧ください。

インターネットというのは怖い媒体だと思います。
そこに書いてあることが真実かどうかは知る術もないことが多く、そこに何か書く人の中には自分というフィルターを通した内容、厳しい言い方をすれば、自分に都合のいいことしか書かない人もいます。
それをあたかも事実であるかのように、疑いもなく受容するのは非常に危険なことだと私は思います。

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今年は福島原発事故から5年、チェルノブイリ原発事故から30年という節目の年を迎えました。
毎年3月11日が近づくと、震災や福島原発事故に関する記事やニュースが多くなります。

日本人は節目が好きなんだなあと感じます。
ちなみに、ロシア語では「節目」という言葉は訳すのが難しいです。
どういえばいいのでしょうか・・・

しかし、現実にそこに住んでいる人たちにとっては普段の生活。
切れ目も節目もなく、絶えることなく続く現実です。

福島の新聞では常に原発のことが記事になっていますね。
しかし、他のところではどうでしょうか。
数年前、西日本のある県に行ったとき、福島の話をしたところ、まるで他人事の反応。
日本人としての連帯感はないのだろうかと、がっかりしたことを覚えています。

これは福島だけの問題ではなく、日本人全体の問題であるということを意識すること。
そのために重要なのは教育だと思います。
事故後最初の数年間は除染など喫緊の問題に取り組むためにベラルーシに視察に来る方が多かったのですが、ここ数年は教育や法律の専門家の方が増えてきています。

2014〜2015年はベラルーシを訪れる日本人の数が急激に減りました。
2012〜2013年は視察団の数も多く、通訳の仕事も多かったのですが、その後、仕事の数も減少しました。
特に、汚染地域を多く抱えるゴメリ州の人たちからは「日本人の人はめっきり来なくなっちゃったね」と言われるようになりました。

しかし、ベラルーシと日本の関係はこれからのような気がします。
ベラルーシはある意味、日本の先人。
チェルノブイリ事故後30年間の経験の蓄積があります。
住民に対する情報提供のあり方、教育活動のあり方など、その先人から学ぶべきことはまだまだあるように思います。

2016年という節目の年に当たり、今年ベラルーシを訪れる日本人の数はまた増加しました。
しかし、これが一過性の現象ではなく、常にある取り組みとして続いていくことが望ましいのではないかと思います。

これまでは日本から来た人たちが福島の復興に役立つ情報をもらうだけという一方通行的な関係が多かったと思います。
それでは「交流」とは言えないと思うのです。
これからは日本の現状をベラルーシの人々に伝えていくことも重要になっていくと思います。
ベラルーシの方からよく言われるのは「今、福島がどうなっているのか知りたい」「知りたくても、情報があまりにも乏しい」。

チェルノブイリ関連でベラルーシにいらっしゃる日本人の方々に「できれば、福島の現状を皆さんの前でお話しいただけませんか?」とお願いすることがあります。
以前は「視察に来ているのだから」「こちらが情報をもらいたいのであって、こちらから発信する余裕がない」という趣旨のことをおっしゃる方が多かったのですが、ここ数年は私からのお願いに応じて下さる方も増え、去年は私が勤務する大学や汚染地域の教師のみなさんの前でお話しくださった方もおられました。
ベラルーシと日本がより成熟した関係になっていくためには、お互いの現状を知ることから始めないといけないように思います。



東日本大震災で亡くなられた方々に心より哀悼の意を表したいと思います。
そして、福島原発事故で自らの町や村を離れることになってしまった方々に、いつか故郷に戻れる日が訪れることを心より願っております。


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チェルノブイリ | 福島

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コメント一覧

1. Posted by かまくら   2016年03月12日 05:38
5年前の大震災の事をイギリスでもここ数日ニュースでやっています。
私は偶然「チェルノブイリの祈り」という本を数日前から少しずつ読み始めたところで、色々考えさせられています。
震災5年で、今は「風化」しないように努めることが日本では大事な感じになりつつありますね。
感じることは沢山ありますが、一番大事なことは「次世代に安心して暮らせる地球」を作ることが大人の役目だと思っています。そのためには矢張り風化させないこと、安全を継続して確認していくことが大事なのでしょうね。
2. Posted by Akiravich   2016年03月13日 13:47
かまくらさま

ベラルーシではあまり大々的にこのニュースを取り上げてはいないようです。チェルノブイリ事故からも30年という節目の年なのですが。

忘れようというベクトルよりは忘れないで、間違いを繰り返さないようにしようという方が建設的で、将来にもいいように思います。

「チェルノブイリの祈り」、だいぶ昔に読みました。読み返してみたくなりました。
3. Posted by かまくら   2016年07月06日 05:30
http://digital.asahi.com/articles/ASJ710343J6ZPTIL03H.html?rm=1039

いかがお過ごしでしょうか?お忙しいのでしょうか?
更新がなく心配しながらも、日本へ行く準備をしているのだろうか?などと思いつつ・・・。
今日、上の新聞記事を読んで凄い人がいたんだな、と感心してしまいコメント入れさせていただきました。
時々人間が嫌になりますが、こういう人がいる、いたことを知ると少しでも人間として良いことがしたくなる気になります。
ミンスクは暑いでしょうか?どうかお身体ご自愛ください。

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