ベラルーシの思い出

2010年07月23日

おはようございます。
はぐれミーシャです。

暑い!!!
これはかなりヤバイです。
これまで10年間ベラルーシで生活してきて一番の暑さです。
私の周りのベラルーシ人も「こんなに暑いのは初めてだ」と言っています。

でも、今日は休みだからよかった!
お金の振込みをするぐらいで、あとは用事がありません。

明日も授業は一つ。
あさっては授業なし。
いいなあ。
今のうちに休んでおかないと。

昨日も暑い一日でした。
朝からプライベートレッスンを二つ。
それから、社会保険関係のことで、ミンスクの南西部、マリノフカという地域に行きました。

これがね、遠いんですよ。
私が住んでいるところがミンスクの一番東のほう。
マリノフカは一番西のほうですから。

マルシュルートカという乗り合いタクシーのようなもので向かったのですが、1時間近くかかってしまいました。
そのマルシュルートカの中が異常に暑かったんですよ。
クーラーなんてついていませんからね。
窓は一番前しか開かなくて。
マイッタ・・・

久しぶりのマリノフカ。
何度も来たことがある地域ですが、ここ2〜3年はご無沙汰していました。

国の保険会社の建物はマリノフカの一番端っこ、マリノフカ4番というところにあります。
っていうか、そんな大事な国家機関がそんな中心部から遠いところでいいの?

地図は持っていたのですが、何となくこの辺かなあと思ってマルシュルートカを降りたところは、全然まだ遠いところ。
降りるタイミングを完全に間違えました。
おかげで、15分も炎天下の中を歩く羽目に。

ようやく着いたその建物は日本にあってもおかしくないような立派な建物。
中に入って、担当者がいる部屋に行ったら、「一回外に出て、右の入口を入ってください」
窓口の裏側に来てしまったようです。

なぜそんなところに行ったのかというと、社会保険を二回払わないため。
つまり、私は大学で働いているので、給料から保険のお金は控除されていて、新しく私が作った個人企業に関しては保険料を払う必要がないということを申請するためなのです。
うちの会計さんに言われて行ったのですが・・・

窓口の人に聞いたら、「申請する必要はありません」
えええ!!! 何で!? せっかく来たのに!!!
「誰かを雇う場合は保険料を払わなければなりませんが、個人企業で、働くのがあなた一人の場合は何もしなくてもいいんですよ」
うーん・・・

市役所で保険に関する書類を作成してもらっていたのですが、そこに書いてある私の名前が間違っていたので、それを訂正してもらいました。
その訂正のために私は一時間以上もかけてマリノフカに行ったのか・・・

まあ、いいや!(←いいのか!?)

せっかくなので、マリノフカにある巨大スーパーに行ってみることに。
実は前日から計画していて、すっごく楽しみにしていたんですよ。
ミンスクにはいくつか大型スーパーがありますが、マリノフカの店は私は結構好きだったのです。
約3年ぶりの訪問です。

まず、その保険会社から歩いて、バスの終点マリノフカ4番へ。
そこでトロリーバスに乗りました。

そもそも、マリノフカは住宅地。
ミンスクのベッドタウン的な地域です。

そして、マリノフカにはチェルノブイリの汚染地域から移住してきた人がたくさん住んでいます。
例えば、ベラルーシ南部のブラーギン、ホイニキなどの町から移住してきた人たちです。
特にマリノフカの4番にはそういう人がかなり多いです。
以前、私は小児病院に折り紙を教えに行っていたのですが、マリノフカ4番に住んでいる子供はかなりの確立でブラーギン出身の子供たちでした。

私にとってはマリノフカ4番というところは、いろいろと忘れられない思い出があります。
ベラルーシで一番最初にできた彼女が住んでいたのです。

私がベラルーシに来たのは2000年の8月。
ウズベキスタンでの失恋のショックからなかなか立ち直れず、私はずっと彼女を作ることができませんでした。

彼女が出来たのは2002年の6月。
以前から知っていた女の子が「暇だからうちに遊びに来ない?」と言ってきたのがきっかけでした。
彼女が住んでいたのがマリノフカ4番で、私は全く知らない地域にバスで行ったのでした。

彼女は10歳年下で、話がすごく合うというわけでもなかったのですが・・・
やっぱり寂しかったんですかね。
だって、ウズベキスタンで辛い経験をして、誰も知り合いがいないベラルーシに一人乗り込んで、2年間ひとりで生活して、心はつかれきっていたのだと思います。
だから・・・そうなっちゃったんだと思います。

トロリーバスに乗って、マリノフカ4番から二つ目のバス停が彼女が住んでいたマンションのあるところ。
以前は「Крама」という名前の停留所だったのですが、名前が変わっていました。
やっぱり8年の歳月というのは、全てを変えてしまうのでしょうか。

いろいろと思い出しますよ。
その頃は日本へ帰るためのお金をためるのに必死で。
彼女に会う時間もなかなか作れなかったんですよ。
あるときは通訳の仕事をしていて、夜の22時に45分だけ空き時間が出来たので、タクシーで彼女のところへ行き、5分だけ一緒にいて、また通訳の仕事に逆戻りなんていうときもありました。

そんなとき。
ミンスクに住んでいる日本人数人が私のことを「あの人は彼女がいるから忙しいんだよね」と言っていたのを聞いて、ブチ切れ。
こっちは必死になって働いているんだよ!
金があって、酒ばっかり飲んでいるやつらには言われたくねえよ!
彼女に会う時間もないのに、彼女にうつつをぬかしているみたいな言い方をされ、とてもむかつきました。

何で日本人って「村社会」みたいなコミュニティを作っちゃうんですかね?
狭い世界でうわさ話に花を咲かせるみたいな。
咲かせるなよ!

ほとんど会ったこともないのに、私のことを悪く言う人もいたようだし。
他の人から聞いた話だけで、その人を判断するのはどうかと思いますけど。
私の授業に来たこともないのに、私が教師として三流みたいな言い方をする人も。
その理由が「大卒じゃないから」。
アホか!

そのときから2年ほど日本人との交流を断ちました。
とても話す気にはなれませんでした。
別にうわさをするのが悪いとかそういうことではないんですよ。
狭い世界の狭い話にはついていけない、というか、ついていきたくなかったんです。

だいぶ話がズレましたね。

他にもマリノフカにはいろんな思い出が。
もう6年近く前になりますか。
私のところでお兄さんと弟とお母さん、三人で日本語を勉強する家族がいたんですよ。
私はマリノフカまで通って教えていたんです。
行くときはその家族のお父さんが車で送ってくれて、帰りは途中まで車、そこからは公共の交通機関を使っていました。
寒い冬、夜遅く一人で帰るのもまた楽しかったです。

もう一つ危険な思い出も。
2010年5月31日「はぐれミーシャ、危機一髪! シャンパン大作戦」をお読みください。

P7221472いろいろと思い出しているうちに、スーパーに到着しました!
Prostorという名前です。
これはね、かなり大きいんですよ。

店内はひんやりと涼しくてうれしかったです。
でも、途中から寒くなって、外に出たくなったけど。

さんざん歩き回ったのですが、買い物はほとんどしませんでした。
欲しい物はたくさんあるんだけど、お金が、ね。

P7221474マリノフカの町並みはこんな感じ。
ソビエトスタイルの集合住宅がドカドカ立っています。

マリノフカに住んでいる私の学生はかなり多いんですよ。
こんなところから通うのは大変だろうなあ。

私はマルシュルートカを使いましたが、マルシュルートカは速いですが、その分高いんですよ。
2200ルーブル(←約65円)。
普通の交通機関の約3倍の値段です。
ある学生は「うちに帰るのに1時間半かかります」って言ってたもんなあ。

P7221476P7221477今、マリノフカは建築ラッシュ。
どこを向いても、建設中の集合住宅があります。
特にこの写真のところなんか、以前は何もない野原だったのに、今は新しい建物がボコボコできています。

元々、土地があることもあるのですが、建築ラッシュの理由は数年後に地下鉄の線が伸びて、マリノフカに駅が出来るからです。
これまでマリノフカはアクセスが不便という問題がありました。
確かに、バスやトロリーバスなどの公共交通機関は多かったのですが、それでも時間はかなりかかってしまうのです。

でも、地下鉄が通ったら、アクセスは格段によくなります。
マリノフカの住民は「地下鉄が出来たら、うちの地域は最高にいいところになります」と自慢しています。

地下鉄、いつできるんだろう?
マリノフカに行く道はそこらじゅう穴だらけ。
そのせいで迂回路だらけで、グネグネとマルシュルートカは進んでいきました・・・

うちへ帰ると、私はグッタリ。
ベロニカちゃんと龍二くんもグッタリ。
最近、龍二くんはお腹が痛いらしく、なかなか寝付けません。
よく足をバタバタさせて泣いています。

P7221478ふと、龍二くんの手を見ると、こんなgoodな形に!
暑くても、お腹が痛くても、龍二くんは大丈夫!
元気に育っています!

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2009年11月26日

僕は止まれなかった。
何かが間違っていること、何かが狂い始めていること。
そんなことには目をつぶる勇気がまだ僕の中には残っていたのだ。
そんな勇気が、勇気という名の狂気へと変貌していくのを、加速した僕は止めることができなかった。

12月。
僕たちは何事もなかったかのように付き合い続けていた。
毎日、大量のショートメールを書き、夜は少しでも一緒にいるために彼女の寮へ行き、自分の寮に変えるのは夜の0時近く。
そんな毎日が日常になっていた。

ある日、Tちゃんが一つの問題を口にした。
「寮では勉強ができない」

ベラルーシの学生寮。
男女別にはなっておらず、部屋こそ別であれ、同じフロアに男子学生、女子学生が一緒になるのは普通のこと。
学生のことだから、しょっちゅうパーティーなんかの馬鹿騒ぎをする。
勉強にふさわしい環境とはいえない。
まあ、本当に勉強する人はどんな環境にあっても勉強するのだが。

「勉強が大事なときに勉強できないなんて、そんな環境にいるのはよくない」
僕は彼女のためにマンションを借りて、二人で住むことに決めた。

Tちゃんはおそらく、それほど大きい問題だとは捉えていなかったと思う。
でも、僕はそれを大きい問題だと捉えた。
一緒に住みたい。
それだけのことだ。

そう、僕はTちゃんの言うとおり、恐ろしいまでのエゴイストなのだ。

僕はマンションを探し始めた。
その話をたまたま知り合いのS君にすると、彼の仕事場があるビルに不動産屋が入っていて、そこに知り合いがいるという。
僕は早速、その不動産屋に行った。

不動産屋の女性はとてもテキパキと話を進めた。
僕は彼女の試験期間の一ヶ月ちょっとだけ部屋を借りたいと言ったのだが、そんなのは無理な話。
最低でも三ヶ月以上じゃないとダメだということで、それでOKした。

それでも、そのような短期間を条件に部屋を貸してくれるところなんてなかなかない。
不動産屋の女性はいろんな大家さんに電話をしまくっている。
でも、なかなか大家さん自体がつかまらない。

そして、ようやくつかまった大家さん。
家賃的にも何とか許容範囲。
その日のうちに会う約束。

僕はそのマンションに行く。
夜の20時半。
出てきたのは男性。
部屋に入ると、男が二人。
何か怖い雰囲気。
殴られたりしないだろうな。

僕の心配は全くの杞憂で、二人はごく普通に話しをしてくれた。
家賃のことや入居日のこと。
細かいことを相談して、手付金として家賃の半分を渡した。

入居するのは2日後。
僕は急いでTちゃんに電話をした。
彼女には内緒にしていたのだ。

彼女はとても喜んでいた。
それは僕と一緒に住めるからではなく、寮に住まなくてもいいからなのだろうか。
とにかく、喜んでいる彼女の声は僕を満足させた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それから、二日後。
僕たちはマンションに入居する日を迎えた。

僕たちは朝からミンスク郊外にある巨大な市場に行った。
これからの新生活に備えて、食料品などを大量に購入するためだ。

しかし、その日は朝から何かギクシャクしていた。
市場に行くバスを間違えてしまい、知らない村に行き着いてしまったのだ

Tちゃんは強い口調で僕を責めた。
そんなことは初めてだった。
僕は落ち込むと同時に腹が立った。
そもそも、バスを間違えたのは僕だけじゃなくて、二人とも間違えたのだから。

市場での買い物は最初から躓いてしまった。
でも、何とか仲直り。

しかし、帰りの乗り合いタクシーの中でも軽い口げんか。
何か先が思いやられる・・・

二人ともちょっと不機嫌なまま、マンションに到着。
大家が待っていて、その場でマンションの鍵を渡してくれることになっている。

ドアの前で僕たちは仲直り。
「これから二人で暮らしていくんだから」

ベルを鳴らす。
応答がない。

もう一度ベルを鳴らす。
誰か部屋の中にいる気配がする。
しかし、ドアを開ける様子ではない。

もう一度ベルを鳴らす。
ガタガタと音がする。

もう一度ベルを鳴らす。
「今、開けるから待ってろ!」という声。

そして、ようやく開いたドアの向こうにいたのは、全裸の大家。
Tちゃんが「キャッ!」と叫び顔を背ける。

僕「何をやってるんですか!? 早く服を着てください!」
大家「エヘヘ・・・ちょっと調子が悪いからシャワーでも浴びようと思って・・・」
大家は完全に酔っ払っていた。
泥酔状態である。

ドア越しに「服はもう着ましたか?」と聞くと、「大丈夫だ」との答え。
でも、中に入ってみると、大家は全裸ではないというだけで、下着だけつけている状態。
Tちゃんの目に入らないように、彼女を台所へ行かせる。

とりあえず、大家を居間に連れて行く。
彼はまだ30代前半ぐらいに見える。
昼間から飲んだくれているところを見ると、まともな仕事をしているとは思えない。

僕「約束どおり、鍵を置いていってもらえますか?」
大家「ちょっと待ってくれ。頭が痛くて、どこかに行くどころじゃないんだ・・・」
大家はベッドにもぐり込んでしまう。

彼の話では、そのマンションは彼の母親の持ち物。
妻帯者なのだが、妻と折り合いが悪く、一緒にいづらいときはそのマンションに住むのだという。
しかし、彼は部屋を貸す約束をしたのだし、手付金ももらっているのだから、出て行く義務がある。

しかし、何度言っても大家は出て行く気配すらない。
「ちょっとだけ寝かせてくれ」
完全にろれつが回っていない。

僕はできる限り穏やかな口調で彼の話を聞いていた。
何とか説得できると思っていたのだ。
それに、こんな状態の酔っ払いを必要以上に刺激するのは危険だと思った。
しかし、その考えは甘かった・・・

台所に行くと、Tちゃんが泣いていた。
「何なの、あの人」
僕は謝るしかなかった。
「早く出て行ってもらって!」
僕もそうしたいんだけど。
居間で大家を説得しながら、台所にいるTちゃんをなだめるなければならず、僕は何度二つの部屋の間を往復したかわからない。

僕はちょっと強い口調で対抗してみた。
僕「早く出て行ってください!」
大家「頭が痛いんだから、大きい声ださないでくれ・・・」

彼の話では周期的にアルコールに依存するのだそうで、一度それが始まると2週間ぐらいは常に酔っ払っている状態が続くのだそうだ。
誰にも邪魔されずに酒を飲むには、このマンションは好都合なのだろう。

部屋に到着したのが15時。
すでに2時間近く経過しているのだが進展は全くなし。
すると、大家がとんでもないことを言い出した。
大家「お願いだから、ここに泊めてくれ。一晩だけでいいんだ」

そんなこと、できるはずがない。
Tちゃんと新しい生活を始めるために、ここに来たんだから。

僕「あなたと話しても意味がないから、あなたの奥さんと話したいです」
大家「うちの奥さん? それこそ意味がないと思うよ・・・」
大家はちょっと悲しそうになった。
そして、奥さんとの生活が大変なことを切々と語った。

ちょっと待てよ!?
何かこれ、人生相談になってないか?
それによく聞いていると、原因は彼の酒癖の悪さ。
奥さんのほうが大変だろ。

30分以上粘って、奥さんの電話番号を聞きだす。
電話をするも、奥さん、なかなか電話に出ず。
知らない電話番号だから出ないのかな。
大家「うちの奥さんは知らない電話番号のときは出ないよ」

何度も電話して、やっと電話がつながる。
明らかに嫌そうな声だ。
奥さん「もしもし。誰、あんた? 何回も電話してきて」
僕は丁寧に事情を説明してきた。
奥さん「それは気の毒に・・・」
同情されちゃった。

僕「すみませんが、ご主人を引き取りに来てもらえませんか?」
奥さん「えっ!嫌よ!・・・っていうか、仕事もあるし・・・」
奥さんは大家のお母さんに電話をしてみると約束。
でも、奥さん自身は「行きません」。

その奥さんの反応を聞いて、大家、すねる。
大家「お願いだから、一晩だけ泊めてくれ」
そんなわけにはいかない。

台所のTちゃんもだんだんキレ始める。
Tちゃん「どうしてこんなに時間がかかるの? 早く追い出して!」
と言われても、向こうが下着姿でベッドにもぐりこんでいるのでは・・・

夜の18時を過ぎた頃、不動産屋を紹介してくれたS君から電話が。
事情を説明すると、激怒!
S君「よし、俺が何とかしてやる。今から行くから待っててくれ」

彼は30分ほどでやってきた。
おそらく仕事場を飛び出してきたのだろう。

S君と大家の押し問答が始まる。
口調がだんだん激しいものになる。
S君「こうなったら、警察を呼ぶしかないな」
しかし、警察を呼ばれて困るのは大家だけじゃなく、僕たちも困るのだ。
というのは、ベラルーシは居住登録しているところに住まなければならないという規則がある。
僕もTちゃんも寮に登録されているから、勝手にマンションを借りて住んだりするのは基本的に法律違反なのだ。

S君は不動産屋に電話。
最初は不動産屋も警察に相談すると強硬な態度を見せていたが、何度か電話で話し合いを繰り返すうちに態度を軟化。
不動産屋の社長は「もし泊まるところがないなら、うちの会社が所有する物件に一晩だけ泊まってもいい」と大家に提案。
なんでもトラブルを起こすと不動産屋の免許を取り上げられる可能性があるらしい。
なので、何とか穏便に済ませようとしている。

そんな周りの努力もどこ吹く風。
大家はベッドにもぐりこんで、「俺はどこへも行かないぞ」の一点張り。

そこへ現れたのは大家の母親。
一気にS君がまくし立てる。
S君「早く息子さんを連れて行ってください。これは違法行為なんですよ」
母親「それはあなたたちがうちの息子とした約束です。だから、私には関係ありません」
じゃあ、あんた何しに来たの?

これ以上話しても埒が明かないということで、S君は一旦不動産屋へ行って対応を協議することに。

Tちゃんはその間、ずっと台所にいたのだが、すでに我慢の限界を越していた。
僕は彼女に「一旦寮に帰ったほうがいい」といったのだが、彼女は「この部屋を出て行くのは私たちじゃなくて、あの大家のほうよ」と言ってきかない。

母親も一生懸命に説得する。
母親「一緒に帰りましょう」
大家「嫌だ。帰りたくない」
完全に駄々っ子状態である。

僕も母親と一緒に説得する。
最初は非常に傲慢な態度だった母親も、ここは共闘するしかないと思ったのだろう。

結局、大家が説得に応じて、服を着始めたのは20時半過ぎのことだった。
帰り際、母親が「本当にすみませんでした」と初めてまともなことを言った。

ここまで約5時間半。
台所にいたTちゃんには喜びの顔はなく、疲労困憊といった様子だった。
僕も疲れきっていた。
大家は初めて会ったときはまともな人間に見えたのだが・・・

またあの大家が酔っ払って現れたりしたら・・・と僕とTちゃんは不安になる。
でも、とりあえず僕たちは二人だけの生活を始めてしまったのだ。
そこにはいつも一緒にいられる喜びも、二人で暮らす後ろめたさの影もなにもなかった。
そこにあったのは、ただ疲れきった神経と、シーツと毛布がぐちゃぐちゃに絡み合ったベッドだけだった・・・

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2009年11月22日

僕のまぶたの裏には駅で見たあの光景が焼きついていた。
J君と二人で電車を待つTちゃん。

どうすれば信じられるのだろう?
Tちゃんは「私のことが好きならば、信じられるはず」と言ったが・・・
「好き」という言葉を道しるべに信じた道を行けばいい。
しかし、それは好きになればなるほど、信じることができなくなるという地獄への道でしかない。
好きになればなるほど、彼女を疑ってしまう、疑うのは愛ではない、その疑いを消そうとすれば、僕は自分の心を殺すしかない・・・

感じなければいいのだ。
何も感じなければいいのだ。
一緒にいられるだけでいい。

僕たちは何事もなかったのように再び付き合いはじめた。
Tちゃんのほうは本当に何事もなかったかのような態度。
本当に何事もなかったのならよかったのに・・・

駅での事件から一週間後の土曜日。
授業中に僕の携帯が鳴った。
相手はJ君。
僕は授業を中断し、寮の廊下で彼からの電話を受けた。

J君「ちょっと話したいことがあるから、今すぐ会えないか」
僕は一瞬凍りついた。
僕は授業を終えたらすぐに行くということで、1時間後に会う約束をした。

僕はすぐにTちゃんに電話をした。
出ない。
何度か電話しているうちに圏外になった。

僕はどうしたらいいかわからなかった。
もしかしたら、J君とTちゃんは一緒にいるのではないか。
二人はやっぱり別れられないのではないか。
そんな考えが僕の心をよぎる、いや、よぎるのではなく、支配する。
それとも、俺に復讐したいのか・・・

「私のことが好きなら信じられるはず」
信じるに足る状況にあればいいのだが。
好きでも信じられないということはあるのだろうか。

いてもたってもいられず、僕はタクシーで待ち合わせ場所に急ぐ。
それは町の中心のマクドナルド。

店の前にはすでにJ君が立っていた。
前回と違って、彼は僕ににっこりと手を差し出してきた。
J君「あのときは悪かった」「もう僕はあきらめた」「君たちのことを邪魔するつもりはない」
無理に奇麗事を並べているのがわかった。
彼もつらいのだろう。

「これ、お詫びのしるし。受け取ってくれ」と言って、どこかのお土産やで買ったような猫の絵を渡してきた。
そして、彼は帰っていった。

僕は腹が立った。
こんなことのために、わざわざ呼び出したのか。
しかも、そのプレゼントのセンスの悪いこと。
これをもらって飾っておけとでも言うのか。
僕は寮に帰り、その絵を叩き割った。

自分の部屋に戻って、Tちゃんに電話。
すると、すんなり電話に出てきたTちゃん。
今まで電話に出なかったのに、何で今になって出られるの?

僕はJと会ったことを彼女に伝えた。
Tちゃん「その絵には何が描いてあった?」
僕「猫だよ」
Tちゃん「そう。私、彼からは『子猫ちゃん』って呼ばれていたから・・・」

彼女はJと会うことを知っていたのではないか。
二人はまだ心の中でつながっているのではないか。
そうとしか思えない自分を責めることが愛だと信じるしか、僕には道がなかった・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある日、Tちゃんから「困った」という電話があった。
実は彼女が住んでいる寮で、部屋の一斉点検があり、電気湯沸かし器を没収されてしまったのだそうだ。

いわゆる電気ケトルである。
電気ポットとは違い、沸騰させるだけで保温はできない。

ベラルーシの寮では基本的に電気ポットや電熱器、ヒーターなど熱を持つものは使用禁止である。
ドライヤーさえ禁止されているのだ。
みんな内緒で使っているのだが。
Tちゃんは運悪く、見つかってしまったのだ。

Tちゃんはお茶が好きだから、電気ケトルがないとお茶も入れられない。
そして、もうひとつ重要な使い道があって。
実は寮では時々水道のお湯がストップすることがある。
そうなるとシャワーも浴びられない。
そんなときはお湯を大量に沸かして、水浴びならぬ、お湯浴びをするのだ。
僕の寮でもよくお湯がストップするので、電気ケトルは必需品なのである。

僕はいいことを思いついた。
新しい電気ケトルを買ってプレゼントしよう。

僕は電話を切ってすぐ、バスで20分のショッピングセンターに向かった。
そこにはいろんな形の電気ケトルがあった。
その店の人に相談しつつ、一番小さいものを購入。

というのは、あまり大きいと目立つので、またチェックが入ったときに見つかる可能性が高いと思ったからだ。
Tちゃんの話では次に規則違反が見つかったら、寮を追い出されてしまうのだという。
それに、Tちゃんは寮の部屋でもう一人の女の子と二人暮しなので、大きいサイズでなくてもいいだろうと思ったのもある。

小さくてかわいいので、僕はTちゃんに気に入ってもらえることを確信していた。

僕は彼女に電話した。
劇の練習などで忙しいというTちゃんを説き伏せて、「10分だけでいいから会おう」と約束。

僕は彼女の部屋で電気ケトルをプレゼントした。
彼女はビックリしていた。
そして、喜んでいた、ように見えた。

約束どおり10分後に僕は寮を立ち去った。
何かがおかしい。

帰りのバスの中からTちゃんに電話した。
僕「何かあんまりうれしそうな感じに見えなかったから、心配なんだけど」
Tちゃん「あんなに小さいのは・・・もっと大きいほうが良かったのよね」
彼女の話では、お湯がないときにお湯を浴びたかったら、大量のお湯が必要になるから、あのケトルでは全然量が足りないとのこと。

僕はすぐに元の店に向かった。
店員は一日に二度も電気ケトルを買いに来た東洋人を見て、不思議そうな顔をしていた。
店員「もう一つぐらい買っていったら?」

今度のは2リットルの特大サイズである。
しかし、こんなの部屋にあったら、すぐに見つかってしまいそうだが・・・

僕はそのまま彼女の寮に戻り、その電気ケトルをプレゼントし、小さいほうを回収した。
彼女は喜んでいたが、僕は腑に落ちなかった。
というのは、小さいのをプレゼントしたとき、彼女からは感謝の一言もなかったのである。

何のためにプレゼントしたんだろう?
彼女から感謝の言葉を聞くためにプレゼントしたわけではないが・・・

僕は彼女に電話をした。
率直な気持ちを話した。

それに対するTちゃんの反応はすさまじいものだった。

Tちゃん「あなたは感謝されるためにプレゼントしたの?」
そう言われて、僕は肯定も否定もできなかった。

Tちゃん「私のことを本当に考えてプレゼントしたのならそんなことは言えないはず」
君の事を考えていたからプレゼントしたんだけどな。

Tちゃん「あなたは私のためじゃなく、自分のためにプレゼントしたのよ。あなたはエゴイストよ」
僕はエゴイストだから、君のためにプレゼントしたかったんだけどな。

彼女の言葉は容赦なく僕の心に突き刺さった。
もしかしたら、彼女の言っていることは正しいのかもしれない。
いや、本当に正しいのだろう。

しかし、僕は純粋に彼女のためにプレゼントをしたかったのだ。
それを否定してしまったら、誰が僕の心を肯定してくれるのだろう・・・

僕は彼女の言葉を否定しようとしたが、それは無駄だった。
彼女には僕の気持ちは届いていなかったのだから、それは当然のことだ。

信じられない俺が悪い
許せない俺が悪い
彼女を責める俺が悪い

愛しているなら信じられるはず
愛しているなら許せるはず
愛しているなら・・・

僕は迷路に迷い込んでいた。

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2009年11月14日

Tちゃんの元彼と寮に行ってからも、僕の心の中は平静だった。
というのは、元彼はあくまで「元」なのであって、今の彼ではないから、僕の側には非はない。
そして、彼の暴力が別れた原因ならば、それこそ僕が守ってあげないといけないし。

そんな安心しきっていた僕のところにTちゃんから電話が。
Tちゃん「しばらく考えさせてほしい」
って、何を考えるの?
Tちゃん「Jとはずっと一緒にいたから、なかなか思い切れないの。だから3日だけ時間をくれないかしら」

僕は最初意味がわからなかった。
あの二人は別れたはずなのに・・・
Jが言った「心は一緒だ」というのはこういうことなのか・・・

ベラルーシではちゃんと別れているのかはっきりしないこともよくあることだそうで。
それを知ったのはだいぶ後になってのことなのだが・・・

その3日間は地獄だった。
「大丈夫だ」と自分に言い聞かせても、「もしかして・・・」と不安になる。
その3日間のほとんどを僕はベッドの上で過ごした。

3日目の午後、僕はベッドの上でうなっていた。
そこに隣の寮に住んでいた日本人の留学生がやってきて、「大丈夫ですか?」
それまでのTちゃんとのことをいろいろ聞いてもらった。

そのとき。
Tちゃんから電話が。
「ずっと考えていたんだけど、やっぱりあなたと一緒にいたい」
やったー!
その日本人と握手をして、僕たちは一緒に喜んだ。

僕は喜び勇んで彼女に会いに行った。
会ったのはミンスクの観光スポット「トロエツコエ旧市街区」。
すでに秋の日は暗く、家々の間の暗がりは僕たちにとっては絶好の隠れ家だった。

僕たちはちょっと話をしただけで別れた。
手を握っただけで、それだけで僕たちは満足だった。
これで僕たちはやっと始まったんだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

僕たちはできる限り、一緒に時間を過ごした。
僕も仕事があるし、彼女も大学の勉強がある。
だから、僕たちの時間はとても限られていた。

平日は僕は彼女のところへ行くことが多かった。
少しでも一緒にいるために、僕はバスに乗って30分のところまで通っていた。

寮の入口のところで彼女を待つ。
僕の前を通り過ぎる人たちは、見慣れない東洋人を怪訝な顔をして見ている。
中にはTちゃんのクラスメイトもいる。
「こんにちは」と挨拶はしてくれるが、とても気まずい。

Tちゃんの話では、クラスメイトのみんなも彼女とJ君との関係はよく知っていて、まさか別れるとは思っていなかったのだそうだ。
そして、まさかこの僕と付き合い始めるとは全く思っていなかったのだそうだ。

これでは芸術大学へ教えに行くのも気まずいなあ。
実際、先週はなんか変な空気だったもんなあ。

週末は僕の寮で一緒に過ごした。
寮のおばさんを拝み倒して、泊まれるようにしてもらったりして。

今、僕が覚えていることはとても少ない。
恋愛に関して言えば、いい時のことはあまり覚えていなかったりする。
苦しい思い出だけが心を占めている場合はなおさらのことだ。

彼女との関係が苦しいことばかりだったという意味ではない。
もちろん、いいこともいろいろあった。

しかし、思い出せないのだ・・・

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2009年11月08日

電話の向こうから聞こえてくる声は、怒りに満ちていた。
しかし、声自体はまだまだ若い男の子のものだった。
一生懸命背伸びして僕を威圧しようとしている感じに聞こえた。

「俺はTの友達だ」
ああ、そうか、そういうことか。
つまり、友達ではないってことね。
ってことは、彼氏だよな。
でも、恋人はいないって言っていたような・・・

「今、会えるか」と聞いてきたので、「OK。今から行くよ」。
何か嫌な感じだなあ・・・
殴られたらどうしよう。
でも、ここでいかなきゃ男がすたるというものだ。

彼とは地下鉄の駅で待ち合わせ。
プラットホームに降り立つと、若い男が近づいてきて、自己紹介。
名前はJ君。
見た目は普通の学生。
Tちゃんとは同世代に見える。

J「じゃあ、行こうか」
僕「どこへ?」
J「Tちゃんの寮だよ」
えっ? 本当に行くの?

J「俺たちは本当にうまくいっているのに、お前が邪魔したんだ」
僕「じゃあ、君たちはつきあっているの?」
J「いや、そういうわけじゃあ・・・」

話を聞くと、彼らは別れたばかりなのだとか。
でも、時期を聞くと、僕がTちゃんに電話をする前のこと。
だから、僕が彼らの邪魔をしたことにはならないのだが・・・

J「俺たちは別れても、うまくいってるんだ!」
意味がわからん。
J「俺たちはずっと付き合ってきたんだ。心はつながっている。誰にも邪魔はさせない!」

寮につくと、入口のところには受付のおばさんがいるのだが、彼は顔パス。
J(得意気に)「どうだ。見ただろう? 俺はここにしょっちゅう来てるから顔パスなんだ」
それがどうしたの?

そして、Tちゃんの部屋へ。
僕は階段を上る最中も割りと落ち着いていた。
というのは、僕とTちゃんとの間に生まれた感情に自信を持っていたからだ。
現役の彼氏ならばいざ知らず、別れた彼氏が何を言ってきても恐れるに足らず。
喧嘩になっても、こいつの体格ならば勝てるだろう。
中学校のとき以来、取っ組み合いの喧嘩はしたことがないけど・・・

Tちゃんの部屋の前に来てしまった。
Jがドアをノックする。
応答はない。

J「開けてくれ、Tちゃん。君と話したい」
しかし、応答はない。
でも、何か中には誰かがいるような感じもする。

Jのドアを叩く調子もだんだん強いものになる。
J「頼む! お願いだ。開けてくれ。俺は何もしない」
って、これまでは何かしてたのかいな。

J「ここにいるのは俺だけじゃない。あいつも連れてきた」
「あいつ」とは、僕のことだ。
J「三人で話をしよう」
後で聞いた話だと、Tちゃんは僕がいることを知って、すごく驚いたのだそうだ。
JはTちゃんの携帯電話を勝手に見て、僕の電話番号を知ったのだという。

Jのノックはすでにノックではなく、拳でドアを叩き始めている。
僕「まあ、落ち着け。そんなに強く叩いたら、ドアが壊れるぞ」
J「壊したいよ・・・」
ほとんど泣きそうなJ。
昼間の学生寮は人が少ないから良かったものの、もし夜なんかだったら、警備員に通報されるかもしれない。
それほどに、彼は取り乱し、目は必死だった。

僕「もしかして、いないんじゃないの?」
J「そんなはずはない!」

確かにTちゃんは部屋の中にいたのだ。
彼女はルームメイトと一緒に声を潜めて、嵐が過ぎ去るのを待っていたのだそうだ。

J「どうしてだ!? どうしてなんだ・・・」
ドアの前に崩れ落ちるJ。
僕は彼を支えた。

僕「今は埒が明かないから、出直してきたら?」
Jはしぶしぶ承諾した。

僕たちは一緒に地下鉄の駅に向かった。
J「俺たちはまだ心がつながっているんだ」

僕は彼が少し気の毒になった。
僕も振られた彼女の前で、衆人環視の元、土下座をしたことがある。
「お願いします。俺を捨てないでくれ」
あんな情けない想いはもうしたくないと思っていたが、他の人がそんな想いをしているのを目にすることになるとは・・・

駅でJと別れると、僕の携帯電話にショートメールが。
Tちゃん「こんなことにあなたを巻き込んでしまってごめんなさい。後で電話します」

その日の夜、Tちゃんと話してようやく、その時の状況が理解できた。
Jとはすでに別れていること、別れたはずなのにしつこく「よりを戻そう」とせまってきて困っていること、Jは元々同じ大学の学生だったのだが、1年の途中で中退してしまったことなどなど。
Jは今はインターネットカフェで働いているそうだ。

僕「Jのこと、今でも好きなの?」
Tちゃん「うーん・・・ずっと一緒だったから辛いけど・・・でも、今は好きとは言えない」
肝心のところが聞けて良かった。

僕「何でJと別れたの?」
Tちゃん「彼の暴力が・・・」
彼女の話ではそれほど強くはなかったものの、叩かれたり蹴られたりしたことが何度かあったそうだ。
僕は彼女を強く抱きしめたくなった。

Jの外見は普通の学生と何ら変わらないもの。
特に強そうでもないし、暴力を振るうタイプには見えない。
でも、それは見た目ではわからないだろうから。

彼女は「Jとは既に終わっている」とはっきり言った。
僕はその言葉を信じ、心の中は全くの凪だった。
元彼の出現よりも、僕の人生にTちゃんが現れたことのほうが、僕にとってはよっぽど重要だったからだ。

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2009年11月06日

何度か足を運ぶうちに、芸術大学での学生との交流は私にとって、最も楽しい時間になっていた。
学生と話すのが楽しいというのもあったが、それ以上に自分が好きな芸術にかかわっていられることに充実感を感じていた。

正直に言うと、男子学生はいけ好かない奴が多かった。
クラスのリーダーだったマックス君を除いては、みんな自分がすでにプロの俳優にでもなっているかのように気取った奴らで、見ていて腹が立つほどだった。
マックス君だけは、私に対してかなり礼儀正しい態度をとっていたので、非常に好感を持った。

それに比べて、女子学生のほうはまだ素直な感じの子が多かった。
もちろん中にはいっぱしの女優気取りの子もいたが、ほとんどはひたすらに頑張っている子たちだった。
熱心に質問してきたり、練習を頑張ったりするのも男子よりは女子のほうだった。

その中でTちゃんは特に目立たない子だった。
見た目だけでいえば、さすがに女優を目指しているだけあって、きれいな子はいくらでもいた。
そんな中でTちゃんのことが気になったのは何でだろう。
真面目そうに見えたというのもあるし、ちょっと話をしてみて感受性が強そうに見えたというのもある。
でも、それだけではなく、何か僕をひきつけるものがあったのだと思う。

10月は僕の頭の中はこんがらがっていた。
というのも、Jちゃんという、ある大学の女子学生に気に入られてしまったらしく、控えめながらもアタックを受けていたのである。
夜遅い時間に突然寮の部屋に現れたりして、私を困らせていた(←全然控えめじゃない)。

いや、困っていたのかどうかは怪しい。
私もずっと彼女がいなくて寂しい時期だったし、Jちゃんがすごい美人だったというのもある(←とても正直なはぐれミーシャ)。

ある日、Jちゃんが二週間ほどロンドンに行くと言い出した。
何でも以前ホームステイをしたホストファミリーに会いに行くのだとか。
出発の前の晩、私の部屋へ連絡もなく押しかけてきて、「私がいない間に彼女を作ったりしないでくださいね」。
10歳近くも年齢が下の子にこんなことを言われるのも何だかなあとは思うけど。

ロンドンへ行くという話しは寝耳に水。
普通、大学の授業がある時に、プライベートで外国に行ったりしないでしょ。

一つ困ったことが。
実はそのとき、僕は劇場のチケットが二枚あって、Jちゃんと行こうかと思っていたのだ。
別にJちゃんと行くためにチケットを買ったわけではない。
元々、好きな劇だったし、彼女とは一度劇場に行ったことがあって、すごく気に入っていたから、他の劇も見せてあげたかったし。

あまったチケット、どうしようかな。
と考えたとき、すぐに思いついたのは芸術大学の学生。
積極的な学生は何人かいたのだが、みんな彼氏持ちだから誘えない。
Tちゃんを誘ってみようかな。

と思った瞬間、僕は彼女の携帯に電話を入れていた。
やっぱり、僕は考えが行動に追いつかない。

Tちゃんは僕からの電話にびっくり。
そりゃそうだ。
だって、僕はベラルーシでも一番大きい大学の教師なのだから、彼女からしてみれば、とても偉い人。
ちょっとひくのもうなづけるところ。

Tちゃんに「劇のチケットがあるんだけど、一緒に行きませんか?」というと、「本当に私でいいんですか?」。
はぐれミーシャ「よくなかったら、電話してないよ」
Tちゃん「わかりました。喜んで行きます」
やったー!
Jちゃんとは別に付き合っているわけではないので、問題はなし。

2日後、僕とTちゃんは劇場に行った。
そのときのことはよく覚えていない。
とにかく良く笑った。
劇は素晴らしく、Tちゃんにも気に入ってもらえた。

帰りは大学の寮まで送ることにした。
その途中、Tちゃんが「あのー、私も好きな劇があるんで、招待してもいいですか?」
もちろん、もちろん!
そして、僕とTちゃんは一週間後にまたもや劇場へ行くことになったのでした。

それからは一日おきほどに電話で会話。
それは日本の詩を読む練習と称して、何とか理由を作ってかけていたわけで。
そのころから、僕はTちゃんを強く意識し始めていた。
劇場での彼女との会話はとても刺激的なものだった。
彼女の考え方や芸術に対する情熱はしばらくそういう世界から遠ざかっていた僕にとってはとても新鮮に映った。
そして、Tちゃんも僕の話をとても興味深そうに聞いていた。

そして、再び劇場へ。
劇は三谷幸喜の「笑いの大学」。
ロシア語で上演されていることにびっくり。
Tちゃんは別に私に気を使ったわけではなく、一度見たことがあってとても気に入ったから、僕を誘ってくれたというわけで。

劇はずっと笑いっぱなし。
俳優も素晴らしくて。
ただ舞台装置がいまいちだけど。

その劇があった劇場は僕が住んでいた寮とは目と鼻の先。
21時を過ぎていたのだが、Tちゃんに「晩ごはんでもどう?」。
最初、彼女は戸惑っていたのだが、結局、うちに来ることに。

寮の入口のところには受付があって、そこの受付に座っているおばさんに身分証明書を預けなければならない。
Tちゃんは学生証を預けて中へ。

僕はTちゃんのために晩ごはんを作った。
正直に言えば、こうなることを想定して料理を作っておいたのだ。
別に何かを期待していたわけではない。
ただ単に僕は料理が好きなのだ。

Tちゃんはロマンティックなのが好きらしく、「そこにあるキャンドルに火をつけてもいい?」
ろうそくの淡い光の中、僕たちはいろんな話をした。
もちろん、テーマは芸術。
演劇に限らず、文学、絵画など、話題は尽きなかった。
そして、人生観などの深いテーマに入っていった。

止まらない話に僕たちは夢中になっていた。
いや、僕たちは気づいていたのだ。
止まるつもりなど最初からなかったことに・・・

気づいたときには時計の針は0時20分を指していた。
僕の寮では部外者は23時までに退出しなければならない。
そんな時間はとっくの昔に過ぎていた。
下に下りていけば、寮のおばさんに怒られることは確実。
しかも、Tちゃんも大学の寮に住んでいて、0時以降は中に入れないのだ。

こうなったら、Tちゃんにはうちに泊まってもらうしかない。
まだ付き合ってもいない女の子をうちに泊めるのは良くないことかもしれない。
でも、彼女を寒空の下に追い出すこともできない。

こうなることは最初からわかっていた。
彼女も最初から帰るつもりなどなかったのかもしれない。
僕たちは共犯者だった。

僕は「君のことが気になっていた」というと、彼女は「私もです」。
もっと君のことが知りたい、もっと君と話していたい、もっともっと・・・

僕たちはベッドに横になった。
服を着たままの夜は月明かりに照らされて、波打ち際の香りがした。

僕は彼女を引き寄せようとした。
しかし、彼女は軽く拒んだ。

僕はただ手を握った。
「このままでいい?」と聞くと、彼女はうれしそうにうなづいた。

僕たちは眠れない夜を眠った。
白い天井を見つめながら、僕たちはどこまでも自由だった。

朝起きると、僕たちは手をつないだままだった。
彼女は目を覚まし、つないだままの手をうれしそうに眺めた。

彼女は僕たちがすぐに体の関係を持たずに、プラトニックな夜を過ごしたことがとても気に入ったらしい。
僕たちはお茶を飲みながら、何事もなかったかのように、すでに長年付き合った友達のように、朝の光を浴びていた。

一つ問題が。
寮をどうやって脱出するか。
学生証は入口の受付に預けたままだから、何も言わずに出て行くことは不可能。
悪いことに、その日の宿直は寮で一番厳しいおばさんだった。

僕たちはおずおずとエレベーターを降り、受付のおばさんのところへ行った。
おばさんは「仕方ないわね。本当はダメなんだけど、今回だけよ」と言ってにっこり笑った。

朝の7時、彼女は寮へ帰っていった。

僕は晴れやかな気持ちだった。
彼女との交流は心からのものだった。

軽やかな気分で、僕は8時半から大学での授業に臨んだ。
いつものように楽しい授業。
学生たちが「先生、何かいいことでもあったんですか?」と聞いてくるほどの上機嫌。

そんな授業中、携帯電話が。
もちろん、電話に出るわけには行かないので、10時に授業が終わった後に折り返し電話。
電話の相手は聞いたことのない男の声だった・・・

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2009年10月31日

それは思いもよらない依頼だった。

電話の相手はベラルーシの芸術大学の先生。
僕の知り合いの知り合いで、面識はない。
何でもその女性、専門は演劇で、学生たちと日本をテーマにした簡単な芝居を作りたいということで、僕に協力を依頼してきたのだ。

僕は喜んだ。
好きな芸術に関われる。
音楽高校から音楽大学に進み、すぐに中退。その後も音楽に限らず、様々なジャンルの芸術に対して興味を持って生きてきた。

でも、ベラルーシでは芸術が足りない。
そんな想いが常にあった。
日本のように世界中から一流の音楽家が来るわけでもないし、絵画にしても日本にいながらにして世界の名品が眼にできるようなのとはわけが違う。
いろんな意味で刺激が足りないのだ。

だから、少しでも芸術に関われるのは僕にとってこの上ない喜びだった。
正直、演劇というジャンルはそれほど馴染みのあるものではなかった。
東京では劇場でアルバイトをしていたものの、それは別に演劇が好きだったからではなく、たまたまうちから近かったのと、仕事が楽だったからだ。

確か9月の半ば頃だったと思う。
僕は大学での午前中の授業を終え、芸術大学へと向かった。

大学の中は活気に溢れていた。
うちの大学はステータスが高く、悪い言い方をすれば「お高くとまっている」ような学生も多いのだが、そこは若者のエネルギーが感じられる場所だった。

教室に入ると、先生がニコニコ顔で迎えてくれた。
挨拶もそこそこに、すぐに4年生の生徒と対面。
みんな緊張している。
そりゃあそうだ。ベラルーシでは日本人に会うチャンスなんか全然ないのだから。

よく話を聞くと、先生がやりたいのは日本の詩を使った発表会。
日本語の原文とロシア語訳を読み、そこに軽く演技をつけるもの。
朗読のちょっと演劇っぽいものと考えればいいだろうか。
すでにフランス語ではやったことがあって、次は日本語で、と先生が考えたらしい。

そのとき、一人の女の子が積極的にいろんなことを聞いてきた。
名前は確かDちゃんだったと思う。
帰るときも同じ方向だったので、地下鉄の中でいろんな質問をされた。
質問の内容はベラルーシ人の誰もがしてくるたわいもないもの。
「どうしてベラルーシに住んでいるんですか?」とか、「日本はどんな国?」とか。

かくして、僕は週に一回、芸術大学に通うことになった。

練習はなかなか進まなかった。
学生たちは最初、題材として芭蕉の俳句を使おうとしていたのだが、それには僕が反対した。
俳句はロシア語に訳すのは不可能だと考えていたからだ。
実際、ロシア語訳の俳句は原文が持っている力を失っているものが多い。
それに、彼らが持っていたのはロシア語訳だけで、それを読んでも日本語の原文を見つけ出すのは難しかったのだ(←それぐらい原文と遠い訳だったということだ)。

僕はかつて自分が翻訳した日本の現代詩を使うことを提案した。
学生たちはそれを読んで大喜び。
かなり気に入ってもらえたらしい。

練習はなかなか大変だった。
日本語なんか聞いたことすらない人たちが日本語で現代詩を読むわけだから。
僕はその練習以外にも学生たちに日本文化を知ってもらいたくて、日本のことを話したり、本を貸したりした。
ただ詩を読むだけでは意味がないと思ったのだ。

ある日の練習後、一人の学生が僕のところにやってきて、「日本の作家の本を貸してもらえませんか?」
それがTちゃんだった。

彼女はとてもおとなしく控えめに見えた。
芸術大学の演劇科だから、学生たちも目立ちたがりなのが多いのだが、彼女は田舎から出てきた何も知らない女の子のように見えた。
顔立ちも服装も控えめで、純情な感じの女の子だった。

僕は「純情」とか「純粋」というものにとことん弱い。
そういえば、初恋の女の子の名前も「純○」だったし。

Tちゃんは確かにかわいかったが、僕は特に意識しなかった。
本を貸してほしいと言ってきたのも、僕としては「日本に興味を持ってくれてうれしい」というぐらいの気持ちしか持たなかった。
それが二人の「始まり」だとは思ってもみなかったのだ・・・

akiravich at 12:50コメント(2)トラックバック(0) 
こんばんは。
はぐれミーシャです。
ベラルーシは朝の4時です。
ちょっといろいろあって、寝られません。

寝れないときのネットサーフィン。
私はいつものように、いつも利用しているSNSを開きました。
そのSNSはロシア語圏では登録者数も多く、利用している人を名前や出身大学など、いろんな形で検索できるのが魅力なんです。
そうやって、小学校時代の同級生や幼馴染を探し出したりすることもありますし。
うちのベロニカちゃんも遠い親戚を探し出して、連絡を取り始めたりしてますし。

そのような便利なものを利用して、誰もがしてしまうことがあります。
それは昔の恋人や初恋の人を探してしまうこと。
今の気持ちに関係なく、何をしているのか気になってしまうというのはあると思います。
そんなことがみんなあるはずですよ(←ないなんて、言わせないぞ!)

少しばかりの罪悪感を抱えながら、私は偶然にも(←ここ、大事)昔の恋人のページを見つけてしまいました。
いろんなことを思い出したよ。
ほとんどは嫌な思い出ですけど。

そこで、僕はここにその頃のことを書いてみることにしました。
「なぜ書くのか?」と問われれば、「そこにブログがあるから」
このブログは自分の好き勝手書くのを心情としているので。

正直に言うと、これまでの人生で起こったこと、全てブログに書こうと思っているんです。
「そんなの興味ない!」と言われても、これは私のブログなので仕方がないですよ。

その彼女というのは、ベロニカちゃんも一度だけ顔を合わせてしまったことがあります。
私は「あれは前に付き合っていた子だよ」と言いました。
だって、彼女のほうがあからさまにこちらを意識していたので、ベロニカちゃんも「あの人、知り合い?」と聞いてきたんです。

ベロニカちゃんには過去のことも全て話しています。
私なんかは相手の過去を聞かされたりするのは好きじゃないのですが、ベラルーシの女性に関してはむしろ聞きたがることが多いです(←私が知っている女性の多くはそうですが、みんなではないと思います・・・)。
ベロニカちゃんもそうですし。
ベロニカちゃんからも「あの子は今何してるの?」と聞かれるのですが、私は全然知りませんでした。

念のために書いておきますが、その彼女と連絡を取ることは絶対にありません。
ベロニカちゃんがいるからというのもありますが、私自身が連絡を取りたくないのです。

これは人それぞれだと思うのですが、元カノと連絡を取ったりするのは、私は好きじゃありません。
よく「別れても友達でいよう」なんて言いますが、私は絶対にしません。
現に、ベロニカちゃんに出会う前までに付き合った人で、今でも連絡を取っている人はいません。

とりあえず、書いてみようと思います。

akiravich at 11:36コメント(0)トラックバック(0) 

2009年01月11日

今日は授業が4コマ。
まだ正月明けでエンジンがかかりきっていないのか、すごく疲れました。

なので、今日は簡単に。
1月は大学は試験期間で、授業はないんですよ。
なので、毎年、この時期は地方へ行って、折り紙教室をしているんです。
元々、この取り組み自体は私が8年前にベラルーシへ来たときからやっていること。
最初は病院が中心だったのですが、今は学校がメインになっています。

行きたいと思っているのが、ブラスラフという町。
ベラルーシの北部にある町で、ミンスクからはバスで4〜5時間ほど。
美しい湖が点在する地域で、国立公園にもなっています。
私の考えでは、ベラルーシで最も美しい場所なのです。

そこに行ったのは2年前のこと。
通信教育で勉強していたカーチャちゃんに「もし良かったら君の学校へ折り紙を教えに行きたいんだけど」と手紙を出したら、彼女も学校の先生たちも喜んで受け入れてくれて。

P3070652P3070654これがその時の写真です。
一日で5つ授業をしたんです。
各学年一つずつ。
ブラスラフほどの田舎になると外国人はそんなに来ないし(←最近はドイツ人が避暑にやってくるらしいですが)、ましてや日本人ともなるとまず会うチャンスはないわけですから、みんな大喜びでした。
私もいろんな町に行って折り紙をしましたが、ブラスラフの子供たちが一番ノリが良かったです。
美しい湖に囲まれているからか、心も純粋なんでしょうか。
すごく素朴で、すれていない、いい子供たちでした。

そういえば、そのブラスラフ出身のカーチャちゃん。
今度、日本に留学するんですよ。
5年間のプログラムに合格したんです。
彼女に「おめでとう!」と電話したとき、「またブラスラフに行きたいんだけど」と行ったら、彼女が学校の先生に聞いてくれて。
数日後、「ぜひいらしてくださいと言っていました」との返事。
こりゃあ、行くしかないでしょ!

もう一つ、私が気に入った町があります。
それはモロデチノという町です。
これは今、大阪大学に留学している私の学生、セルゲイ君の出身地。
ミンスクからは電車で1時間半ぐらいの所にあります。

P2150637これがその時の写真。
これも二年ほど前ですね。
このときも楽しかったなあ。
みんな素直で、びっくりするほど。

地方都市の学校はミンスク市内の学校とはちょっと違いますよ。
2ヶ月ほど前、ミンスク市内の学校で折り紙をしましたが、まあうるさいうるさい。
完全に学級崩壊状態。
担任の先生も「静かにしなさい」と言うだけで、その効果は3分も続きません。
私もミンスク市内の中学校で教えた経験があるので、学校で何が起きているのかはある程度理解しています。

地方都市はいいなあ。
大学の試験が終わったら、行こうっと!

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2008年12月02日

PC012315今日はちょっとうれしいことが。
去年の夏、私が撮影に参加した映画のDVDをもらったんです。
DVDを持ってきてくれたのは、うちで週に一回日本語を勉強しているヴァーリャちゃん。
彼女のお父さんは映画監督のヴャチェスラフ・ニキーフォルさん。
彼の映画に出たんです。

それは夏のある日のこと。
通信教育の会社に行く途中のバスの中で、携帯に電話が。
電話に出ると、知らない女性が「実は今、映画の撮影をしているんですが、協力していただけませんか?」
まあ、それまでも何度かエキストラはやったことがあるので、別に驚かなかったんですけどね。
「ええ、いいですよ。撮影はいつですか?」「今日!」
え〜! 今日からって、冗談でしょ!?
「場所はどこですか?」「バラダルスカヤ通り。知ってるでしょ? あの刑務所があるところよ」
ミンスクの町の真ん中に刑務所があるんですよ。
そのすぐ近くにゴーリキー記念ロシアドラマ劇場があるんです(←昨日行って、ひどい目にあった劇場)。
「あー、わかりました。劇場で撮影するんですね?」「違うわよ。刑務所の中で撮影するのよ!」
本当!?
刑務所の中に入っちゃっていいの!?

まず、私は電話をしてくれた女性のところへ直行しました。
そこで、写真を撮られました。
それは胸のところに写真つきの名札をつけるので、そのための写真をまず撮らなければならないということでした。
いろいろ質問したんですが、映画の内容は全くわからないまま、うちに帰ってスーツを着て、すぐに撮影現場に直行することになったのです。

とりあえず、ベラルーシフィルムという映画スタジオの前に集合。
当然、顔も知らない人たちですから、みんな遠巻きに私のほうを見ている感じ。
みんなで刑務所へ向かってGO!

刑務所に着いたのは17時ぐらい。
刑務所の敷地内には歩いて入りました。
携帯電話などの所持品は全て預けることに。
そして、入念なチェック。
まあ、当然ですな。

控え室でかなり待たされてから、ようやく刑務所の建物の中へ。
中へ入ると監督さんが。
監督さんが私のほうへ近づいてきて、「はじめまして」と握手。
「本当に日本人!?」と聞いてきたので、「ええ」と答えると、感激して「どうやって日本人を見つけてきたんだ!? ベラルーシには日本人がいないと思っていたよ!」
まあ、そう思っている人、かなり多いんです。
監督「実はうちの娘が日本が大好きで、日本語を勉強したいって言ってるんだけど、ベラルーシには日本語の先生がいないんだよ」
akiravich「あなたの目の前に先生がいるんですけど」
監督「おー!!! それはすごい! こんなところで出会えるなんて、何かの運命だな! 電話番号をくれ。あとで必ず電話するから」
こんな風にして、私は刑務所の中で映画監督と知り合ったのでした。 

そこからは待ち時間。
映画の撮影って、これが結構辛いんですよね。
持ち物は全部預けちゃったから、本を読むことも出来ないし。

仕方がないので、刑務所の観察。
その刑務所、建物が古いんですよ。
天井が低くて、洞窟を思わせるような作り。
確か17世紀とか18世紀に作られた監獄をそのまま使っているのだそうです。
今でも現役の刑務所。
ですから、目の前にある扉の向こうには本物の服役囚がいるわけで。
近くまで行って、耳を澄ませると服役囚たちの声が聞こえるんですよ。
それが全く意味不明。
ロシア語では囚人だけが使うような言葉がかなり多いんです。
「何言ってるか全然わからないんですけど」と言うと、周りにいた俳優たちが「そりゃあ、俺たちもわかんないよ」
同じロシア語でも、刑務所の中の言葉は全然違うんですね。

散々、待った挙句、私が出るシーンが始まったのは、夜の10時近く。
私の役どころはアメリカから来たアムネスティ・インターナショナルのメンバーで、アメリカ人のジョン。
なぜ「ジョン」という名前なのかは不明。

PC012310メンバーみんなで監房の中へ。
そこには恐ろしい顔をした囚人たちが。
私はセリフがなかったので、ひたすらニコニコして、珍しそうに部屋の中を眺めたりしていればいいと言われました。
映画って、何回も撮って、それをつぎはぎしたりして作るんですよね。
だから、同じことを何回も繰り返すんです。
それをいろんな角度から撮影するんです。
ちょっと疲れました。

PC012311私の前にいる人は刑務所の所長役のミシャンチュクさん。
私は結構前から彼とは知り合い。
まあ、顔をあわせれば挨拶をするという程度ですが。
彼もベラルーシの国民的俳優の一人です。
ベラルーシの芸術アカデミー・演劇学科の学部長さんでもあります。
私の友人である俳優のオレグ君やアンドレイ君はみんなミシャンチュクさんの生徒さんなんです。
ちなみに、左にいる女の人は監督さんの奥さんです。

PC012312一瞬だけアップ!
やばいですよね。
太ってますよね。
ちょっと下から撮ってるから太っているように見えるのかもしれないけど、これはかなりやばい顔の丸さです。
うちのベロニカちゃんによく「アンパンマンにそっくり」と言っているのですが、私も「アンパンマン」に近くなっているような気が・・・

結局、この日の撮影が終わったのは、刑務所を使用できるタイムリミットギリギリの11時45分。
普通、映画の撮影だとケイタリングの食事が出るんですが、刑務所内ということで食事を持ち込めず、お茶とコーヒーのみ。
刑務所の敷地を出たところで晩ご飯が振る舞われましたが、時間が遅かったんで、私はすぐに帰宅。

そして、次の日も撮影。
今度はちょっと違う場所にある刑務所。
こちらのほうが警備が厳重で、中に入るときのチェックも厳しかったなあ。

PC012308この日は刑務所に到着したシーンを撮るだけ。
なので、割と早く終わってしまいました。
監督さんとは最後に握手。
「必ず電話するから」
そして、一週間後に本当に電話が来たんですけどね。
それから、彼の家族とも知り合い、今でもお付き合いがあるというわけです。
まあ、今はたいした付き合いじゃないですけどね。
以前は彼のうちに招待されて、夜中の2時過ぎまで楽しい時間を過ごしたり、レストランでご馳走してもらったりとかなり緊密な付き合いをしていました。

あー、思い出すなあ。
あの撮影は楽しかったなあ。
だって、本当の刑務所の中に入るなんて、なかなかないことですよ。
あの雰囲気を見たら、「絶対悪いことはしない」と思いますよ。

ベラルーシに住んでいると、日本人が少ないからか、映画やテレビのオファーをもらうことがあります。
アジア系の人間が欲しいときには呼ばれることがあります。
というのは、ミンスクにも中国人がものすごく多いんですけど、彼らのほとんどはロシア語がメチャクチャなので使えないんですって。
だから、少しでもセリフがあったり、動きが難しいエキストラの場合は私が呼ばれるというわけです。
でも、最近そういう機会が少ないなあ。
また仕事が来るといいなあ・・・

akiravich at 05:53コメント(0)トラックバック(0) 
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