思い出

2009年05月26日

武満徹:カトレーン武満徹:カトレーン
アーティスト:武満徹
販売元:ポリドール
発売日:1999-11-01
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今日の音楽は武満徹の「カトレーン」。
私が武満徹の音楽と出会ったのは、15歳のとき。
NHKの教育テレビで「ノヴェンバー・ステップス」を聴いたのが初めてでした。
最初は「何これ?」という感じだったのですが、何故か聞き入ってしまって。
わかるとかわからないとか、そういう問題ではないのですね。
武満徹は私の大好きな作曲家の一人です。

今日は楽な一日でした。
授業が二つキャンセルになって、4コマ。
4コマぐらいだと、精神的にも楽です。

唐突ですが。
私は辛い料理が好きです。
大好きです。
でも、最近、辛すぎるものを食べるのは辛くなってきました。

P5241106これは昨日の晩ご飯のキムチ鍋です。
私とベロニカちゃんの二人だけだったので、だしとかはとったりせず、簡単に作りました。
具は豆腐と鳥肉の団子とキムチだけです。
「それだけがいい」とか、そういうカッコいい理屈ではありません。
「それしか入れるものがない」という悲しい理由です。
まあ、お金もないしね。
でも、辛くて、結構おいしかったです。

ベロニカちゃんは基本的に辛いものはダメ。
でも、いつも買っている韓国人のハンナさんのキムチは大丈夫なんですよ。

ベラルーシ料理の中には辛い料理というのはありません。
ものの見事に、一つもないですね。
だから辛い料理が苦手な人も多いんです。

そもそも、香辛料を使う習慣がなかったんですよ。
伝統的なベラルーシでよく使う香辛料といえば、黒コショウ、コリアンダー、キャラウェイシードぐらい。
それもベラルーシで栽培されているものではありません。
まあ、最近ではどこのスーパーでもいろんな香辛料が売られているので、いろんな料理を作るようにはなりましたね。
でも、辛い料理というのは他のうちではあまり食べたことがないと思います。

ああ、そういえば旧ソ連圏で言えば、カフカース地方の料理は辛いのがあるなあ。
私は大好き。

若いときから、私は辛いものが大好きでした。
例えば、私が通っていた高校の近くにあったラーメン屋「鬼がらし」。
辛さが選べるんですよ。
私はいつも最高に辛い「超辛」を選んでました。
初めて先輩や同級生達と食べに行ったとき、超辛を食べたんですが、かなりきつかったです。
でも、それからはまってしまって。
「鬼がらし」に行くときは、必ず超辛を食べてました。

今はあるかどうかわかりませんが、国道沿いの「鬼がらし」の横に離れのような形で、カレー屋の「くじら亭」というのがあったんです。
そこも辛さが選べるスタイルでした。
そこの「超辛」は本当に食べるのが苦しかったです。
その店には一度行ったきりでした。

そんなわけで、私は辛いもの好き(←どんなわけだ!?)
いろんな料理に唐辛子を入れることが多いです。
いや、でも最近は使用量が少なくなったかな。

以前、ベラルーシで韓国人の友だちがたくさんいて。
あるとき、彼らの為にコチュジャンを使って激辛料理を作ったんですよ。
「相手は韓国人だから、これぐらい辛くないとダメだろう」と思って、思いっきり辛くしたのですが、彼らの反応は「これは辛すぎる」。
私は平気だったのですが・・・

ちょっとセーブしないとダメだなあ。
年を取って、胃腸も弱っているだろうし、あんまり辛いのはよくないなあ。
でも、時々食べたくなっちゃうんだよね。
「鬼がらし」のラーメンはまた食べたいなあ。
「龍上海」の辛みそラーメンもいいなあ。
ああ、ラーメン食べたい、ラーメン食べたい・・・(×100万回)

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2008年07月24日

4f2c9ed8.JPG今日はとてもいいことがありました!
先週、このブログのコメント欄に九州のKBC九州朝日放送の方から連絡があり、ラジオ番組への出演依頼を頂きました。
そして、今日、その番組が放送されたのです!

番組の名前は「PAO~N パオーン」です。
その番組の中で「独占!大人の時間」というコーナーがあり、そのコーナーの水曜日のメニュー「世界ウハウハハウマッチ」に出演したのです。
そのコーナーでは世界のさまざまな国で生活する日本人に国際電話をかけて、いろんな話しを聞こうというもの。
生放送です。

放送時間は日本時間で15時10分。
ベラルーシの時間では朝の9時10分でした。
前もって質問を頂いていたので、答えるのは割りと楽でしたね。
ちょっとしゃべりすぎたかな、と思っています。

コーナーの最後に物の値段に関するクイズを司会者の方に出さなければならなかったんです。
私が選んだテーマは豚肉。
「豚のバラ肉一キロのお値段は・・・ハウマッチ!」
さて、皆さんはいくらだと思いますか?
答えは12000ベラルーシルーブル、約600円です。
これでもかなり高くなっているんですよ。
だって、一年ぐらい前は9000ルーブルとかでしたから。

そのコーナーが終わって、係りの人が電話に出たのですが、「古○さん、しゃべるの慣れている感じでしたね」
そうですね。
僕、テレビとかラジオって、本当に緊張しないんですよ。
通訳の仕事のときはびびりまくるくせに。
それに、経験もありますから。

「経験」というのは、ベラルーシで一度だけ、ラジオに出演したことがあるんです。
4年ほど前、まだ独身だったころのことです。
今日の写真はそのときにスタジオで撮った写真です。
相手のパーソナリティーはオリガ・ネフョードヴァという女優さんです。
声がものすごくハスキーな人でした。
彼女のラジオ番組では、月に一回外国人をスタジオに招いて、その国の話しをしてもらうという企画がありました。
そこに呼ばれたのです。
2時間の生放送。
ずっとスタジオの中にいなければなりませんでしたが、CMがあったり、音楽があったりで、ずっとしゃべりっぱなしというわけではありませんでした。

彼女の質問「ベラルーシ人がイメージしている日本と実際の日本はだいぶ違いがあるんじゃない?」
この質問に「僕はよく子供たちに折り紙を教えたり、日本について話したりしているんですが、そのときに必ず言うことがあります。『日本では侍も忍者も芸者もポケモンも町の中は歩いていませんよ』」
この答えにオリガさん、爆笑!
このとき、学生たちも聞いていたのですが、その番組をよく聞いていた学生が「あの司会者はいつも落ち着いていて、あんなに笑ったの、初めて聞きましたよ」と言ってました。

音楽をかけている間に、私たちはお茶を飲んだりしてリラックス。
オリガさんが「あきら、あなたは彼女いるの?」「ええ、いますよ」「じゃあ、今から電話して、出演してもらってもいい?」
え〜! 本当?
そのとき、彼女(あのおそろしいジャイアンシチューを作った子です。6月29日の「まずい料理」をご覧ください・・・)はミンスクから遠く離れた実家に帰っていて、電話をするとびっくり。
でも、もともと演劇関係の勉強をしていただけあって、堂々と質問に答えていました。

ラジオへの出演はその一回だけ。
僕はもともとラジオが大好きだったので、夢がかなったような感じでした。

ラジオが好きだ!と言っても、ベラルーシでは全く聞きません。
聞いていたのは、中学生の頃。
小学校のとき、誕生日にもらったSONYのラジオでいろんな番組を聞いていました。
その当時「ラジオパラダイス」というラジオのファン向けの雑誌があって、そこで紹介されている番組は地方局のものにいたるまで、いろんなものを聞いていました。

例えば、RKB毎日放送という福岡の放送局の番組で「HiHiHi(ハイハイハイ)」という夜のワイド番組はよく聞いていて、はがきで投稿して採用されたりしていました。
あっ、RKBは今日私が出演したKBCのライバル局ですよね。
KBCの方が読んでいらっしゃったら、すみません。
私が住んでいた山形ではRKBの方が受信状態がよく、KBCはかすかにしか聞こえなかったんです。

あとはSTVラジオという北海道のラジオ局の「アタックヤング」。
今でもやっているみたいですね。
その当時は田中義剛がパーソナリティーをやっていて、ちょうど全国的に有名になろうとしている頃でした。
おもしろかったなあ。
彼のCDも持っていましたよ。
今も実家に残っています。
結構、いい声してるんですよね。

そして、やっぱりはずせないのが「オールナイトニッポン」!
あのテーマソング「ビタースイートサンバ」を聴くと、今でも胸がキュンとします。
有名な歌手やタレントがパーソナリティーをしていますが、私が好きだったのは3時から5時までの「オールナイトニッポン第二部」。
私、あんまりメジャーなのって好きじゃないんですよ。
アイドルマニアの人とかで、まだ有名じゃないアイドルを応援して、メジャーになったら興味を失う人、いますよね?
私もそういうタイプです。
まだあまり有名じゃなかった伊集院光のは、夜中に笑いをこらえながら聞いていました。

私が一番好きだったパーソナリティーは片桐麻美という女性シンガーソングライターです。
最初、聞いたときは「なんて暗い雰囲気なんだろう」と思いました。
オールナイトニッポンとは思えないような静かな空気が流れていました。
非常に淡々とした感じで番組は進むのですが、リスナーの手紙を丁寧に読む人で、とても長い手紙を読んでコメントをしたりするので、一通にかなりの時間を費やしていました。
その内容は本当に心が通ったもので、深い内容の話しが多かったのを記憶しています。
ある日の番組の最後に、彼女の歌で「あなた」という曲が流れました。
確か5分近くかかる長い曲です。
私は心を打たれました。
CDを買いました。
何度も聞きました。
でも、今、そのCDは日本で知り合いに貸してそのまま紛失してしまいました。
何とか探さないと・・・

オールナイトニッポンの第二部は夜中の3時からですから、起きているのは大変です。
私はその頃、高校受験を控えていて、夜は19時半ぐらいに寝て、夜中の2時半に起きていました。
夜中のほうが勉強に集中できるから、というのは建前で、本当は深夜放送を聴きたかったんですよね。
高校受験の当日も、2時半に起きて、片桐麻美のオールナイトニッポンを聴いてから、受験を受けに行きました。
今でも、よく覚えています。

全然、関係ないのですが、その頃、オールナイトニッポンの放送中に流れるCMで、非常に耳に残るものがありました。
それは「夢の遊眠社」という野田秀樹さんがやっている劇団のCMでした。
内容は覚えていませんが、その劇団の名前だけは「変な名前だなあ」ということで記憶に残りました。
私は東京に住んでいたとき、世田谷パブリックシアターという劇場でアルバイトをしていたのですが、その劇場では野田さんの劇をよくやっていたんですよ。
あるとき、劇場のエレベーターで野田さんと二人きりになってしまって。
「ああ、この人が夢の遊眠社の人なんだなあ」と思って、感動というか、何か不思議な気分になったのを覚えています。
エレベーターを降りると、そこは稽古場になっていたのですが、その前の廊下のど真ん中で一人の有名俳優が熟睡していました。
それを見た野田さんは指をさして、私と一緒に笑いをこらえていました。
本当に不思議な気持ちでした。

今日はただの思い出話になってしまいました。
ラジオに興味がない方には退屈な内容だったと思います。
すみません。

ちなみに、ベラルーシのラジオはあまりおもしろくないです。
ベラルーシに来て、最初の半年間はテレビがなかったのでラジオを聴いていたのですが、DJがつまらないのが多くて。
学生たちに聞いても、ラジオを聴く若者はかなり少数のようです。
日本ではどうなんでしょうかね。
昔は深夜放送は「若者たちの解放区」だったわけですけど、今はどうなのかなあ・・・

akiravich at 04:32コメント(0)トラックバック(0) 

2008年07月18日

今日は一日、完全休養。
ところが、朝の9時に翻訳会社に電話するために起きなければならず、それからメールをチェックしたら、日本の某大学からメールがあり、うちの大学の偉い人と電話で協議をしたり、まあ、休みなのか何なのか。
でも、その後もう一度14時ごろまでぐっすりと眠りました。
それからダラダラと部屋の掃除をしたり、本を読んだりしました。

すると、友人の俳優ヴォーヴァ君から電話が。
「今夜の劇の招待券があるんだけど、行かない?」
おお、行く行く!

で、行って来ました。
場所はいつものヤンカ・クパーラ劇場。
劇の名前は「Дзецi Ванюшына」。
直訳すると「ヴァニューシンの子供達」。
ヴァニューシンというのは主人公の名前です。
話の内容はよくある話。
ヴァニューシン家が崩壊していく様を描いたもの。
まあ、はっきり言えば、全然面白くなかったので、これでこの話しは終わり!

さて、今日はある忘れられない出来事について書いてみたいと思います。
それは6年前の冬。
私がベラルーシに住み始めて、1年半経ったときのことでした。
一月、大学での試験が終わると、2月からの第二学期が始まるまで2週間ほど冬期休暇があります。
そのとき、私は同じ職員寮に住んでいたアラブ語の先生に「俺の親戚がノヴォポロツクっていう町に住んでいるんだけど、暇だったら一緒に行かないか?」と誘われたのです。
私はミンスク以外の町はほとんど行ったことがなかったので、喜んで行くことにしました。

そのアラブ語の先生とは大学の同じ部署で働いていましたから同僚に当たります。
彼はアラブ人ではなく、アルメニア人でした。
名前はバロヤン。
「〜ヤン」という名前はアルメニア人に特徴的な名前です。
例えば、カラヤン(指揮者)、サローヤン、カロヤン、マダムヤンなどです(まあ、適当に流してください)。
彼とは結構仲良くしていました。
よく彼の部屋にお茶を飲みに行ってましたから。
にぎやかなことが大好きで、いつも大声で話す人でした。
血が燃えると言うか、短気なところがあったので(アルメニア人には多いようです)、彼を嫌っている人も多かったですが、私は結構好きでした。

彼と二人で夜行列車に乗り、ノヴォポロツクの隣の町、ポロツクに着いたのは着いたのは朝の8時半でした。
そこにバロヤンの妹さんが迎えに来てくれました。
みんなでバスに乗るはずだったのですが、そこでトラブル。
バスが来たので私が乗り込んで、その後彼らも続いて乗ると思ったら、彼らが「このバスで本当にいいのか?」などと大声で議論を始めたその瞬間、バスのドアが閉まり出発してしまったのです!
次のバス停で降りて、彼らを待っていたら、程なくして現れたので事なきを得ました。
しかし、出発したバスに向かって「ふる○○!」と叫びながら、追いかけてくるバロヤンの姿。
ドラマで恋人の別れるシーンのようで、今でもまぶたに焼き付いています(彼には悪かったですが、ちょっと笑ってしまった)。

彼らのうちに着くと、そこには妹さんのご主人(グルジア人)と男の子と女の子が一人ずついました。
自己紹介をして、いろいろと話をしました。
彼らはかなりフレンドリーで、こちらも話しやすかったです。
子供達は日本人の客に大喜び。
だって、ミンスクでも珍しいのに、ノヴォポロツクのような小さい町では天然記念物のようなものですから。

しかし、私にとって、その家庭での生活は驚きの連続でした。
彼らはもちろん、お互いにアルメニア語で話します。
私と話すときはロシア語ですが(それもかなりくせのあるロシア語でわかりにくい)、普段はアルメニア語。
それはかなりきつい感じのする言葉でした。
しかも、みんな声が大きい。
何かケンカしているように聞こえるのです。
もちろん、アルメニア人がみんなそんな話し方をしているのではないのでしょうが。
バロヤンに「みんな、何か怒ってるの?」と聞くと、「いや、普通の会話をしているだけだ!」とやっぱり大声で答える。
私がそこにいたのは3日間だけですが本当に疲れました・・・

そして、もう一つ衝撃的だったこと。
そのとき、私は大きいスポーツバッグを持っていっていたのですが、その中を子供達が物色するのです!
私は触ってもいいなんて、一言も言ってないんですよ。
物を一つ一つ取り出しては「これ、何?」「これ、いくらするの?」と質問攻め。
それを見たお父さん、注意するのかと思いきや、自分も物色を始め、MDプレーヤーを取り出し「これ、いくらで売ってくれるんだ?」
誰も売るなんて言ってないし。
カルチャーショックでした・・・
「アルメニア人は商魂たくましい」とは、よく言われていますが、それは本当のようです。

でも、食事はおいしかった!
特に覚えているのが、ロールキャベツ。
というか、キャベツじゃなくて、包んでいたのはブドウの葉を塩漬けにしたもの。
これが超うま〜!
そこに自家製のヨーグルトのようなものをかけて食べるんです。
他にも、うどんじゃないんですけど、手打ちのうどんというかパスタをようなものもおいしかった。
麺というか幅広く切ったものでしたが、ゆでて、そこに軽く焼いたにんにくのみじん切りをその油とともにかけます。
そこにヨーグルト。
ものすごくシンプルなのに、ものすごくおいしかったです。

ノヴォポロツクは小さい町で、観光スポットも特にはありません。
隣のポロツクには有名な教会などがあり、みんなで一緒に見に行ったりしました。
それ以外の時間は子供達と遊んだり、日本の話しをしたりしてすごしました。
最初は楽しかったのですが、大声の会話やその他いろんなギャップがあって、次第に疲れがたまっていきました。

そして、二泊三日の最後の晩、私達はノヴォポロツクの近郊の村へ行きました。
そこでシャシュリクパーティーをするためです。
シャシュリクというのは、こちらのバーベキューのようなもの。
大振りの肉をマリネしてから焼くんですが、私は大好き。
その家族はその村にもマンションを所有していて(しかも、二つ!)、そこに泊りがけで行ったのです。

シャシュリクは普通は外で炭をおこして焼くもの。
そのときは真冬だったので、ガレージの中で焼いていました。
鶏肉だったのですが、これがバカうま!
シャシュリクというのはもともとアルメニアのあるコーカサス地方が発祥だと言われているのです。
やはり本場は違うなあ、と。

みんなでパクパク食べている最中に、グルジア人のお父さんがとんでもないことを言い出したのです。
「あきら、お前、今晩女は欲しくないか?」
えっ? 何じゃそりゃ?
しかも、子供の前だし。
かなり面食らって答えられずにいると「わかった。お前、照れてるんだな。ちゃんと探してきてやる」。
おいおい! 誰も頼んでないし!
でも、困っていたのは私だけで、子供も含め、みんなはまるで当たり前だと言わんばかりに、肉を食べ続けていたのでした。

気持ちよく酔っ払って、お腹もいっぱいで満足していると、お父さんが「じゃあ、行こうか」「どこへ?」「決まってるだろ。お前のために女の子を見つけてきた。待っているから、来いよ」
え〜!
行かないとも言えないし、私も一応男だし(一応じゃなくて、本当に男です)、とりあえず行ってみることに。
部屋を出ようとすると、そこの娘に「今日はもう一つのマンションに泊まるんでしょ?」と言われて、ちょっと焦りました。

で、部屋に入ってみると、そこには若い女の子が。
しかも、二人。
でも、そこには女の子の他に、お父さんとその甥っ子が座っていて、バロヤンまでニコニコ顔で座ってるし。
何じゃこりゃ?!

とりあえず、談笑。
しばらくみんなで会話をしていると、そこにお母さん(つまりバロヤンの妹)が乗り込んできて、さあ大変。
お母さんがアルメニア語でまくし立てる。
ただでさえ大声なのに、ケンカとなるともう手がつけられない。
そして、女の子達と私を残して、みんな出て行ってしまいました。

私達はあっけにとられたまま、お茶を飲みながら普通の話し。
折り紙を折ってあげたり、日本語で名前を書いてあげたりして、女の子達大満足。
そして、彼女達は笑顔で帰っていきましたとさ。
この話しを後でバロヤンにしたら、「お前は男だろ? 何か病気でも持っているのか?」と言われましたが、やっぱり愛のない「関係」は気が進みません・・・

彼女達が帰った後、私は激しい怒りにとらわれました。
それまでの二日間、我慢していたものが爆発したのです。
「もうたくさんだ! 俺はミンスクに帰る!」と心に決め、私は誰にも言わず、一人で外に出ました。
「とにかくポロツクの駅まで行こう。そして、一番早い列車でミンスクに帰ろう」

私はポロツクの方向に向かって歩き始めました。
その村の家は途切れ、次の村までは周りに全く何もない雪原が広がっていました。
午前2時。
月明かりだけが明るく、その光の中で冬の空気の冷たさが透き通るように輝いていました。

最初は興奮していたので何も感じなかったのですが、先に進むにつれ、寒さが体の芯に染み渡っていきました。
間違いなく、マイナス20度はあったと思います。
田舎の道は雪も片付けられておらず、雪を掻き分けながら前に進むのは一苦労でした。
近くの民家に助けを求めようかとも思いましたが、こんな時間に知らない人間、しかもアジア人が来たら誰でも驚くでしょう。
銃を持っている人がいたら、間違いなく撃たれるでしょう。

なぜかベラルーシの田舎では犬を飼っている家が多く、一つ一つの家を通るたびにその犬が吠えるのです。
夜中の2時でも吠えるんですよ。
その家の人が起きてきたらどうしようという思いもありましたが、それ以上に自分がお尋ね者になったような寂寥感にさいなまれました。

それでも、私は前に進みました。
そのときはポロツクまでどのくらいあるか全く理解していなかったのです。
ちょっと酔っ払っていたのもあるんですよね。
ノヴォポロツクから車で20分ぐらいかかるのですから、歩いて駅までたどり着くのはかなり無謀な試みでした。

いくつもの村を過ぎ、私は二つの分かれ道に差し掛かりました。
どちらに行けばいいのかは全くわかりませんでした。
どちらを向いても、その先は吹雪にかき消されて何があるのか全く見えません。
そして、そのとき、私は理解したのです。
「このまま、先に進めば確実に死ぬ」

そのことを理解した私は歩いてきた道を逆にたどっていきました。
そこまで1時間半ほど歩いていたので、帰りもかなりの道のりでした。
命からがら、マンションに着くと、そこではみんな熟睡していました。
「どこに行ってたんだ。心配していたんだぞ」と、ドアを開けてくれたバロヤンの甥っ子は言っていましたが、彼の口調からは心配のかけらも感じられませんでした。
実際、次の日、みんなに会っても、「ちょっと散歩に行ったと思っていた」と言う程度で、本当に心配していなかったようでした。

私、ウズベキスタンのタシケントという町にいたとき、暑さで死にそうな思いをしたことがあります。
寒さと暑さとどちらが怖いかと聞かれれば、私は間違いなく寒さのほうだと答えるでしょう。
怖さの種類が違うんですね。
暑さで死にそうだったときはだんだん意識が遠のいていく感じでしたが、寒さの場合は頭がだんだん冴えていき、明晰に壊れていくというか。
自分が凍り付いていくという恐怖はヒタヒタと静かに、しかし確実に訪れてくる死のようでした。
もうあんな怖い思いはしたくないですね。

我ながら、笑ってしまいます。
笑うしかない感じです。
こういう目に合うと、余計、人生を大事に生きなきゃという気になります。
そのアルメニア人家族とは、その後もしばらくは交流がありましたが、今は全く消息不明です。

アルメニア! 
行ってみたいんですよ。
料理がおいしかったし、まあ、いろいろあったけど、アルメニア人は根はいい人たちだし。
いつか行きますよ、必ず。

明日も仕事がたくさん。
早く寝よう・・・

akiravich at 07:20コメント(9)トラックバック(0) 
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