恋愛

2012年09月16日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

今は土曜日の夜23時23分。
まったりしています。

普段はまったりできないのですが、今日はまったりです。
というのは、ベロニカちゃんと龍二くんが実家に行っているから、うちに一人でいるんです。
みんなでにぎやかなのもいいけど、一人の晩酌もなかなか乙なものです。

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まったりと見ていました。
日本でマンガを読み、すっかりはまっていた「深夜食堂」。
ドラマになってもなかなか乙なものです。
最初のまったりした歌が何とも言えないです。

ああ、俺もこういう食堂、やりたいなあ。
今も飲食店をやりたいという気持ちはかなり強く持っていて。
最近、知り合いに相談したのですが、もしかしたら数年後にはどこかで仕事をさせてもらえるかもしれません。

IMG_6575
そんなはぐれミーシャの晩ご飯はこちら。
ローストビーフ丼です。
二日前に作ったローストビーフが余っていたので、それをどんぶりにしてみました。
ソースは煮詰めた赤ワインに肉汁を加え、醤油、塩、胡椒で味を整え、最後にバターを溶かし込んで、ちょっとフランスチック。
これは激ウマでした!!!
ちょっと言葉を失いました。
盛り付けが下手なのが今後の課題です。
今度はソースにゆずこしょうを入れてみよーっと。

IMG_6577
ビールはミンスクのアイスホッケーのチームのマークが入ったもの。
中身は普通のビールかな。
でも、何かいい感じ。

久しぶりに超まったり。
でも、このまったりに至るまでは結構な時間がかかっています。
今日は12時から個人レッスンが一つ。
13時半から弁論大会の原稿の添削が一つ。
16時から19時までの初心者クラスの授業。
19時から20時半までは女の子二人組の授業。
うちへ帰ったのが21時過ぎで、電話で同僚と授業の打ち合わせ。
それから、学生とスカイプで原稿の添削。
それから、料理。
まあ、よくやるわ・・・

初心者クラス。
今年も結構な数が集まりました。
3つグループを作り、そのうちの二つは私がやっています。
それぞれ、人数は25人。
18平方メートルの部屋に25人入るのですから、かなりの狭さ。
それでも、できるだけ多くの人たちに日本語を学ぶ機会を、という気持ちがあります。
まあ、多いのは最初だけで、一ヶ月ぐらいするとどんどん減っていくのですが・・・

19時からの授業は日本語を始めて三年目のダーシャちゃんとサーシャちゃん。
二人とも日本への留学を目指している17歳。
初心者クラスで疲れ切っていたのですが、彼女たちとの授業は楽しくてやりやすいです。

その授業でたまたまマクドナルドの話になりました。
ダーシャちゃんが「今日、私はマクドナルドに行きました」
私の教室の近くに新しい店舗がオープンしたのです。
私も行きましたが、不慣れなせいか、オペレーションが遅く、かなり待たされます。

ダーシャちゃんはかなり華奢なのに、フライドポテトをがっつり食べる女の子。
ラージサイズのポテトを二つぐらいぺろりと食べちゃいます。
でも、彼女はベジタリアン。
ベジタリアンでありながら、カロリーを気にしないところが素敵です。

彼女に冗談で「ポテトだけじゃなくて、アイスクリームも食べたんじゃないの? もしかして、ポテトにアイスクリームをつけて食べたりしていないよね?」と言うと、ダーシャちゃんは「はい」。
隣にいるサーシャちゃんも「はい。おいしいです」
はぐれミーシャ「えっ!? 本当につけて食べるの!?」
二人「本当です!」
冗談で言ったのに。

イメージできますか?
ベラルーシのマクドナルドで言うところのアイスクリームというのは、日本ではソフトクリームのようなもの。
それにポテトをつけて食べるんですよ。
二人によると、友達にもそういう食べ方が好きな人がいるとのこと。
うーん・・・

やっぱり学生と話すのは楽しいですね。
いろいろと発見があります。

発見といえば、この前の金曜日。
二年目のグループでの会話。

なぜか会話が恋話に。
私の過去の話。
はぐれミーシャ「東京にいた頃、付き合い始めて三日目ぐらいまで彼女の苗字を知らなくて。『苗字、何だっけ?』って聞いたら、すごい怒ってた」
ある女子学生「私なんか、付き合っている人の名前を知らなかったこと、ありますよ」
えええ!!!
そんなこと、あるの!?(←私も人のことは言えないが・・・)

確かにベラルーシでは友達でも苗字は知らないなんてことはあるかもなあ。
下の名前だけで通っちゃうことが多いし。

しかも、ベラルーシでは「付き合っている」という言葉が非常に曖昧。
ロシア語から直訳すると「会っている」という言葉なのです。
つまり、友達として会っているのか、恋人として会っているのかという境界線がわからないことがあるのです。

日本では「好きです」「付き合ってください」というところからスタートするものでしょうが、ベラルーシではそういう手続き(←?)を踏むことはあまりありません。
つまり、日本のように彼・彼女という関係になる境目がはっきりしないということになります。
そこが悩ましいところなのです(←今の私にとっては悩ましくもなんともないのですが)

はぐれミーシャ「彼の名前を知らないなんてこと、あるの!?」
学生たち「あります」「あってもおかしくはないです」
うーん・・・それ、自分が彼の立場だったら最高に嫌だなあ・・・

はぐれミーシャ「じゃあ、苗字を知らないってのは?」
学生たち「それは普通です!」「よくあることです!」
えー・・・

他の学生たちに聞いたら、「そういう人たちもいるかもしれませんが、そうじゃない人の方が多いと思いますよ」
ちょっと安心。
でも、そういう人たちがいるのがすごい。
せめて名前は知っておきましょうよ。

ここでの「学生たち」は全員女性でした。
男はどうなんですかね?
たぶん、彼女の名前は知っていると思うんだけど・・・

12年住んでいても、いろいろと知らないことがあるんだなあ。
まあ、今日書いた話は一般的なベラルーシ人のことじゃないかもしれないけど。

明日も6コマ授業。
そろそろ寝ないと・・・

P.S.
苗字を知らなかった彼女というのはプロレスファンの女の子。
お互いに技をかけたりしていたのですが、ある日、三沢光晴のまねでフェースロックをかけたら本気でキレた女の子です(←この情報、必要だったでしょうか・・・)。

akiravich at 06:05コメント(8)トラックバック(0) 

2010年08月17日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日のミンスクは強烈に暑いです。
まあ、日本とは比べ物になりませんが。
でも、似たようなタイプの暑さだと思いますよ。
じとーっとしている感じです。

今日は朝から龍二くんと病院に行ってきました。
予防接種を受けるためです。
何か日本よりも予防接種の数が多いんですよ。

龍二くんは病院の人も「静かなお子さんですね」と言うぐらい、本当に静か。
今日も注射のときはちょっと泣きましたが、すぐに泣き止んでおとなしくなりました。

今日はプライベートレッスンが二つ。
最初は14歳のキラちゃん。
このブログにも何度か書いていますが、彼女のお父さんはベラルーシでも有名な俳優のキリチェンコさん。
私も非常に親しくさせてもらっています。
その割にはここ1年ほど会っていないけど・・・

キラちゃんは芸術家の娘だけあって、とてもにぎやかな楽しい女の子。
今日もおしゃべり全開で、ほとんど授業にならないほどでした(←しょっちゅうです・・・)。

教科書の中にたまたま「彼」という言葉が出てきました。
そこで、私はキラちゃんに「彼がいますか?」と聞いてみました。

日本では友達になったら、そんな質問は当たり前ですよね。
でも、ベラルーシでは日本みたいに簡単には聞きません。
そこをあえて聞くのがはぐれミーシャ!

キラちゃん「いません(笑)」
はぐれミーシャ「でも、キラちゃんと付き合う男の子ってイメージできないね」
キラちゃん「私もできません」
はぐれミーシャ「だって、すごく強い男の子じゃないと、キラちゃんに負けちゃうでしょ?」

実はキラちゃんは同級生の男の子とも普通に喧嘩できるくらい強いのです。
別に格闘技を習っているわけではないのですが、腕っぷしが強いのです。

はぐれミーシャ「キラちゃんより強い人の方がいいでしょ? だったら、プロの格闘家になっちゃうんじゃない?」
キラちゃん「そうですね!(笑)」
はぐれミーシャ「初めてのデートがリング上とかさ」
キラちゃん、爆笑。

そうそう。
そこで私は音大時代の彼女との初デートのことを思い出したのです。

彼女はとてもとても静かな女の子でした。
大学からの帰り道、なかば強引に話しかけたのがきっかけでした。
もともと無口だったのが、いろいろと話すようになって・・・

話していくうちに、いろいろと共通の興味があることがわかりました。
音楽の趣味も似ているところがありました。

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彼女が大好きだったブラームスの間奏曲。
ブラームスの間奏曲 B FLAT MINOR, OP.117,NO.2

私はこの曲を聴くと、私の心は閉じていきます。
一緒に図書館の地下の視聴室で聴いたのです。
そのときのことは2009年3月7日「思い出が音楽になって、潮が満ちるように心が溢れる瞬間、ありませんか?」に書いてあります。

そんな彼女とは好きな作家も同じでした。
それは太宰治。
彼女の内向的な性格を考えるとそれは非常に自然なことでした。

それは6月の中旬のこと。
私は「じゃあ、桜桃忌に行ってみない?」。
桜桃忌というのは太宰治の誕生日であり、自殺後、遺体が発見された日でもある6月19日に太宰治を偲ぶ日のこと。
東京・三鷹の禅林寺にあるお墓に詣でるのです。

そして、私と彼女の初デートは太宰治のお墓参りになったのでした。
桜桃忌はある種のイベントと化していて、浴衣を着ている女の子がいたりして、何かお祭り気分を感じさせるようなものでした。
はぐれミーシャ「何か思っていたのと違うね」

彼女の中では彼女とか彼氏とか言うよりは、同じような志向の「仲間」という意識が強かったのかもしれません。
彼女は静かに笑顔で。
あまりにも静かで。
それはブラームスの風のようで。

それから、私たちは御茶ノ水に行きました。
私が好きな古本屋街があるからです。
彼女も本が好きでしたから、楽しそうでした。

でも、お昼ごはんを食べる店はちょっとミスったかも。
それは神保町の交差点からすぐの洋食屋。
洋食屋というか、食堂に限りなく近い店。

店の名前は覚えていません。
味はそこそこいいのですが、店内は恐ろしくなるほど汚いのです。
古い雑誌が山積みされていたりして。
とても初デートで連れて行くような店ではありません。
でも、彼女は楽しそうに食事していました。

そのあとは古本屋を回り、疲れたら私のお気に入りの店「喫茶ブラジル」でコーヒータイム。
あっという間に時間は過ぎていきました。

そして、どこかで軽くお酒を飲んだように思います。
正直、昔過ぎて所々記憶が曖昧なのです。

そして、私たちはうちへ帰ることにしました。
私は「うちまで送るよ」と言ったのですが、彼女はかたくなに「いいよ。一人で帰れるから」
彼女「それに、うちはお父さんが厳しくて、もし見つかったら何を言われるかわからないから・・・」

彼女は壊れそうなくらい弱い女の子でした。
抱きしめるとそのまま腕の中で崩れそうなほど脆い心を持っていました。
私は目を閉じたくなるほど彼女がいとおしくて・・・
目を閉じれば閉じるほど、私は彼女の中に入っていきたくなりました。
彼女の悲しい笑顔が精一杯に輝いているのは、その日の私にとって救いでした。

彼女は井の頭線に乗り換えないといけなかったので、中央線に乗ったのですが、私たちは吉祥寺までたどり着けませんでした。
たどり着けないほど、私たちは一緒にいたかったのです。
電車の中で彼女が「まだ帰りたくないなあ」と言った時、僕はその手を引いて、途中の駅のプラットフォームで二人を二人だけにしました。

夜の駅のプラットフォーム。
私たちは奇妙なほど二人きりでした。
誰もいないことがこんなに気持ちいいことなのか、と。

私たちは何を話したのか、そもそも何かを話したのかさえ、私は覚えていません。
ただ、ベンチに座って、駅の無機質なライトに照らされた私たちは静かに時間の流れに逆らっていました。

彼女が「もう帰らなくちゃ」と言った時、私は不思議なほど素直に「そうだね」と言い、立ち上がった私たちは素直に時の流れに従いました。

吉祥寺の駅で彼女は降り、閉まりゆくドアの向こうで彼女が笑顔で言った「じゃあね」という言葉を僕は抱きしめながら、立川の駅まで。

そんな僕たちの初デートは他の人から見れば奇妙なのかもしれません。
でも、どこに行くかは問題じゃなくて。

その彼女とのことはいつか書いてみたいと思っています。
ただ、今はまだ書けないことが多くて・・・

いろんなことを思い出して、まったりモードのはぐれミーシャでした・・・

akiravich at 03:04コメント(0)トラックバック(0) 

2010年07月23日

おはようございます。
はぐれミーシャです。

暑い!!!
これはかなりヤバイです。
これまで10年間ベラルーシで生活してきて一番の暑さです。
私の周りのベラルーシ人も「こんなに暑いのは初めてだ」と言っています。

でも、今日は休みだからよかった!
お金の振込みをするぐらいで、あとは用事がありません。

明日も授業は一つ。
あさっては授業なし。
いいなあ。
今のうちに休んでおかないと。

昨日も暑い一日でした。
朝からプライベートレッスンを二つ。
それから、社会保険関係のことで、ミンスクの南西部、マリノフカという地域に行きました。

これがね、遠いんですよ。
私が住んでいるところがミンスクの一番東のほう。
マリノフカは一番西のほうですから。

マルシュルートカという乗り合いタクシーのようなもので向かったのですが、1時間近くかかってしまいました。
そのマルシュルートカの中が異常に暑かったんですよ。
クーラーなんてついていませんからね。
窓は一番前しか開かなくて。
マイッタ・・・

久しぶりのマリノフカ。
何度も来たことがある地域ですが、ここ2〜3年はご無沙汰していました。

国の保険会社の建物はマリノフカの一番端っこ、マリノフカ4番というところにあります。
っていうか、そんな大事な国家機関がそんな中心部から遠いところでいいの?

地図は持っていたのですが、何となくこの辺かなあと思ってマルシュルートカを降りたところは、全然まだ遠いところ。
降りるタイミングを完全に間違えました。
おかげで、15分も炎天下の中を歩く羽目に。

ようやく着いたその建物は日本にあってもおかしくないような立派な建物。
中に入って、担当者がいる部屋に行ったら、「一回外に出て、右の入口を入ってください」
窓口の裏側に来てしまったようです。

なぜそんなところに行ったのかというと、社会保険を二回払わないため。
つまり、私は大学で働いているので、給料から保険のお金は控除されていて、新しく私が作った個人企業に関しては保険料を払う必要がないということを申請するためなのです。
うちの会計さんに言われて行ったのですが・・・

窓口の人に聞いたら、「申請する必要はありません」
えええ!!! 何で!? せっかく来たのに!!!
「誰かを雇う場合は保険料を払わなければなりませんが、個人企業で、働くのがあなた一人の場合は何もしなくてもいいんですよ」
うーん・・・

市役所で保険に関する書類を作成してもらっていたのですが、そこに書いてある私の名前が間違っていたので、それを訂正してもらいました。
その訂正のために私は一時間以上もかけてマリノフカに行ったのか・・・

まあ、いいや!(←いいのか!?)

せっかくなので、マリノフカにある巨大スーパーに行ってみることに。
実は前日から計画していて、すっごく楽しみにしていたんですよ。
ミンスクにはいくつか大型スーパーがありますが、マリノフカの店は私は結構好きだったのです。
約3年ぶりの訪問です。

まず、その保険会社から歩いて、バスの終点マリノフカ4番へ。
そこでトロリーバスに乗りました。

そもそも、マリノフカは住宅地。
ミンスクのベッドタウン的な地域です。

そして、マリノフカにはチェルノブイリの汚染地域から移住してきた人がたくさん住んでいます。
例えば、ベラルーシ南部のブラーギン、ホイニキなどの町から移住してきた人たちです。
特にマリノフカの4番にはそういう人がかなり多いです。
以前、私は小児病院に折り紙を教えに行っていたのですが、マリノフカ4番に住んでいる子供はかなりの確立でブラーギン出身の子供たちでした。

私にとってはマリノフカ4番というところは、いろいろと忘れられない思い出があります。
ベラルーシで一番最初にできた彼女が住んでいたのです。

私がベラルーシに来たのは2000年の8月。
ウズベキスタンでの失恋のショックからなかなか立ち直れず、私はずっと彼女を作ることができませんでした。

彼女が出来たのは2002年の6月。
以前から知っていた女の子が「暇だからうちに遊びに来ない?」と言ってきたのがきっかけでした。
彼女が住んでいたのがマリノフカ4番で、私は全く知らない地域にバスで行ったのでした。

彼女は10歳年下で、話がすごく合うというわけでもなかったのですが・・・
やっぱり寂しかったんですかね。
だって、ウズベキスタンで辛い経験をして、誰も知り合いがいないベラルーシに一人乗り込んで、2年間ひとりで生活して、心はつかれきっていたのだと思います。
だから・・・そうなっちゃったんだと思います。

トロリーバスに乗って、マリノフカ4番から二つ目のバス停が彼女が住んでいたマンションのあるところ。
以前は「Крама」という名前の停留所だったのですが、名前が変わっていました。
やっぱり8年の歳月というのは、全てを変えてしまうのでしょうか。

いろいろと思い出しますよ。
その頃は日本へ帰るためのお金をためるのに必死で。
彼女に会う時間もなかなか作れなかったんですよ。
あるときは通訳の仕事をしていて、夜の22時に45分だけ空き時間が出来たので、タクシーで彼女のところへ行き、5分だけ一緒にいて、また通訳の仕事に逆戻りなんていうときもありました。

そんなとき。
ミンスクに住んでいる日本人数人が私のことを「あの人は彼女がいるから忙しいんだよね」と言っていたのを聞いて、ブチ切れ。
こっちは必死になって働いているんだよ!
金があって、酒ばっかり飲んでいるやつらには言われたくねえよ!
彼女に会う時間もないのに、彼女にうつつをぬかしているみたいな言い方をされ、とてもむかつきました。

何で日本人って「村社会」みたいなコミュニティを作っちゃうんですかね?
狭い世界でうわさ話に花を咲かせるみたいな。
咲かせるなよ!

ほとんど会ったこともないのに、私のことを悪く言う人もいたようだし。
他の人から聞いた話だけで、その人を判断するのはどうかと思いますけど。
私の授業に来たこともないのに、私が教師として三流みたいな言い方をする人も。
その理由が「大卒じゃないから」。
アホか!

そのときから2年ほど日本人との交流を断ちました。
とても話す気にはなれませんでした。
別にうわさをするのが悪いとかそういうことではないんですよ。
狭い世界の狭い話にはついていけない、というか、ついていきたくなかったんです。

だいぶ話がズレましたね。

他にもマリノフカにはいろんな思い出が。
もう6年近く前になりますか。
私のところでお兄さんと弟とお母さん、三人で日本語を勉強する家族がいたんですよ。
私はマリノフカまで通って教えていたんです。
行くときはその家族のお父さんが車で送ってくれて、帰りは途中まで車、そこからは公共の交通機関を使っていました。
寒い冬、夜遅く一人で帰るのもまた楽しかったです。

もう一つ危険な思い出も。
2010年5月31日「はぐれミーシャ、危機一髪! シャンパン大作戦」をお読みください。

P7221472いろいろと思い出しているうちに、スーパーに到着しました!
Prostorという名前です。
これはね、かなり大きいんですよ。

店内はひんやりと涼しくてうれしかったです。
でも、途中から寒くなって、外に出たくなったけど。

さんざん歩き回ったのですが、買い物はほとんどしませんでした。
欲しい物はたくさんあるんだけど、お金が、ね。

P7221474マリノフカの町並みはこんな感じ。
ソビエトスタイルの集合住宅がドカドカ立っています。

マリノフカに住んでいる私の学生はかなり多いんですよ。
こんなところから通うのは大変だろうなあ。

私はマルシュルートカを使いましたが、マルシュルートカは速いですが、その分高いんですよ。
2200ルーブル(←約65円)。
普通の交通機関の約3倍の値段です。
ある学生は「うちに帰るのに1時間半かかります」って言ってたもんなあ。

P7221476P7221477今、マリノフカは建築ラッシュ。
どこを向いても、建設中の集合住宅があります。
特にこの写真のところなんか、以前は何もない野原だったのに、今は新しい建物がボコボコできています。

元々、土地があることもあるのですが、建築ラッシュの理由は数年後に地下鉄の線が伸びて、マリノフカに駅が出来るからです。
これまでマリノフカはアクセスが不便という問題がありました。
確かに、バスやトロリーバスなどの公共交通機関は多かったのですが、それでも時間はかなりかかってしまうのです。

でも、地下鉄が通ったら、アクセスは格段によくなります。
マリノフカの住民は「地下鉄が出来たら、うちの地域は最高にいいところになります」と自慢しています。

地下鉄、いつできるんだろう?
マリノフカに行く道はそこらじゅう穴だらけ。
そのせいで迂回路だらけで、グネグネとマルシュルートカは進んでいきました・・・

うちへ帰ると、私はグッタリ。
ベロニカちゃんと龍二くんもグッタリ。
最近、龍二くんはお腹が痛いらしく、なかなか寝付けません。
よく足をバタバタさせて泣いています。

P7221478ふと、龍二くんの手を見ると、こんなgoodな形に!
暑くても、お腹が痛くても、龍二くんは大丈夫!
元気に育っています!

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2010年05月12日

こんにちは。
はぐれミーシャです。
今日は昨日の続きです。

モスクワにいたるまでのいきさつははぐれミーシャ純情派をご覧ください。


私のモスクワでの生活はなかなか楽しいものだった。
私はベラルーシに行くための招待状がないとビザを取ることが出来ない。
ミンスクに住んでいるNさんが全て手伝いをやってくれていたのだが、なかなか招待状を取るのも楽じゃないらしく、寮の近くの電話局から電話をするのだが、「もうちょっと待って」という返事しか聞けない。
こちらはお願いしている身なので待つしかない。

毎日、よく料理をした。
K君やMちゃんなどの日本人留学生にも食べてもらったりもした。
寮の台所は各階共同で使いにくかったけど、いろんな人との交流の場にもなっていて楽しかった。

私はモスクワではほとんど観光はしなかった。
特に興味がなかったし、精神的に観光どころではなかった。

それでも、何度か出かけたことがあった。
一つはマヤコフスキー博物館。
マヤコフスキーというのはロシアの有名な詩人。
かなり面白かったなあ。
行く途中で、モスクワの警官に捕まったりしたのもスリリングだったなあ。

あと、一人でチャイコフスキーの家博物館に行ったのもいい思い出。
それはチャイコフスキーが最後に住んでいた家をそのまま博物館にした物。
モスクワ郊外のクリンという町にあって、電車で・・・うーん、どれぐらいかかったかなあ、2時間ぐらいだったような気が・・・
クリンの駅からバスで行かないといけなかったのですが、どこで降りたらいいのか全くわからなかったので、車掌のおばさんに教えてもらって。
降りたはいいけど、博物館がどこにあるか全くわからずかなりさまよいました。

博物館には感動!
チャイコフスキーの遺品なんかがたくさん展示してありましたから。
いろんなことを忘れ、音楽への想いに耽った時間でした。

帰り道、クリンの町の市場へ。
まあ、特に面白いことはなし。
普通の町の普通の市場でした。

駅の近くの店に入ってみると、そこにはクリンのビールが売られていました。
あとで知ったのですが、結構有名だそうで。
モスクワでも売っていることを知らない私は喜び勇んでみんなへのおみやげとしてクリンビールを大量購入。
寮まで持って帰るのが大変でした。

そうこうしているうちに、ベラルーシのNさんから招待状が。
モスクワのベラルーシ大使館の住所を調べ、ビザの申請に。
地下鉄の駅から結構歩いたかな。

道に迷ったので、近くで何かを売っていたおばさんに道を聞くと、「私は道を説明するためにここにいるんじゃない」という冷たい返答。
正直、モスクワは人が冷たいなあと感じることがしばしば。
もちろん、いろんな人がいるんだろうけど、ミンスクだったらそんな反応をされることはほとんどありません。

大使館に着くと、長蛇の列。
かなりの人数です。
私の前のほうにはトルクメニスタン人が大量にいて。
そして、あとからその仲間たちが割り込んでこようとするので、軽い小競り合いに。
あれはむかついたなあ。
ベラルーシ大使館の営業時間が結構短かったので、時間内に入れないと困るのです。
でも、何とか無事にビザ申請。
結構高いし、時間もかかりました。

ビザが出来たら、すぐにベラルーシに向けて出発するつもりでした。
最後に寮に住んでいる日本人たちと大パーティー。
夏の間のサマーコースに来ている大学生がかなりいたから、参加者は30人近くいたんじゃないかなあ。
料理は豚の角煮とか、モスクワとは思えないような物ばかり。
あのときは楽しかったなあ。

そして、私は8月25日、ミンスクへ向けて出発しました。
その日の夜はみんなとの別れを惜しみました。
K君とMちゃんは駅まで見送りに来てくれて。
Mちゃんは私のために泣いてくれました。

モスクワではいろんな思い出が出来ました。
日本食材の店に行ったり、アルバート大通に行ったり、みんなで大人のおもちゃ屋に行ったり(←私は中を覗いただけでしたけど)。

全部、K君が快く私を迎え入れてくれたから。
今でも彼には感謝しています。
精神的にボロボロだった私を気遣うでもなく、それでいてさりげなくサポートしてくれたK君のことは今でも本当の親友だと思っています。
彼からすれば、かなり迷惑な客だったかもしれないけど。
本当にありがとう。

私は希望に燃えて、ベラルーシへと向かいました。
正直、私はベラルーシについての基礎知識も何もなく、日本語教師の職があればいいなあ、ぐらいにしか思っていなかったのです。
この国との出会いが私の人生を変えてしまうとは全く考えてもみなかったのです・・・

akiravich at 12:27コメント(0)トラックバック(0) 

2010年05月11日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日は私がウズベキスタンにいたときに書いた日記「はぐれミーシャ純情派」のその後を書いてみたいと思います。
以前から「どうやってベラルーシに住み始めたんですか?」とか「どうやってベラルーシで日本語教師の職を得たのですか?」という質問があったので、その質問に答える形です。

私がウズベキスタンにいたときの話をご存知でない方はぜひ「はぐれミーシャ純情派」をお読みいただければと思います。



私がウズベキスタンの首都タシケントを後にしたのは2000年8月1日。
死んだように眠って、つらつらと目が覚めたときには眼下に砂漠が広がっていました。
そんな砂漠の上を渇き切ったはぐれミーシャはモスクワへと向かったのです。

到着したのはドモジェドヴォ空港。
あっさりとパスポートコントロールを通り、ロビーに出ると、タクシー運転手の勧誘攻撃が。
一緒にロシア語を勉強したK君が迎えに来てくれるはずだったのですが、なかなか現れてくれません。
待っている間も「タクシーのほうが速いぜ」「お前の友だちは用事があって来られないんじゃないか?」と運ちゃんの攻撃が。

理由は忘れましたが、K君は1時間(1時間半だったかな・・・)遅れで迎えに来てくれました。
二人で地下鉄に乗って、ユーゴ・ザーパド駅へ。
そこからバスに揺られて、K君が勉強している大学へと行きました。
K君が住んでいる大学の寮に泊めてもらうためです。

実はタシケントにいたときから、ミンスクに住んでいるベラルーシ人の知り合いと連絡を取っていたんです。
「日本語教師の仕事があるかどうか保障はできないけど、とりあえず来てみたら?」と言われていたのですが、タシケントではベラルーシからの招待状がなかったのでビザが取れなかったので、モスクワでビザを取ることにしていたのです。
とりあえず招待状がないとビザが取れないので、それをモスクワで待つことに。

K君の学んでいた大学は外国人がロシア語を学ぶための大学。
そこの寮はお金を払えば泊めてもらうことが出来たのです。
お金がない私にとっては救いのようなものでした。

とりあえず私はK君の部屋に泊まることになりました。
せっかく彼は部屋を一人で使っていたのに、私がもぐりこんで彼にはずいぶん不自由をかけたと思っています。

他にもK君にはものすごくお世話になって、私は今でも感謝の念を強く持っています。
彼がいなかったら、モスクワでの生活は地獄のようになっていたでしょう。
タシケントを後にした私の精神状態は最悪だったからです。
別れたままになってしまったグーリャのこと、お世話になったラリサおばさんやアレーシアのこと・・・
とにかく自分を支えるだけで精一杯の私を元気付けてくれたのはK君でした。
本当にありがとう。

私は東京ロシア語学院時代の恩師Y先生がその大学に学生の引率で来ていることを知っていたので会いに行きました。
先生の部屋に入ると、先生はびっくりして「あなた、ミーシャなの!? 本当に?」。

なぜびっくりしたのかというと、タシケントに行く前とそのときとでは顔が全く違っていたからです。
私はタシケントの灼熱地獄の中、一ヵ月半で12キロもやせていたのです。
頬がそげて別人のように見えたそうです。

Y先生は私の話をたくさん聞いてくれました。
私はモスクワに3週間滞在することになったのですが、その間、いろいろと精神的に助けていただきました。
感謝しています。

久しぶりの再会を終えて、K君と晩御飯の買い物に。
一階のロビーを歩いていると、向こうからどこかで見たような顔が。
それは日本で一緒に劇をやったO君!
彼はいつものように飄々とした顔で「古○さん、こんなところで何をやってるんですか?」
はぐれミーシャ「それはこっちのセリフだ」
私は本当に心から彼との再会を喜びました。

スーパーに行ってみると、物が豊富でびっくり!
まあ、モスクワですからね。
ウズベキスタンとは全然違いました。
私は何度もそのスーパーには足を運びました。
お金の感覚がいまいちわからなくて、私はかなり高い食品もポカポカ買っていました。

こんな感じでスタートしたモスクワ生活。
K君の他にも、Y先生が連れてきた学生たちとも友だちになりました。
外国人寮なのでいろんな国の人がいます。
中国人の女の子や韓国人の女の子も優しかったなあ。
同じ屋根の下ですから、みんな何か連帯感があって、心が温かくなりました。
タシケントの灼熱の太陽の下、一人でさまよい歩いた日からは想像もつかないほどです。

私はモスクワに住み始めて、しばらくの間は体調が恐ろしく悪かったです。
タシケントの渇き切った空気から全く違う環境のところに来たのですから、体調を崩すのも当然かもしれません。
頭痛や吐き気などで、しばらくは体調を取り戻すのが大変でした。
そして、心の痛みは・・・言葉に出来ないほどの苦しみを味わいました。
タシケントを去るという俺の行動は正しかったのか、と・・・

モスクワ滞在三日目。
私はモスクワ市内のホテルに泊まることになりました。
それはK君から追い出されたわけではなく、外国人登録のため。
大学ではその手続きが出来なかったので、ホテルに一泊して登録してもらうことにしたのです。
一度登録すると、その後の滞在場所はどうでもいいようでした。

モスクワの町に不慣れな私はK君にホテルまで連れてきてもらいました。
そのホテルはインツーリストホテル。
赤の広場の近くです。

私はすることもなかったので、軽く赤の広場を見物し、そのあと近くの本屋へ行きました。
昔から本屋や古本屋が大好きでした。
心が落ち着きます。

特に私は古本屋が大好き。
東京に住んでいた頃は神田の神保町に入り浸っていましたから。

かなり大きい本屋の古本コーナーに行くと、また味のある背表紙がずらり。
色あせたものから、茶色がかったものまで、年季の入ったところを感じました。

私はふとそこに一人の東洋人が立っていることに気がつきました。
日本人かな。
何か背格好がどこかで見たことがある感じだなあ。
ひょっとして、Tさんかも?
この時期、モスクワに来ているって言ってたし。

で、近づいてみると、本当にTさん!
二人で歓喜!
言葉になりません。
こんなところで出会えるなんて!
二人で再会を喜び合いました。

それにしても、モスクワのような超大都会で友人と出会えるなんて、奇跡としか言いようがありません。
タシケントにいたときから、彼がモスクワにいることは知っていたので、何とかして会いたいなあと思っていたのです。

Tさんとはホテルの部屋でしばらくお話しました。
そして、近いうちに会う約束をしました。

ホテルから寮へ戻ってからの毎日は楽しく過ぎていきました。
もちろん、タシケントの地獄を思い出し煩悶することもありましたが、周りにいた人たちの優しさに助けられた感じです。

特にK君。
彼には感謝しても、感謝し切れません。
本当にありがとう。

ここから、私は8月25日までの3週間をモスクワで過ごしました。
モスクワでの生活についてはまた今度・・・

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2009年11月26日

僕は止まれなかった。
何かが間違っていること、何かが狂い始めていること。
そんなことには目をつぶる勇気がまだ僕の中には残っていたのだ。
そんな勇気が、勇気という名の狂気へと変貌していくのを、加速した僕は止めることができなかった。

12月。
僕たちは何事もなかったかのように付き合い続けていた。
毎日、大量のショートメールを書き、夜は少しでも一緒にいるために彼女の寮へ行き、自分の寮に変えるのは夜の0時近く。
そんな毎日が日常になっていた。

ある日、Tちゃんが一つの問題を口にした。
「寮では勉強ができない」

ベラルーシの学生寮。
男女別にはなっておらず、部屋こそ別であれ、同じフロアに男子学生、女子学生が一緒になるのは普通のこと。
学生のことだから、しょっちゅうパーティーなんかの馬鹿騒ぎをする。
勉強にふさわしい環境とはいえない。
まあ、本当に勉強する人はどんな環境にあっても勉強するのだが。

「勉強が大事なときに勉強できないなんて、そんな環境にいるのはよくない」
僕は彼女のためにマンションを借りて、二人で住むことに決めた。

Tちゃんはおそらく、それほど大きい問題だとは捉えていなかったと思う。
でも、僕はそれを大きい問題だと捉えた。
一緒に住みたい。
それだけのことだ。

そう、僕はTちゃんの言うとおり、恐ろしいまでのエゴイストなのだ。

僕はマンションを探し始めた。
その話をたまたま知り合いのS君にすると、彼の仕事場があるビルに不動産屋が入っていて、そこに知り合いがいるという。
僕は早速、その不動産屋に行った。

不動産屋の女性はとてもテキパキと話を進めた。
僕は彼女の試験期間の一ヶ月ちょっとだけ部屋を借りたいと言ったのだが、そんなのは無理な話。
最低でも三ヶ月以上じゃないとダメだということで、それでOKした。

それでも、そのような短期間を条件に部屋を貸してくれるところなんてなかなかない。
不動産屋の女性はいろんな大家さんに電話をしまくっている。
でも、なかなか大家さん自体がつかまらない。

そして、ようやくつかまった大家さん。
家賃的にも何とか許容範囲。
その日のうちに会う約束。

僕はそのマンションに行く。
夜の20時半。
出てきたのは男性。
部屋に入ると、男が二人。
何か怖い雰囲気。
殴られたりしないだろうな。

僕の心配は全くの杞憂で、二人はごく普通に話しをしてくれた。
家賃のことや入居日のこと。
細かいことを相談して、手付金として家賃の半分を渡した。

入居するのは2日後。
僕は急いでTちゃんに電話をした。
彼女には内緒にしていたのだ。

彼女はとても喜んでいた。
それは僕と一緒に住めるからではなく、寮に住まなくてもいいからなのだろうか。
とにかく、喜んでいる彼女の声は僕を満足させた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それから、二日後。
僕たちはマンションに入居する日を迎えた。

僕たちは朝からミンスク郊外にある巨大な市場に行った。
これからの新生活に備えて、食料品などを大量に購入するためだ。

しかし、その日は朝から何かギクシャクしていた。
市場に行くバスを間違えてしまい、知らない村に行き着いてしまったのだ

Tちゃんは強い口調で僕を責めた。
そんなことは初めてだった。
僕は落ち込むと同時に腹が立った。
そもそも、バスを間違えたのは僕だけじゃなくて、二人とも間違えたのだから。

市場での買い物は最初から躓いてしまった。
でも、何とか仲直り。

しかし、帰りの乗り合いタクシーの中でも軽い口げんか。
何か先が思いやられる・・・

二人ともちょっと不機嫌なまま、マンションに到着。
大家が待っていて、その場でマンションの鍵を渡してくれることになっている。

ドアの前で僕たちは仲直り。
「これから二人で暮らしていくんだから」

ベルを鳴らす。
応答がない。

もう一度ベルを鳴らす。
誰か部屋の中にいる気配がする。
しかし、ドアを開ける様子ではない。

もう一度ベルを鳴らす。
ガタガタと音がする。

もう一度ベルを鳴らす。
「今、開けるから待ってろ!」という声。

そして、ようやく開いたドアの向こうにいたのは、全裸の大家。
Tちゃんが「キャッ!」と叫び顔を背ける。

僕「何をやってるんですか!? 早く服を着てください!」
大家「エヘヘ・・・ちょっと調子が悪いからシャワーでも浴びようと思って・・・」
大家は完全に酔っ払っていた。
泥酔状態である。

ドア越しに「服はもう着ましたか?」と聞くと、「大丈夫だ」との答え。
でも、中に入ってみると、大家は全裸ではないというだけで、下着だけつけている状態。
Tちゃんの目に入らないように、彼女を台所へ行かせる。

とりあえず、大家を居間に連れて行く。
彼はまだ30代前半ぐらいに見える。
昼間から飲んだくれているところを見ると、まともな仕事をしているとは思えない。

僕「約束どおり、鍵を置いていってもらえますか?」
大家「ちょっと待ってくれ。頭が痛くて、どこかに行くどころじゃないんだ・・・」
大家はベッドにもぐり込んでしまう。

彼の話では、そのマンションは彼の母親の持ち物。
妻帯者なのだが、妻と折り合いが悪く、一緒にいづらいときはそのマンションに住むのだという。
しかし、彼は部屋を貸す約束をしたのだし、手付金ももらっているのだから、出て行く義務がある。

しかし、何度言っても大家は出て行く気配すらない。
「ちょっとだけ寝かせてくれ」
完全にろれつが回っていない。

僕はできる限り穏やかな口調で彼の話を聞いていた。
何とか説得できると思っていたのだ。
それに、こんな状態の酔っ払いを必要以上に刺激するのは危険だと思った。
しかし、その考えは甘かった・・・

台所に行くと、Tちゃんが泣いていた。
「何なの、あの人」
僕は謝るしかなかった。
「早く出て行ってもらって!」
僕もそうしたいんだけど。
居間で大家を説得しながら、台所にいるTちゃんをなだめるなければならず、僕は何度二つの部屋の間を往復したかわからない。

僕はちょっと強い口調で対抗してみた。
僕「早く出て行ってください!」
大家「頭が痛いんだから、大きい声ださないでくれ・・・」

彼の話では周期的にアルコールに依存するのだそうで、一度それが始まると2週間ぐらいは常に酔っ払っている状態が続くのだそうだ。
誰にも邪魔されずに酒を飲むには、このマンションは好都合なのだろう。

部屋に到着したのが15時。
すでに2時間近く経過しているのだが進展は全くなし。
すると、大家がとんでもないことを言い出した。
大家「お願いだから、ここに泊めてくれ。一晩だけでいいんだ」

そんなこと、できるはずがない。
Tちゃんと新しい生活を始めるために、ここに来たんだから。

僕「あなたと話しても意味がないから、あなたの奥さんと話したいです」
大家「うちの奥さん? それこそ意味がないと思うよ・・・」
大家はちょっと悲しそうになった。
そして、奥さんとの生活が大変なことを切々と語った。

ちょっと待てよ!?
何かこれ、人生相談になってないか?
それによく聞いていると、原因は彼の酒癖の悪さ。
奥さんのほうが大変だろ。

30分以上粘って、奥さんの電話番号を聞きだす。
電話をするも、奥さん、なかなか電話に出ず。
知らない電話番号だから出ないのかな。
大家「うちの奥さんは知らない電話番号のときは出ないよ」

何度も電話して、やっと電話がつながる。
明らかに嫌そうな声だ。
奥さん「もしもし。誰、あんた? 何回も電話してきて」
僕は丁寧に事情を説明してきた。
奥さん「それは気の毒に・・・」
同情されちゃった。

僕「すみませんが、ご主人を引き取りに来てもらえませんか?」
奥さん「えっ!嫌よ!・・・っていうか、仕事もあるし・・・」
奥さんは大家のお母さんに電話をしてみると約束。
でも、奥さん自身は「行きません」。

その奥さんの反応を聞いて、大家、すねる。
大家「お願いだから、一晩だけ泊めてくれ」
そんなわけにはいかない。

台所のTちゃんもだんだんキレ始める。
Tちゃん「どうしてこんなに時間がかかるの? 早く追い出して!」
と言われても、向こうが下着姿でベッドにもぐりこんでいるのでは・・・

夜の18時を過ぎた頃、不動産屋を紹介してくれたS君から電話が。
事情を説明すると、激怒!
S君「よし、俺が何とかしてやる。今から行くから待っててくれ」

彼は30分ほどでやってきた。
おそらく仕事場を飛び出してきたのだろう。

S君と大家の押し問答が始まる。
口調がだんだん激しいものになる。
S君「こうなったら、警察を呼ぶしかないな」
しかし、警察を呼ばれて困るのは大家だけじゃなく、僕たちも困るのだ。
というのは、ベラルーシは居住登録しているところに住まなければならないという規則がある。
僕もTちゃんも寮に登録されているから、勝手にマンションを借りて住んだりするのは基本的に法律違反なのだ。

S君は不動産屋に電話。
最初は不動産屋も警察に相談すると強硬な態度を見せていたが、何度か電話で話し合いを繰り返すうちに態度を軟化。
不動産屋の社長は「もし泊まるところがないなら、うちの会社が所有する物件に一晩だけ泊まってもいい」と大家に提案。
なんでもトラブルを起こすと不動産屋の免許を取り上げられる可能性があるらしい。
なので、何とか穏便に済ませようとしている。

そんな周りの努力もどこ吹く風。
大家はベッドにもぐりこんで、「俺はどこへも行かないぞ」の一点張り。

そこへ現れたのは大家の母親。
一気にS君がまくし立てる。
S君「早く息子さんを連れて行ってください。これは違法行為なんですよ」
母親「それはあなたたちがうちの息子とした約束です。だから、私には関係ありません」
じゃあ、あんた何しに来たの?

これ以上話しても埒が明かないということで、S君は一旦不動産屋へ行って対応を協議することに。

Tちゃんはその間、ずっと台所にいたのだが、すでに我慢の限界を越していた。
僕は彼女に「一旦寮に帰ったほうがいい」といったのだが、彼女は「この部屋を出て行くのは私たちじゃなくて、あの大家のほうよ」と言ってきかない。

母親も一生懸命に説得する。
母親「一緒に帰りましょう」
大家「嫌だ。帰りたくない」
完全に駄々っ子状態である。

僕も母親と一緒に説得する。
最初は非常に傲慢な態度だった母親も、ここは共闘するしかないと思ったのだろう。

結局、大家が説得に応じて、服を着始めたのは20時半過ぎのことだった。
帰り際、母親が「本当にすみませんでした」と初めてまともなことを言った。

ここまで約5時間半。
台所にいたTちゃんには喜びの顔はなく、疲労困憊といった様子だった。
僕も疲れきっていた。
大家は初めて会ったときはまともな人間に見えたのだが・・・

またあの大家が酔っ払って現れたりしたら・・・と僕とTちゃんは不安になる。
でも、とりあえず僕たちは二人だけの生活を始めてしまったのだ。
そこにはいつも一緒にいられる喜びも、二人で暮らす後ろめたさの影もなにもなかった。
そこにあったのは、ただ疲れきった神経と、シーツと毛布がぐちゃぐちゃに絡み合ったベッドだけだった・・・

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2009年11月22日

僕のまぶたの裏には駅で見たあの光景が焼きついていた。
J君と二人で電車を待つTちゃん。

どうすれば信じられるのだろう?
Tちゃんは「私のことが好きならば、信じられるはず」と言ったが・・・
「好き」という言葉を道しるべに信じた道を行けばいい。
しかし、それは好きになればなるほど、信じることができなくなるという地獄への道でしかない。
好きになればなるほど、彼女を疑ってしまう、疑うのは愛ではない、その疑いを消そうとすれば、僕は自分の心を殺すしかない・・・

感じなければいいのだ。
何も感じなければいいのだ。
一緒にいられるだけでいい。

僕たちは何事もなかったのように再び付き合いはじめた。
Tちゃんのほうは本当に何事もなかったかのような態度。
本当に何事もなかったのならよかったのに・・・

駅での事件から一週間後の土曜日。
授業中に僕の携帯が鳴った。
相手はJ君。
僕は授業を中断し、寮の廊下で彼からの電話を受けた。

J君「ちょっと話したいことがあるから、今すぐ会えないか」
僕は一瞬凍りついた。
僕は授業を終えたらすぐに行くということで、1時間後に会う約束をした。

僕はすぐにTちゃんに電話をした。
出ない。
何度か電話しているうちに圏外になった。

僕はどうしたらいいかわからなかった。
もしかしたら、J君とTちゃんは一緒にいるのではないか。
二人はやっぱり別れられないのではないか。
そんな考えが僕の心をよぎる、いや、よぎるのではなく、支配する。
それとも、俺に復讐したいのか・・・

「私のことが好きなら信じられるはず」
信じるに足る状況にあればいいのだが。
好きでも信じられないということはあるのだろうか。

いてもたってもいられず、僕はタクシーで待ち合わせ場所に急ぐ。
それは町の中心のマクドナルド。

店の前にはすでにJ君が立っていた。
前回と違って、彼は僕ににっこりと手を差し出してきた。
J君「あのときは悪かった」「もう僕はあきらめた」「君たちのことを邪魔するつもりはない」
無理に奇麗事を並べているのがわかった。
彼もつらいのだろう。

「これ、お詫びのしるし。受け取ってくれ」と言って、どこかのお土産やで買ったような猫の絵を渡してきた。
そして、彼は帰っていった。

僕は腹が立った。
こんなことのために、わざわざ呼び出したのか。
しかも、そのプレゼントのセンスの悪いこと。
これをもらって飾っておけとでも言うのか。
僕は寮に帰り、その絵を叩き割った。

自分の部屋に戻って、Tちゃんに電話。
すると、すんなり電話に出てきたTちゃん。
今まで電話に出なかったのに、何で今になって出られるの?

僕はJと会ったことを彼女に伝えた。
Tちゃん「その絵には何が描いてあった?」
僕「猫だよ」
Tちゃん「そう。私、彼からは『子猫ちゃん』って呼ばれていたから・・・」

彼女はJと会うことを知っていたのではないか。
二人はまだ心の中でつながっているのではないか。
そうとしか思えない自分を責めることが愛だと信じるしか、僕には道がなかった・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある日、Tちゃんから「困った」という電話があった。
実は彼女が住んでいる寮で、部屋の一斉点検があり、電気湯沸かし器を没収されてしまったのだそうだ。

いわゆる電気ケトルである。
電気ポットとは違い、沸騰させるだけで保温はできない。

ベラルーシの寮では基本的に電気ポットや電熱器、ヒーターなど熱を持つものは使用禁止である。
ドライヤーさえ禁止されているのだ。
みんな内緒で使っているのだが。
Tちゃんは運悪く、見つかってしまったのだ。

Tちゃんはお茶が好きだから、電気ケトルがないとお茶も入れられない。
そして、もうひとつ重要な使い道があって。
実は寮では時々水道のお湯がストップすることがある。
そうなるとシャワーも浴びられない。
そんなときはお湯を大量に沸かして、水浴びならぬ、お湯浴びをするのだ。
僕の寮でもよくお湯がストップするので、電気ケトルは必需品なのである。

僕はいいことを思いついた。
新しい電気ケトルを買ってプレゼントしよう。

僕は電話を切ってすぐ、バスで20分のショッピングセンターに向かった。
そこにはいろんな形の電気ケトルがあった。
その店の人に相談しつつ、一番小さいものを購入。

というのは、あまり大きいと目立つので、またチェックが入ったときに見つかる可能性が高いと思ったからだ。
Tちゃんの話では次に規則違反が見つかったら、寮を追い出されてしまうのだという。
それに、Tちゃんは寮の部屋でもう一人の女の子と二人暮しなので、大きいサイズでなくてもいいだろうと思ったのもある。

小さくてかわいいので、僕はTちゃんに気に入ってもらえることを確信していた。

僕は彼女に電話した。
劇の練習などで忙しいというTちゃんを説き伏せて、「10分だけでいいから会おう」と約束。

僕は彼女の部屋で電気ケトルをプレゼントした。
彼女はビックリしていた。
そして、喜んでいた、ように見えた。

約束どおり10分後に僕は寮を立ち去った。
何かがおかしい。

帰りのバスの中からTちゃんに電話した。
僕「何かあんまりうれしそうな感じに見えなかったから、心配なんだけど」
Tちゃん「あんなに小さいのは・・・もっと大きいほうが良かったのよね」
彼女の話では、お湯がないときにお湯を浴びたかったら、大量のお湯が必要になるから、あのケトルでは全然量が足りないとのこと。

僕はすぐに元の店に向かった。
店員は一日に二度も電気ケトルを買いに来た東洋人を見て、不思議そうな顔をしていた。
店員「もう一つぐらい買っていったら?」

今度のは2リットルの特大サイズである。
しかし、こんなの部屋にあったら、すぐに見つかってしまいそうだが・・・

僕はそのまま彼女の寮に戻り、その電気ケトルをプレゼントし、小さいほうを回収した。
彼女は喜んでいたが、僕は腑に落ちなかった。
というのは、小さいのをプレゼントしたとき、彼女からは感謝の一言もなかったのである。

何のためにプレゼントしたんだろう?
彼女から感謝の言葉を聞くためにプレゼントしたわけではないが・・・

僕は彼女に電話をした。
率直な気持ちを話した。

それに対するTちゃんの反応はすさまじいものだった。

Tちゃん「あなたは感謝されるためにプレゼントしたの?」
そう言われて、僕は肯定も否定もできなかった。

Tちゃん「私のことを本当に考えてプレゼントしたのならそんなことは言えないはず」
君の事を考えていたからプレゼントしたんだけどな。

Tちゃん「あなたは私のためじゃなく、自分のためにプレゼントしたのよ。あなたはエゴイストよ」
僕はエゴイストだから、君のためにプレゼントしたかったんだけどな。

彼女の言葉は容赦なく僕の心に突き刺さった。
もしかしたら、彼女の言っていることは正しいのかもしれない。
いや、本当に正しいのだろう。

しかし、僕は純粋に彼女のためにプレゼントをしたかったのだ。
それを否定してしまったら、誰が僕の心を肯定してくれるのだろう・・・

僕は彼女の言葉を否定しようとしたが、それは無駄だった。
彼女には僕の気持ちは届いていなかったのだから、それは当然のことだ。

信じられない俺が悪い
許せない俺が悪い
彼女を責める俺が悪い

愛しているなら信じられるはず
愛しているなら許せるはず
愛しているなら・・・

僕は迷路に迷い込んでいた。

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2009年11月14日

Tちゃんの元彼と寮に行ってからも、僕の心の中は平静だった。
というのは、元彼はあくまで「元」なのであって、今の彼ではないから、僕の側には非はない。
そして、彼の暴力が別れた原因ならば、それこそ僕が守ってあげないといけないし。

そんな安心しきっていた僕のところにTちゃんから電話が。
Tちゃん「しばらく考えさせてほしい」
って、何を考えるの?
Tちゃん「Jとはずっと一緒にいたから、なかなか思い切れないの。だから3日だけ時間をくれないかしら」

僕は最初意味がわからなかった。
あの二人は別れたはずなのに・・・
Jが言った「心は一緒だ」というのはこういうことなのか・・・

ベラルーシではちゃんと別れているのかはっきりしないこともよくあることだそうで。
それを知ったのはだいぶ後になってのことなのだが・・・

その3日間は地獄だった。
「大丈夫だ」と自分に言い聞かせても、「もしかして・・・」と不安になる。
その3日間のほとんどを僕はベッドの上で過ごした。

3日目の午後、僕はベッドの上でうなっていた。
そこに隣の寮に住んでいた日本人の留学生がやってきて、「大丈夫ですか?」
それまでのTちゃんとのことをいろいろ聞いてもらった。

そのとき。
Tちゃんから電話が。
「ずっと考えていたんだけど、やっぱりあなたと一緒にいたい」
やったー!
その日本人と握手をして、僕たちは一緒に喜んだ。

僕は喜び勇んで彼女に会いに行った。
会ったのはミンスクの観光スポット「トロエツコエ旧市街区」。
すでに秋の日は暗く、家々の間の暗がりは僕たちにとっては絶好の隠れ家だった。

僕たちはちょっと話をしただけで別れた。
手を握っただけで、それだけで僕たちは満足だった。
これで僕たちはやっと始まったんだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

僕たちはできる限り、一緒に時間を過ごした。
僕も仕事があるし、彼女も大学の勉強がある。
だから、僕たちの時間はとても限られていた。

平日は僕は彼女のところへ行くことが多かった。
少しでも一緒にいるために、僕はバスに乗って30分のところまで通っていた。

寮の入口のところで彼女を待つ。
僕の前を通り過ぎる人たちは、見慣れない東洋人を怪訝な顔をして見ている。
中にはTちゃんのクラスメイトもいる。
「こんにちは」と挨拶はしてくれるが、とても気まずい。

Tちゃんの話では、クラスメイトのみんなも彼女とJ君との関係はよく知っていて、まさか別れるとは思っていなかったのだそうだ。
そして、まさかこの僕と付き合い始めるとは全く思っていなかったのだそうだ。

これでは芸術大学へ教えに行くのも気まずいなあ。
実際、先週はなんか変な空気だったもんなあ。

週末は僕の寮で一緒に過ごした。
寮のおばさんを拝み倒して、泊まれるようにしてもらったりして。

今、僕が覚えていることはとても少ない。
恋愛に関して言えば、いい時のことはあまり覚えていなかったりする。
苦しい思い出だけが心を占めている場合はなおさらのことだ。

彼女との関係が苦しいことばかりだったという意味ではない。
もちろん、いいこともいろいろあった。

しかし、思い出せないのだ・・・

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2009年11月08日

電話の向こうから聞こえてくる声は、怒りに満ちていた。
しかし、声自体はまだまだ若い男の子のものだった。
一生懸命背伸びして僕を威圧しようとしている感じに聞こえた。

「俺はTの友達だ」
ああ、そうか、そういうことか。
つまり、友達ではないってことね。
ってことは、彼氏だよな。
でも、恋人はいないって言っていたような・・・

「今、会えるか」と聞いてきたので、「OK。今から行くよ」。
何か嫌な感じだなあ・・・
殴られたらどうしよう。
でも、ここでいかなきゃ男がすたるというものだ。

彼とは地下鉄の駅で待ち合わせ。
プラットホームに降り立つと、若い男が近づいてきて、自己紹介。
名前はJ君。
見た目は普通の学生。
Tちゃんとは同世代に見える。

J「じゃあ、行こうか」
僕「どこへ?」
J「Tちゃんの寮だよ」
えっ? 本当に行くの?

J「俺たちは本当にうまくいっているのに、お前が邪魔したんだ」
僕「じゃあ、君たちはつきあっているの?」
J「いや、そういうわけじゃあ・・・」

話を聞くと、彼らは別れたばかりなのだとか。
でも、時期を聞くと、僕がTちゃんに電話をする前のこと。
だから、僕が彼らの邪魔をしたことにはならないのだが・・・

J「俺たちは別れても、うまくいってるんだ!」
意味がわからん。
J「俺たちはずっと付き合ってきたんだ。心はつながっている。誰にも邪魔はさせない!」

寮につくと、入口のところには受付のおばさんがいるのだが、彼は顔パス。
J(得意気に)「どうだ。見ただろう? 俺はここにしょっちゅう来てるから顔パスなんだ」
それがどうしたの?

そして、Tちゃんの部屋へ。
僕は階段を上る最中も割りと落ち着いていた。
というのは、僕とTちゃんとの間に生まれた感情に自信を持っていたからだ。
現役の彼氏ならばいざ知らず、別れた彼氏が何を言ってきても恐れるに足らず。
喧嘩になっても、こいつの体格ならば勝てるだろう。
中学校のとき以来、取っ組み合いの喧嘩はしたことがないけど・・・

Tちゃんの部屋の前に来てしまった。
Jがドアをノックする。
応答はない。

J「開けてくれ、Tちゃん。君と話したい」
しかし、応答はない。
でも、何か中には誰かがいるような感じもする。

Jのドアを叩く調子もだんだん強いものになる。
J「頼む! お願いだ。開けてくれ。俺は何もしない」
って、これまでは何かしてたのかいな。

J「ここにいるのは俺だけじゃない。あいつも連れてきた」
「あいつ」とは、僕のことだ。
J「三人で話をしよう」
後で聞いた話だと、Tちゃんは僕がいることを知って、すごく驚いたのだそうだ。
JはTちゃんの携帯電話を勝手に見て、僕の電話番号を知ったのだという。

Jのノックはすでにノックではなく、拳でドアを叩き始めている。
僕「まあ、落ち着け。そんなに強く叩いたら、ドアが壊れるぞ」
J「壊したいよ・・・」
ほとんど泣きそうなJ。
昼間の学生寮は人が少ないから良かったものの、もし夜なんかだったら、警備員に通報されるかもしれない。
それほどに、彼は取り乱し、目は必死だった。

僕「もしかして、いないんじゃないの?」
J「そんなはずはない!」

確かにTちゃんは部屋の中にいたのだ。
彼女はルームメイトと一緒に声を潜めて、嵐が過ぎ去るのを待っていたのだそうだ。

J「どうしてだ!? どうしてなんだ・・・」
ドアの前に崩れ落ちるJ。
僕は彼を支えた。

僕「今は埒が明かないから、出直してきたら?」
Jはしぶしぶ承諾した。

僕たちは一緒に地下鉄の駅に向かった。
J「俺たちはまだ心がつながっているんだ」

僕は彼が少し気の毒になった。
僕も振られた彼女の前で、衆人環視の元、土下座をしたことがある。
「お願いします。俺を捨てないでくれ」
あんな情けない想いはもうしたくないと思っていたが、他の人がそんな想いをしているのを目にすることになるとは・・・

駅でJと別れると、僕の携帯電話にショートメールが。
Tちゃん「こんなことにあなたを巻き込んでしまってごめんなさい。後で電話します」

その日の夜、Tちゃんと話してようやく、その時の状況が理解できた。
Jとはすでに別れていること、別れたはずなのにしつこく「よりを戻そう」とせまってきて困っていること、Jは元々同じ大学の学生だったのだが、1年の途中で中退してしまったことなどなど。
Jは今はインターネットカフェで働いているそうだ。

僕「Jのこと、今でも好きなの?」
Tちゃん「うーん・・・ずっと一緒だったから辛いけど・・・でも、今は好きとは言えない」
肝心のところが聞けて良かった。

僕「何でJと別れたの?」
Tちゃん「彼の暴力が・・・」
彼女の話ではそれほど強くはなかったものの、叩かれたり蹴られたりしたことが何度かあったそうだ。
僕は彼女を強く抱きしめたくなった。

Jの外見は普通の学生と何ら変わらないもの。
特に強そうでもないし、暴力を振るうタイプには見えない。
でも、それは見た目ではわからないだろうから。

彼女は「Jとは既に終わっている」とはっきり言った。
僕はその言葉を信じ、心の中は全くの凪だった。
元彼の出現よりも、僕の人生にTちゃんが現れたことのほうが、僕にとってはよっぽど重要だったからだ。

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2009年11月06日

何度か足を運ぶうちに、芸術大学での学生との交流は私にとって、最も楽しい時間になっていた。
学生と話すのが楽しいというのもあったが、それ以上に自分が好きな芸術にかかわっていられることに充実感を感じていた。

正直に言うと、男子学生はいけ好かない奴が多かった。
クラスのリーダーだったマックス君を除いては、みんな自分がすでにプロの俳優にでもなっているかのように気取った奴らで、見ていて腹が立つほどだった。
マックス君だけは、私に対してかなり礼儀正しい態度をとっていたので、非常に好感を持った。

それに比べて、女子学生のほうはまだ素直な感じの子が多かった。
もちろん中にはいっぱしの女優気取りの子もいたが、ほとんどはひたすらに頑張っている子たちだった。
熱心に質問してきたり、練習を頑張ったりするのも男子よりは女子のほうだった。

その中でTちゃんは特に目立たない子だった。
見た目だけでいえば、さすがに女優を目指しているだけあって、きれいな子はいくらでもいた。
そんな中でTちゃんのことが気になったのは何でだろう。
真面目そうに見えたというのもあるし、ちょっと話をしてみて感受性が強そうに見えたというのもある。
でも、それだけではなく、何か僕をひきつけるものがあったのだと思う。

10月は僕の頭の中はこんがらがっていた。
というのも、Jちゃんという、ある大学の女子学生に気に入られてしまったらしく、控えめながらもアタックを受けていたのである。
夜遅い時間に突然寮の部屋に現れたりして、私を困らせていた(←全然控えめじゃない)。

いや、困っていたのかどうかは怪しい。
私もずっと彼女がいなくて寂しい時期だったし、Jちゃんがすごい美人だったというのもある(←とても正直なはぐれミーシャ)。

ある日、Jちゃんが二週間ほどロンドンに行くと言い出した。
何でも以前ホームステイをしたホストファミリーに会いに行くのだとか。
出発の前の晩、私の部屋へ連絡もなく押しかけてきて、「私がいない間に彼女を作ったりしないでくださいね」。
10歳近くも年齢が下の子にこんなことを言われるのも何だかなあとは思うけど。

ロンドンへ行くという話しは寝耳に水。
普通、大学の授業がある時に、プライベートで外国に行ったりしないでしょ。

一つ困ったことが。
実はそのとき、僕は劇場のチケットが二枚あって、Jちゃんと行こうかと思っていたのだ。
別にJちゃんと行くためにチケットを買ったわけではない。
元々、好きな劇だったし、彼女とは一度劇場に行ったことがあって、すごく気に入っていたから、他の劇も見せてあげたかったし。

あまったチケット、どうしようかな。
と考えたとき、すぐに思いついたのは芸術大学の学生。
積極的な学生は何人かいたのだが、みんな彼氏持ちだから誘えない。
Tちゃんを誘ってみようかな。

と思った瞬間、僕は彼女の携帯に電話を入れていた。
やっぱり、僕は考えが行動に追いつかない。

Tちゃんは僕からの電話にびっくり。
そりゃそうだ。
だって、僕はベラルーシでも一番大きい大学の教師なのだから、彼女からしてみれば、とても偉い人。
ちょっとひくのもうなづけるところ。

Tちゃんに「劇のチケットがあるんだけど、一緒に行きませんか?」というと、「本当に私でいいんですか?」。
はぐれミーシャ「よくなかったら、電話してないよ」
Tちゃん「わかりました。喜んで行きます」
やったー!
Jちゃんとは別に付き合っているわけではないので、問題はなし。

2日後、僕とTちゃんは劇場に行った。
そのときのことはよく覚えていない。
とにかく良く笑った。
劇は素晴らしく、Tちゃんにも気に入ってもらえた。

帰りは大学の寮まで送ることにした。
その途中、Tちゃんが「あのー、私も好きな劇があるんで、招待してもいいですか?」
もちろん、もちろん!
そして、僕とTちゃんは一週間後にまたもや劇場へ行くことになったのでした。

それからは一日おきほどに電話で会話。
それは日本の詩を読む練習と称して、何とか理由を作ってかけていたわけで。
そのころから、僕はTちゃんを強く意識し始めていた。
劇場での彼女との会話はとても刺激的なものだった。
彼女の考え方や芸術に対する情熱はしばらくそういう世界から遠ざかっていた僕にとってはとても新鮮に映った。
そして、Tちゃんも僕の話をとても興味深そうに聞いていた。

そして、再び劇場へ。
劇は三谷幸喜の「笑いの大学」。
ロシア語で上演されていることにびっくり。
Tちゃんは別に私に気を使ったわけではなく、一度見たことがあってとても気に入ったから、僕を誘ってくれたというわけで。

劇はずっと笑いっぱなし。
俳優も素晴らしくて。
ただ舞台装置がいまいちだけど。

その劇があった劇場は僕が住んでいた寮とは目と鼻の先。
21時を過ぎていたのだが、Tちゃんに「晩ごはんでもどう?」。
最初、彼女は戸惑っていたのだが、結局、うちに来ることに。

寮の入口のところには受付があって、そこの受付に座っているおばさんに身分証明書を預けなければならない。
Tちゃんは学生証を預けて中へ。

僕はTちゃんのために晩ごはんを作った。
正直に言えば、こうなることを想定して料理を作っておいたのだ。
別に何かを期待していたわけではない。
ただ単に僕は料理が好きなのだ。

Tちゃんはロマンティックなのが好きらしく、「そこにあるキャンドルに火をつけてもいい?」
ろうそくの淡い光の中、僕たちはいろんな話をした。
もちろん、テーマは芸術。
演劇に限らず、文学、絵画など、話題は尽きなかった。
そして、人生観などの深いテーマに入っていった。

止まらない話に僕たちは夢中になっていた。
いや、僕たちは気づいていたのだ。
止まるつもりなど最初からなかったことに・・・

気づいたときには時計の針は0時20分を指していた。
僕の寮では部外者は23時までに退出しなければならない。
そんな時間はとっくの昔に過ぎていた。
下に下りていけば、寮のおばさんに怒られることは確実。
しかも、Tちゃんも大学の寮に住んでいて、0時以降は中に入れないのだ。

こうなったら、Tちゃんにはうちに泊まってもらうしかない。
まだ付き合ってもいない女の子をうちに泊めるのは良くないことかもしれない。
でも、彼女を寒空の下に追い出すこともできない。

こうなることは最初からわかっていた。
彼女も最初から帰るつもりなどなかったのかもしれない。
僕たちは共犯者だった。

僕は「君のことが気になっていた」というと、彼女は「私もです」。
もっと君のことが知りたい、もっと君と話していたい、もっともっと・・・

僕たちはベッドに横になった。
服を着たままの夜は月明かりに照らされて、波打ち際の香りがした。

僕は彼女を引き寄せようとした。
しかし、彼女は軽く拒んだ。

僕はただ手を握った。
「このままでいい?」と聞くと、彼女はうれしそうにうなづいた。

僕たちは眠れない夜を眠った。
白い天井を見つめながら、僕たちはどこまでも自由だった。

朝起きると、僕たちは手をつないだままだった。
彼女は目を覚まし、つないだままの手をうれしそうに眺めた。

彼女は僕たちがすぐに体の関係を持たずに、プラトニックな夜を過ごしたことがとても気に入ったらしい。
僕たちはお茶を飲みながら、何事もなかったかのように、すでに長年付き合った友達のように、朝の光を浴びていた。

一つ問題が。
寮をどうやって脱出するか。
学生証は入口の受付に預けたままだから、何も言わずに出て行くことは不可能。
悪いことに、その日の宿直は寮で一番厳しいおばさんだった。

僕たちはおずおずとエレベーターを降り、受付のおばさんのところへ行った。
おばさんは「仕方ないわね。本当はダメなんだけど、今回だけよ」と言ってにっこり笑った。

朝の7時、彼女は寮へ帰っていった。

僕は晴れやかな気持ちだった。
彼女との交流は心からのものだった。

軽やかな気分で、僕は8時半から大学での授業に臨んだ。
いつものように楽しい授業。
学生たちが「先生、何かいいことでもあったんですか?」と聞いてくるほどの上機嫌。

そんな授業中、携帯電話が。
もちろん、電話に出るわけには行かないので、10時に授業が終わった後に折り返し電話。
電話の相手は聞いたことのない男の声だった・・・

akiravich at 09:45コメント(0)トラックバック(0) 
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