折り紙

2014年10月03日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

タイトルの通り、今日は私の41歳の誕生日です。
うれしいなあ。
でも、年とったなあ。

ベラルーシでは40歳の誕生日はお祝いしてはいけないという習慣があるらしく、去年はあまりお祝いをしていないのです。
なので、今年は何かしたいなあと思ってはいるのですが、仕事があってなかなかそういうわけにもいかず・・・

今日は普通に仕事です。
18時30分から21時30分までの授業です。
明日は9時から20時30分まで、あさっては9時から19時まで授業です。
月曜日はお休みなので、うちの奥さんと食事にでも行こうかと思っています(←なかなか素敵な店を見つけたので、今度レポートします!)。

この年になって感じること。
うーん、特にないなあ。

ついさっきまでダーシャちゃんという女の子の個人レッスンをしていました。
テキストのテーマは「プレーパーク」。
子どもたちが自由に自然の中で遊べるところなのですが、そこで私はベラルーシに来たばかりの頃のことを思い出しました。

私はミンスク郊外のアクサコフシナというところにある病院に折り紙を教えに行っていました。
私はベラルーシに知り合いが一人しかいませんでした。
その一人の知り合いも一年の大半を日本で過ごす人だったので、その人が日本へ行ってしまえば、友達も知り合いもいない生活でした。
そのときから大学で日本語を教えていたので学生はいましたが、学生は友だちではありませんから、プライベートは一人のことが多かったです。

そんな生活の中で、一か月に1〜2回、病院の子どものところに行くのは私にとって救いでした。
朝の9時から夕方の5時まで、ひたすら子どもたちと遊ぶだけ。
どうしてそのようなことをするようになったかは2012年1月27日「私とチェルノブイリ 〜瓦討論泙蟷罎ら始まった」をお読みになっていただければと思います。

03020001これは2001年4月の写真。
昼の2時からは昼寝の時間なのですが、その日は看護師さんたちが「遊びに行ってもいいよ」と言ってくれたのです。
特別な遊びがあるわけではありません。
ただ、みんなで森を散歩するだけ。
それだけで十分楽しいのですから。

03370001これはゴメリ州にあるスヴェトラゴルスクという町に行ったときの写真。
アクサコフシナで出会った女の子がスヴェトラゴルスクの子で、「遊びに行ってもいい?」と聞いたら、ご両親もOKしてくれたのです。
まだ独身の頃はベラルーシの地方都市に行って折り紙をやっていました。
今ほど仕事量が多くなかったですし。

03890002これもアクサコフシナで撮った写真。
この3人の女の子のうち、二人は姉妹。
すっごいかわいかったなあ。
今はもうすっかり大人になっています。

友人も知り合いもいない私を救ってくれたのは子どもたちでした。
あの子供たちがいなかったら、私はとっくの昔にベラルーシを離れていたでしょう。
そして、ベロニカちゃんと出会うこともなく、龍二くんもこの世に生まれることがなかったでしょう。

私の心の中には常にベラルーシの子どもたちに対する感謝の気持ちがあります。
そして、ここ数年、子どもたちと遊んでいないことに対して、少し後ろめたい気持ちもあります。
もっと遊びたい!!! 41歳でも別にいいよね!!! やっぱり遊びたいのだ!!!

来週は仕事の合間を縫って、ミンスク郊外の保養施設の子どもたちのところへ折り紙を教えに行きます。
今年中にはまたゴメリとか、地方都市に行って折り紙やりたいなあ。


FacebookやVkontakte(←ロシア版のFacebook)でたくさんのお祝いの言葉をいただきました。
皆様、本当にありがとうございました!!!
今後ともよろしくお願いいたします!!!

akiravich at 22:48コメント(0)トラックバック(0) 

2014年04月25日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日も昨日の続きです。
ベラルーシ東南部のゴメリ州で折り紙教室をやったときの話です。
昨日はホイニキ地区のストレリチェヴォ村の散歩と校長先生のお宅にお邪魔した時の様子を書きました。
はぐれミーシャのベラルーシひとり旅 ,海海如前貊錣法狙泙譴燭蕕いい函(^^♪
はぐれミーシャのベラルーシひとり旅◆60度の衝撃!!!

次の日はブラーギンの学校で折り紙。
ホテルをチェックアウトして、私が向かったのはホイニキ地区執行委員会。
お世話になった副市長のジャンナさんにご挨拶。
また秋になったらホイニキ地区のどこかの学校で折り紙をすることを約束しました。

それにしても、のどが渇く。
前日にあれだけお酒を飲めば、のどが渇くのも当然。
でも、二日酔いの感覚はありません。

それは飲み方に秘密があるのです。
基本的にウオッカを飲むときはチャンポンしないのがいいのです。
もし他の飲み物を飲むときは徐々に度数を上げていくのがいいと言われています。
つまり、最初にビールを飲んで、次にウオッカを飲むのはOKですが、逆は悪酔いすると言われています。
そして、それは私も自分の身をもって体験しています・・・

あと、ウオッカを飲むときはチビチビ飲むと余計酔います。
一気に飲んで、すぐにジュースなどを流し込むか、食べ物をどんどん食べるのがいいのです。
水よりはジュースのほうがいいようです。

ちなみに、これまで私が体験した中で最悪のコンビネーションはウオッカとシャンパンです。
これは・・・言葉にできない・・・
次の日は立ち上がれませんでした。

昨日行ったストレリチェヴォの学校の体育の先生が車でブラーギンまで送ってくれることに。
ホイニキからブラーギンまでは車で20分ほどなので、校長先生が「すぐそこだから、問題はないよ」と、体育の先生にお願いしてくれたのです。
本当にありがたい。


ブラーギンではまずブラーギン地区執行委員会の副議長、平たく言えば副市長のアンナさんのところへ。
このアンナさん、たくましいベラルーシの女性の代表のような方。
ホイニキ地区のジャンナさんは非常に柔らかい方ですが、アンナさんは一言で言えば「強い女性」。
アンナさんに出会ったのは2011年3月11日から数週間後、ミンスクのテレビ局の生放送に出演したときに隣に座っていたのです。
その後、日本からの視察団の通訳でブラーギンを訪れた時に何度もお会いしています。

その時から何故か私には優しかったです。
元々、子供が大好きで心優しい人なんです。
なので、私が「ブラーギンの学校で折り紙をやりたい」と言った時も二つ返事でOKしてくれました。

アンナさんの執務室で雑談。
一時間ぐらい雑談していたかな。
話ながらも、部屋にはアンナさんのサインをもらいに部下がひっきりなしに入ってきました。

話のテーマはウクライナ情勢。
ブラーギン地区はウクライナとの国境に接しています。
いろいろ貴重な意見が聞けました。

1時間ほどして、校長先生が登場。
執務室の窓から見えるほど、学校はすぐそば。
アンナさんにお別れして、校長と二人で学校へ。

DSC01600DSC01601これが学校の建物とグラウンド。
田舎の学校とは思えないほど立派な建物。
グラウンドは小さいながらもスタジアムのような造りになっています。

復興予算がだいぶ入ってきているのでしょうか。
ゴメリ州の学校は非常によく整備されているものに出会うことが多いです。
他の州の学校でも折り紙をやったことがありますが、ゴメリ州はだいぶ違います。

校長室に入って気づいたのですが、校長はだいぶ若いみたいで、年齢を聞くと、「34歳です」。
ちょっと髪が薄くなっていて、恰幅もいいのですが、時折見せる表情が若かったので、聞いてみたのですが、予想以上の若さにびっくり!!!
俺より6歳も年下なのに、校長!?

ゴメリ州では割と若い校長先生に出会うことがあります。
今まで私が出会った好調で一番若かったのは27歳の男性。
そして、男の校長先生の割合が非常に高いように思います。
他の地域、ミンスクなどでも校長先生は圧倒的に女性が多いのです。

軽くお茶を飲んで、早速折り紙教室スタート!!!
最初は10年生の子供たち。
普通は担任の先生が教室にいることが多いのですが、今回はなぜか子供たちだけ。
そうなると、子供たちが騒いでコントロールできなくなることがあるのですが、ブラーギンの子供たちはどの学年もよくこちらの言うことを聞いてくれました。

DSC01588DSC01590DSC01592みんな呑み込みが早くて、すぐに二つの折り紙(←鶴とカエル)を作り上げてしまいました。
校長先生が教室に入ってくると、みんな「次の授業も折り紙を続けていいですか?」。
校長先生「そうしてあげたいのは山々だが、他の学年の子たちも折り紙をやりたがっているんだよ」
こういう言い方をすると子供たちは納得しますよね。
話し方が校長先生というよりは理解がある担任の先生という感じです。

DSC01594次の学年の子たちも楽しそうに折り紙をしてくれました。

折り紙をしながら、おしゃべり。
私が「校長、まだ若いよね」というと、子供たちが「ねえ、何歳なの?」と聞いてきました。
私が「何歳に見える?」と聞くと(←坂上忍に向かって言ったら、「めんどくせえ奴だな!」とばっさり斬られそうな質問)、「25歳!」「27歳!」。
君たちはとてもかわいくて、いい子供たちだ!!!

私が「40歳だよ!」と言うと、子供たちは「え〜!!!」「信じらんない!!!」。
ベラルーシでは東洋人は若く見られることが多いのですが、ここまで若く見られるとは思わなかったなあ。

DSC01598最後のグループも楽しく、最後まで折り紙ができました。
ブラーギンの子供たちはすごく素直でいい子たちばかりでした。


ブラーギンの子供たちに「日本人、見たことある?」と聞くと、たいてい「ある」と答えます。
でも、「日本人と話したこと、ある?」と聞くと、全員「ない」。
これはホイニキの子供たちに聞いた時も全く同じ反応でした。

確かに、言葉の壁はあります。
でも、何らかの交流はできるはず。
私が視察の通訳をするときは地元の人たちと一緒にご飯を食べたり、お茶やお酒を飲んだりする機会をできる限り設けるようなセッティングを心がけています。
同じテーブルを囲んでの交流はいいですよね。
ざっくばらんに話ができる雰囲気を作れればと私はいつも思っています。

「日本人は自分たちが欲しい情報をもらったら、『はい、さようなら』と言って帰ってしまう」「一緒に何かプロジェクトを立ち上げられればと思っているんだけど、その時限りの付き合いが多い」などと言われたことがあります。
「共同プロジェクトがうんぬん・・・」と言う人の中には寄付や援助がほしいだけの人も結構いるのですが、中にはブラーギンの人たちのように心からそう思っている人たちもいます。

私が今考えているのはブラーギンやストレリチェヴォの学校と日本の学校の交流ができないかということです。
外国の学校との交流と言うのは日本ではそれほど珍しいことではないと思います。
現に、仙台の学校とミンスクの学校は交流があります。
もしかしたら、まだ時期尚早かもしれませんが、福島の学校とゴメリ州の学校、その子供たち同士の交流ができればいいなあと考えています。
今はスカイプで顔を見ながら話すこともできますし、通訳は私がベラルーシの学校に行けばいいだけの話ですから。

他にも、それぞれの分野の人同士の交流ができないかと考えています。
例えば、子どもを持つお母さん同士とか、汚染地域で農業をしてきた人同士とか。

やっぱりベラルーシに来てもらって、直接交流するのがいいんですが、みんながみんな行けるわけではありませんから。
でも、交流の方法はあるはずです!!!


ブラーギンの学校での折り紙が終わって、ゴメリまで戻ることに。
まずは校長先生の車でホイニキのバスターミナルまで。
所要時間20分。

ホイニキからゴメリまでは約2時間の道のり。
疲れもあって、爆睡してました。

それにしても、よくあんな遠いところまで行ったなあ。
普通、視察の場合は車やチャーターしたバスで行くので楽なんですよ。
でも、公共交通機関を使うと時間もかかるし、本数も異常に少ないし。
ミンスクにいると、乗り物に乗ったりして生まれる「隙間の時間」が少ないんです。
そういう意味では私にとっては最高の休息です。


ゴメリのバスターミナルに到着したのは16時半ごろ。
そこから、ホテルまで歩いていきました。
歩くには結構な距離なのですが、どんな交通機関で行けるのかがわからないので。
こういうところ、ベラルーシは不親切です。
前もって知っておかないと、公共交通機関は利用しにくいんです。

ホテルに着いて、のんびり・・・とはいきません。
19時30分からは個人レッスン!
もちろん、日本語の、です。

実は私の学生の中にゴメリから毎週土曜日通っている女の子がいます。
土曜日の夕方のグループの子で、もう1年半、通ってきています。
ミンスクまでは4時間半ぐらいかかりますから、往復で9時間列車に乗っている計算になります。
それでも、勉強したいという気持ちがあるから、わざわざ通ってきているのです。

彼女は銀行員なのですが、シフトの関係で、この2か月ほど授業に出られない状態が続いています。
なので、ゴメリで会って勉強しようということになったのです。
実は3月の視察でゴメリに行った時も、レストランで1時間ほどレッスンをしました。

今回もホテルの中のレストランで日本語教室。
1時間ほどみっちりと勉強しました。
私も疲労困憊でしたが、授業を始めると疲れを忘れちゃうんですよね。

彼女と晩ごはんを食べることもあるのですが、今回は用事があるとかで、彼女は帰っていきました。
そこからは晩ごはんタイム!!!

実はゴメリでの一つのお楽しみがこの晩ごはんなのです。
レストランの名前は「北京飯店」。
そう、中華料理の店なのです。
最高においしい・・・とは言えませんが、そこそこおいしいのです。
ミンスクの変な店よりは全然おいしいですよ。

私が注文するものはいつも決まっています。

IMG_0345[1]麻婆茄子です!!!
でも、ひき肉などの肉は一切入っていません。
そして、味がちょっと辛くて甘いんです。
最初食べた時は「何だこれ?」と思ったのですが、だんだん病みつきに。
しかも、茄子が小麦粉か何かをつけて揚げてあるらしく、その食感がたまらないです。

IMG_0346[1]これもいつも注文する鶏肉のサラダ。
辛いです。
でも、ビールが進むんです!
ガッツリ食べて飲んで、ゴメリでの晩ごはん終了!!!


次の日は朝の4時起き。
5時過ぎの電車でミンスクに向かいました。
10時前にはミンスクへ。
うちへ帰って、シャワーを浴びて、すぐ大学の授業へ。
疲れてはいましたが、気持ちは軽かったですね。


やっぱり折り紙は楽しい!!!
またベラルーシのいろんな町へ行きたいです!!!

akiravich at 05:22コメント(0)トラックバック(0) 

2014年04月22日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

久々の投稿です。
実は今日は休みだったんですよ。
ロシア正教の復活祭、いわゆるイースターだったので、授業を全部休みにしたのです。
いつもなら、日曜日は朝の9時から19時までずっと日本語を教え続けているのですが、今日はゆっくり休養しました。

さて。
先週、私は久々にベラルーシの地方都市に折り紙をやりに行ってきました。
元々、ベラルーシに住むきっかけになったのが折り紙。
その辺の経緯については2012年1月27日「私とチェルノブイリ 〜瓦討論泙蟷罎ら始まった」に詳しく書いてあります。
以前は一か月に一回ほどはどこかで折り紙を教えていました。
結婚してからはいろいろと忙しくて、一年に1〜2回ほどしかやっていませんでした。
私としては以前のようにもっと頻繁にやりたいという気持ちがあります。

以前にも書いたのですが、この折り紙教室は断じてボランティアではありません。
ただ単に子供たちのところへ遊びに行っているだけです。
楽しいから、楽しい人のところへ行き、会いたいから、会いたい人のところへ行く。
それだけのことです。

今回行ったのは、ベラルーシ東南部のゴメリ州。
ゴメリ州は多くの地域がチェルノブイリにおいて汚染された地域です。
その中のホイニキとブラーギンという町に行ってきました。
ホイニキ地区もブラーギン地区もその一部が強制移住地域に入っており、今現在も立ち入りが制限されている「ポレーシエ放射線環境保護区」に一部が含まれています。

これも念のために書いておきますが、私がホイニキやブラーギンに行ったのは、チェルノブイリの汚染地域だからではありません。
たまたま通訳の仕事を通して知り合いができたので、行っただけです。

いくら行きたいと言っても、何のアポイントメントもなく行くわけにはいきません。
先々週の木曜日、ホイニキの地区執行委員会の女性、ジャンナさんに電話しました。
その人は簡単に言えば、副市長の立場の人。
通訳で訪れた時は必ずお世話になる人です。
もう6回ぐらい会っていて、ツーカーの間柄。
でも、副市長ですからね。
電話するときはちょっと緊張。

はぐれミーシャ「こんにちは」
ジャンナさん「こんにちは。今日はどうしたの?」
はぐれミーシャ「ホイニキの学校でで折り紙したいんですが・・・」
ジャンナさん「いいわよ。いつも視察団が行くストレリチェヴォ村でいいのね?」
はぐれミーシャ「はい。でも、村までどうやって行けば・・・」
ジャンナさん「車出すから大丈夫」
はぐれミーシャ「ありがとうございます。ホイニキに泊まりたいんですが・・・」
ジャンナさん「ホテル、予約しておくわ」

あっさり準備完了。
所要時間3分。

それから、ブラーギン地区執行委員会の副議長、簡単に言えば、こちらも副市長のアンナさんに電話。
はぐれミーシャ「こんにちは」
アンナさん「あら、アキラさん。今日はどんな御用?」
はぐれミーシャ「ブラーギンの学校で折り紙をしたいんですけど」
アンナさん「いいわよ。いつ来るの?」
はぐれミーシャ「来週の火曜日なんですが・・・」
アンナさん「わかったわ。じゃあ、来るの楽しみにしてるわ」
所要時間2分。

日本でもそうかもしれませんが、ベラルーシはやはり直接のコネクションがものをいう世界。
ベラルーシに視察に来たことがある方はご存知かと思いますが、普通はいろんなレターが必要になることが多いのです。
でも、今回は電話一本で、全部OK。
いろんな仕事をしたおかげで、素晴らしい人脈ができました。
二人の副市長さんは私には何故か優しいんです。

私が出発したのは日曜日の夜。
夜20時過ぎの電車でまずゴメリへ。
0時50分にゴメリに到着。
車内が異常に暑く喉がカラカラ。
ゴメリの駅の売店でビールを探すも、瓶ビールで栓抜きもない状態なので、断念して、すぐにホテルに向かうことに。

ホテルは駅の目の前にあるパラダイスホテル。
このホテルは6年ほど前に一度泊まったことがあり、一緒だった日本人の人も「ここはほんとにパラダイスだね」と言ったほど、いいホテル。
ワンフロアだけの小さいホテルです。

フロントに着いて、すぐに冷蔵庫発見。
店にあるような透明なドアのやつです。
非常に感じのいいフロントの女性に「このビールは売っているんですか?」と聞くと、「もちろん!」
普通の店よりはちょっと高めでしたが、即購入。
やはりこのホテルはパラダイスでした。
2時過ぎに就寝。

次の日は5時に起床。
すぐそばにあるバスターミナルでホイニキ行きのチケットを購入。
ベラルーシの鉄道駅やバスターミナルは時々、大行列することがあるので、早めに買っておくことにしたのです。

8時50分のバスで出発。
バスとは言っても、15人乗りの小さいものです。

バスの中からジャンナさんに電話。
「ホイニキのバスターミナルに○○さんが迎えに行くから」
誰が迎えに行くのか全く聞き取れず。

10時40分にバスターミナルに到着。
でも、誰も迎えに来ていない。

11時になって、それらしき車が到着。
運転席から降りてきたのは・・・ストレリチェヴォの学校の校長先生!
校長自らのお迎えでちょっとびっくり。

DSC01571まずホテルにチェックイン。
ホイニキは人口13320人の小さい町。
あまりホテルには期待していなかったのですが、部屋自体は普通でした。
ベラルーシの地方都市にはひどいホテルも結構あるのですが、ここは全然OK。
ベッドがちょっと乱れているのは、私が一度座ったからです。
荷物を置いて、すぐにストレリチェヴォの学校へ向かいました。

DSC01543これが学校の概観。
ホイニキに視察に行かれた方なら、見覚えのある建物ではないでしょうか。

DSC01544校長室に通されると、すぐに食べ物が登場。
校長「軽い朝食だ」
全然軽くな〜い!!!
めっちゃ炭水化物!!!
でも、ここで食べないと途中で息切れするので、全部食べました。
子供相手の折り紙教室はエネルギーを使うのです。

DSC01545まずは9年生と折り紙。
なかなか頭の回転が速い子たちで、普通は鶴を作るだけで時間が終わってしまうのですが、口をパクパクするカエルも作ることができました。

この写真で、一番前の列の左から二人目の女の子、私は何度も会ったことがあるのです。
というのは、日本からの視察団が来ると、この学校の生徒たちが「放射線の安全」に関するプレゼンテーションをしてくれるのですが、そのときに中心になって話をするのが、このナースチャちゃんなのです。
プレゼンの時はメチャメチャしっかりしているのですが、このときは子供らしい笑顔を見せてくれました。

DSC01547最後に記念撮影。
また会おうね!!!

DSC01549次のグループは10年生と11年生のグループ。
ベラルーシの学校は11年生まであるのが普通。
日本のように小・中・高と別々の学校には分かれていないのが普通です。
16〜17歳ぐらいの子供たちはあまりリアクションが大きくないです。
もう大人だという意識がそうさせているのでしょうか。
下の学年のようなはしゃいだ感じはないですね。


ここで折り紙教室の全体の流れを。
最初に自己紹介します。
次に、子供たちに「日本について何知ってる?」と聞きます。
大体、大雑把な答えが多いです。
例えば、「ソニー!」「トヨタ!」「隣に中国と韓国がある!」。
今回はある子供が「ジャッキーチェン!」と言ってきたので、「日本人じゃねーよ!!!」と返してやりました(←大人げない)。

それから、「こんにちは」「さようなら」などの日本語の簡単な挨拶が書かれた紙を渡します。
それをみんなで発音します。
それから、黒板に漢字を書いて、意味をあてるゲーム。
例えば、「山」という漢字を書いて、「これはどういう意味でしょうか?」と質問します。
もちろん、ヒントを与えながらです。
「これはベラルーシにはありません」「自然界にあるものです」
これは結構盛り上がります。

それから、折り紙のスタートです。
普通は鶴を折ります。
ベラルーシでも折り紙は知られているので、鶴の折り方を知っている子供もいるのですが、間違った折り方のことが多いのです。
最後のほうのある過程を飛ばしてしまうので、太った鶴になってしまっているのです。

それが終わったら、記念撮影。
そして、一人一人の子供にその子の名前と私の名前を日本語で書いてあげます。
子供たちが教室を出ていくとき、「さようなら」と日本語で言ってくれるのがうれしいです。

子供たちにとってはいい思い出になるのではないかと思っています。
日本は子供たちにとっては未知の遠い国。
日本のことは少し聞いたことはあっても、詳しいことは知らないし、ましてや日本人と話すなんて、特にベラルーシの田舎ではありえないこと。

このストレリチェヴォの学校には多くの日本の視察団が訪れました。
日本人の目的はチェルノブイリ関係の対策について知ることです。
この学校には「地域情報センター」が設置されており、食品の放射線測定ができるのです。
子供たちが自分たちで機器を使い、測定をすることで、放射能に関する知識を学ぶクラブがあるのです。
視察団が訪れると、そのクラブのプレゼンテーションを見せてもらうのが通例です。

私はそのこと自体は全く悪いとは思いませんし、むしろこの学校で見たことを日本で役立ててもらいたいと願っています。
ただ、これからは一方的に見せてもらったり、情報を得るのではなく、「交流」もしていかないといけないと思うのです。
自分たちが必要なものをもらっただけでは、片手落ちだと思うのです(←うまく説明できなくてすみません)。
似たようなことをベラルーシ人に言われたことがあります。
「日本人は私たちから情報や知識は欲しがりますが、私たちと交流はしたくないんでしょうか?」

だからというわけではないのですが、少しでもこの学校の子供たちに日本の文化に触れてほしいと考えたのです。
まあ、単純に子供たちと折り紙がやりたかったというのが第一の理由ですが。


二つ目の授業を終わって、校長先生が「じゃあ、昼ご飯を食べましょう」と言ってきました。
でも、せっかくこんな遠いところまで来たのに、折り紙教室が二つだけでは物足りない。
「もう一回、違うクラスで折り紙をやることはできますか?」
校長先生はびっくりしていました。
「そんなにたくさんやって、疲れないか? 大丈夫か?」
はぐれミーシャ「大丈夫です!!!」

DSC01553DSC01555次のグループは8年生。
いやあ、元気ですよ、みんな。
他の学年の子たちから話を聞いていたのか、みんなうれしそうに折り紙をしていました。
このグループの中にも、通訳で来た時に見かけた顔が。
また日本人と来るかもしれないけど、よろしくね!!!

終わったのは14時30分。
疲れたけど、楽しかった!!!

この続きはまた明日!!!

akiravich at 01:26コメント(0)トラックバック(0) 

2012年11月16日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

今日は休みでした。
毎週木曜日は休みなので、できるだけ用事を入れないようにしています。
そうでもしないと、肉体的にも精神的にもきついので。
私の場合、土曜日も日曜日も休みじゃありませんから。
むしろ、平日よりも授業が多く、かなりきついのです。

とはいえ、今日もいろんな人から電話が来たりして、なかなか休めなかったです。
外に一歩も出なかっただけ、かなり楽なのですが。

今日は龍二くんと長い時間を過ごしました。
ベロニカちゃんが妹のマーシャちゃんと映画を見に行ったからです。
普段、私は授業などでうちにいないことのほうが多いのですが、今日は久しぶりに龍二くんと二人っきりで過ごしました。
それにしても、あまりのアクティブさにびっくり。
運動量がすごすぎます。
これじゃあ、うちのベロニカちゃんも疲れるはずだなあ。

少しではありますが、今日一日で少しですが疲れが取れました。
来週、大きい仕事が控えているので、今日は休息をとりたかったのです。

その仕事とも関係があるのですが、今週の月曜日、ある保養施設へ行って折り紙をやってきました!!!
打ち合わせも兼ねてだったのですが、私にとっては久しぶりの折り紙教室。
先週から楽しみにしていました。

その場所は子供の保養施設「ジダノヴィチ」というところです。
「ジダノヴィチ」と言えば、ミンスクっ子にはおなじみの名前。
ミンスクのちょっと郊外なのですが、巨大なマーケットがあるところなのです。
食料品エリア、衣料品エリア、建築資材エリアなどが広大な敷地に広がっているところなのです。
保養施設はそのマーケットのもう少し先です。

実は通訳として何度かジダノヴィチを訪れる機会があり、そのときに「今度折り紙をやりに来てもいいですか?」とお願いしたところ、「もちろん!」と快諾していただいていたのです。
しかし、仕事の忙しさにかまけて、約束してから半年もして、ようやく行けることになったのです。

「ジダノヴィチ」に着くと、すぐに所長さんと打ち合わせ。
この所長さん、前に通訳したときに会っているのですが、私の顔はすっかり忘れていました。
ここ最近は日本人の訪問客が多く、覚え切れないのでしょう。

所長さんは以前、ゴメリ州のある町の市長さんだった方。
日本に何かの研修に行ったことがあるので、超親日家。
とても優しい方です。

打ち合わせのあと、昼ごはんまでご馳走になりました。
食堂で所長さんと一緒のちょっと遅めのランチです。

所長さんの方針は「職員も子供たちと同じものを食べるべきだ」というもの。
私もいろんな病院や施設に行きましたが、職員のものだけちょっといい食べ物だったり、私のことを大事なお客さんとして扱おうとしているのか、特別料理を出してきたりすることがあるのです。
でも、私はいつも「子供たちと同じもので」とお願いするようにしています。
何といえばわからないのですが、とにかく子供たちと一緒のものがいいのです。
ジダノヴィチの所長さん、私と同じで理屈っぽい理由があるわけではなく、「何で別々のものを食べなきゃいけないんだ?」
私も同感です!

DSC00728

さあ、ここからは料理のご紹介!
これはサラダですが、一体何が入っているのでしょう?
きゅうりのピクルスと玉ねぎと豆みたいなのと・・・よくわからん。
でも、おいしかったから、よしとしましょう。
味は一般の家庭でよく食べるような感じ。
そのことを所長に言うと、「そのほうが子供たちにとってもいいと思う。ここはレストランじゃないんだから」

DSC00729

これはボルシチです!!!
私はボルシチ、大好き!!!

6年ほど前、日本に一時帰国したとき、東京の某ロシア料理レストランでボルシチを食べた(←ロシア語ではスープは「飲む」ものではなく「食べる」ものです)のですが、全くボルシチとは似ても似つかないものでした。
日本人の多くの人はボルシチの赤い色はトマトの色だと思っているんじゃないですか?
この赤い色はビーツを使っているんです。

普通、ボルシチにトマトは入れません。
これはベラルーシに限らず、ウクライナやロシアも同じはずです。
入れるとしても、かなり例外的な作り方だと思います。
東京で食べたボルシチはトマトスープとしては非常においしいものでした。

DSC00730

メインは魚のハンバーグとジャガイモのピューレ。
そこに酢漬けのキャベツが添えられています。
この魚のハンバーグは食堂なんかに行くとしょっちゅう出てきます。
私は大好きなのですが、嫌いな人も結構多いようです。

ベラルーシはよくジャガイモを食べる国。
とにかくジャガイモばっかり食べているイメージがあります。
私のうちではご飯のほうが多いのですが、それはかなり珍しいタイプです。

ここの食堂の味は家庭の味にかなり近いものがあります。
ベラルーシに来て、レストランの料理ばっかり食べてもダメですなんですよ。
正直、ベラルーシのレストランって大したことないところが多いし。
最近ではそこそこおいしいところも出てきましたが、かなりの高級店で、私のような一般庶民には全く手が出ません。
「ベラルーシ料理の真髄は家庭料理にあり!」と声を大にして言いたい。
ベラルーシにいらっしゃる方でベラルーシ人の知り合いや友人がいる場合は、ぜひ一般家庭の料理を試してみてくださいね。

お腹がいっぱいになって、超眠くなりました。
疲れもかなりたまっていたので。

子供たちのところに行ったのは15時半ごろ。
彼らが寝泊りしている建物の中の遊び場が会場でした。
彼らからしてみれば、本物の日本人が来るというのは夢のような話。
みんな大はしゃぎで折り紙をやってくれました。

子供たちはグロドノ州というベラルーシでは西部に位置し、ポーランドと国境を接している地方の村から来ている子供たちでした。
ジダノヴィチはチェルノブイリで汚染されている地域から来ている子供たちの保養施設。
グロドノ州はチェルノブイリからかなり遠いのですが、ホットスポットはあるようです。
彼らの村も汚染地域なのかなあ?
ただ、ジダノヴィチに限らず、ベラルーシの病院や保養施設などではことさらにチェルノブイリのことを強調せず、健康全般の面倒を見るというスタンスのところが多いので、もしかしたらその子供たちの村も汚染地域に入っているというわけではないのかもしれません。

DSC00731

ピンボケですが、こんな感じです。
目も閉じちゃってるし。
教えたのは鶴とカエル。
鶴はベラルーシでも時々作れる子がいたりするのですが、たいてい作り方が間違っていることが多いのです。
カエルは口がパクパク動くもので、子供たちには大好評でした。

それにしても、楽しかった!
時々、充電しないとダメですね。
子供たちと折り紙をやると、正直、最高に疲れるんですよ。
しゃべりっぱなしで、ロシア語の冗談全開でいきますから、うちへ帰るとぐったり。
でも、それ以上に得るものがあるんです。
子供たちにエネルギーをもらう感じです。
また行こう〜っと。

明日も朝からドタバタと走り回ります。
いろんなところに顔出さなきゃ。
授業もしっかりあるしなあ。
そして、いろんなところに電話もかけないといけないし。
がんばります!!!

akiravich at 05:51コメント(2)トラックバック(0) 

2012年01月29日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

前回は私が「チェルノブイリ」という言葉を意識するようになったきっかけについて書いてみました。
ベラルーシに住んでいる人間がチェルノブイリについて書くということで、もしかしたらあの内容では拍子抜けという感想を持った方もいらっしゃるかもしれません。

でも、私はチェルノブイリの現状を語れるほどの知識はありません。
一般のベラルーシ人と同じように、ただただ、この国に暮らしているというだけなのです。
汚染地域以外の地域では、この国の生活の中でチェルノブイリの問題に真正面から向き合う機会というのはあまりないかと思います。
汚染地域から遠いところであればなおさらのことです。

なので、今日も超個人的なことを書き連ねていきたいと思います。
今日は以前に書いた記事を加筆・訂正した上で再録したいと思います。



谷川俊太郎の「生きる」という詩。
知っている方も多いかと思います。
「生きているということ いま生きているということ」から始まる詩です。
生きていることの諸相を簡明な言葉で描き出した名作だと思います。

生きる
谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ


「泣けるということ 笑えるということ 怒れるということ 自由ということ」
それは生きているからこそできること、悲しいこともうれしいことも、全て「生きる」ことに他ならないのだということ。

実は今の4年生が1年生だったとき、この詩を僕が翻訳したものを読ませたことがあるんですよ(←3年前の話です)。
でも、ロシア語にすると全然違うものになってしまうんです。
たくさんの砂をすくおうとして、指の間から砂が滑り落ちていく感覚に似ています。
日本語ですばらしい詩もロシア語にするとまったくダメだったりして、ロシア語に合う詩を見つけるのはなかなか難しいのです。

詩を読んでいて、うちの学生、ベロニカちゃん(うちの奥さんと同じ名前です)の様子がおかしい。
「皆さん、泣かないでね」と冗談で言ったつもりだったのに、ベロニカちゃん、号泣。
それほど、心に迫るものがあったのでしょう。
「気に入りましたか?」と聞くと、みんなうなづき、ベロニカちゃんは泣きながら何度もうなづいていました。

こんな瞬間があるから、日本語教師をやっていられるし、やっていたいし。
こんな瞬間には、学生達を心から愛しいと思います。

実はこの詩には忘れられない思い出があります。
4年ほど前、僕のところに知り合いの17歳のレーナちゃんから電話が来ました。
「今も病院とかに行って、折り紙やってるの?」「うん、やってるけど」「じゃあ、私のクラスメイトが入院してるんだけど、行ってあげてくれない?」

その子が入院している病院はミンスク郊外にある「小児がんセンター」
実は僕はその病院には何度か行って折り紙をやっていたのですが、2年ほど御無沙汰していたのです。
というのは、最後にそこを訪れたとき、うちへ帰ってからひどくウツになり、その病院へ行くのが怖くなってしまったのです。

でも、僕は勇気を出して、2年ぶりに行くことにしました。

その女の子の名前はナースチャ。
ガンが肺やいろいろな臓器に転移してしまっていて、残された命はわずかでした。
彼女の病室に入ると、彼女は笑顔で迎えてくれました。
抗がん剤の副作用で、髪は一本もありませんでしたが、笑顔が素敵な女の子でした。

話はただの世間話。
「ベラルーシでの生活はどう? 日本と違うでしょ?」「正直、すごく大変かな」「そう、がんばってね」
って、僕のほうが慰められたりして。
みんなに優しくて、みんなが彼女から逆に元気をもらっていたと、彼女の家族は言っていました。

ナースチャはその2ヵ月後に亡くなりました。
17歳。

こんなときに「かわいそうだ」などと言うのは、適切ではないし、失礼だと思いました。
そもそも、「かわいそう」という言葉の中には、何か不遜なものが隠れているような気がしてなりません。
むしろ、彼女はみんなの愛に支えられて、幸せだったのではないでしょうか。
彼女のことはみんな忘れたりはしないでしょう。
僕も一生忘れません。

ちょうど、その頃、この「生きる」という詩を読んでいたのです。
彼女がなくなった翌日の土曜日、僕は大学で授業があったのですが、同僚に頼んで、授業を代わってもらいました。
しかし、寮の部屋に一人でいるとき、「これではダメだ」と思い、僕は大学へと向かいました。

二コマ目の授業中に、僕が教室に入ったとき、みんな元気に「こんにちは」と言いましたが、一人の女子学生だけは驚いた表情をしていました。
それは、彼女だけは僕がおかれていた状況を知っていたからです。
「先生、どうしてこんなに辛いときに授業に出てきたんですか?」と彼女の目は語っていました。
辛いときだからこそ、やらなければならないことがある、のです。

そして、授業の内容を変更して、この「生きる」をみんなで読んだのです。
僕はその詩を心から、そしてナースチャに捧げるという想いで読みました。
あのとき、僕が読んだ「生きる」は本当に心からの「生きる」だったと、学生たちは言ってくれました。
あんな風に読むことはもう二度とできないでしょう。
この詩を読むときはいつもナースチャのことを思い出します。



ここまでが3年前に書いた記事の再録です。

私は今でもナースチャの笑顔をはっきりと覚えています。
キラキラするほどの笑顔。
化学療法のせいなのでしょうか、彼女の顔はむくんでいました。
でも、あんなに屈託のない笑顔は死など微塵も感じさせない、そして私とナースチャが交わす言葉は普通の人間が普通に話す世間話以上の言葉ではなかったのです。

今になって思うと、彼女の病気の原因がチェルノブイリなのかどうかは考えたこともありませんでした。
そんなこと、どうでもいいんです。
チェルノブイリなのかどうかが問題なのではなく、ナースチャの命だけが問題なのです。

しかし、レーナちゃんの話では、ナースチャは最後の最後まで家族たちを元気づけていたそうです。
お見舞いに行くクラスメイトたちも泣かないように努力し、ナースチャもいつもと同じように振舞っていたそうです。

私の中には祈り一つ
悲しみや苦しみという
言葉を超えて
押し黙る 握り締める
流れる涙のほとりの夕べの祈り


ナースチャが亡くなったと知ったとき、私はベラルーシを去ることはできない、という強い想いにとらわれました。
理屈ではありません。
心の底から湧き上がる感情。
私はベラルーシを去ってはいけない。

だからこそ。
今、どこにも行かない自分、折り紙をやっていない自分を責める気持ちでいっぱいになるのです。
私がベラルーシにいるのは子どもたちと一緒にいるためではなかったのか?
仕事が忙しくて、そして守るべき家族もいて。
でも、私のベラルーシでの存在意義は子どもと一緒にいることではなかったのか?

ベラルーシの子どもたちは私にとって精神的な支えでした。
病院で遊んだことだけではなく、その後にもらった手紙にどれほど励まされたかわかりません。
11年前、ベラルーシに来た当時、私は身も心もぼろぼろでした。
私はベラルーシの子どもたちに助けられたのです。

これからは少しでもいいから、折り紙教室をやりたいと思っています。
自分の出来るペースで。
南の町にも行ってみようと思っています。

記事のタイトルに「チェルノブイリ」という言葉を書いておきながら、途中でこの際チェルノブイリはどうでもいい、ということを書いてしまいました。
しかし、本当に病気の子どもたちを目にすると、考えることはチェルノブイリのことではなく、その子どものことだけになるのです。

もう一度、書きます。
チェルノブイリなのかどうかが問題なのではなく、ナースチャの命だけが問題なのです。

akiravich at 07:35コメント(16)トラックバック(0) 

2012年01月27日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

ちょっと風邪気味です。
のどがかなり痛いです。
でも、仕事は山積み。
がんばらないと。

今日は今まで書こう書こうと思いながら、書いてこなかったことを書いてみたいと思います。

テーマは「チェルノブイリ」です。
最近は福島の原発の問題もあり、「ベラルーシ」という国名が日本のニュースや新聞に登場することも増えているのではないかと思います。
「ベラルーシ」というキーワードで検索すると、このブログもかなり最初のほうに出てきます。
おそらく、「ベラルーシ」で検索して、このブログを読まれた方も多いのではないかと思います。

「チェルノブイリ」という言葉は自分の中では非常に重い意味を持っています。
なので、ブログの中では簡単に手がつけられないテーマでした。
しかし、最近は通訳の仕事でチェルノブイリ関連の話も多くなり、自分の中の意識も高まっています。

11年間ベラルーシで暮らしてきた中で感じたことをストレートに書いてみたいと思います。
タイトルの「チェルノブイリ」という言葉から連想する内容とは違ったものになってしまうかもしれません。
長くなりそうなので、何回かに分けて書いてみたいと思います。

もちろん、この記事を読んで不快に思う方がいらっしゃるかもしれませんが、これも一つの意見だということでご容赦いただきたいと思います。

2000年8月、私はベラルーシに来ました。
ベラルーシ人の知り合いを頼って来たのです。
その年の7月にウズベキスタンへ行き、それからモスクワ、そしてミンスクへとたどり着きました。
ミンスクへ来た目的は日本語教師として就職するためでした。
その辺りの事情は非常に込み入っています。
興味がある方は「はぐれミーシャ純情派」をご覧ください。

そのとき、私の頭の中に「チェルノブイリ」という言葉はありませんでした。
ベラルーシという国に対するイメージも全く持たないまま、ミンスクに住むことになったのです。

チェルノブイリを意識する機会は割と早く訪れました。
2000年10月、ミンスクの中心部、独立広場にある通称「赤い教会」に「長崎の鐘」が建立されました。
それは第二次世界大戦で焼け残った浦上天主堂の鐘のレプリカです。
私はサブの通訳として、日本から来た代表団の方たちのお世話をすることになりました。

私は代表団の方たちに同行して、ミンスク郊外のアクサコフシナにある病院を訪れました。
そのとき、日本人の方たちは寄付金の他に、子どもたちのために折り紙をプレゼントしました。
ベラルーシの医師たちが「これはもらっても、子どもたちは折り方がわからないだろう」と言っていたので、私は「私はミンスクに住んでいるので、もう一度ここへ折り方を教えに来ますよ」と提案したのです。
これが全ての始まりでした。

私は一ヵ月後、その病院を訪れました。
このときは少し「チェルノブイリ」というものに対する意識が芽生えてきていたと思います。

アクサコフシナは子どもの病院というわけではなく、大人もいる病院。
チェルノブイリの事故後すぐに設立された病院です。
もちろん、治療行為もしますが、療養のための施設と言ったほうが近いかもしれません。

子どもたちは大はしゃぎ。
彼らにとって日本人というのは非常に珍しい存在。
今でこそ町に中国人が増えて、アジア系の顔を見るのは珍しくも何ともなくなりましたが、当時は町を歩いていてもよく指を指されたものです(←ほとんどが好意的なものではありませんでした)。

私も楽しくて楽しくて仕方がなくて。
子どもたちは際限なく、「じゃあ、次は何を折る?」
これほどまでに折り紙が受けるとは全く予想だにしていませんでした。
結局、朝の9時から17時までぶっ通しで子どもたちと遊び続けました。

折り紙の合間に、日本の写真を見せたりして。
はぐれミーシャ「みんな日本に行ってみたい?」
子どもたち「もちろん!!!」
子どもたちのキラキラした目を文字で表現できないのが残念です。

今考えると、私は恐ろしいほどの孤独にさいなまれていたのだと思います。
たった一人のベラルーシ人の知り合いを頼ってミンスクへ来て、でも、その人も日本へ行ってしまっていました。
職場には同僚もいましたし学生もいましたが、プライベートでは一人ぼっち。
子どもたちの笑顔がどんなに救いになったことか。

休憩がてら、婦長さんとお話。
はぐれミーシャ「この子達の病気って何なんですか?」
婦長さん「慢性胃炎よ」
はぐれミーシャ「???」

チェルノブイリ事故後、最初に建てられた病院だと聞いていたので、直接放射能に関係がある病気の子達なのかと思っていたのです。
でも、子どもが慢性胃炎って、あんまり聞いたことがないような・・・
しかも、子どもの数もかなり多いし・・・

はぐれミーシャ「慢性胃炎って、ただの慢性胃炎なんですか?」
婦長さん「直接の因果関係は証明できないんだけど、チェルノブイリ事故後に子どもの慢性胃炎が増えたことは確かなのよ。おそらく、免疫が低下しているせいかとは思うんだけど」
そうなんだ・・・

帰るときも子どもたちが病院の外に出てきてお見送り。
子どもたち「また来てね!」「明日も来てね!」
はぐれミーシャ「明日は無理だよ! でも、また来るよ!」

結局、その日は大満足。
しかし。
寮に帰って、私は考えました。
私は「子どもたちのために」行ったはずなのに、逆に元気をもらってるなんておかしくないか?

何かしたい。
子どもたちのために何かしたい。
何かしなければならない。

チェルノブイリ。
めまいがするほどの深淵。
押し潰されそうになる。
それは戦うにはあまりにも巨大すぎる敵だった。

俺が出来ることは何だろう?
俺は医者じゃないから、子どもたちを病気の脅威から救ってあげることはできない。
俺はお金持ちじゃないから、医療器具を寄付することもできない。
何も出来ないじゃないか!?
何も出来ない俺が病院に行くことに何の意味があるのだろう?

折り紙をやるのは楽しいけど、それって自分のため?
自分が楽しいから行くのはエゴイズム?

そう思いながらも、2週間後にはまたアクサコフシナへ。
子どもたちと遊ぶ時間は本当に楽しくて。
「楽しい」なんて、月並みな言葉しか出てこないけど、19歳で東京に出て以来、本当に心から「楽しい」と思ったことなんてあっただろうか?

昼食後、病院の保母さんのリュボーフィ・ステパノヴナさんと会話。
はぐれミーシャ「すみません。何の役にも立てなくて」
リュボーフィさん「えっ、何言ってるの? 十分役に立ってるわよ」
はぐれミーシャ「だって、医者じゃないから治療も出来ないし、お金もないからプレゼントもできないし」
リュボーフィさん「誰もそんなことあなたに求めていないのよ。あなたがしていることは十分価値のあることなのよ」

そのあとに彼女が言った言葉は、私のその後を決めてしまうような重要な意味を持つ言葉になりました。
リュボーフィさん「もちろん、医者も必要だし寄付も必要よ。世界中からいろんなプレゼントが届けられるし、子どもたちのために演劇を見せてくれたり、コンサートを開いてくれるミュージシャンもいる。でも、そういう人たちはパッと来てパッと帰っていく人たち。プレゼントをもらっても、その送り主の顔は見えないし。私も長いことこの病院で働いているけど、あなたみたいに朝から夕方までずっと子どもと座って、ただ遊んでいく人なんて見たことないわよ。あなたは世界であなたにしかできないことをやっているんだから、自信を持って」

「世界中で自分にしか出来ないこと」
その言葉は私の心を震わせました。

医者でも何でもない私にしか出来ないこと。
それは子どもたちとただただ「遊ぶこと」だったのです。

助けようとするからおかしくなるんだ。
役に立とうとするからウソになるんだ。
普通でいいんだ。
私の心は決まりました。

俺は子どもたちと遊ぶのが楽しいし、それで子どもたちも楽しくければそれでいいじゃないか。
そもそも「誰かのため」っていうのがうそくさい。
だって、結局みんな何でも自分のためにやっているんじゃないかな。

その人と一緒にいると楽しいから、その人と一緒にいたい。
自分が楽しいから、その人と一緒にいたい。
それだけのことだ。

私は「子どもたちと一緒にいたい」から一緒にいるのであって、「子どもたちのために」一緒にいるのではない。
私が折り紙を一緒に折ることで、その子の一日が楽しい思い出になればそれでいい。

自己満足?
それで結構。
自己不満足のために何かをしている人間なんているの?

偽善?
それで結構。
善か悪かなんて話ではないし。
私は私のためにやっているのだというスタンス。

私も子供たちも楽しいんだから、もうそれだけでいい。
そう心に決めると、私の心の中のもやもやはスーっと消えてなくなりました。

私は一つだけ自分の中でルールを作りました。
もし病院での折り紙をすることで自分の仕事や生活に影響が出るようであれば、病院へ行くことはすぐにやめる。
自分の生活を犠牲にして折り紙をするのは本意ではないし、それでは何かがウソになってしまう。

私は月に1〜2回、アクサコフシナの病院へ行くようになりました。
友人も知り合いもいなかった私にとって、子どもたちのところへ行くことはたった一つの喜びでした。
遊んだ子どもたちとの文通も心の支えになりました。

同じ目線で、ただ遊ぶ。
それが私のやり方。

「かわいそう」なんて言葉は絶対に使わない。
ベラルーシの子供たちは決してかわいそうなんかじゃない。
世界中どこの子どもと比べても、何の違いもない。
そして、一人一人が世界でたった一人の存在なんです。

よく「チェルノブイリの子どもたち」という言い方をします。
でも、「チェルノブイリの」というレッテルを貼り、「かわいそう、かわいそう」などと言うことにどんな意味があるというのでしょうか?

国籍や境遇にかかわらず、子どもは子どもなのです。
それは大人も同じこと。
私も日本語教師である以前に人間であり、日本人である前に人間なのです。

ベラルーシの子どもは別に特別な子どもではありません。
どこにでもいる普通の子どもたちです。
○○の子どもたちと十把一絡げにするのではなく、一人一人の子どもを見てあげてください。

子どもたちは宝です。
自分が親になって、その想いが強くなりました。
その子どもたちを守ることは大人の義務だと思います。

こんなに偉そうなことを書いてきましたが、ここ数年は病院への訪問が出来ていません。
独り者だった時代は時間もあったのですが、今は守るべき家族がいます。
その家族のために私は働かなければなりません。
大学で日本語科の主任になって、個人教室も経営するようになってからは自由な時間は全くなくなっています。
最初に決めた「生活に支障が出るようであれば、折り紙はやめる」というルールに従っています。

でも、やっぱり子どもたちのところへ行きたいなあ。
うちのベロニカちゃんも「絶対に行ったほうがいいよ」と言います。
はぐれミーシャ「何でそう思うの?」
ベロニカちゃん「だって、好きなんでしょ?」

そうなんです。
私は子どもが大好きなんです!!!
チェルノブイリがどうこうという問題ではなく、ただ単に子どもと折り紙をするのが楽しくて仕方がないんです。

去年の9月から今まで、日本からいらっしゃった代表団の方々の通訳でベラルーシ南部の町を訪れる機会が何度かありました。
行った先々で、私は地元の人たちと話し、折り紙教室を開くことをお願いしてきました。
全ての町で「待っているよ」と言ってもらえました。
ブラーギン、ホイニキ、コマリン・・・
そして、ミンスク郊外の子どもの療養施設にも行くつもりです。
それは子どもたちの笑顔に出会うためです!

すっかり、チェルノブイリとは関係がない話になってしまったように見えますが、私の中では全てつながっているのです。
子どもたちの前でチェルノブイリを意識することはありません。
ただ単に「遊ぶ」だけ。
それがいい。
そして、それでいい。
私は100%そう確信しています。

akiravich at 06:20コメント(9)トラックバック(0) 

2009年09月17日

おはようございます。
昨日の夜も力尽きて、ブログの更新が出来ませんでした。
だって、帰ってきたのが夜の23時ですもん。

朝はひまだったんですよね。
まあ、それは授業がなかったという意味で、しなければならないことは山のようにたまっているのですが。

弁論大会の原稿チェックというのが最大の仕事。
これはね、結構大変なんですよ。
読んで直すだけなら何てことはないのですが、その学生が言いたいことを変えないで、尚且つ2年生ならば2年生で勉強する文法の範囲を超えないで、作文を直すわけです。
この制限さえなければ、いくらでも作り変えられますよ。
でも、私が作り変えても意味がないわけだし。
本人たちの勉強になるように誘導していかないといけないんです。

うちの2年生は9人いるのですが、そのうち弁論大会に参加するのは7人。
これは今までの記録です。
一つのグループからの参加者は多くてもせいぜい3人というところでしたから。

作文はほとんど完成している学生が多いのですが、まだ一人全く完成していないのがいます。
あまりにも意味不明なことを書いてきたので、何度か突っ返しているのです。
どうしたものやら・・・

作文が完成しても、それで終わりじゃないですからね。
それを暗記して、みんなの前で話すわけですから、その練習も大変。
しかも、弁論大会は来週の金曜日!
もうすぐじゃん。
あー、大変。
もー、大変。
うー、大変。

午前中はそんな感じで悶えてました。

12時からは美少女ターニャちゃんの個人レッスン。
いつも不機嫌そうな顔のターニャちゃんですが、たまに笑ってくれるのがうれしい。

彼女、あまりにも真面目なんですよね。
教科書でパーティーの話が出てきたとき、「ターニャさんは卒業パーティーに行きましたか?」(←今年の6月に学校を卒業し、9月に大学に入ったばかりなので)と聞いたら、「行きませんでした」。
えー!
そんなの初めて聞いた。
学校の卒業パーティーは人生でも大きいイベントの一つですからねえ。
卒業式に行かないようなものですよ。
ターニャちゃん曰く「だって、何がおもしろいんですか? 私は騒いだりするのは好きじゃないので」。
うーん・・・

ターニャちゃんの才能は本物。
教科書の中の会話。
あんまり練習しなくてもちゃんと読めちゃうんですよ。
実に楽々といろんな課題をクリアしていくんです。

そして、びっくりしたのが漢字。
漢字のテストは完璧。
今回はある教科書の第10課を説明したのですが、授業の最後に「じゃあ、来週までに16課まで勉強してきます」。
えっ!?
はぐれミーシャ「それって、自分で勉強してくるってこと?」
ターニャちゃん「だって、漢字って自分で勉強するものですよね? 一週間もあれば、時間もたくさんありますから、16課ぐらいまでは勉強できます」
っていうか、1課ごとに10〜12の漢字があるんですよ。
60の漢字を一週間で覚えるの?
でも、彼女なら簡単に出来そうだなあ・・・

こういう天才タイプの学生、今まで二人いました。
ターニャちゃんが3人目です。
こちらも教えがいがあります。

16時からは大学の授業。
これまたいろいろと大変です。
普通の授業もしなければならないし、10分の休み時間には弁論大会の原稿を書いた本人と直していくのです。
これは骨が折れます。

学生たちにとってはいい経験になるんですよね。
たくさんの人たちの前で日本語だけで話をするわけですから。
でも、私の意見では彼らにとって役に立つのは本番までの練習。
書いたものをより日本語らしくなるように直したり、徹底的にイントネーションを直したりして、今の自分の力を知ったりするわけですから。

教師の誰かが「これは度胸試しという意味でも非常にいい経験になると思います」なんて言ってましたが、私はそんなところには価値を見出せません。
だって、そんな度胸がついてどうするの?
肝試しじゃないんだから。
政治家になるわけじゃあるまいし、大勢の前で話すことが人生経験になるなんて、そんなの二義的なものに過ぎないと私は思っています。
そもそも、大勢の前で自分の意見を話すという非日常的な行為を無理やり人生と結びつけるというのが理解できません。

休憩時間、学生と作文の内容を検討していたときのこと。
知らない電話番号の人から携帯に電話がかかってきました。
受話器をとると、電話してきたのは昨日行ったマラジェチノの学校の校長先生。
校長先生「子どもたちは大喜びで、今日になってもあなたの話しをしていますよ」
それはうれしいですね。

校長先生「またぜひ来てください。そのときは交通費も払いますし、何らかの形で授業料も払いますので」
うーん、それはちょっと・・・
実はこの折り紙教室、お金は受け取らないと決めているんです。
自分の趣味でやっていることだし、お金のためにやっているのではないので。
これは困ったなあ。

大学の授業が終わり、語学学校の授業へ。
生徒は3人しかいないんです。
存亡の危機だったのですが、昨日はもう一人加わりました。
それは私の学生Lちゃんの友達の友達、Kちゃん。
昨日、電話が来て「日本語を勉強したい」と言われたのですが、新しく作ったグループとは時間が合わないので、その学校を勧めたのです。

しかし、その子は授業が気に入らなかったようでした。
というのも、3人の生徒のうち2人は子ども。
質問攻めで授業をストップすることもしばしば。
完全に小学校のノリなのです。
もう一人の大人は適当にあしらって、自分の勉強をしていましたが、そのKちゃんはそういうのが我慢できないらしく、「なんでそんな質問するの、ばからしい」と子ども相手に冷たく言い放ち、授業の空気を凍らせていました。
確かに昨日は子どもたちがうるさかったなあ。
私ももうちょっと厳しくやればよかった。

そもそも、子どもと大人が同じ教室で勉強すること自体、無理があるんですよ。
Kちゃんも学校の校長にいろいろ言っていました。

Kちゃんは3回目の授業に来たことになるので、それまでの内容を授業後に教えました。
それが終わったのは9時半。
外に出ると真っ暗。
工業地帯にある建物ですから、夜歩くのは結構怖いんです。

たまたま同じ方向だったのでKちゃんと町の中心部に向けて歩き出したのですが、Kちゃんがまあしゃべるしゃべる。
日本語の話から、人生の話まで。
19歳なのに、いろんな経験してるなあ。
かなり深い話にまで入り込んでしまいました。
初対面なのに。

彼女は地下鉄でうちへ、私は歩いて帰ることに。
地下鉄の入口の前でも彼女のおしゃべりは止まらず、なかなか帰れない。
目が輝いちゃってましたもん。
ああいう深い話をする子からは好かれることが多いので、会話の端々で「私は結婚してるからわかるんだけど・・・」とか言って、既婚者であることをアピール。

そこからはいつものように歩き。
最近、歩く時間がなかったから。
やせたいしね。

そこに2年生のレーナちゃんからショートメールが。
「先生、今電話してもいいですか?」
そうだ。
電話でスピーチ原稿の内容を話し合うことになってたんだ。
うちに帰ってからでは遅くなるので、歩きながら携帯で相談。
せっかくのウオーキングも仕事をしながらということになりました。

で、うちについたのが23時。
大変な一日だったなあ。

今日も大変なんですよ。
11時半から大学で試験。
14時半から5年生の授業が2コマ。
17時半から19時までは弁論大会の指導。
19時からは個人レッスン。

考えただけで疲れるから、考えないことにします。

akiravich at 15:13コメント(0)トラックバック(0) 

2009年09月16日

おはようございます。
昨日はブログの更新を休んでしまいました。
かなり激しく疲れていたので。

というのも、朝の10時半に家庭教師をやって、最後の授業が終わったのが、夜の10時半。
かなりのハードスケジュールだったんです。

昨日はお休み。
私は毎週火曜日は休みになっています。
土日はアニメおたくのグループがあるので、全く休めないんです。

私の場合、お休みと言っても、いろんな人に会ったり、いろんな所へ行ったりしなければならないので、純粋な休みにはならないというのが普通。
でも、これじゃあいかんなあ、と思うんですよ。
休みの日ぐらい、自分のために時間を使わないと、精神的にももたないと思うんですね。

なので、昨日の休みは自分のために使ってみました!!!

そんなわけで、ミンスクから車で1時間20分のところにある、マラジェチノ市に行ってきました!
マラジェチノは私の生徒で、現在神戸大学に留学中のS君の故郷。
彼の母校で折り紙教室をしたのです。

これは私の趣味の一つ。
子どもたちに折り紙を教えるんです。
以前は一ヶ月に1〜3回、病院や学校に行ってやっていましたが、ここ数年は回数もめっきり減っていました。
去年なんか、一年間で一回しかやっていませんから、とても寂しい想いをしていたのです(←そのときの話は2008年11月6日「久々の折り紙教室!」を御覧ください)。

この折り紙教室ではお金は一銭ももらいません。
私がそうしているのです。
地方都市に行くときも交通費や宿泊費は自分で払います。
だって、これは私の純粋な趣味ですから。

これは断じてボランティアではありません。
これまでも何度か書いていますが、私はボランティアという言葉はあまり好きではないのです。
「子どものため」なんかじゃなくて、「自分のため」です。
そもそも「〜のため」という言葉自体がうそくさくて、あまり好きじゃないんです。

このことについての考え方はここでは書ききれないので、近いうちにまとめてみたいと思います。

実は今回行った学校には2年前にも行ったことがあります。
非常に礼儀正しい生徒たちで、とても楽しかった印象が残っています。
そのときの話は2009年1月11日「そうだ 地方都市へ行こう!」に少し書いてあります。

朝10時に地下鉄プーシキンスカヤ駅を出発。
大きいワゴン車は14人乗り。
旧ソ連圏に在住したことがある人にはおなじみのマルシュルートカです
料金は6000ルーブル(約200円)。

マラジェチノに着いたのは、11時20分。
運転手が言ったとおり、きっかり1時間20分で着きました。
駅に出迎えに来てくれたS君。
今は夏休みで帰ってきています(←日本の大学って、9月に夏休みのところが多いんですかね? 夏じゃないし)。

S君のお父さんが車と運転手を用意してくれたので、学校までは楽々で移動。
まあ、歩いても大した距離ではないのですが。

P9151286学校に到着!
懐かしい!
2年前の記憶がよみがえります。
あのときは真冬ですごく寒かったんですよね。
ベラルーシの学校って、似たような外観が多いです。

まずは校長室へ。
2年前は出張中で会えなかったんです。

校長先生は女性。
ベラルーシの学校では女性の校長が多いです。
折り紙を教えにいろんな学校へ行きましたが、男性の校長には一度しか会ったことがありません。

校長先生は超親日家。
というのは、1993年に一度日本へ行ったことがあるからです。
なんでも、日本からの招待で、世界中から来た教育関係者の集まりに行ったんですって。
そのときの話をたくさん聞かせてもらいました。

そして、8年生の教室へ!
8年生ということは14歳ぐらいの子どもたち。
「ぐらい」と書いたのは、ベラルーシでは学校に入学する年齢がまちまちだからです。

今までの経験から行くと、7、8年生の子どもはとても騒がしくて、コントロールが難しいことが多いのですが、ここの子どもたちはとても静かで穏やか。
いつもだったら、質問攻めにあうのに、私の話を楽しそうに聞くだけで、向こうからは何も言ってきません。
折り紙が中心ですが、日本についていろいろなことを話すのが私のスタイルなので、何を話そうかと考えながら授業を進めました。

最初に自己紹介。
ここで子どもたちの反応を見ます。

そして、日本語の勉強。
「こんにちは」「ありがとう」などの簡単なフレーズがプリントしてある小さい紙を渡して、みんなで発音してみます。

それから、黒板に漢字を書いて、その意味を当ててもらいます。
例えば「山」という漢字。
「この漢字はどういう意味だと思いますか? 何に似ているか考えればわかりますよ」
これも結構盛り上がります。
例えば、子どもが「家!」と答えた場合は、「えっ? 君のうちはこんなうちなの? 屋根がないの?」と切り返したり。

そして、折り紙。
教えるのは鶴。
授業の時間が45分と短いので、他のまでは手が回りません。

昨日の子どもたちはさすがに8年生だけあって、スムースに鶴を作っていました。
なかなかあそこまですんなり出来る子どもたちというのも珍しいんですよ。
時間が10分も余るというのは、初めてのケースです。

P9151288みんなで記念撮影。
時間が余った分、余裕を持って出来ました。

最後に必ず全員の名前を日本語で書いてあげます。
私の名前も書きます。
中には家族全員の名前を頼んでくる生徒もいて、なかなか大変ですが、子どもたちがうれしそうにしているのを見ると、私もうれしくなります。

教室を出るときは、みんな覚えたての日本語で「ありがとう!」「さようなら」と言ってくれます。

また校長室へ。
すると、校長先生が「じゃあ、次は3年生ね」
えーっ!
それは困った。

実は折り紙教室をするときは「5年生以上でお願いします」とお願いするようにしているのです。
というのは、小さい子どもになると、全く折れない子どもが出てきてしまい、最初から最後まで私がやる羽目になったりすることがあるのです。
まあ、私が作ること自体はいいのですが、それを子どもみんなにやっていたら、授業の時間内には終わらなくなってしまいます。

校長先生にも電話で話したとき、そう言ったのに・・・
3年生は厳しいなあ・・・

3年生の教室に入ると、みんなちっちゃくてかわいい!
本当にちっちゃいんです。

8年生とは違って、3年生のノリは完全に子どものそれ。
なので、私もノリノリで話を進めていきます。
一番やりやすいリアクションです。

日本語の発音も楽しそうにしてくれて。
漢字当てゲームでも珍答が続出。
笑いが止まりませんでした。

しかし、やはり折鶴は難しかったようで。
半数以上の子が自分では作れず、私やS君が教室内を走り回って作ってあげることになりました。

案の定、授業時間内には終わらず。
担任の先生はとても優しい人で、「どうぞ。最後までやってください」と言っていたのですが、そこに次の授業の英語の先生が登場。
「今、何時だと思っているの! 早く英語の教室に行きなさい!」
非常に冷たい感じの怖い女性でした。
担任の説明にも耳を貸さず、私のほうを見ようともしない。
子どもたちは何とか最後まで鶴を作り、英語の教室へと走っていきました。
写真撮れなくて、残念だったなあ。
楽しい子どもたちでした。

P9151291最後に校長先生と記念撮影。
バックにある掛け軸は私がプレゼントしたものです。
校長先生は最後までうれしそうに日本の話をしてくれました。
「また来てください」
また行きたいです!

さて。
そこからはフリー。
休みなので、すぐに帰るのももったいない。
ということで、S君にいろいろと町を案内してもらうことに。

まずは腹ごしらえ、ということで、行ったのは「キャラバン」というレストラン。
異常に愛想の悪いウエイトレスにもめげずに料理を注文。
田舎のレストランにしては値段が高いので、もしかしたら高級店なのかもしれません。

P9151294店内は典型的なベラルーシのレストラン。
何の特徴もありません。
BGMもばかげたポップス音楽。
まあ、これは仕方がないかな。

二年前もここで食事をしたのですが、まあまあおいしかったんですよね。
なので、料理に期待!


P9151297P9151300左は「豚肉とキノコのサラダ」です。
まあ、普通かな。
お腹空いてたから、結構おいしく感じましたが。

右は「キエフ風カツレツ」。
ロシア料理店なんかに行くとありますよね。
鳥の胸肉を開いて、中にバターを仕込んだやつです。
ナイフを入れると、バターが出てくる!
その瞬間だけが楽しかったです。

付けあわせが野菜なのですが、左のほうに黒い物体がありますよね。
あれは昆布。
昆布のサラダはよくこちらで食べるのですが、私は食べられません。
昆布自体が苦手ということもありますが、味付けがヤバイ。
昆布以外はまあまあおいしくいただきました。

そこで、S君から「動物を見たいですか?」という提案が。
何でもお父さんの知り合いがやっている会社に熊や鹿がいるんだそうです。
何か状況がいまいちつかめませんでしたが、行ってみることに。
マラジェチノ市内から車で約15分。
田舎のでこぼこ道を走るので、ちょっと車酔いしました。

P9151346着いたのは集団農場のようなところ。
働いている人からも変な目で見られるし、たくさんいる番犬からはめちゃめちゃ吼えられるし。
何かコルホーズみたい。

ベラルーシにはまだコルホーズが存在します。
形だけじゃなくて、ちゃんと機能しています。
驚きです。

P9151301全くの森の中です。
周りには人家も何もありません。

何でもここは国営企業の持ち物なのだそうで。
普通は許可がないと入れないのだそうですが、S君のお父さんがここの社長と知り合いなので、すぐに電話して許可をもらったのだとか。


P9151308しばらく歩くと、動物の檻が。
これはオオカミです。
メスです。
大きいんですよ。
ベラルーシにはかなり野生のオオカミが住んでいます。
怖いですね。





P9151304これはタヌキ。
暗い写真ですみません。
タヌキの家族ですかね。
折り重なっているのがおかしかったです。







P9151313これは熊。
二匹が一緒の檻に入っていました。
ずっと動き回って、何か言いたそうなんですよ。
私、動物園とか行っても、動物がかわいそうとかは思わないんですけど、これはちょっとかわいそうだったなあ。

それにしても、何か腑に落ちない。
小さな動物園みたいなのに、普通の人は立ち入り禁止。
じゃあ、何でこんな動物たちを飼ってるんだろう?


P9151324イノシシは檻の中ではなく、柵で囲ってある森にいました。
いつもだと家族みんなでいるらしいのですが、この日はお父さんイノシシだけ。

ちなみにイノシシはロシア語で「カバン(кабан)」と言います。
1年生の授業で「かばん」という言葉を教えるとみんな爆笑します。



P9151334エミューもいました。
何か人懐っこいみたいで、私たちが近づくとむこうから寄ってきました。
3匹いたのですが、かわいいですね。

動物はかわいいんですが、なんか変な感じです。
動物園でもないのに、こんなに動物がいるなんて。
子どもなんかが見たら大喜びだと思うんですけどね。


P9151347湖のほうへ行ってみました。
ロシア語で「ようこそ!」と書いてあるのに、許可がないと入れないっていうのも・・・









P9151348きれいですよね。
最高の天気です。
ベラルーシの秋は雨がちの天気が多いのですが、昨日は最高の秋晴れでした。
湖面に映った雲がいい感じです。







P9151355湖のほとりで休んでいるヤギです。
アップで写真を撮ろうとしたら、雄ヤギが怒って、威嚇してきました。
優しそうに見えますが、結構攻撃力があるそうです。
二人で仲良く日向ぼっこしてたのを、人間に邪魔されちゃったんですね。
すみません。





P9151353アヒルたちもいました。
アヒルが騒ぎ出したので何でだろうと思ったら、私たちが近づいていったからなんですね。
声が結構、鬼気迫るものになっていったので、わかりました。
S君いわく「アヒルが攻撃してくると、結構痛いんですよ」




P9151356車でマラジェチノ市内に戻りました。
町を歩いてみようと思ったのですが、何にも面白いものがない。
これは町の中心の広場なのですが、何にもない、ただの広場。
典型的なベラルーシの地方都市です。




P9151358レーニンが立っているのもお約束。
ベラルーシの町にはどこに行ってもレーニンが立っています。
立っていない町へ行ったことがありません。

見るものがないので、S君の自宅へ!




P9151362一戸建てですよ!
こりゃあ、すごい。
2年前にも来たのですが、改めてみるとかなりの家です。

ベラルーシの都市部ではマンションに住むのが普通。
最近はミンスク郊外に一戸建てを建てる人も増えていますが、まだ少数派です。

S君のお母さんといろいろと話しました。
あんなことやこんなこと。
世間話です。

P9151364P9151366庭にはS君のお母さんが育てている花がたくさん。
ガーデニングが趣味だそうで。
右側の植物、何だろう?
S君の家族も名前がわからないそうです。

P9151371これも庭に生えているブラックベリー。
こうやってなっているんですね。
最近、市場で売っているのを見て買ったんですが。
そのときはあんまりおいしいとは思わなかったんです(←その話は2009年8月23日「メロンでラグビー?」を御覧ください)。



P9151369食べてみたのですが・・・これが最高においしい!
本当のはこんな味なんだ!
甘みと酸味のバランスが良くて。
思いっきり食べました。
大きくて、真っ黒いのがおいしかったです。
ところどころ赤いところがあるのは酸っぱすぎてあまりおいしくないです。
感動的なおいしさでした。

P9151372こんなのもありました。
ここでバーベキューなんかするんですよね。
いいなあ。
私はこの夏、炭火に目覚めていますから。
焼きたい!(←「食べたい」ではない・・・)


S君のお母さんに車でバスターミナルまで送ってもらってさようなら。
本当にお世話になりました。
マラジェチノへ行くたびに、すごくお世話になっています。

帰りはマルシュルートカが出発したばかりで待ち時間が長くなりそうだったのですが、タクシーの運転手が「ミンスクに行くけど、7000ルーブルでどうだ?」と聞いてきたので、それで帰ることに。
他の人たちと相乗りです。
4人乗せて行きたいので、ミンスクへ行く人を探したのですが、私も含めて3人しか見つからず、そのまま出発。
私にとっては座席もゆったりで快適でした。

それにしても、7000ルーブルって、元がとれないんじゃないかなあ・・・
1時間20分かかるんですよ。
ガソリン代だけで足が出ちゃいそうな気が・・・

うちに帰ってきたのは21時。
疲れた!
でも、子どもたちからパワーをもらってきましたから!
また折り紙を教えに行こう!

akiravich at 19:54コメント(2)トラックバック(0) 

2009年01月11日

今日は授業が4コマ。
まだ正月明けでエンジンがかかりきっていないのか、すごく疲れました。

なので、今日は簡単に。
1月は大学は試験期間で、授業はないんですよ。
なので、毎年、この時期は地方へ行って、折り紙教室をしているんです。
元々、この取り組み自体は私が8年前にベラルーシへ来たときからやっていること。
最初は病院が中心だったのですが、今は学校がメインになっています。

行きたいと思っているのが、ブラスラフという町。
ベラルーシの北部にある町で、ミンスクからはバスで4〜5時間ほど。
美しい湖が点在する地域で、国立公園にもなっています。
私の考えでは、ベラルーシで最も美しい場所なのです。

そこに行ったのは2年前のこと。
通信教育で勉強していたカーチャちゃんに「もし良かったら君の学校へ折り紙を教えに行きたいんだけど」と手紙を出したら、彼女も学校の先生たちも喜んで受け入れてくれて。

P3070652P3070654これがその時の写真です。
一日で5つ授業をしたんです。
各学年一つずつ。
ブラスラフほどの田舎になると外国人はそんなに来ないし(←最近はドイツ人が避暑にやってくるらしいですが)、ましてや日本人ともなるとまず会うチャンスはないわけですから、みんな大喜びでした。
私もいろんな町に行って折り紙をしましたが、ブラスラフの子供たちが一番ノリが良かったです。
美しい湖に囲まれているからか、心も純粋なんでしょうか。
すごく素朴で、すれていない、いい子供たちでした。

そういえば、そのブラスラフ出身のカーチャちゃん。
今度、日本に留学するんですよ。
5年間のプログラムに合格したんです。
彼女に「おめでとう!」と電話したとき、「またブラスラフに行きたいんだけど」と行ったら、彼女が学校の先生に聞いてくれて。
数日後、「ぜひいらしてくださいと言っていました」との返事。
こりゃあ、行くしかないでしょ!

もう一つ、私が気に入った町があります。
それはモロデチノという町です。
これは今、大阪大学に留学している私の学生、セルゲイ君の出身地。
ミンスクからは電車で1時間半ぐらいの所にあります。

P2150637これがその時の写真。
これも二年ほど前ですね。
このときも楽しかったなあ。
みんな素直で、びっくりするほど。

地方都市の学校はミンスク市内の学校とはちょっと違いますよ。
2ヶ月ほど前、ミンスク市内の学校で折り紙をしましたが、まあうるさいうるさい。
完全に学級崩壊状態。
担任の先生も「静かにしなさい」と言うだけで、その効果は3分も続きません。
私もミンスク市内の中学校で教えた経験があるので、学校で何が起きているのかはある程度理解しています。

地方都市はいいなあ。
大学の試験が終わったら、行こうっと!

akiravich at 06:01コメント(4)トラックバック(0) 

2008年11月06日

今日は一応、休みの日。
一応、ですが。
結局、ドタバタの一日になりました。

朝は給料をもらいに銀行へ。
9時の開店少し前に銀行に着くと、人だかりが。
こりゃあ、もらえるまで時間がかかるかなあと思ったら、みんな両替をする人たちで窓口が違ったから、すんなり給料を受け取れました。
その両替の人たち、朝から異常にうるさくて、何事かと思ったら、今日の夜、ミンスクのチームとサンクトペテルブルグのチームのサッカーの試合があるらしく、ロシア人が大挙してミンスクに来ているらしいんですよ。
サッカーのある日は、町の中も騒がしく、からんできたりする輩もいるので、要注意です。

その後、大学の同僚と会って、しばし雑談。
久々にゴーリキー公園の中を歩きました。

それから、本の市場に行ったんだけど、めぼしい本はなく、すぐに退散。
いつものカマロフスキー市場に行く途中、銀行に寄ってベラルーシルーブルをドルに換金。
最近、ベラルーシでも金融危機が騒がれていて、ドルやユーロが不足していると聞いていたんですが、あっさり両替できました。
市場では量り売りのナッツやドライフルーツ、大根、牛肉などを買いました。
あと、醤油も買おうと思ったんですが、品薄。
500mlのキッコーマンがかろうじてあるだけ。
22000ルーブル(約1100円)もして、割高なんですよ。
かなり重い荷物を引きずってうちへ。

うちに着いたときにはすでに疲労困憊。
2時間ほど昼寝。

17時からは近くの小学校で折り紙教室。
近くとは言っても、結構遠い感じのするところで。
それはミンスク市内のステピャンカという地区。
私もミンスク中、いろんなところに行っていて、行っていないのは南のほうにある超危険地帯だけだと思っていたのですが、ステピャンカは初めて。
元々、軍人のために作られた地区で、今でも軍人や警察関係者、消防関係の家族などがたくさん住んでいます。
バスで行くんですが、すっごい森の中を通るので、ミンスク市内とは思えない。

その小学校の生徒で、うちで日本語を学んでいるアレクセイ君がバス停まで迎えに来てくれました。
学校に着くと、すぐに校長先生のところへ。
こちらの学校では校長先生はほとんどが女性。
この学校も例外ではなく、絵に描いたような、ちょっと厳しい感じの女性でした。

校長先生から思いがけない申し出が!
「今回だけと言わずに、毎週水曜日、定期的にうちの学校に来ていただけませんか?」
つまり、日本文化クラブを作ってほしいというのです。
うーん、忙しいからなあ。
それに、小・中学校で教えることに関しては苦い経験もあるのです。
日本と同じように、最近の子供はコントロールするのが難しいんですよ。
日本的に言えば、学級崩壊という感じでしょうか。
まあ、ちょっと考えます。

PB052143
折り紙教室は大成功!
久しぶりだったので、ちょっと段取りを間違ったりしましたが、子供たちは大満足の様子でした。
7年生のクラスだったのですが、このグループはものすごく騒がしくて、コントロールしにくい感じでした。
先生も大変だ、こりゃ。

PB052145
折り紙教室が終わるとき、そのクラスの先生がやってきて、「7年生のもう一つのグループも教えてもらえませんか?」と言ってきたので、「喜んで!」。
こちらのクラスは前のクラスと全く正反対で、割と静かで大人っぽい感じ。
久しぶりに子供と遊んで、楽しかったです!

そういえば、子供の一人に「何歳?」と聞かれたので、「当ててごらん」と言うと、「22歳!」。
俺、まだまだいけそうです。
生きる自信が湧いてきました。

この折り紙教室は私にとってはライフワークの一つ。
内容などについて、いつか改めて書きたいと思います。

そこから、町の中心へ。
実は、今日の昼、15日に結婚式を控えている私の友人で俳優のオレグ君から「結婚式の招待状を渡したいから、会おう」と連絡があったんです。
19時を過ぎていたんですが、そこからバスと路面電車を乗り継いで、はるばる勝利広場へ。

PB052149
着いてみると、オレグ君と一緒に女の子が。
彼女は結婚式のカメラマンで、最近初演されたオレグ君演出の劇「私と彼女とバットマン」の舞台美術を担当したアリョーナちゃん。
二人ともすでにできあがっていて、リキュールの小瓶を片手にハイテンション。

PB052152PB052150
二人の写真を撮ろうとしたら、変な顔を連発。
オレグ君の発案で、お金を出し合って、リキュールの大瓶を購入。
路上でみんなで回し飲み。
警察に見つかったら、すぐに尋問される行為なんですが、まあ、たまには・・・

PB052154
そこに結婚式の司会者が合流して、結婚式の打ち合わせ。
オレグ君、すっかり酔っ払って、同じ内容をエンドレスに繰り返している。
アリョーナちゃんはお酒を飲んでいるうちに、しゃっくりが止まらなくなり、私は彼女のために水を買いに。
傍から見たら、司会者の男の人が酔っ払い二人に絡まれているという感じ。
この寒空の中、私たちは2時間以上も飲み続け、話し続けたのでした。

そこにオレグ君のフィアンセ、ナースチャちゃん登場。
すっかりゴキゲンのオレグ君を見て「仕方ないわね」。
オレグ君とアリョーナちゃん、まだ飲み足りないと見えて(←実は私も)、町の中心にある中央スーパーへ。
ナースチャちゃんは「もう帰ろう」とオレグ君を説得するも失敗。
結局、四人で新たな酒を求めて移動する羽目に。

PB052155
中央スーパーに着いてみると、「本日14時以降、アルコール類の販売はしません」という張り紙が。
これはサッカーの試合などがあるときに、暴動などを防ぐという意味でとられる措置なのです。
写真に写っている人たちは、何とか売ってもらえないかと粘っている人たち。
我々もちょっとがんばってみたのですが、無理っぽかったので、隣のマクドナルドへ。

マクドナルドでもオレグ君、大暴走。
いろんなものをこぼしてました。
言っていることは脈絡がなく、荒唐無稽だし。
一つの文の中に「クソ!」という言葉を何度も入れるブチキレよう。
今日のオレグ君とアリョーナちゃんの会話は、もし日本だったら「ピー」連発でしょう。

結局、うちに帰ってきたのが0時過ぎ。
そして、今、このブログを書いているというわけです。

明日は8時半から授業なんだよなあ。
つまり、6時45分起き。
きついなあ。
でも、金曜日が革命記念日で休みなんですよ。
明日を何とか乗り切ろう・・・

akiravich at 07:59コメント(2)トラックバック(0) 
livedoor プロフィール
Twitter プロフィール
ベラルーシでの生活は楽しいな♪
メッセージ

名前
メール
本文