日本人

2014年08月25日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

今日のミンスクは一日、雨模様でした。
すっかり秋の装いです。

今日は日曜日。
昼過ぎにビールを買いに行った以外はずっとうちの中にいました。

日曜日に私がうちにいるのは夏かお正月だけ。
普段は授業が朝の9時から19時までびっちりと入っています。
今のうちに休んでおかないと。
9月1日からは怒涛の日々が待っています。

さて。
今日はまたベラルーシに関係ない、めんどくさい話です。

先日、2014年8月21日「ベラルーシに行こう!!! どの経由地がいいかな?」の中で、10年以上前、ウィーン経由で日本へ帰った時のことに少し触れました。
その時のことを書いていて、思い出したことがあります。

その当時、私はお金に困っていました。
ベラルーシでは今でこそ、平均の給料が500ドルとなっていますが、当時は・・・いくらだったんだろう?
私が2000年に大学で働くようになった時の初任給は中学生のお小遣い並でしたから。
その頃は今のように個人教室も持っていませんでしたし、家庭教師もそれほどやっていなかったので、日本を出るときに持っていた貯金を食いつぶしながら生活していたのです。

ベラルーシに来て2年。
何とか一度日本へ帰りたいという気持ちを持って生きていました。
やはり家族や友達にも会いたいし、日本食も恋しい(←その頃は寿司屋はミンスクに一軒しかなく、高級で自腹で行けるようなところではありませんでした)。
ないお金をかき集め、家庭教師のわずかな収入で何とか日本へ帰る切符を買ったのです。

そんな生活をしている中、確か春ごろだったと思いますが、私はベラルーシに在住する日本人たちと関係を断ちました。
いくつか理由があります。

一つは私が大きい悩みを抱えている時、信じていたある日本人に心無い対応をされたこと。
もう一つは私がつきあいがあったある日本人があまりにも頻繁に酒の誘いをしてくるようになり、閉口したこと。
授業中にもポケットベル(←懐かしい!)に酒の誘いが来たりして。
ほとんど毎日誘いが来るようになり、うんざりしていました。

まあ、上に挙げたような理由だけなら、お互いに話し合うなりすれば話は済むことと思います。
しかし、ここにはもう一つ理由があります。

私は日本へ帰るお金を稼ぐのに必死でした。
滅多に来ない通訳の仕事が来て、すごく助かったのを覚えています。
家庭教師も学生のうちまで行ってやっていました。
大学の授業の準備も大変でした。
まだ経験が浅かったのもありますし、教材が足りず、自分で教科書的なプリントを作って授業をやっていたのです。

日本人たちとの付き合いが疎遠になり始め、まあ、意識的に疎遠になっていたのですが、その頃、日本人たちが私について噂しているということを聞きました。
その噂の内容。
「古○は彼女ができたから、そっちで忙しいみたいだ」

なんだそりゃ!?
ふざけんなよ!!!


日本から持ってきたお金で悠々と生活している人間には言われたくないよ。
どうぞ俺ぬきでお酒でも何でも飲んでくれ。
そんな気持ちでした。

確かに、その頃、私は彼女ができました。
ウズベキスタンで負った心の傷が少し癒えた頃、張り詰めた気持ちの隙間にスッと入ってきたのです。

でも、彼女と過ごす時間は非常に少ないものでした。
とにかく仕事が忙しかった。
しかも、彼女が住んでいるところはミンスクの一番端っこ。
行くのに1時間以上はかかりました。

とにかく必死でした。
頑張って働き、少し残った時間で彼女に会いに行く。
そんな生活をしている私にとって、日本人たちが言ったとされる言葉はあまりにも人を馬鹿にしたように思えたのです。

私はその後、2年ほどミンスクに住む日本人とは交流しませんでした。
その間、私が何を言われていたのかは推して知るべし。
散々、悪口を言われていたんだと思います。
それは私に対する誹謗中傷に関する記事を読んでいただいてもわかると思います。

今年に入ってからですが、その当時ベラルーシにいたと思われる人からコメントが来ました。
根拠もなしによくもあんなことを書けるものだなあ、と。
私以外の個人名も書かれているので公開はしませんでした。

そこで、思うこと。
外国にいる日本人は何で群れるんでしょうか?

外国にいるのに、日本人同士で集まって、何が楽しいんですかね?
そこで生まれる村社会。
そんな村社会から私は村八分にされていたようで。

そんな村、住みたくないわ!!!

もちろん、日本人同士の交流を否定するつもりはありません。
情報交換することもあるだろうし。
でも、せっかく外国に住んでいるなら、その国の人と交流することにこそ、外国生活の醍醐味があると思うんだけどな。

この話、ちょっと、私の被害妄想も入ってるかな。
うーん・・・
でもね、悪口は言われてたみたいだし。

っていうか、今も言われていますよ。
詳しい話はここでは書けませんが。

でも、悪口の一つだけ、ご紹介!
ある日本人に言われた言葉。

「古○は派閥を作る」

こんなことを言っている人がいるというのは、数人から聞いています。
あのー、どこにその派閥があるんですか?
教えてほしいよ!

私は話をしたい人と話すし、付き合いたい人と付き合います。
それだけのことなんですが、私が付き合わない人たちが集まって、「古○は派閥を作るのが好きだ」などと言っていたそうです。

そんな人たちに私は言いたい。
派閥を作っているのはあなたたちじゃないの?
その派閥の中で私の悪口を言って、何が楽しいんでしょうか?
っていうか、その人たちは何しにベラルーシに来てるんだろう?
わけわからん。

日本人の集団性、というか、村の習性とでも呼ぶべきもの。
村の考え方にそぐわない人間をみんなで責めて何が楽しいの?

私の悪口はともかく。
せっかく外国に来てまで、日本人と一緒にいることはないでしょ。

他の国でも同じようなこと、起きているのかな?
日本なら、付き合う相手はいくらでも選べる(←理屈ではね。日本人はたくさんいるから)はずだけど、外国にいるとそこにいる日本人自体が限られる。
その狭いコミュニティーの中でトラぶったりということはどこの国に行ってもあるんだろうなあ。
でも、日本人同士で不毛なトラブルを起こすより、現地の人たちと触れ合ったりしている方が絶対にいいと思いますよ。
ロシア語の勉強に来ている学生さんなんかは特に。

あー、めんどくせえ。
いろいろ書きたいことはあるけど、今日はここまで!!!

akiravich at 04:19コメント(2) 

2012年11月16日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

今日は休みでした。
毎週木曜日は休みなので、できるだけ用事を入れないようにしています。
そうでもしないと、肉体的にも精神的にもきついので。
私の場合、土曜日も日曜日も休みじゃありませんから。
むしろ、平日よりも授業が多く、かなりきついのです。

とはいえ、今日もいろんな人から電話が来たりして、なかなか休めなかったです。
外に一歩も出なかっただけ、かなり楽なのですが。

今日は龍二くんと長い時間を過ごしました。
ベロニカちゃんが妹のマーシャちゃんと映画を見に行ったからです。
普段、私は授業などでうちにいないことのほうが多いのですが、今日は久しぶりに龍二くんと二人っきりで過ごしました。
それにしても、あまりのアクティブさにびっくり。
運動量がすごすぎます。
これじゃあ、うちのベロニカちゃんも疲れるはずだなあ。

少しではありますが、今日一日で少しですが疲れが取れました。
来週、大きい仕事が控えているので、今日は休息をとりたかったのです。

その仕事とも関係があるのですが、今週の月曜日、ある保養施設へ行って折り紙をやってきました!!!
打ち合わせも兼ねてだったのですが、私にとっては久しぶりの折り紙教室。
先週から楽しみにしていました。

その場所は子供の保養施設「ジダノヴィチ」というところです。
「ジダノヴィチ」と言えば、ミンスクっ子にはおなじみの名前。
ミンスクのちょっと郊外なのですが、巨大なマーケットがあるところなのです。
食料品エリア、衣料品エリア、建築資材エリアなどが広大な敷地に広がっているところなのです。
保養施設はそのマーケットのもう少し先です。

実は通訳として何度かジダノヴィチを訪れる機会があり、そのときに「今度折り紙をやりに来てもいいですか?」とお願いしたところ、「もちろん!」と快諾していただいていたのです。
しかし、仕事の忙しさにかまけて、約束してから半年もして、ようやく行けることになったのです。

「ジダノヴィチ」に着くと、すぐに所長さんと打ち合わせ。
この所長さん、前に通訳したときに会っているのですが、私の顔はすっかり忘れていました。
ここ最近は日本人の訪問客が多く、覚え切れないのでしょう。

所長さんは以前、ゴメリ州のある町の市長さんだった方。
日本に何かの研修に行ったことがあるので、超親日家。
とても優しい方です。

打ち合わせのあと、昼ごはんまでご馳走になりました。
食堂で所長さんと一緒のちょっと遅めのランチです。

所長さんの方針は「職員も子供たちと同じものを食べるべきだ」というもの。
私もいろんな病院や施設に行きましたが、職員のものだけちょっといい食べ物だったり、私のことを大事なお客さんとして扱おうとしているのか、特別料理を出してきたりすることがあるのです。
でも、私はいつも「子供たちと同じもので」とお願いするようにしています。
何といえばわからないのですが、とにかく子供たちと一緒のものがいいのです。
ジダノヴィチの所長さん、私と同じで理屈っぽい理由があるわけではなく、「何で別々のものを食べなきゃいけないんだ?」
私も同感です!

DSC00728

さあ、ここからは料理のご紹介!
これはサラダですが、一体何が入っているのでしょう?
きゅうりのピクルスと玉ねぎと豆みたいなのと・・・よくわからん。
でも、おいしかったから、よしとしましょう。
味は一般の家庭でよく食べるような感じ。
そのことを所長に言うと、「そのほうが子供たちにとってもいいと思う。ここはレストランじゃないんだから」

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これはボルシチです!!!
私はボルシチ、大好き!!!

6年ほど前、日本に一時帰国したとき、東京の某ロシア料理レストランでボルシチを食べた(←ロシア語ではスープは「飲む」ものではなく「食べる」ものです)のですが、全くボルシチとは似ても似つかないものでした。
日本人の多くの人はボルシチの赤い色はトマトの色だと思っているんじゃないですか?
この赤い色はビーツを使っているんです。

普通、ボルシチにトマトは入れません。
これはベラルーシに限らず、ウクライナやロシアも同じはずです。
入れるとしても、かなり例外的な作り方だと思います。
東京で食べたボルシチはトマトスープとしては非常においしいものでした。

DSC00730

メインは魚のハンバーグとジャガイモのピューレ。
そこに酢漬けのキャベツが添えられています。
この魚のハンバーグは食堂なんかに行くとしょっちゅう出てきます。
私は大好きなのですが、嫌いな人も結構多いようです。

ベラルーシはよくジャガイモを食べる国。
とにかくジャガイモばっかり食べているイメージがあります。
私のうちではご飯のほうが多いのですが、それはかなり珍しいタイプです。

ここの食堂の味は家庭の味にかなり近いものがあります。
ベラルーシに来て、レストランの料理ばっかり食べてもダメですなんですよ。
正直、ベラルーシのレストランって大したことないところが多いし。
最近ではそこそこおいしいところも出てきましたが、かなりの高級店で、私のような一般庶民には全く手が出ません。
「ベラルーシ料理の真髄は家庭料理にあり!」と声を大にして言いたい。
ベラルーシにいらっしゃる方でベラルーシ人の知り合いや友人がいる場合は、ぜひ一般家庭の料理を試してみてくださいね。

お腹がいっぱいになって、超眠くなりました。
疲れもかなりたまっていたので。

子供たちのところに行ったのは15時半ごろ。
彼らが寝泊りしている建物の中の遊び場が会場でした。
彼らからしてみれば、本物の日本人が来るというのは夢のような話。
みんな大はしゃぎで折り紙をやってくれました。

子供たちはグロドノ州というベラルーシでは西部に位置し、ポーランドと国境を接している地方の村から来ている子供たちでした。
ジダノヴィチはチェルノブイリで汚染されている地域から来ている子供たちの保養施設。
グロドノ州はチェルノブイリからかなり遠いのですが、ホットスポットはあるようです。
彼らの村も汚染地域なのかなあ?
ただ、ジダノヴィチに限らず、ベラルーシの病院や保養施設などではことさらにチェルノブイリのことを強調せず、健康全般の面倒を見るというスタンスのところが多いので、もしかしたらその子供たちの村も汚染地域に入っているというわけではないのかもしれません。

DSC00731

ピンボケですが、こんな感じです。
目も閉じちゃってるし。
教えたのは鶴とカエル。
鶴はベラルーシでも時々作れる子がいたりするのですが、たいてい作り方が間違っていることが多いのです。
カエルは口がパクパク動くもので、子供たちには大好評でした。

それにしても、楽しかった!
時々、充電しないとダメですね。
子供たちと折り紙をやると、正直、最高に疲れるんですよ。
しゃべりっぱなしで、ロシア語の冗談全開でいきますから、うちへ帰るとぐったり。
でも、それ以上に得るものがあるんです。
子供たちにエネルギーをもらう感じです。
また行こう〜っと。

明日も朝からドタバタと走り回ります。
いろんなところに顔出さなきゃ。
授業もしっかりあるしなあ。
そして、いろんなところに電話もかけないといけないし。
がんばります!!!

akiravich at 05:51コメント(2)トラックバック(0) 

2012年10月03日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

タイトルに書いてしまっているのでお分かりかと思いますが・・・
今日は私の誕生日!
39歳!

いやあ、こんな年になってしまいました。
頭の中は19歳のときと何にも変わっていないんですけどね。

19歳の時って、音大に入ることができて、本当に良かった時代だなあ・・・
あの頃に戻れたら・・・なんて全然思わないんですけどね。
つらいこともあったし・・・
でも、あのときに負けないくらい、「今」を生きていたいです!

今日のミンスクは雨模様。
仕事はがっつりあります。
でも、明日は休み!!!
ゆっくり休みたいと思います。
先週は日本語弁論大会で全然休めなかったし・・・

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これからもベロニカちゃんと龍二くんと一緒にがんばります!!!
よろしくお願いいたします!!!

akiravich at 18:02コメント(8)トラックバック(0) 

2012年09月16日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

今は土曜日の夜23時23分。
まったりしています。

普段はまったりできないのですが、今日はまったりです。
というのは、ベロニカちゃんと龍二くんが実家に行っているから、うちに一人でいるんです。
みんなでにぎやかなのもいいけど、一人の晩酌もなかなか乙なものです。

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まったりと見ていました。
日本でマンガを読み、すっかりはまっていた「深夜食堂」。
ドラマになってもなかなか乙なものです。
最初のまったりした歌が何とも言えないです。

ああ、俺もこういう食堂、やりたいなあ。
今も飲食店をやりたいという気持ちはかなり強く持っていて。
最近、知り合いに相談したのですが、もしかしたら数年後にはどこかで仕事をさせてもらえるかもしれません。

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そんなはぐれミーシャの晩ご飯はこちら。
ローストビーフ丼です。
二日前に作ったローストビーフが余っていたので、それをどんぶりにしてみました。
ソースは煮詰めた赤ワインに肉汁を加え、醤油、塩、胡椒で味を整え、最後にバターを溶かし込んで、ちょっとフランスチック。
これは激ウマでした!!!
ちょっと言葉を失いました。
盛り付けが下手なのが今後の課題です。
今度はソースにゆずこしょうを入れてみよーっと。

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ビールはミンスクのアイスホッケーのチームのマークが入ったもの。
中身は普通のビールかな。
でも、何かいい感じ。

久しぶりに超まったり。
でも、このまったりに至るまでは結構な時間がかかっています。
今日は12時から個人レッスンが一つ。
13時半から弁論大会の原稿の添削が一つ。
16時から19時までの初心者クラスの授業。
19時から20時半までは女の子二人組の授業。
うちへ帰ったのが21時過ぎで、電話で同僚と授業の打ち合わせ。
それから、学生とスカイプで原稿の添削。
それから、料理。
まあ、よくやるわ・・・

初心者クラス。
今年も結構な数が集まりました。
3つグループを作り、そのうちの二つは私がやっています。
それぞれ、人数は25人。
18平方メートルの部屋に25人入るのですから、かなりの狭さ。
それでも、できるだけ多くの人たちに日本語を学ぶ機会を、という気持ちがあります。
まあ、多いのは最初だけで、一ヶ月ぐらいするとどんどん減っていくのですが・・・

19時からの授業は日本語を始めて三年目のダーシャちゃんとサーシャちゃん。
二人とも日本への留学を目指している17歳。
初心者クラスで疲れ切っていたのですが、彼女たちとの授業は楽しくてやりやすいです。

その授業でたまたまマクドナルドの話になりました。
ダーシャちゃんが「今日、私はマクドナルドに行きました」
私の教室の近くに新しい店舗がオープンしたのです。
私も行きましたが、不慣れなせいか、オペレーションが遅く、かなり待たされます。

ダーシャちゃんはかなり華奢なのに、フライドポテトをがっつり食べる女の子。
ラージサイズのポテトを二つぐらいぺろりと食べちゃいます。
でも、彼女はベジタリアン。
ベジタリアンでありながら、カロリーを気にしないところが素敵です。

彼女に冗談で「ポテトだけじゃなくて、アイスクリームも食べたんじゃないの? もしかして、ポテトにアイスクリームをつけて食べたりしていないよね?」と言うと、ダーシャちゃんは「はい」。
隣にいるサーシャちゃんも「はい。おいしいです」
はぐれミーシャ「えっ!? 本当につけて食べるの!?」
二人「本当です!」
冗談で言ったのに。

イメージできますか?
ベラルーシのマクドナルドで言うところのアイスクリームというのは、日本ではソフトクリームのようなもの。
それにポテトをつけて食べるんですよ。
二人によると、友達にもそういう食べ方が好きな人がいるとのこと。
うーん・・・

やっぱり学生と話すのは楽しいですね。
いろいろと発見があります。

発見といえば、この前の金曜日。
二年目のグループでの会話。

なぜか会話が恋話に。
私の過去の話。
はぐれミーシャ「東京にいた頃、付き合い始めて三日目ぐらいまで彼女の苗字を知らなくて。『苗字、何だっけ?』って聞いたら、すごい怒ってた」
ある女子学生「私なんか、付き合っている人の名前を知らなかったこと、ありますよ」
えええ!!!
そんなこと、あるの!?(←私も人のことは言えないが・・・)

確かにベラルーシでは友達でも苗字は知らないなんてことはあるかもなあ。
下の名前だけで通っちゃうことが多いし。

しかも、ベラルーシでは「付き合っている」という言葉が非常に曖昧。
ロシア語から直訳すると「会っている」という言葉なのです。
つまり、友達として会っているのか、恋人として会っているのかという境界線がわからないことがあるのです。

日本では「好きです」「付き合ってください」というところからスタートするものでしょうが、ベラルーシではそういう手続き(←?)を踏むことはあまりありません。
つまり、日本のように彼・彼女という関係になる境目がはっきりしないということになります。
そこが悩ましいところなのです(←今の私にとっては悩ましくもなんともないのですが)

はぐれミーシャ「彼の名前を知らないなんてこと、あるの!?」
学生たち「あります」「あってもおかしくはないです」
うーん・・・それ、自分が彼の立場だったら最高に嫌だなあ・・・

はぐれミーシャ「じゃあ、苗字を知らないってのは?」
学生たち「それは普通です!」「よくあることです!」
えー・・・

他の学生たちに聞いたら、「そういう人たちもいるかもしれませんが、そうじゃない人の方が多いと思いますよ」
ちょっと安心。
でも、そういう人たちがいるのがすごい。
せめて名前は知っておきましょうよ。

ここでの「学生たち」は全員女性でした。
男はどうなんですかね?
たぶん、彼女の名前は知っていると思うんだけど・・・

12年住んでいても、いろいろと知らないことがあるんだなあ。
まあ、今日書いた話は一般的なベラルーシ人のことじゃないかもしれないけど。

明日も6コマ授業。
そろそろ寝ないと・・・

P.S.
苗字を知らなかった彼女というのはプロレスファンの女の子。
お互いに技をかけたりしていたのですが、ある日、三沢光晴のまねでフェースロックをかけたら本気でキレた女の子です(←この情報、必要だったでしょうか・・・)。

akiravich at 06:05コメント(8)トラックバック(0) 

2012年04月20日

ご無沙汰しております。
はぐれミーシャです。

何から書き始めればいいんだろう・・・

継続的に読んでくださっている皆様は、誹謗中傷コメントのことに関してご心配くださっていることと思います。
たくさんの励ましのメールやコメントをいただきました。
本当にありがとうございました。
とても勇気付けられました。

今回の件に関しては、様々な方にご相談させていただいておりますが、まだ解決には至っておりません。
終結宣言とも取れるコメントの後は、中傷コメントは一切来なくなりました。
しかし、私はこの件はまだ終わっていないととらえています。

まだ未解決の事なので、ブログの更新は控えたほうがいいのではないかというアドバイスを下さる方がいらっしゃいました。
しかし、これまでどおり更新を続けて欲しいというコメントも数多くいただきました。
なので、できる限り、これからも更新していきたいと思っています。

私は非常に忙しい生活をおくっています。
大学や個人教室の日本語の授業が忙しいのはもちろんなのですが、その他に通訳の仕事が多くなっています。
自分の知らない分野の内容を通訳するのは恐ろしいことなのですが(←準備期間もほとんどないことが多いので)、自分の視野がどんどん広がっていく感じがして楽しいです。
仕事なので、「楽しい」という言葉を使うのはどうかとも思うのですが、恐ろしいほどの緊張と共に、心のどこかでは興味津々で仕事をしています。

ブログの更新ができないのは誹謗中傷コメントのせいだけではなく、私自身が忙しいせいもあります。
とにかく息つく暇もないとはこのことで・・・

また少しずつでも更新していきたいと思います。
今は福島原発のこともあり、ベラルーシに注目が集まっています。
でも、私は書きたいことを書いていこうと思っています。
生活のどうでもいいことから、ゆる〜い暇ネタまで(←あ、結局どうでもいいことばかりということか)

これからもよろしくお願いいたします!

akiravich at 14:12コメント(0)トラックバック(0) 

2012年03月11日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日、東日本大震災から一年経ちました。
この一年は私にとっても人生で大きい意味を持つ年になりました。
今の気持ちは深く深く祈るだけの気持ちです。

震災後の一年間、私の生活にも大きい変化が現れました。

一年前のあの日、私は大学にいました。
学生からのショートメールであの大震災のことを知りました。
山形に住む家族の安否が心配で心配で・・・
山形は津波などの被害は直接受けてはいませんが、電話がつながらず、何が起こっているのか、怪我などはしていないかなど、頭の中を様々な考えが渦巻きました。
ミンスク時間の14時ぐらいに兄から携帯電話に電話が来て、やっと安心することができたのでした。

そして、仙台に住む友人や親戚、知り合いの安否が気にかかりました。
皆無事だったのですが、それがメールなどで確認できるまではとにかく心配でなりませんでした。

私は大学での授業のときも大震災の話をしました。
それしかできませんでした。
学生たちも私と一緒に心を痛めました。

一般のベラルーシ人たちの間にも深い祈りの空気が流れていました。
様々な人から電話があり、「家族は大丈夫か?」と聞かれました。
多くの人が「寄付金を送りたいのだが、どうすればいいのか?」という電話がありました。

この遠いベラルーシにいながら、自分には何もできないことに焦燥感を感じました。
私は日本人であると同時に、東北人という意識があります。
同じ東北の人たちが苦しんでいる、そして何度も行ったことがある仙台の人たちが苦しんでいる。
何か自分でもできることはないのだろうかと悩みました。

それから、私は予期せぬ形でこの問題と関わることになりました。

まずベラルーシの地元の新聞やテレビ局からインタビューや出演の依頼が来るようになりました。
最初は私のような人間がテレビに出て日本の話をするなんて、そんなことをしてもいいのだろうかと悩みました。
しかし、ベラルーシで目にすることができる地元やヨーロッパのニュースを見て、報道の偏りというものを感じたことから、私はせめて自分が知りうる情報だけでもベラルーシの人々に伝えたいと思うようになりました。

テレビ番組を通じて、いろいろな方と知り合いになりました。
チェルノブイリの現場で働いていた元作業員の方、汚染地域のブラーギン市の市役所の方などなど。
その方たちとはその後も何度も顔をあわせることになりました。

4月16日にはミンスク市内にある仙台広場(←ミンスクは仙台と姉妹都市です)において、復興を祈念する植樹祭があり、私も招待されました。
ちょうどその日にはNHKの地球ラジオに電話で出演させていただきました。

夏が近づいてきた頃から、通訳としての仕事が舞い込んでくるようになりました。
ご一緒するのは日本の省庁の方々や被災地からいらっしゃった方々、研究者の方々など様々でした。
ベラルーシ緊急事態省や放射線学研究所などでの通訳です。
私は元々、音楽を勉強していたので、理系の話、ましてや放射能の話などは全くの門外漢です。
しかし、少しでもベラルーシにある情報が日本の皆様の役に立てばと思い、様々な言葉を勉強しました。

正直に言えば、ベラルーシというチェルノブイリの被害を受けている国に住んでいながら、そのことを痛烈に意識したことはそれほどありませんでした。
大震災後の1年間は自分がどこに住んでいるのかということを痛いほど感じることになった一年でした。

私の家族や親戚、知り合いは無事だったと書きましたが、大震災後に知り合いになった人たちは被害を受けていました。
家族を亡くした方、家を流されてしまった方、農業ができなくなってしまった方・・・
言葉を返せないほどに何もできない自分をはがゆく思いました。
そして、私は私ができること、通訳の仕事を一生懸命やるしかないのだということを理解しました。

ベラルーシの人たちは同じ放射能の被害を受けている人たちのことを想い、心を痛めています。
できる限りたくさんの情報を共有したいという思いの人がこの国には大勢います。
私も少しでも情報の共有のお手伝いができればと考えています。

このブログでもチェルノブイリのことについて書いていければと思っています。
この国にいると書けないことも多いのですが、書ける範囲で書いていきたいです。
2011年1月27日「私とチェルノブイリ 愾瓦討論泙蟷罎ら始まった』」
2011年1月29日「私とチェルノブイリ◆悒福璽好船磴舛磴鵑悗竜Г蝓戞

そして、日本へ帰ったときには皆様に直接ベラルーシについてお話しする機会があればと思っています。
自分の家族や知り合い、友人たちと話すのはもちろん、私が卒業した学校などにも行って、子どもたちに話ができないかと考えています。

私は2000年からベラルーシに住んでいるのですが、来た当初はチェルノブイリのことなど、全く考えていませんでした。
その後、病院で子供を相手に折り紙をするようになり、チェルノブイリということを強烈に意識するようになりました。
「この国に住んでいて本当にいいのだろうか? 危険はないのだろうか?」とも考えました。

私がベラルーシに住み続けている理由は二つあります。
一つは私がいなくなれば、日本語を教える日本人がほとんどいなくなってしまうこと。
もう一つは私がいなくなれば、ベラルーシの子供たちと遊ぶ人間が一人少なくなってしまうこと。

誰かに必要とされること。
それが私にとって「生きているという実感」なのです。
「ベラルーシに住むということはチェルノブイリを受け入れるということなのだ」
私はそのことを理解し、それを受け入れることにしたのです。
私がベラルーシに住んでいることの意味、そして日本人であることの意味を何らかの方法で形にしていきたいと思っています。

この大震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表したいと思います。
津波や地震の被害にあわれた方々に一日も早い復興をお祈り申し上げます。
福島原発の事故により避難生活を余儀なくされている皆様、一日も早く故郷に戻れる日が来ることを切に願っております。


akiravich at 17:16コメント(6)トラックバック(0) 

2011年11月07日

こんにちは。
お久しぶりです。
はぐれミーシャです。
またまたかなりご無沙汰してしまいました。

IMG_4562[1]

うちの窓から撮った写真です。
うちの目の前には幼稚園があって、その屋根を見て、真っ白だったら「あー、今日は寒いんだなあ」とわかるんです。
今日は寒そうだなあ。

今日は10月革命記念日で、ベラルーシは祝日です。
「もう11月なのに、どうして10月革命記念日なの?」と思う方もいらっしゃるでしょう。
それは暦の違いが関係しています。
革命が起こったのはユリウス暦の1917年10月25日で、現在のグレゴリオ暦で言うと11月7日にあたるのです。

実はこの「何で11月なの?」という疑問はベラルーシ人の中にも時々見受けられます。
もちろん、若い世代、ソビエトを知らない時代の子どもたちなんかはそうですね。

そんなわけで、今日は私は完全フリーのお休みです。
こんな休みは8月末に日本からベラルーシに戻ってから初めてです。

というのは、ずっと大きい仕事を抱えていたからです。
通訳の仕事です。
9月と10月だけで代表団が三つですよ。
普通、ベラルーシに来る人自体が少ないのに、この2ヶ月ですごい数になりましたから。

大きい仕事が終わって、通訳としてのスキルをもっと上げないといけないなあと痛感しています。
ロシア語で話せと言われれば、それは私には苦ではないんですよ。
でも、それを訳せと言われると、困ってしまうことがあって。
というのは、私はロシア語で話しているときは100%ロシア語で考えているので、この言葉は日本語でどうなのか、なんて全く考えていないんです。
なので、通訳のときに困ってしまうことがあるんです。

まあ、しばらくは少し自由な時間ができそうですから、通訳としてのレベルアップに努めたいと思います。

でも、自由な時間なんてあるのかなあ・・・
日本語教師としての仕事も超忙しいし。

どれぐらい働いているのか授業数を数えてみたんですよ。
すると、一週間で54時間という数が出てきました。
うーん、これは多いなあ。

まあ、ここまでが前置き(←長すぎ!)
ここからが本題です。

先週は日本からの代表団の方たちの通訳をしたのですが、そのときのことを少し書いてみたいと思います。
とはいっても、その仕事自体の話ではなく、いわゆる番外編のようなものですが・・・

その代表団とは3日間一緒でした。
空港に迎えに行ったのも含めると4日になります。

その最終日、私たちはベラルーシの最南端の町、コマリンという町へ行きました。
私はずっと「村」だと思っていたのですが、行政単位としては町というのが正解。
日本の誰かが書いたチェルノブイリ関係の本でその町の名前自体は知っていました。

全ての公式行事が終わり、日本人の方たちはバスでウクライナへ向かいました。
コマリンからウクライナとの国境まではバスで15分ほど。
バスは現地通訳(←私のほかにもう一人通訳がいたのです)を乗せて、ウクライナに入り、そこでウクライナの旅行会社が用意したバスに日本人を乗せます。
そして、そのバスはもう一度ベラルーシに入国し、ミンスクに戻るという手はずでした。

私はベラルーシの出国・再入国ビザがないので、ウクライナには入国することができません。
なので、バスがミンスクに戻るときに拾ってもらって、一緒に帰るということになっていました。

でも、日本人の方たちがウクライナでビザ関係の手続きをしている間は、バスはベラルーシ側に戻れませんから、私はかなり長い時間待つことになるだろうと思っていました。

現地の役所の人などは「国境に行っても意味がないから、コマリンの町に残ってバスを待ったらどう?」と言ってきたのですが、私は仕事は最後まで、見送るところまでが私の仕事だと思い、一緒に行くことにしました。

日本人の方たちとお別れし、さて、どうしようかなと思っていたら、現地の役所の方が「この人がコマリンのホテルまで送ってくれるから、そこでバスを待っていてください」
その人が指差した先にはどこにでもいるようなおじさん。
そういえば、このおじさん、さっきから代表団と一緒に行動してるけど誰なんだろう?

車はソビエトの超古い車ラーダ。
「じゃあ、行こうか」と言われて車に乗ったはいいものの、この人はいったい誰なのだろうという疑問は消えず。

なので、ストレートに「あのう、お仕事は何ですか?」と聞いてみました。
すると、返事は「あ、俺か? 俺はコマリンの町長だよ」
えっ!? まじっすか?
町長「あと、この辺の農場も持っているんだ」
えええ!!! すっごい人じゃないですか!!!

見た目では全然わからなかったですね。
無精ひげも生えていて、服はかなり着古した黒の革ジャン。
でも、前歯2本が金歯。
めぞん一刻の三鷹さん並みに光ります。

町長「俺がコマリンの町を案内するから」
町長じきじきにですか!?
いいのかなあ。
はぐれミーシャ「忙しくないんですか?」
町長「大丈夫!」

町長は窓の外の景色を「きれいだろ?」としきりに言います。
確かに外の景色はとてもきれい。
秋のさびしげな景色もいいものです。

まず最初に訪れたのはコマリンの店。
普通の食料品の店です。
しかし、田舎の町にしては品物がそろっています。
町長のおかげか、町はそこそこ裕福な感じがします。

店員はみんな町長に対して敬意を払いつつも非常に親しく接していました。
町長は超フレンドリー。
店員一人一人に対して「元気か?」と声をかけていました。

その店に隣接している小さいカフェへ。
そこでは女性二人がウォッカを飲んでいました。
町長がコーヒーをご馳走してくれました。

女性たちは16時過ぎでおそらく仕事が終わったのでしょう。
仕事の制服のままでしたが、楽しそうにお酒を飲んでいました。

そして、私に「こっちに来て一緒に飲みましょうよ」
でも、町長は「ダメダメ。この人はミンスクの大学の先生で大事なお客さんなんだから」
女性たち「そんな硬いことを言わないで。一緒に飲みましょう!」
町長「じゃあ、今日の夜、俺が一緒に飲んでやるから」
女性たち「それじゃあ、おもしろくないわ! 私たちは外国のお客さんと飲みたいのよ!」
楽しい人たちでした。

町長の車でコマリン観光の続き。
車は3分も走らずに、何かの工場の前に。
町長「さっき車の中でも言ったけど、この地域は森林資源が豊富なんだ。コマリンの製材所を見せるよ」

うーん。
これって、日本人の方たちが見たかったものじゃないかしら。
代表団の中には林業に携わっている方もおられたし。
私が見せてもらっていいのかな。

はぐれミーシャ「代表団の中にはこの製材所が見たかった人がいるかもしれません」
町長「大きい代表団だと自由がきかないからな。2〜3人ぐらいで来てくれれば、俺がいろんなところを案内できるんだけどな」

製材所は私にとっては全く初めての世界。
材木を商品に加工していく作業はなかなかおもしろいものがありました。
日本人の方たちに見てほしかった・・・
いろんな話が聞けたと思うんですけどね。

それから、コマリンの町をゆっくりと車で移動。
一軒の店に立ち寄ると、そこでも町長は笑顔で楽しく人々に接していました。
車に乗ると、町長「後ろにおばあさんが歩いているだろ? あの人は・・・」とまるで一人一人の町民について詳しく知っているかのようにいろんな話を聞かせてくれました。

それにしても、町民の人たちが明るい。
普通、ベラルーシの小さい村なんかに行くと、活気がなくて、何か暗い雰囲気のところもあるのですが、その暗さがコマリンの町では全く感じられない。
町も人も何か楽しそう。

そのことを町長に言うと、「だって、暗い顔してもいいことないだろ」
確かに。
町長「この町はいい町だよ。いい町になれば、いい生活ができる。そうすれば、人の心も温かくなる。そうだよな!」
いやあ、本当にいい人だ。

そして、車はドニエプル川のほとりへ。
そこには簡単な野外ステージなどがあって、夏のお祭りのときなどはそこにみんな集まって踊ったり歌ったりするのだそうだ。

その景色は秋のさびしさと物悲しさを語っていました。
私は故郷の最上川を想い出しました。
心が故郷に帰っていきました。

はぐれミーシャ「いいですねえ」
町長「いいだろ」
これだけの会話がその景色を語る全てになりました。

町長「川の向こう側はウクライナだぞ。川の真ん中が国境になるんだ」
はぐれミーシャ「じゃあ、船に乗っても、川の真ん中までしか行けないんですね?」
町長「まあ、そういうことになるな」
はぐれミーシャ「じゃあ、行き来できるのは魚だけですね」
町長「ははは! そうだな! 魚に『向こうへ行くな』とは言えないしな!」
こんなのどかな会話をしたのはいつ以来だろう・・・

車に乗ってホテルへ
町長「いろいろ言ってきたけどな、簡単に言えば、俺はこの町が大好きなんだよ」
それは言葉にしなくても、町長の言動全てが自分の町への愛情を溢れさせていました。

ホテルは田舎の町らしく非常に古いものでしたが、町長の心遣いでコーヒーまでご馳走になってしまいました。
ニコニコの町長とは硬い握手でお別れ。
町長「またぜひ遊びに来てくれ」
はぐれミーシャ「絶対に来ます!!!」

実は代表団とコマリンの小学校を訪れた際に、そこの校長先生と折り紙教室を開くことを約束したのです。
今年中には行きたいなあ・・・
でも、ミンスクからバスで9時間かかるんです。
大変そうだけど、たまにはそういう冒険もいいものです!

まだ結婚していなかった頃は、よく地方の町に折り紙を教えに行っていたんですよ。
ベロニカちゃんからも「やったほうがいいよ」と言われています。
私はベラルーシの子どもたちが好きだからやりたい気持ちはあります。
ベロニカちゃんは毎日忙しく働く私を見て、息抜きのためにも折り紙教室をするべきだと思っているのです。
確かに、以前の私は子どもたちからたくさんのエネルギーをもらっていましたから。
今から楽しみです!!!

それにしても、コマリンはいい町だったなあ。
そして、町長さんは本当に素敵な人でした。
でも、こういう交流こそ日本人の皆さんが望んでいたものだったのではないかと思い、ちょっと複雑な心境になりました。

ベラルーシの本質を理解するには、やはりベラルーシの普通の人々と話すことが一番だと私は思います。
本やインターネットで得られる情報だけでは見えないことがたくさんあります。

私がコマリンで実感したことは、ベラルーシは本当にいい国だなあということ。
そして、私はベラルーシ人が大好きだということ。
これからもベラルーシと日本がいい友達でいられることを願うと同時に、私も何かお手伝いができないかと考えています。

IMG_4556[1]
簡単に近況報告。
ベロニカちゃんは馬に乗りに行きました。
これはベロニカちゃんの長年の夢だったんです。
実は私が学生にもらった誕生日プレゼントの中にカタログの中から好きなことができるというのがあって。
カタログで商品を選ぶというのはよくあると思いますが、そのプレゼントはたとえばダンスレッスンとかギターのレッスンなど、物ではなくサービスが受けられるというものだったのです。
私は忙しくて何もできないし、ちょうど「乗馬」というのがあったので、それをベロニカちゃんにプレゼントしたのです。
よかったね!!!

IMG_4516
龍二くんはいつも元気いっぱい!!!
最近はぬいぐるみの犬がお気に入りで、いつも手に持って歩いています。
おかげでうちに帰る頃には犬は泥だらけ。
この前も水たまりのところで犬と一緒に転んで、一緒に泥だらけになったそうです。

忙しくて、家族と一緒にいられないのがすごくさびしいです。
でも、これからは少しは一緒にいる時間が増えるかな。

外はいい天気。
ちょっと散歩にでも行ってこよう!!!

akiravich at 19:01コメント(7)トラックバック(0) 

2011年08月27日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日のミンスクはさわやかな秋晴れです。
8月だというのに秋晴れなんです。
もうしばらくすると、太陽なんて見られなくなるからなあ・・・

ここ最近、なぜか飲み会が続いています。
9月に入ると忙しいからということもあって、8月の終わり、つまり夏休みの終わりは結構飲む機会が多いのです。

昨日も飲み会でした。
それはアニメグループの飲み会。
すでに3年勉強した学生たちです。

実はそのグループのKちゃんがもうすぐ日本へ一年間の留学に行くのです。
なので、最後にみんなで集まって飲もうということだったのです。

でも、今は夏休み中なのでミンスクにいない人も多く、集まったのは4人だけでした。
まあ、こじんまりとしているほうがいいよね。
うちで飲み会をするときは結構大勢の人が集まってしまうのですが、私は本当はサシで飲んだりするほうが好きです。

私のほうは時間もお金もなかったので、料理はできませんでした。
それに、Kちゃんは日本へ行くわけですから、行く前にここで日本料理を食べるのも変かなあと思って。
みんなで宅配のピザを注文して食べました。
一番大きいファミリーサイズが二つ。
45センチのピザですよ。
二つしかないのを見たときは「なんだ、少ないじゃねえか」と思ったのですが、食べてみるとかなり食べでがあって、みんな残してしまうほどでした。

パーティーにはベロニカちゃんと龍二くんも行きました。
いつも私ばっかり外食したりしているので、たまには一緒にと思ったのです。
場所もお店ではなく、授業のために借りている部屋なので誰にも気を使わないですみます。

龍二くんはいつものようにあっちへこっちへ行ったり来たり。
ベロニカちゃんの財布からお金を出しては学生たちに配って回ったのでした。

1時間ほどでベロニカちゃんと龍二くんは帰宅。
そのあとも飲み続けました。
やはり話題は経済関係・・・(←詳しくは書けません・・・)

Kちゃんは私にとってはいろんな意味で思い入れが深い学生の一人です。
彼女は大学で日本語を勉強している子で、アニメグループの学生からの紹介でうちに来るようになりました。

最初の授業に来た彼女の印象は・・・最悪でした。
彼女にとっては大学の授業がメインで、アニメグループでの授業はいわば付け足し。
グループの他の人がわからないと、私の前でその人に文法を説明し始める始末。
確かに、そのとき勉強していた課は彼女がすでに勉強した課であったとはいえ、「こんなのは簡単だ」というような自信満々な態度、そしてひそひそと隣の人に教えたりする態度は見ていて非常に不快なものでした。
その日の授業後、私はベロニカちゃんに「とんでもない子が来ちゃったよ」と言ったのを今でも覚えています。

ひどいことを書いてしまっていますが、最初の頃、私が彼女のことをどう思っていたかは本人もよく知っています。
今では笑い話です。

私は彼女にとっては大学で勉強したことの復習なのだから退屈だろうし、すぐに来なくなるだろうと思っていたのですが、彼女はずっと通い続けました。
そして、態度は全く変わらず。
何度か「私が話しているんだから静かにしてくれ」と強い口調で注意しましたが、さほど効果なし。

ある日、私は授業後に彼女に一人で残るように言いました。
彼女に私のところへ通うのをやめるように言うためです。
かなり厳しいことを言ったのを覚えています。
こんな態度ではうちには来てほしくない、と。

すると、彼女は意外にも非常に素直に謝ってきました。
「これからは気をつけます」
正直、そのときは「人間はそう簡単には変わらない」と思っていたのですが・・・

次の授業からの彼女は別人でした。
ベラルーシではよくいるんですが、違う人が答えているのに小声で答えを言う人、隣の人が質問に答えられないと答えを教えてあげる人、彼女はそういうタイプだったのにとても静か。
フリーで発話するときも彼女は積極的に、というか我先に話すタイプだったのが、他の人にも発話のチャンスをあげるような心配りができるようになっていたのです。
まあ、最初のうちは何か一生懸命自分をコントロールしているのが見えたのですが、しばらくしたら自然に周りの人のことも考えながら発話できるようになっていました。

アニメグループは大学での授業よりは教科書の進み方が遅くなります。
なので、Kちゃんにとっては私の授業の内容は大学で勉強したことの復習。
しかし、私のスタイルは他の教師たちとはだいぶ違っていますから、全く同じことの繰り返しにはなりません。
以前は彼女は「そんなのもう知ってる」みたいな顔をしていましたが、私が怒ってからは私が「前に勉強したことだから退屈じゃない?」と聞いても、「先生の説明は違うので役に立ちます」と言って熱心に聞いてくれるようになりました。

私は自信過剰な学生がいたりすると(←これがまたかなり多いんですよ・・・)、徹底的にその自信を壊します。
壊そうとしなくても、そういう自信過剰な学生は突っ込みどころが多いのが普通です。
それでいい方向に行く学生もいますし、悪い方向に行ってしまう学生もいます。
中には拗ねてしまう学生もいますし、「私は日本語を理解している」という間違った認識を改めないまま私の元を去っていく学生もいます(←こういうタイプもかなり多いんですよ・・・)。
でも、放置してもいい方向には行くはずがないので、私はとにかくそういう学生をいじります。

Kちゃんの場合はいい方向に行きました。
適度に自信をなくした感じでした。
時折、自信をのぞかせることがあっても、それが自分に対する正しい評価であれば私は認めましたが、少しでも「自信」ではなく「過信」の側に針がブレていたときには容赦なくそれを指摘しました。

「自分に自信を持たせるようにしないといけない」みたいなキレイごとは私は簡単には言えません。
私は生きている学生を相手にしているのであって、何かの理念のためにやっているわけではありません。
もっと自信を持たせたほうがいい学生もいますし、その逆もいます。
もちろん、日本語の勉強をはじめたばかりの時期はほめることの方が多いです。
でも、間違いは間違いだとはっきり言います。

Kちゃんは私の学生の中でも、一番いい学生の一人になってくれました。
それは勉強ができるという意味でも、信頼できるという意味でもです。

最初は態度がひどかった学生が最後にはいい学生になる、というパターンは時々あります。
今、私の学生の中にももう一人、そういうタイプがいます。
人間なんてわからないものです。
最初は授業の前に「あの学生に会うの、ちょっと嫌だなあ」なんて思っていたのが、今では会いたい学生の一人になっていたり。

逆に最初はよかったのにだんだん悪くなっていくというケースもあります。
「あります」というか、かなり多いです。
その一番の理由は「自信過剰」かと思います。

実はパーティーの当日も自信過剰で私の元を去っていった学生がいます。
その学生からのメッセージには「私にはすでに十分な基礎的知識がある」と書いてありました(←日本人だったら、もしそう思っていても絶対に書いたり言ったりしないですよね?)。
その学生の知識は十分ではありません。
そもそも、知識があるかどうかは学生が判断することではありません。
とても悲しくなりました。

まあ、それはおいといて(←いいのか!?)。

Kちゃんはもうすぐ日本へ旅立ちます。
私は彼女が日本へ行って、どんな成長を遂げてくれるのかが楽しみで仕方がありません。
日本へ行っても謙虚にがんばって欲しいものです。


Kちゃんへ
やっと日本へ行くことができますね。
日本へ行っても今まで通り勉強を続けていってください。
日本へ行っちゃうと日本人と話すのが楽しくて、机に向かって勉強するのがおろそかになっちゃう人が多いから、そこは気をつけましょうね。
まあ、Kちゃんのことだから、あまり心配していないけど。
勉強以外にもいろんな経験をするんでしょうね。
正直に言うとね、あんまり心配していないんだよね。
心配とか不安よりも、Kちゃんがどんな人になるかがとても楽しみです。
もし困ったことがあったら、すぐに連絡してね。
気をつけていってらっしゃい!


akiravich at 21:25コメント(5)トラックバック(0) 

2011年06月22日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

今、ミンスク時間の23時過ぎです。
ちょっと肌寒いです。

最近、晴れたり、雨が降ったりと不安定な天気が続いています。
暑いのか寒いのか、よくわからないんですよね。
暑いなあと思って薄着をして出かけると、ちょっと風邪を引いちゃったりして。

私も先週の金曜日ぐらいから体調を崩していました。
ちょっと古くなったものを食べてしまったというのもあるのですが、おなかの調子だけじゃなくて、風邪気味にもなってしまって。
日曜日の授業を少しキャンセルしてしまいました。
まあ、それでも6コマはちゃんと授業したのですが、力を振り絞るような感じの授業でした。

6月は試験期間で、大学では試験以外は授業もないんです。
でも、なぜか忙しい。
7、8月は夏休みなのですが、そんな休みの気配など微塵も感じられない生活をしています。

6月の一番すごかった日は・・・
6時 起床
8時 うちを出る
9時 大学で会話試験
13時半 試験終了→すぐに銀行へ
14時 銀行で諸手続き→すぐに近くのコンサートホールへ
14時20分 ホールの前でテレビのインタビュー
15時 大学へ逆戻り→違う学年の試験
16時半 試験終了→約9時間ぶりの食事のためにピッツェリアへ
17時15分 食事終了→夜の授業のためにオフィスへ
18時半 アニメグループの授業
20時 授業終了

まあ、こんな感じです。
これはさすがに疲れました。

試験って結構エネルギーを使うんですよ。
特に会話の試験は。
「ただ日本語で話せばいい」というものでもありませんから。
っていうか、全くそんなものではありません。

私の場合は、その学期に勉強した文法や語彙、言い回しを使えるかどうかを会話試験の評価の重点にしています。
「間違っていても日本語でベラベラ話せればいい」という考え方は私はきらいなので、正しく文法を使えていなければそれで点数は下がります。

そうそう。
なんかそういう考えの人、かなり多いみたいで。
でも、間違っているのはダメでしょ。
間違っているよりは間違っていないほうがいいのは当然だと思うのですが。

「日本語教師は日本語で話していればそれでいい」みたいな考えの人、いまだにかなり多いみたいなんですよね。
そんなに簡単じゃないんですよ。

そこで。
以前からちょっと不快に思っていることを一つ書いてみたいと思います。

ベラルーシに来る日本人の中にも日本語を教えることを簡単に考えている人が時々います。
例えば、私の授業に遊びに来て(←私の授業に来ていただけること自体は私にとっても学生にとっても非常にうれしいことです)、授業が終わった後に学生に近づき、「もしよかったら日本語の勉強、手伝おうか?」と言う人がいるのです。
「授業だけだとつまらないでしょ」とか「もっと日本人と話す練習をすれば上手になるよ」とか。

そういう人たちの目的が何かはわかりません。
中には純粋に学生たちに日本語を教えてあげたいと思っている人もいるでしょうし、中には完全に女の子と知り合いになることを目的にしている人もいるでしょう。
それは正直、特定するのが難しいです。

そう言われて興味を持ってしまう学生は少なくありません。
ちょっと会ってみようかなと思う学生がいても不思議ではありません。

しかし、ある程度、私のところで勉強した学生はそういう日本人にはほとんどついてはいきません。
というのは、彼らは本当の日本語教師とただの日本人の違いをはっきりと認識しているからです。

私は別に日本人と付き合うのがよくないと言いたいのではありません。
むしろ、日本人と積極的に話すことはいいことなのでしょう。
しかし、それは単に友達として付き合うのならば、という話。
その日本人が「勉強を手伝う」というと話は全く違ってきます。

ある女の子の話。
ここでは仮にAちゃんとしましょう。

Aちゃんはとても頑張りやさんです。
授業でもいつも積極的に日本語で話します。
宿題も必ずしてきます。
性格的にはちょっとユニークというか、時々難しいところもあるのですが、私の言うことを素直に聞いてくれるので、私はある程度信頼していました。

ある日の授業のこと。
私は日本人を授業に招待しました。
その人も興味があったらしく、喜んで授業に来てくれた、ようでした。

その人は日本語教師の仕事に興味があったようなので、私は前もって事あるごとに「日本語を教えるのなら、日本語教師の勉強をちゃんとしてからじゃないとダメなんだよ」ということを言い続けていました。
ちょっと危ないなあという気配があったからです。
私の説明を聞くたびに、その人は「わかりました」「そのとおりですね」という返事をしていたのですが・・・

しばらく経って、Aちゃんの日本語に変化が現れ始めました。
まだ学習していない語彙や文法を使うようになったのです。
語彙はまだしも、知っているはずのない文法を使っているのを聞いて、私はすぐにピンと来ました。
そして、Aちゃんが授業に来た日本人と会っていることを私は知りました。

ここまで読んで、「日本語を勉強しているんだから、日本人と話したいのは当然」とか「学生が誰と付き合おうが教師には関係がない」と思われた方もいるでしょう。
でも、それはそんなに簡単な話ではないのです。

例えば、Aちゃんは「ので」という文法を私との会話や作文の中で使うようになりました。
それは「今日は子供の誕生日なので、早く帰らせていただけませんか?」のような、「理由」を表す「ので」です。

「新しい文法が使えるようになって何が悪いの?」と思う方もいるでしょう。
しかし、Aちゃんはまだ初級の最初のほうで、「理由の表現」として知っているのは「から」だけだったのです。
例えば、「おなかがいっぱいですから、何も食べたくないです」というような「から」の使い方です。

「から」が教科書に出てくるのは割と早く、第9課に出てきます。
一方、「ので」は割と遅くて、第39課まで出てきません(私が使っている教科書は全部で50課まであります)。

日本語教師の仕事において、重要なことの一つがどのような順番で教えていくかということ。
例えば、理由を表すための表現というのはたくさんあります。
「から」「ので」「で」「〜ために」「〜たばかりに」「〜からこそ」など、考え出したらキリがないほどです(←まあ、キリはあると思いますが・・・)。
それを全て一緒に教えたら、どうなるでしょうか?
学生の頭は間違いなく混乱するでしょうね。
つまり、まず一つの言い方に慣れた上で次のステップに行くというやり方をしないといけないのです。

教科書では「から」の前は「丁寧体」、つまり「です・ます」、「ので」の前は「普通体」という風に教えます。
もちろん、「から」の前に「普通体」が来ることもありますし、「ので」の前が「です・ます」になることもあります。
でも、それを最初にやってしまうと、学生は「どうしたらいいの?」ということになってしまうのです。

ロシア語を知っている日本人だったら、「から」も「ので」も「ロシア語で『потому что』だよ」なんて説明してしまうでしょう。
Aちゃんがどういう説明をされたのかはわかりませんが、明らかに形の作り方が間違っていました。
そもそも、Aちゃんはまだ教科書では「普通体」を勉強していなかったのです。

Aちゃんは積極的で、「もっと勉強したい」「もっと新しい言葉や文法を知りたい」というタイプの学生。
そこに現れた日本人。
ロシア語を知っている日本人ですから、言葉を訳しただけで説明したつもりになるのは簡単なこと。
それを聞いて、学生は喜ぶ。
「新しい表現を覚えた!」
それは学生にとって小さい、または大きい喜びなのです。

しかし、表現を「覚える」ことと、「使える」ようになることは全く別の問題。
私の仕事は学生が表現や語彙を使えるようになるように教えること。
表現や語彙の訳を覚えただけでは、それをマスターしたことにはならないのです。

Aちゃんの日本語はどんどん悪くなっていきました。
「悪くなった」というのは、教科書にはまだ出ていない言葉や文法を使おうとするあまり、日本語に混乱をきたしていたのです。
いくら背伸びしても初心者は初心者。
それはプロレスをはじめたばかりの選手がエメラルドフロウジョンを使うようなものです(←わかる人にはわかる)。

結局、Aちゃんの日本語はどんどん混乱していき、グループの中での成績も最初はトップだったのが、真ん中ぐらいまで落ちていきました。
彼女には罪はありません。
頑張っていただけなのですから。

私の罪もあるかもしれません。
もっと強く道を照らしてあげていれば、違う道を歩き出すことはなかったのかもしれません。

私はその日本人に対する怒りを禁じえません。
その人は「日本語教師に興味がある」ということを言っていました。
だからこそ、私は「日本人だからといって、日本語が教えられるというわけではない」ということを何度も繰り返し話していたのです。

その人の行為がその人一人にだけ関係があるのなら、私は何も言うつもりはありません。
でも、私のかわいい学生たちに・・・
許せん!

私は大学の学生、アニメグループの学生、私のところで学んでいる全ての学生にその出来事について話しました。
そのときにわかったことなのですが、その人は見学に行ったグループの学生の多くに「勉強、手伝おうか?」と声をかけていたそうです。
声をかけられた学生の数の多さに私は驚きました。
私の学生のほとんどは日本語を教えることは簡単なことじゃないとわかっているので、その人の話は乗らなかったようです。

おそらく、その人にとっては「教えようか?」ではなく、「手伝おうか?」というところにポイントがあったのではないかと思います。
本当のところはどうなんだろうなあ・・・

その人に限らず、ベラルーシにいらっしゃる日本人の中には、私が授業に招待すると、「何かお手伝いできることがあればしますので」という人が多いのです。
それに対して、私は「『手伝う』とか、そういうことは一切考えなくていいですよ。『遊びに行く』という感覚で来てください」とお願いしています。
学生と授業以外で会うときも「日本語を教えてあげる」のではなく、ただ単に「友達として遊ぶ」という感覚でやっていただいたほうがありがたいのです。

教えるのは「ただの日本人」の仕事ではなく、日本語教師の仕事です。
逆に、友達のように一緒に遊んだりすることは私にはできません。

かなり微妙な話なんですよね。
私は学生がいろんな日本人と話したり、知り合ったりするのはいいことだと思っています。
でも、相手によりけりかな。
まあ、それは日本人相手に限ったことではないのですが。

ベラルーシにいる日本人の中には私の気持ちをわかってくれている人もちゃんといます。
学生たちとごく自然に付き合っている留学生の人もいます。
見ていてすごく心温まるというか。

私は学生たちには「日本語を勉強したいからといって、日本人だったら誰でもいいという考え方だけはするな」と教えています。
中には「日本人がいる!」と聞いただけで、飛びついてしまう学生がいるんですよ。
その人がどんな人間なのかは関係なく、ただ単に「日本人だから」「日本語で話せるから」というのは、私がその日本人の立場だったら、ちょっと複雑な気持ちかな。
取っ掛かりはそれでもいいけど、それだけだったら嫌だな。

なんか取り留めのない話になってきました。
もう1時20分です。

やっぱりブログを書いていると、いろんなことを考えてしまいます。
自分の考えていることを書いているはずなのに、自分ではこれまで気づかなかった気持ちを書いてしまったりして、あとで自分で驚いたりして。

自分のための日記のようなブログになっていますが、これでいいんですかね?
書きたいことがあるうちは書いていきたいです。

akiravich at 07:26コメント(16)トラックバック(0) 

2010年11月26日

お久しぶりです。
はぐれミーシャです。

今日は一週間ぶりの休日。
待ち望んでいた日なわけですが、風邪気味で調子悪し。
それに、たまっている仕事があるので、休みという感じがしない。
でも、体調を早く戻さないとダメだなあ。

モーツァルト:セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」モーツァルト:セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
アーティスト:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン)
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今朝の音楽はなぜかモーツァルト。
そして、なぜか「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。
っていうか、これって「夜の音楽」って訳されるけど、明らかに朝のほうが雰囲気に合っていると思いません!?

しかも、カラヤンだし。
私、カラヤンってそんなに好きなタイプの指揮者じゃないんですよ。
やっぱり「おおっ!」と思うような瞬間はありますけど、時々、その流麗さが鼻について軽く気持ち悪くなったりします。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番&第3番ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番&第3番
アーティスト:プレトニョフ(ミハイル)
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最近気に入ったのが、このCD。
私、プレトニョフってそんなに馴染みがなかったんですよ。
聞かず嫌いというか。
でも、この演奏は何と言うか、機知に富んでいて、思わず目が覚めてしまうような演奏。
「スタンダードな演奏を好む人には受け入れがたい」というような感じの批評を目にしましたが、私は大丈夫。
だって、ベートーベンのピアノ協奏曲はほとんど聴かないから、変なステレオタイプがないし。

「馴染みがない」なんて書きましたが、実は私は東京でプレトニョフの演奏を聴いているんです。
とはいっても、ピアノではなく指揮。
彼の手兵であるロシアナショナル管弦楽団を率いてのチャイコフスキーの交響曲第5番。
場所は東京芸術劇場だったかな。

後にも先にもあんなへんなチャイコフスキーは聴いたことがありません。
いいとか悪いとか、そういう問題ではなく、一言で言うと「へんちょこりん」。
プレトニョフはおそらく「へんちょこりん星」から来たのではないかと思えるほどでした(←「こりん星」ではない←古い?)。

まあ、いいや(←いいのか!?)

今日書きたかったのは音楽の話ではありません。
書きたいことは死ぬほどたまっているのですが、今日は日本語教師としての話です。

最近、うちの大学の三年生の女子学生が日本へ短期間の留学に行って帰ってきました。
彼女は元々日本語がかなり出来る子なので、日本に行って帰ってきたからと言って、見違えるほどの進歩をしてきたわけではありません。
日本のいろんなものを見てきたでしょうし、それまで積み重ねてきた日本語の能力を実際の場面で発揮するのは彼女にとってもいい経験になったでしょう。

彼女は一年生のときから宿題を欠かすことなくこなしてきました。
私の授業は宿題がとても多いので(←熱心な学生に言わせると「もっと多くてもいいです」)、全ての宿題をこなすのはかなり大変だと思うのですが、彼女は風邪を引いても論文で忙しくても、どんなことがあっても宿題はきっちりやってきました。
そういうところが大事なんだと思います。
私が言うとおりにやって、私が要求したこと全てに答えてくれる学生は100%の確率で日本語が上手になっています。

もちろん、彼女自身、念願の日本へ行くことができて大満足。
いろんな場所も見られたし、いろんな人に出会えたし。

彼女の偉いところは日本から帰ってきて「もっと勉強しなくちゃ」と思ったところ。
日本に行って、自分のダメなところがたくさんわかって、もっと勉強したくなったと言うのです。

日本へ短期留学した学生の中には変な自信を持って帰ってきて、すっかりダメになってしまうことがよくあります。
それまで日本人と日本語で話したことがない学生が日本へ行って、日本人と日本語で話せたら、それはうれしいですよね。

でも、それが変な自信になってしまい、「もう私は日本語がわかる」と思ってしまう学生が時々いるのです。
そういう学生は勉強しなくなって、日本人の友達とスカイプなどで話すことばかりになってしまうことが多いのです。
日本人と話せることがうれしくてしょうがなく、「日本語でたくさん話せば日本語は上手になる」と単純な図式で考えるようになってしまうのです。

どうして学生が変な自信を持ってしまうのか。
その質問の答えは非常に簡単なものです。
それは日本人の責任です。

今回、日本に行った学生が一つだけ不満に思ったことがあります。
それは日本人が彼女の間違いを一切直さなかったことです。
手放しで「日本語、上手ですねえ」と褒めちぎったのです。

女子学生「あるとき、私は日本語でテキストを読みました。明らかに私の発音やイントネーションは良くなかったのに、日本人の先生は『上手ですね。とても良かったですよ』と私を褒めたのです。自分では不満でしたから全然うれしくありませんでした」

彼女は元々自分に自信が持てないタイプ。
でも、変に自信を持つよりもそのほうがよっぽどいいと思うのです。
冷静に自分の日本語力を測ろうとする態度はすばらしいと思います。
自分が納得できないのに褒められてもうれしくはないですよね。

女子学生「そして、私の次に他の国の学生が読んだのですが、その学生の発音はかなりひどいものでした。でも、先生は私に対するのと同じように『良かったですよ。上手ですね』と褒めたのです。どうしてか私にはわかりませんでした」

これはその教育機関に限ったことではありません。
日本に留学した学生のほとんどがそのような状況に直面します。
「日本人は間違いを直してくれない」

どうしてそういうことが起こるのでしょうか?
いくつか理由があると思います。

その中で一番大きい理由は相手の間違いを直すことで心を傷つけてしまうのではないかという恐れだと思います。
間違いを直されてがっかりすること、確かにあると思いますし。

でも、そんな程度で、がっかりしたぐらいでダメになるようなら、それまでの才能だったということではないでしょうか?
それに、本気で「日本語を勉強したい!」と思っている学生はそんなにやわではありません。
もちろん、「本気ならば」の話ですが。

私が日本語教師の勉強をしていたとき、教科書の最初のほうに「学生は出来るだけ褒めないといけない」「間違いを指摘されると学習意欲をなくしてしまう恐れがある」と書かれていたように思います。
日本語教師養成講座の先生にもそう言われたように覚えています。

でもね。
うそくさいんですよ。
いつも笑顔の日本語教師。
時々います。
褒めるのならば心から褒めればいいのに。

そういう人に限って、実は心も頭もメチャメチャ冷静で、「上手ですね」と言っておきながら、本当は「ここがダメ。あそこがダメ」なんて思っていたりするんです。

ちゃんと本当のことをまっすぐ言うことも必要なのではないでしょうか。
表面的なやさしさは人をダメにすると思います。

数年前のこと。
ある学生が某国立大学への一年の留学からベラルーシに帰ってきました。
彼女の不満も全く同じで「どうして日本人は間違いを直してくれないんでしょうか?」

女子学生「日本人みんなに『私の日本語に間違いがあったら直してください』って何度もお願いしたのに、誰も直してくれないんです」
はぐれミーシャ「でも、先生は直してくれるんでしょ?」
女子学生「いいえ。その先生たちが全く直してくれないんです。『上手だ、上手だ』って褒めるだけで」
はぐれミーシャ「本当? でも、先生の仕事の中には学生の間違いを直すことも入っているでしょ?」
女子学生「私もそう思うんですけど・・・私は自分の日本語がどこか間違っているんじゃないかって、逆に不安でした」

私は学生の日本語が間違っているときは徹底的に直します。
語尾が間違っている程度の小さい間違いでも直します(←私にとっては間違いに大きいも小さいもありませんが)。
それを「厳しい」という人がいれば、私はその人に「甘い」と言うでしょう。

学生は日本語を生業とする人間として生きていくのであれば、間違いは許されないのです。
趣味として、あるいは日本人と友達になりたいから、というのとはわけが違うのです。
私が大学で教えている学生たちは、将来、日本語のプロになる人材ですから。
「通じればいい」という考え方は「通じない」のです!!!

一つ例を挙げましょう。
ベラルーシには俳優を養成する機関が二つあります。
それはいずれも国立の教育機関です。
仮にそれぞれをA大学とB大学としましょう。

A大学のことは私は良く知っています。
昔の彼女が勉強していましたから。
その彼女が勉強していたのが演劇科だったんです。
私はそこの先生とも知り合いでしたし、試験も見に行ったことがあります。

A大学の学生はほぼ例外なくプライドが高かったです。
もうすでに偉大な俳優や女優のように振舞うんです。
それは私の元カノも例外ではなく、何を聞いても知った風な口を利いたり、劇を見に行くと偉そうに批評をするし。
見ていて鼻持ちなりませんでした。
かと言って、彼らの演技は上手だとはいえないレベルなんで・・・

B大学のほうは私の友人である俳優たちが卒業したところ。
ベロニカちゃんも知り合いがたくさんいます。

これはベロニカちゃんから聞いた話なのですが、B大学では一年生に入学したときに学生をくそみそにけなすのだそうです。
大体、芸術大学の演劇科に入ろうとする人間はどこかでアマチュア演劇や高校演劇などをやってきた人間が多く、大抵は変な自信を持ってしまっていることが多いんです。
その余計なプライドを入学して一番最初に粉々に砕いてしまうんです。
はっきりと「お前たちはまだ俳優でも何者でもないんだ!」という全否定。
そこから全てが始まるのです。

その後もB大学の場合は徹底的にダメ出しされるそうです。
卒業するとき、大抵の学生(←私の知り合いも含む)は「私はまだまだ勉強不足です」「私はまだまだ演技が下手です」と言います。
それは在学中に教師に徹底的にやられたからでしょう。

しかし、B大学の学生はそれでくさることはありません。
「もっと勉強したい」「もっと上手になりたい」とみんな言うそうです。
人間は向上心がなくなったら終わりですよね。

ミンスクにある主要な劇場で働いている俳優のほとんどはB大学の出身者です。
私が良く知っている国立ヤンカ・クパーラ劇場やゴーリキー記念ロシアドラマ劇場には、私が知っている限り、A大学の出身者は一人もいません。
ほぼ全員B大学の出身、あるいは外国から来た役者です。
他の劇場にもA大学の出身者は一握りです。

この現実が全てを物語っていると思います。
驕り高ぶる者に未来はありません。

褒めるだけじゃダメですよね。
幸いなことに、私の学生の中には日本人に煽てられて簡単に喜ぶような人間はいません。
いや、少しいるか。

私はあんまり褒めません。
褒める理由がないのに褒めるのは、うそをつくのと同じですから。

だから、私が褒めると学生は喜びます。
あるとき、私が学生を褒めたら「やった! 先生に褒められた!」と喜んだんですよ。
はぐれミーシャ「そんなに喜ぶことですか?」
学生「ええ。先生に褒められるのは珍しいことですから」
はぐれミーシャ「そんなことないよ。時々、褒めるじゃん。この前、○○のときだって、褒めたでしょ?」
学生「えっ!? あれって、褒めてたんですか?」
私の場合はもうちょっと褒めてあげないといけないようです。

ちなみに、ベラルーシ人は外国人の間違いを直します。
知っている人でも知らない人でも直すことがあります。
私もかなり前、市場の肉売り場のおばちゃんに「そこは○○っていう言葉を使うんだよ」とダメ出しされたことがありました。
私も直されると落ち込みますが、「くそっ! もうこの言葉は絶対に間違えないぞ!」という気持ちになります。
おかげで、一度間違いを指摘された言葉は間違いません(←たぶん・・・)

日本人の皆さん!
もし日本で私の学生に出会ったら、日本語の間違いを直してあげてください!
もちろん、言い方次第では傷つくこともあるかもしれませんが、たとえば「そこはこう言ったほうがきれいに聞こえるよ」とか、まともな言い方をすれば誰も傷つかないと思います。
直してあげることこそ、学生のためなのですから!!!

akiravich at 02:16コメント(7)トラックバック(0) 
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