日本語弁論大会

2012年11月04日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

タイトルを読んでいただければわかると思いますが、そのまんまです。
学生の一人がYoutubeにアップロードしたものがあるので、ご覧ください!



いかがでしたか?
会場にいたベラルーシ人、日本人みんなに好評でした。
ちなみに、右側でネクタイにスーツ姿なのが私です。

ここ数年、毎年歌っています。
今年は私はスピーチの指導でいっぱいいっぱいだったので、無理だろうなあと思っていたのですが、やっぱり歌いたいなあという気持ちもあり・・・
大会の一週間前、「今年も歌おう!」と決めたのでした。

選曲したのは私です。
「世界にひとつだけの花」はみんなで歌うには内容もいいし、いいかなあと思ったのですが、これが結構難しくて。
リズムを取るのが非常に難しく、本当にまいりました。

最初は全く歌えず、私も学生たちも降参しかけました。
でも、歌詞の内容を知った学生たちは「ぜひ歌いたいです!!!」
本当に歌詞はすばらしいですもんね。
私も感じるものがあります。

歌のリズムがとれるようになってからの難関は振り付け。
何度もYoutubeを見て、勉強しました。
私も学生たちと一緒に踊りましたよ。
39歳でもついていける動きだったので助かりましたが。

もう一曲は「めだかの兄弟」。
「欽どこ」でわらべが歌っていたあの歌です。
これはもう十八番と言ってもいいような歌。
2年前から毎年歌っています。

あの歌詞の中の「スイスイ」というところが、学生たちは気に入っているらしく。
実は「スイ」という言葉はロシア語にするとちょっとよくない言葉に聞こえるのです。
なので、最初はみんな笑ってしまうのですが、今では歌の名前を「めだかの兄弟」ではなく、「スイスイ」と読んでしまうほど、学生たちのお気に入りの言葉になっています。

本番では「世界にひとつだけの花」は大体うまくいったのですが、「めだかの兄弟」が恐ろしく速いスピードになってしまいました。
でも、学生たちも楽しそうでしたし、よかったんじゃないでしょうか。

こういう歌の指導はやっぱり楽しい!
こういうときは高校の音楽科の血が騒ぎます!

でも、なかなか大変なんですよ。
日本人って、カラオケに慣れているからか、普通の人でもある程度は歌えるじゃないですか。
学校の合唱コンクールなんかでもそこそこ歌えてしまう。

でも、ベラルーシ人は音楽教育を受けた人とそうでない人の差が非常に激しいんです。
非常に単刀直入に言うと、一般の人の中の「音痴率」が日本よりも高いように思うのです。
実は学生たちの中にも音程が強烈に外れる子が数人いて、その子の声が聞こえると、それに引きずられて他の子も音程をはずしていくという現象が起こっていました。
それを無理やり正しい方向に持っていくというのはなかなか骨が折れる作業でした。

学生たちと歌をはじめて歌ったのは、実は弁論大会ではありません。
日本ユーラシア協会の方たちがベラルーシにいらっしゃったときのセレモニーで歌ったのです。
ベラルーシ側の招待者から「何かやってほしい」というお願いが来たのはそのセレモニーの一週間前。
非常に無茶なお願いだったのと、招待者側の上から目線+超横柄な態度に切れそうになったのですが。
しかし、「はるばる日本からいらっしゃったお客様のためにみんなで歌おう!」ということで、学生たちと協力して出演したのでした。

そのとき歌った歌、正確には思い出せないのですが、「ふるさと」は歌ったのを覚えています。
「めだかの兄弟」も歌ったかなあ・・・
「大きな古時計」は歌ったと思います。
「ふるさと」は結構難しかったんですよ。
なので、あのとき限り。

その歌が思いのほか好評で。
日本人の方だけでなく、出席していたベラルーシ人たちからもお褒めの言葉をいただきました。

そのときはベラルーシの民族音楽デュオも参加していたのですが、その二人がセレモニーのあと、私のところに近づいてきて、「音楽の勉強していたでしょ?」。
私が指揮をしたのですが、ちゃんと拍子をとって指揮をしていたのを見て、「あなたは音楽を勉強していたに違いないと思いました」、
すっごいうれしかったです!!!

今回の弁論大会。
歌に関して、一つ非常にうれしいことがありました。
それは私が勤務するベラルーシ国立大学の学生だけでなく、ミンスク言語大学の学生も3人参加してくれたこと。

大学が違うとは言え、学生たちはみんな日本語を学びたいと思う志は同じ。
だからこそ、交流があってほしいし、よきライバルであってほしい。
これは私はずっと前から言っていたことなんです。

しかし、これまでの両大学の学生同士の関係はほとんど皆無。
局地的に仲良くなる学生たちがいても、学生全体の交流というのはありませんでした。
むしろ、それぞれが「向こうの大学は・・・」と悪口を言ったりすることも多かったのです。

それが今年は初めて練習も一緒にして、本番でも一緒に歌うことができました。
一緒に練習できたのは数回でしたが、それでもうちの大学の子たちと話をしたりしているのを見て、とてもうれしかったです。

弁論大会はある意味、お祭り。
一年に一回、日本語にかかわる人間が一つの場所に集まるという滅多にない機会なのです。
そういうときこそ、一緒に何かをするべきだと思うし、それがベラルーシの日本語界を盛り上げていくことになると思うのです。

以前はそのような意図が理解されないこともありました。
もう一方の大学に一緒に練習しようと提案したのに、他の教師が勝手に学生を指導したり(←日程を合わせるのが難しいのはわかりますが・・・私には理解不能です)、学生が練習に現れなかったり。
そのときはそれぞれの大学がバラバラに練習して、本番で一緒に歌うという形でした。
しかし、学生たちは私に対して何の挨拶もなし(←「よろしくお願いします」どころか、「こんにちは」さえ言われませんでした)、当然、学生同士の交流もなしという最悪のパターン。
そのようなやり方では何も生まれません。

これからはベラルーシの日本語教育の中心的存在である二大学の交流が深まればいいなあと思います。
大学ぐるみじゃなくても、学生同士が交流してくれればいいと思っています。

来年はAKBでもやろうかな!?
ベラルーシでユニットを作るとしたらMNS48(←ミンスク)って名前かなあと思ったのですが・・・

みんなで歌うのにいい歌があれば、ぜひ教えてください!

akiravich at 00:30コメント(4)トラックバック(0) 

2012年11月03日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日も2012年ベラルーシ日本語弁論大会でのスピーチを御紹介します。

ご紹介する前にいくつかお断りとお願いがあります。
・スピーチの原稿と写真をブログ上で公開することに関しては、学生たちの了解をとってあります。
・著作権はスピーチ原稿を書いた学生にありますので、このスピーチ原稿を無断で転用・転載などくれぐれもなさらないようにお願いします。写真は絶対に転用などなさらないようにお願いいたします。
・スピーチには日本語が多少不自然な点が見受けられることがあります。日本語教師が原稿の添削指導などをするときはその学生が習った文法のみを使用するように努力しなければなりません。特に2〜3年生の場合は限られた文法表現の中で作文を訂正しなければならないので、どうしても不自然な点が出てきます。原稿の文法的なことに対する指摘はご遠慮いただきたくお願いいたします。

今日、ご紹介するのは「猫の言霊」というスピーチです。


人間はひとりで生きることができません。人の心には愛がひつようですから。ですから、友達は一番大切だと思いますが、友達は人だけじゃありません。
11歳の時、私は時々さびしかったです。私の一番の友達は弟でした。でも、それは本当の私の弟じゃありませんでした。
友達は初めて私たちを見たとき「これは姉と弟だね」といいました。かみが赤くて、緑の目、そして声が私と同じでやさしかったですから。私の弟は猫でした。それはへんですね。でも、弟は私の一番いい友人でした。私はかなしくなったら、いつも弟を思い出します。それは世界でいちばんやさしい生き物でした。今年の夏、弟は死にましたが、私の心にいつもいます。
私のかぞくで動物はいつも家ぞくのメンバーです。猫や犬は人の本当の友人です。生きものたちが持っているちゅうじつな愛は買うことができません。人と動物の愛はとてもふかい愛です。
動物のなかで猫は一番ゆうができれいです。猫はまじょの親友です。猫は自分で人をえらびます。きれいだし、かしこいし、じゆうだし、それで猫は私の好きな動物です。猫は本当にまほうの生き物です。
猫は多くのものがたりやでんせつの中に出てきます。
スラブの文化では黒猫が道を渡るとえんぎがわるいといいます。でも、ヨーロッパと日本でそれはこううんのしるしです。黒い猫はあくまだとしんじられていましたが、イギリスでは黒い猫をかっている人は運がいいです。
猫は九つのいのちを持っているといいます。猫は人の病気を治せるといいます。死んだ猫を見ると、病気になりますが、黒い猫が病気の人のベッドに横たわったら、その人は元気になります。猫をころした人は九年ふこうになります。
猫のくしゃみを聞くとたくさんお金をもらうことができます。
北の国では猫はいつも舟に乗っていました。ヴァイキングは猫があらしから舟をまもるとしんじていました。こだいエジプトでは、猫は神だと考えました。それは本当ですね。
私はもう一度生まれかわって、どんな生き物になるかをせんたくすることができたら、猫になりたいです。
私はうちへ帰ると、私の子猫をハグします。私のおかしくて、かわいい友達です。まだ小さいですが、大きくなるスピードが早いです。かみが赤いですが、弟とぜんぜんおなじじゃありません。その子猫は私の家族に幸運を持ってきてくれます。皆さん、猫のゴロゴロ声を聞いてみてください。それは愛の声です。



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このスピーチをしたのはアナスタシア・ダニロワさんです。
ここでは愛称形のナースチャさんでいきたいと思います。
彼女はベラルーシ国立大学の2年生です。
つまり、彼女が日本語を学んだのは1年弱ということになります。

実は彼女が弁論大会への出場を決めたのは大会の一週間前。
夏休み中に彼女は作文を書いていたのですが、弁論大会に出ることが怖かったのか、なかなか前に踏み出せないでいました。

お読みになってわかるかと思いますが、話の流れは時々飛んでいるところがあります。
これはベラルーシの学生全体に言えること。
最初に学生たちが提出してくる原稿は起承転結などの流れがないものがほとんどなのです。
終わり方が突然だったり、全く流れと関係がない文が入っていたり。
でも、2年生でこれだけのものを書いてくるのはたいしたものです。

この作文には自分の猫に対する愛情が溢れています。
ナースチャさんが猫に注いでいる愛情は深く慈愛に満ち満ちています。

実はナースチャさんはちょっとした仕草が猫っぽいんですよ。
ちょっと驚いたときにキョロキョロするところとか。
この大会以来、3、4年生からは「猫後輩」と呼ばれるようになりました。

私はどちらかというと犬派。
でも、うちのベロニカちゃんは猫派。
そして、龍二くんは犬大好き。
もうちょっと成長したら、絶対に「パパ、犬飼おうよ」って言われるんだろうなあ・・・
でも、散歩とかの世話をちゃんとする自信は私にはありません。


ナースチャさんへ
本当にいいスピーチでした。
猫への愛情、会場にいる人たちにも伝わったと思うよ。
猫もそれほどまでに愛情を注がれたら、本当に幸せだと思います。

ナースチャさんはもっともっとがんばったら、もっともっと日本語が上手になると思います。
一緒にがんばりましょうね!!!

4年生になったら、ナースチャさんは「猫先輩」になると思います!!!


もしよろしければ、感想をコメント欄にいただけるとありがたいです!
コメントの内容はナースチャさんに必ず伝えます!

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2012年10月19日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日も2012年ベラルーシ日本語弁論大会でのスピーチを御紹介します。

ご紹介する前にいくつかお断りとお願いがあります。
・スピーチの原稿と写真をブログ上で公開することに関しては、学生たちの了解をとってあります。
・著作権はスピーチ原稿を書いた学生にありますので、このスピーチ原稿を無断で転用・転載などくれぐれもなさらないようにお願いします。写真は絶対に転用などなさらないようにお願いいたします。
・スピーチには日本語が多少不自然な点が見受けられることがあります。日本語教師が原稿の添削指導などをするときはその学生が習った文法のみを使用するように努力しなければなりません。特に2〜3年生の場合は限られた文法表現の中で作文を訂正しなければならないので、どうしても不自然な点が出てきます。原稿の文法的なことに対する指摘はご遠慮いただきたくお願いいたします。

今日、ご紹介するのは「新しいバビロン」というスピーチです。


新しいバビロン
 もし、100年前に生きていた人が急に21世紀に住むことになったら、すごく困ってしまうと思います。その人たちは「これは地球か、信じられない」と思うかもしれません。この100年間に様々な技術が発明されて、人々の生活は非常に変わりました。人は大きい町に住んで、すばらしい機械を使って、速い飛行機で空を飛んで、大変な病気が治せるようになりました。これまで今ほど便利な時代はありませんでした。そして、今の科学の進歩が続くにつれて、もっとおもしろい発明がされていくはずです。
 現代において発明されたものの中で一番すばらしいいものはインターネットだと思います。ここでは何でもできるような感じがします。うちから出ないで、すばやくいろいろな情報を調べたり、いつでも好きなビデオや映画を見たり、音楽を聞いたり、買い物をしたり、遠いところに住んでいる友達と話したりできます。そうするのに、お金は必要ではありません。そして、このインターネットの世界には特別な規則や禁止もありませんから、誰でも現実の世界にない自由を感じられるようになるかもしれません。これは夢の世界みたいではないでしょうか。
 でも、インターネットによって大勢の人が現実の生活とバーチャルの生活の二つの生活を生きるようになりました。そして、バーチャルの生活のほうを現実の生活のより大事にする人が多くなってきました。これは本当に危ないと思います。このような人はどこも行かないで、インターネットで友達や恋人を作っています。そのような友情や愛はよくないと思います。どうやって一度も会ったことがない人と親しくなることができますか。チャットだけで相手がどんな人か、どうやってわかりますか。そのような関係を作っても、人は前よりさびしくなってしまうと思います。そして、インターネットの生活は時間をたくさん使ってしまうこともよくあります。人は大事な用事の変わりにインターネットでどうでもいいことをしてしまいます。それに気がつかない人はインターネットのどれいになってしまいます。
 旧約聖書によると昔バビロンで人は神様と対等になるために空までとどくバベルの塔を建てようをしたそうです。でも、神様はこのことに怒って、その人たちを罰っしました。バベルの塔を建ている間に、神様は人々をさまざまな言語で話すようにしてしまいました。人々はお互いに言っていることが理解できなくなってしまったので、この塔を最後まで建てることができませんでした。その人々は自分のプライドのせいで、本当に大事なものを失ってしまいました。
 皆さん、私たちはバビロンの人たちに少し似ていませんか。もちろん、インターネットはすばらしい技術です。しかし、インターネットを使えば何でもできると思うのは傲慢すぎるのではないでしょうか。技術は何のために使うのがよくわからないと、無意味で、危ないものになります。もしかしたら、新しい技術を発明する前にどうやってこの技術をうまく使うかについて考えてみたほうがいいのではないでしょうか。そうしなければ、私たちは何か大事なものを失ってしまうと思います。


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このスピーチをしたのはダリヤ・トゥルブチクさんです。
ここでは愛称形のダーシャさんでいきたいと思います。
彼女はベラルーシ国立大学の4年生です。
昨年は6週間、日本での語学研修に参加しました。

これは彼女にもはっきり言ったのですが、「インターネットは便利だが、危ない面もある」という内容は割とありふれていると思います。
ただ、彼女の場合、その説明にバビロンを使ったのがなかなか面白いと思いました。

確かにインターネットは便利ですよね。
何か調べるときにもすぐに色々わかるし。

でも、やっぱり紙媒体にはかなわないんじゃないかなあ。
情報量が違いすぎます。

このスピーチ、ちょっと耳が痛い感じです。
私もネットサーフィンなどで無駄な時間を使うことが多いからです。
ネットサーフィンは確かに面白いことを知るような発見も多いですが、ただダラダラとパソコンの前で過ごすことも多いように思います。

ベラルーシでもインターネットで知り合って恋人になったとか、結婚したとか、そういう話はよく聞きます。
私はそういうのは別にいいのではないかと思っています。
確かに顔が見えないというのはありますが、何がうまくいくかはわかりませんもんね。

インターネットのことに限らず、恋愛とかって、何がどうなるかはわからないものですよね。
例えば、「できちゃった結婚」なんて言うと聞こえは悪いですが、それで幸せになっている人もたくさんいるでしょうし、結婚するまでが大恋愛だったからと言って、必ずしも幸せになるとは限らない。
まあ、きっかけは何でもいいと思うのです。

顔が見えないというのはインターネットのデメリットの一つですね。
インターネットなどの技術の進歩によって人と人がつながりやすくなった気がしますが、その分、一人一人の孤独が深くなっているような気がするのです。
それに気づかず、ネットや携帯でのつながりで孤独の感覚を麻痺させているのはある意味、危険な感じがします。

孤独というのは決して悪いことではないような気がします。
私の孤独に対する考えに非常に影響しているのは福永武彦という作家です。

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この本、私にとってはバイブルとでもいうべき本です。
愛に限らず、人生で何か迷いがあるときは、必ず開く本です。
機会があれば、ぜひ読んでみることをお勧めいたします。



ダーシャさんへ

いつも日本語の勉強、がんばっているよね。
宿題もちゃんと書いてくるし。
真面目にがんばっていれば、いつかきっと報われるときが来るから!

ダーシャさんは感覚が日本人に似ているところがあると思うんだよなあ。
真面目で謙虚だから。
将来、日本に行って、留学したり仕事をしたりすることがあると思うんだけど、その謙虚さはずっと持っていてくれるとうれしいです。

これからも日本語の勉強、がんばりましょう!!!



もしよろしければ、感想をコメント欄にいただけるとありがたいです!
コメントの内容はダーシャさんに必ず伝えます!

akiravich at 16:57コメント(4)トラックバック(0) 

2012年10月05日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日も2012年ベラルーシ日本語弁論大会でのスピーチを御紹介します。

ご紹介する前にいくつかお断りとお願いがあります。
・スピーチの原稿と写真をブログ上で公開することに関しては、学生たちの了解をとってあります。
・著作権はスピーチ原稿を書いた学生にありますので、このスピーチ原稿を無断で転用・転載などくれぐれもなさらないようにお願いします。写真は絶対に転用などなさらないようにお願いいたします。
・スピーチには日本語が多少不自然な点が見受けられることがあります。日本語教師が原稿の添削指導などをするときはその学生が習った文法のみを使用するように努力しなければなりません。特に2〜3年生の場合は限られた文法表現の中で作文を訂正しなければならないので、どうしても不自然な点が出てきます。原稿の文法的なことに対する指摘はご遠慮いただきたくお願いいたします。

今日、ご紹介するのは「夢をかなえる道」というスピーチです。



「夢をかなえる道」

 私は今年学校を卒業しました。卒業してからミンスク言語大学の入学試験を受けました。私は2年ぐらい前から外国の言葉が好きになりましたから、入りたい大学はもう決めてありました。入学試験が終わったあとで、私はほかの人のもくひょうや夢について考えました。「私の友達や知り合いの大人はみんな自分がやりたいことをやっているのだろうか?夢をあきらめないでちゃんと好きなことをやっているのだろうか?もくひょうをたっせいするために精一杯頑張っているのだろうか?」と思いました。ですから、今年の夏休み、私は友達にこの質問をしました。色々な面白い答えが出ました。
 私の友達で作家になりたい女の子がいます。彼女は子どものときからファンタジーの本が好きですから、自分の本を書きたいです。自分のファンタジーの世界を作りたいです。その女の子はもういくつか物語を書いて、インターネットであるサイトに出しました。その物語の下にそれを読んだ人たちのコメントが書いてありました。いいコメントでした。それは夢をかなえるいっぽだと思います。
 もう一人の男の子に聞きました。彼はプログラミストの仕事をやっているカメラマンです。彼は私と一緒に日本語を勉強しています。その男の子の夢は自分の目で見ている世界を世界中の人に見せることです。彼は外国で写真を勉強したかったですから、日本へ行くために日本語の勉強を始めました。それで今年の春に日本へ行きました。でも、それはただの旅行でした。彼はきれいな写真をたくさん撮って、日本人とたくさん話して、ベラルーシに帰りました。帰ってから、もっと日本語の勉強を頑張ってまた日本へ行くと決めました。今度はちゃんと写真を勉強しに行くつもりです。
 何人かに聞いたあとで、私はお母さんの親友のことを思い出しました。 その女の人は今モスクワに住んでいます。でも若いときはずっとベラルーシに住んでいました。高校のときからこの女の人はふくを作ることが大好きでした。しかし、工業大学を出てからは、好きなことと全然かんけいがない仕事をやっていました。結婚して、二人目の子どもを産んでから、またふくを作るようになりました。今その人は自分が好きなことをやって、お金をかせいでいます。私はこの夢をあきらめなかった女の人にすごくあこがれています。なぜなら人はよくせいしゅんの夢を夢のままで忘れてしまいますから。かなえられなかった夢は悲しいことだと思います。
 私と一緒に日本語を勉強している友達で 「この人すごい!」と思う女の子がいます。その女の子の名前はターニャです。彼女は高校のときから外国の言葉や文化に興味があって、英語とスペイン語とドイツ語と日本語を勉強しました。とくに英語が好きでしたから、ヨーロッパの大学に留学したかったです。それで今年彼女はエストニアの大学に入ると決めました。入学試験を受けるためにカレッジで勉強しながら、イギリス人の所に通っていました。すごく大変だったと思いますが、ターニャさんはこの1年間努力して入りたい大学に入ることができました。彼女は英語を教える学校を作りたいです。英語を勉強したいベラルーシ人にその機会をあげたいと思っています。自分で考えた新しいほうほうを使って英語を教えたいと思っています。ター二ャさんはねっしんだし、まじめですから、きっともくひょうをたっせいすることができると思います。
 色々な話を聞いて、私ももっと頑張ろうと決めました。外国へ行ったり、色々なことを勉強したり、色々な経験をつんだりしたいです。私のみらいはまだ遠くてはっきり見えませんが、しょうらいのために何かできるのは今しかありません。大学はもくひょうをたっせいするための入り口です。一歩ずつ夢に近づいて行ったら、夢をかなえることができると思います。


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このスピーチをしたのはオリガ・グリノヴィチさんです。
おとといにご紹介したスピーチ「やる気を出す方法」を書いたベロニカさんと同じグループで勉強しており、勉強を始めて3年目です。
ここでは愛称形のオーリャさんと呼ばせていただきます。

彼女はびっくりするくらい緊張しないんです。
出場者の中で唯一、全く緊張が感じられない子でした。
彼女に言わせると、「ステージに上がるまでは結構緊張したんですが、上がったら全然大丈夫でした」
すごい・・・

ベラルーシ人の中には夢を持ったりするよりも、現実的な仕事を求める傾向が強くあります。
それはベラルーシの生活水準などとも関係があるでしょう。
明るい将来が見えない、何をやっても無駄なんだという閉塞感・・・
若者が最初から「何かをあきらめている」のを見るのは悲しいものがあります。

唯一の解決策に見えるのが外国へ行くこと。
「行くこと」というより「逃げること」と言ったほうが近いかもしれません。
私の学生の中に、アメリカへ行って帰ってこなかった学生が4人います。
いずれも女性です。
あと、知り合いの男の子も帰ってきていません。
夏の間、アルバイトに行って、そのまま住み着いてしまうというのが通常のパターン。
彼らの中には最初からそのつもりの確信犯もいます。
そんなに簡単に自分の国を捨てられるんですかね・・・
ベラルーシにはベラルーシの魅力があるのですが・・・
まあ、私も外国に住んでいるのですから、人のことは言えないのですが・・・

そんな中で、こんなにも素敵な夢を持ってがんばっている若者たちがいることに私は喜びと安堵感をおぼえるのです。
この作文で紹介されている人はオーリャさんの母親の親友を除くと、みんな私の学生。

ファンタジーの子に関しては、私は本を書いていることは知りませんでした。
彼女はまだ17歳。
でも、頭がすっごくいいんです。
どんな本を書いているんだろう? 読んでみたいなあ。

写真の男の子は日本語のブログで自分の写真を紹介しています。
電気の雨のブログ
彼は自費で日本へ行っていました。
日本で写真の勉強をするって、お金も相当かかるだろうに・・・
でも、何とか方法を見つけて行ってもらいたいです!

「この人、すごい!」と紹介されているターニャさんは今、エストニアのタルトゥ大学に留学中。
「日本語の勉強を続けたい」と言っていたので、私の提案で、今はスカイプを使って一週間に一回プライベートレッスンをしています。
彼女ぐらい飲み込みが早く、どんどんこちらが言うことを吸収してくれる子だと、教えるほうもやりがいがあります。

夢があるっていいなあ!!!
私も39歳になった今でも夢はあるんですよ。
それは・・・自分の店を持つこと!
喫茶店や居酒屋のような店で好きな料理を作って、お客さんと会話して・・・
日本の居酒屋のような店はベラルーシにはありませんから。

夢を夢のままであきらめてしまったこともあります。
それは指揮者になる夢。
そもそも、子どものときから音楽教育を受けたりしてこなかった私にとっては非常にハードルが高い夢でしたが、音楽を勉強していた頃は本気でした。
今考えるとかなり無謀な夢ではありましたが、あの頃の自分、嫌いじゃないです。


オーリャさんへ

とてもいいスピーチでした!
落ち着いて、ゆっくり発音していたから、聞いていた人もすごくわかりやすかったと思いますよ。

オーリャさんは一年目のときから私が言うことをちゃんと守って勉強してきたよね。
宿題もちゃんとやってきて、漢字もしっかり覚えてきて。
勉強始めたのって、15歳のときだよね?
下手な大人よりもしっかり勉強しているよね。

このまま勉強を続けたら、日本に留学するチャンスはあると思うよ。
だから、これからもがんばっていきましょうね!


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akiravich at 16:23コメント(6)トラックバック(0) 

2012年10月02日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

今日から2012年ベラルーシ日本語弁論大会でのスピーチを御紹介します。

ご紹介する前にいくつかお断りとお願いがあります。
・スピーチの原稿と写真をブログ上で公開することに関しては、学生たちの了解をとってあります。
・著作権はスピーチ原稿を書いた学生にありますので、このスピーチ原稿を無断で転用・転載などくれぐれもなさらないようにお願いします。写真は絶対に転用などなさらないようにお願いいたします。
・スピーチには日本語が多少不自然な点が見受けられることがあります。日本語教師が原稿の添削指導などをするときはその学生が習った文法のみを使用するように努力しなければなりません。特に2〜3年生の場合は限られた文法表現の中で作文を訂正しなければならないので、どうしても不自然な点が出てきます。原稿の文法的なことに対する指摘はご遠慮いただきたくお願いいたします。

今日、ご紹介するのは「やる気を出す方法」というスピーチです。


 「やる気を出す方法」

 みなさんどうすればやる気が出ますか。その方法は色々です。

 私たちは大きなせかいに住んでいます。毎日色々な人と会っています。ふつうはほかの人についてあまり考えません。みんな自分のしんぱいごとや問題があって、もくてきやもくひょうも違います。ですから、やる気を出す方法も色々です。それを知るのは面白いと思いませんか。

 私はコンピュ−ターの会社で働いています。アプリケーションをチェックして、その問題点をさがす仕事です。わたしが仕事で見たサイトの中に面白いものがありました。それはモチベーションを上げてくれるサイトです。そのサイトはある会社の人しか見ることができません。そのサイトを使う人たちは自分のプロフィールの中に短い話を書いて、その話にかんけいある写真を一まい公開します。話のテーマはどうすればやる気が出るかについてです。
 私は色々な話を読んで、おもしろいことを発見しました。みんなの大切なものはだいたい同じです。たとえば家族や友だちやペットなどです。でもモチベーションを上げる方法はちょっと違います。みなさんに私が好きな話を3つしょうかいしようと思います。
 さいしょの話はドイツにすんでいる30さいの女のひとの話です。彼女はマーケティング部で働いています。彼女は自分のおばあさんと同じスタイルの生活をしたいと書きました。彼女のおばあさんは86さいですが、にぎやかで、いつもたのしいです。歌を歌ったり、おどったり、笑ったりします。おばあさんは世界で一番やさしい人です。彼女はおばあさんをみると、やる気が出ると書きました。
 2つ目の話はスウェーデン人が書いた話です。彼は自分のしゅみと仕事を比較しました。彼のしゅみはセーリングです。ふねに乗っているとリラックスできます。チームとせんちょうはいっしょにストラテジーを考えて、方向を選びます。かぜはよくかわりますから大変ですが、かつためにみんなでがんばります。それは仕事も同じです。ビジネスの世界も色々な問題をかいけつして、もくひょうをたっせいするために、会社の人たちといっしょにがんばらなければなりません。
 3つ目の話はスペイン人が書いた話です。彼のしゅみはピエロになることです。彼は病院へいって、病気の子どもたちと遊びます。赤いはなは子どもの心を開くまほうのかぎです。子どもたちは心配事を忘れると、目がキラキラします。しあわせになる子どもたちを見ることは彼にとって大切ことなのです。
 私はこのような話を読んで、やる気を出す方法について考えました。みんな色々な国にいますが、大事なものはだいたい同じです。多くの人たちは一番大切なものは家族だと書きました。夫婦や子どもたちのためにがんばると書いた人もいます。趣味もやる気を出すいい方法です。人はしゅみをとおして色々な経験をします。趣味は仕事にときどきやくに立ちます。ほかの人の世話をすることも大事だと思います。ですから、私はスペイン人の話も気に入りました。
 このサイトを作るアイディアはとてもいいと思います。違う人たちの考えを知ったり、自分の考えを他の人に伝える事は大切です。このサイトの話について、一つおもしろいことがあります。みんな色々な理由でやる気が出ると書きましたが、お金についてはだれも書きませんでした。面白いと思いませんか。
 みなさんはどうすればやる気が出ますか。

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このスピーチをしたのはベロニカ・カルペンコさんです。
ベロニカさん、うちの奥さんと同じ名前です。
彼女は私の個人教室の学生で、勉強を始めて3年目です。

やる気を出す方法・・・
私の場合は何だろうと考えたのですが・・・特になし!!!

本当にないんですよ。
いつもバリバリやる気がありますから。
やる気がない自分というのが想像できないくらい。
何でもめんどくさくなっちゃうときはありますが、それは体が言うことをきかないくらい疲れているときで、気持ちは常に前進前進。

ああ、これって、つまり自分がいつもやる気があるということ、このスピーチを聞いて初めてわかったんだよなあ。
やる気がある状態が普通ですから。
学生のスピーチを聞いて気づかされることは多いです。

そのサイト、ちょっと読んでみたいなあ。
この3つの話の中で私が一番共感できるのは3番目のスペイン人の話。
私も以前、病院で折り紙をやっていましたから(←過去形でしか書けないのが寂しい・・・)。
子どもたちの笑顔を見ると、私も元気になります。
ベラルーシの子どもたちにどんなに救われてきたかわかりません。

ベロニカさんのスピーチにはハラハラさせられました。
というのは、練習のときがかなりすごくて・・・
彼女、調子がいいときはいい読み方なんですよ。
スピーチの最初はすごくいい滑り出しをするんですが、一つ言葉を忘れたり間違ったりすると、総崩れのがけ崩れ。
最後まで立ち直れず、めちゃくちゃな読み方のまま終わる、ということが多かったのです。

しかし、本番では崩れそうになりながらも最後まで持ちこたえてくれました。
練習では手が震えるほど緊張していたのに、ステージの上では思ったよりも落ち着いて見えました。




ベロニカさんへ

とてもがんばりましたね。
本当にいいスピーチでした。
緊張に打ち勝った感じがとてもよかったです。
楽しそうに日本語を話す姿が印象的でした。

ベロニカさんのおかげで、グループの雰囲気もいいし、本当に感謝しています。
いつも楽しそうに勉強しているよね。
やっぱり授業は楽しいほうがいいもんね。

いつも真面目に勉強しているから、きっと日本へ行ける日が来ると思うよ!!!
これからも一緒にがんばりましょう!!!



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コメントの内容はベロニカさんに必ず伝えます!

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2012年10月01日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

またまたご無沙汰しておりました。
9月は毎年ドタバタなので・・・

9月28日の金曜日、第10回ベラルーシ日本語弁論大会が行われました。
第10回ですよ。
ずいぶんと長くやっているんだなあ。

何か他人事のように書いていますが、以前は私は一切かかわっていなかったんです。
理由は伏せますが、まあ、いろいろとありますよね。
具体的にかかわり始めたのは第6回からです。

今回は参加者は13人。
去年よりもちょっと少なめでしたが、これぐらいのほうが聞いているほうも疲れないし、ちょうどいいと思いました。
あまりにも参加者が多いときは間に休憩を入れるのですが、大会の流れがだれる感じがあるので。

私が勤務しているベラルーシ国立大学からは7人の参加者。
2人がミンスク言語大学、4人が私の個人教室の学生でした。
私はこういう風にいろんなところから参加者が出てくるのはとてもいいことだと思います。
それぞれ勉強する場は違っていても、日本語を学びたいという気持ちは同じはずですから。

スピーチは素晴らしいものばかりでした。
入賞した人のスピーチだけではなく、全員のスピーチが個性あふれるもので、とても楽しむことができました。

以前はすごく嘘くさいスピーチが多かったんですよ。
きれいごとばかり並べたみたいな。
例えば、「戦争はよくないと思います!」とか、「みんな仲良くしなければなりません!」とか、そういう当たり前のことを優等生の学級委員のような話し方でスピーチをされると、私としては「お前、天使かよ!」と突っ込みたくなるのです。

今回は仙台の宮城・ベラルーシ協会から賞品の提供を受けました。
日本語の辞書です。
ベラルーシでは全然売っていないものですが、学生にとっては一番必要なもの。
ベラルーシにある日本語の辞書は間違いも多く、古いものばかりなので、はっきり言えばほとんど役に立たないのです。
辞書は何よりもうれしいプレゼントです。
本当にありがとうございました!!!

去年に引き続き、私が仲良くさせてもらっているImExTradeという会社の社長さん、ヴィターリーさんに賞品を提供していただきました。
それは日本食材の詰め合わせ。
まあ、ImExTradeは日本食材を輸入している会社ですから。
それにしても、すごい量でした。
米、醤油、七味唐辛子、手作り豆腐セット、ガリ、のり・・・
それを参加者全員と審査員、合計16セットもプレゼントしてくれたのですから、半端ないです。
ありがとうございました!!!

そして、今年は私が少しお手伝いしている日本食レストラン「SushiHouse」からも食事券・割引券を賞品としていただきました。
日本語を勉強している学生にとっては素晴らしいプレゼントですよね。
ありがとうございました!!!

日本語弁論大会はお祭り的な性格も持っています。
これだけ日本語にかかわる人間が集まる機会というのは1年に一回、この大会だけですから。

そんな日本語のお祭りに欠かせないのが歌!
今年もみんなで日本語の歌を歌いました。

私が働いているベラルーシ国立大学の学生はもちろんですが、今年はミンスク言語大学の学生も3人加わってくれました。
ベラルーシにおける日本語教育はベラルーシ国立大学とミンスク言語大学の2つの大学が中心的役割を果たしているのですが、その両大学が一緒に何かをするということは今までなかったのですよ(←少なくても日本語関係では)。
一緒に何かをするどころか、敵対するライバルのような関係で。
それって、ばからしいなあとずっと思っていたのです。
ベラルーシの日本語界ってとても狭い世界ですからね。
一緒に頑張って切磋琢磨していくのがいいと思っていましたから。

これまでも両大学が一緒にできるように、と挑戦したことはあったのですが、いろんな人たちの思惑が絡み、実現しませんでした。
今回は言語大の学生も3人でしたが、とても楽しそうに歌ってくれました。
そして、練習中もうちの学生たちと話をしたりしているのがすごくいいなあと思いました。
もっと交流が深まってくれればと思います。

歌ったのは「世界に一つだけの花」と「めだかの兄弟」。
「世界に一つだけの花」は初挑戦。
歌の練習を始めたのは大会の4日前。
あの歌、結構難しいんですね。
学生たちもリズムを取るのに一苦労。
でも、歌詞の内容が学生たちは気に入って、みんな「これはいい歌です!」
そりゃあ、そうでしょう。
名曲ですよね。

「めだかの兄弟」はほとんど私たちのテーマソングになっています。
2年前に初めて歌ってから、何か機会があるときはいつも歌っています。
振り付けもつけて歌います。
歌詞の中に「スイスイ」という言葉が出てきます。
めだかが泳ぐ様を表現したものですが、この言葉、ロシア語ではちょっとよくない意味があるんですよ。
最初はみんな戸惑っていましたが、だんだん慣れて、今では曲名をみんな「スイスイ」と呼んでいます。

ちなみに、「世界に一つだけの花」も振りつきで歌いました。
YoutubeでSMAPのコンサートの映像を見て、みんなで勉強したんです。

最終的には素晴らしいステージになりました。
みんな楽しく歌ったのが観客の人たちにも伝わったようです。

スピーチコンテストの後は恒例の打ち上げ!!!
私も料理をたくさん作りましたよ。
当日の朝の5時半まで作っていました。
そして、7時に起きて、また料理・・・

疲れましたが、みんな楽しくおいしそうに食べてくれたので、よかったです!
夜中まで食べて飲んで話をして。
学生たち、みんな頑張ったから、私からのご褒美です。

明日から学生たちのスピーチを紹介していきます。
学生からの承諾を受けたうえで掲載していきます。
感想などをコメント欄にぜひ書いていただければと思います。

akiravich at 03:29コメント(3)トラックバック(0) 

2010年11月03日

お久しぶりです。
はぐれミーシャです。

また日があいてしまいました。
すみません。

今日も2010年日本語弁論大会でのスピーチを御紹介します。
学生たちの了解はとってあります。
著作権はスピーチ原稿を書いた学生にありますので、このスピーチ原稿を無断で転用・転載などくれぐれもなさらないようにお願いします。

今日ご紹介するスピーチは「自分自身を愛すること」というタイトルのものです。



自分自身を愛すること

 愛にはいろいろなタイプがあります。たとえば愛国心とか、母性愛とか、愛情です。でも今日私は違うタイプの愛について話をしたいです。それは自分自身を自分で愛することです。私の話はエゴイズムとは関係がぜんぜんありませんから、間違えないでください。エゴイズムやナルシシズムは愛の別の面です。誰かを愛しても、自分のことだけを考えたら、そしてほかのひとのきもちを考えなかったら、それは愛じゃなくて、エゴイズムです。また自分のことをほかの人よりあたまがよくて、美しくて、それに一番面白い人だと思うのはナルシシズムです。でも私は自分自身を愛することの肯定的な意味について話したいです。

 たいてい自分自身が好きかどうか質問された人たちは「いいえ、あまりすきじゃない」と答えるでしょう。どうしてそう思うか調べたかったです。私はいろいろな自分の経験を思い出して、自分なりの意見を持つようになりました。第一にたくさんコンプレックスがある人は自分自身を嫌うかもしれません。そして、謙虚さを大切にしている人にとって、「私は自分自身がすきだ」というのは恥ずかしいことです。

 でも本当に誰かや自分自身を愛するというのはどういう意味ですか? 私はこのコンテクストの中では「愛する」という言葉は誰かや自分自身が幸せになるように念願して、その人や自分自身の幸せのために何かをするという意味だと思っています。私の考えでは私は誰かが好きになったら、その人の幸せのために一所懸命がんばらないといけないのです。なので、自分自身に幸せを念願してがんばったら、自分自身を愛しているというのは大丈夫なのです。

 自分自身を愛せないと誰にも愛されないといわれています。それはそうですが、普通には自分自身を愛せない人は自信がたりませんから、面白くなくて、つまらない人に見えます。でも、自分自身を愛して自信が持てるようになったら、きっと他の人からも好かれます。自信はそんなに簡単につくものではありませんから、コンプレックスがなくなるまでコンプレックスと戦わなければならないと思います。また、自分に自信があって、自分自身を愛している人は自分のいいところも悪いところも知っているので、自分自身を正しく評価できると思います。このひとは自分のとりえをもっとよくしたり、欠点を消すためにがんばったりすることができます。そして、自分の欠点をよく知っている人はその欠点をもっと悪くすることはありません。

 自分自身が嫌いな人は「自分を嫌うのは全然意味がない」と理解したほうがいいと思います。たとえば、私は以前、コンプレックスが多かったので自分が全然好きじゃありませんでした。自分に対して憎しみや嫌悪しか感じませんでした。心の中の調和がなくなってしまったので、暗い時代でした。今はどうして自分が嫌いだったのか聞かれても、答えられません。でもある日私は自分自身を憎むのに使ったエネルギーは無駄使いだったとわかったのです。私はそんなに悪くないと認めるのは自分自身に勝ったことになると思います。そのときから私はだんだん自分自身が好きになって、憎むのに使ったエネルギーを勉強や自分自身の成長のために使っています。ぜったいにコンプレックスに負けないと自分自身に約束したのです。

 もしこの中に自分自身が嫌いな人がいたら、自分自身を好きになってください。自分自身を敵にするのは意味がないことです。心の中に調和があれば、人生はもっと明るくなるはずです。



この作文を書いたのはヴェドロヴァ・リュドミラさんです。
ここでは愛称の「リューダさん」でいきます。

なかなか考えさせられる文章ですよね。
私が「あなたは自分のことが好きですか?」と聞かれたら、「大嫌いです」と答えるでしょう。
でも、それもまた何かの裏返しのような気もするし・・・

私が特に気に入ったのは・・・
私はこのコンテクストの中では「愛する」という言葉は誰かや自分自身が幸せになるように念願して、その人や自分自身の幸せのために何かをするという意味だと思っています。私の考えでは私は誰かが好きになったら、その人の幸せのために一所懸命がんばらないといけないのです。

私も若いときは「エゴイズムとは何か」なんて、すごーく考えていました。
「愛する」という言葉の意味を考えていました。

自分が幸せになるために人を愛するのではなく、愛する人が幸せになるために頑張ること。
それが「愛」。

私だったら、「愛する人が幸せになれば、私も幸せ」と付け加えたいです。
やっぱり、私はエゴイスティックなのでしょうか。

でもね、私、エゴイストでもいいと思うんですよ。
エゴイストのくせして、いい人間づらするほうがよっぽどたちが悪いですよ。
エゴイストであることは恥ずかしいことではないと私は思っています。

もう8年近く前でしょうか。
そのときの彼女に「あなたはひどいエゴイスト」と言われて、かなり落ち込んでいたことがありました。
そのとき、たまたまベラルーシに来ていた日本人の友人にそのことを話すと、「確かに古○はすごいエゴイストだよね」
はぐれミーシャ「・・・」
友人「でも、古○さんは自分のエゴイズムを他の人のために使っているんだから、いいんじゃないかな?」

その言葉には本当にすくわれました。
そのとき私が心に決めたのは「いいエゴイストになろう」ということ。
エゴイストであることは決して恥ずかしいことではありません。

でも、「自分自身を愛する」ことって、俺はできてるかなあ。
自分ではわからないなあ。
たぶん、心のどこかで自分のことを猛烈に好きなんだろうなあ。
そんな自分がいやな感じもするし、まあ仕方ないかという感じもするし。

とにかくいろいろと考えさせられました。


リューダさんへ
いろいろ深く考えるタイプだよね。
それはすごくいいことだと思うよ。
考えれば考えるほどわからなくなったりするよね。
でも、それでいいと思う。
一番よくないのはわからないからと言って、考えるのをやめてしまうことだから。

今回のスピーチコンテストでは去年とは全然違って、すごく落ち着いていいスピーチをしたよね。
私にはリューダさんの言いたいことが伝わってきて、いいスピーチだったと思っています。

授業のとき、みんなでいつも「お風呂」の話とかでいじめるけど、それはみんなリューダさんのことが好きだからなんですよ!!!


もしよろしければ、感想をコメント欄にいただけるとありがたいです!
コメントの内容はリューダさんに必ず伝えます!

akiravich at 07:00コメント(8)トラックバック(0) 

2010年10月26日

こんにちは。
はぐれミーシャです。

少し遅くなってしまいましたが、今日から2010年日本語弁論大会でのスピーチを御紹介します。
学生たちの了解はとってあります。
著作権はスピーチ原稿を書いた学生にありますので、このスピーチ原稿を無断で転用・転載などくれぐれもなさらないようにお願いします。

今日ご紹介するスピーチは「留学生の友達」というタイトルのものです。
実際のスピーチでは実名が出ていたのですが、ここでは伏せさせていただきます。



留学生の友達

 去年日本から留学生がベラルーシへ来ました。学生の名前は○子さんです。

 初めて会ったとき、○子さんはきれいな女の子だと思いました。そして、つきあっていくうちに○子さんは顔だけじゃなくて、心もきれいだということがわかりました。○子さんは人の世話をするのが上手で、いつもいろいろな人のことを心配していました。私も、困ったとき、たくさんアドバイスをしてもらいました。

 ○子さんはすこしおもしろいところもありました。彼女はいつも大きいかばんを持っていて、そのかばんにはもしものために、いつもパソコンとかさと薬が入っていました。重そうでしたから「持ちましょうか」と聞いたのですが、○子さんは「毎日かばんを持っていて、筋肉ができましたから、大丈夫です。これは私の毎日の運動です」と答えました。そのときわたしは少し笑ってしまいました。○子さんは周りの人に「強い女」だと言われていました。あとでどうして彼女に筋肉が必要だったのか考えてみました。○子さんはベラルーシへものすごいいっぱいにもつをもってきたので、帰るとき全部運べるように毎日トレーニングしていたのかな〜と思いました。

 わたしはあまりつよくないので、仲がよくなった人とわかれるのはつらいです。○子さんは私にとってとても大事な人になったのに、帰るときが来てしまいました。わたしは○子さんを空港まで送りました。私は悲しみでいっぱいでした。大事な人がいなくなるとき、どうすればいいか、わたしはわかりません。わたしはどうすることもできないので、苦しかったです。ぜったい泣かないと決めたのに、最後は我慢できなくて、涙がたくさん出てしまいました。「ありがとう。とても嬉しかったです。○子さんにあえてよかったです」とわたしは○子さんに言いました。私たちは「いつかまたぜったいに会いましょう!」と約束しました。

 わたしは○子さんに会ってとても大事なことがわかりました。留学生はいつか帰ってしまうので、悲しくなりますが、これは悪いことじゃありません。悲しいのはその人が私にとってとても大事なひとになった証拠だからです。○子さんと友達にならなければ、あんなに悲しくならなかったでしょう。でも彼女に出会えなかったら、楽しく時間をすごしたり、思い出を作ったりもできなかったでしょう。いい思い出をくれて、○子さんにとても感謝しています。わたしは○子さんが大好きです!

 そしてなんと一年後わたしは日本へ行くことになりました。○子さんを見たとき、去年の思い出が全部頭の中にめぐりました。わたしは走って○子さんに飛びつきました。一年ぶりに見る○子さんは日本で秘書の仕事をしていて、とてもかっこよくなっていました。私たちはどこへも行けませんでしたが、一緒にいるだけで、とても楽しかったです。

 いまわたしたちはまた離れ離れです。でも、またいつか会える日を楽しみにしています。

 ○子さんは、いくら離れていてもお互いを大事にできるということを教えてくれました。この経験と○子さんとの思い出はわたしの宝物です。



この作文を書いたのはボブコ・エレーナさんです。
ここでは愛称の「レーナちゃん」でいきます。

レーナちゃんは今回のスピーチコンテストで第三位になりました。
去年の大会でも第二位になりましたから、連続入賞です。

読んでいただいたらわかると思いますが、レーナちゃんはとても素直で心がきれいないい女の子です。
普段もあまりにもストレートなので、こちらが困ってしまうことがあるほど。
あんまり心がきれいな人を相手にしていると、こちらの心が濁っているような感じがしてしまったり・・・そんなこと、ありますよね。

○子さんは私も面識があって、パーティーなどで一緒になったことはあります。
そもそも、彼女を大学の授業に連れていったのは私でした(←忘れてました)。
その後は学生たちのほうが彼女や他の日本人たちと本当の友達になっていきました。

私としてはうれしかったですよ。
だって、ベラルーシに住んでいたら、日本人と知り合うチャンスなんてほとんどないですから。
インターネットで知り合いになったりすることはありますが、ほとんどがベラルーシ人女性目当ての日本人男性ですから。
別に「女性目当て」であることを否定しているわけではありませんが、日本語を勉強している学生にとってはそんな日本人に「友達になろう」と言われても、下心が見え見えなわけですから・・・(←そういう奴に限って、「学生の日本語の勉強の役に立ちたいと思って」などとほざくのですが、そのことに関しては今までも散々書いてきたので、今回はやめておきます)

私の学生たちと○子さんや○太くんとの交流は見ていて微笑ましいものがありました。
それは心からのつきあいでした。

たいてい、日本語を勉強している学生は「日本人と友達になりたい」という感情が強くて、結局、「日本人なら誰でもいい」という感じの発想になってしまうことが多いのです。
実際、そういう学生を何度も見てきています。
その人がどんな人かは関係がないのです。
ミンスクのどこかに日本人がいると聞けば、すぐに飛びつくような学生はたくさんいます。
それを利用する日本人男性もいるわけだから、おあいこでしょうか。
どうぞご勝手にという感じです(←私の学生が泣くようなことがあれば、私は許しませんが・・・)。

私だったら、「日本人だから」なんていう理由で友達になろうとする人がいたら、そんなにいい気分ではないですね。
まあ、最初はいいかもしれませんが、やっぱり私のことを気に入ってくれて、私がどんな人間なのか知った上で友達になってほしいなあと思いますよ。

うちの学生たちが○子さんたちと友達になってしばらく経った頃、私は学生たちに質問しました。
はぐれミーシャ「君たちが○子さんたちと仲良くなったのは、『日本人だから誰でもいい』という理由じゃないよね?」
そう聞くと、学生の一人が憤然と「全然違います! ○子さんや○太くんがいい人だからです!」
他の学生も「日本人だったら誰でもいいという考え方はよくないと思います」

私もそう思います。
人として気に入ったから付き合うのであって、「日本人だから」という発想は自分が日本語の練習をしたいというエゴイスティックな考え方だと思います。

もちろん、最初はそうでもいいのかもしれません。
実際、ベラルーシでは日本語で話すチャンスが授業以外ではないのですから。
でも、それは「日本人なら誰でもいい」という発想に発展するようではいかんのですよ。

○子さんには本当に心から「ありがとう」と言いたいです。
具体的に何に対してというわけではありません。
わざわざ学生と付き合ったということではなく、○子さんもレーナちゃんと同じく「いい人だから」という理由でレーナちゃんたちと友達になったのだと思いますから。
でも、何となく「ありがとう」と言わずにはいられないのです。


レーナちゃんへ
レーナちゃんのこと、一年生のときから見ているけど、本当に日本語は上手になったよね。
一年生のときも頑張っていたけど、二年生になってからのレーナちゃんは本当によく頑張ったよね。

○子さんたちと出会ってからのレーナちゃんは日本語の勉強だけじゃなくて、人生そのものが楽しくなったようで輝いていたね。
教えている私も楽しくなるほどだったから。

私はレーナちゃんにまた日本へ行って、今年の夏見られなかった「日本」をもっと見てきてほしいと思っています。
これからも一緒に頑張りましょう!



もしよろしければ、感想をコメント欄にいただけるとありがたいです!
コメントの内容はレーナちゃんに必ず伝えます!

akiravich at 03:23コメント(15)トラックバック(0) 
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