芸術

2010年01月07日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

今日もドタバタと町を走り回っていたのですが、寒かったなあ。
気温自体はマイナス7度と大したことないのですが、風があったからか、かなり寒く感じました。

それにしても、顔が痛い。
乾燥しているんですよね。
顔にはクリームを塗っているんですが、それでもカサカサ。
ヒリヒリと痛みます。

明日はロシア正教のクリスマスなのですが、お正月に比べれば静かな雰囲気です。

今日は去年の夏、日本へ旅行したときのことを書きたいと思います。

私たちは日本滞在の最終日に「ゴーギャン展」を見に行くことにしました。
これは日本へ行く前からベラルーシで計画していました。
ベラルーシにいるうちから、滞在期間中にどんな催し物があるかを全てインターネットで調べておいたのです。
いやあ、便利だなあ。
だって、ベラルーシでは「ぴあ」とか「東京ウォーカー」とか売っていませんから。

会場は東京国立近代美術館。
夏休み期間中だし、大々的に宣伝しているようなので、これはかなり混むだろうと私はふみました。

なので、南千住のホテルをかなり早めに出て、美術館の開館時間よりも前に到着するようにしました。
10時に開館するところを、私たちが到着したのは9時40分。
でも、そこには長蛇の列!
うーん、考え方が甘かったなあ。
もっと早く来るべきだった。

でも、私たちの後ろからドンドン列が長くなっていく。
全体的に見たら、私たちは列のかなり前のほうに位置していることになりました。

かなり嫌な予感がします。
こういう人が多い展覧会って、商業的な匂いがプンプンして、すごく嫌な思いをしたこと、何度かありますから。
それに、人が多すぎるとゆっくり絵を見るなんて雰囲気にはなりませんから。

入り口のところまで来ると、なにやら妙な機械の貸し出しをしている。
どうやら音声ガイドなんてものがあるらしい。

はじまったよ。
これだから、この手の展覧会は嫌いだ。
素晴らしい絵があるのにさ、その絵以外に何が必要なの?
解説を聞いて、その絵が分かったつもりになって、何が楽しいの?

私は絵を見るときは思いっきり目を開いて、正面から絵と向き合わないといけないと思うんですよ。
その絵から感じるものこそが絵を見ることの素晴らしさだと思うし、そこに感動も生まれるのだと思う。
絵に深く感じる手がかりは、絵の中にしかないのだから。

こんなことを書くと、「絵の背景や画家のことを知ることによって、より深く絵を理解することができる」と反論されそう。
でも、私はそうすることを否定はしていません。
むしろ肯定しています。
でも、それを美術館でする必要があるのかって言いたいんです。

私がまだ日本にいた頃(←つまり10年近く前)、確かBunkamuraミュージアムでの「モンドリアン展」だったと思うんですが、絵の前でその展覧会の図録を見ている人がいたんですよ。
絵の前で、その絵の解説を読んで、「ウンウン」とうなづきながら、一人悦に入っている女性。
そういうことはうちへ帰ってからしたほうがいいと思うんですけどねえ。

「そんなのその人の自由だろ!」なんて言われそうですが、言われても全く気にしない。
それが「はぐれミーシャ 仕事の流儀」(←仕事?)

東京はある意味、チャンスが多すぎるのかもしれません。
しょっちゅう世界中から集められた名画の展覧会がありますから、感覚的に麻痺してしまうのではないかと。
絵との出会いはまさに「一期一会」であり、その絵との対話を楽しむことこそが、その絵に対する「礼儀」であると思うのです。

解説なんかなくても、絵そのものが雄弁に語ってくれますよ。

ちょっと長くなってしまいました。

さあ、中へ入ろう!
ロッカーに荷物を置いて、絵のほうへ歩いていくと、絵の前には人だかり。
前のほうへ行かないと絵が見えない。
こんなとき、日本人的なつつましさは非常に邪魔。
思いっきり前に出て行くのがいいでしょう。

私は絵の前に仁王立ち。
自分が納得いくまで眺め回しました。

正直、ゴーギャンって、そんなに好きな画家じゃなかっただけど、やっぱり本物はすごい!
鮮烈な色に私はノックアウトされました。
色というよりは燃えている、鮮やかな生命の燃焼という印象。
目に優しいのではなく、自分の土台から揺さぶられるような力を感じ、畏敬の念すら抱きます。

タヒチ時代の絵もいいんですが、私が特に気に入ったのは「アリスカンの並木道、アルル」という作品。
秋の風景ですが、ただ美しいというのではなくて。
「ああ、秋だ!」
ここまで来ると、言葉と芸術というのは相容れないもののように感じます。

他の人がいようがいまいが、私は絵の中に没頭できました。
そういう自分がいることにちょっとホッとしました。

でも、一応、他の人の流れに合わせて移動してましたけどね。
かなりゆっくりでしたけど。

しばらく絵を見ていると、隣にいるおじさんと若い女の子のペアが気になってくる。
というのは、おじさんがすっごく薀蓄を語るのを、女の子が「えー、そうなんですか? 知らなかったですぅ」っていう感じで。
あー、腹立つ。
それじゃあ、絵に対して失礼だろうが!

そういう人たちって、絵を見ていないんじゃないかな。
話をしに来たんじゃないの?

どんどん絵を見進めていくと、やがてあの有名な作品「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の展示スペースへと近づいていく。
すると、その展示スペースの前の部屋に大型スクリーン。
そこには「我々は・・・」のCMみたいな映像が。

ちょっと待った!!!
作品に真正面から向き合わなければ、展覧会に価値なんかないんだよ!
何のために絵があるの?
何のためにあなたたちはここへ来たの?
展覧会で絵以外のものを見ることに何の価値があるの?
そのスペースの人の多さに、私は愕然としました。
まともじゃない・・・

キレかかっている私をなだめるベロニカちゃん。
そんな温厚なベロニカちゃんでも、その光景は「何でこんなことする必要があるの?」

そして、ついにあの名画と対面!
絵の前が黒山の人だかりなのは覚悟の上。
しっかりと心に焼き付けたい。

展示スペースに入ると・・・でかっ!
すごい大きさ!
単純にそのことに圧倒されます。

しかし。
何かがおかしい。
確かに絵を見ている人は大勢いるのだが、絵のまん前には人がいない。

よく見ると、絵に一番近いところが通路になっていて、絵からちょっと離れたところとロープで区切られている。
絵を長く見たい人はロープの向こうのちょっと離れたところ。
近くで見たい人は通路を通る。
でも、長く立ち止まってはいけない。
絵の両側には美術館員が立っていて、絶えず「立ち止まらずに前のほうにお進みください」と言い続けている。

私はベロニカちゃんに「無視無視。せっかくここまで来たんだから、楽しもう」

私たちは絵の前に立ち尽くしました。
言葉を失い、その絵の全てを全身に浴びました。
これほどの芸術を前にしてはひれ伏すのみ。
絵を目で見るのではなく、全身で感じること。
貴重な体験をしました。

しかし。
その瞬間、右側にいた美術館員が近づいてきて、「申し訳ございませんが、前にお進みください」

っていうか・・・
ふざけんな!!!

私はブチ切れて、ロシア語で「○○ったれ! 何言ってやがんだ! こんな状況で絵が見れるわけないだろ!」
美術館員、一瞬固まってました。
(キレているときはどうしてもロシア語になってしまいます)

歩きながら絵を見る展覧会って・・・見れるわけないだろ!
何考えてんだ?

「たくさんの人に絵を見てもらうため」
そんなことを言えば、聞こえはいい。
でも、それって正しいことなの?
私には「たくさんの人に絵を見てもらって、入場者を増やそう」→「利益が上がる」という感じにしか見えませんでした。

「たくさんの人が見られるように」
そんな表面的な平等、私は最高に嫌いです。
好きなように見ればいいじゃない!
確かに絵の前に人だかりができたら、絵が見にくい人が出てくるだろうし、同じ人が絵の前にずっと立っていたら、次の人たちは前の人がいなくなるまで待たないといけない。
でも、それって当たり前のことじゃないの?

自由に絵を見るのが展覧会。
ここまで散々「うんちく親父」や「図録おばさん」などをこき下ろしてきましたが、それでも好きなように絵を見ていいと思うんですよ(←個人的に私が嫌いなだけで)。
でも、今回のように勝手に規制するのは許せない。
見る側の自由を奪う権利は誰にもありません。

よっぽど主催者側に苦情を出そうと思ったのですが、ベロニカちゃんが「そんなことにエネルギーを使うのは時間の無駄」と私を説得してくれたので、何も言いませんでした。
どうせ「クレーマーの戯言」として片付けられるんだろうしね。

とにかく。
絵を邪魔するような余計な要素が多すぎる!
絵を見てもらいたいという心が全く感じられない展覧会。
ある種のテーマパーク、展覧会というよりはお祭りのような雰囲気。
音声ガイドがあったり、解説があったり、文化的な感じがしますが、私が感じ取ったのは商業的な匂いだけ。

もっと絵に集中できる環境を作ってくれたらいいのになあ。
絵以外のものに頼りすぎです。

あと、もう一つ気になったこと。
子供が多かったんですよ。
それはいいことなんですよ。
ただ、その子供たちが何か一生懸命メモを取りながら絵を見ているんです。
子供たちの話を聞いていると、展覧会の感想を書くのが夏休みの宿題なんだそうで。

子供たちを本物の絵画に触れさせるという意味なんでしょうね。
でも、どれほど効果があるのかなあ。
「きれいだった」とか、「色が鮮やかだった」とか。
そんな感想を子供たちが書いたとしたら、それは表面的な感想としか言えないですね。

もし、そんな子供たちの中に本当に心から感動して、絵画に興味を持ったり、絵を描きたくなったりする子供がいればいいですよ。
そういう子供が少しでもいれば、素晴らしいことでしょうね。

展覧会で絵を見ていた女の子が「この絵、よくわからないなあ」と言ったのを耳にしました。
こういう意見のほうがよっぽど素直ですよ。
私はそれでいいんだと思います。

ある絵を見ていた母と娘、「この絵、きれいだね」「うん、私もこういうの好き」
こういう会話、これでいいんですよ。
専門家じゃないんだから。
それを「印象派がどうこう・・・」なんて会話をするから、絵そのものが見えなくなってしまうんですよね。

今の日本人、薀蓄が多すぎやしませんかね?
知識が増えるのはいいことだけど、それで見えなくなってしまうもの、ありませんか?

イライラした状態のまま美術館をあとに。
今考えると、その場で主催者側に何かを伝えるべきだったと思います。
感想を書くノートがあったら、書けばよかったなあ。

でも、ゴーギャンは素晴らしかった!
やはり絵そのものが何よりも雄弁だったということです。

東京のように、日本にいながらにして世界中の絵画を鑑賞できるというのは幸せなことだと思います。
ベラルーシにはそういうのが足りないんです。
芸術的な刺激が。

でも。
東京にいた頃はいろいろな展覧会に行ってました。
それらの展覧会は「たくさんの展覧会の中の一つ」という位置づけになりやすかったんですよね。
でも、たまに日本に帰って見る展覧会は「たった一つの経験」。
一つ一つの経験が輝きます。
5年前に帰国したときに行った「マン・レイ展」。
今でも忘れられない強烈な印象が残っています。

今回の「ゴーギャン展」も一生の思い出になりました。
素晴らしい絵画との出会いは人生の宝物ですね。

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2009年06月29日

19世紀ギター・デビュー!19世紀ギター・デビュー!
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今日の音楽はギターです。
ギター、かなり好きです。
アグアドの「華麗なロンド」が好き。
でも、村治佳織の演奏になれちゃっているから・・・
あの若々しいエネルギーはすばらしいですよね。

今日もかなり疲れました。
大学は夏休みなのに、私は日曜日に6コマ。
授業は7月の中旬までで、その後は休みを取ることになっているので、それまでの我慢です。

それにしても、疲れたなあ。
よく一日の最後に、ベロニカちゃんとお互いに肩のマッサージをするのですが、今日は私の肩の状態はかなりひどかったようです。
まあ、一年間の疲れがたまっていますから。

さて。
今日は以前から書きたいと思っていた話を書きたいと思います。

ベラルーシの現代の美術についてです。
私はベラルーシでは数人の画家と交流があります。

P5281335実は一ヶ月ほど前、私の知り合いの画家が中心となっている画家グループの展覧会があったんですよ。
毎年行われているもので、その都度、テーマが違います。
今年の展覧会のタイトルは「私たち(мы)」。
これは環境、自然、人間関係などが含まれているのだそうですが・・・

正直に言えば、例年に比べればかなり低調でした。
はっきり言って、このグループの展覧会で見るに値するような絵を描く画家は二人だけ。
あとは、かなりひどいんです。

これは言葉では伝えにくいのですが、要は「狙いすぎ」。
全て「どうだ。俺の絵、新しいだろ」という狙ったような感じがかなりあるのです。
あー、そういうのすっごいむかつく!
全然、新しくないっちゅうねん!

簡単に言えば、「他の人がやっていないことをやれば目立つ」という感じが見え見え。
私の感想を言わせてもらえば、「そんなのずっと前に誰かがやってるんですけど」

厳しいことを言えば、レベルが低いです。
そこそこテクニックのある人が魂の全くない絵を描くのですから。

いつもだと気に入るはずの画家の絵も今年はいまいち。
私たちの知り合いの画家の絵は私は大好きなのですが、今年は「テーマに溺れた」という印象。

とにかく、ベラルーシでは現代の画家でいい人というのが、ほとんど見当たらないんですよ。
私の好みで言えば、一人、非常にいい抽象画家がいます。
彼の絵は見る人が見れば、結構評価するのではないかと思っています。
いつかその画家の絵を御紹介できればと思っています。

その展覧会から二週間後、私たちはまた知り合いに招待されて、展覧会に行きました。
その展覧会のテーマは「ベビーブーム」。
名前を聞いただけで、死ぬほどいやな予感がしますが、知り合いなので行くしかないという感じです。

基本的に若い人が中心の展覧会。

入口のそばにひときわ大きい写真がありました。
それは私たちの知り合いの写真。
いや、最初は写真だってわからなかったんですよ。
写真とはわからないほどに加工してあって。
Photoshopなどのプログラムを使っているんですね。
はっきり言って、ここまで胸に響くことがない写真と言うのも珍しいと言うか。

だって、写真って、「一瞬を切り取る」ことの勝負ですよね。
後からコンピューターで加工するなんて、瞬間も何もあったもんじゃないでしょ。
まあ、いろんな写真の撮り方があるんでしょうから、「一瞬」という言葉に執着はないですが。
いずれにせよ、現場で撮る写真とパソコンの前で作る写真との間には、かなりの開きがあります。

実は私のうちに来ているアニメグループの中にも写真を趣味にしている人が多いんですよ。
その中にはベラルーシ国立芸術アカデミーで勉強している女の子がいるんですが、その子が「先生、私の撮った写真を見てもらいたいです」と自分のサイトのアドレスを教えてくれたんです。
これが、もう原型がないほどに加工してあって。
「写真とは別物」として見れば、問題はないんでしょうけど。
彼女に「先生、どうでしたか?」と聞かれて、「うーん・・・」と言葉に詰まっていると、彼女は「わかりました・・・」とかなりがっかりしていました。
でも、あんな写真では評価のしようが・・・

展覧会の会場は写真撮影OKだったので、ここで御紹介してみます。

P6101504P6101505何かのオブジェ。
南アメリカのおみやげ物を連想させます。
特に私は感じるところがないのですが、ベロニカちゃんが写真を撮ったので。



P6101508この衣装はベラルーシの民族衣装なのですが。
「で、どうしたの?」









P6101513亀なんですかね。
足の赤い色が毒々しいです。
面白いですが、学生が「狙って」作ったという域を出ないものだと思います。







P6101514うーん・・・












P6101525ううーん・・・














P6101533うううーん・・・











いやあ、正直、まいりました。
知り合いに感想を求められるたびにコメントを考えるのが大変で。
私は専門家じゃないので何ともいえないのですが、一言言えるのは、私には、少なくとも私には伝わってくるものが少しもないんですよね。

ベラルーシの一番の問題は情報量の少なさだと思います。
日本みたいに、外国の有名美術館の絵が展示されるなんてことは滅多にないですから。
別に有名だからいいというわけではありませんが、いろんなものを目にする環境というのはいいものだと思います。

ベラルーシの人に聞くと「そんな絵は見たことがある」という感じの反応が多いんですよ。
でも、インターネットなどで見た、と言う程度。
やっぱり本物をみないと、その作品を理解するのは難しいですよね。
確かに、外国旅行に行くほどのお金がないと、全ての名作を自分の目で見ることは難しいですが、行けない人は行けない人なりの謙虚さというのが必要だと思うんですよね。

そういういながらにして、世界の名品が見られる環境にないというのも問題ですよね。
まあ、それも良し悪しだとは思いますが。
逆に言うと、日本にいながらにして世界中の名作に出会えるのはある意味いいことかもしれませんが、やっぱり、その絵が生まれた国に行って名作に出会ういいような気がします。

ベラルーシの若いアーティスト(←アーティストと呼ぶのもどうかと思うようなレベルの人が多いのですが)には求道者精神が全く欠けているという印象があります。
ベラルーシで、特に若い人なんかはまるですでに偉大な芸術家でもあるかのように振舞う人が多いんですよ。
誰かが何かを言っても、「そんなことは知っている」という感じ。
それが最高にむかつきます。
謙虚さがないんですね。

私は絵画じゃないですが、演劇の勉強をしている彼女がいたので、その辺のところはよく知っているんですよ。
絶対に自分の非を認めなかったですね。
そして、まだ半人前のくせに、さも全てを知っているかのように説明するという・・・
まあ、それは芸術家に限ったことじゃないですが・・・

かなり展覧会から話が外れました。
中には気に入ったものもあったんですよ。

P6101524例えば、これ。
漫画ちっくな感じが素敵。
まあ、面白い。
子供の落書きっぽいところが、逆に素敵です。









P6101527これはいい感じでしたね。
心の中にすっと入ってきました。
うちのベロニカちゃんもお気に入り。
ベロニカちゃんの夢の中のようです。





P6101538写真はいいものがなかったのですが、強いてあげればこれ。






とにかくPhotoshopが多かったんですよ。
写真そのままを見せるのではなく、加工した写真ばかり。
これを見ていて、私はあるテレビ番組のことを思い出しました。

それはルー大柴とちはるが司会をしていた、NHKの「ファイト!」という番組。
写真がテーマで荒木経惟さんがゲストだったんです。

ゲストがそういう人だから、ぶっ飛んだ写真がほめられるのかなあと思ったら、ほめられたのは割りと素直な写真。
そこで、一人の男子学生が写真などを切り張りしたコラージュを自信満々に疲労した瞬間、ゲストの顔が急変。
非常に強い口調で非難したのです。
「若いうちからこんなことをやっているようじゃダメだ」とこんなのは見る価値もないというほどの強い口調でした。
写真という芸術と正面から向き合っていない姿勢がすぐに見えたんでしょうね。

何でもそうですけど、その仕事にどっぷり浸かるくらいじゃないと、いい仕事は出来ないと思います。
小細工に逃げるようではダメだということですな。

しかし。
私たちが行った展覧会。
それは小細工のエレクトリカルパレード。
何にも心に伝わるものはありません。

これがベラルーシ芸術の一番大きな問題だと思います。
目先の目新しさにばかり気をとられ、いろんなものを見失っているような。

そして、「これがベラルーシ芸術だ!」というものがない。
でも、それを「問題」と名づけるのも、日本人の驕りなのかもしれませんが。
だって、それはベラルーシ人が悪いわけじゃないし。
ソビエト時代に画一化されたものから、いきなり「ベラルーシ人のアイデンティティー」なんて作れないでしょう。

ただ将来のアーティストには、表面的な技法に走るのではなく、もっと本質的なもの、横に広げていくのではなく、縦に深く入っていくような深みを見せてほしいなあと思います。

芸術についていろいろ書いてきましたが、これは私の個人的な意見です。
それは言い訳として書いているわけじゃなくて、自分の意見として堂々と言いたいと思います。
自分の意見を堂々と言うのって、日本では難しいんですかね?

長くなりました。

こういうことを書いているから、「厳しい人」だと思われるんですかね?
昨日、日本から来た留学生の男の子も「ブログを読んでいて、厳しい人だと思いました」って、言ってました。
そんなこと、ないですよ!
楽しい35歳ですよ!

明日も授業が多いなあ。
ゆっくり寝よう・・・

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2008年12月03日

今日はかなりお疲れ。
6コマだったのですが、朝大学で2コマやって、うちで3コマやって、それから夜19時半から出張授業。
こりゃあ、疲れるわけだ。

明日は待望の休み!
とは言っても、大学での打ち合わせ、知り合いとの食事(←寿司をご馳走になる予定!)など、バタバタします。
あと、両親が送ってくれた荷物を取りに行くので、夜は荷物の中のビデオを見ながらビール!
これ以上ないほどに嬉しい時間です。

さて。
今日は強烈に疲れているので、昨日の夜、うちのベロニカちゃんが描いたイラストをご覧に入れましょう。
これは今日の朝の一年生の授業で使ったもの。
これらの絵を見せながら「好きですか?」と聞き、「好きです」「好きじゃありません」というリアクションに対して、「どうしてですか?」と聞いていくという練習。
理由を説明する「〜から」という接続詞を練習するためでもありますね。

細いペンで描いているので見にくいかも知れませんが、ご勘弁を。


PC022337PC022338犬と猫。
説明不要ですね。
こういう感じのタッチの絵、ベロニカちゃんは得意なんですよ。
かわいいでしょ?

PC022332ジェットコースター。
お暇な方は画像を大きくして見てみてください。
乗っている人の表情がちょっと笑えます。
10人いた学生のうち、好きだといったのは二人だけ。
ちょっと意外。
ちなみに、私はジェットコースターなどの乗り物は一切ダメ。
私の人生もジェットコースターのようなものですから、もういいかな、って・・・

PC022317私が出したお題は「へヴィーメタル」だったんですが、絵は「コンサート」になってますね。
学生たちのほとんどは「大好きです!」
私は大きい音の音楽は苦手です。
別に嫌いとかそういうのじゃなくて、耳が疲れるし。
慣れていないだけなのかなあ。
私はクラシック音楽好きですから。

PC022319料理。
この絵に描かれているような大きい鍋が欲しいんですよ。
寸胴みたいな。
それを使って、デミグラスソースを作るのが夢です。
ラーメンのスープも作れるなあ。
ベラルーシでラーメン屋をするのもまた良し。

PC022328サッカー。
うちの一年生は何故か女の子でサッカーが大好きな子が数人いるんですよ。
ベラルーシではサッカー好きと言えば男の子が普通で、女の子はサッカーには関心ゼロというのが多いんです。

PC022330本当は「ダンス」というお題だったのですが、学生たちは「ディスコ」と捉えたようです。
これも全員が好きというわけではなく、好きな人は大好きだけど、無関心な人もいるという感じでした。
中には「ダンスが好きですが、ディスコはちょっと・・・」という学生も。

いかがでしたか?
ちょっと見にくいですね。
次はイラストじゃなくて、他の絵をご覧に入れます。

今、ベロニカちゃんは私が働いている通信教育の会社のポーランド語の教科書のイラストを描いています。
今度、お見せしますね。

ベロニカちゃんは絵を描くのが根っから好きなようで、昨日も私が「疲れているのにゴメンネ」と言ったら、むしろ絵を描くことでリラックスできるようで、すごく楽しそうに絵を描いていました。
また描いてもらおうっと・・・

akiravich at 06:01コメント(2)トラックバック(0) 

2008年11月22日

PB212222今日はベラルーシ国立美術館で行われている「日本工芸展」に行ってきました。
今日はその展覧会の感想を書きます。
浅い知識をフルに使って、自分の感じたことをそのまま書きたいと思います。
専門家の方から見れば笑っちゃうようなバカらしい内容でしょうが、そのときは笑ってください。

これは在ベラルーシ某国家機関と国○交○基○が行ったもの。
これに関して、ちょっと腹が立つことが。
私には何の連絡も来なかったんですよ。
学生から「美術館で日本の展覧会をやってますよ」と言われて、初めて知ったというわけで。
他の日本語教師や日本語を学ぶ学生は知っていて、私は一番最後に知ったというわけです。
バカにしてんのか、と思いますよ。
こんなのばっかり。
ここ数年は、その国家機関が主催する催しものに関しては、ほとんど連絡が来ないというのが慣例となっています。
他の教師に言付けして、それが私に伝わっていないというパターンもありますね。

これはブログに書いているからと言って、悪口・陰口には当たりません。
私は直接、その機関の人には言いましたから。
はっきりとそこは改善して欲しいと伝えました。
怒っているというのもありますが、「悲しい」という言葉のほうが適当かと思います。
日本人の教師は二人しかいないのに、片方にしか連絡しないっていうのは、悪意しか感じません。
それか、一人にしか連絡できないほど忙しいのでしょうか。
一人だったら連絡する時間もあるし手間もかからないけど、二人は多すぎるんでしょうね。

前置きが長くなりました。
一年生たちと見る約束をしていたのですが、美術館に着いてみると、一年生の日本語のグループだけでなく、中国語や韓国語のグループの学生たちも一緒で、かなりの大人数になりました。
総勢17人。

展覧会では最初は説明などをせず、学生たちには自由に見てもらいました。
一つ一つ、一緒に見ながらコメントしていくこともできましたが、そういうの、私は嫌いなんです。
まず、説明など余計な知識を入れずに、その作品と正面から向き合うことが必要だと思うからです。
その知識がその作品を理解する手助けになるとしてもです。
わからなければわからないでいいんです。
そもそも、理解しようとすることが間違いだと私は思います。

PB212223私の個人的な感想を言わせてもらえば、この展覧会はあまり気に入りませんでした。
現代的な陶芸が多かったのですが、派手なものが多く、明らかに「外国人向け」という感じのチョイス。
見た目にわかりやすい派手な色づかいや形など、それなりに考えている内容ではありますが、私の目から見れば「外国人にはわかるまい」という日本人の傲慢さが見え隠れするものに感じます。

私の意見では、いくら地味でも、それが「本当の芸術」であれば、どこの国の人であれ伝わるはずだと思うのです。
例えば、一見地味な茶碗。
その土味は大地を手にするぬくもり。
見ているうちに、味が出てくる美しさ。

派手なものはそのときは目に鮮やかに映りますが、心の中に共鳴を感じることは私にはできません。
今日見たような作品は立ち止まって心静かに見ることを拒否しているような感じがします。
非常にアグレッシブな作品が多く、いくつかの作品は私に嫌悪感を抱かせました。

私は萩焼とか備前、益子焼なんかが好き。
土味が出た、素朴な感じのものが好きです。
今日も備前のものがありました。
火襷(ひだすき)という藁の模様が出たものがありましたが、すごく狙って作った感じが強かったですね。
自然なものではなく、作為が勝りすぎている作品が多く、私は閉口。

狙った感じのが多かったですね。
元々が偶然の産物と言えるものを技法として使う、という感じでしょうか。
金継ぎも欠けてしまった茶碗を修理したら、違う景色が生まれて美しかったというもの。
美しく装飾するためにわざとそうすることもあるそうですが。
中にはわざと叩き割って、金継ぎすることがあるそうですが、それってどうなんですかね・・・
その金継ぎを大胆に使った皿がありましたが、それはデザインとしての面白さで、本質的な美しさとはずれている感じがしました。

今でこそ、陶芸では電気窯で温度調整をしたり、釉薬を工夫して金属を混ぜたりすることもあるようですね。
でも、陶芸って、元々は自然任せで、窯に入れたら、あとは窯出しまで何ができるかわからないところが面白さだと思うんですよね。
前もって計算して作れば、計算どおり、または計算に近いものができると思うんですけど、それじゃあ、面白くないですよ。
自然の登り窯や薪を使ってやるからこそ、人間の想像を超えた美しさが生まれていくのだと思います。
陶芸には自然と共にある日本人の生活の本質が表れているように思うのです!

偶然に生まれるものの美しさ。
そのことに思い当たったとき、私が思い出したのはジョン・ケージの「偶然性の音楽」。
この場合の「偶然性」というのは、手法として生まれたものであり、それは自然と寄り添い、自然に全てをゆだねるというものとは、かなり違うものだと思います。
ジョン・ケージの「偶然性」は1950年代に始まったもの。
それまでも「偶然性」という考え方は欧米の芸術にもあったようですが。
基本的に欧米の芸術というのは、計算され、表現しようとする意欲に基づいたもの。
それは日本の芸術が持つ性格とは本質的に違うものだと思います。
それぞれが違う性格を持っているというだけで、どちらが優れているかということではありません。

自然が引き起こす偶然の美しさ。
それは自然の力のいたずらと言ってもいいのでしょう。
そういう日本の芸術の素晴らしさを学生たちには知って欲しいのですが、今日のような展覧会では知ることはまず無理でしょう。
学生たちはみんな「とても面白い」と言っていましたが、あれが日本の芸術だと思われるのは困ります。
今日見た作品は「日本の芸術」というより、「日本的な現代芸術」というほうが正しいでしょう。

この展覧会を見ていない方にとっては、何のことやらわからない内容の投稿になってしまいました。
私は陶芸とか、かなり好きなんですよ。
見るだけですけどね。
本当は自分でもやってみたいんです。
もっと日本の陶芸について知りたくなりましたよ!
そういう意味では、意義のある展覧会だったのではないでしょうか・・・

最後に私が持っている茶碗を写真で御紹介したいと思います。

PB212230これはおととし、ベロニカちゃんと日本へ帰ったときに、知り合いの陶芸家の方に頂いた夫婦茶碗です。
私が生まれた町、村山市の楯岡焼です。
その陶芸家の方は私の中学生の先輩のお父さん。
その先輩とは吹奏楽部で一緒にサックスを吹いていました。
楯岡焼、地元だからとか、知り合いだからとかじゃなくて、私はすごく好みです。
次に帰るときは、また茶碗を買おうと密かに思っています。

PB212226これもおととし、日本へ帰ったときに買ったもの。
山形では有名なお茶メーカー「丹野園」の工場の二階にある、お茶道具のお店で買ったんです。
前から、普段使いの茶碗が欲しいと思ってたんです。
この萩焼の茶碗には一目ぼれ。
これしかないと思いました。
もったいなくて使っていないんですよね。
それじゃあ、意味がないので、これからは使いたいと思います。

PB212229これが一番思い出深い茶碗です。
約8年半前、日本からウズベキスタンに旅立つ直前、知り合いにお茶の先生を紹介してもらって、2回ほどお茶を習ったんです。
その先生が「外国に行って、お茶を広めてきてください」と言って、くださったもの。
あれはうれしかったなあ。
お茶を点てるの、私は気に入りましたよ。
先生からは「あなたの手の動きは非常に女性的で美しいです」とほめられました。
本当はお茶を習いたいんですよ。
来年、日本へ帰ったら、一度でもいいから先生のところへ行きたいです。

と、まあこんな感じでしょうか。
この3点の茶碗、来週の火曜日、大学へ持っていくつもりです。
今日見たような「芸術作品」とは違うと思いますが、手にとって見ることには大きい意義があると思うんですよ。

ちなみに、私は若いとき、柳宗悦の「民藝紀行」を愛読していました。
なので、「用の美」という言葉には感じるものがあります。
今日見たいなのは、それそのものは美しいかもしれませんが、花を生けたり、料理を盛ったりするという性格のものではありません。
私の好みとは対極にあるような作品ばかりでした。
人それぞれと言われたら、返す言葉もないですが。
まあ、「人それぞれ」っていう言葉、私は大嫌いなので、言葉を返すつもりもないですが・・・
(「人それぞれ」なのは当たり前で、それを口に出すことは月並みすぎて嫌です。この言葉、他の人の意見を否定するために使われますよね。「人それぞれ」違っているのを乗り越えることでこそ、何かが生まれるのでは、と私は信じています)

また、とりとめのない内容になってしまいました。
とにかく、いろいろ考えさせられた一日でした。
明日も6コマ。
がんばろう・・・

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2008年07月20日

1d6f393c.JPGうちの奥さんが帰ってきました!
やっぱり、ベロニカちゃんがいないと変な感じです。
ケンカもするけど、仲がいいということなのでしょう。
ベロニカちゃんも久しぶりに親戚と会って楽しかったようです。

さて、今日はベラルーシ国立美術館についてです。
昨日の夕方、ベロニカちゃんと二人で行ってきました。
実は今まで私はちょっと敬遠していたんですよね。
というのも、いい展覧会に当たったことがなかったんですよ。

私が初めて訪れたのが8年前。
ベラルーシに来たばかりの頃でした。
ちょうどそのとき、シャガール展をやっていてかなり期待していったんですよ。
だって、シャガールはベラルーシ出身の画家ですから(知ってました?)。
美術館所蔵の絵がたくさんあるんだろうな、と思っていたのです。

でも、そこにあったのはリトグラフが少しと、デッサンばかり。
しかも、他の国の美術館から借りてきたものばかりで、かなり拍子抜け。
シャガールの作品はほとんどベラルーシには残っていないのです。
ただ出身地のヴィテプスクにはオリジナルの作品があります(このことはまた改めて書きます)。

シャガールでがっかりした後は、常設展示室へ。
そこにある絵もたいしたものはなく、もう一度がっかり。
しかも、大規模な改装工事中で展示室も小さく、見るところなし。
これでも、国立美術館なのか・・・と思ったのです。

その後、何度か訪れる機会はありましたが、たいして深い印象は残りませんでした。
数年前、通訳の仕事で訪れたときは、改修工事が終わっていて、かなり立派な新館にさまざまな展示物があり、そこそこ楽しめましたが。

そして、今回はベロニカちゃんからの提案でプライベートで行くことに。
ベロニカちゃんが「グルジアの大好きな画家がいるんだけど、国立美術館でグルジアの画家の展覧会をやっているらしくて、たぶんその私が好きな画家だと思うんだけど」という、いつものように彼女らしいアバウトな情報。
まあ、とりあえず行ってみることに。

私たちが着いたのが18時10分。
入場券を売っている窓口に行くと、そこには「一階の展示室と二階の展示室は別料金です」という張り紙が。
迷わず「どちらも見る」と言うと、「19時に閉館だから、間に合わないわよ。二階は展示物が多いし」とのお言葉。
なので、一階部分だけを見ることに。

最初にピカソの陶芸展。
ピカソの陶芸?と最初は思ったのですが、とりあえず見てみることに。
そこに書いてあった説明を見ると、ピカソ自身が作ったのではなく、ピカソが図柄を描き、彼の指揮の下に作られた量産品であるとのこと。
まあ、そこそこ面白かったかな。

それから、ベロニカちゃんお目当て(とは言っても、本当にその大好きな画家なのかはまだ知らなかったのですが)の画家のコーナーへ。
そこにあったのは日本でも有名なニコ・ピロスマニの絵。
ベロニカちゃんは「これ! これ、私の大好きな絵!」と、一枚の絵を指差して大喜び。
正直、私が好きなタイプの絵を書く画家ではないのですが、結構楽しめました。
非常にプリミティブなスタイルですが、味わい深い絵だと思います。

絵を見ていると、学芸員らしいおばちゃんが近づいてきて「あと二つ部屋があるから、そっちも見ていってね」
隣の部屋はゴブラン織の作品とガラスの作品。
作者はリトアニア、ロシア、ベラルーシの人。
正直、興味なし。

次の展示室がかなりおもしろかったんですよ。
ベラルーシのНиколай Бущик (ニコライ・ブシチク)という画家の作品。
彼が60歳になった記念の展覧会。
正直、ベラルーシの画家は私の目から見てそんなにレベルが高くないと思っていたのですが、彼の絵はかなり好み。
「色を通して見る生活」というタイトルの展覧会。
暖色系の色を使った絵が多く、色そのものではなく、それを通して浮かび上がってくるものが非常に鮮やかに描かれた、全くもって鮮やかな作品群。
これはお勧め!
でも、展覧会は8月10日まで・・・
会期中にもう一度行くぞ!

いやあ、面白かった!
全く期待していなかったので、これはかなりびっくり。
これで、ベラルーシでの楽しみが増えました。
正直、ベラルーシでまともな展覧会を見たことがなかったのです。
ベラルーシは東京みたいに世界中の美術館から大量の絵が運ばれてきて、外国へ行かなくても名作が見られるような環境ではありません。
近いうちにもう一度行って、常設展示も見てきたいと思います。

ここまで読んできた方はおわかりかと思いますが、私は絵を見るのが大好き。
東京に住んでいた頃は、しょっちゅう美術館に行っていました。
ベラルーシに住んでいて、苦しかったんですよね。
「芸術が足りない!」と口癖のように言っていました。
でも、これからはその「芸術不足」も解消されるのではないかと期待しています。

今、ギターを聴いています。
ジョン・ウイリアムスの演奏で「ラテンアメリカギター音楽集」。
バリオスの「大聖堂」という曲が大好きです。
クラシックギターが好きな人なら必ず知っている名曲です。
私も子供の頃、ギターを習っていたことがあるんですよ。
全くうまくなりませんでしたが。
今でもギターを聴くのは好きです。
ギターを弾いている人を見ると尊敬してしまいます。
いいよなあ・・・

東京にいた頃のことを思い出してきた!
芸術に生きていた頃のことを!
もっといい展覧会がたくさん開かれますように・・・

ベラルーシ国立美術館
住所:ミンスク、ул. Ленина 20 (レーニン通り20番)
開館時間:11時〜19時(入館は18時30分まで)
定休日:火曜日
料金:大人4740ルーブル(約230円)、外国人15840ルーブル(約770円)
常設展示:12世紀〜20世紀のベラルーシ美術コレクション、16世紀〜20世紀前半の外国美術、18世紀〜20世紀前半のロシア美術、15世紀〜20世紀の東洋美術

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2008年05月02日

427e90e9.JPGやっぱりというか、予想通り、暖かい天気は続かず、ちょっと寒くなりました。
ジャンパーなしでは肌寒い感じでした。

今日はメーデー!
メーデーと言えば、労働組合がやるお祭りというイメージですが、ベラルーシではすっかり普通のお祭りになっています。
一応、労働者のため、ということにはなっていますが。
労使交渉をがんばろう!などと言うことはありません。

ちなみにベラルーシでは労働組合はありますが、日本の労働組合とはだいぶ意味合いが違っているように思います。
労使交渉がどうのこうの、という話は聞いたことがありません。

僕は2年ほど前、仙台の労働組合の方がいらしたときに通訳をしているので、こちらの労働組合の人には知り合いが多いんです。
今日は、うちの近くにある国立図書館の前でいろんな催し物が。
地下鉄の駅でミンスク市労働組合連合のヴラジーミルさんにばったり会いました。
彼とは通訳の仕事をしたときから、とても仲良くしています。
今日はミンスク市内のいろんな場所でメーデーを催し物があり、彼は国立図書館前の様子を見に来たのだそうです。

そして、僕達は知り合いのうちへ遊びに。
その知り合いとは、劇作家のエレーナ・ポポワさんとその御主人で画家のグリゴリー・ネステロフさんです。
実は3年ほど前、ポポワさんの戯曲を日本語に翻訳したことがあるのです。
そのときは、ミンスクにあるゴーリキー記念ロシアドラマ劇場の芸術監督だったボリス・ルツェンコさんと日本へ行って、ベラルーシ演劇を紹介するという企画があって、その中でベラルーシの戯曲をリーディング形式で上演することになったのです。
そこで、ヤンカ・クパーラ劇場の方に誰の戯曲を翻訳すればいいかどうか相談したところ、ポポワさんを紹介してもらったのです。
数日後、彼女をうちを訪ねて、翻訳の許可をもらいました。
劇作家の方と会うのは初めてだったので、すごく緊張したのを覚えています。
でも、彼女はとても話しやすい人で、例えば、翻訳で困ったことがあって彼女にちょっと意訳になっちゃうけど大丈夫かと相談したところ「もう好きなように訳していいわよ」との答えが。
普通、作家の人って、自分の書いた作品の扱われ方にはこだわるもんだと思っていたら、彼女は全然、気にしないタイプで。
そのときから、時折、お宅にお邪魔して、いろいろ仲良くしてるのです。

今日もいつものようにポポワさんの手料理を御馳走になりました。
彼女の料理はオリジナリティーがあります。
今日は丸鶏のお腹の中にクレープと干しあんずを詰めて、オーブンで焼いたものがメインでした。

彼女のうちに行くと、いつも芸術談義に花が咲きます。
演劇人の動向から、哲学的な話まで。
特に御主人の芸術論は非常に抽象的で難しいのですが、内容が深くて面白いです。
今度、彼の書いた作品を御紹介しますね。
僕は結構好きです。

非常に芸術的な刺激に満ちた時間でした。
今日は久しぶりの完全オフ。
ゆっくり休みます・・・

akiravich at 02:56コメント(0)トラックバック(0) 

2008年04月21日

6bb3855c.JPG今日は授業は三つ。
いつもより少ないのですが、超おつかれ。
学生のうちの一人が全く話しにならないほど、日本語がダメで。
今までいろんな人に教えてきたけど、大体ある程度のところまではいけるんですよ。
でも、その学生だけはどんな方法を使っても、歯が立ちません。
うーん・・・悩む34歳・・・

夜はコンサートへ。
ポーランドの「Karbido」というグループで、楽器を使わずにテーブルを使って音楽を作るのです。
まあ、それは普通のテーブルではなく、いろいろ仕掛けがしてあるのですが。
4人の男がテーブルを叩いたり、表面をこすったり、ナイフ(かな?)を刺したり、ヴァイオリンの弓でこすったり、まあ、いろんなことをやってました。
ジャンル分けは難しいし、意味はないと思うのですが、ハードロックっぽいのあり、ヒーリングのような静かなのありで、飽きさせませんでした。

こうゆう新しいタイプの音楽って、ベラルーシでは聞けないですよ。
とにかく、現代芸術に関しては、かなり立ち遅れていると思います。
だって、新しいものが入ってこないから、現代アートを目にする機会も耳にする機会もない。
だから、そうゆう芸術も育たない、というわけ。

例えば、絵の展覧会なんかに行くとわかるんですけど、よく「新しいスタイルの芸術だ!」なんてふれこみでやってるのは、大体はずれもはずれ、大はずれです。
全部、どこかで見たことのあるようなものばかり。
「とっくの昔に他の国の画家が描いてるよ、そんなの!」と言いたくなるようなものばかりで、うんざりします。
そうゆう画家に限って「どうだ。俺の、新しいだろ〜(ねっとりと言う)」と、えらそうな顔してるんですよね。
抽象なのか、具象なのか中途半端な絵が多いのも気に食わない原因の一つ。
抽象やるんだったら、半端やらんで、とことん追求せんかい! 抽象の仕事で泣いたことあるんかい! と言いたくなります。

でも、情報がないんですから。
別に情報統制されているからというわけではないんですよ。
日本の田舎だって、いろんな芸術を生で感じる機会は少ないですよね。
そんな感じなんです。

昔、あるベラルーシ人学生が「シュトックハウゼンはすごいよ」などと言っていたので、「聞いたことあるの?」と質問すると、「いや、聞いたことはないんですけど」
まあ、彼を責めることはできませんね。
だって、CDもないし、テレビでもやらないし、コンサートでもやるはずがないし。
そのときは、僕がジョン・ケージやオリヴィエ・メシアンなどについて話をすると、彼は僕を尊敬の眼差しで見ていました。
まあ、僕もそんなに詳しいわけではないんですけど。
(マニアックな話しになってしまいました。すみません)

そう言えば、書くの忘れていましたが、僕、音楽の勉強していたんですよ。
あまりにも昔で時々、忘れそうになりますけどね。

とにかく、今日のコンサートはよかった!
そのジャンル自体は新しいものではないんですよね。
楽器以外のものを使って、音の可能性を追求していくのは、昔からいろんな作曲家や演奏家が行っていることです。
ある新聞の批評では「このジャンルの中で最先端を行く」と書いてありましたが、まさにその通り。

今日のコンサートの最後にちょっとしたトラブルが。
最後の曲の最中にステージ上の照明のランプが一つ割れて、ステージに落下してきたのです。
幸いなことに、演奏者から一メートルほどのところだったので、彼らは何事もなかったかのように演奏を続けましたが、これが彼らに当たっていたらと思うとゾッとします。

会場は労働組合会館。
前も日本人のグループが来たときに楽器が税関でストップされてコンサートに間に合わなかったりしました。
僕がお手伝いした日本人のコンサートでは、照明と音響の係員がリハーサル中に大声でおしゃべりして、日本人の方たちに非常に嫌な思いをさせてしまったこともあります。
外国人演奏家にとっては、この会場、鬼門なのでしょうか・・・

明日はまた6コマ×一時間半の授業、プラス劇の練習、という恐ろしい日。
今日は早く寝よう・・・


akiravich at 03:37コメント(0)トラックバック(0) 
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