観光

2010年04月23日

おはようございます。
はぐれミーシャです。

寒いです。
ここしばらくは暖かかったのですが、昨日あたりからまた冷え込んできました。
せっかく春の陽気だったのに。
そういえば、誰かが言ってたのですが、昨日はみぞれが降っていたそうです。

最近、学生から「ミンスクから東京への直行便が出来たそうですよ」と聞きました。
でも、経由地なしはないだろうと思い聞いてみると、経由地はアラブ首長国連邦のアブダビ。

そこで、インターネットで本当にその便があるのかどうか、調べてみました。
ベラルーシのサイトでその便について書いてあるニュースを見つけました。
そこには「3月から乗り換えなしで東京に行く便が出来る」と書いてありました。

これまで、日本へ行くために使われていた主な経由地は3つ。
ウィーン、モスクワ、フランクフルト。
いずれも一度飛行機を降りて、違う飛行機に乗り換えなければなりません。
アブダビ経由で乗り換えなしで行けるようになれば、こんなに便利なことはないのです!!!

航空会社は「エティハド航空」。
アラブ首長国連邦のアブダビに本拠地を置く航空会社です。

そこで一番気になるのは値段。
で、調べてみました。
エティハド航空 公式サイト

ここに書いたフライトスケジュールやチケットの値段はエティハド航空の公式サイトにあったものです。
全ての情報はミンスク時間、2010年4月23日朝6時半現在のものです。

ミンスクから東京までのフライトがあるのは土曜日のみ。
東京からミンスクまでは月曜日のみです。
夏休みの一ヶ月間、日本に滞在すると想定してみました。

ミンスク→成田
EY62 土 10 7 3
14:05 Minsk 2 International
20:30 Abu Dhabi International

EY878 土 10 7 3
22:25 Abu Dhabi International
13:25 +1 Narita
合計時間 17:20


成田→ミンスク
EY871 月 10 8 2
22:10 Narita 04:50 +1 Abu Dhabi International

EY61 火 10 8 2
08:30 Abu Dhabi International 13:15 Minsk 2 International
合計時間21:05

EUR 812.80


812ユーロかあ。
先週調べたときは712ユーロだったのに。
712ユーロだったら、かなり安い感じ。
812ユーロでもベラルーシのレートで換算すると、約1088ドルだから、そんなに高くはないなあ。

今はオフシーズンで、アエロフロートはかなり安いですが、夏はすごく高くなるんです。
なので、夏の間だけ帰るなら、アブダビ経由が一番安いかもしれません。

東京からミンスクへの往復の場合はどうなるのかもやってみました。
一番近い日付の便で日本へ約3週間の滞在という想定で調べました。

成田→ミンスク
EY871 月 10 4 26
22:10 Narita 04:50 +1 Abu Dhabi International

EY61 火 10 4 27
08:30 Abu Dhabi International 13:15 Minsk 2 International
合計時間21:05


ミンスク→成田
EY62 土 10 5 15
14:05 Minsk 2 International 20:30 Abu Dhabi International

EY878 土 10 5 15
22:25 Abu Dhabi International 13:25 +1 Narita
合計時間17:20

JPY 138,750.00

これは安いんですかね?
他の会社と比較できないので何とも言えないのですが、私の感覚ではそれほど高くないような気がします。
ただ、今は格安航空券とかいろいろありますから・・・

でも、乗り換えなしっていうのは魅力だなあ。
どの経由地も飛行機は乗り換えないといけないし、モスクワなんかは空港も違う空港になるんですよ。

ちょっと具体例を書きますね。
私は10年ベラルーシに住んでいますが、一時帰国したのは5回。

2002年の一回目はウィーン経由。
当時はウィーンでの待ち時間が行きも帰りも20時間近くと異常に長かったんです。
お金が底をついていて、やっとこさチケットを買ったような状態だったので、ホテルに泊まるお金もなく、空港のベンチで寝ました。
そのときはチケットの値段は約1300ドルだったと思います。

2005年、二回目の一時帰国はモスクワ経由。
アエロフロートだったのですが、モスクワ経由の場合、一つ大きい問題があります。
それは空港の移動。
モスクワ−ミンスク間は国内線と同じ扱いのため、到着する空港がシェレメチェボ第一空港なのですが、日本への便はシェレメチェボ第二空港から出発するのです。

二つの空港の間の移動は約10〜15分程度のもの。
アエロフロートを利用する人のために無料のバスがあるのですが、これがなかなか見つけるのが難しくて。
ロシア語が分からないと、結構厳しいと思います。

預け荷物を一度出して、それを自分で他の空港へ持っていかなければならないのも大変。
値段的には他の航空会社より安いことも多いのですが、あの移動のことを考えるとあまり利用したいとは思いません。
モスクワ経由はシーズンによってだいぶ値段が違います。

2005年の夏は、もう一度日本へ帰りました。
そのときはフランクフルト経由のルフトハンザ。
行きも帰りもフランクフルトで一泊しなければなりません。
値段も他の会社に比べて一番高かったです(←日本へ招待されて行ったので、値段は分かりません)。

ホテルは空港からタクシーで20分ほどでした。
私はドイツ語は全く分からないので、結構苦労しました。

2007年はウィーン経由。
ウィーンでの待ち時間は7〜8時間だったので、割と楽でした。
20時間も待つよりは遥かに楽です。

2009年はモスクワ経由。
値段が一番安かったからというのが理由ですが、空港の移動をしているとき、ちょっと高いお金を出してでも、ウィーン経由にすべきだったと反省しました。

就航したアブダビ経由は乗り換えもないし、値段も高くないし。
今まで私がミンスクで購入した日本への往復チケットと比べたら、かなり安いです。

アラブ系の航空会社はサービスがいいと聞くのですが、どうなんですかね?
実際にアブダビ経由でミンスクにいらっしゃる人がいたら、ぜひ感想を聞いてみたいです!

これを契機にベラルーシと日本の距離が縮まるといいですね。
それはアクセスのことだけではなく、ビジネスや文化交流やいろんな面での「距離の近さ」。
観光で来られる方も増えるといいのですが。

ここに書いたことは個人的な感想もかなり含まれていますし、トランジットの時間やチケットの値段に関しては古い情報もありますので、正確な情報に関しては御自身でお調べになったほうがいいかと思います。

それにしても。
日本へ帰りたいなあ。
せめて夏の間だけでも。
でも、今年はお金もないし、いろいろ事情があって帰れないんですよね。
いつか気軽に日本へ帰れるようになれるといいんだけど・・・

まあ、今は目の前にあることをコツコツとやっていくしかないです。
今日も少なめで5コマ授業。
頑張るぞ!

akiravich at 12:35コメント(8)トラックバック(0) 

2008年12月21日

率直に聞きます。
ベラルーシはどうですか?
ベラルーシに住んでいる人、住んでいた人、来たことがある人、皆さん、どう思いますか?
好きになった人、嫌いになった人、いろんな人がいていいと思うんですよ。

でも、私は好きになる人が多いといいなあと思うんですね。
旅行会社を通しての観光ツアー。
私も何度か通訳したことがあります(←団体のツアーは一年に一回あればいいほう)。
でも、それじゃ、見えないベラルーシがあるんです。
ベラルーシの本当のところを知ってもらいたいというのがあります。
観光会社が用意した、用意された観光ルートでは見れないベラルーシというのがあるんです。

すみません。
正直に言いますが、私はちょっと酔っています。
でも、書きたいんです!

ベラルーシはいい国だ! と。
酔っているから書きたいんじゃないですよ。
本当にそう思うから書きたいんです。

今日はアニメグループでパーティーをしました。
今回は私も料理をするエネルギーがなかったので、学生たちに「料理を作ってきてください」とお願いしたのでした。
そしたら、かなりの量になって。
マルガリータちゃんはキノコのサラダを。
15歳のダニエラちゃんは野菜サラダとレモンケーキを。
女の子たちは手作りです。
他の男どもはビールやジュースを買ってきたのでした。

今日のパーティーは特別でした。
何か普通じゃない感じでした。
普通とかどうとか、そうじゃなくて。
とにかく、いいパーティーでした。

いつもだと、私は台所に立って、みんなの前に現れないのですが、今日は珍しくずっと座っていました。
それは私にとっては発見でした。
こんなに感受性豊かな、楽しい学生たちなのかな。
もう1年半も知り合いですけど、意外と知らないこともあったりして。
こんなに楽しい飲み会は久しぶりです。

PC202464料理はみんなで持ち寄りました。
私のうちでは私が日本料理を作ることが多いので、パーティーの最中はみんなの前に現れないことが多いんですよ。
でも、今日はずっと座ってました。
ベラルーシに8年住んでますけど、こんなこと、初めてです。
普段は居間と台所を行ったり来たり。
まともに座っていることはありませんから。

PC212467こんな学生を教えられて、私は幸せだなあと思います。
みんないい学生ですよ。
15歳でマンガを勉強しようとしているダニエラちゃん。
ガンダムが大好きで、日本へ行ってガンダムを作ろうと思っているオレグ君。
哲学を勉強していて、日本の哲学に興味がある超インテリ、サーシャ君(←インテリのくせにかなり面白いことをいう学生)。
英語とドイツ語が堪能で、数学者になろうと思っているマルガリータちゃん。
マルガリータちゃんの彼氏で、日本語はいまいちだけど、お酒と料理を愛する愛すべき奴、ヴァシーリー君。
生化学者で、超アニメおたく、厳しい顔をしていながら実は優しい「忍者」、ジェーニャ君。
いろいろバラエティーがあるメンバーでした。
私は彼らが大好きです!
今日のパーティーでもっと好きになりました。

また飲みましょうね!

もう一度聞きます。
ベラルーシにいらっしゃったことがある方。
ベラルーシが気に入りましたか?
私は日本からいらした方々には、ベラルーシの「本質」とも言うべきところを見ていただきたいと考えています。
本当に。
本当に。

明日は8時半から授業だけど、がんばりますよ。
だって、日本ではこんなこと経験できないんですよ。
「日本では=死ぬまで」かもしれないんですよ。
経験とか、そういうことじゃなくて、私は彼らが大好きです!

akiravich at 08:16コメント(6)トラックバック(0) 

2008年08月17日

今日は8月13日(水)に訪れたブレスト要塞(Брестская крепость)についてレポートしたいと思います。

この要塞は1836年に工事が始まり、1842年に完成したものです。
戦略的な要所としてロシア帝国によって建てられました。
1914〜1918年の第一次世界大戦のときは西部前線の供給基地として使用されましたが、その後占領されてしまいました。
大戦後、要塞の敷地内にある「白い宮殿(Белый дворец)」でブレスト=リトフスク条約が結ばれたことでも、この要塞は歴史に残っています。

ブレスト要塞を語るとき、最も重要な出来事は第二次世界大戦での激闘です。
ちなみにベラルーシでは世界全体での戦争である第二次世界大戦と区別して、ソビエトとドイツの戦争を「大祖国戦争(Великая Отечественная Война)」と呼んでいます。

1941年6月22日早朝、ドイツ軍が国境を超え、ブレスト要塞への攻撃を開始しました。
ブレスト要塞はソビエト連邦の国境に位置していたため、ソ連領内でドイツ軍の攻撃を受けた場所になりました。
この攻撃によって大祖国戦争の火ぶたが切られたのです。
そもそも、当時のドイツとソ連は独ソ不可侵条約を結んでいたため、ドイツの奇襲攻撃はソ連にとって寝耳に水。
(ヒトラーがソ連攻撃を計画していたことは、ソ連のスパイによってスターリンに伝えられていましたが、スターリンは信じようとはしなかったという説があります)
なので、ブレスト要塞は戦闘の準備は特にしておらず、兵士の数も限られていました。

当初、ドイツ軍はブレスト要塞を8時間以内に陥落させる計画で、朝の9時までには要塞を完全に包囲してしまいました。
ブレスト要塞の中にいた人の中で、そのときまでに脱出できたのは全体の半分だけ。
中に残った3500〜4000人の人々はドイツ軍を相手に戦うことになりました。
外部とは完全に遮断された状態で、戦いに必要な銃弾などはおろか、水や食糧、医薬品なども要塞には入ってきませんでした。
にもかかわらず、彼らは約一ヶ月に渡り要塞を守り続けたのです。
建物の壁に銃剣で刻まれた有名な言葉。
「私は死んでいくが、降参はしない。さらば、祖国よ。1941年7月20日」

戦後、ブレスト要塞には「英雄」の称号が与えられました(「英雄」という称号は人に対してだけではなく、町などに対しても与えられます)。
1971年9月25日には、ブレスト要塞の敷地内に「メモリアルコンプレックス『ブレスト要塞』」がオープンしました。
ソビエト時代から現在に至るまで、国の内外から多くの観光客が訪れる場所であり、戦争関係の記念日には国の要人などが訪れたりする重要な場所にもなっています。

前置きが長かったですね。
ここからは私たちが行ったときのレポートです。

ブレスト要塞はブレストの町の中にあります。
なので、町の中心からは歩いても行けますが、タクシーやバスで行くことをお勧めします。
私たちは居候先の家から一本でいけるマルシュルートカ(乗り合いタクシー)があったので、それで行きました。

P7310699
今回、私たちは北門から中に入ったのですが、皆さんのために正門の写真を載せます。
この星はソビエトのシンボルですよね。
これがまた、ものすごく大きいんです。
初めて見たときは圧倒されました。
この門に近づくと、繰り返し流れる放送が聞こえてきます。
時計の針が動く音が戦争が近づく音を表し、その後、爆撃の音。
そして、戦争開始を告げる当時のラジオ放送がそのまま流れます。
その当時に流れていたものですから、心に迫るものがあり、私は聞くたびに鳥肌が立ちます。
それから、ソビエトの軍歌が流れます。

P7310722
中に入ると見えてくるのは、巨大な男性の顔の像。
遠くからでも見えるこの像の名前は「勇気」または「勇敢さ」(мужество)です。
ソビエトの人々の勇敢さや不屈の闘志を表しています。

その像の前には永遠の火が24時間、絶えることなく燃え続けています。
メモリアルプレートにはブレスト要塞で亡くなった962人の名前が書かれており、彼らと共に270人の無名戦士が葬られています。

P7310703
「勇気」の像の横に見えるのは、銃剣を表したモニュメントです。
高さは約100メートル。
チタンを使って、丈夫に作られているそうですが、私たちが行ったときは補修工事をしていました。

P7310713
敷地内には当時の兵舎の後などが残されています。
写真はホルムスク門という門です。
壁にはおびただしい銃弾の跡があり、非常に生々しい歴史を語ってくれます。

P8131874
「ブレスト要塞博物館」には当時の遺品や写真などが数多く展示されています。
当時の様子を知るためには欠かせない資料を目にして、いかに恐ろしい闘いだったか深く理解することができます。

P8131884
ちなみに、敷地内には「べレスチエ考古学博物館」と「美術館」があります。
私たちは「べレスチエ考古学博物館」に行ってみました。
「べレスチエ」はブレストの昔の名前です。
ブレスト要塞のそばで発掘された遺跡を取り囲むように建物が建てられています。
13世紀ごろの町がそのまま発掘されており、それほどいい状態で残っているものはなかなかないのだそうです(ドイツにも13世紀ごろのものがあるそうですが、規模が小さく、状態もそんなによくないのだとか)。
実はブレスト要塞の敷地内やそのそばにはもっとたくさんの遺跡が眠っているらしいのですが、発掘が禁止されているのだそうです。
ブレスト要塞を掘り返すわけにはいきませんからねえ。

P8131902
敷地内には当時の戦車や武器なども展示されています。
軍事マニアにはたまらないのではないでしょうか。

私がブレスト要塞を訪れたのは今回で6、7回目になります。
正直、何回行ったか覚えていないくらいです。
7年前に初めて訪れたときから、行く度に深く感じるものがあります。
日本人の皆さんにもぜひ訪れていただきたい場所です。

P8161652
最後におまけ。
ブレスト要塞博物館の売店で買ったお土産です。
ソビエトの軍人の人形で、木で作られています。
私はとても気に入っているのですが、うちのベロニカちゃんは「この女の軍人は顔がいけてない」と言って、非常に気に入らない様子。
かわいいと思うんだけどなあ・・・

akiravich at 03:57コメント(0)トラックバック(0) 

2008年07月20日

1d6f393c.JPGうちの奥さんが帰ってきました!
やっぱり、ベロニカちゃんがいないと変な感じです。
ケンカもするけど、仲がいいということなのでしょう。
ベロニカちゃんも久しぶりに親戚と会って楽しかったようです。

さて、今日はベラルーシ国立美術館についてです。
昨日の夕方、ベロニカちゃんと二人で行ってきました。
実は今まで私はちょっと敬遠していたんですよね。
というのも、いい展覧会に当たったことがなかったんですよ。

私が初めて訪れたのが8年前。
ベラルーシに来たばかりの頃でした。
ちょうどそのとき、シャガール展をやっていてかなり期待していったんですよ。
だって、シャガールはベラルーシ出身の画家ですから(知ってました?)。
美術館所蔵の絵がたくさんあるんだろうな、と思っていたのです。

でも、そこにあったのはリトグラフが少しと、デッサンばかり。
しかも、他の国の美術館から借りてきたものばかりで、かなり拍子抜け。
シャガールの作品はほとんどベラルーシには残っていないのです。
ただ出身地のヴィテプスクにはオリジナルの作品があります(このことはまた改めて書きます)。

シャガールでがっかりした後は、常設展示室へ。
そこにある絵もたいしたものはなく、もう一度がっかり。
しかも、大規模な改装工事中で展示室も小さく、見るところなし。
これでも、国立美術館なのか・・・と思ったのです。

その後、何度か訪れる機会はありましたが、たいして深い印象は残りませんでした。
数年前、通訳の仕事で訪れたときは、改修工事が終わっていて、かなり立派な新館にさまざまな展示物があり、そこそこ楽しめましたが。

そして、今回はベロニカちゃんからの提案でプライベートで行くことに。
ベロニカちゃんが「グルジアの大好きな画家がいるんだけど、国立美術館でグルジアの画家の展覧会をやっているらしくて、たぶんその私が好きな画家だと思うんだけど」という、いつものように彼女らしいアバウトな情報。
まあ、とりあえず行ってみることに。

私たちが着いたのが18時10分。
入場券を売っている窓口に行くと、そこには「一階の展示室と二階の展示室は別料金です」という張り紙が。
迷わず「どちらも見る」と言うと、「19時に閉館だから、間に合わないわよ。二階は展示物が多いし」とのお言葉。
なので、一階部分だけを見ることに。

最初にピカソの陶芸展。
ピカソの陶芸?と最初は思ったのですが、とりあえず見てみることに。
そこに書いてあった説明を見ると、ピカソ自身が作ったのではなく、ピカソが図柄を描き、彼の指揮の下に作られた量産品であるとのこと。
まあ、そこそこ面白かったかな。

それから、ベロニカちゃんお目当て(とは言っても、本当にその大好きな画家なのかはまだ知らなかったのですが)の画家のコーナーへ。
そこにあったのは日本でも有名なニコ・ピロスマニの絵。
ベロニカちゃんは「これ! これ、私の大好きな絵!」と、一枚の絵を指差して大喜び。
正直、私が好きなタイプの絵を書く画家ではないのですが、結構楽しめました。
非常にプリミティブなスタイルですが、味わい深い絵だと思います。

絵を見ていると、学芸員らしいおばちゃんが近づいてきて「あと二つ部屋があるから、そっちも見ていってね」
隣の部屋はゴブラン織の作品とガラスの作品。
作者はリトアニア、ロシア、ベラルーシの人。
正直、興味なし。

次の展示室がかなりおもしろかったんですよ。
ベラルーシのНиколай Бущик (ニコライ・ブシチク)という画家の作品。
彼が60歳になった記念の展覧会。
正直、ベラルーシの画家は私の目から見てそんなにレベルが高くないと思っていたのですが、彼の絵はかなり好み。
「色を通して見る生活」というタイトルの展覧会。
暖色系の色を使った絵が多く、色そのものではなく、それを通して浮かび上がってくるものが非常に鮮やかに描かれた、全くもって鮮やかな作品群。
これはお勧め!
でも、展覧会は8月10日まで・・・
会期中にもう一度行くぞ!

いやあ、面白かった!
全く期待していなかったので、これはかなりびっくり。
これで、ベラルーシでの楽しみが増えました。
正直、ベラルーシでまともな展覧会を見たことがなかったのです。
ベラルーシは東京みたいに世界中の美術館から大量の絵が運ばれてきて、外国へ行かなくても名作が見られるような環境ではありません。
近いうちにもう一度行って、常設展示も見てきたいと思います。

ここまで読んできた方はおわかりかと思いますが、私は絵を見るのが大好き。
東京に住んでいた頃は、しょっちゅう美術館に行っていました。
ベラルーシに住んでいて、苦しかったんですよね。
「芸術が足りない!」と口癖のように言っていました。
でも、これからはその「芸術不足」も解消されるのではないかと期待しています。

今、ギターを聴いています。
ジョン・ウイリアムスの演奏で「ラテンアメリカギター音楽集」。
バリオスの「大聖堂」という曲が大好きです。
クラシックギターが好きな人なら必ず知っている名曲です。
私も子供の頃、ギターを習っていたことがあるんですよ。
全くうまくなりませんでしたが。
今でもギターを聴くのは好きです。
ギターを弾いている人を見ると尊敬してしまいます。
いいよなあ・・・

東京にいた頃のことを思い出してきた!
芸術に生きていた頃のことを!
もっといい展覧会がたくさん開かれますように・・・

ベラルーシ国立美術館
住所:ミンスク、ул. Ленина 20 (レーニン通り20番)
開館時間:11時〜19時(入館は18時30分まで)
定休日:火曜日
料金:大人4740ルーブル(約230円)、外国人15840ルーブル(約770円)
常設展示:12世紀〜20世紀のベラルーシ美術コレクション、16世紀〜20世紀前半の外国美術、18世紀〜20世紀前半のロシア美術、15世紀〜20世紀の東洋美術

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2008年07月19日

今日は一人の夜です。
奥さんに逃げられたわけではなくて、今日は奥さんだけ実家に泊まっているんです。
というのも、明日の早朝、ベロニカちゃんはお母さんと一緒に親戚のお墓参りに行くんですね。
それがかなりの田舎のようで、たどり着くのが大変なところのようです。

一人の夜は何か変です。
さびしいので、一人でワインを飲みながら、自分で作った料理を食べてます。
独身時代を思い出すなあ・・・
東京に住んでいたころはこんな感じだったから・・・

今日はノヴォポロツクについて書きました。
昨日の投稿でも書いたのですが、実は去年の夏にもノヴォポロツクに行ってるんですよ。
私の学生のベロニカさん(うちの奥さんと同じ名前。ややこしいので、学生は『ベロニカさん』、うちの奥さんは『ベロニカちゃん』と呼んでます)がノヴォポロツクの出身で、去年の7月にうちの奥さんと二人で彼女のうちに泊めてもらったんです。
図々しいと思うでしょ?
ベラルーシではいい知り合いがいたら、その人のうちに泊まったりするのはごく普通のこと。
知り合いなのに、ホテルになんか泊まったら、逆に怒られたりします。
日本人だと、「気を使わせちゃいけないから・・・」なんて言って、ホテルを取ったりするのが美徳なのかもしれませんが、こちらで強硬にそんなことを主張すると「お前は本当に俺の友達なのか?」などと言われたりして、逆に関係に亀裂を入れることになりかねません(そんな経験、あります)。
なので、もしベラルーシ人に「うちに泊まってもいいよ」と言われたら、素直に泊まりましょう。
基本的にベラルーシ人はお客好きです。

そして、ベロニカさんのうちに行ったのですが、みんなとてもおとなしくて。
ベロニカさんもおとなしいんですよ。
ほとんどしゃべらないくらい。
ちょっと予想はしてたんですが、本当に誰もしゃべらないんですよね。
食卓に座って、ベロニカさんと両親、弟、そして私たち二人。
ワインとかアルコールが入っているのに、みんな会話しないし。
ほとんど私がしゃべってました。
みんな相槌をうつのみ。

でも、後から聞いたら、みんな緊張していたんですって。
他の学生のうちに行ったときもそうだったんですけど、何か「ものすごい偉い人扱い」なんですよ。
だって、ベラルーシ国立大学は(ベラルーシでは)超ステータスの高い大学だし、日本人だし。

静かな町でしたが、結構楽しかったですね。
というのは、二日目の夜にベロニカさんの知り合いの家族のうちに行って、みんなでお酒を飲んだりしたんですよ。
そこの若い夫婦がおしゃべり好きで。
すごく楽しい時間をすごしました。

ベラルーシの旅行って、こんな感じです。
観光地とかは少ないから、観光目当ての人には退屈な国かもしれません。
でも、人と出会うチャンスがあったら、もう最高。
一緒にお酒を飲んだり、おいしいものを食べたりする時間は何物にもかえがたいものです。

人とのふれあいこそ、ベラルーシ旅行の醍醐味と言いたい。
旅行会社を通して、決まったプランで動く人とかだと、ベラルーシ人と交流する機会はないですよね。
もともとベラルーシ人は人をもてなすのが大好きなので、損得勘定抜きで付き合ってくれる人が多いです(もちろん、そうじゃない人もいますが・・・)。
私もこのベラルーシでいろんな人に出会いました。
一つ一つの出会いがかけがえのないものです。

ベラルーシに来てくださる人にもいろんな経験をしてもらいたいですね。
日本人の一人旅の方がいらしたとき、私の学生の両親に頼んで、その学生のうちで簡単なパーティーを開いてもらったことがあります。
その方にとっては忘れられない思い出になったようで。
旅行会社の方は「余計なことをするな」というニュアンスのことを言われました(日本の旅行会社、ベラルーシの旅行会社双方から)。
でも、せっかくベラルーシに来て、面白くもなんともない観光地を見せるよりは、ベラルーシ人と触れ合ったほうがいいと思ったんですよね。
だって、普通、この国に旅行に来る人は「最初で最後」と思って来る人が多いですからね。
また来てもらえるように、あるいは一生の思い出になるように、と思って努力するのは、旅行会社の人にはお気に召さなかったようです。

でも、これからも同じスタイルでやっちゃうもんね。
ベラルーシ、いい国ですよ!
アピールしていきますよ。
本当に私はこの国が好きなんです!

今、ブログを書きながら、日本から送ってもらったビデオを見ているんですが、「いまどきごはん」という番組で、福岡県の「うなぎのせいろ蒸し」というのを紹介していて。
殺す気ですか! 食べたいよ!!!!! 苦しい! 胸が苦しい!
このたれご飯のたれ加減がすごすぎ。
ご飯の中にもうなぎを隠し、上からもうなぎ。
うなぎ祭りですね。
いや、これはたれ祭りか。
悔しいから、俺もベラルーシで何か祭りをやるぞ!
例えば、ジャガイモ祭り! ボルシチ祭り!
日本の皆さん、どうですか!
うらやましいでしょ!?
悲しい・・・

あまりにもおいしそうなうなぎの映像・・・
これは何かの罰なのでしょうか?
私が何をしたと言うのでしょうか?
私はこれ以上、体に悪い映像を知りません。
おいしそう・・・食べたい・・・
あ〜! うなぎうなぎうなぎうなぎうなぎうなぎ・・・

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2008年07月16日

deb8e3ab.JPGこの写真は昔のミンスク市役所を復元したものです。
ロシア語で言うとратуша(ラトゥシャ)。
ミンスクの中心、10月広場から歩いて3分ぐらいのところ、自由広場というところに建っています。

復元工事が開始されたのは2002年の9月13日。
ミンスク市のイニシアチブで建てられました。
それまで、その自由広場はただの公園のようなところでした。
数年前までは蚤の市のようなお土産マーケットがあり、観光客などがよく訪れるスポットでした。

もともとのラトゥシャが建てられたのは16世紀前半のこと。
その当時は木造でした。
考古学者たちはその建物の一部などが残っていないか発掘調査をしましたが、何も発見できませんでした。
しかし、今現在ラトゥシャが建っている場所に建っていたことは明らかになっています。

木造の市庁舎が石造りのものになったのは1582年のこと。
1640年に火災に見舞われた後、より美しく立て直されました。
1654年から1667年にかけて繰り広げられたモスクワ公国との戦争でもこの建物は生き延びました。
その当時のミンスクはリトアニア大公国の領地であり、その戦争でリトアニア大公国の住民の半分が犠牲になったと言われています。
モスクワの皇帝アレクセイ・ミハイロヴィッチ・ロマノフは全ての住民を皆殺しにし、全ての建物を破壊するように自らの軍隊に命じたのですが、このラトゥシャだけは手をつけなかったのです。
モスクワ軍の司令官ヤコブレフはミンスクから皇帝に対して行った報告で、ラトゥシャは非常に優雅で荘厳な石造りの建物であると述べています。

1744年には老朽化が激しかったラトゥシャを市民からの寄付によって建て直しました。
しかし、リトアニア大公国がロシアに併合されると、ラトゥシャの建物はその機能を失い、他の目的に使われるようになりました。
裁判所に始まり、営倉、警察署、古文書、音楽学校、しまいには劇場としても利用されていたのです。

そして、1857年、ラトゥシャの建物はニコライ一世の命令によって取り壊されました。
ラトゥシャはかつてマグデブルグ憲章によって自治権を与えられていたころのことを思い起こさせるものであったため、当時の支配者にとっては目障りな建物だったのでしょう。

2004年に復元されたラトゥシャの復元工事は驚異的なスピードで行われました。
2002年の9月にミンスク市当局の代表者が起工式を行い、2004年の初めにはすでに復元工事は完了していました。
ガラス張りの屋根の下にある展示には、19世紀初頭のミンスクの中心部を再現した模型が飾られています。
ラトゥシャの地下部分には玉石の舗道や煉瓦の積み重なった跡などが展示されています。

ここまではいろんなサイトから集めたオフィシャルな情報でした。

私の知っている限り、この建物は一般には公開されていません。
外側から覗くのみです。
私はこの建物の中に入ったことがありますが、中はきれいなことはきれいですが、歴史の香りがするというものではありません。

自由広場のところにガラスの屋根が張り出しています。
パリのルーブル美術館のガラスのピラミッドを超ミニチュアサイズにしたようなものを想像していただければわかるかと思います。
そのガラス屋根から中を覗くと、そこは会議室、兼展示室のようになっています。
時折、市の大事な行事などが行われているようで、大○領も訪れているのをテレビで見たことがあります。

これからもベラルーシの観光名所などのレポートを書いていきたいと思います。

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2008年03月28日

b00ee1a7.JPG長崎の鐘の写真です。
教会の敷地の端のほうに、ひっそりと立っています。
見落としそうなくらいです。
よく小学校や中学校の子どもが見学に来て、先生達が広島・長崎の話をしているところを見ます。

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05beb379.jpg今日は朝からバタバタ。
うちの大学の偉い人のところへ行って、日本のある大学との交換留学について話し合い。
緊張しましたが、その人、とても優しかったので安心しました。

うちの大学の本部があるのは、「独立広場」という所。
写真を撮ってみました。
今日は一つ観光スポットを御紹介します。
ベラルーシの観光地を紹介することは、このブログの目的の一つでもあります。
でも、特にミンスク市内はほとんど見るものないんですよね。
時々、通訳の仕事をするとき「午前中 ミンスク観光」などとスケジュールに入っていることがあるのですが、車でなんかまわったら1時間半ほどで観光、終わっちゃいますよ。

ミンスクの中心にあるのが独立広場。
昔は「レーニン広場」と言ったんです。
数年前、地下鉄の駅の名前だけ独立広場からレーニン広場にもどされちゃって。
「独立広場にあるレーニン広場駅」というよくわからない状況になってます。

写真の「聖シモン・エレーナ教会」は通称、「赤い教会」と呼ばれているところです。
ポーランド系のカトリック教会です。
ミンスクのシンボル的な存在です。

建てられたのは1905年から1910年。
ベラルーシの大地主だったエドヴァルド・ヴォイニロヴィッチという人が建てたんですが、ここには悲しい物語があるのです。
シモン(ベラルーシ語。ロシア語だと「シメオン」だそうです)とエレーナというのは彼の子ども達の名前。
シモンは12歳のときに病気で亡くなり、その6年後、エレーナは18歳で亡くなっています。
彼らの記憶を永遠のものとするために、ヴォイニロヴィッチは全財産をなげうって、この教会を作ったのです。
ソビエト時代にはいろんな宗教的な建物が破壊されましたが、この教会は奇跡的に生き残ったものです。

この教会では主にポーランド語で礼拝が行われています。
当然、僕には全くわかりません。
時々、ベラルーシ語でもするそうですが、いずれにしても、僕にはわかりません。

ここの一番偉い人、ザヴァリニュックさんは、僕、知り合いなんですよ。
というのは、この教会の敷地内にある「長崎の鐘」を造ったときに、僕、通訳してたんです。
まあ、メインの通訳じゃなくてサブですけど。
その後も、この「鐘」がらみで一回仕事をしました。
ザヴァリニュックさん、ロシア語できないんですよ。
もともとリトアニアの人で、話す言葉はリトアニア語とポーランド語のミックス。
そこに少しベラルーシ語が混ざる感じ。
「すみませんが、ロシア語でお願いします」と言うと、がんばってロシア語話そうとしてくれるんですが、まるで意味なし。
でも、すごくいい人なんで、僕は大好きです。
ベラルーシでもかなりの有力者だということは後で知ったんですけどね。

その仕事のとき、何度か、教会の敷地内にある彼の住居でごはんを御馳走になりました。
すっごいおいしかったんですよね。
あんなおいしい食事を食べられるなんて、いいなあ。
教会というともっと質素なイメージがあったんですけど、全然そんなことなくて。

長崎の鐘が造られたのは2000年の秋。
チェルノブイリの関係で、この国では日本へシンパシーを感じている人が多いんですよ。
これは長崎のカトリック教会からのプレゼントなのだそうです。
とは言っても、日本からこんな巨大な鐘を持ってくることはできませんから、複製品をベラルーシの南にあるゴメリという町で作ったのです。
メモリアルプレートがあるのですが、ベラルーシ語でしか書かれていないため、僕はわかりません。
日本語は「浦上天主堂」と書かれているだけです。
日曜日の礼拝のとき、正午に鐘を鳴らすのだそうですが、僕は聞いたことがありません。
長崎の鐘の写真も別に投稿します。

なんか、今日はまじめな話でした。
昨日のが変な話だったんで。
怒りのコメントとか来るかなあ、と思ってたんですけど、来なかったんで、また似たようなテーマで書こうかと思います。

akiravich at 05:30コメント(0)トラックバック(0) 

2008年03月05日

17995133.JPG今日は大学ですごく嫌なことがあって、ちょっと落ち込んでます。
ロシア語で「みんなに気にいられることはできない」っていうことわざがあるんですが、その通りだと思います。
ここには詳しく書けませんが、人生には理不尽なことが多いですね。

さて、今日はベラルーシの誇り、ベラルーシ国立図書館をご紹介しましょう。
日本のサイトでも写真を載せているところがありますね。
この巨大な図書館、図書館には見えませんね。
高さがなんと、73メートル67センチもあるのですから!
尋常な大きさではありません。
これには度肝を抜かれます。
見ての通り、ダイヤモンドの形を模して作られました。

僕は代表団の通訳として、この図書館に入ったことがあるのですが、中もすごいです。
学者用の閲覧室、学生用の閲覧室など、さまざまな閲覧室があり、ギャラリーや大会議室などの文化施設も備えています。
その仕事のときは、普段は入れない屋上にまで上がりました。
ミンスクを一望できる絶景です。

この図書館、うちの近くなんですよ。
歩いて3分ぐらい。
ミンスクの東地区にあり、ミンスクの国際空港からミンスク市内に来ると、その途中で必ず目に飛び込んできます。
夜はライトアップがされていて、かなり派手です。
一度、見る価値はありますよ!

akiravich at 07:29コメント(2)トラックバック(0) 
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