2010年02月12日

こんばんは。
はぐれミーシャです。

今、ミンスク時間、午前0時43分です。
まだ仕事をしています。
翻訳です。
死ぬほど量が多いので、まともにやっていたら期限まで間に合わないんです。

本当はこのブログに書きたいこと、いっぱいあるんですよ。
でも、今はおあずけ。
何かさびしいなあ。

Ken Hirai 10th Anniversary Complete Single Collection '95-'05 歌バカ (通常盤)Ken Hirai 10th Anniversary Complete Single Collection '95-'05 歌バカ (通常盤)
アーティスト:平井堅
販売元:DefSTAR RECORDS
発売日:2005-11-23
おすすめ度:4.5
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今、平井堅のCDを聴きながら仕事をしていました。
平井堅の「楽園」。
この曲を聴くと、一気にタシケントへと戻ってしまう。
あの頃はこの曲ばっかり聴いていたなあ。
そして、泣いてばっかりいたなあ。

次の曲は「Why」。
「答えはどこ?」というフレーズがタシケントで独りぼっちになってしまった僕の心に突き刺さり、僕は答えを探しているうちにベラルーシに来てしまったんですね。

っていうか、こんなことをしている場合ではない!
翻訳をしないと・・・

あ、他にもやることが。
月曜日に日本人の人たちがミンスクに来るんです。
その人たちを歓迎する催しがあるので、うちの学生たちがそこで歌を歌ったり詩を読んだりするんですよ。

歌は日本の歌。
詩は最初は広島の原爆詩にしようと思ったのですが、ちょっと内容が重いので、今回の催しには合わないということで。
そこで私が考えたのが、ベラルーシの代表的な詩を日本語に訳して朗読するというもの。
でも、学生は訳せないので、私が訳すことに。
っていうか、自分で自分の首を絞めているような・・・

詩の翻訳って難しいんですよ。
今日、学生に詩の内容を説明してもらったんですが、比喩が日本語の感覚とは違うので、直訳すると意味不明になってしまうんです。
うーん、困った・・・

まあ、今日はこのまま翻訳作業を続けます。
いつになったら静かな生活が出来るのでしょうか・・・

akiravich at 07:56コメント(7)トラックバック(0) 

2008年09月17日

15bc900d.JPG今日の写真はマトリョーシカです。
ただのマトリョーシカじゃありませんよ。
マトリョーシカというとロシアのものだと思う人がいるかもしれませんが、これはベラルーシ製なんです!
ポーランドとの国境の町ブレストで作られたもの。
ある日本人の方の話しではなかなか出来がいいとのこと(こんなんですけど、いかがですか?←業務連絡)。
結構、かわいい顔をしていますよね。

ブレストと言えば、明日ブレストに行くんですよ。
今、ブレストでは「べーラヤ・ヴェージャ演劇祭」というものをやっていて、そこに日本人のパントマイムの人が出演するのです。
たまたまインターネットでそのことを知って、連絡してみたんですよ。
ベラルーシで演劇やコンサートをするのは、実は非常に大変なんです。
というのも、日本みたいにしっかりしていないですから、会場の準備が遅れたり、頼んでいた小道具が全然なかったりで、トラブルばっかり(今、PCの前でうなづいている人、いるはずです)。
開演30分前に公演中止に追い込まれそうになったこともあります。
なんで、何かお手伝いできないかなあと思ったのです。

でも、今回は組織委員会がしっかりしているようで、日本人の方たちも満足している様子。
やはり、国や文化省が関わっていると違いますね。
明日は大学の授業はないので、ゆっくり観劇してこようと思っています。
ベラルーシに住んでいると、そういう文化的な刺激がないんですよ。
もちろん、レベルの高い演劇やバレエなどいろいろあるんですよ。
でも、前衛的なものや現代的なものはほとんどなし。
一回だけ、舞踏の影響を受けまくったような前衛舞踏を見たことがあります。
なかなか面白かったですが、それも年に一回あればいい、というほど回数が少ないですから。
どんなものが見られるか、すごく楽しみ!

楽しんでくる、とは言っても、日程的にはかなりの強行軍。
出発は朝の4時56分。
9時7分にはブレスト到着です。
というのも、明日の公演が12時からなんですよ。
他にいいタイミングの電車がないんです。
それで、公演を見て、日本人の方とお話しする時間があればいいのですが。
夜は17時ぐらいの電車か、夜行電車かまだ決めていません。
なかなか大変ですが、こういうの私嫌いじゃないです。
むしろワクワクしちゃいます。
でも、34歳でワクワクしすぎると心臓に悪いので、ほどほどにしておきます。

今日は朝の8時半から大学の1年生の授業。
一週間ぶりの授業で、どうなっているのかちょっと心配でしたが、ひらがなはみんなきちんと覚えていました。

この前も書きましたが、私がここで仕事をしていて非常に困ることが一つ。
それは現地人教師と説明や教授法がずれてしまうことなんです。
今日は学生にノートを見せてもらったのですが、難しい文法のオンパレード。
一回目、二回目の授業なのに、教科書で言うと第5課、第20課、第50課などの内容が入ってしまっているんです。
その内容が全て正しかったとしても、頭がグチャグチャになりますよね。
私がロシア語を学ぶ学生だったとして、ロシア語の格変化、表を渡されて「全部暗記しろ」と言われたら、混乱すると思います。

ちょっと笑っちゃったのが、「お」とか「ご」が頭についている言葉の説明。
例えば、「さけ」→「おさけ」とか、「せつめい」→「ごせつめい」というやつです。
でも、学生のノートに書いてあったのは「ねこ」→「おねこ」。
本当は笑っちゃいけないんでしょうけど、笑いが止まらなくなっちゃって。
「おねこ」は言わないでしょ。
だって、それって杉の木を見て「おすぎ」と言うようなものですよ。

それにしても、今日は楽しい授業でした。
ちょっと脱線が過ぎた感じもありましたが、みんな笑顔で授業を終えることができました。
まあ、授業を脱線させるのは私自身なんですけどね。
何の話をしたか全く覚えていませんが、とにかく楽しかったです!

確か、テレビで伊東四郎さんが「僕は記憶に残りたくない。劇が終わって『あんなバカがいるんだね』とか言って笑ってるんだけど、何の話だったか思い出せない。でも、それでいいと思うし、それが理想だ」みたいなことを言ってました。
笑いってそんなものなのかもしれません。
楽しかったという印象だけが強く残る授業。
いいなあ。

休み時間に私が日本語からロシア語に翻訳した現代詩を見せたのですが、みんな喜んでくれて。
ある女の子は「メールアドレス、教えますから、送ってもらえませんか?」とまで言ってくれました。

ちなみに、私は現代詩が大好き。
好きな詩人は高野喜久雄、黒田三郎、北村太郎、谷川俊太郎、吉原幸子など。
ベラルーシの人、短歌や俳句は知っているんですよ。
ロシア語でも翻訳がありますし。
でも、短歌や俳句は他の言語にするのは難しいんじゃないかなと思います。
ロシア語で読んでみましたが、いろんなものが抜け落ちている印象でした。
ならば、現代詩のほうが翻訳には合うんじゃないかなあと思います。

今はミンスク時間で18時18分。
今日は19時からアニメグループの授業。
横になって、エネルギーを温存します・・・

akiravich at 00:21コメント(2)トラックバック(0) 

2008年03月26日

b1f7cbb8.JPG今日は雪です。
完全に冬に逆戻りした感じ。
湿った大粒の雪がずっと降り続いていました。
うちの田舎の天気に似てるなあ。

今日は4年生の授業。
学生が作ってきた例文をチェックして、教科書の語彙を勉強。
「もむ」という動詞があったんですが、ロシア語の訳文を言わないで、ジェスチャーでそれをやって見せると、みんな大爆笑。
自分では「肩をもんだ」つもりだったのですが、学生たちは「先生、今日は何かいやらしいです」(しかも日本語で!)と言われてしまいました。
そんなに怪しい手つきだったのでしょうか・・・

そして、二コマ連続の授業の最後に日本の現代詩を読んでみました。
谷川俊太郎の「生きる」
知っている方も多いかと思います。
「生きているということ いま生きているということ」から始まる詩です。
生きていることの諸相を簡明な言葉で描き出した名作だと思います。

「泣けるということ 笑えるということ 怒れるということ 自由ということ」
それは生きているからこそできること、悲しいこともうれしいことも、全て「生きる」ことに他ならないのだということ。

ここに全部掲載するの、まずいですよね、許可とか取らないと。
ぜひ読んでみることをお勧めします。

実は今の4年生が1年生だったとき、この詩を僕が翻訳したものを読ませたことがあるんですよ。
でも、ロシア語にすると全然違うものになってしまうんです。
たくさんの砂をすくおうとして、指の間から砂が滑り落ちていく感覚に似ています。
日本語ですばらしい詩もロシア語にするとまったくダメだったりして、ロシア語に合う詩を見つけるのはなかなか難しいのです。

詩を読んでいて、うちの学生、ベロニカちゃん(うちの奥さんと同じ名前です)の様子がおかしい。
「皆さん、泣かないでね」と冗談で言ったつもりだったのに、ベロニカちゃん、号泣。
それほど、心に迫るものがあったのでしょう。
「気に入りましたか?」と聞くと、みんなうなづき、ベロニカちゃんは泣きながら何度もうなづいていました。

こんな瞬間があるから、日本語教師をやっていられるし、やっていたいし。
こんな瞬間には、学生達を心から愛しいと思います。

実はこの詩には忘れられない思い出があります。
4年ほど前、僕のところに知り合いの17歳の女の子から電話が来ました。
「今も病院とかに行って、折り紙やってるの?」「うん、やってるけど」「じゃあ、私のクラスメイトが入院してるんだけど、行ってあげてくれない?」
その子が入院している病院はミンスク郊外にある「小児がんセンター」
その女の子の名前はナースチャ。
ガンが肺やいろいろな臓器に転移してしまっていて、残された命はわずかでした。
実は僕はその病院には何度か行って折り紙をやっていたのですが、2年ほど御無沙汰していたのです。
というのは、最後にそこを訪れたとき、うちへ帰ってからひどくうつになり、その病院へ行くのが怖くなってしまったのです。

でも、僕は勇気を出して、2年ぶりに行くことにしました。
彼女の病室に入ると、彼女は笑顔で迎えてくれました。
抗がん剤の副作用で、髪は一本もありませんでしたが、笑顔が素敵な女の子でした。
話はただの世間話。
「ベラルーシでの生活はどう? 日本と違うでしょ?」「正直、すごく大変かな」「そう、がんばってね」
って、僕のほうが慰められたりして。
みんなに優しくて、みんなが彼女から逆に元気をもらっていたと、彼女の家族は言っていました。

ナースチャはその2ヵ月後に亡くなりました。
17歳。

こんなときに「かわいそうだ」などと言うのは、適切ではないし、失礼だと思いました。
そもそも、「かわいそう」という言葉の中には、何か不遜なものが隠れているような気がしてなりません。
むしろ、彼女はみんなの愛に支えられて、幸せだったのではないでしょうか。
彼女のことはみんな忘れたりはしないでしょう。
僕も一生忘れません。

ちょうど、その頃、この「生きる」という詩を読んでいたのです。
彼女がなくなった翌日の土曜日、僕は大学で授業があったのですが、同僚に頼んで、授業を代わってもらいました。
しかし、寮の部屋に一人でいるとき、「これではダメだ」と思い、僕は大学へと向かいました。

二コマ目の授業中に、僕が教室に入ったとき、みんな元気に「こんにちは」と言いましたが、一人の女子学生だけは驚いた表情をしていました。
それは、彼女だけは僕がおかれていた状況を知っていたからです。
「先生、どうしてこんなに辛いときに授業に出てきたんですか?」と彼女の目は語っていました。
辛いときだからこそ、やらなければならないことがある、のです。

そして、授業の内容を変更して、この「生きる」をみんなで読んだのです。
あのとき、僕が読んだ「生きる」は本当に心からの「生きる」だったと、学生たちは言ってくれました。
あんな風に読むことはもう二度とできないでしょう。
でも、この詩を読むときはいつもナースチャのことを思い出します。

せっかくなので、明日の2年生の授業でも、みんなで読んでみたいと思います。

akiravich at 07:23コメント(0)トラックバック(0) 
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