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私、NHKは見ない主義。当然番組は見てないのですが、NHKがまたぞろこんなものブチ上げていると聞き、Webをさらってみたとさ。
今回は、左の「アベガー」は聞くものの、右からの批判はあまり聞かない。これからか?
▼昭和天皇「拝謁記」――戦争への悔恨――
繰り返し語る後悔の言葉
強くこだわった「反省」
削除された戦争への悔恨
専門家「戦後も戦前・戦中を生きていたのではないか」
NHKは初代宮内庁長官が、5年近くにわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した「拝謁記」を入手しました。その記述から、昭和天皇が、戦争への後悔を繰り返し語り、終戦から7年後の日本の独立回復を祝う式典で、国民に深い悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望したものの、当時の吉田茂総理大臣の反対でその一節が削られていたことがわかりました。分析にあたった専門家は「昭和天皇は生涯、公の場で戦争の悔恨や反省を明確に語ったことはなく、これほど深い後悔の思いを語ろうとしていたのは驚きだ」と話しています。
「拝謁記」を記していたのは、民間出身の初代宮内庁長官だった田島道治(たじま・みちじ)で、戦後つくられた日本国憲法のもとで昭和23年から5年半にわたり、宮内庁やその前身の宮内府のトップを務めました。
田島長官は、このうち長官就任の翌年から5年近く、昭和天皇との具体的なやり取りやそのときの様子などを手帳やノート合わせて18冊に詳細に書き留めていて、NHKは遺族から提供を受けて近現代史の複数の専門家と分析しました。
その記述から昭和天皇が田島長官を相手に敗戦に至った道のりを何度も振り返り、軍が勝手に動いていた様を「下剋上」と表現して、「考へれば下剋上を早く根絶しなかったからだ」、「軍部の勢は誰でも止め得られなかつた」、「東条内閣の時ハ既ニ病が進んで最早(もはや)どうすることも出来ぬといふ事になつてた」などと後悔の言葉を繰り返し語っていたことがわかりました。
さらに、昭和天皇はサンフランシスコ平和条約発効後の昭和27年5月3日、日本の独立回復を祝う式典で、おことばを述べますが、この中で、戦争への深い悔恨と、二度と繰り返さないための反省の気持ちを国民の前で表明したいと、強く希望していたことがわかりました。
「拝謁記」には1年余りにおよぶ検討の過程が克明に記されていて、昭和天皇は、(昭和27年1月11日)「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と田島長官に語り、(昭和27年2月20日)「反省といふのは私ニも沢山あるといへばある」と認めて、「軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだといふ意味も今度のいふ事の内ニうまく書いて欲しい」などと述べ、反省の言葉に強くこだわり続けました。
当時の日本は、復興が進む中で、昭和天皇の退位問題もくすぶっていました。
田島長官から意見を求められた吉田総理大臣が「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」、「今日(こんにち)は最早(もはや)戦争とか敗戦とかいふ事はいつて頂きたくない気がする」などと反対し、昭和天皇が戦争への悔恨を込めた一節がすべて削除されたことがわかりました。
昭和天皇は田島長官に繰り返し不満を述べますが、最後は憲法で定められた「象徴」として総理大臣の意見に従いました。
吉田総理大臣が削除を求めた一節は、「国民の康福(こうふく)を増進し、国交の親善を図ることは、もと我が国の国是であり、又摂政以来終始変わらざる念願であったにも拘(かか)わらず、勢の赴くところ、兵を列国と交へて敗れ、人命を失ひ、国土を縮め、遂にかつて無き不安と困苦とを招くに至ったことは、遺憾の極みであり、国史の成跡(せいせき)に顧みて、悔恨悲痛、寝食(しんしょく)為(ため)に、安からぬものがあります」という部分です。このうち、「勢の赴くところ」以下は、昭和天皇が国民に伝えたいと強く望んだ戦争への深い悔恨を表した部分でした。
「拝謁記」の分析に当たった日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「昭和天皇は生涯、公の場で戦争の悔恨や反省を明確に語ったことはなく、これほど深い後悔の思いを語ろうとしていたのは驚きだ」と指摘したうえで、「戦争への後悔や反省の記述が多く、昭和天皇は戦後も戦前・戦中を生きていたのではないか。戦争の問題にけりをつけたかったが、その後も苦渋の思いを引きずることになった。『拝謁記』は昭和の戦争を忘れてはいけないと語りかけている」と話しています。
え。何でこれ、右は放置なん?
相変わらずのNHKだよ?少なくとも、この一段落めは。
「拝謁記」は5段落に分かれて、分かり辛くて最初見はぐりましたわ。ここは一段落目。
二段落目が――退位への言及――
5:昭和天皇「国民が求めるなら退位躊躇せぬ」
6:国民の目を気にして気を配る姿も
三段落目が――象徴への模索――
7:「象徴」への決意語る場面も
8:国民との距離 縮めようとする姿も
9:政治的発言 いさめられる場面も
10:「戦前に似ている」と危機感も
11:田島長官 ブレーンと組み昭和天皇支える
12:新しい皇室制度に不満を漏らす
四段落目が――再軍備、改憲――
13:再軍備 改憲 やりとりの詳細
14:ソ連の侵略 現実的な脅威と認識
15:旧軍や軍閥 かたくなに否定
16:基地反対闘争に批判的見解も
五段落目が――人物評――
人物像は本家頁でちょくにどぞ。
つまりはこれは、田島道治宮内庁長官が「陛下がこう仰られた」と書いているもの。
NHKが新資料を入手、公開!!ってさ。日経がばらまいた手記「富田メモ」しか思い出せないのは私だけか。
はっきり言って、胡散臭い、と思って読み始め、大一段落はそのままの感覚で特集を読み終え、以降は…意外に普通で拍子抜けした。
ただまぁ、メモの「部分公開」など、何とでも解釈できてしまうものだ。それをまんま地で行ってるのがこの特集の段落一。
一項目ごとに感じるのはNHKの意思。余りに明瞭な。
1:は「張作霖爆殺事件」「226」と「下剋上」と言うキイワードで絡め、「太平洋戦争」と言う、(表記、本当に太平洋戦争なの?大東亜戦争でなく?)余りにも大雑把な括りに関してもマイナス発言しか取り上げてない印象。
2なんか更にひどい。「うすうす聞いてた」と言うのを、わざわざ一項目作ってるからね。
「酷い」だけ取って、何がどう酷いのかは曖昧。NHKの、ほーら南京についても酷いってかいてあるだろ〜〜〜vvvと言う意志しか感じない。喜んでる一部の人の姿が見えるようだ。
で。3。一番NHKが喜んだと思われる項目。
「陛下は「反省」と言いたかったのに、時の政府が削除したんですよ!悪いでしょ!」感満載。
作りとしては、「陛下は正しいが政府が止めさせた」になってるけど、その対象が「反省」であるところがメッチャマスゴ。滅茶苦茶NHK。
陛下に死刑を言い渡し、万歳三唱した「女性国際戦犯法廷」を取り上げたNHKが。「陛下の反省」だぜ。私にはどうしても、政府も天皇陛下も貶めたいんだろうなとしか思えない。
4は……まぁ、ここは触れておかないとしょうがないくらいで、特にはないかな…。
ところが、後半に行くにあたって割と普通で( ゚Д゚)。
ま、マスゴが取り上げるのは案の定一段落ばかりなのですが。
▼昭和天皇「生の声」 初代宮内庁長官「拝謁記」公開中日新聞2019.8.20
◆こだわり、苦渋 浮かび上がる
初代宮内庁長官を務めた故田島道治(みちじ)が昭和天皇との詳細なやりとりを記録した資料が十九日、公開された。日本の独立回復を祝う一九五二年五月の式典で、昭和天皇が戦争への後悔と反省を表明しようとしたにもかかわらず、当時の吉田茂首相の反対で「お言葉」から削除された詳細が明らかになった。昭和天皇から退位や、改憲による再軍備の必要性に触れるやりとりもあった。
田島は四八年、宮内庁の前身である宮内府長官に就任、四九年から五三年まで宮内庁長官を務めた。資料は「拝謁(はいえつ)記」と題された手帳やノート計十八冊。遺族から提供を受けたNHKが公表した。
拝謁記には昭和天皇が式典でのお言葉に、「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」(五二年一月十一日)と述べたことが記されていた。吉田首相は「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」と反対。昭和天皇に伝えられ、お言葉から削除された。研究書で内容は指摘されていたが、今回、詳細が判明した。
軍部が暴走した張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件(二八年)や、青年将校による二・二六事件(三六年)、太平洋戦争などの回想も登場。「終戦で戦争を止める位なら宣戦前か或はもつと早く止める事が出来なかつたかといふやうな疑を退位論者でなくとも疑問を持つと思う」と言いつつ「事の実際としてハ下剋上でとても出来るものではなかつた」(五一年十二月十七日)と後悔を記している。南京事件にも触れ、「ひどい事が行ハれてる」と聞いたとした上で「此事を注意もしなかつた」と悔やんだ。
退位の可能性は繰り返し言及。「講和ガ訂結サレタ時ニ又退位等ノ論が出テイロイロノ情勢ガ許セバ退位トカ譲位トカイフコトモ考ヘラルル」(四九年十二月十九日)。独立回復を祝う式典のお言葉を検討する中では「国民が退位を希望するなら少しも躊躇せぬといふ事も書いて貰ひたい」(五一年十二月十三日)と述べていた。退位で「日本の安定ニ害がある様ニ思ふ」との言葉もあった。
東西冷戦が激化する中、戦前の軍隊を否定しつつも、改憲による再軍備も主張。「軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいい様ニ思ふ」(五二年二月十一日)。独立回復直後には「侵略を受ける脅威がある以上防衛的の新軍備なしといふ訳ニはいかぬ」(五二年五月八日)と述べた。田島は「政治ニ天皇は関与されぬ御立場」「それは禁句」などといさめている。 (引用部は一部原文のまま)
<解説>十九日公表された初代宮内庁長官田島道治の拝謁記は、日本が戦争へと突き進んだことへの、昭和天皇の悔恨と反省の発言を詳細に記述している。言葉遣いなどから会話の様子が浮かび、昭和天皇の思いや人柄が伝わる点で大きな価値があると言える。
一九五二年のサンフランシスコ講和条約発効の記念式典に際したお言葉が、退位論の再燃を危ぶんだ当時の吉田茂首相の意見などで変更されたことは既に明らかになっているが、その過程が細かく記されている。
五二年四月二十一日、お言葉の原案から悔恨を述べる部分が削られることについて「どうもわるいとは思ハないが、総理が困るといへば不満だけれども仕方ない」という発言や、翌日の変更受け入れのやりとりなどからは、昭和天皇の「反省」への強いこだわりや、それを発言できない苦渋の思いがうかがえる。
条約発効・独立について、戦死傷者、未帰還者などのことを考えれば「少シモ喜ブベキデナイ」とも話している。
「昭和天皇は非常に率直に、戦争への悔いをお子さんにいろいろとおっしゃっていたように推測する」と話す上皇さまの友人もいる。田島が記録していた発言と同じ内容を、上皇さまが昭和天皇から聞かれており、それが象徴天皇としての在り方や、平和を願う発言につながったとも考えられる。
軍備改憲の項目は、軍閥批判以外は特にツッコむ場所が無くて、逆にどうしたNHKである。
で、私の結論(感想?)といたしまして。
「拝謁記」が本当に新資料であるならば。
全文公開でもされない限り、報道機関の言う事は耳半分で聞いておk。
すでに"「田島道治日記」を読む 昭和天皇と美智子妃 その危機に "という本もあるので、相当の部分はこちらで保管出来る模様だ。
未読の私にはこの「新資料」がどの程度「新」なのかはわからない。
きっと、「新」な部分は資料的には価値があるんだろう。研究者には垂涎の代物なのかも。けど。
私は「拝謁記」を公開すべきかどうかは微妙派でありますな。
天皇陛下にプライベート、は無いのだろうし、宮内庁長官との会話はそれに属さんかも。が、それをして。
一般に広く知らせるべきなのかな。
打ち明け話は、時と共に消えるべきものだろう。
その公開は。
無粋だ。意図が胡散臭い。
資料の信憑性とは全く違った次元で、胡散臭さを感じるのは、八月のNHKだから、なのかもしれない。
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