消燈グレゴリー その三

牛隆佑のブログです。2014年8月から再開しました。短歌。 空き家歌会管理人。大阪短歌チョップ実行委員。

お知らせ一覧

〇大阪短歌チョップ2・・・・・・動画・写真・テキスト公開しました。
http://www.tankachop.com/

〇空き家歌会・・・・・・次回は日程調整中です。
http://blog.livedoor.jp/akiya31/

〇借り家歌会・・・・・・次回は5月17日(木)です。
http://blog.livedoor.jp/akiya31/

〇もしも短歌がつくれたら・・・・・・次回は5月11日(金)です。
http://ourai.jimdo.com/himakatsu/tanca/

〇伊丹歌壇・・・・・・次号発行は5月31日(木)です。
http://www.city.itami.lg.jp/SOSIKI/EDSHOGAI/EDLIB/event/boshuu/itamihaidan_kadan/index.html

〇葉ねのかべ・・・・・・第十二弾「疋田龍乃介×楠誓英」(予定)
http://hanebunko.com/

どうぞよろしくお願いします!

【掲載】
2011年12月~
うたつかい』(制作:うたつかい編集部)
五首自由詠に毎号参加

2013年4月
短歌男子』(制作:田中ましろ)
二十首連作「マリッジ

2013年6月
ぺんぎんぱんつの紙 膝~もしぺんぎんぱんつが膝を打ったら』(制作:ぺんぎんぱんつ)
五首連作「土井真

2013年9月
かたすみさがしWEB』(制作:田中ましろ)
五首連作「希求する/しない

2014年3月
NHK短歌』四月号
七首連作「先進国に生まれてよかった」リスペクトブックス「森本平『町田コーリング』」

2014年7月
大阪短歌チョップメモリアルブック』(制作:大阪短歌チョップ実行委員会)
五首連作「スローモーションの雄叫び」(タイトル提供:三潴忠典)

2014年8月
ぺんぎんぱんつの紙 十二支』(制作:ぺんぎんぱんつ)
十二首連作「果ての果て

2014年11月
ぺんぎんぱんつの紙 ジューシー』(制作:ぺんぎんぱんつ)
六首連作「空き家を燃やす

2015年4月
ぺんぎんぱんつの紙 イヨはまだ16だから』(制作:ぺんぎんぱんつ)
五首連作「私が正岡子規になっても

2015年7月
食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』(安福望著/キノブックス)
一首掲載

2015年9月
うたつかい』2015年秋号(制作:うたつかい編集部)
エッセイ「うたつかい四周年に寄せて

2016年1月
ぬくたん』(制作:千原こはぎ)
六首連作「十一月二日/長い夢


2016年1月~
うたつかい』2015年冬号~(制作:うたつかい編集部)
コラム「牛さんの短歌なう!」連載

2016年6月
みずつき5』(制作:千原こはぎ)
六首連作「水曜の使者」 

2016年9月
歌人のふんどし』(制作:田中ましろ)
六首連作「家電について」(タイトル提供:藤島優実)

2016年9月
『短歌の本音』(制作:中村成志)
エッセイ「短歌なのだから

2017年1月
『とり文庫』vol.2(制作:千原こはぎ)
散文+短歌三首「空白は

2017年2月
『さくはなの』(企画:尾崎まゆみ、松城ゆき)
五首鎖歌連作「さくはなの

2017年2月
大阪短歌チョップメモリアルブック2』(制作:大阪短歌チョップ2実行委員会)
五首連作「再構築します

2017年6月
夕化粧』vol.12(制作:いくらたん)
題詠一首+十首連作「労いて哂おう

2017年9月
歌人のふんどし2017』(制作:田中ましろ)
六首連作「あらかじめ失われたサウダーデ」(タイトル提供:綿菓子)

2017年10月
『濱松哲朗トリビュート 作品集交響曲とコギト』(制作:龍翔)
五首連作「インカのめざめ

2017年11月
短詩系マガジン『guca』リニューアル創刊号(制作:guca編集部)
エッセイ「ただそこにある葉ねのかべ」

2018年3月
サイト「詩客 SHIKAKU」(代表:森川雅美)
リレー時評(俳句)「クラシック奏者よりも俳人が望ましい」

2018年5月~奇数月担当(偶数月担当:天野慶)
NHKテキスト『NHK短歌』(発行:NHK出版)
インタビュー・構成「短歌STATION 短歌のキップ拝見します」
・5月号 岡野大嗣



【活動】
2012年5月~継続開催中
空き家歌会」管理人/司会
(会長:虫武一俊)

2012年8月
歌会たかまがはら」ゲスト
(主催:天野うずめ ゲスト:谷じゃこ)

2013年1月
「第二回 空き瓶歌会」ゲスト選者
(主宰:ユキノ進 ゲスト選者:谷じゃこ)

2013年10月~定期開催中(月1回)
暇活 もしも短歌がつくれたら」ファシリテーター
(主催:コワーキングスペース往来 司会:奈良絵里子)

2013年12月~定期開催中(月2回)
借り家歌会」ファシリテーター
(主催:まちライブラリー@大阪府立大学、空き家歌会) 

2013年12月
空き家パラダイス」主催/司会
(ゲスト判者:檀可南子、廣野翔一、虫武一俊、龍翔)

2014年7月
大阪短歌チョップ」実行委員
(実行委員:天野慶、岡野大嗣、田中ましろ、谷じゃこ、虫武一俊)

2014年9月・2015年1月
そうだ!歌会始行こう」ゲスト
(主催:伊丹市立図書館ことば蔵 司会:奈良絵里子)

2015年1月
かたすみぴあの」発起人/総合司会
(発起人:龍翔 ゲスト:濱松哲朗、江戸雪、吉岡太朗、虫武一俊)

2015年4月・5月
OsakaBookFesta+2015」参加(ファシリテーター)
(主催:まちライブラリー ゲスト:嶋田さくらこ、池上規公子、田中ましろ、岡野大嗣)

2015年7月
とととと展」コーディネーター
(主催:岡野大嗣、安福望、葉ね文庫 ゲスト:木下龍也、長谷川健一、柳本々々)

2015年8月~定期開催中
伊丹歌壇」コーディネーター
(主催:伊丹市立図書館ことば蔵 選者:尾崎まゆみ)

2015年9月
龍翔『Delikatessen/Young,Cute』読書会」発起人/司会
(発起人/ナビゲーター:辻聡之 ゲストナビゲーター:ななみーぬ)

2015年12月~定期開催中
葉ね文庫1周年企画「葉ねのかべ」コーディネーター
(主催:葉ね文庫)
・第一弾 高塚謙太郎【詩】×はらだ有彩【絵】(15年12月)
・第二弾 石原ユキオ【俳句・絵】(16年2月)
・第三弾 虫武一俊【短歌】×三宅愛子【写真】(16年6月)
・第四弾 八上桐子【川柳】×升田学【針金】(16年8月)
・第五弾 小島きみ子【花】×塚本佳紹【美術】(16年11月)
・第六弾 やすたけまり【短歌】×秦直也【絵】(17年1月)
・第七弾 曾根毅【俳句】×ななみーぬ【絵】(17年5月)
・第八弾 西尾勝彦【詩】×安福望【絵】(17年7月)
・第九弾 榊陽子【川柳】×利便性【漫画】(17年9月)
・第十弾 鈴木晴香【短歌】×ケント・マエダヴィッチ【絵】(17年12月)
・第十一弾 池田彩乃【詩・写真】(18年3月)
・第十二弾 疋田龍乃介【詩】×楠誓英【書】(予定)

2016年2月・3月
借り家歌会α」ファシリテーター
(主催:まちライブラリー@大阪府立大学、空き家歌会)

2016年4月・5月
BookFesta2016in関西」参加(ファシリテーター)
(主催:まちライブラリー ゲスト:岡野大嗣、虫武一俊)

2016年5月
俳句短歌ライブ」企画スタッフ
(主催:伊丹市立図書館ことば蔵 ゲスト:坪内稔典、尾崎まゆみ、朝倉晴美、田中ましろ) 

2016年9月~2018年3月(全6回)
現代の名作短歌を読む会」ファシリテーター
(主催:まちライブラリー@大阪府立大学、空き家歌会)
・(1)たとへば君 ゲスト:江戸雪(16年9月)
・(2)日本脱出したし ゲスト:尾崎まゆみ(16年12月)
・(3)「はなびら」と点字をなぞる ゲスト:土岐友浩(17年4月)
・(4)さくら花幾春かけて ゲスト:中津昌子(17年8月)
・(5)サバンナの象のうんこよ ゲスト:荻原裕幸(17年12月)
・(6)好きだった世界をみんな ゲスト:田中ましろ(18年3月)

2017年2月
大阪短歌チョップ2」実行委員
(実行委員:天野慶、田中ましろ、谷じゃこ、土岐友浩、なべとびすこ)

2017年7月
虫武一俊『羽虫群』批評会」運営/総合司会
(主催:空き家歌会 パネリスト:穂村弘、染野太朗、大森静佳、魚村晋太郎)

2017年12月~定期開催中
連作相互感想会 たこ焼き」共同主催
(主催:水沼朔太郎)

2018年2月
「第79回 風の*歌会」ゲスト
(主催:紀水章生)

2018年2月
鈴木晴香『夜にあやまってくれ』批評会」運営
(主催:『夜にあやまってくれ』批評会実行委員会
 パネリスト:穂村弘、中津昌子、虫武一俊、大森静佳)

2018年5月
「句会 うみの会」ゲスト選者
(連絡人:樋口由起子)

2018年5月
「BookFesta2018in関西」参加(ファシリテーター)
(主催:まちライブラリー ゲスト:岡野大嗣、鈴木晴香、千原こはぎ、虫武一俊)

インカのめざめ

 

大阪という田園の片隅のみずたまりへとうつる窓の灯

さかさまに帰路を手繰って見えてくる十三の夕ぐれのうらがわ

東京はただの背景だと思う(行く)とはつまり「生く」ということ

インカのめざめをレンジに目醒めさせながら(望みは光よりも速いね)

打合せよりおしゃべりをしたかった遠くに響きはじめるピアノ

 

「濱松哲朗トリビュート 作品集交響曲とコギト」201710

あらかじめ失われたサウダーデ

 

街のおとが川のにおいと交ざりあうつかのま中津駅のホームに

目のくらむほどなつかしい面影を覚えてそしてわすれてゆくよ

この道がこれから帰り道になるたまにあなたの手を引きながら

啼いているほそくほそく近くで犬がそれは遠くの誰かを呼んで

そうだ僕もしあわせだったと思うだろう紙吹雪のような天気雨

晩夏ジンジャーエールの辛味 ここから老いていきたいのです

 

「歌人のふんどし2017178

※タイトルを出し合い、シャッフルで割り振られたタイトルで連作を作る。タイトルは綿菓子氏による。

小野原(旧題:労いて哂おう)

 

ここならばこの世の果ての交叉点 光しかないバスを待ちおり

夕日のような朝日のなかでダイジョウブ大丈夫とは立派な人の意

となりからとなりへ憎悪は渡されてたぶん右手で殴られている

錆びついて倒れはじめる自転車が自由になれる ここからいつか

怒鳴られているけれどラーメン屋だからいらっしゃいませなのだろうきっと

息を止めて栗の木の傍を通り過ぐつかのまぎゅっと時を留めて

死ぬことは光なのだから死ねと言って奪わないでくれそのひとつを

殺したら死んでしまうと言っている マクドナルドの阪大生が

ローソンが潰れてファミマができる町あなたは、ぼくはどこにいますか

このバス停がふるさとである人たちへ六法全書通りの土下座を

はたらいてわらおうぼくの集合であるぼくたちの未来のために

 

「夕化粧」vol.12 176

再構築します

 

ハムサンドとやきそばパンと烏龍茶 録画のような暮らしの中の

再構築(リストラ)散髪らい胡瓜

目を閉じれば僕の暗闇 取り返しがつかないのならやり直したい

たましいから温めてくれ原子力が沸かしたお湯で緑茶を淹れる

家族とはポケットのないドラえもん 春コロッケを買って帰った

 

「大阪短歌チョップ2メモリアルブック」20172

※「ポケットのないドラえもんが現れてぼくを試すかのような顔つき」(なべとびすこ)にインスパイア。

さくはなの

 

さあさあとぽいんとかーどのぽいんとがいおんの街に悉く降る

黒い焔がえすえぬえすに燃え上がりこれなら胸の葩だとおもう

春というだけで疲れる 夕闇が冬の速度を保ちいるまま

何でそんな顔をするのさ社会ではふぇいすぶっくの顔で笑って

のすたるじあ飲み干せなくて堤防にぺっとぼとるを立てる僕たち

 

「さくはなの」172

※「さくはなの」の鎖歌を集めたネットプリント集。

空白は

 

取引先から緊急の電話がかかってきたので、慌てて床に散乱した本を掻き分けて何かメモになるものをと探したら、それが死んだ友人の履歴書だった。二度目の転職活動をしたときに僕の部屋で履歴書を書いた、その書き損じだ。友人の履歴書というのは不思議な感じがある。死んでいるのなら尚更だ。普通の公立高校から現役でそこそこの大学に入り、四年で卒業して中堅の営業会社に就職して三年後に教育業界に転職している。「以上」とある。以上、人生終わり! みたいな。けれども僕は知っている。たとえば彼はWWEが好きだった。こんなに細身で顔色が悪いのに。二行で表される大学時代では二人の女性とつきあって、そのうちの一人をひどく泣かせて恨まれていた。資格の欄には「普通自動 車運転免許」としかないが、取り立ての免許でよくドライブに連れていかれたのは夜が多かった。あと、けん玉がけっこう上手いらしいというのは二度ほど聞いた気がする。縄跳びだったかもしれない。人事担当者がおそらく三分と読まなかったであろう履歴書の、その空白部分には僕だけに読める経歴や資格があるのだということは、僕を愉快にしてそしてその後、さびしくさせた。

 

職歴のその一つ目と二つ目の間に本当に色々あったのですよ

資格と言えば普通自動車運転免許 君が海へと連れだしてくれた

いまはいないはるかな人の存在を知らせて履歴書の空白は

 

「鳥文庫」vol.2 171

※「白」がテーマの回。

短歌なのだから

 

短歌をうまくなるにはどうすればいいですか」と尋ねられたら、精一杯の軽々しさで、しかし本気で「結社に入るといいですよ」と答えることが多いのですが、これは僕が結社無所属だから言えることです。もし結社に所属している歌人が、こんな答え方をしたら「ほう、ではうまくなったあなたの短歌を見せてくださいよ」と思われてしまいそうです。少なくとも僕は思っています。

 

今回のようなテーマで歯切れが悪いと物事が分かりにくくなるので、率直に言わせてもらえば、この企画の執筆者のほとんどは「短歌上達法を語る上で、拙さを恥じる必要もないが、巧さを誇るにはちょっと恥ずかしい」くらいの言わば偏差値50歌人です。だから短歌上達法を語るには説得力がないし、もし語ればその人はもうそれまでの歌人だ、という落とし穴があって、これは中村成志さん、なかなかえげつない人選をされていますね

 

しかしながら、そんなことは承知で自らの思う短歌上達法を語れるというのが格好いいと思うので、良い機会をいただいたのだとして、「短歌がうまくなるにはどうすればいいのか」を考えてみました。もちろん、どのような短歌がうまい短歌なのか、ということはその「短歌の場」にもよりますし、また、その短歌の作者が誰なのかという点でも他者からの(または自分自身の)評価は違ってきます。そもそも、短歌がうまいとはどういうことなのか、短歌がうまい必要があるのか。これらのことは当然、「短歌がうまくなるには」と問いかける際の前提にすべきです。

 

さらに言えば、それは誰からの問いなのか、という点も重要です。馬場あき子から「短歌うまくなりたいのだけどどうすればいいのかしら」と問われて答えられる言葉が偏差値50歌人にありますかね。結局のところ、短歌の上達法を語れてしまうのは、その相手を自分よりも下に見ているということです。しかしそれだって自身の定規で測った自分だけの基準なのかもしれないのです。だから本当は「短歌をうまくなるにはどうすればいいのか」を問う相手は自分です。自分が自分自身に問いかける、そしてこの問いが意味を持つのはそこにしかありません。

 

僕が現時点で唯一言える短歌上達法は「やめない」ということだけです。そしてこれはたぶん真実です。とは言うものの、短歌を作り続けること自体が目的になって人間を疲弊させてしまうのは、おそらく違うような気がします。短歌を楽しみながら、短歌というものに促され導かれるように、短歌を作り続ける、つまりそれは、短歌を消費して、しかし短歌に消費されず、短歌を生産せず、短歌に生産される、ということになるだろうか。

 

当たり前ですよね。短歌なのだから

 

「短歌の本音」169

※「うまくなりたいのか?~男たちの短歌上達法」がテーマのネットプリント散文集。

家電について

 

うまい歌ばかりをどうせ並ばせてヨドバシカメラドラえもん売場

これこそ未来の多機能冷蔵庫 墓石としてもお使いになれる

行きたい方へ来ただけのこといちめんの薄型テレビが光を映す

未来とはぼくドラえもんいやちがうお前はただのスマートフォンだ

安全保障条約第四条及び第五条に基づき協議を要請します(たすけてドラえもん)

可愛らしさとは球体(ドラえもん)」のように大きなまるい雲 閃光やがて爆音のあとの

 

「歌人のふんどし」169

※タイトルを出し合い、シャッフルで割り振られたタイトルで連作を作る。タイトルは藤島優実氏による。

水曜の使者

 

日曜の使者は遠くへ 水曜の使者なら僕を深いところへ

みつびしのエレベーターはゆっくりと閉まった 首を絞めるはやさで

窓のない部屋は潜水艇のよう ふたつの息を夜に沈める

これはガソリンよりも高価な飲料水 撒き散らしたら燃えるだろうか

国道をすべりゆく車の音も それは潮騒なのかもしれず

そうだとしてもそのままでいいと言う あなたが蟹のようにさびしい

 

「みずつき5」

※「水」がテーマのネットプリント集

十一月二日/長い夢

 

黒い光、それから白い闇のある夜半の清けき集中治療室(アイ・シー・ユー)

呼吸、吐瀉物、に混じる血、父の体よりこぼれるものが生温いこと

朦朧としたまま父が懸命に「すんません」を伝えようとする

しばし一人になるために行く病院内小売店(ファミリー・マート) やばい、死ぬの、すごい、こわい

しかしあるいは自販機の冷たい珈琲(アイス・コーヒー)が6℃の熱を持っていること

手渡した歌集(ブートレッグ)を読み終えてひとこと母が「うん」とだけ言う

 

「ぬくたん」161

※「温」がテーマのネットプリント集。

うたつかい四周年に寄せて

 

四周年おめでとうございます。うたつかいを振り返るとき、必ず行き当たる思い出があります。それは20125月の石川美南『裏島』『離れ島』の京都批評会後の懇親会のことでした。今は某結社で選者を務めるAさんが「うたつかいのようなものが50もできたら短歌の世界も変わるよ」と仰ったと記憶していますが、その時、同じテーブルにいた飯田和馬、虫武一俊、たた、ちょろ玉、そして私のおそらく全員が「さくらこさんみたいな変わった人が50人もいるわけないし無理や……」と思ったはずです。実際、その後、「のような同人雑誌」は生まれず現在に至っています。

 

うたつかいの特長は言うまでもなく、選歌も前号評もなく、ただ各々が信じる短歌が掲載される点です。共通した価値基準によって収集されていない短歌は、混沌でありつつ多彩です。もちろん、長く投稿していくうちに何となくの共通の意識は作られていきますが、また新たな投稿者によって壊されていく、その川のようなうねりこそがうたつかいの生命力です。ここで改めてAさんの言葉を。なぜ、うたつかい(のようなもの)が短歌の世界を変えうるのか。それはヒエラルヒーが主であった短歌の世界にそうではない景色を作るからではないでしょうか。山ばかりの世界に川が流れはじめるように。このような雑誌が50もあればたしかに短歌の世界の見え方は大きく違ってくるでしょう。

 

創刊からの4年間を見てみると、うたつかいと同じように短歌の世界に新たな価値観を与える出来事が続々と現れています。2012年からのネットプリントによる短歌の発信に始まり、13年にはBL短歌雑誌「共有結晶」や、詩誌や結社に所属しない人の詩を集めたフリーマガジン「あるところに、」が発刊されました。12年の全国短歌大会大会賞受賞の木下龍也は翌13年に新鋭短歌シリーズから『つむじ風、ここにあります』を上梓し、その後もどの団体にも拠らずに活動を続け、新風を吹き込んでいます。14年春には短歌サイト「うたの日」がスタートし、冬には詩歌の言わばセレクトショップである「葉ね文庫」が開店しています。そしてこの15年には「平成生まれ」にスポットを当てた新しい形態のグループである「YUTRICK」が発足し、安福望は『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』の刊行によって、短歌の世界においても確たる存在となったと言えます。

 

もちろん、続けることのできなかったであろう企画も多くあり、維持していくことの困難さを窺わせます。その中で、次の段階へと移行をはじめたのはやはり「うたらば」でした。購読サポーターという制度は経済的な面よりも、「うたらば」を続けていくという田中ましろの決意として重要な起点のように思えます。

 

「うたらば」も含めてこれで10。Aさんの言う50まであと40。私たちは今、短歌の世界が変わろうとしているその真っ只中の景色を見ているのかもしれません。

 

「うたつかい2015年秋号」159

私が正岡子規になっても

 

久方のあめりか人のはじめにし戦争をりついいとで知った

牛飼を尊き人と解すべしぐるうぷでいえむのやり方が分かる

現実が終わればついったあが来る 電池が少なくなって夕焼け

添付画像表示してたいむらいんから阿弥陀如来が見つめるところ

三十四で死にたくないよついったあゆうざあは若い子が好きだから

 

「ぺんぎんぱんつの紙 イヨはまだ16だから」154

※「伊予」または「十六歳」がテーマの回。

空き家を燃やす

 

そしてふたりは暮らしはじめたエレベーターとエスカレーターの少ない町で

いじめられる僕らを美しく思う テレビなら遠くのことばかり

銃声が聞こえてしかし銃声のような音だと考えなおす

川沿いの木が連なって枯れている 生き物たちをバスは追い越す

どくさいしゃにも家族はいるね 十五時の日差しの中を君と歩いた

空き家を燃やす空き家を燃やす空き家が燃えて隣町へと冬を知らせる

 

「ぺんぎんぱんつの紙 ジューシー」1411

果ての果て

 

新しくない季節が巡る十二支の犇めいている町にまたもや

蛍光色のストラップにも夜は来て揺らめきこれを僕は羞ずべき

主体という人を演じる 誰もみな生きつつ腐る存在だろう

心を持つ生卵なら割れながらすみませんもうしわけありません

ケトルからあなたへ水は震えだす 拡散される昨日の訃報

夕暮れを越えれば音はよく届く誰かが遠く誰かを咆える

僕の中の喪くした谷を許したし牛蒡のような腕を掴んだ

何ものも待たないという生き方よ月の砂漠を耕しながら

悉くたすけて下さい人間の身方ではない神に祈りつ

眠りより醒める光の白さとは あなたの綺麗事がきれいだ

果ての果て滅びゆく海のことならば波ではなくて砂に訊ねよ

十二支になれない者の骸から歌が生まれる(と言われている)

 

「ぺんぎんぱんつの紙 十二支」148

※十二支がテーマの回。一首ずつ干支を読み込んで連作を作る。

スローモーションの雄叫び

 

友だちの友だちがパーマン、パーマンの友だちの友だちに照る月

むらむらと湧き立つ七月は緑 みんな勝手に頑張っている

積乱雲が千切れるまでを見逃さないあれはスローモーションの雄叫び

永遠を思えばこわい 水にある流れる力を信じるように

夕闇が夕暮れを喰うぼくたちはヒエラルヒーを作りませんか

 

「大阪短歌チョップメモリアルブック」147

※16名がタイトルを出し合い、シャッフルで割り振られたタイトルで連作を作る。タイトルは三潴忠典氏による。

先進国に生まれてよかった

 

僕の歌は引き剥がされるところから始まるそれは生命のように

人間のものにならない夕暮れよ なにもあなたに捧げられない

平和とは強者が弱者をくじくこと牛丼に玉子をトッピングする

燃えればいい ごみの山から起る火のそのひたむきな力に頼る

なにをどう信じるべきかラジオからあなた以外の声が聞こえる

叫びだすことなどないが車窓から見ればオーマイガッド夕焼け

会いたいときの夕焼け空は美しい 先進国に生まれてよかった

 

NHK短歌 ジセダイタンカ」143

希求する/しない

 

ぱりぱりの水菜よ僕はパワハラのパワーではない力が欲しい

一番が二番を二番が三番を組み伏せて世界は昼下がり

どこかでは生まれているか一つまた一つ家族が壊れるように

行き違うひとを奇才と天才に分類すれば社会人ばかり

見ろひとが羽根のようだよ憧憬を持たぬ者から旅立てばいい

 

「かたすみさがしWEB139

※田中ましろ「群れを眺める」をテーマとした連作。

土井真

 

かなしみの券売機なら一万円紙幣をやろう吐き出せばいい

浴室の扉を閉めた瞬間の顔 どうしようもなく一人の

松木さん僕にもいいよ!がんばってほしいですね!と言ってくれないか

眠るのだ地球に掛かる面積ができるだけ広くなるようにして

ひさかたのキッチンシンクの貝殻が海辺の砂になるまでの時間

 

「ぺんぎんぱんつの紙 膝(ニー) ~ もしぺんぎんぱんつが膝を打ったら」136

マリッジ

 

あなたの手を握りて歩くそれはもう子どもが鍵をはなさぬように

この街の橋にかかりて不意に空、圧し潰すごと青く現る

「とまれ」という命令形は踏まれても踏まれてもなお白としてあり

お祝いのケーキを綺麗に切ることのできる女の手を眺めおり

退場せしゴールキーパーのなみだなど知らざるままに死ぬのだたぶん 

袖の足りぬ奴ばかりいる教室に一人真逆の向きで立ちたり

順番の回ってこないカラオケを楽しむぐらい大人になろう

これからの鞄は重い 借り物の青空を背に旅客機が征く 

ナンおかわり自由の店でおかわりをしない自由を行使している

ファミチキのチキンもましてやファミリーも想わぬ僕を焦がす夕暮れ

ドアが閉まるそして明かりを点けるまで〈そして〉は海の底の暗闇

ストーブの中のぐるぐるどこまでがあなたの思う僕なのだろう

お皿お皿と呟きながら歩みゆく深夜の舗装道路は硬し

蛇口から落ちずに残る水滴が少し膨らむ ここで叫べよ

海の色を示して青というようなシステムにより生かされており

降ると言えばやがて光も降るだろう急行はいま追い抜くところ

感情は液状なりてうばたまのインクがコピー用紙に滲む

じゃがいもを茹でて潰せばコロッケになるごと僕は何者にでも

誰が死ねば僕は泣くかなカーテンを外しし部屋に春は来ており

どちらがよりかなしくないか、で生きて来し指があなたの背中に触れる

 

「短歌男子」134

アラカルト

 

さっきゆらからもうゆららずっと風ゆうらら船がゆらほらゆらり

ねえ可愛いでしょうと君が伊勢丹の紙袋から取り出す月夜

もし僕が山岡士郎だったならあんな女に恋などしない

排水口の渦が海へと続いているこの現実を許せずにいる

何事も簡単なのがいいのです例えば うたう はじける あそぶ

 

「うたつかい第4号」1112

 

 

怪物くん

 

皮膚という帽子の中に押し込めた(だるいせつないこわいさみしい)

フランケンみたいなものだ他人(ひと)様の主義や思想で継ぎ接ぎをして

僕だけの夜を探しているのですこの街角のドラキュラとして

狼の姿で俺は哭いている 人間の君に気づかれぬように

見せてくれないかあなたの中にいる誰の中にもいるモンスター

 

「うたつかい第5号」122

 

 

春の歌

 

なんとなくくすんだ町の真ん中を大きな河が流れています

幸せに僕がなってもいいのですずっと忘れていたことですが

春という神様がいたならきっと細くて長い指をしているね

少しずつ君は壊れていくのですこぼれたものを拾って暮らす

僕だって電車に乗ればどこへでも行けるよこれは春の歌です

 

「うたつかい第6号」123

 

 

新人の初仕事は花見の場所取りだなんて会社は滅べ部長今日は定時で帰ります

 

感謝という書を掛けている店にいてはねの強さが妙に気になる

コーヒーも水も飲み干し気がつけば氷を噛んでいます 冷たい

UFOの目撃動画に見入っているあなたのわたしではないわたし

ちっぽけな幸せだったら要りませんごめんやっぱりやっぱり下さい

明日をまだ信じていますそれは今日を諦めるのと同義としても

 

「うたつかい第7号」124

 

 

タイニー・タイニー・センチメンタルジャーニー

 

人生は旅だ、とかって帰る場所があるやつが言いそうな台詞な

週6で右から流れてきたものを左へ受け流す仕事をしている

寝そべっているおっさんに目をやって仕事上がりに食う朝マック

シンブンシ逆から読んでもシンブンシ世界を逆さに眺めているさ

八十回勝つため六十回負ける広島カープみたいに俺も

 

「うたつかい第8号」125

 

 

R-cafe(-2011.7)

 

窓際の席はあなたに差し上げる六月一日とりあえず 晴れ

二階には僕らの他に誰もなくソファに座って始める冒険

洗濯物吹き飛ばされて夏らしき何か産まれたね(確かに産まれた)

一階の席の二人はしりとりをしている いるか かかし しおさい

そのうちに僕らも昔話になるあなたは月に帰るのでしょう

 

「うたつかい第9号」126

 

 

調整中

 

人間の理由で悪者にされた烏がやはり轢かれて死んだ

谷底に突き落とされたライオンが崖を上って復讐をする

百年に一度のポジティブ噴火して遊牧民を飲み込んでゆく

とある朝道が通って道のないところへはもう行けなくなった

決められた命を逸れるうどん屋が冷やし中華をはじめるように

 

「うたつかい第10号」127

 

 

テレビスタイルライフ

 

職場には出会いがないと吐き捨てるあなたに僕は出会っています

食されてなお何物か気づかれぬ細くて少し湿っているもの

誰からも名前を呼ばれなくなれば僕はだれだとおそらく思う

昨日とは違う何かに会えるかも鞄に二キロぐらいのおもり

この歌は好きじゃないって歌だってあなたが嫌いなんじゃないかな

 

「うたつかい第11号」1210

 

 

鈴がなる

 

咽喉の痛みに生の実感を覚えることもなく仕事中

薬局に向かえばベンザブロックが綺麗に並ぶこれは 幸せ

全包囲的に未来は拓かれて夜を歩くはベンザブロック

サンドラの兄のベンザは長身で筋肉質で顎が割れている

鼻ならば黄色のベンザ俺ゆえに俺のベンザを探しに行こう

 

「うたつかい第12号」1212

 

 

たしかめる

 

何回も滅んだだろう夕暮れが深いところの砂を撫でた

痛み痛み痛みよ僕の横にいる彼女の傷を教えておくれ

この紐を引くと世界が落ちてくるみたいに僕ら夜になります

ここで声を上げないものは無条件降伏の無に飲み込まれろよ

まだ君は夢を見ているか電線の撓んだ町に朝が流れる

 

「うたつかい第13号」131

 

 

端っこに立つ先生の気持ちとか考えたことなかったけれど

 

広辞苑を投げればそこそこ武器になる意味に埋もれて先生は死ぬ

窓ガラス砕きたいのは先生の方と平成生まれは知っている

三年の尾崎くんならやさしくて割られたガラスを片付けてくれる

ゆうぐれを自転車五列横隊で童貞戦隊チェリーズはゆく

天井の染みとか狭い場所でしか見つけられないものもあります

 

「うたつかい第14号」134

 

 

静かの海

 

色々とあって人魚は助手席に 海へ送って行く途中です

海底で生まれたあなたは言いました(ごはんは明るいところで食べろ)

「すみません、お会いしたことないですか。魚の頃に海のどこかで」

かつて人魚だったあなたの瞳から涙にまじり零れる鱗

僕たちは誕生以来海だった(現在完了継続用法として!)

 

「うたつかい第15号」137

 

 

ライオン

 

生まれたき三〇〇〇個もの生命がありて餃子は熱迸る

思い知れ、お前は一人、一人なのだ、一人だ、一人、しかいないのだ

あきらめることがそんなにわるいのかそのへんどうよ麻婆豆腐

強く生きていけるだろうかアボカドの深き肉より腐敗は生まる

円環的循環論的僕たちにラーメンスープの雨がそぼ降る

 

「うたつかい第16号」1310

 

 

曼曼荼羅荼羅

 

JC(寂聴)に憧れている少女がいて少女らしくないと言われる

愛くるしく物騒がしきJC(寂聴)の横にて僕は逝きかけており

JC(寂聴)は眩いばかりさよならのたびに光を振りまきながら

あまやかに流れだす声JC(寂聴)が地上すべてを眠らせてゆく

万物は流転し四季は移りゆくみんないつしかJC(寂聴)に会う

 

「うたつかい第17号」141

 

 

僕たちはジャパニーズ・ビジネスマン

 

大福は知るのだろうかカステラの皮が剥がれるときの痛みを

超ぐるぐる巻き髪母さん軍政が倒れた朝のご飯をつくる

風吹けば桶屋に繋がりゆくようにその戦争と今日の朝やけ

コンビニで牛乳を飲むサラリーマン(抒情)あれこそ日本人です

信号が変われば岸へ泳ぎだすノルマンディーの兵士のように

 

「うたつかい第18号」144

 

 

水の生き物 

 

水族館の順路を進む死ぬように僕は生きてもたぶんゆるされる

   順路を進め死ぬように僕は生きねばたぶんゆるされない

          死ぬように僕が生きたらゆるすだろうか

              僕は生きるからゆるしてほしい

                     ゆるされている

 

「うたつかい第19号」147

 

 

スカート

 

朝焼けは夜明けを殺しながら来る魚を食らう魚のように

じゃんけんぽいあっちむいたら鱗雲 焼場の煙 君のスカート

恐竜やゴリラのように強い順に死に絶えてゆくから気を付けて

秋空に向けて手刀を切るならばいい手だ何も包めなくとも

草原に降り立ち君は駅になるいつか明らむ町が広がる

 

「うたつかい第20号」1410



 

震度七の揺れではなくてかぶさった母の重みで目が覚めたのだ

落ち着いていたかあるいは喪っていたかテレビを抱き起こす父は

町が街がリアルであると評判の映画のような光景になる

とりあえず社会人になったあの年のマラソン大会中止のままで

次来るぞ次の瞬間ドンと来る 囁く奴が胸中に居る

 

「うたつかい第21号」151

 

 

やっつけ仕事人

 

あらがわないこともあるいはたくましさだとおもうんだ青椒肉絲

三十分でこのそれっぽさとはお前さてはやっつけ仕事人だな

パーフェクトイエスマンとして生きてきた課長代理がノーを告げる日

同じように、は同じではなく同じように春は訪れ仕事場を去る

二〇一五年大阪の空に秀吉も眺めただろう夕焼けがある

 

「うたつかい第22号」154

 

 

新世界

 

人間の世界の終わりを松木立ひかりを連れて雨が降ります

ぼくたちは新人類にならないと選んだ方の原人類のように

愛だとも言えなくないがそれならばむしろピーマンではなかろうか

浴室の白熱灯を取り換えるここから生まれ変われ小さく

何時何分地球が何回周った日かは知らないが君に触れるとき

 

「うたつかい第23号」15年7月

 

 

愛する

 

愛国はかなしむこころ なくなってしまうからみんなこの国が好き

死にたいの対義は生きるではなくて殺したいだと知って涼しい

誰が僕を役立てるだろうエスカレータを上がれば釣り上げられた鯖の鱗のような雲

不思議MANブラザーズバンド現れて信じることが不思議だと言う

この町にグーグルアースで目印を刺すようにして夕日がとどく

 

「うたつかい第24号」1510

 

 

三十三回

 

会いしことなき親戚の、これからも会わざるままの伯父の法事へ

話など聴けただろうかヒカシューとプラスチックスのCDを貰う

もうこれでやっと終いと言う父を見ており兄と息を並べて

くりかえし少しずつ死なす 枯草がやがては土に浸みゆくように

何時でも何処でも何者でも何が何でも最後は一人だ栄養のあるものを食べて帰りつ

 

「うたつかい第25号」162

 

 

マザコン

 

僕の子がマザコンであり孫たちがおばあちゃん子でありますように

同棲の棲なら棲息 こんなにも昏い夜明けのなか抱きあって

タイムふろしきで卵子と精子に割れるときみたいに君が死ぬとさびしい

博物館のナウマン象が動きだし悲しみは楽しくなっちゃった

総ての子がまざこんであり子子孫孫(まごたち)がおばあちゃん子でありますように

 

「うたつかい第26号」167

 

 

戦争で死んだ祖父は広島カープを知らない

 

とおつひと広島市民球場(マツダスタジアム)沸きたれば人間の血は広島のいろ

たくなわのながいながーい旅でした二十五そして七十一と

しらつゆの奥田民生の高らかに君というより僕らのうたを

ぬばたまの黒田博樹よああ是は曼珠沙華いちめんの花野だ

ふかみるのふかみどりいろの広島を護る菊池や丸や田中や

くさかげの新井貴浩は必死だよ皆生きなければならないよ

ちはやふる神りておりと仰がるる鈴木誠也も人らしきひと

ひさかたの亜米利加という国ゆ来し広島という町を助けに

たまかつま安部友裕が水色の手紙のような犠打を決めたり

しらたまの緒方孝市は二度生まる何回だってやり直すから

やましたの赤松真人駆けてゆく生まれなかった者の代りに

つのさわう岩本貴裕逆転弾はなちてそれはひかりのように

たまだすき畝龍実より白球とそのほか白きものを受け取る

かたいとの會澤翼が2を示す殺すではなく守るということ

みつくりの中崎翔太が踊りだす後の言葉は要らないだろう

 

「うたつかい第27号」169月には抜粋版掲載

 

 

逃げるように

 

逃げるように教室を出るというフレーズを思い浮かべて教室を出る

定食を汚く食べて散らかしてだれも幸せを求めていない

寝不足の時代できっとぼんやりとしたままたぶん戦争に征く

(っはい、その夢あきらめましょう)ジャパネットたかたの声で告げてやりたし

人は変わる、変わるが僕に変えられるわけではなくて施錠を済ます

 

「うたつかい第28号」175

 

 

キドアイラク

 

宇宙人を殺めるような勢いが大事なのです採点業務は

更に生きると書いて更生 どいつもこいつも畜に生きると書いて畜生

名を見れば全身で喜び努め愛し楽しむ生徒だきみは

ああ川の流れのように残されし業務が明日に先送られぬ

シュプレヒコール遠くに聞こゆ 僕たちは結果論者で運命論者

 

「うたつかい第29号」20179




このコラムではこれまでに、ネットプリントやツイキャスなど新しいメディアを取り上げてきましたが、ここ最近は歌会についての意見がツイッターのタイムラインを賑わせたように、今はそれぞれに自分自身の活動を見つめなおす、といった時期なのかもしれません。とすれば、この号が出る頃にはまた新たな動きや試みが現れているかもしれず、楽しみです。

さて、この記事を執筆している今は、第十九回空き家歌会を終えた頃です。ツイッターで話題となった「歌会論争」についてここで触れるつもりはありませんが、それにしても歌会についてのポリシーというものが話題になるというところに、ひとつの歴史を感じます。ツイッター上での関係を基盤のひとつとして開催する歌会としては2011年に始まった東京の「空き地歌会」(野比益多)をその起点に挙げることができ、その後の2012年からの大阪の「空き家歌会」(牛隆佑・虫武一俊)、新潟の「空き瓶歌会」(ユキノ進、現代表は香村かな)が現在の流れを決定づけたように思います。その頃のそうした歌会は、一言で言えば「集まるということ自体が目的」だったところがあったように感じます。個々はそれぞれの考えを持っていたはずですが、それよりも「短歌をしている人がいる!」ということだけで珍しかったし嬉しかったのです。

その他方、最近ちらほらと耳にするのは「歌会に行っても短歌がうまくなるわけではない」という言葉です。同感です。ちゃんと言葉を補えば「短歌がうまくなりたいのを目的とするのなら歌会は必ずしも効率的とは言えない」ということでしょう。2~3時間ほどで10首~15首を読んでいくというところを見れば、確かに何とも効率は悪い。(ただし実際にやってみるとそれでも時間が足りない!)もっと効果的で効率的な方法はいくらでもあるはずです。

しかし同時に私たちは知っています。一見、何の関係もないような話や些細で無意味な話からでさえ、ある重大な気づきを受け取ったり、核心に迫るヒントを手に入れたりするようなことがあります。もちろんもしくは得られなかったりということも含めて。そのような体験は人生上で何度もしてきているはずです。そしてその瞬間はいつでもスリリングでエキサイティングです。

通販サイトのAmazonは「この商品を買った人はこんな商品も買っています」と確かに魅力的な本を次々と教えてくれます。その最適解に最短距離で向かうような高度に洗練されたシステムはもはや美しくすら思えます。でもそれは統計に支えられた、他人の足跡をそのまま辿ろうとする行為であり、そこに創造的な歓びはありません。

ちなみに、この号が発行される秋には、空き家歌会は第二十回を、借り家歌会は第五十回を迎えます。この歌会はまだまだやっていきたいと思っています。

(「うたつかい」第29号 掲載)

先日の2017年2月25日の大阪短歌チョップ2にお越しいただいたみなさま、ありがとうございました。少なくとも延べ350名以上の方にお出でいただきました。短歌にはさまざまな楽しみ方があるのだ、ということを空間として示せたのではないかと自負しています。また、特筆すべきは参加者の多様さです。2014年の第1回よりもさらに多種多彩な人がそれぞれの動機で訪れたように思います。どうしても狭い世界の中で「知り合いの知り合い」までをその範囲としてきた短歌のイベントでは、かなりその外側に踏み出したものであったことは間違いありません。そしてそれが実現した、ということに短歌の急速な広がりを感じます。(イベントの詳細は公式サイトをご覧ください。)

この広がりを齎したのは誰なのか。かねてより短歌の普及活動をしてきた歌人や団体は数多く存在しますし、近年では大阪短歌チョップ2の実行委員でもあった天野慶から、なべとびすこまでも、そこに加えることができます。しかし、本当は短歌自身の力によって広がっているのではないか、という気持ちをこの数年間、持ち続けています。

むしろ変化があるとすれば、それは読者の側かもしれません。私は普段、高校生に国語を教えていますが、私たちの頃と比べても、今の高校生たちの知性や感性、つまり受容の感度が上がっていることを日々感じます。授業で塚本邦雄の短歌を紹介して、そこに一言説明を加えると、普通の高校生が「めっちゃかっこいいな。」と言ったり、歌集を回すと「これは1700円の価値があるな。」と言ったりします。そうした反応をするのは、取り立てて文学に興味のない高校生で、彼らがこんなに深いところで受容できるのか、と驚きます。しかし、これは世代よりも、おそらくはその時代のほうに要因があります。

原田郁子、ミト、伊藤大助によるバンド、クラムボンは2010年のTOWER RECORDSのコーポレートボイス「NO MUSIC,NO LIFE」のインタビューにおいて、「受け取り手の感度が上がった。」「浅いユーザー、消費者がいなくなった。」と述べています。それはネガティブな意味での「一億総評論家社会」が頻繁に言われはじめた時期と重なり、彼らも「厳しい人たちですよ。」と述べています。しかし、こうも言います。「より深いところまで受け取ってもらえる。」「中途半端なものでなく、本当に面白いものを欲しがっている。」「消費者が、自分が本当に欲しいものを探している感じが(音楽の)質の高さ等にこれから表れてくる。」簡単にはいかないユーザー、消費者だからこそ、作り手は受け手を信頼して自分の表現したいものを投げだせる、そのような時代が来たのだと思います。そして、そのようなユーザーが「短歌」を見つけたのではないでしょうか。2009年に短歌に触れはじめた私自身も、今にして思えばそうしたユーザーの一人だった気がします。(さらに言えば、2011年の東日本大震災以降、その傾向が加速したように感じます。)

「うたの日」や「借り家歌会」において「短歌はじめたばかりなんです。」や「作ったことはないですが興味があって。」と言う人の評のその深さに驚いたことのある歌人は少なくないはずです。少なくとも彼らの評を聞いていると「本当に自分がいいと思えるものを探しに来ている」ということを感じます。

短歌を「マイナーなもの」として捉える時、その反対側には「大衆」が意識されますが、その「大衆」の輪郭が壊れつつあるようです。たとえば、2016年に刊行された歌集『キリンの子』(鳥居/KADOKAWA)が、同日に発売された伝記的単行本よりもはるかに売れたことも、従来の「大衆」観では計れない読者の存在を感じさせる出来事です。鳥居歌集だけでなく、『食器と食パンとペン 私の好きな短歌』(安福望/キノブックス)や『きみを嫌いな奴はクズだよ』(木下龍也/書肆侃侃房)のヒットも、そして大阪短歌チョップ2のあれほどの賑わいも、「大衆」ではないユーザーたちの希求の力と作品や短歌自体の力との交点上にあったものであると言えます。

クラムボンは先述のインタビューの中で「大きなカンパニーがどんどん無くなっていって、個人やフリーランスの方に(役割の)バトンが回ってきている。」ということも述べています。短歌に照らし合わせて言えば、「うたらば」(田中ましろ)や「葉ね文庫」(池上規公子)はまさしくその力学上に現れたものでしょうし、さらには『大阪短歌チョップ2メモリアルブック』内の「沖縄から見た関西の短歌シーン」の中で、光森裕樹が書いたような「若者においては、複数の同人誌や歌会に所属するのが当然であるかのような構造(N:N)になっている」こともその側面に思えます。コミュニティ主体の時代から個人主体の時代へ。大阪短歌チョップ2のあの空間にいた人は、多かれ少なかれそのエネルギーを感じ取ったのではないでしょうか。

(「うたつかい」第28号 掲載)

たとえばスポーツには「する楽しみ」と「観る楽しみ」があると言いますが、それを短歌に置き換えるならば「詠む楽しみ」と「読む楽しみ」になるでしょう。しかし、このところ、複数の人がTwitCasting(スマートフォンやパソコンを利用してライブ配信ができるサービス、以下、通称の「ツイキャス」を使用します)を利用して、短歌についてのライブ配信をしているのを見ると、短歌には「語る楽しみ」もあるのだな、ということを実感せずにはいられません。(そういえば歌会は三つの楽しみ方の合わさったものと言えるかもしれません。)

インターネット上の動画共有サービスとしてはツイキャスに先立って、より高画質放送が可能なUstreamが存在しており、短歌を語る場としても、「歌会たかまがはら」(天野うずめ)、「堂園食堂」(堂園昌彦)、「むしたけのぞき」(虫武一俊)など、いくつかの個性的な番組が放送されていました。しかし、これらの番組が「公」の意識を持っていたのに対して、ツイキャスはUstreamと比較して手軽に配信ができることからか、より身近な、よりプライベートに短歌を語る場として、利用されているようです。内容としても、朗読を中心としたもの、具体的な短歌や、同人誌、ネットプリントの短歌について語ったもの、短歌を超えた歌人のパーソナリティーについてのもの、また、コメント機能などを利用してリスナーとのコミュニケーションを図るものなど、多彩で可能性を感じさせます。(かくいう私も先日七月一日に山本まとものツイキャスに招かれ、二人で「短歌ヴァーサス」というかつて発刊されていた短歌雑誌について語りました。)

さて、インターネットを取り込んだ短歌の世界はハイスピード化しています。いわゆる「Web2.0」以降、インターネットが短歌の創作・発表の場となり、より多くの短歌がより速いスピードで発表されるようになりました。そしてそのスピードは短歌同人誌や短歌のネットプリントにも及び、文学フリマなどでは毎回、多くの新しい同人誌が並びます。そのスピードの中で、ひとつ前の短歌はすぐ新しい短歌に押し流され、読者に立ち止まってじっくりと味わわれ、そして語られる機会を得ないまま、堆積化していく短歌も多くあります。もちろん、より多くの短歌が生まれるのは好ましいことですし、もはや留められるものでもありません。それよりもツイキャスはむしろ、短歌を語る場として、そのスピードにさらに適応していこうというしなやかな流れなのではないかと思えてきます。

インターネットでは、かねてより「短歌を語る場」としてブログサービスがあり、歌人もやはり多くの人が自らのブログを開設しています。「トナカイ語研究日誌」(山田航)「あとがき全集」(柳本々々)といった卓抜したブログも生まれ、山田や柳本は評者としても確固たる地位を築いています。これから先、ツイキャスを短歌を語る場にして、また新たな評者が登場するのかもしれません。

(「うたつかい」第27号 掲載)

決められたレールを走りたくないのなら人を轢く覚悟をしろよ
(宇野なずき「乗換案内」)

句跨りを利用して定型に収めているのだが、だんだん歪になるのがまさにレールを外れていくようだ。その中で「人を轢く覚悟」というワードははっきりと浮き上がって聞こえる。


明かりを消したら急に涼しくてさすがわたしの脳だと思う
(空日一「普通」)

温度を知覚しているのはもちろん脳なのだけれど、まるで自分が自分の脳と向かい合っていて、しかも奇妙な信頼感があるような。でも暗闇の中でこう思っている人には愛おしみを感じる。


今ならばわかる みたいに追ってくる音に花火は消え落ちてゆく
(志稲祐子「雫」)

花火の音を聞きつつ目前の花火は消えてゆく。「今ならばわかる」と花火の音が相互の比喩になっているのだと思う。「今ならばわかる」の内実は分からないけれど底知れなく切ない。


Pork or Chicken or Chicken of Chickens 選ばれるためだけに生まれた
(田中ましろ「DL278」)

機内食を選ぶシーンなのだろうけれど、根底には飛行機に運ばれる自分自身の生命に対する不確かさの感覚があるのだと思う。


むかしむかしあるところにもいただろう「そうだそうだ」というだけの役
(西村湯呑「むかしむかしパート2」)

簡素化された昔話の背景である人も元を辿れば現実にそこに存在していたかもしれない人だ。そしてここにいる私も社会の中で数字や背景として語られる。


傘袋を傘にゆっくりつけながらコンドームみたいだなって思う
(水沼朔太郎「七月と六月」)

虚ろな短歌だ。「コンドームみたいだなって思う」と思っている、その引いた感覚が余計に虚ろに感じさせる。動作だけでなくて行為のどことなく情けないところが重ねあっていると思う。

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