『めためたドロップス』という同人誌がある。ショージサキ、小川千世、まひろ、浪江まき子、奈良絵里子、山田水玉、じゃこ、ゆいこ(第二号『めためたドロップスU(ユニヴァース)』から参加)をメンバーとして作られた、短歌を中心とした同人誌である。短歌同人誌と言うよりも「短歌を中心とした」サブカルの同人誌と言う方がいいだろう。9月20日の第三回文学フリマ大阪や11月23日の第二十一回文学フリマ東京で、第三号にして最終号の『めためたドロップスS(ストーリーズ)』が販売される。
「めためたドロップス」がテーマとしているのは「かわいい」なのだが、テレビで見るような薄っぺらな「かわいい」を予想して読むと混乱させられる。そのような画一的な価値ではなく、それぞれの個性の立った力量を持った作者たちであり、中津にある本屋シカクが付けた帯コピーの通りまさしく「カワイイがゆさぶられる」作品群となっている。
女子になる覚悟はないし女子じゃない部分が好きと言われたけど負け
(ショージサキ「くだらないことだけ信じてた」めためたドロップス)
ひらがなが漢字のよこに座るときみたいにそっととなりに座る
(小川千世「春夏私冬」めためたドロップス)
あいうえおかきくけこさしすきでしたちつてとなにぬねえきいてるの
(まひろ「いっぽんあしを抱えて眠れ」めためたドロップス)
晴天が雪になる窓 変わるのは天気じゃなくてわたしの位置だ
(奈良絵里子「歌を忘れていたころ」めためたドロップス)
雨ふりの曲がり角には熱帯魚 知らない町へ泳いでいこう
(ゆいこ「明日の町」めためたドロップスU)
1人中1人がわたしのしあわせを祈っています 祈りませんか
(じゃこ「合法ドキュメンタリー」めためたドロップスU)
試験のために覚えろと言う 死ぬときは地獄に堕ちるのだろうと思う
(浪江まき子「嘘と英断」めためたドロップスU)
烏龍茶うーがカラスと知ったなら子供時代は終わりさベイベー
(山田水玉「感じる葦」めためたドロップスU)
おもしろいのは、それぞれ個性がばらばらな八人なのに、一冊を通して読むとまるで「めためたドロップス」という一人の人格であるように思えてくる点だ。ばらばらなようでいて何か通底するものがあるのだろう。それでも、山田水玉とじゃこが少々ユニークな印象を受けるが、それも一人の人の日記や酔っぱらった姿など、隠されていた面が見えてしまったみたいで、そうした部分もあって豊かな人格を作っているようだ。キャプテンのじゃこが何となく集めたメンバーのように見えて、何かの予感が働いていたのかもしれない。
第二号の『めためたドロップスU』制作前、誰か一人新たに加わってもらうということになり、キャプテンのじゃこから「誰がいいと思うか」という相談を受けた。その時、僕は「歌集も刊行していて人気の歌人だがぎりぎり参加してくれそうなぐらいの人」を何名か挙げたのだが、その提案に対してのじゃこの答えは「何ていうか未完成な人とやりたい」というものだった。その「未完成」は短歌の作風や技術といったもののことで、「一緒に成長をめざす仲間が欲しい」ぐらいに理解したのだが、今にして思うとそれも少し違うような気がする。作品の範囲を超えたもっと人間的な「未完成」を求めていたのではないかと思うのだ。(一応付け加えると「未熟」ということではない。)
「めためたドロップス」の作者や作中主体はよく転職をする。社会的な一般的な価値観で測れば、転職は未だよろしくないものと言えるだろうが、彼女たちの転職にはそうしたニュアンスはない。(もちろんスキルアップのようなポジティブな転職でもないが。)そのような経済社会の枠組内での転職ではなく、言うなれば、自分の半径3メートルの周囲を良い方に変えていこうとする意志の表れとしての転職なのだ。そうしてみると、ゆいこにとっての旅も、単なる紀行ではなく、自分の感性を手で触れて確かめるための行動のように思えるし、小川千世にとっての同棲もまた、恋愛の自然な延長というよりも、自分の好きなものを信じていこうとする働きかけのように思える。「めためたドロップス」における転職や旅や同棲は、一見、矛盾した言い方になるが、自分が自分のままで変わっていこうとする、そのための選択なのではないか。その意志に溢れているからこその「未完成」ではなかったのか。
鮮やかなビジュアルデザインの冊子にはセンチメンタルではない「せつなさ」が込められている。「かわいい(可愛い)」とは「かなしむべし(愛シム可シ)」であり、かなしみいとしむべき心のことを言うのだろう。読者のかなしむべき心の部分がゆさぶられるのである。
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