金澤攝というピアニストがいる。
彼の曲を聞くと多くの人が涙する。
悲しいとか、叙情的ではない。彼は言う。
「自分の中に宇宙があって、
自分と宇宙をつなぐフタが開くときがある。
これ、と思った言葉にふれたときに、
そのフタが開いてメロディが聞こえてくる。
僕はその鳴り響いている曲を音にして、
ただ拾っているだけなんです」
この彼の内側の音楽が、私たちや、
もっと大きな宇宙を強く揺さぶっている。
私だけに、あなただけに聞こえること、
見えること、
これこそが宇宙とつながるための「本当のこと」、
これが彼のフタであり、
そういったものは私たちの中にもある。
私も何かを創り上げるときに、
そこにふさわしい音というものがある。
「本当のこと」は、物語の中にあって、
「本当のこと」は、音とともにやってくる。
私も何かを創り上げるときに、
そこにふさわしい形というものがある。
「本当のこと」は、物語の中にあって、
「本当のこと」は、頭の中にだけ見える。
銀河鉄道の中で「何か音がする」と
ジョバンニが言った。それだ。
銀河鉄道の外で宇宙空間を漂う金色の正四面体。
それだ。
チッコリーニの弾くサティ、
辻井伸行が奏でるショパン。
これらの曲は、人を「開く」音。
私はそう感じる。
昨日、君たちが銀河を描いていたときにかけていた曲だ。
どんな表現活動も、
つまるところ自分が紡ぐ物語なのだ。
そんな物語の中で、「本当のこと」を
見つけようとした人をもう一人、紹介する。
今日はピアニスト特集だな。
智内威雄さん。彼は若い頃、
イタリアのコンクールで数々の実績を上げたピアニスト。
彼の父親は画家であり、骨董品が好きで、
どんな作品からも美しさを見つけ出すことを学んだ。
だが、彼の人生が25歳の時、
局所性ジストニアにより右手の指が動かなくなった。
だが、彼はあきらめない。
彼の出した答えは、左手のピアニスト。
左手だけで弾く楽譜がこの世には数千曲もある。
その多くは第一次世界大戦で右手を
負傷したピアニストのために作られたものだそうだ。
だが、片手ゆえに、その奏でる音色の美しさは半減する。
最初は、右手が使えない人が仕方なく
弾く曲ではないかと彼自身、馬鹿にしていた。
しかし弾き込むことに彼は変わっていく。
その楽譜には、障害を持ちながらも、
それでも音楽を支えに生きていこうとした
ピアニストの魂が込められていたからだ。
だが、世の中は厳しい。
多くの音楽関係者がそんな彼を冷ややかな目で見ていた。
そんな中、1人だけ背中を押してくれた人がいた。
父親の兄助さんである。
「前からなんでお前は両手を
使っているのか不思議だった。
俺は片手に全神経を集中させ
魂を込めて絵を描いている。
本気で表現したいなら、
お前も片手に集中するべきだ」
父親が放ったその言葉にはっきりと未来が見えたと、彼は言う。
人は歌うし、絵を描く。
ピアノを弾くし、ギターを弾く。
自分を表現する中で、自分の物語を立ち上げ、
自分だけの「本当のこと」の中に生きる。
「その選択は美しい」、、、
世界から、宇宙から、そんな音が届く。