May 29, 2013

続・闘魂(高専柔道の回顧)

闘魂―高専柔道の回顧 (1967年) [−]
湯本修治(読売新聞社)
闘魂〈続〉―高専柔道の回顧 (1972年) [−]
湯本修治(日本繊維新聞社)

これも先日、野村道場の本棚で
中身見て興味深かったので、その後古本を探して買った。

ただしワタシが買えたのは(続)の方だけ。
これは、数千円で買えるが、
最初のやつは高すぎて無理。
(数万円する)

(続)には、大正15年から戦時体制による
高専柔道の終焉(昭和18年)までの戦記がまとめられている。
以下、目に付いた点を整理する。

 峪ち上げて一本」の決まり手がある。
昔はパワーボムみたいに持ち上げたら認定1本だったらしい。
「引っ込むところをむんずとつかみ、一気に差し上げて一本」とかある。
それはそれで一理ある。
「引っ込んで堅く守ったが、小兵のため抱き上げられて一本となる」
・・とかいうのは気の毒な気もするが。

持ち上げられそうになったら、一本負けを防ぐには、立たないとしょうがないか。
「立ち際」に投げられたとかいう記録も多いが、そのせいか?
三角絞め(たぶん前三角)が多いのも、
上から持ち上げようとして、接近したところを下から極めるのかも?

このルールも案外いいかも。

膠着も防ぐし、緊張感も増す。

それに、ブラジリアン柔術の「持ち上げてもバスターは反則」というルールも、
今の柔道の「浮かせたらマテ」も、なんか釈然としない気はしてた。
「バスター反則」だと、持ち上げ損だし、
「ちょい浮いただけでマテ」だと、下から三角とかで攻めても損。

,笋辰兮臂戦は30分してる。
1人で延長含めて2時間(!!)ぶっ通しで試合して、
試合後、力尽きて失神してる人とかいる。壮絶。

寝技乱取りした人はわかると思うが、
消耗度がすさまじい。特に死力を尽くした高専柔道。
球技とかの2時間とは違う。

試合中、水分補給もしないはずだから脱水、熱中症もあるか?

[ち技で投げられた負けも案外多い。
立ち技主体のチームもある
(大正15年西部戦優勝の山口高商とか・・・ただし京都武徳殿の全国戦では六高に大敗)
立技の判定に疑問を呈している試合もある。
絞めは落ちてるが、希に「参った」した人がいてヒンシュクかってる。
そういう面では、案外、今(七帝柔道)と変わらないかも。
ただ、前からの三角絞めは多い。

 並臉毅隠鞠ころには)左翼学生運動も活発になり、その攻勢と戦いながら
私大予科・専門部あるいは専門学校の柔道を抑えて、高等学校柔道が最高潮に達するのであるが、
昭和9年の北大予科の優勝を最後に・・・「高校柔道」の没落・・・とある。

左翼学生運動・マルキシズムの影響は大きかったらしい。
以降、大会出場前にまず学内の左翼思想と戦わねばならぬ試練に立たされたとある。
(井上靖は、マルキシズムの影響による柔道部への逆風と部員減少の対策として
練習時間を減らしたせいでOBとモメて退部した・・・とどっかで見た気がする)

※外部要因(時代背景)で部員獲得に苦労するのは現代だけでなかった。
※戦前も単純な富国強兵、軍国主義の時代ではなかった
(※コミンテルンの謀略と大東亜戦争かいうネタは、話がそれるので触れないけど、
歴史上、戦前の共産主義思想の影響が無視・軽視されていること自体おかしくないか?)

ただ六高と松山高だけは、左翼思想の付け入る隙もないほど結束を固めていたとある。

しかし私学・専門学校が入ってくると「高等学校」は徐々に分が悪くなったらしい。

昭和7、8年ころから私学・専門学校が台頭して「高等学校」を凌駕するようになり、
以降は、参加校も多く、強さでは「高・専柔道」最高の時代と言われた・・・
ただし「確かにこの時代は強いことには違いなかったが、
高等学校柔道(固技)の流れるような美しさは失われていた」(武専出身・大館七段)
(・・・という評もあったらしい。)

,笋辰僂蠡鸞舁讐覆僚仂譴箸はモメたらしい。
専門学校・私学(旧制)の出場も、高等学校(旧制)と分離すべきかどうかモメたらしい。
(高等学校(旧制)とは入試の難度が違うから)

拓大予科は昭和11年に高専大会に木村政彦を擁して初出場、初優勝している。
東京学柔連(講道館系)を昭和10年に脱退し、反対論をおさえて高専柔道に加盟。
1年の猶予期間をおいて寝技の練習に専念し、11年より参加した・・とある。

‖臉毅隠廓には、嘉納治五郎が講道館審判規定を改正
(※寝技を制限。講道館で引き込みが禁止になったのはこの時)。
大正15年には、嘉納治五郎が帝大柔道会に対し、
講道館審判規定の励行を厳重に申し入れたが、
帝大柔道会はこれを不問、従来通りの審判規定での大会運営を再確認した・・・とある。

昭和4年(?)にも嘉納治五郎は
高専大会の審判規定を講道館の新規定に合わせるよう意見をしている。
しかし帝大柔道会にはねつけられている。
逆に昭和3年(?)からは、帝大柔道会主催で、高専大会の審判規定による
全国中等学校柔道大会も行われ、中等学校(要するに旧制中学)の寝技も
長足の進歩を遂げる事になる・・とある。

昭和5年にも京大・東大の代表が嘉納治五郎邸で協議。
やはり物別れに終わった・・とある。
(※ウダウダいうなら講道館なんか脱退して、講道館とは別に
帝大柔道連盟で段位発行するぞ・・といってはねつけた説がある)

しかしこの間、
第13回(大正15)全国高専柔道大会東部戦(東北帝大で開催)では、
なんと三船久蔵が審判してる!
高専柔道と講道館と完全に断絶してたわけでもない?らしい。
講道館には珍しく三船久蔵は寝技を研究してたというから特別か?
そうなのか?なんか別のコネなのか?
翌、昭和2年の第14会高専柔道大会東部戦(東大山上御殿道場)でも三船は審判してる。

”霪租造任料換饌膕颪亮舁廚併邱腓蓮磯貝一の審判が多い。
(おそらく、武専教授なので最高の権威)
ちなみに磯貝は、もともと講道館門下だが、
嘉納治五郎がコネクションをつくるために?
(「町道場」の講道館が「公的権威」に取り入るために?)
「武徳会に派遣した人」・・・とされていたと思う。
もともと講道館出身なので、古流柔術(田辺又右衛門とか)には
寝技では分が悪かったらしいが、
武徳会・武専で寝技の修行も積んだのではないだろうか?

ゝ軼臙しА陛時四段)は大正15年に五高の師範になってる。
ただし当時、若干23歳。無名の青年であった・・となっている。

昭和3年の戦記には、以下の記載がある。
「当時牛島辰熊五段は、神宮大会出場の途、
毎年のように六高道場を訪れて数日間稽古をして行った。
・・・唯私が願うところは、この六高の道場の空気をしっかり脳の中にしまい込んで、
そのまま大会に臨みたい。ただそれだけである・・・」

 崟藜ゝ奸廚箸いΦ擦あったらしい。
六高の荒谷千次が開発したらしい
「・・千次逆は六高の秘技の1つ。荒谷千次の考え出した裏三角逆の一種・・」とある
(p140、昭和5年の六高校vs三高の戦記)。
この「千次逆」の荒谷による「初披露」は昭和2年らしい。
しかし、具体的には不明。

ちなみに、秘技、裏三角絞というのも出てくる(六高、中川励三)。
昭和3年の六高と山口高の全国優勝戦の戦記(p92)には、
「中川・・引っ込み下から攻め、逃げるところを背後に回って、
裏三角みに降したが、この技は高専大会に於いても初めて出現したものである・・・」とある。
ただし、昭和2年の松山高と六高の中部優勝戦の戦記(p55)にも
「中川はここにわが国初めての裏三角絞めの秘技を施して景山を葬り去る・・」とある。

具体的な技の形態はわからん。
(※時代によっては裏三角が今の横三角のことだったり、
裏三角を逆三角と呼んでたりもするようだ)
これらと博田五六の縦四方が昭和2年の六高の「かくし技」だったとされている。
いたち抑え(六高、山本峰雄)は、今と同じ技ならワタシもやる。
ちなみに、この昭和初期頃は、高専柔道最強と言われる野上智賀雄を擁した
六高の最強時代でもある(※昭和4年まで8連覇)。

 嶇咾論泙譴襪泙如絞めは落ちるまで頑張って頑張り抜く
凄絶そのもののごとき大会の雰囲気にもなれて、
近来の体育化した講道館柔道の形式倫理的武道観を根底から叩き直され、
これこそほんとうの武道精神の発露なりと感激した」
(昭和4年、同文書院米倉俊太郎の遠征記)

ちなみに、当時の強豪校、同文書院の師範は
昭和15年?より武専出身の道上伯であった(後に渡仏して、ヘーシンクらを指導)。

〔郛綯匆賤此箆珊癶京大)は警視庁との合同稽古で「・・助教を含めて八人を、
相手が疲れて代わるまで次から次へと立て続けに稽古したが、その強さには驚くほかはなかった・・」
(昭和4年、東大・京大の定期戦のために上京した際の野上について、京大陣営の感想)

ゞ豪・著名柔道家の高専柔道時代の戦歴も載ってる。
名前を確認して歴史と伝統を感じる。
名実ともにこの時期の高専柔道のレベルは世界トップであったこと、
むしろ講道館柔道よりも世界の柔道をリードしていたことがわかる。
以下(※敬称略)。
●野上智賀雄(六高、のち京都帝大3年時に全日本柔道選手権一般壮年前期優勝。
六校と京都帝大で牛島辰熊(全日本選士権者)に寝技を指導。
昭和6年には牛島を相手に柔道で初のラジオ生実況の試合を行い、
寝技で攻めたが引き分けに終わったという。)
●木村政彦(拓大予科:牛島の弟子。鬼の木村。
最強の柔道家。のち高専柔道仕込みの「キムラロック」でエリオ・グレイシーを破る)
●木村光郎(同志社高商:のちに佐藤宣践に寝業を指導。
その佐藤(全日本選手権者、世界選手権者)が育てたのが山下泰裕)
(ちなみに寝技の鬼才・絞めの奥田(奥田義郎)が習ったのは
この強豪同志社高商の元師範胡井剛一らしい。
奥田は岡野功(全日本選手権者、金メダリスト)にも勝ち越している
岡野の寝技のライバルであり、佐藤宣践をも全日本の舞台で絞め落としている)
●平野時男(拓大予科:木村政彦の後輩。
木村の記録を抜く講道館紅白戦四段の部で15人抜き。
大学高専個人戦(※学生の個人戦で、講道館ルールだったらしい?)では、
武専の松本安市を破り優勝。のちにオランダでルスカ、ヘーシンクらを指導。
ちなみに、松本安市はのちの全日本選手権者・天理大師範・東京五輪監督)
●平田鼎(関学高商:のちに寝業研究会主宰。佐藤宣践、小室宏二らに寝業を指導)
(※おそらく平田鼎あたりが「高専柔道」の最後の世代。
以降は戦時体制(招集と勤労動員)により「自然消滅」)

ちなみに木村光郎は三角の名人。
「右手で相手の後帯をとり、その手もとろも右足にて首を挟み、
相手の後ろに逃げんとするを利用し、
徐に自分の手を抜いてきめるのであって、極めて巧妙」・・と書いてある。

どんなかけ方だろう?
ラバーガードくらい密着しないと無理な気がするが・・・
佐藤宣践先生には伝わってるんだろうか?

<あこう堂>
あこう堂ホームページ
あこう堂の地図
(2号線からだと神戸新聞販売所のビル下をくぐって下さい)

‘讃譽譽鵐織襪両豺隋紛いてればいつでも可):
平  日:1時間:1000円〜(21時以降は1時間1200円)
土日祝:1時間:1200円。
(※ご予約はお早めに。お急ぎはお電話で。
確認のためメールもいただければ幸いです)
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Phone:080−5323−4775

∨莉疑緲砲量襪蓮
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J親夜21〜23:00ならいつでもできます。
お申し込みに応じて練習会開催してます。
内容は、まあ参集者次第でテキトーにあわせます(以下参照下さい)。
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