July 09, 2013

松本安市の近代柔道史

松本安市先生が講師を勤めた
「近代柔道史」※1)というのを教えてくれた人がいます。
ブログに載せなさいとおっしゃいますので紹介。

(抜粋だけでエエか?PDFで載せるのは若干面倒ですが・・)

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<まず私の注釈>
※1)第10回全国大学柔道指導者研修会・報告書、p23〜26。
研修会の開催は、平成4年8月21〜23
(於:日本武道館研修センター
 主催:日本武道館・日本学生柔道連盟、
 後援:文部省・全日本柔道連盟)
文部省か何かへの報告のために後日、内容・配布資料をまとめた小冊子らしい。

※松本安市は、武専出身の柔道家。大正七年(1918)生まれ、
昭和16年(1941)武専卒。
第一回全日本学生柔道選手権(昭和15/1940)優勝、
全日本選士権優勝(昭和19/1944)、
第一回全日本柔道選手権(昭和23/1948)優勝などの経歴を誇る。
東京オリンピック(昭和39/1964)時の柔道日本代表監督。天理大師範。
木村政彦との死闘、日本でのヘーシンクへの指導でも知られる。

※武専とは、武徳会の設立した武術の専門学校「大日本武徳会武術専門学校」。
GHQの占領政策により戦後、武徳会は解散、武専は廃校。

※武徳会(大日本武徳会)は、明治28年結成、明治42年に財団法人化。
剣道、柔道、弓道など武術全般の発展、普及、武士道精神の復興を目的とし
終戦時まで最大の団体で最高の権威であった。
段位の発行だけでなく、称号(範士、教士、錬士)も授与。
柔道の場合は講道館と併存し(どちらも段位を発行)、
講道館に対抗する古流諸派が集結し、
講道館とはライバルであったとも言えるが、
実際には古流柔術を統合する過程で、
明治32年の審判規定(大日本武徳会柔術審判規定)の制定、
明治39年の形の制定(大日本武徳会柔術形制定)
では、いずれも嘉納が委員長になっており、
また講道館からの人材の派遣なども通じて、
「講道館流柔術」の武徳会への影響も大きかった。
結果として、武徳会の隆盛が講道館柔道の発展にもつながり、
また講道館にも寝技技術が波及した面がある。ただその一方で、
講道館主導による寝技制限のルールにつながった面もある。
(・・・ワタシの理解ですが、こんな感じでエエか?・・・)

※松本先生の講義でも
「・・(実際は武徳会と講道館が仲が悪いとかは全くなく)
互いに嘉納柔道を行っておりました・・」とある。

※武徳会の称号制度は明治35年(1902)から。
第一回の「柔道範士」授与者は、揚心流:戸塚英美、四天流:星野九門。
嘉納治五郎が授けられたのは第二回。
柔道の段位については、当初は武徳会が講道館に推薦し、講道館が発行。
後に修行者の急増に伴い、武徳会が独自に発行するようになる。
(既に剣道では武徳会が段位を発行していたため
柔道のみ廃するのもおかしい)
しかし段位発行は講道館との対立の種になっていた。
(この項「武道を生きる(松原隆一郎)NTT出版」より要約)

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さて、本題に戻って、この「近代柔道史」の講義では、
松本安市先生が武徳会の武専出身というのがポイント。

講道館出身の人とは異なり、
高専柔道や武徳会にも理解を示し、時間を割いている気がする。
(講道館出身の人だとヘタしたら完全無視しそうだからね・・・)

<以下、「近代柔道史(講師:松本安市)」から、
このブログ読むマニア向けの部分のみ要約・抜粋>
●高専柔道は寝技に徹した。寝技の根基ともいえるのがこの柔道。
(※高専柔道で印象に残るのは木村政彦が小柄な同志社高商の難波選手に苦しめられ、
30分かかって引き分けに終わった試合(昭和12年/高専柔道大会準決勝)。
小柄な人でも合理的に試合ができるのが寝技の良さであります・・と述べている)
●全国的な審判規定は、明治32年に大日本武徳会で作られた。
嘉納治五郎氏を委員長に、各流派の人が委員となった。
●講道館でも翌明治33年に講道館乱取り審判規定が作られ、
その第一条に「柔道乱取り試合を執行する時は、投技、固技をもって勝負を決する」
とあり、試合は立勝負から始めるという制限はなかった。
●このため寝技は短期間にすばらしい進歩をとげ、
とくに高専柔道は寝技に対して熱心な努力を重ね、新しい技法を作り出した。
●大正13年(1923)には長足の進歩をとげ、
はじめから寝技で勝負するという戦法が多くなった。
これが嘉納師範を嘆かせ、講道館規定で「試合は立勝負から始める」と改正し、
寝技への移行に制限を設けた(※引き込みの禁止とか)。
●翌1924年には武徳会のほか多くの団体が同調したが、
帝大会と高専柔道だけは同調せず、
昭和19年まで旧審判規定として存続した。
●戦時中までは武徳会もあって、ある程度は協調しながらやっていたので
寝技もできたが、戦後の講道館は寝技ができないようなルールにしてしまった※2)。
●戦前の「東西対抗」での嘉納治五郎の訓示
「・・・柔道の乱取りで尊ぶ所は正しい姿勢を維持しながら・・・、
前後左右と自由に身体を動かすことが自然とできるようになる・・・」
●(戦時体制では東条英機を会長とする「東条武徳会」であったため)
戦後すぐに武徳会には解散令が出た。
この時一番哀れだったのが専門家の先生方。中堅クラスの先生方は
夜逃げ同然に京都を去っていかれた。(※「公職追放」された)
只一人阿部謙四郎先生が復活に努力していた。

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<以下、私のコメント>
※2)高専柔道出身者(拓大予科:平野時男)、武専・武徳会出身者(道上伯)など
に指導を受けたヘーシンクが、講道館柔道の神永を抑え込む場面を
松本先生は東京五輪の全日本監督として目の当たりにしてますから。
自身も武専出身でヘーシンクを指導した立場として、
(講道館への)本気の慨嘆だと思う。
ただ戦後の「寝技ができないルール変更」って?
武徳会、高専柔道がなくなったことを言っているのか?
ルールの運用、練習法、精神論などの問題か?

松本安市先生は乞われて天理大の師範もされ、名選手を輩出しているが、
もともと天理大創設者・中山正善(天理教二代目真柱)が、
旧制大阪高校で高専柔道の経験者なんですね。
(秘伝2012年8月号p12/文・増田俊也)
・・・そういうことか。

私は柔道界にはうといのですが、
いつから天理は寝技がおろそかになったんだろう?
天理の人は、たしかにちゃんと組んで投げるイメージはあるが、
最近の篠原とか穴井とかのザマはどうなのか?
コケても抑え込みに行かずガッツポーズしたあげくに負けて泣く(篠原の五輪決勝)、
一本取る柔道とやらのハズが、押さえ込まれて一本負けして泣く(穴井の五輪初戦)。
嘉納治五郎は知らんが、高専柔道の故中山真柱こそ泣いてるんではないのか?

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こう並べてくると、戦後の柔道界からはむしろ
武徳会より「町道場」講道館が消えてくれた方が
よかったんじゃないか?

(初期の統一や普及の功績は大としても)
講道館だけが家元みたいにうまく残って、
普及した柔道を吸収してしまったのがよかったのかどうか?
剣道界みたいに全部ご破算になって
「講道館」や「嘉納治五郎」も忘れられた歴史になって
武徳会的なものが全柔連で復活した方がよかったんじゃないか?
そんな気もしてくるが・・・

そう感じるのは反講道館の立場?!(ワタシ?!)だからか?
講道館のヒトは講道館や嘉納治五郎がエライから
柔道自体残せたと思うのか・・
武徳会側からみたら町道場の私利私欲のために
柔道界のあるべき姿を歪めたととられてもしょうがないかも?

今度は、「古流柔術」の部分について講義内容から要約・抜粋しとこうと思う。

んじゃ。

柔道界

















参考:「木村政彦は〜(増田俊也)」P218

<「講道館」「武徳会」「高専柔道」の勢力図>
http://blog.livedoor.jp/akoudou2008/archives/2013-06-04.html

<あこう堂>
あこう堂ホームページ
あこう堂の地図
(2号線からだと神戸新聞販売所のビル下をくぐって下さい)

‘讃譽譽鵐織襪両豺隋紛いてればいつでも可):
平  日:1時間:1000円〜(21時以降は1時間1200円)
土日祝:1時間:1200円。
(※ご予約はお早めに。お急ぎはお電話で。
確認のためメールもいただければ幸いです)
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∨莉疑緲砲量襪蓮
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内容は、まあ参集者次第でテキトーにあわせます(以下参照下さい)。
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