August 08, 2014

三角の話(序文)「横三角と千次逆の謎」/続・闘魂「高専柔道」三角の決まり手

今、一部のマニアの方の間で
高専柔道から続く「三角」の話ほかが盛り上がってます。

三角についての現状の情報だけ整理しておきます。

お断りしておきますが、この内容は、
ほぼ、東北大柔道部OB某君調べで、
まわりは突っ込んだりしてただけです。

あとはやはり東北大の先輩で
某校教授で柔道部部長の先生
から貴重な資料がメール送信されてきてます・・・
(※六高部史の写真とか)

私は部誌はむろん、元の資料(本)すら持ってないのもあります。
(マニア度で負けてます)

(※六高部史の野上智賀雄や荒谷千次、中川励三などの
おそらく昭和2〜3年ころの集合写真も貴重。
私はどの方も初めて写真みました。

野上智賀雄氏は、木村政彦より以前、高専柔道史上最強と謳われた強豪。
高専柔道の枠を超えて、
柔道史上の強豪にも列せられており、立ってよし寝てよし、
個人でも後に京都帝大在学時に全国制覇(全日本柔道選士権大会)。
牛島辰熊への寝技の指導や対戦でも知られてます。
(寝業では野上が上、立っても同等だったらしい)。

また下に説明しているように、
荒谷千次氏は、「千次逆」の、
中川励三氏は「裏三角絞」の開発者です。

ちなみに、荒谷氏は戦後、中国で消息不明になったとのこと。
満州では地方行政の第一線にたち(満州国吉林県福県長)、
人望あつく、中国語にも堪能、
現地の老百姓からも信頼と尊敬を集めていたと。
しかし、敗戦後、居留民の引き上げ作業に従事されておられた際、
自らは脱出を断り、最後まで踏みとどまった責任感がアダとなり、
中共側に逮捕連行されたとのこと。
その後は、炭坑で労働していたという風の便りがあるのみと・・・
そのご無念いかばかりか・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●疑問点:

 峅三角」は昭和12年に拓大予科が開発した説が
「木村政彦はなぜ力道山を〜」にある
(以下の本のp128ページ「新兵器、横三角の開発」)



つまり「拓大予科」が高専柔道大会連覇のために※
(※大将に木村政彦を擁し昭和11年に初出場初優勝)
昭和12年に横三角を「開発」 したという説だが、
これは間違いでは?
 
なぜなら、それ以前の決まり手にも「横三角」はある。
なので、拓大予科は「新開発」したのではなく、
「新兵器」「秘密兵器」として、
練習して取り入れた、というような意味ではないか? という話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
●今、わかってないこと:

不明点
<各種三角の呼称の変遷と実際の技の発展>

「前三角(表三角、正三角)」、「後三角」については、
現在の呼称も昔の呼称も
特殊な例を除けば、それほど差はない(たぶん)
というか、今の認識では誤解は生じない。

しかし、「逆」、「裏」、「横」三角あたりの呼称となると
その時代によっては怪しい。
そうなると「後三角」も「横三角」「裏三角」あたりと、
どっちがどっちかわからなくなる。

<参考>
七帝柔道応援サイト(推奨図書)
古いけど現在も入手可能なスタンダード と、もっと古い書物↓との違い。
高専柔道の真髄』(1977(昭和52)初版)
柔道は斯うして進め(小田常胤)(昭和24年発行)
    (※「柔道は斯して勝て(1919(大正8)か1920(大正9)
」とは別の本)
●『寝技の攻めと防ぎ (久永貞男※)』(昭和42年発行)(初版は昭和38?)


・・・・・・・・・

 惺眄貊斉擦凌真顱『柔道は斯うして進め

    横三角絞    裏三角絞
    後三角絞    後三角絞
    裏三角絞    逆三角絞

なので、現在のふつうバージョンの横三角を
古手の人は「裏三角」と呼んでたりもするらしい。)

 惺眄貊斉擦凌真顱戡『寝技の攻めと防ぎ

    横三角絞  →  後三角絞
    後三角絞  →  裏三角絞
    裏三角絞  →  (記述無し)
  (注:前三角は単に「三角(絞め)」としている。)

 

久永貞男(九大柔道部元師範 旧制福岡高柔道部師範)
S3年 武道専門学校卒業
S3年 武道専門学校助手並びに助教授
S5年 旧制福岡高等学校助教授
S24年 九州管区警察学校教授

<その他>
見てると、昔は個人で適当な名称をつけてた気がするが、
「三角」が、「講道館」の技の体系外だったせいもあるのではないかと。
これより、もっと遡ると・・・
(もっと名称が定まってない頃だと、以下参照・・・)

●ぁ崕斉斬膣僉1929=昭和4年初版?)」:
※小田常胤(旧制二高師範/(明治25〜昭和301892〜1955)の
「柔道大観(昭和4年)」には、
変形の前三角を「横三角」と記載してあるようだ。
前三角で足の組み方が逆だと「反対三角」となっている。
「裏三角」と呼称しているのは、たぶん今でも「裏三角」。
(※この本には、甲種とか丁種とか、
各種三角の解説だけで70ページくらいあるらしい。)
(※ワタシは、この本持ってないから他の情報は知らないけど、
拓大予科が「開発」したとされる
昭和12年まで「横三角」だけないというのは考えにくい?)
(※購入して確認すべきか?高いんよね・・・
マニアの方はどうぞ・・・)
(※追記:某教授情報によれば、この昭和4年の「柔道大観」には、
今の横三角と同じ形態の技は載ってないらしい。
今の横三角っぽい形のままでの抑え込み技はあるが、
入り方などが違うらしい)

●ァ嵜啓綾斉察1925年=大正14年)?1926年?)」:
※金光弥一兵衛(旧制六高師範/明治25〜昭和41(1892〜1966))の
「新式柔道(大正15年)」というのがあるが、
金光弥一兵衛は、(前)三角を、松葉み絞と名づけていたらしい。
(三角逆は→腕挫松葉固め)。
他の著書には「柔道の本義(1953=昭和28)」とかもあるらしい。
(※追記:新式柔道(1926年=大正15年)?では
前三角、後三角はあるが名称は松葉搦。
今の裏三角みたいのもある。
ただし、今の横三角と同じ形態の技は載ってないらしい。
いずれも某教授情報。)

不明点その
<「千次逆」>
六高の開発した「裏三角逆」の一種とされている(「続・闘魂」p56、p140)。
六高の荒谷千次が昭和2年に高専大会で初投入したらしい。
以降、六高の選手の決まり手に出てくる。
(※「続・闘魂」=(大正15年〜高専柔道の消滅までの戦記))

しかし、千次逆の具体的な形については、
「闘魂」「続・闘魂」の著者である湯元先生(旧制松本高校→東大)も、
ご存知なかったらしい。

その開発者で中国大陸に消えた荒谷氏本人とともに
技も消えゆくのか・・・
あるいは今では一般的な形だったりもするかもしれないが、
それもわからない。

仁木先生も「千次逆」について、聞いたことはないとのこと。

・当時は新技は他校でもすぐ研究していたからやっていたとは思う。
(※仁木先生は高専柔道経験者から戦後に習得された世代)
・ただし名前などは教えてくれたことはない。黙って決めるだけ。
・三角は表、裏、横、後などとは一度も聞いたことはないように思う。
・どんな挟まれ方でも名前は「三角」というものだと思っていた。
・・・・・とのことでした。


ちなみにですが、「続・闘魂(p355)」にあった、
木村光郎先生の「帯取り諸手三角(仮称)=相手の後帯とった自分の手ごと前三角」
は、以前に仁木先生にご指導いただけました)。
しかし、形はたぶんわかったけど、どう使いこなすのか???
まず普通の前三角ができないと・・・

別の話ですが、「三角」は、道場にいたみんなで思いついたことであって、
金光さんは、要するに、その「代表」っていうこと・・みたいな話も
仁木先生から聞きました。

<参考>
 東北大柔道部OB某君のまとめた
「続・闘魂(高専柔道の回顧)」より、三角に類する決まり手情報のまとめ:
 (※私は内容の再確認してませんが、たぶん、(前)三角は省いてある。
単に「三角」となっていたら前三角と思っていいんでは?)
(※勝敗だけで、決まり手まで書いてない戦評も多い。
なので実際は、前三角とか相当に多いはず。そこは今の七帝戦と違う点)

■横三角絞
S6年 六高(七将 吉田寧)⇒広島(副将) :攻めて→横三角絞で取り
S12年 二高(六将)⇒山形(副将) :横三角絞に屠り
S13年 東北学院(五将)⇒二高(四将) :【受け引っ込み、取り上から】長驅
を利して入り、→横三角絞にてとる

■裏三角絞
S2年 六高(五将 中川励三)⇒松山(参将) :「景山鼎二段は専ら守りを堅
くして立ち向かったが、中山はここでわが国初めての裏三角絞の秘技を施して景
山を葬り去る。」
S3年 六高(六将)⇒山口(副将) :逃げるところを背後に回って→裏三角緘み
に降した
S4年 松山(中堅)⇒六高(中堅) :引き込んで返され→裏三角逆に固められる
    松山(六将)⇒六高(五将) :背後に回り→裏三角に挟めば
S7年 五高(四将)⇒明治専門(副将) :送り襟から→裏三角絞に入ったが
S12年 松山(七番手)⇒六高(七番手) :裏三角に入られ→そのまま崩上に抑
え込まれる
S14年 拓大予科(七番手)⇒静岡(副将) :裏三角絞で討ち取る
S16年 拓大予科(六番手)⇒水戸(七将) :裏三角絞に不覚をとる

■千次逆(※裏三角逆の一種らしい)
S5年 六高(五将)⇒三高(大将) :巧みに後ろに回って→千次逆にきめる
S11年 六高(大将)⇒四高(五将) :千次絞より→転じて抑えんとするも逸し

■後三角絞
S7年 六高(七番手)⇒関学高商(七番手) :引き込むに乗じて攻め入って→後
三角に挟み、→腕挫ぎにいったが逃げられ、崩上にて固めとる
S8年 六高(七番手)⇒八高(副将) :うしろに回って送りを狙い、虚を突い
て→後ろ三角逆にきめる
S12年 東亜同文書院(中堅)⇒明治専門(四将) :後三角にてとる
S12年 同志社高商(五番手 木村光郎)⇒北大予科(七将) :後三角に絞め落
され
S16年[12人戦] 六高(五将)⇒四高(五将) :送りより→後三角逆に入って
とる

■逆三角絞
S17年[インターハイ]松山(七番手)⇒静岡(七将) :逆三角絞に降ろして
S17年[インターハイ]二高(二番手)⇒山形(三番手) :「松村賢吉初段山高
実力大将加藤三段と組むや引っ込むを、加藤すばやく頭に回わる。突如、松村の
足一閃するや逆三角の秘技見事にきまる。」

■(正三角絞)
S13年 二高(六番手)⇒桐生高工(中堅) :引き込むを→正三角にて屠る
 
・・・・・・・・・・・・・・・

<補足と感想>
●(昭和2年の戦記に以下の論評がある・・・):
・・・この大会で初めて現れた中川(励三)の裏三角絞と
荒谷(千次)の千次逆、それに博田(五六)の縦四方固めを

「六高のかくし技」といわれ、
山本峰雄の「いたち抑え」とともに六高の特技であった・・・


●「続・闘魂(高専柔道の回顧)」で
最初に登場する「横三角」は昭和6年だが、
この当時の「横三角」とは、
実際は、前三角の一種(変形)ではないかとの説
(東北大OB某先生)。
※言われてみれば、正面から掛けたっぽい技の経過である。
※上述のように、 「柔道大観(昭和4年)」には、
変形の前三角を「横三角」と記載してある。

●「続・闘魂(高専柔道の回顧)」では
「逆三角絞」が昭和17年に登場するが、
これは、現在の「裏三角」ではないかとの説
(これも東北大OB某先生)。
※上述のように、
『柔道は斯うして進め(小田常胤)(昭和24年発行)
にある「逆三角絞」は、現行の「裏三角絞」らしい。

●昭和14、16年に
拓大予科の選手が「裏三角絞」※で抜いた記載がある。
(※誰の呼称か、誰がいつ書いた戦記かは不明だが)
年代的に、この名称が拓大が「開発」したという
今の「横三角」ではなかろうか???
ちなみに「裏三角」の初出は、それに先立つ昭和2年で
六高の中川励三である。

「裏三角」が実は今の「横三角」だとして、
その呼称が、「続・闘魂」の中では、
同じものを指しているとすると、
昭和2年に中川(六高)が裏三角として「開発」し(初披露し)、
拓大予科は、昭和12年に、
これを「新兵器」横三角(※現在の呼称の場合)
として取り入れた?
・・ということも考えられるが、さて?
(仮定がいくつも重なっているのでなんとも・・・)

●昭和2年に中川(六高)が現在の横三角を「開発」した。
(それを当初「裏三角」という名称で呼んでいた)
という推測は十分成り立つ。
なぜなら、
・大正15年の「新式柔道(金光弥一兵衛)」にも、
・昭和4年の「柔道大観(小田常胤)」にも、
「現在の横三角」は、ないらしいのである。

どちらも当時としては最先端で技術の網羅的な本である。
昭和2年に中川が高専大会で初披露したとしたら、
当時の状況なら、他校で技の研究、習得しようとしても?
昭和4年発行の本には間に合わない可能性が高いか?

ただ年代的に、そのころには確立された可能性も高いのでは?
拓大の件まではわからないが・・・
(他校の技を知らずに独自開発した可能性もなくはないし、
他校から新兵器として取り入れた可能性もある)

●当時、カメで守ることがマレであること、
しかし、木村政彦相手にはタックルやカメもしたらしいこと、
木村がその対策として腕絡み(キムラロック)が得意だったこと、
・・・などを考えれば、
腕絡みの態勢からの横三角は自然な形であるから、
木村が「最初に」やり始めても無理はない気がする。
ただし、もっと前からあっても不思議はない気はする。

●これも仮定の話ですが、
六高の中川励三の「裏三角(昭和2年)」が、
今の通常の「横三角」だとします。
そうなると、同時期の六高の荒谷千次の「千次逆」も
「裏三角逆の一種」だとされてますから、
「千次逆」は、今の「横三角」から腕を逆に極める技という可能性はある。
挟んだ腕の反対の腕をアームバーや腕絡みに極めるのではなく、
足で挟んだ方の腕を押し下げて極めるタイプとか?
(あくまで、私の想像です)

<参考:現在の通常の「横三角」>
 

●もし中川励三の「裏三角」が「反対向きの裏横三角」(私の認識です)
つまり中村兼三の三角や中村美里の三角
カメ取りから通常の横三角と反対に返して
挟んだまま「浮き固め」で押さえ込むタイプだったり
(その可能性は低いと思うが)、
あるいは、仁木先生が指導してくれる「今の裏三角」だとしたら、
PB050146
そこから腕の逆もとれるが・・・
(例えば、「寝業の傳統」p97上右の裏三角逆)
PB080163 (3)
前提が違ってくるので、もう何が何だかわからない・・・

<参考:中村謙三の横三角>
(うつぶせの相手に掛けてから通常の横三角と反対返し)



<参考:前三角、裏三角、後三角>


<参考:裏三角>


●上記のように「高専柔道」の枠の中での「開発」って言っても
古流柔術には昔からあったりもしそうですが・・・
名づけたり、普及、発展させたりする労力が実は重要かと。
それによって、さらに加速度的に技術が発展する。
これは、今のブラジリアン柔術見てても思う。

●ちなみに昭和26年(1951)の木村Vsエリオ・グレーシー戦では
木村政彦が「現在の横三角」をみせている。
この時点では、もう普通の技だったと思う。

もっともこの当時の技の名称はわからない。
『柔道は斯うして進め(小田常胤)』(昭和24年)
では現在の「横三角」が「裏三角」として載っているようだ。
(※注:
『柔道は斯うして勝て(小田常胤)1919(大正8)だと
そもそも横三は載ってないらしい)。

(映像ではわかりにくいが、
試合中、木村はエリオに何度も横三角絞をかけ、
それで一度落ちていたとの記載もある。
上掲の「木村政彦は〜」のp396、p398)

(※木村政彦は拓大OB。
高専大会で木村を擁する拓大予科は、
昭和11年に初出場初優勝、
昭和12年が準決勝敗退。
個人では昭和12年に全日本柔道選士権大会を初制覇。
拓大予科が横三角を「開発」したとされる昭和12年の時点では
拓大予科は連覇を狙っており、木村は最上級生で在学中である)

●ところで、
「日本の古武道・高専柔道」の動画で横三角を演じている(4分40秒〜)のは

https://www.youtube.com/watch?v=k6r8FwKr2YQ&index=2&list=PL4A9FA245EC571224 

旧制松山高(昭和9〜11年)で
高専柔道を経験した島井進三さんらしい。
(三角はゆるそうなのに、
相手が簡単にマイッタすると思ったらエリとって絞めているようだ)


・・・・・・・・・・・・・・
O君へ。
まとめて「正式発表」するには時間がかかりそうだから、
とりあえず、ここに残しといたよん。

んじゃ。

<追記>
柳澤健氏(ノンフィクション作家)が以前、
ゴンググラップルで

「金光弥一兵衛と旧制六高柔道部」みたいなタイトルの連載をしてました。

三角締めの開発は金光か?

ブラジルのグレーシー柔術に三角絞を伝えたのは小野安一か?

・・・みたいな三角の開発と伝承を軸とした
壮大な歴史大河ロマンになるはずが(たぶん)

3回くらい?で前段の話で終わっていたと思います。

 

あの人がまとめてくれたら素晴らしいものができたはず・・・
(続きはあるんだろうか?)

あとは、三角の呼称の変遷とかだと、案外、
「柔道のプロ」の人達が大学の卒論とか修士論文とか博士論文とか
でまとめてくれてるかも??
(七大のOBとかには、「体育」方面は盲点?かもしれません)
 
柔道誌にも掲載があるかもね?
(私には「柔道」が盲点です)。

まず、文献検索しなはれ。
どなたか情報よろしく。

ははは。
 
私としては、まず、
先日、仁木先生に習った裏三角をマスターしたいが、
その前に、前三角もまだまだだし、
横三角も改良の余地がありまくることがわかったのである。
仁木先生に習うと(自分のできなさがわかって)こうなるのである。
大変なのである。
 
しかし、そもそも、練習とかの前に仕事片付けないといけないのである。

なのに、ブログで時間をとってしまったのである・・・

ははは。

<参考>
ナゾの立三角絞の話
ナゾの立三角からの続き<千次逆>

<追記>
O君の追加の考察。
もう面倒になってきたので、以下にそのまま貼り付けておく。
よろしく。

 中川励三の裏三角絞め」が

 

S12年 松山(七番手)六高(七番手)

 :裏三角に入られそのまま崩上に抑え込まれる】

 

から推測するように

 

今で言う横三角絞め」だとすると
 

『続 闘魂』の裏三角のその他の記述と

相性の良い寝技の動作(動画)が

ありました。


1).
S3年 六高(六将)⇒山口(副将)
:逃げるところを背後に回って→裏三角緘みに降した

S4年 松山(六将)六高(五将)

:背後に回り裏三角に挟めば

 

   ↓↓↓

Kosen Judo Vol 1 Part 2 の 4:34から

https://www.youtube.com/watch?v=k6r8FwKr2YQ&index=2&list=PL4A9FA245EC571224

 

 

 2).

S4年 松山(中堅)六高(中堅)

 :引き込んで返され裏三角逆に固められる
S7
年 五高(四将)明治専門(副将)

 :送り襟から裏三角絞に入ったが

 

   ↓↓↓

Kosen Judo Vol 4 Part 2 の0:57から

https://www.youtube.com/watch?v=x6KaYGC4Fy4&list=PL4A9FA245EC571224&index=11

 

※注:

地獄絞め」を「送襟絞め」の一種と見なせば都合が良いのですが。
(地獄絞め  送襟絞め)

『続 闘魂』には「地獄絞め」という記述が無かったと思います?? 
有ってもよさそうですが?

区別していなっかたのかな?

 

 

「現在の」横三地獄絞め1

https://www.youtube.com/watch?v=pIC9jv6f8SQ

 (※ちょっと手順がもたついてるけど)

 
<あこう堂>
あこう堂ホームページ
あこう堂の地図
(2号線からだと神戸新聞販売所のビル下をくぐって下さい)

※以下、いろいろ書いてるけど、ご要望さえあれば、
開催法、曜日・時間、料金体系とも見直します。
まぁ、いっぺんお問い合わせください。
お申し込み・お問い合わせ(こちらをクリック)
Phone:080−5323−4775

‘讃譽譽鵐織襪両豺隋紛いてればいつでも可):
平  日:1時間:1000円〜(21時以降は1時間1200円)
土日祝:1時間:1200円。
(※ご予約はお早めに。平日は極力2時間以上お願いします。
お急ぎはお電話で。確認のためメールもいただければ幸いです)
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(※最新状況はお問い合わせ、あるいはブログなどでご確認ください。
待ってる時でも人が来なけりゃ帰ります。
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J親夜21〜23:00ならいつでもできます。
お申し込みに応じて練習会開催してます。
内容は、まあ参集者次第でテキトーにあわせます(以下参照下さい)。
別に料金だってどうでもいい。めんどうなんで書き換えてないだけ。
とにかくいっぺんお申し込みください。
平日21〜23時練習会について
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