August 28, 2014

二村雄次先生と七帝柔道の話

「七帝柔道対談第二弾」らしい

GONG(ゴング)格闘技 2014年10月号
イースト・プレス
2014-08-23


ゴング格闘技10月号の
二村雄次×増田俊也
「七帝柔道記」先輩後輩対談、第二弾
「柔道よ、文武両道に還れ」

二村先生※については、肩書き、経歴があり過ぎて省くが、
とにかくエライ先生なのである。
(※1943生、1963(昭和38)一浪で名大(医学部)入学。
/現在、愛知県がんセンター名誉総長)

エライ先生過ぎて、逆に下々の人間はカンケーないかも知らんが、
七大柔道のエライ人や医療分野エライ方では知らない人はいないのである。
医学界で世界的権威であるだけでなく柔道界でもスゴイ人なのである。
頭が高い。
ひかえおろう。

名大OB(元主将)であり、長く名大師範を務めておられる。
増田さんとは名古屋の名門旭丘高校の先輩後輩であり、
七大柔道としても先輩後輩という対談である。

対談内容は読んだほうがいい。
大変感銘を受けます。

七大柔道時代に柔道が強く、
かつ燃え尽きるほど真剣に取り組み、
卒業後は社会(医学界)に貢献され、
さらに柔の道をも続けられて、
その世界でも貢献しておられるという
七帝柔道経験者としては
理想的かつ模範的な大先生であらせられる。

従って、対談では、七帝柔道についてもそういう観点で
(人間教育として)とらえておられる。

いわく・・・
・チームプレーの重要性。
滅私、自己犠牲、弱者を守るには自分が強くなる。
・リーダーはチームの先頭に立ち、責任をとり、弱みを見せない。
・根性。柔道に比べれば、仕事なぞ苦しくもなんともない。
・学生時代に柔道だけで空っぽの頭の方が切り替われば吸収がいい。
追いつき、追い越す精神力、集中力、体力もつく。
・いかにあのルールの団体戦が
精度の高い青年育成システムなのかわかる。

・・・おっしゃるとおりでございます。

え〜、ひるがえって、わが身と照らし合わせると大変残念に思うが、
人には分(身の丈)というものがあるから、
無理してはいけない。
所詮、自分のできることしかできんのである。

わたしなんぞ、
20歳前後の学生でもできる奴はできていた
「足を効かす」とか、
最近になって勉強してるんである。
(ちなみに、今年50歳である)。

何か1つできても、
できないことの多さに気づいて
愕然とする。

社会で何か成し遂げたか?と問われると、
もちろん何もない。
(ちなみに、あと10年もすれば還暦である。
立派なジイさんで、以前なら定年の歳である)

いいのか?

いいのだ。

つうか、60歳くらいには寝業に関してなら
ある程度のことは
教えられるようになっている「予定」である。

大丈夫。
まだ「卒業」できないだけである。
人より遅いだけなんである。
(ちょっと遅過ぎるが)。

社会に貢献どころか、
ヨメ子供を食わすだけで精一杯である。
ヨメからしたら不満があると思う。
「食えてないやん」というかもしれない。
(こういう点は、反面教師としていただきたい)。

いい点もある。
エライ先生と違って
単なるオッサン(ジイサン?)だから、
気軽に練習とか、遊びに来てもらえばいいんである。
(ちなみに、あこう堂のことである)

人が来ないけど・・・

まぁ、ちょっとやりたい人に
ちょっと場を提供できればいいかなとは思う。
(昨日の水曜夜練もいちおうやった)

それより、対談の中で
格闘技的に大変刺激的な内容があった!!

●講道館ルールでも寝業の「待て」はなかった(昭和40年代?)
持ち上げて「立つ!」と言われるまではやれとった(二村先生談)。

・・・
そんな話は初めて聞きましたけども?!
相手が立つまで寝技をエンドレスでやらせてくれるんなら
「引き込み」の有無以外は、
七大ルール(高専柔道ルール)と一緒じゃん。

理想的です。

そんな「柔道」がそのへんでやれるんなら、
ワタシも、余計なこと(あこう堂とか)やらんでいいんである。
普通に「柔道の道場」に行って練習できる。

ワタクシ実は、
格闘技的には「引き込み」はどうかと思うんである。
ただ「待て」もどうかと思うっつ話である。
ついでに足触ったら投げた方が反則負けという今のルールもおかしい。
だから、もはや七大ルールしかやる気がないっつうだけである。

一対一のデスマッチなのに(と思うのに)、
極めそうになったところでブレークはおかしい。
なので、好きなように続けさせてくれるんなら
別に七大ルールじゃなくてもオッケー。

立ちたいなら、審判に頼るんじゃなく、
自力で立って、
好きなように立ち技を続ければいいんである。
倒して勝負がしたければ、
引きずり倒して寝技で仕留めればいいんである。
シンプルな話である。
最初は武術なんだから。

まぁ、別に「待て」がありでも、
代わりに、技の方もなんでもアリにしてくれるなら
それでいいんだが・・・

なんだかな〜
昔の柔道ほどいいじゃん。

今や、禁じ手は加速度的に増えてくるし、
どんどん残念になっていって、
まったくやる気がしないけど・・・

<その他、対談中の話>
\里諒(昭和40年前後?40年代?)は柔道人口も多く盛んだった話:
△修涼罎砲△辰銅径腓離譽戰襪盥發った話:
・柔道部の新入部員は50〜100人いた
(※北大と名大の話だが、他校も同じと思う)
そこから練習の厳しさで、徐々に減る。
全部員で40人くらいか。
最終的に残るのは、1学年に6〜7人。
七帝戦も非常にレベルが高かった。
(・・・以下は対談中に出てくる選手・・・)
●鈴木省三(名大昭和36年入学):
「七帝の神様」と言われた。
巴投げ、絞めと関節が得意。
東京五輪軽量級代表にノミネートされたが、
「70kgの体重を、軽量級(おそらく63kg)まで落とせ」と言われたことに
岡野好太郎師範(名大)が激怒して蹴った。
●山中邦捷(東大昭和39年入学):
七帝史上に残る超弩級の一人。
東京五輪軽量級最終候補、日ソ対抗代表。
●沢井宏(九大昭和39年卒業):
日本初の体重別全日本(昭和36?)で軽量級3位。
(※準決勝が優勝者・岩田兵衛との対戦。
正当な判定なら勝ちだった試合で
後日、岩田さんも「誤審(というかヒイキ判定)」を認めたと聞いている。
歴史に名を残し損ねたんである。その話を増田さんが覚えていて
掲載時に盛り込んでくれたとのこと(書いていいよね?))

<私の感想>
他にも、近い年代の七帝選手としては、
東大昭和49年卒で七帝の誇る超弩級、三本松進※さんもいる。
(※三本松氏は、七帝史上に名を残す大型選手。
モントリオール五輪で日本の悲願、初の無差別級王者となった
上村春樹にも一本勝ちした経験がある)

東大昭和45年卒(?)では宗岡正二さん
(※東大主将、現:全柔連会長、新日鉄住金代表取締役会長、経団連副会長)
も強豪である。日体大生を前三角で6人抜きしている。

(対談中にも紹介がある)

(ちなみに、二村氏が6年生(医学部)の時、
東大3年生の宗岡氏と七大の代表戦で戦ったと。
要するに両校の最強選手であったということ。
『お互いに攻撃に次ぐ攻撃、攻めに攻める壮絶な戦い』
それも決着つかず2回戦い、最後は抽選の勝負になったと。
(※七大戦では、決勝戦以外は代表戦3回で抽選になる))

柔道が初の五輪競技となり、戦後の復興の象徴でもあった
東京五輪(1964/昭和39)開催の前後に
日本の柔道界が盛り上がったのは理解できる。

しかし、そのような柔道界で
トップ選手にも比肩できる七帝の選手が輩出されているのは、
柔道専業ではない一般入試(しかも難関校)の学生であることを考えれば驚異的。

これは、
・当時のルールが七大ルールに近い(たぶん)という中で※、
・当時(というか戦後)、講道館柔道が主流になり寝技技術が衰退していたこと※※、
・七帝ではいち早く「高専柔道」を復活させていたこと※※※
(今だって、「柔道」でも寝業は大事だと思う。やらないだけ)
・チーム一丸となって驚異的な練習量をこなしていたこと
があるように思う。
さらに、
・七大では、一番大事な立ち技から寝技への移行部分も含めて(連続して)
普段から練習している
のもポイントだと思う。

※七大柔道で強い人なら、なんでもアリか、
デスマッチルール、要するに七大ルールでやらせてもらえば、
同階級の「柔道」選手には負けるわけがないと思っているはず。
※※東京五輪で、神永(明大・講道館)がヘーシンクに抑え込まれたのが象徴的。
※※対談中にあるように、武専出身の岡野先生など軒並みGHQに公職追放されている。
道上伯、粟津正蔵、阿部健四郎などは海外に渡って指導している。
※※ちなみにヘーシンクやルスカを海外で指導したのは、
道上伯(武専)や平野時男(木村政彦二世と言われた強豪。高専柔道時代の拓大予科出身)。
※※※戦前の高専柔道ルールにそった七帝柔道(七大戦)の復活は、
サンフランシスコ講和条約によって占領が(いちおう)終了した昭和27年。
(以降、七大では急速に寝技に対応、高専柔道の経験者に師事したりして、
技術も復活させている)。

今でも、講道館というか日本の柔道界が
寝技を軽視して失敗し続けているのは、
高専柔道、武徳会との対立、
講道館としてのDNA?かアイデンティティー?が、
悪影響しているように思われる。
(もともと古流柔術を相手に投げで勝てるように
ルールを改訂してきたのが嘉納治五郎の講道館「柔道」)。

(しかし、戦争の余波と米軍の占領政策で
高専柔道、武徳会が消滅。
戦後は、講道館しか残らなかった)。

武徳会、高専柔道の系統の指導者は
国内で居場所を失ったために、海外に渡ったが、
その系統の指導を受けた海外選手の方が、
今でも、よっぽどしっかりした柔道、
しつこく攻める寝技をやっているんである。

日本に残った最後の砦が七大柔道である。
貴重なんである。

細々ではあるが、「高専柔道」を復活させ、
続けていることに意義があるんである。

L沼臀斉刺瑤砲弔い討力叩
二村先生が名大で師事したのは
・岡野幸太郎先生(無相流柔術出身、武専の一期生、金光弥一兵衛の前の六高師範)
・小坂光之介先生(元四高師範、「北の海」の大天井のモデル)

●岡野先生と小坂先生の指導(名大が声を出さない理由)
練習でも試合でも声は出すなと。
声を出すのは、息を吐くこと、力が抜ける。
自分のチームの代表がすべてを託されて試合をやっている。
その選手にああしろこうしろというのは失礼だ。
試合をやっとるやつは命をかけとる。
静粛に見守るべきで心の中で応援しなさいと。
昔の高専大会は一切、選手も観衆も誰も声を出さなかった。
今の剣道と一緒だ。

<私の感想>
剣道が大勢で練習してると竹刀や掛け声がうるさいが、
試合時には周囲は静粛である。
さらに相撲の稽古場にいけばその感覚はよくわかる。
親方が時折、一言指示するくらい。
他は声出したら怒られます。
というか声出せる雰囲気ではありません。
静謐、厳粛な張りつめた空気があります。

ちなみに、私は剣道経験者で相撲好きだったので
当初、周りがワイワイ言うのには違和感がありました。
入部時に「『ファイト〜』と声を掛けろ」と強要されましたが、
「それ、日本語ですらないよな〜」と思ってました。
名大の方が馴染めたかも・・・

今の七大戦は大騒ぎです。
(名大は静粛かもしらんが、どうせ他校が騒がしい)。
せめて、選手に対して、
てんでバラバラに違う指示をするのは、
やめた方がいいと思う。
技が身についておらず、普段の指導もできてない証拠で、
みっともないし、邪魔にしかならない。

●岡野好太郎師範(名大)の言葉と逸話:
・「柔道はスポーツではない。武道である。負けは死を意味する」
・防御では「逃げる」という言葉は厳禁、「抜ける」を使った。
・「学問を疎かにする者は学生柔道をする資格はない」
・抑え込みは(最初は)難しい。絞めならどんな大きなやつにも勝てる。
・最初は前絞め(逆十字絞め)を教える。
(まず、座って向き合って前から。親指の付け根の膨らんだところで頸動脈を押さえる)
・『木村政彦は強かった』
(※昭和11年、高専全国大会準決勝で拓大予科に負けた
名古屋高商の師範をされており、名古屋高商は、
拓大予科大将の木村に3人抜きされて敗れた。
ちなみに、対談中では「決勝」となっているが、実際は「準決勝」)
(※ちなみに、拓大予科は、翌昭和12年の高専全国大会では、
準決勝敗退だが、木村はこの昭和12年に全日本柔道選士権大会を初制覇。
当時、日本のトップすなわち世界のトップ柔道家である)。
・七帝柔道を通して真摯な自己完成に精進しなさい。
・団体の勝利は個人の勝利に優先する。
滅私、自己犠牲。チームプレー。
・岡野先生が70歳代の後半の頃、旭丘高校の主将を簡単に
崩れ袈裟で抑え、主将が全く動けなかった。
・学生でも決して呼び捨てにしない。
七帝柔道はあくまで学生のものだ。学生の尊厳を尊重。

当時は練習でも「参った禁止」というより、
そういう雰囲気が自然にできていた。
(武道で負けるときは死ぬときだから)

●二村先生の逸話:
・高齢の岡野先生の旭丘での指導に衝撃を受け、
名大で柔道をしたいと思った。
(もともと寝技好きだった)
・実は中京大からも柔道推薦入学の話があった
・得意技は、双手刈からの「木登り」
(相手の両足を束ねてヒザを極め、ジワジワ登って、縦四方に固める)
・寝技の「待て」がなかったので、
愛知県無差別チャンピオン(後に全日本出場)の選手にも
双手刈からの寝技で分けた。
・双手刈は自分で研究して絶対の自信があった。
・講道館ルールでは、相手に上から攻めさせて寝技に誘い込み、
攻めて来たら返して逆転するように考えた。
・医学部だったが、卒業時は、
医者になるか柔道家になるか悩んだ(ヒザを痛めていたため諦めた)
・6年で卒業して医師免許だけとったが、
(七帝柔道の)燃え尽き症候群でしばらくブラブラしていた。
1年2ヶ月ブラブラして(山とかスキーとか)、卒業2年目の5月に着任した。
(以降は医療に切り替わった。丸三年病院で寝泊まりした。)
・ポケットにハンドグリップを入れて常に指を鍛えている(手術のために)。

・・・あとは旧七帝大選抜チームのフランス遠征の話とか
(二村先生は団長)

・・・・・・・・・・・・・・・・
え〜、掲載内容、いろいろ書いちゃいましたが、
自分があとで調べる手間を省くためである
(調べものを検索すると自分のブログが引っかかる)。

もちろん全エピソードではない。
まだまだ抜けている。

内容は是非購入して読んでほしい。
必ずタメになる。

この号では、フロントチョークとかも整理されてる。
「アナコンダ(スピニング)チョーク」と「ダースチョーク」の違いがわからん人とか是非どうぞ。

それと別に、
ワタシ的には、最近気になってた
「ファンクロール」もわかってよかった。

んじゃ。

<参考>





(ワタシ、コレも買っちゃいました。)

<二村雄次先生>
昭和18年:名古屋生まれ
昭和44年:名古屋大学医学部卒
平成3年〜名古屋大学医学部第一外科教授
平成18年〜名古屋大大学院医学系研究科腫瘍外科学教授(改称)
平成19年:愛知県がんセンター総長
平成20年:愛知県病院事業丁長

・日本外科学会名誉会長
・全日本柔道連盟医科学委員会副委員長(2011年現在)
・名古屋大学柔道部師範
・柔道六段(2011年の情報)

・全日本医師柔道大会9連覇(平成元年から22年連続出場し、優勝19回※)
(※2011年の情報)
・平成17年日本マスターズ柔道大会:
M・七クラス(60歳台前半)73kg級優勝&体重無差別級優勝


<あこう堂>
あこう堂ホームページ
あこう堂の地図
(2号線からだと神戸新聞販売所のビル下をくぐって下さい)

※以下、いろいろ書いてるけど、ご要望さえあれば、
開催法、曜日・時間、料金体系とも見直します。
まぁ、いっぺんお問い合わせください。
お申し込み・お問い合わせ(こちらをクリック)
Phone:080−5323−4775

‘讃譽譽鵐織襪両豺隋紛いてればいつでも可):
平  日:1時間:1000円〜(21時以降は1時間1200円)
土日祝:1時間:1200円。
(※ご予約はお早めに。平日は極力2時間以上お願いします。
お急ぎはお電話で。確認のためメールもいただければ幸いです)
スケジュール確認はこちら
お申し込み・お問い合わせ(こちらをクリック)
Phone:080−5323−4775

∨莉疑緲砲量襪蓮
予約がない限り、フリーの練習会として開放してます。
道場利用料:1人1回500円
(※最新状況はお問い合わせ、あるいはブログなどでご確認ください。
待ってる時でも人が来なけりゃ帰ります。
逆に要望さえありゃ、曜日、開催方法、内容、料金なんでも見直します。)
水曜練習会について
スケジュール確認はこちら
お申し込み・お問い合わせ(こちらをクリック)
Phone:080−5323−4775


J親夜21〜23:00ならいつでもできます。
お申し込みに応じて練習会開催してます。
内容は、まあ参集者次第でテキトーにあわせます(以下参照下さい)。
別に料金だってどうでもいい。めんどうなんで書き換えてないだけ。
とにかくいっぺんお申し込みください。
平日21〜23時練習会について
スケジュール確認はこちら
お申し込み・お問い合わせ(こちらをクリック)
Phone:080−5323−4775
  

<最新情報は最新のブログかホームページでご確認ください>   




















 
akoudou2008 at 11:04│TrackBack(0)言うだけ格闘技講座 

トラックバックURL

Archives
記事検索
facebook
Your Website Title
ブログランキングへ
人気ブログランキングへ 人気ブログランキングへ 人気ブログランキングへ 人気ブログランキングへ 人気ブログランキングへ
あこう堂はこちら
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

スポーツナビ
スポーツナビ
季節特集
楽天モーションウィジェット
アマゾン