July 25, 2018

柔道ルールの変遷と高専柔道

前々からの宿題の話。

(※というか、私の勉強用に整理しただけです。
古流柔道大会」とか、「自由な柔道」とかいうけど、
どこがどう古流なのか、自由なのかという歴史・経緯についての長い話)
(※細かい規定はあんまり興味がないけど、禁じ手とかに注目してます)
(※古い資料からの転載・紹介は、現代語にして、かつ要約してます。
別に論文じゃないんで、そのへんはアバウトで・・・)
(※大ネタで資料も多いんで、継続して調べ中。
掲載後も改訂していくと思います)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<柔道史のおおまかな経緯>
〔声15年(1882):
嘉納治五郎が講道館創設。
古流柔術などにあった危険な当身技、関節極め投げを排除し、
絞・関節技に加えて、抑え込みも取り入れた乱取りの開発。

¬声10年代・・・各学校での「柔術」の採用。

L声19年(1886):
第二回警視庁武術大会
(※講道館柔道が「柔術」に対して実力を示し、
講道館柔道普及のきっかけになったとされる(参考資料★5、★2))

こ惺斬琉蕕悗僚斉擦瞭各★5(柔術から柔道/撃剣から剣道):
・学習院(嘉納が奉職していた)で「柔道」の採用
(明治21年に正課として「柔道」の名称)
・海軍兵学校:明治21年に柔道科設置。
・東京大学:当初の「柔術」から明治20年には講道館から「柔道」指導者。
・慶應義塾:柔術から柔道へ(明治25年柔道部設立)

ぬ声28年(1895):
京都に大日本武徳会設立
(※桓武天皇平安遷都1100年。
武道を奨励し、武徳を涵養する目的の全国組織。
後に財団法人となり、戦時下では政府管轄団体となる)

(※勢力急拡大中であったが「町道場」の1つに過ぎない
講道館とは異なり、武徳会は、半官半民の「武道統括全国組織」であり、
講道館に対抗する古流柔術が集結し、その足場ともなった(参考資料★2)。
・この時期、「投技偏重」の講道館が
古流に寝業で苦しめられたのは事実。例えば→こちら
(※田辺又右衛門(不遷流)に寝技で苦戦したとの記載。
ただし、不遷流にも別に寝業しかなかったわけでなく、
立技もあったが、当身を入れての投げ、ねじり、
関節を極めての投げなど、「実戦的過ぎて」、
既にルール上寝技しか使えなかったという説もある★10)
・武徳会では大正期まで「柔術」を名乗る(講道館は「柔道」を名乗っていた)。
・武徳会は当初、範士、教士、錬士といった称号制度から、
やがて独自の段位発行もするようになり、
柔道では講道館と武徳会の両者が発行。
対立の一因でもあった★2★10)

ヌ声32年(1899):(参考資料★1★6)
「武徳会柔術試合審判規定」制定
(※武徳会の柔術部門へ参集した各流派の試合のため。
武徳会の設立発起人としても名を連ねた嘉納が原案を作り、
講道館3人、古流7人の各委員が審議。13カ条)

このルールは極めてシンプルで、
大略は以下のようなもの。

1)試合は投げ技、固め技で行う。
2)勝負は2本勝負で決める。
3)相当の時間、勝負が決しないときは引き分け。
4)1本と認めた時は「一本」と掛け声する
5)技ありの条件(※現在とおなじ)
6)一本の条件(※現在とおなじ)
7)投げ、固めの各種の技を合わせて試みる。
(※固め技がイヤでも近寄らずに逃げるのはダメ、
投げ技がイヤでもヒザ立ちや寝たままで
立たないのはダメという趣旨の記載(第12条))
8)関節技のうち、手足指、手足首は禁止。
(※:この段階では「足がらみ(膝関節技)」の禁止は
記載されていない)

(武徳会柔術試合審判規定:明治32)※参考資料★1))
武徳会柔術試合審判規定(明治22)前半
武徳会柔術試合審判規定(明治22)後半

(※剣道と同じく、
両者が1本ずつとると3本目に突入するわけで、
これを「三本勝負」と呼んだ向きもあるようだが、
正式には「二本勝負」。うっかり失敗しても
取り返せるので、思い切り技が掛けられるというメリットも。
ただし、これでは、団体戦などになると
時間がかかり過ぎるとして、
後に「一本勝負」に移行した★10)

μ声33年(1900):★1★5★6
「講道館柔道乱捕試合審判規定(※参考資料★5)」制定
講道館柔道乱捕試合審判規定(明治33)
(※上記の武徳会の規定を下敷きにし、以下の変更を加えたもの)
1)初段以下は関節技はナシとする
2)初段以下の者は投げを7〜8割、固め技を2〜3割で修行する
(初段以上の者は投げを6〜7割、固め技を3〜4割で修行する)ものとし、
試合では卑劣な手段で投げ技・固め技を避けんとするときは、
審判は注意して勝負させる。

С惺斬亶鎧邱腓糧生:
・明治31年(1898):一高(東京)Vs.二高(仙台)
(※高専大会への胎動/ただし初回の試合では、
関節技ナシだったという説がある★10(p247))
・明治34年:三高Vs.四高戦
・明治35年:慶應Vs.三高戦、早慶戦。
・大正3年(1914):第一回高専大会(京都大学主催:於京都武徳殿)

※:大正4年(1915)の高専大会の審判規則は以下
(参考資料★5によれば、原典は「京都帝國大學友會誌第十一號」らしい)
・試合時間は10分、大将副将は25分、大将対大将は無制限。
・足がらみ、手首、足首、首以外の関節技を用いる。
(※団体戦用にそれまでの二本勝負でなく一本勝負になったとのこと★5)

※高専大会は、ルールの範囲で自由に行っていたところ、
回を重ねるにつれ、徐々に立技から寝業中心となる。

大正5年9月改正(1916)
「講道館柔道乱捕試合審判規定」(参考資料★6★1)
主要改正点:
・事故発生や、負傷者の取り扱いについて
・試合の停止と負けの判定について
足がらみ胴絞めの禁止を追加

(※<補足>
あしがらみの反則に関して:
講道館と足がらみの因縁については→こちら
足がらみは、明治20〜30年ころ、
古流の得意技として講道館柔道に対して威力を発揮したらしい(★10)。
正式に禁止されたのは明治の終わりらしい(★10)。

講道館では、明治44年の秋季紅白試合までは
「足がらみ」もアリだったが、以降禁止、
大日本武徳会でも相前後して禁止となった(★10、p259)

ブラジリアン柔術で足関節に苦戦した(?)
グレイシー系が「外掛け」を禁じた動きを連想させる。
講道館が100年はやいだけ。
ただし柔道では関節技としては禁止だが、
極めずに態勢だけなら現在でもOK。

大正14年8月改正(1925)(参考資料★6★1)
「講道館柔道乱捕試合審判規定」

主要改正点:
・固め技偏重を避け、投げ技の発達を促すこと
(※引き込みの制限:引き込み技3回で反則負け(第6条)(参考資料★1★5★6))
・危険な技の制限(第16条)
(※相手を持ち上げたら落とすことは禁止)
(※下から絞め関節等を掛けていても持ち上げられたら解くこと)
(※「抱き上げ一本」の追加もこの改正から(危険の防止)(参考資料★1))
「・・・相手の体を大体水平に相当の高さに巧みに抱き上げた時は、
審判員の見込みにより、抱き上げた者を勝ちとす・・・(第14条)」

この時の改正は、「高専柔道」の勝利至上手技からくる「寝業偏重」を重く見た
嘉納による寝業制限の始まりとされる。
それまでの規定には、
実は寝技から始めることを禁ずる文言がなく、
この改正で
「寝業への移行は投げ技の攻防からの流れであること」が明記された。
すなわち→「立ち勝負から始めるものとする」
寝勝負に移るときの条件の追加:
「技がかかるが一本とならず引き続き寝技に転じて攻める場合」
「技をかけようとして倒れるか、倒れかかるような時」

※嘉納は講道館の新規定を高専柔道(帝大柔道会)に求める(昭和3年)が
帝大柔道会は拒絶し、高専大会は従来通りの規定で行われる。
さらに全国中等学校柔道大会も帝大柔道会主催で
高専大会の審判規定で開催されるようになる(昭和3年)。
(参考資料★4)

※私からのコメント:
嘉納による立技(投げ技)の重要視も理解できる
(現実的に、立技は最初にやらないと上達しない。
嘉納は、運動能力の発育や古流の当身技、路上や多人数の対応も想定していた)
しかし、「柔道は(我々にとって)職業ではない、
自由にさせてくれ」という学生側の主張も理解できる。
(1対1で審判も周囲も止めなければ、寝業決着は必然。
団体戦での重要視も当然。
高専大会で寝業技術が長足の進歩を遂げたのも事実。
ある意味「投技偏重」だった講道館の技術にも影響を与えた)

高専柔道ルール(参考)(参考資料★6★8)
(※全国高専大会は、第1回大会(大正3年)〜第27回(昭和15年)まで)

参考リンク
●2015.03.10ブログ:高専柔道ルール(大将戦の試合時間、抱き上げ一本など)
●2017.10.04ブログ(高専柔道ルール・現代語要約版)
●高専柔道ルール(PDF)

(※:私からのコメント:
高専柔道ルールは、当初の講道館や武徳会の
寝技への移行「引き込み」に制限がない時代、
大正13年以前のルールと実質的には同じ。
ただし大正14年の講道館の改正のうち「引き込みの制限」は、
採用せず、「抱き上げの一本」は採用したものらしい。
ある意味「柔道の範囲内である限り、危険がない限り、何をしてもいい」
という自由さが特長。
一般には「寝業柔道」との印象だろうが、
もちろん立って投げたければ投げで勝負してもいい。それも自由。

「高専柔道」でも部分的な修正はあった(参考資料★6)。
●大正10年第八回大会以降、大将戦の試合時間はそれまでの無制限から
1時間に制限される
(※四高と六高の大将決戦で1時間40分を要しても決着がつかなかったため)
(※後におそらく昭和初期頃に大将戦の時間は30分制限となっているが、
それが、いつからかは不明→参考はこちら
(※上掲の高専柔道ルールでは「大将戦30分」となっているため、
おそらく昭和10年以降、高専柔道終末期までのルールだろう)
●同じく大正10年第八回では膝十字(膝の大逆)の取り扱いで
足がらみ同様の禁じ手かどうか紛糾。(★6★3)
以降、肘関節技のみに限定。

しかし本質的な部分は変わっていない。

もっとも最近になって(戦後というか平成あたり)からは、
カニバサミ禁止、
一挙に身を捨てる(振り回す)脇固めの禁止、
など「危険とされる技」に関しては
時代に応じた「普通の柔道化」の傾向もある。

ちなみに、高専柔道当時、
新規定を順守させたい講道館嘉納治五郎師範側と
それを受け入れたくない高専柔道(帝大柔道会)側との間の会見は、
以下のようなものだったらしい(参考資料★4★7):
●大正8年(?):
嘉納治五郎が
四高、六高の校長を呼び出し「寝業偏重の修行」に懸念を示す(★7)
●大正15年:
嘉納から帝大柔道会に対して
「改正時講道館柔道試合審判規定」の励行の申し入れ
(嘉納が京大柔道場に出向いたか?)。
●昭和3年:
講道館高段者夏期講習の際に
嘉納から六高師範・金光や京大側に見解を打診。
●昭和5年:
東京で、京大柔道部&東大柔道部と嘉納の会見。

・・・・・しかし、
これらは、いずれも物別れに終わったとされている(★4)。

以降、戦況の激化(悪化)により、
「高専柔道」は自然消滅。
それに伴い「帝大柔道会」も存在意義を失う・・・
(参考資料★4)

※敗戦・占領後の旧制高校消滅、武道禁止と
「高専柔道」の消滅後は、現在のところ、
正規には七大学(旧七帝大)のリーグ戦に形を残すだけである。

現代版の「高専柔道」↓
●七大学柔道大会試合審判規定(※東大柔道部のサイトにリンク)
<往時の高専柔道ルールに加わった主な違い>
・引き込みは認める。
引き込みとは、相手が立てないか、立つことに相当な努力を要する状態(※第18条)
(※注:実は、往時の高専柔道ルールには、引き込みうんぬんの記載自体がない。
 規制がないから自由に引き込んでいただけ)
・引き込みを装って組まずに倒れこんだり座り込むこと、
または双手刈りを装ってしがみつくことを繰り返せば「注意」
ただし引き込んで容易に吊り上げられることは繰り返しても「注意」ではない。
(※平成5年合意事項)
・引き込みは両手で相手の帯以上を握って行う(※平成12年合意事項)
・カニバサミ禁止(第26条)
・立ち技からの脇固めで一挙に体を捨てることは禁止(第26条)
・河津掛け禁止(第26条)
・払い腰などを掛けられた時、相手の軸足を内側から払うことは禁止(第26条)
(※かつてあった「抱き上げ一本」は無くなってます。
これについても通常の柔道界と同じ)

※私からのコメント:
要するに現在の七大学ルールは
「普通の柔道」です。
引き込みも認める(自由である)こと、
寝業時間にも制限がなく、決着まで見守ることなど
もとの精神は残しながら、
「危険技」の反則認定は、時代に応じて受け入れています。

ただし、国際柔道で禁じられた足取り技など
「危険でない技」については自由なままなので、
現在では、いわば、普通の(ただし昔の)「講道館柔道」です。
寝技でくる相手でも吊り上げてしまえば、立ち技からの再開になるんで、
「講道館柔道」でも押し通せます。
「現在の講道館柔道」との違いは、
・引き込みが条件付きで認められているのと
・寝技に時間的な制限も場外のマテもないのと、
・組手等がかなり自由で、防御に徹しても問題ない。
それくらい。

昔の学生(帝大柔道会)が守った「柔道自由の原則」は守られています。

「国際柔道」が嘉納が考えていたであろう武技から
かけ離れた方向性を見せる現在、
むしろかつて嘉納と軋轢のあった
「七大柔道(高専柔道)」でこそ、
傍流になり、柔道界の片隅で古さを守っていたおかげで
嘉納の「講道館柔道」の投げ技(足取り系の技)も残せている
という皮肉、運命のイタズラ?でもあり、
歴史的な感慨もあります・・・

全日本柔道選士権大会/天覧武道大会
・昭和4年(1929)第一回天覧武道大会(剣道&柔道)
(※柔道での投げの一本は今と同様。
 固め技の一本はマイッタか40秒の抑え込み)
・昭和5年(1930)第一回全日本柔道選士権大会

嘉納講道館の総合武術的技術発展への構想
当身技の研究・形
古武道研究(剣術・棒術)
合気道、唐手(空手)などの研究・取り込み・・・
(※しかし、嘉納治五郎は、幻の東京五輪(1940年)招致決定(1936)後、
IOC総会参加からの帰途、昭和13年(1938)に死去。
嘉納は、手袋(現在のグローブ)を付けた当身ありの乱取りなども考えていたらしい。
もうちょい長生きしてたら講道館が「総合」をやってただろうか?
柔道が総合格闘技化していただろうか?どうだろうか?)

昭和20年(1945)の敗戦と占領、その後。(参考資料★2★5★7)
武徳会、高専柔道の消滅。
GHQによる武道禁止とスポーツとしての復活。
講道館支配の完成(段位発行の独占)。
柔道の東京五輪(1964)採用。
スポーツ化、Judo化・・・
武道名称の復活(平成元年学習指導要領)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<禁止技の追加という観点からみたルールの変遷>
(※表現はわかりやすく現代語化、要約しています。
記載したのは、主なものや初出時のものです。)

●明治32年:
関節技のうち、手足指、手足首は禁止(※武徳会の審判規定)。

●明治33年:
初段以上であっても手足の指関節、手足首の関節技は禁止(講道館

(※以下の記述は全て「講道館柔道試合審判規定」について)

●大正5年:
胴絞め、指関節、首関節、足がらみは禁止(15条)
(※足がらみは現在のブラジリアン柔術でいう、外掛けの反則。
ただし柔道では足(膝)を極めずに態勢だけなら現在でもOK)

●大正14年:
・首関節、脊柱に障害を与える技は禁止(16条)。
・胴絞め、足がらみは禁止。肘関節以外は禁止(15条)。
・寝技から持ち上げた後、落とすことは禁止(16条)。
・持ち上げられた状態で下から関節技を掛けることは禁止(16条)。
(※前三角を持ち上げようとして落とした時に事故があったためらしい★10)
(※一方で「抱き上げ一本」がこの時の改正から追加(14条)。
相手を完全に持ち上げれば一本勝ち。投げ落としは禁止)
・袖口、裾口に指を入れて握ることは禁止(16条)。

※「寝技への引き込み制限」もこの改正から追加

●昭和16年:
・場外注意の追加。
・直接両足で首を絞めることは禁止
(※ルール記載としては、この時が初出か?)
・固め技を逃れるために相手の帯や襟に足を掛けることは禁止。
・相手の顔面に手足を掛けることは禁止。
・絞め技を掛けられた時、指を取って放すことは禁止。
(※指を取るといっても四本ならいいはず)
・裾および帯の端を相手の手にからんで自由を制することは禁止。
(※昭和37年の記載では「一周以上巻き付けるのでなければよい」となっている)
・始めから寝技に引き込む動作は禁止。
(※高専柔道を意識した規定だろう)
・固め技に入るために立った相手の足にかじりつくことは禁止
(※注:足を取る投げ技なら禁止ではないはず)
・膝行の姿勢は禁止。相手から離れて仰向けの姿勢を取ることは禁止
(※注:高専柔道でみられた姿勢に対する注意だろう)
・引き分け狙いの動作、帯や片襟片袖の姿勢を続けることは禁止。
(※注:これも高専柔道に対する意図だろう)

●昭和26年:
・帯の端や上着の裾で巻き付けて技を施すことは禁止。
(※注:禁止と言うのは、投げ技のことだろう)
・立ち技で両者が指組の姿勢を続けることは禁止。
・審判員の許可なく勝手に帯を締め直すことは禁止。
(※注:直すふりして勝手に休憩するな、最初からちゃんと締めとけという趣旨か)
・試合中、無意味な発声や相手の人格を無視する言動は禁止。

●昭和30年:
・河津掛けで投げることは禁止(※確認できた限り、このときが初の禁止か?)
・払い腰などを掛けられた時、相手の軸足を内側から払うことは禁止。

(※私が柔道始めた昭和50年代のころ、
部室に転がってた「相当古そうな柔道の本」にもこの2つは載ってましたわ。
「相撲と違って、河津掛け禁止なんだ」と思った覚えがある。
私の25歳年長の仁木先生(昭和14年生)の世代とは違い、
私の個人的な経験上は、柔道では最初から禁止だったので、
河津掛けという技には思い入れがない。
一方、カニバサミになら思い入れが少々ある。)
・・・・・・・・・・・・・

<残りの宿題>
●「抱き上げ一本」の廃止はいつから?
(持ち上げても一本でなく単にマテとなったのはいつからか?)
(※調べきれませんでした。)
(※漫画のドカベンの柔道編では持ち上げたら一本になってた気がする。
1・2の三四郎の柔道シーンでは?・・・覚えがない。)

・「抱き上げ一本」の制定については大正14年で間違いないと思う。
「・・・相手の体を大体水平に相当の高さに巧みに抱き上げた時は、
審判員の見込みにより、抱き上げた者を勝ちとす・・・(第14条)」
・昭和16年の記載も同様で残っている。
「・・・仰向けのまま大体水平に相当の高さに巧みに抱き上げた時は、
審判員の見込みにより、抱き上げた者を勝ちとす・・・」
・昭和26年の記載では
「仰向けになっている相手をおおよそ肩の高さに巧みに抱き上げた時(一本)」となっている。

(※昭和48年発行の審判規定集★1の内容では、
規定上無くなったとは確認できない。まだ残ってたのだろうか?
だとしたら無くなったのは昭和50年代くらい?
そんなに長く続いた規定だったのか?)

●カニバサミ禁止&一気に身を捨てる脇固めの禁止はいつから?
(※現在50歳代の私には、
リアルタイムで「記憶」はあるけど、「記録」で確認ができませんでした。
昭和の終わり?平成の初め?1990年前後でしたっけ?

すいません。柔道界には詳しくないもんで・・・
ネットの検索じゃワカランかった
(今の審判規定しか載っていない)。
なんで記録がない?過去はどうでもいいんかね?
過去を知らないと進歩もないはずだが・・・

<参考資料>
★1)柔道試合審判規定(講道館・警察規定の変遷史)(昭和48年:学芸出版社)
★2)武道を生きる(2006年:松原隆一郎)
★3)闘魂(高専柔道の回顧)(昭和42年:読売新聞社:湯本修治)
★4)続・闘魂(高専柔道の回顧)(昭和47年:日本繊維新聞社:湯本修治)
★5)柔道その歴史と技法(日本武道館発行:藤堂良明:平成26年)
★6)高専柔道の特長と意義について(岡本啓:富山県立大学紀要VOL.28/2018.3)
★7)学生柔道の伝統(岡野好太郎:黎明書房(2017年:再版の初版))
★8)文集「高専柔道と私」高専柔道技術研究会(昭和60年)
★9)月刊「秘伝」2007年7月号(濱田雅彦p16-21)
★10)秘録日本柔道・工藤雷介(昭和50年・東京スポーツ新聞社)
(※注:★10は読み物としては、面白いけど、出典の記載がない)
(※ホントはもっと原典まで遡った方がいいんだろうけど、
私ではこれくらいが限界です)


<追記>

ブログ記事を読んだ関係者(というか参考資料★6の著者の先生)の関係者からのコメント
(というか、先生が知り合いの関係者のコメントを整理してくれたもの):

「七大関係者以外の人から、時折、
『七大ルールという特殊なルールで柔道の試合をしているのですね』
と聞かれることがある。

『七大ルールは特殊なルールではなく、講道館ルールです。ただし、旧規定ですが。』
と答えている。
高専柔道・七大学柔道は講道館柔道であり、
講道館柔道の試合審判規定の原型に従っているもの、と考えている」
・・・とのことでした。

安心しました。
私の解釈ともあいます。
歴史をたどればわかります。
高専柔道・七大学柔道は、創設期の講道館柔道そのものです。
(むろん、武徳会の審判規定とも変わりません)
そういう意味で「古流柔道」ってことです。

特殊なものではなく、
「柔道の本道」、成り立ちに近い「本来の柔道」とお考え下さい。

国際柔道もブラジリアン柔術も
それぞれ素晴らしい発展を遂げてますが、
その源流が忘れさられてます。
柔道の元祖、なんでもアリ(自由)だった頃の柔道は、
実は、ここにしか残ってません。

危険技の規定は時代に応じて
受け入れていますが、
引き込みアリ、組手自由、足取りアリなど、
もともとの柔道とその自由さは保っています。

昭和になってもフリースタイルを守った
「昭和Freestyle柔道」といえば高専柔道。
今も国際柔道のグレコローマン化に対して
フリースタイルを維持しています。
学生が守ってきた「柔道自由の原則」です。

<まとめ>
 崕斉察廚呂發箸發判す圓里燭瓩
やむなく危険技(当身など)を外したもので
実際的、実用的な見地で考えられていた
(もちろん嘉納治五郎の理念自体がそう)。

◆峭眄貊斉察廚箸老茲靴特韻覆襦嵜俺箸僚斉察廚任呂覆、
立っても寝ても自由でシンプルだった
初期の柔道ルールというべきである。
旧規定の講道館柔道、武徳会柔道(柔術)のままともいえる。
(結果的に「高専柔道」では寝業主流になったが、
それはそれで柔道界・格闘技界に大きな役割を果たした。
講道館の寝業制限の圧力に抵抗したのも、
寝技を守ると言うより、
自由を貫くためととらえるべきであろう)

ただし高専柔道でも
「自由な攻防」は守る一方、
時代に応じて「危険技」とされたものは
世間並みに取り入れて禁止としてきている。
この姿勢は、現代版となった七帝ルールでも同様である。
(ある意味、安全性を保つための柔軟な姿勢)

現在でも、引き込み自由、寝技の時間制限ナシ、
組手自由、立ち技自由(足取り制限ナシ)などは守っているが、
足がらみ、胴絞め、河津掛け、カニバサミ、
身を捨てる脇固めなどは、
昔から、ほぼ世間の動きと並行して禁止にしてきている。

ぐ貶、最近の「国際柔道」の
「足取り禁止」「グレコローマン化」は、
危険技への対処(安全性のため)ではない。
柔道の成り立ちの理念から外れ、
武術・武道でなくなったことを象徴する愚行である。

ゼ由を保つ高専柔道(現代では七大ルール)は、
ますます世間と離れてきたが、古さを保っているおかげで
その意義はますます増した。

高専柔道は「寝業」というより、
「柔道自由の原則」を守った本来の柔道であり、
いまや古流柔道というべき。

高専柔道が寝業偏重だというのも間違いだし、
柔道が投げ合う競技だというのも間違いだ。
柔道は本来、危険で無い限り自由な攻防で修行すべきで、
それが高専柔道であり、
その現代版は七大ルールである。

根源的なものだからこそ格闘技としても有用だし、
各種競技間でも共通ルールとして競えるのである。
それが「ちょっと昔の自由な柔道」
「昭和フリースタイル柔道」の概念であり、
「古流柔道大会」の試合である。
昭和柔道(最終版)

(※:上記は私の個人的な見解です。
しかし、ご指摘の際は、さらに
柔道の歴史を調べた後に頂戴できれば有難いです)

<参考>
古流柔道大会

第2回古流柔道大会参加申込書

あなたは出場だけで済みます。
ややこしいことはこちらでいたします。

要するに、高専柔道の現代版「七大学ルール」です。
(もともと創設時の「柔道」は修行のため
危険技を禁じただけのシンプルで自由なものでしたが、
昭和以降もルール改訂を拒み、柔道自由の原則を貫いた
「昭和Freestyle柔道」は、高専柔道だけです)
ただし、現代の七大ルールでは、
創設当時の柔道の自由さは残しつつも、
時代に応じて危険技に関しては禁止としています。
詳しくは大会パンフ等参照下さい。

あこう堂
ご要望・お問い合わせ(あこう堂へは、こちらをクリック)

<参考:その他、ご参考のリンク集>
(古流柔道イメージ動画)「ちょっと昔の『自由な』柔道」
=「昭和Freestyle柔道」です。
※試合展開、ルール、禁止事項などイメージしやすい動画です。
第1回の試合内容から編集しています。
 

第2回古流柔道大会案内
(※応募・ご要望などは、あこう堂に連絡下さい)。

第2回古流柔道大会参加申込書
(※こちらをご利用の上、FAX、メールなどで
最悪9/8までにご応募下さい)

第二回古流柔道大会(仮パンフ)
(↑クリック:最新版の仮パンフ)
(※:本来なら最初にカッチリ全部決めるでしょうが、
   出る側の需要も運営側の状況も確認しながら手探りなので、
   随時改定中です。ご容赦下さい)
(※パンフ記述内容も、各方面向けの内容を盛り込みました。
一般人、七大柔道経験者、高専柔道愛好家、
国際柔道に励む方、講道館ルールを惜しむ方、
柔道に武術・格闘技を求める方、
ブラジリアン柔術家、柔道の歴史に興味のある人・・・
などなど皆様の需要?に答えるためです。)

(↑昨年の全報告、パンフ、報告、動画など・・・)

第1回古流柔道祭(2017)月刊「秘伝」掲載記事(2017年8月号)
(※昨年の大会の報告=武術雑誌の掲載記事です)



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akoudou2008 at 00:00│言うだけ格闘技講座 | 古流柔道
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