December 31, 2016

2016年の総括
去年願ったこと、去年失ったもの、今までずっと願って来たこと、叶った今年。
私は変わらず満たされず、変わらず少し燻る。今年の総括をして、今の状況を打破し、問題を見つけ、次に繋げらる。

今はこれを実家で書く。
外は温かく、陽が差し込む。
38歳から39歳、人生の中で大きな変化のあった年の総括。
まだまだこれから。
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1月、オーストラリアの花火で年が明けた。
前年の25日から冬休み。イスタンブール、バンコク経由で、もう20年ぶりのブリスベンへ。宿はAirbnb、かなり居心地がよい。最高の立地。冬旅前から様々計画を立てていて、現地では歩いて、バスで、電車で、観て、聞いて、感じて、夫とのんびり年末年始を過ごした。年の瀬、家の鍵をゴールドコーストの砂浜で失し、撃沈しながらホテルで一晩過ごすというハプニングに見舞われつつ、よいオーナーに恵まれ無事帰宅、楽しみにしていた大晦日のレミゼを観劇し、持参したお蕎麦を食べて、ふたりで静かに幸せに年が明けた。その後日本に一時帰国、生まれたての甥っ子に会い、おばあちゃんと時間を過ごし、30℃の南国に帰った。今年の目標は、帰国、復職、ベベ。

2月、何してたんだろう。カレンダー消えたからわからない。蕁麻疹に毎日苦しんだ。日本帰国に向け、就活に取りかかった。私の分と夫の分。あとはヨガ。それくらいの1ヶ月。先に向けて歩き始めた。
3月5、6日初めての国内旅行。車で北西部へ。未だ王国が残るエリアで、初の首都脱出。王宮の美術館?博物館?を見物し、首都以外の地方都市への一泊旅行。リフレッシュ。
3月12日。ぱぴこ予定日だった日。そして3月19日、ぱぴお発覚。なんとなく身体でわかってはいたものの、前回一度フライングもあったから、見て確認し、夫と抱き合って泣いた。まさかという驚きと少しの不安と大きな喜び。ありがとう。ありがとう。
下旬に2度目の国内旅行。海沿いのリゾート地。大きな海を見て、水平線の向こうはブラジルと。世界は丸い。蕁麻疹と闘いながらも、ふー、と深呼吸。
この時点で私の復職活動はうまくいっていて、夫の契約満了も決まり、帰国に向け動いていた。と同時に、人生はすべてタイミング、望んでいたものがやって来た。さあどうする。悩みながらも私だけ先に帰国の4月。帰国次の日最終面接、そしてその晩出血、次の日に病院に行き、入院決定。ひとりホテルで過ごした不安な夜。そして仕事は決まらなかった。
5月初旬に入院、薬を飲みながら相変わらずの蕁麻疹に耐える。中旬は安静で実家にて悶々とひとりで過ごし、24日、誕生日を一日過ぎた夫やっと帰国。
6月も実家で過ごす。夫は就職活動と大学に通うのとで行ったり来たり。私は日に日に大きくなるお腹とともにヒマだヒマだと文句言いながら今後について考えていた。6月9日戌の日。一度埼玉へ。一度大阪へ。
7月、夫の就職が決まり、引っ越し準備、家を探したり、どんどん身体も思うように動けなくなる。8月3日から最後のふたり旅行に行こうと予定。そんな時。
8月1日、おばあちゃん入院。病室に行くと、顔の腫れたおばあちゃん、私のことすぐに分かり名前を呼んでくれた。管に繋がれ、見た目の変わってしまったおばあちゃん、優しい優しい顔になっていた。2日、午前中にぱぴおの検診があり病院へ。元気に動いていたぱぴお、その帰り、お昼におばあちゃんの病院に寄る。おばあちゃんはお昼ごはんを食べていて、私を見て、名前を呼び、そのまま寝てしまった。疲れて、もう無理です、っていう感じ。こてん、って。私たちはそっとして帰った。それが、私が生きてるおばあちゃんを見た最後になった。その夜10時、病院に呼ばれ、最期の最期は看取ってお別れ。もう息をしていない、大好きな大好きなおばあちゃん。小さいときからずっと一緒にいたおばあちゃん、実家に帰る度おばあちゃんの家にいた。たくさんたくさん話した。いろいろ学んだ。旅行も行った。怒られたし、多くを共有したし、いちばん大好きだった。
10日に大阪に引っ越し。十年以上ぶりの関西での生活。夫との、日本でのふたりでの初めての生活。夫は16日から仕事が始まりいきなり出張、出張。暑い大阪の夏、大きなお腹でお買い物とヨガに通う。再び専業主婦の空虚な退屈な毎日。
9月、夫は相変わらず出張で不在がち。2、3、4日に法要に戻り、下旬に卒業式。里帰りと出産準備。39歳の誕生日はひとりで迎えた。目標は、堅実な子育て、家族みんなの健康、今後の目標、夢をもつ、毎日を楽しむこと。
10月15日、里帰り。春も長々と過ごした実家。ほぼ毎週末、金曜の夜から月曜の朝まで夫が来てくれ、平日は単調な時間つぶし。テレビを見るだけのもったいない日。
11月7日、やっと来たこの日、前日6日に入院し、手術の準備。が、しかし!逆子治ってる。。先生にごねてみるも、医療的に切る理由無くなっちゃったからねえ、と一蹴され、そのまま帰宅。とにかく早く出したい、この不便で不安で不安定な日々。毎日ウォーキング。16日管理入院、促進剤、バルーン、諸々、辛い諸々。11月25日帝王切開。息子無事誕生→GCU入院。
12月2日、快晴、息子と共に退院。実家に帰り、眠れない日々。一日中パジャマ、真冬なのにお風呂に入れず、12月はそうやって過ぎていった。ストレスストレス。風邪をひき、夜中に一度泣きながら叫んだ。ストレスストレス。

こうやって1年が過ぎていく。3月から12月まで、お腹の中で子を大きくし、産み、育て始めた1年だった。去年から続いた蕁麻疹は帰国と共に消え、春から夏の間、痴ほうのおばあちゃんは私のお腹を触り、大きくなった、男の子!、と会いに行く度断言し、やはりお腹の子は男の子で、ひ孫に会う前におばあちゃんは空にいるおじいちゃんのところに行ってしまった。社会との繋がりが無くなり、孤独で静かで退屈で平和な毎日が続き、仕事をしたいと動いたけれど、どうやらタイミングが合わず、当分はやはり毎日ぶーぶー言いながら、専業主婦でいるだろう。夫に恵まれ、文句たれの私に付き合い、家事、育児、なんでも率先してやってくれ、お互いの価値観を共有し、私をいちばんに考え、大好きだと毎日言ってくれ、私と子どもを大切に大切にしてくれる。結婚するとき、最初におばあちゃんが聞いた、真面目なひと、働くひと。夫はそのまんま。

今年、ふたり家族がさんにん家族になった。


(10:39)

December 25, 2015

今年ももうこんな季節。

こちらの12月は乾期、外気は乾燥し、外は土埃で少し霞掛かっている。毎日30度、冬の寒さや街中クリスマスのデコレーション、冷たい風が吹いて雪の匂いがして、年末年始がやってくる気配が、、、なんて日本のいつもの冬の感じとはほど遠い。気温や街の雰囲気で季節を感じ、それに自分を追いつけてたはずだけど、今年はなんだか、とろん、と。
2015年の総括。私は37歳から38歳へ。もう完全なアラフォー。
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名字が変わりはじめて迎える1月、年始を実家で過ごし、年末から続いていた式の準備で忙しい日々。同時に仕事の引き継ぎやら東京から夫の実家への引っ越し、海外引っ越し準備と目まぐるしく、間に新年会やら送別会やらが入っていた。忙しさに追われながらも、周りに恵まれ充実した日々。式準備は夫とのスカイプ会議にて。着る着物、ドレス、タキシード、ヘアメイク、家族のヘアメイク、着付け、流す音楽、2会場の飾る花、デコレーション、進行プログラム、カスタマイズした引き出物、流すビデオ作成、ゲストの管理、紙もの作成、写真の打ち合わせ、会場との折衝、家族の泊まるホテルなどなどなどなど。。。ほぼ私が全部決め実行。夫はお金払ってくれた!
19日、夫が帰国してからはジェットコースター。飛行機飛ばないかも!?のハプニングあり、すったもんだありながらも、家族婚、一日あけて友人たちへのお披露目会。ばたばたの2つの式が終わり、ほっとするのもつかの間、目黒の家を引き払い、夫の実家へ荷物を運び込み、そのまま沖縄へ。弟の結婚式に無事参加し、実父母と沖縄旅行を楽しんでから東京へ。ふーっ!
休む間もないまま2月、8日に日本を出て、パリ経由で9日にこちらに到着。行きは大学チームに壮行会をしてもらい、羽田空港では前職の知り合いたちがサンフランシスコ本社へ向かう飛行機と時間が被り数人と挨拶、というハプニング。1月の目まぐるしさ、すべての日程を無事に終え気が抜けたのか、飛行機でやはりと言うべきかの発熱。諸事情で同じ飛行機に乗りながらも私はビジネス、夫はエコノミー。途中途中で夫が見にきてくれ、無事こちらに到着。ふたりの生活がはじまった。
2月はまず生活に慣れること。ちょうど夫の仕事が忙しい時期で、おうちでひとりぽつんが続く。

3月、4月、5月、6月。週2回仏語のクラスに通い、家庭教師をつけ、週1回の仏人奥さま会のウォーキング、日本人奥さまコミュニティーのお誘いがあれば参加し、自分でヨガのクラスを見つけ、毎日何かしら予定が入るように努力した。ボランティア出来る団体も探し、メールを送り、電話をかけ、伝手をたどり、いろんなところへ面接に出掛けた。ただこの数ヶ月、すべて半径10キロの中で生活。ドライバーがいないとどこにも出掛けられなく、言葉の出来ない私はお手伝いさんの対応も慣れず、ストレスが溜まる日々。夫は泊まりの出張や同僚との飲み会に頻繁に参加し、私は休日にテニスや食事会にたまーに呼ばれる程度。自立して生活、自分で何もかも決め、どんどん外へ出掛けるのが常だった今までの生活からは180度変わった、専業主婦の生活。
7月、やっとの夏休み。たった1週間だけど、初めてのバルカン半島。スロベニアに入り、ブレッド湖やボーヒン湖で自然を感じ、リュブリャナ、電車でザグレブ、スプリット、そこからバスで移動、ずっとずっと行ってみたかったボスニア。ふたりで海外旅行、小さな喧嘩をしつつも、すっごく充実、たのしい旅行だった!
ここから10月下旬までは省略。
10月下旬、こっちに戻ってきてからは蕁麻疹に悩まされる日々。動いたり熱を持ったりするとぶわーっと蕁麻疹が出て、呼吸が苦しくなり、かゆくてかゆくて堪らなくなるから、なるべくじっと家で静かにおとなしく。
11月、誰とも話さなくなり、買い物のみ出掛ける、夕ご飯だけ作り、夫とだけ会話する毎日。
12月、徐々に外にでも出れるようになり、知らないうちに今年も終わりになっていた。

2015年、毎日の生活は単調で、何か成果が得られたとか成長したとか思うものもなく、専業主婦が退屈で、私には向いてないとぐちぐち思うばかりの、一見からっぽの時間だった。反面、夫という家族と、こういうかなり特殊な環境の中でふたりきりで日々を重ね、いろいろなことを話し、ふたりの関係を徐々に築き、ただただお互いが大切な存在だと思うようになっていった。家族としてなくてはならないお互いになっていた。今は出逢った頃より、プロポーズされた時より、入籍した時より、一緒に暮らし始めたときより、ずっとずっと好きだし、今までの自分の人生の中で、いちばん大切な誰かになっている。

今日から冬休み。ゆったりふたりの時間を南国で過ごす。

2015年、ぜーんぶ夫に感謝。
そんな私たちに、冬休みベイビー、カモーン!!!

















(01:41)

March 04, 2015

2015年がはじまって3ヶ月。
日本からはとっても遠い、暑い国に引っ越して1ヶ月。

今年の目標。

2月9日からはじまったここでの生活。
日々の生活が大きく変わり、ようやくなんとなく毎日に慣れ、少し不満が出てきて、今後を考え出したところ、そのうちやりたい事も出来始め、ゆったりとした生活が出来るはず。

2015年、今年の目標。
ベイビー我が家にくる。
38歳で、元気なベイビーを産むため、心身ともに健康で、ベイビーの来やすい環境をつくる。

6月までに妊娠する!

(02:03)

December 31, 2014

2014年がそろそろ終わり、2015年がやって来る。
きっと今年はいろいろあったすごい年なのだけれど、特別に感じていないのは、来るべくして来ているからか、流れを既に感じていたからか、受け入れられる体制だったからか、きっといつも一番自然体でいられてるからだと思う。家族に感謝。

36歳から37歳、その総括を。
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1月、今年こそは家族をつくるのだと、疲れ果てながら誓い、ダイエットを決心、仕事もフルタイムで、といろいろ願った。2〜3人はネットを通して会ったはず。これじゃない、これでもない。そんなに強く願わなくなったのは、成長か、諦めか。
2月、いつもどおりそれなりに出会いはあり、ただ何も生まれない日々。ジムに通おうと思ったり、歩いて健康維持、ネットで出会いを探し、とにかくもがく、もがく。
3月、正式に登録、藁をもすがる、よりは、やれることはとにかく何でもやる。後悔しないくらいになんでもやる。仕事をがんばった。会を通して、3人に会ったか。最初は話がそこそこ通じた会社員、2番目はまったく好みじゃなく物静かな2代目、3人目は同郷の新聞記者。どれも一度では判断出来ないでしょ?って思ってるところで、先方からのお断り。ちーん。わお。私の市場価値を、そんなところで思い知らされる。ただ、有言実行、こんなの暗示だ!と、生徒みんなの前で宣言。今から思えば信じられないけど、もしかするとこれがよかったか。
4月、毎日は過ぎていく。36歳は、飛ぶようにどんどん過ぎていく。4人目は、なんだか冴えないひ弱な感じだったけど、がんばって想像してみても将来は描けなかったけど、でも私はこんな市場価値だし、と思うよう努力しなきゃと言い聞かせていた頃。仕事もそろそろ部署移動して1年だしな、と次を考えなきゃなと考えていた頃。疲れて先が見えなくて独りが痛かった頃。
4月15日火曜日、早く帰りたいなあとずーっと思いながらのお食事。黒い中で黒い人。会話はぽつぽつ、暗い感じ。盛り上がりに欠ける。地味。その後、お散歩を一緒にてくてく。そして、このお散歩を、私は一生この人としていくことになった。心地よい風の中での、安心できるお散歩。出逢って4日。いろんなことを話した4日間、何を話しても楽、自分を飾らなくてよく、そのままの自分を、そのまま伝えればよい。気を使うことなく、ただ自分を出せばよい。
羽田の空港で、ぼそぼそと会話をし、確信も何もないまま、ただあまりに自然だったから、すんなりと受け入れ、まあ、試してみましょうと。ダメでもよくても、なるようになるでしょ、と。
浮き足立たず日々は過ぎ、ミャンマーへの旅。暑い暑い風と空気。周りに話すと、それがひとつひとつ現実なのかな、と思えてくる。友だちでも恋人でも恋い焦がれる人でもなんでもない。すでに安心感。
5月、毎日の会話は続き、日課になり、フランス語を始めた。5月23日、それまでに会話を重ね、緊張しながらのプレゼンを聞き、よろしくお願いしますと答えた。
6月、親に報告。一時帰国の話しを始める。式場探し、決まると早い。時期を考えた。何を話しても、ただただ自然でよくて、私のこのままを認めてくれる。それがいいという。誰よりも私を大切にする。もしかすると親以上に思うようになっているかもしれない。
7月、式場を探し、9月に向け予防注射を打ち、大阪出張で姉妹に報告し、準備を進めた。心が楽になり、前だけを見て、会う人には伝えていき、帰国を待った。同じくして、会社からフルタイムのオファーが来た。今後は家族のいる場所に行こうと、諸々決まり始めた頃、フルタイムになった。私の今後の目標はその時点で変わっていたけれど、2年弱頑張ったことが認められた。私の手に入れたくて努力していたことが実った。パピ、帰国。
8月、埼玉と岐阜とまわり、家族に会い、8月4日、出逢って3ヶ月半で私たちは2人の家族になった。前から家族だったみたいに、お互いの家族も、家族になった。弾丸帰国。弾丸の一週間。
9月4日、これから住むであろう、パピの待つ町へ。想像より進んでいて、ただ私はここで何ができるだろう、何をすべきだろう、これからの将来や日々の生活を、毎日パピの帰りを待ちながら考えた。結構ヒマだ!9月7日、37歳は名字が変わって迎えた。私が来る前に、毎週末2回練習したというチョコレートケーキは、コンロが壊れて結局オーブンを買うという羽目になり、37本の赤いバラは、一昼夜おトイレに隠してあったそうで、そんなことはつゆ知らず、私は時差ぼけというなのぐーたらで、くーすか寝てころころ動いてた。平和な幸せがパピといると自然に湧いてくる。
9月、10月、11月、12月、来年パピのところに行くことを決め、会場探しを2回分、ドレス、着物選びを2回分、ビデオ作成、招待状、席次表、おばあちゃんの入院、予防接種15本ほど、ビザの申請、健康診断2回、退職を告げ、引っ越し準備準備。

ほんの数日、数か月で人生は思わぬ方向に動く。ただただ感謝で、自然に身を任せた1年だった。
ふー。

(22:43)

July 16, 2014

4月15日の出会い。
細かいこと忘れちゃうし、どうやって感情が動いたのかあやふやになってしまうし、大切な思い出になるといいなあ。今までとは少し違う流れ方。でももうずっと昔から待ってたことが、やっと起きた。
短い時間だったからこその直感を信じる、という言葉にはまったく同意で、嗚呼、まあこれからどうなっても、ここまで自分を信じられたらいいかなあ、と。それだけで価値があるなあ、とただ思う。

期待はゼロで、当日夕方まで本当に嫌で、行きたくなくて、どうやって断ろうか考えて、だけどお世話になっている人だし、行ってさっさと帰ってしまおうと出掛けた。遅れること1時間。

最初の印象は何もない。愛想笑いで、少し時間をやり過ごしてさっさと帰ればいいと。
話しも弾まず、お世話になっている人は料理をさっさとたいらげ、あとは若いもん同士でと、大して若くもない私たちを置いて帰ってしまった。
たわいもない世間話をして数十分、デザートも食べ終わり、ではもう帰りましょうと、私はこっちの道ですが、と表参道を歩いた。彼も歩いた。
原宿に着き、あ、これでもう一生会うことないね、と思いつつ少しだけ残念に感じ、ああ、私は家は目黒なので恵比寿まで歩きますけど、外は気持ちいいし、風も吹いているし、と伝えた。半ば誘ってる感じに聞こえたろうか。あ、じゃあありがとうございました。ではここで。とはならない。じゃ、僕も歩きます、と。
たぶんそこで初めて少しだけ距離が近づいて、てくてくてくてく、原宿から恵比寿へ、今来た同じ道を逆に歩き、今度は恵比寿から目黒へ、目黒から坂を下りて川沿いを歩いて。
話しながら、どんどん距離が近づいていって、マイナスだった興味が少しずつプラスになってきて、少なかった会話が増えていって、何も知らなかったことが徐々に知っていって、もっと会ってみたいと思った。

メールがあって会うことになり、短く限られた時間の中で会話を重ね、価値観を共有し、家族の話しをし、過去を話し、現在を伝え、未来を描いた。じゃあ空港まで行きますと返し、空港で残された35分で会話している中、どきどきして会話が途切れたときに、いきなり「結婚はしないの?」と世間話のような、知人の問いかけのような、友人のいつものおしゃべりのような形で、彼はそれを言った。

最初の私の表情は、少し困った顔だったはずで、何も話せなかった。
そんなこんなで、人生は大きく変わる。

(23:57)

April 05, 2014

中目黒まで、目黒川沿いを歩く。
桜が満開に咲いて、いつもはいてるスニーカーで太陽の出ている昼と、太陽の沈んだ夜を往復した。

空と川と桜と人と、太陽の光と風と春の空気。

願っていることや望んでいることや努力していることや祈っていることが起こらない。
幸せは、その人でないと叶えられない。どんなに誰が、ああ、あれは幸せだ、と思っても、その人が自分を幸せだと思わなければ、その人は不幸だ。周りに感謝し、ただこういられるだけで幸せなのだと、教科書に書いてある文章を読むとすると、それはきっとただの棒読みだ。

人はなんのために生きるのか、何百年も何千年も何万年も前から人は考え悩み想像し話し伝えているけれど、今の私は、それを考えたどんな人でもよいから聞きたい。

自分はなんでここにいるんだろう。
何のために人は生きて、私はなんのために生きているのだろう。
この先何があって、それは私の望むものだろうか。
そうは思えないし、そう思わない限り、きっと願いも叶わないだろう。

36歳の自分がもし70歳で寿命を終えるとして、そしたら今まで来た時間の、また半分も過ごさなきゃいけない。
36歳の自分がもし40で寿命を終えるとしたら、残された時間はあと4年。
あと4年で何をして、何もしなくて、何を考え、何も考えず、何を見て、何を見ずに、何を毎日飲み込んで過ごすのか。

孤独には慣れない。


(00:21)

March 16, 2014

強く強く願って、それが正しいことならば、必ず起こる、と。

あんなにたくさんの生徒の前で宣言したから、有言実行デス。




















(10:53)

March 05, 2014

3月。

今年は仕事の割合を調整し、恋に力を入れる。
ボランティア多めにして、やりたいことをやる。

どうせ、力一杯働かなきゃいけないし、ずっとお仕事続けるつもりだから、今年は37になる歳、仕事の比率を押さえて、恋愛出来るような環境を整える。

今年、待っててよかったって人、来る。
今年、恋に落ちる。
今年、温かい幸せ、手に入る。



(01:31)

January 27, 2014

年始早々仕事の忙しい毎日に追われ、関西出張で風邪を引き、土日をまったくの独りで過ごして、今。誰とも話していない2日間。

ジムの体験レッスンに行きたいのと、習い事も探し始めたい。

こうやって毎日なんて流される。

ストーリーは、自分で作らねば。

旅に出たい。

















(00:20)

January 16, 2014

2014年がはじまった。

周りの、外野の、いろいろな”ミラクル”を聞き、そして自分のは、そんなのに何の影響も受けず、静かにひっそりはじまった。
いろいろ考える年頃。いろいろ見て聞いて試して、でもなんだかんだ楽しくやってきて、はじまった2014年。36歳。

いろいろなことを強く願わず、望まなくなった。
それは一種の諦めで、それは一種の成長。

今年は。

1. 自分を楽しむこと。笑顔でいる。魅力的でいる。

2. 痩せること。マイナス10キロ。やるならとことんやる。ジムに通う。

3. 習い事をすること。たぶん言語。

4. 何かをはじめる。何か、は、後で考える。

5. 旅に出る。楽しいやつ。海外1回、国内数回。

次につながる2014年になるように。




(23:32)