2017年01月16日

東京旅行のお決まり

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このブログは昴の母(すばママ)が書いています。
本人昴は 「○○たのしかった」 と一文書くのが精一杯の作文力です。
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スバ父の見送りに東京へ帰りました。
お母さんは 「東京へ行く時は “帰るではなくて行くだよ”」 と言いましたが、ぼくは 「帰るよ」と言いました。

東京へ帰る時はかっこよくしたいので、メガネとマフラーを自分で準備しました。


東京見送り (1)



いつも旅行の時は日程表があるけれど、今回は何回も行っている所で特に予定も決まっていなかったので日程表はありませんでした。
良く知っているので、予定表がなくても心配はありませんでした。
羽田空港に着くと、いつも京成電車かモノレールかバスに乗ります。
前もって知らなくてもどれになってもOKです。
今回は、モノレールでした。

ところが、モノレールの終点は “浜松町” なのに “天王洲アイル” という駅で降りました。
「ホテルが天王洲アイルだから」 とお母さんが言いましたが、これがぼくの “お決まり” の外でした。

羽田空港でモノレールに乗ったら、浜松町で降りるんです。
それが “お決まり” です。 そうしないと、ぼくの東京の旅は進まないんです。

「浜松町だよ」 

と言い続けました。
お母さんは 「明日の朝、浜松町で降ります」 と言ったけど、心配なので 「浜松町だよ」 と言い続けました。
ぼくの “「浜松町だよ」 攻撃” にまいったスバ父とお母さんは、ホテルのメモ用紙に旅行中の日程を書きました。


東京見送り (4)



日程表ができたので、次の日の朝にモノレールで浜松町へ行って京成電車で成田空港へ行けると安心しました。

安心したので “天王洲アイル” から行き当たりばったりの、りんかい線に乗って新木場駅から夢の島公園へ行く散歩に付き合いました。
東京オリンピックのアーチェリーの会場になる公園なので工事をしていました。
“第5福竜丸展示館” という看板が出ていて、スバ父とお母さんは 「えっ、知らなかった。すごい!」 とすっとんで行きました。
ぼくは引っぱり回されましたが、付き合いました。


東京見送り (2)



東京見送り (3)



(第五福竜丸は 1954 年 3 月 1 日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカがおこなった 水爆実験で被ばくした遠洋マグロ延縄漁船です。ゴミの処分場であった 「夢の島」 の埋立地に放置されていましたが保存のうごきがおこり、1976 年 6 月に東京都立第五福竜丸展示館が開館し、船は展示・公開されたそうです)


次の日の朝、浜松町に到着しました。
ようやく、ぼくの東京旅行が “あるべき姿になった” とほっとしました。

そのあと上野から合羽橋を散策しましたが、ぼくは早く京成に乗りたかったです。
ようやく京成に乗れたと思ったら、今度は “柴又” で、降りました。
日程表に書いてあるので付き合いましたが、早く京成で成田に行きたいと思って、お参りは超スピードで終わりにしました。


東京見送り (5)



東京見送り (6)




そして、ついに成田に到着しました。
ぼくのお決まりは達成されました。あるべき姿になりました。
よかった。


ホテルで日記を書きました。
「明日は神戸へ行きます」
と書くと、お母さんが 「神戸は “帰ります” だよ」 と言ったけど、無視しました。



alcion_hoshi_no_ko at 11:09|PermalinkComments(0)昴の日記