これがキッカケでこのブログが閉鎖されようとしている「白人のいる風景」ですが、私がなぜこういうシリーズを作ろうとしたかについて説明します。

ひとことで言えば、目で見てみなければわからない現実があり、日本ではほとんど語られていないことがここにあるからです。

日本でよく語られること、私も以前から聞いていて信じ込んでいたことは、まず、東南アジアで買春旅行をしているのは日本人オヤジばかりだというような話でした。それがウソであることは何度も述べてきました。たとえばこの記事に書いたとおりです。それと、白人男がアジア人女性を連れているのは「自由恋愛」だという伝統的なウソ。

では、自分で行って見さえすればいいのかというと、必ずしもそうでもないというのが私の考えです。

たとえばタイですが、タイに行きすぎた人、タイに埋没してしまった人の目には、やがて現実が入ってこなくなるということがあります。

最初にタイに行ったころ、そこでの白人たちがやっていることや振る舞いを見たときは本当にカルチャーショックでした。ここはまだ列強の植民地時代だとしか思えないところでした。

売春婦やレンタルワイフを白昼堂々と連れまわす白人オヤジが大量にいるだけでなく、それ以外の白人も圧倒的に多く、植民地の主人然として振舞っている。いつもキレイごとを言う白人たちだが、だれも買春白人オヤジを批判しない。

買春白人があまりにも堂々としているので、しばらくそういうところにいると、彼らの旅の仕方やバカンスの楽しみ方(レンタルワイフを雇って同棲)のほうがここでは正しいのではないか、彼らは正しく人生をエンジョイしているだけなのではないかという気すらしてくる。

こういう国を長期旅行する人は、どこに行っても買春白人たちが偉そうにのさばっているので、まともな感覚の人でもいちいち気にしていられない。次第に無感覚になっていくし、自分の倫理的な防波堤も危うくなってくる。

このように、タイなどに長くいる人は、白人の振る舞いにどんどん無感覚になっていく。そうならないといられない。

また、白人のセックスツーリズムはレイシズムと不可分だと思いますが、タイなどに長く滞在している日本人は、白人の堂々たるセックスツーリズムに無感覚になると同時に、白人のレイシズムにも無感覚になってしまう。タイ人による人種差別、白人優遇も強固なルールになっているので、それにいちいち反発してもしかたがない。結局、どんどんまともな感覚が鈍磨していきます。

だから、日本にいて、白人たちが日本人より正しいことをしているかのような幻想を持っている人にこそ、この現実の一端を目で見てもらい、白人に対する幻想や日本人に対する卑下を捨ててもらいたいという動機でこのシリーズをはじめたのです。

結局マレーシアとインドネシアだけで、タイ編は提供できないことになりましたが、いずれタイ編も提供する予定でした。

東南アジアにおける白人のレンタルワイフ遊びが顔出し暴露に値する犯罪行為であることは、上にあげた記事のほか、売買春・レンタルワイフ関係児童買春(子供買春)などのカテゴリーにはいっている記事や、最新の記事ではカーは理由があってタイを選んだ "farang kee-nok" ニューヨークタイムスなどをよく読んでもらえればわかるはずです。

売春やレンタルワイフ遊びとは限らないという彼らの抗弁は、以前も書いたとおり、白人男性とアジア女性カップルの10中8、9がレンタルワイフ遊びであるような場所に、あえて白人男に同伴していくアジア女性あるいはアジア女性を同伴する白人男性は、第三者から8、9の側と同視されそのように扱われるるリスクを覚悟するのが当然であるという条理を、故意に無視するものです。これは白人メディアがずっとやってきたイカサマなのです。

誰でもゴム草履を愛し短パンを愛し汚いTシャツを愛する自由を基本的人権として持つが、そういう格好で高級ホテルに入っていったなら守衛につまみ出されたり捕まえられて犯罪者扱いされても文句は言えないというのと同じことです。誰もが自分のいる場所と状況を選ぶ自由を持つが責任も持つ。公共の場所にいつ誰とにいるかについて責任を持つのは当然です。

「白人のいる風景」は、他人が私室でやっていることを盗撮したりするものではありません。そうではなくて、東南アジアで公然と売春婦を連れ歩く白人の開き直った犯罪行為を暴露するものです。彼らはこの程度のリスクは当然引き受けるべきです。

いずれにしても、どこの誰かもわからない人の「ご連絡」があったから、記事を削除せよ、というニフティの要請を受け入れることだけはできません

それがいわゆる「プロ市民」のボランティア活動だったとしたら、悪い前例を作ることになると思いませんか

「ご連絡」をした人は「文章」が気に入らないといってきたそうですが、ニフティは画像を削除せよといっています。文章も「見直せ」といっています。

画像を削除したら今度はやっぱり文章だということになるかもしれません。

こういうことをやっていたら、この国は、いや、このブログは私のブログではなくなってしまいます。