やはり日本語を話すアジア人は、しばらくしゃべっているとしまいにくだらないことを言い出しがちなものである。

外国語をしゃべる人は、自分がしゃべる内容よりも、「しゃべること自体」に意義を見出しがちなので、自分の語学力を確認するためにもどうでもいいことを際限なくしゃべり続けることになり、やがて必然的に?くだらないことをしゃべってしまうということもあるのかもしれない。

「日本が攻めて来なかったらバンドゥンは(オランダの引きで)インドネシアの首都になるはずだった」「バンドゥンはジャワのパリ(バリではない)と呼ばれていた」

ジャラン・ガルドゥジャティのホテルCitraのおっちゃんの弁。この人決して感じの悪い人ではないのだが。

「日本が攻めて来なかったら」・・・・・インドネシアはまだ十分にオランダの植民地だろうが・・・・・

なんて言ったら怒るだろうか。しかし、「フレンチポリネシア」なんて例もある。いまだに欧米の植民地であることに満足しきっているということだって現実にあるのだ。ハワイだってグアムだって・・・。

「日本が攻めて来なかったら」・・・・アメリカに移管されているくらいが関の山。あるいは分割されていろんな白人諸国の植民地になり、インドネシア全域がバリやタイのようになっていたかもしれない。統一して独立したインドネシアなんて夢のまた夢。

・・・・・と私は思うのだが。

わざわざ分厚いバンドゥンの歴史の本を持ってきて見せてくれた。インドネシア語の本だったが、日本軍の写真なども載っている。日本兵が整列して体操している写真とか。

今バンドゥンでは白人はめったに見ない。外国語もめったに通じない。ラオスやカンボジアと違って、オランダ語を話している学生とか若者なんてのは絶対に見ない。(ラオスではネット屋で高校生がフランス語できゃっきゃとしゃべくっていた。カンボジアにも英語はまったくだめだがフランス語が話せると言うレストランのおじさんがいた。)

鉄道線路の北の緑が多い地域は昔はオランダ人居住地区だったという。インドネシア人は主に線路の南に住んでいたという。しかし、いまは線路の南にいってもデパートの中のマクドナルドなどを覗かない限り、白人を見かけると言うことはめったにない。

インドネシア人は独力でオランダとかけあって、線路の北の緑多い地域に気持ち良く住み着いていたオランダ人たちを追い出すことができたとでもいうのだろうか?

このおっちゃんは長く日本人相手の仕事をしていて、日本語ガイドとしてボロブドゥールに千回登ったというから、日本人のことを良く知っているのだろう。日本人の多くは、過去の戦争の話をして日本軍を批判してやると、恐縮するだけでなく却って感心し、喜びさえし、畏まる、と言うことを十分知った上でやっていることだろう。

日本人客のほうもおそらく深い考えはなく、どう接していいかよくわからない外国人とのあいだの気まずい「間」を埋めるために、手っ取り早く共通の共感できる話題を引っ張り出そうとし、戦後の学校で習った「日本軍の罪」の話をとにかく持ち出したりするのかもしれない。あるいは、外国人の機嫌をとるために(これは見下すことでもあるのだが)、オランダ植民地だった=西洋文化がある=おしゃれ、といったいかがわしい図式を持ち出して、日本軍は×、オランダの植民地支配は○、という式でバンドゥンのオランダ遺物を称揚したり、半ば本気になってインドネシアを持ち上げたりするのかもしれない。

9日。

ホテルCitraをチェックアウト。レンバンLembangにむかう。

レンバンに向かってみたのは、以前CipanasのレストランのLiaちゃんがレンバンは静かなところだと言っていたのを思い出したからである。

12時過ぎに下に降りてみると、日本語のおっちゃん(チュチュというような名前らしい。ちょっと白人が混じっているような顔だが実は半分中国系で教会に行かないカトリックだとか)がいて話につき合わされる。ジャワ原人はソロSolo(Surakarta)だがバンドゥンの博物館にあるのだとか・・バンドゥン自慢。

1時ごろ鉄道駅南のアンコタ(ミニバス)ターミナルに向かう。Lembangと書いてあるところでアンコタを拾う。