2009年01月15日

改造鐚なのか、加刀鐚なのか、それとも鋳写鐚なのか

※以前の記事内容の続きの積りです。できれば該当記事
「覆輪鐚について」に目を通してからご覧頂けると、より
理解しやすい記事となっています。

もう何ヶ月も経っていますが。。。



まず教科書『本邦鐚銭図譜』より引用。いま鐚銭と呼ばれるものは

一、鋳写鐚(当時存在していた銭貨をそのまま鋳写した銭)
二、加刀鐚(銭文他を多少鋳浚い加刀修正して鋳造された銭)
三、改造鐚(新規母銭を用いて鋳造した銭)

に分類されるとあり、図譜でもそれに従って掲載されています。


図譜を眺めていて最近思うのが、見れば見るほどよくできているなぁ
ということ。裏返せば突っ込みどころが結構あって、見るたびに
違う感想を持たされるということです。意味不明ですね。


“研泉会”誌の出品銭の品評で、「加刀・改造の区別は果たして
本当に必要なのだろうか」というつぶやきがありましたがまさに
その通りで、銭文を加刀修正したとか新規母から鋳造の区別は容易
ではなく、改造鐚とされている中でも手替わり品なんかは鋳造の
度に修正が行われていたとも思われ、この大別には限界があります。

実際『本邦鐚銭図譜』でも加刀鐚・改造鐚と分類されていますが
それぞれにそれぞれが入り混じっているように見え、佐藤常泉編
『改造銭』ではその区別なく銭名順に掲載されています。

もちろんどちらの方法も一長一短あるのですが……。


さてさて、なにも加刀鐚と改造鐚の区別に限らず、鋳写鐚と加刀鐚
の区別も案外曖昧なものです。
何を言うか、鋳写鐚は単なる鋳写しじゃないか、とお思いになるかも
しれませんが、ちょっと『本邦鐚銭図譜』をお手元にご用意ください。

最初のほうでこそ「唐銭写」「北宋銭写」など単なる鋳写しですが、
後半ぐらいから不思議に思ってきませんか?


南宋番銭無背、これは背を鋳浚ったうえで、鋳写しを行っています。
背文を消去するのが目的なのか、背の輪郭を明瞭にするためかはよく
わかりませんが、これは「銭文他を多少鋳浚い加刀修正」には当た
らないのか?

他にもあります。広穿元符・広穿紹聖。これらは典型的な郭抜鐚の
製作で、若干の削字があるようです。これは「銭文他を(略

まだあります。右面星・左面星として元符・元豊の面星文が出て
いますが、これも製作は郭抜鐚の感じ。これらの星文はおそらく
鋳写しの過程で偶然出来たものではなく、何かしら意図があって
新たに付けられたもののように思えるが、これは銭文にこそ修正
を施してはいないものの、銭体に対する加工と考えると単なる
鋳写しとは言えないのではないか。

最後、覆輪鐚。これらは背の鋳浚い、輪の拡張という銭体への
加工があるが、さて……


これらに対する一つの答えが『方泉處』14号の分類で、広穿元符・
広穿紹聖は削字類、南宋番銭無背、元符・元豊の面星文、ほか
図譜で〇〇写となっているいくつかを、背を抉る加工の特徴から
背刔削類、覆輪鐚は覆輪類など、その製作手法からの分類を試みて
います。特に加刀鐚・改造鐚の殆どは新規母銭類となっており、
初めて見たときはなかなか斬新なものだと驚いたものですが、個
人的にはこれもまだまだ改善の余地がありそうだと感じています。


長くなったのでこの辺で、とってつけたように画像を出して終わり
にしましょう。画像は淳祐の郭抜鐚ですが、

図譜で言えば「無背淳祐」、方泉處言うところの「背刔削淳祐」です

鋳写鐚 無背淳祐  
Posted by alien708 at 23:49Comments(2)TrackBack(0)和鋳鐚・加治木銭 

2009年01月09日

蜀五銖 背陰文

本年もよろしくお願い致します。

実は、今年の年賀ネタは割りと早くから用意していました。

蜀五銖 背陰文ほか 背蜀五銖 背陰文ほか 面







蜀五銖と呼ばれていた一群は、最近の中国での発掘成果によって
蜀よりも後の晋の時代のものだという見方が主流になっている
そうです。ここでは便宜上“蜀五銖”と表記しておきます。

その背陰文として、数字を表す陰文の刻まれているものがありますが、
これも最近になって日本へやってきたものだとのことです。
古文銭は専門外ですが、目に付いたら購入してきました。
画像は無背、背三(2孔)、背十、そして廿一・廿二・廿三です

同じ三でも書かれている位置が違ったり、見ていて面白いところです。
これを選んだ理由は二つ。今年が平成廿一年であることと、“廿”
が牛の顔を表すからです。

廿匁wwwwというAAがネットのごく一部で流行ったのはもう2年以上
前のことですが、いまだにじわじわと広がりを見せています。
牛のAAといえば“今は反芻している”が有名ですが、私にとっては
“廿匁”こそが牛なんです。ね、牛に見えてきたでしょう?w


それにしても、背陰文の類はこの廿三よりも大きな数字をまだ
見たことがないのですが、いったい何番まであるんでしょうね。  

2008年10月15日

覆輪鐚について

いま俗に覆輪鐚とよばれる類があります。

鋳写しを繰り返すと銭径が縮んでしまうので、元となる本銭に何らかの
金属などを巻きつけて一定の大きさを保つ手法を覆輪と呼びますが、
覆輪鐚と呼ばれるものは更に背の輪郭をはっきりさせるために
谷を抉る加工も行っています。このため、面は濶縁なのに背が細縁、
なんてことがおこります。

まあここを見てる方はおそらくご存知かと思います。何か変なことを
言っていたらご指摘ください。

『本邦鐚銭図譜』にはこの覆輪鐚が治平、元豊、嘉祐、元祐の4孔
掲載されています。この中では元祐や嘉祐が比較的入手しやすい
ようですが、あまりお目にかかれませんね。治平に至ってはまだ
見たこともありません。

鐚銭の主な教科書といえばこの『本邦鐚銭図譜』であり、私も毎日
のように眺めていますが、この覆輪鐚の4孔を見ていて思ったことが
あります。

元豊、嘉祐、元祐の3孔は(拓図を見る限り)銭径、さらに穴の
大きさがほぼ一定なのに対し、治平だけは若干小さいように見え、
特に穿の大きさはかなり違うように感じます。また、先に確認した
ように面に比べて背が細縁、の特徴も出ておらず、他の3孔と比して
背の加工もわかりづらいものとなっています。(拓だからでしょうが…)

実物を見たことが無いのでなんとも言えませんが、元豊、嘉祐、
元祐を同じ一群であるとすると、治平はそのグループには属さない
のではないかと感じた次第です。どうでしょうか。


ところで、先ほど鐚銭の“主な”教科書なんて書き方をしましたが、
『本邦鐚銭図譜』だけでは若干物足りないのが事実です。そんなわけで
いくつかの泉譜を併用していますが、その一つに『東洋古銭図録(上巻)』
があります。

この泉譜、背が載っていないので不便と言えばそうなのですが、日本銭
安南銭が一通り載っているので収集初期から重宝している泉譜です。
鐚銭の収集にあたってこれも参考にしている理由は、同じ穴銭堂の編集
であるにもかかわらず同じ古銭に別のものの拓図を載せているものが
少なからずある、というところにあります。
司元符の手替わり品が載っていることなどが有名ですが、東洋古銭図録
に載っていて鐚銭図譜に載っていないものもあるようです。

さて肝心の覆輪鐚はというと、東洋古銭図録には図譜にも載っている
治平、元豊、嘉祐のほか元祐通寳の篆書、治平通寳の2孔も拓が出てい
ます。拓図は面だけなので背の特徴までわかりませんが、やはり銭径
や穿の大きさは図譜所載の3孔とほぼ合致(治平通寳は微妙ながら…?)
し、少なくとも元祐の篆に関しては同じ覆輪鐚としていいのではないか
と思います。


とすれば、おそらくまだ世に知られていない覆輪鐚が存在しても
おかしくはなく、製作の同じものを覆輪鐚として呼べるのではないか
と考えます。もちろん製作など実物を見ないことには判断しようが
ありませんが、銭径・穿の大きさのほか背の雰囲気など、拓図からでも
ある程度は判断できるのではないかと。


これらをふまえて、やっと画像です(笑)

覆輪鐚 2孔









右は図譜にも出拓のある覆輪元祐、左は入札誌で覆輪皇宋として入手
したものです。入手時には覆輪鐚とは半信半疑でしたが、上記のような
ことを考えてから改めて並べてみると、なるほどよく似ています。
元祐は面の状態がいまいち…でも背ははっきり。皇宋は背がちょっと…
でもそんなことはどうでもよくて、銭径・穿の大きさはほぼ同じ、
(皇宋/24.6mm 元祐/24.8mm 穿は両者とも、だいたい7.5mm)
また輪側の仕上げなんかもそっくりで、製作的に見ても同じ手法である
と自信を持てます。皇宋の背はもひとつですが、よくよくみれば覆輪痕
なのか輪に円を描いたような筋も見えます。

というわけで、半信半疑のまま入手した皇宋も覆輪鐚と確信した、と
いうところでひとまず筆を(この場合キーボード打ってる指を?)置く
ことにします。  
Posted by alien708 at 23:48Comments(0)TrackBack(0)和鋳鐚・加治木銭 

2008年03月17日

【速報】富本銭に新種

先ほどNHKニュースでちらっと言っていたのですが、去年発掘された
富本が常見のものと違う書体だったとの事

途中からしか見ていないのですが、一瞬見えた写真から察するに、
現在江戸期作とされている大英博物館所蔵の富本と同じものではないかと思います。


まだ他の新聞社の記事は出ていないようです。

続報を待つ。



追記1
錆色から考えて、去年11月の地鎮具とされる平瓶の中から出てきた9枚のうちのいくつかか。


追記2
↑はどうやら正しいようで、9枚のうち実に8枚が今回のものにあたるという。
なぜ発見時に気づかなかったのかが不思議だ。

各新聞社が続々と記事を出しているようなので、詳細はそちらを参照ください。
読売http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080317-OYT1T00518.htm?from=navr
朝日http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200803170073.html
毎日http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080318k0000m040078000c.html


毎日より
>中世の模造品とされる八幡山城跡(和歌山県白浜町、16世紀前半)の富本銭が今回と同じデザインで、今後年代が見直される可能性がある。

2004年発見のこのものは間違いなく今回のものと同じもの。  
Posted by alien708 at 18:34Comments(0)TrackBack(0)世間話 

2008年03月04日

隷水治か点水治か、はたまた狭草治削字か

もう3月ですね、みなさま如何お過ごしでしょうか。
前の記事で兄弟銭とよばれるものをいくつか、と予告していた
記憶もありますが、無期延期ということで・・・www


というわけで今日は、先月の入手品を紹介しましょう。


とりあえず、まずご覧ください。入手したのは真ん中のものです。
スアナが、勿体無い・・・

加治木洪武 小字点水治?





ちなみに左は以前にも紹介したことがある隷水治、右は狭草治。いずれも面文は小字です。

また、狭草治という分類は『大隈国加治木村所鋳洪武及大中銭銭譜』
での名称で、鐚銭図譜では“草水治”資料によっては“狭水治”と
しているものもあるようです。
個人的には“草水治”で慣れきっているのですが、図譜しか見てない
のがバレバレですね・・・w


さてさて、真ん中のものはなんという分類なのでしょうか。
このものをぱっと見た時、“狭草治”の削字だろうということは
すぐわかりました。図譜にも載ってなかった筈!てなわけで購入。

さて帰宅しすぐ、洪武及大中銭譜を引っ張り出してきましたが、
驚いたことにこれには“隷水治”が載っていないんですね。“点水治”
として載せている3孔のうちの一つが図譜で言う“隷水治”のようです。

ちなみに同譜には中字の“隷水治”は載っていないようで、“狭草治削水”、
“点水治”の2孔が狭草治の削字にあたるものと思います。


ここで念のため“隷水治”の名称について。
サンズイが一直線上に並ぶ特徴に注目して、それを隷書体に見立
てて“隷水治”という名称をつけられたものなのでしょうが、
洪武及大中にその名前がないところをみると、これの編集時(昭和34年)には
“隷水治”も“狭草治の削字によってサンズイが一直線上に並んだもの”も
区別なく“点水治”と呼ばれていたということでしょう。

また中字の“点水治”が“狭草治”“同 削水”と別個に掲載されて
いることから、もともと別物という考え方だったのかもしれません。

実際の“点水治”と“狭草治削水”はいずれも“狭草治”の削字
であり、違いはサンズイが一直線になるか弧を描くかということ
だけだと思うのですが・・・


さて加治木洪武の分類というのは古い収集に連載されていたと聞いて
いますが見たことがありません。洪武及大中のほか手元にあるのが
洪武通寳図譜の日本銭の部、収集の連載と同じ人(たぶん)による
資料のみです。

というわけで洪武通寳図譜を見てみると、こんどは隷水治として
図譜の隷水治と同じものが3孔掲載されています。

ところで、問題はもう一方の資料なのです。
図譜でいう隷水治はちゃんと隷水治として掲載されているのですが、
狭草治の削字と思われるものは狭草治削水・縮水治・点水治として
別々に載っているのです。銭径の違いや小異こそあるものの、
自分としては同じものではないかと思います。

ついでに中字の隷水治を探してみると、図譜の隷水治が点水治、
狭草治の削字が隷水治小異、別のものとも見えるものが隷水治として
中字と小字で隷水治と点水治が逆転しているのです。


これだけ沢山の拓図を並べると逆にどっちがどっちだかわからなく
なってくるのでとりあえず結論を出すとすれば、

隷水治 図譜の隷水治(ム画と口画の幅が同じで、口は正方形に近い)
点水治 狭草治の削字(台字に狭草治の面影があり、口は台形になる)

狭草治削字 (円点だが弧を描く)


といったところでしょうか。何か書いてある資料があれば教えて
ください。

というわけで今回の入手品、真ん中のものは“点水治”であり、
“狭草治からの削字による変化”であろうと思いますが、どうでしょうか。


それにしても、例の資料を入手した当時には隷水治・点水治の違い
がまったく理解できなかったものですが、現物を1つ手に取るだけで
そういった疑問も氷解しました。やはり、資料をいくら集めても資料
現物に勝ることははありませんね。  
Posted by alien708 at 23:53Comments(3)TrackBack(0)和鋳鐚・加治木銭 

2008年02月11日

“兄弟銭”の話題 その1

先日の記事で研泉会誌の資料「ネットオークションから」を引用しましたが、
この記事には短尾永が2孔紹介され、一方のものについては濶縁小字
となったものではないか、という話でした。

手元にも短尾永があります。これです。


和鋳永楽 短尾永
















じっくり見ていても何もわかりませんが、件の記事の濶縁小字銭と
比べてみると、全く同じ特徴を持っていることがわかります。
向かって左側、寳字珎画横に輪に接するように鋳溜り状のものが
あるのですが、これは『本邦鐚銭図譜』の短尾永にも見られるもの
です。

こういう微妙な特徴、鋳不足や文字の陰起具合を見て銭譜原品か
どうか判断したりもしますが、こう同じ特徴のものばかり揃って
いては特定は簡単ではないですね!

とまあ冗談?はさておき、鐚銭の類にはこういった、微妙とも
思える特徴がその古銭の約束だったりするものが多々あり、散見
されます。踊手広穿の豊上星なんかがいい例かもしれません。

いくつか思い当たる古銭があるので、しばらくはそれを紹介して
いこうかと考えています、お付き合いください。



ちなみに踊手の星は持ってないから先走りして言った。できれば
売り物を紹介しt(ry  
Posted by alien708 at 23:57Comments(1)TrackBack(0)和鋳鐚・加治木銭 

2008年02月04日

叶手元祐 背木

さて“背木”と言われて思い浮かぶものはどんなものでしょうか。
叶手には「背篆木」あり普通の「背木」あり、位が上がって
「背上木」を思い浮かべた方もいるかもしれません。

加治木洪武ではなくて叶手ですよ?念のため。


私がまっさきに思い浮かべるものといえば普通の「背木」
へちゃげたようなその字はそれほど立派なものと言えるもの
ではなく、字がつぶれているものも多いのですがそれゆえ
見慣れたものでもあります。特に「背篆木」はそれまでに
売り物を見たのが2回だけで、一方はネット、一方は入札誌と
実物を見ることもなく、入札誌のほうも惜敗した記憶だけが
残っています。

その「背篆木」ですが、昨年末、阿倍野の催事で見る機会が
ありました。そのお店の品物はちょくちょく覗いている積も
りでしたが、コインアルバムをめくっていて目に付いたのは
見覚えのないものでした。


叶手が10枚ぐらい並べてある中で、“篆木”とエフのあるのが
2つ。片方は状態はそこそこだが伝世の雰囲気のいいもの。(画像右)
もう片方は……、それこそ見覚えのない“木”の字が背に
ありました。「背木」よりは「篆木」に近いが、横幅が広い(画像左)
昨今流行りの“彫り直し”の疑いすら抱きつつ、とりあえず購入。

帰宅し図譜を確認しても載っておらず。だいたい、載ってたら
覚えがあるというもの。滅多に見ない“豊後元祐の研究”を
引っ張り出してきて、ようやく確認。ちゃーんと載ってるや
ないですか。『狭元背木』だそうです。


※本邦鐚銭図譜での分類を「背木」、豊後元祐の研究での分類を
『背木』と表記しました。ややこしいので銭譜がお手元にあれば
それを参考にしてください。


でもこの銭譜は、面文による分類をしているので背の特徴が
なく、いずれも『○○背木』としています。この方法が悪い、
と言う訳ではないですが(むしろ良いほうだと思うが)「背
篆木」で慣れきっている私にはなかなか馴染みの薄いものです。

その「背篆木」はというと当該譜では『中字狭元背木』となっ
ており、画像のものは寳字貝画肩にあるコブや跛寳となる特
徴が『中字狭元異寳背木』と一致します。『中字狭元』より
『異寳』のほうが位付けが低いというのが残念なところでは
ありますが……


位付けの話がでたあたりで言及しておきますが、この『狭元
背木』木字が幅広になるものですが、初めて見ました。しか
しこの譜の位付けでは普通のへちゃげた木と同程度となって
います。個人的には、案外少ないものでは?といった感があ
るのですが。

と思っていたら、年明け早々でしたかヤフオクに出ていまし
た、この幅広のもの。昼間終了だったので入札しそびれてし
まったのですが、個人的な感覚ではそれほど高騰したわけで
もなく、入れておけばよかったと後悔しきり。

ヤフオクといえば最近入札し忘れが多いです。特に某氏の出
していた司元符、あれはおそらく普通品とも異チャクとも違
う“第三の司”であったと……ああ、勿体無いことをした。

まぁ、今年に入ってからまだあまりお金を使っていないので
いい景興と考えるべきか。


話が飛んでいってしまいましたが最後に。この「背篆木」、
背穿上に鋳溜まりがみえます。この銭譜の末尾には『長寳背
星木』として普通の背木の星のあるもの、『狭元背星木』と
して画像左の幅広になる背木に星のあるものの2孔、“背星
木”の類が掲載されていますが、さて篆木にも星木が存在す
るのか?だとすればおおむね一通りの面文に“背星木”があ
ることになり面白い存在です。


叶手もあまり今まで力を入れていなかった分野ですが、改造
鐚の類に比べれば安価なものも多く、すでに手元にもそこそ
こ枚数があり今後研究対象の一つとなりそうです。

興味は尽きません。



画像左 『狭元背木』     位付八
画像右 『中字狭元異寳背木』 位付四 (背星木?)

叶手元祐 背木・背篆木

  
Posted by alien708 at 23:45Comments(0)TrackBack(0)和鋳鐚・加治木銭