2004年09月

2004年09月30日

 ニュースでは台風話。しかし、東京は晴れた。ただし風が強い。

 ありふれた一日。打ち合わせとか、調べモノとか。新宿小田急ハルク内ビックカメラ2Fの暗室コーナーが縮小された。もともと空気がよどんでいるような場所で、真新しいビックカメラには似つかわしくない場所だった。縮小で、いつも買っていた印画紙がなくなり、ヨドバシカメラまで足を伸ばす羽目になった。

 そういえば。新宿東口、歌舞伎町入り口前の「カメラのきむら」が再開発のため移転するそうだ。移転先不明のため、とりあえず、閉店セールである。

 もうひとつ。歌舞伎町風林会館の「パリ・ジェンヌ」も縮小。こちらは、大部分をスーパー「ポロロッカ」に持っていかれたが、明るいスーパーの店内のレジに立っているバイトと、と歌舞伎町の客引き、ホステスとのギャップに目がくらみそうだった。

★市川拓司市川拓司『いま、会いにゆきます』(小学館)
 話題の、というか、すごく売れている(らしい)長編小説である。

 著者は1962年生まれ。ネットで小説を発表し、注目されたのだという。よくわからないが、たぶん、ここが著者のサイトだと思う。従兄弟だという人がリンクしていた。

 愛する妻、澪を失った「ぼく」は、6歳の息子佑司と二人暮らし。司法書士事務所に勤めている。そんな彼のもとに、生前「雨の季節になったら戻ってくるから」と約束していた妻が帰ってくる。ただし6週間だけ。しかし、彼女は生前の記憶をまったく無くしていた。二人はかつての出会いから恋愛、結婚へとたどった道を振り返りながら、愛を育てていく。

 ちょっといい話である。
 文章は読みやすく、雰囲気もある。妻が「この世」に滞在できるのは夏が来るまで。本来はうっとうしいはずの梅雨だが、この小説ではしとしとと雨が降るムードのある時間を演出している。そして、待ち遠しいはずの梅雨明けが、「ぼく」と佑司にとって悲しい別れのときになる。これだけで、泣ける。
 しかも、主人公は障害を持っている。記憶力が弱く、自分がすべき行動をメモに書いて貼っていないと忘れてしまう。人が大勢いるところにいると、緊張が高じて大声を出したくなってしまう。その「ぼく」を理解し、愛してくれていた妻。それだけで、泣けてくる。

 読んでいて、連想したのはハリウッド映画である。この小説をそのまま映画化するには、もう一ひねり、もうひと味加えないとという気もするが(中村獅童、竹内結子で映画化される)、しかし、この小説は逆に映画を小説化したような感じがある。登場人物の設定、彼らを動かすための道具立てや約束事がきちんとあって、そのなかでストーリーがよどみなく進む。まさにエンターテインメント。ハリウッド映画に多くの範を得ている日本のマンガを連想する向きもあるかもしれない。それに、奥付に編集・宣伝・営業の名前まで掲載されており、「チームによる制作&プロモーション」がこの本を成功に導いたことがわかる。

 読後感は悪くない。しかし、小説を読み慣れている人にとってはいささか「狙いすぎ」感が鼻につくかもしれない。作者が実際に狙ったかどうかはわからないが、少なくとも出版社は狙いをはっきりと定めている。そのための設定、約束事だと感じるのだ。そうなると、読んでいてどこかしらけてしまう自分がいる。まあ、これは小説を数読んでいる読者の場合仕方のないで、そういう読者はこの手の本は読まないような気もする。ぼくが読んだのも、なかば職業意識からである。

 しかし、たとえば十代の読者や、ふだんはあまり小説を読まない人にとっては、とっつきやすいし、肩肘張らずに読める本だと思う。しかも、『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館)(こちらも小学館の「新文芸」だが、もっとマジに文学してる分、ダサイ)よりも初々しさがある。

 小説が売れなくなっていると言われるけれど、ひところの「ミステリーブーム」「ホラーブーム」でそれ一色になってしまったことにも原因があるように思う。マニアックになりすぎてしまったというか。小学館の「新文芸」は恋愛とか、生とか死とかで、「泣き」のマーケットを開発した。どこまで続くかわからないけど、ネタはまだまだありそうだから、まだしばらくヒットを連発しそうだ。

(20:08)

2004年09月29日

 今日から「日記」をブログに移行することにした。

 以前、日記を載せていた無料サーバーがアクセス不能になったためだ。メールを送ったがはかばかしい答えが得られない。あきらめて移行することにした次第。しばらく様子を見て、復活したら、「引っ越しました」と告知を出すことにする。

 今日は雨だった。台風が近づいている。

 4年前から使っていたノートパソコンが悲鳴を上げた。仕方なく、雨の中を新しいパソコンを買いに出かけた。
 途中、新宿ニコンサロンで写真展を2つ見た。
 新しいパソコンを買って、いま、テストがてら書いているところ。

★笠原和夫『破滅の美学』(ちくま文庫)読了。
 著者の笠原和夫は東映育ちのヴェテラン脚本家(故人)である。海軍二等兵で敗戦を迎えた戦中派で、東映の仁侠映画(『総長賭博』『女渡世人・おたの申します』)、実録やくざ映画(『仁義なき戦い』『県警対組織暴力』)、戦争映画(『二〇三高地』『大日本帝国』)と各ジャンルで傑作を残している。その脚本家人生は、本書の巻末に解説を寄せている同じく脚本家の荒井晴彦らによるインタビュー『昭和の劇 映画脚本家笠原和夫』(大田出版)に詳しい。

 本書は笠原が仁侠映画、やくざ映画の脚本を書くうえで取材した「みそ帳」から、一般の人がうかがい知れぬ裏街道のエピソードを開陳したもの。もともとは1987年に徳間書店から『鎧を着ている男たち』というタイトルで出た。「鎧」とは、「男であること」の面子に命を掛けるようなやくざの生き方であると同時に、男なら誰しも軽重はあっても、「鎧」を身に着けているという意味だろう。

 その後、絶版になっていたものを幻冬舎が1997年に幻冬舎アウトロー文庫の1冊として刊行した。『破滅の美学』という魅力的なタイトルはそのときに冠せられたものだ。巻頭にまさに「破滅の美学」そのもののエピソードが加えられている。それは、やくざ映画を経て戦争映画に取り組んだ笠原和夫ならではの、「特攻隊の生みの親」大西中将の生き方である。映画化もされる『終戦のローレライ』(福井晴敏・講談社)のモティーフとも関わってくる「あるべき終戦の姿」を構想した大西の破滅的な狂気(いや、見方によってはこれほど切実な「正気」もあるまい)に心打たれる。

 やくざといっても、侠客、博打打ちその他いろいろある。総会屋、刑事など関連する(?)職業もある。戦後の経済成長の裏側を駆け抜けた男たちの破格の生き方。内容はすでに過去のものとなっていると思われるが、かつてのやくざたちの熱く、濃いエピソードは迫力がある。

 もともと本書を読みたいと思ったのは『新・仁義なき戦い』(角川文庫)『流星を斬る 竜四郎疾風剣』(双葉文庫)などの作家、松本賢吾さんに勧められたからだ。ところが、幻冬舎アウトロー文庫のラインナップから消えていて、古本屋で探しているところだった。今年のはじめにちくま文庫から出ているとは知らなかった。ちょっとうれしかった。


・・・・・・というわけで、ブログに移行しました。毎回こんなに長くは書きません・・・・・・。
写真関連のネタは別のブログにまとめることにしました。
こちら↓
scannersブログ

あと、仕事関係ではこちらのブログにも関わっています↓
幻妖ブックブログ(東雅夫さん)
(幻想文学、怪談、ホラーなどがお好きな方はたまんない! ブログです)

今後ともよろしくお願いいたします>皆々様

*ここより以前の日記は
2004年7月の日記
から過去に遡って読むことができます。
8月〜9月28日までの日記のことは、忘れてください。ぼくも忘れました。
思い出したら、日記のなかで書いていきたいと思います。

(20:43)